−メイプルの泣き言

　酔っぱらいに場所柄やマナーそして、他人への配慮を期待してはいけない。
　それは永年、古から続く万物の法則の一種として暗黙のウチに人々の心に刻まれてきたし、それはこれからも続くだろう。
　だからここが何処か、そしてどんなことまで許される場所か、メイプルの他に誰が居るのか説明はしない。
　ただ、メイプルの周りには酒があって、しかもイイだけボトルを飲み空かしてゲロってしまう寸前の酩酊状態、あげく愚痴ともホンネともつかないことを酒臭い息と共に相方のクーシャに吐いてるのだ。
「…いいかげんしろよナ…」
　酒に酔えずとも青い顔で、テーブルに片肘をついたクーシャが言葉をぽつりと漏らす。
　向かいにいるメイプルは、前日のミーティングと称したＬＳの飲み会での出来事を、当日もその場にいたクーシャに一から十まで、それこそクーシャだってとっくに既知のことをくっちゃべっていた。
「私が家族欲しいって言ったらミンナしてすっげー驚いた顔してこっち見るのよ？　そりゃいつも非常識よ、うん。自覚あるのよこー見えても。だけどどんな非常識でも結婚したり子供産んだり育てたり捨てたり殺したり死んじゃったり…あれ？」
　しかも、何を言ってるのか途中で不明になり明後日の方向に話がずれる。
　さっきからクーシャが聞きたくない話をエンドレスで、訳がわからなくなってもそのまま続けるメイプル。
「そうよ、死んじゃったりするのはイヤじゃない。そりゃ殺すのもあんまししたくないけど、殺されるよりはましまし。だから生きることに前向きにならなきゃ。うん。人生生きてなきゃ止まったままだから死んでも生きなきゃ。そーでしょ？」
　同意したら話がややこしくなるのは、もう二時間前に学習している。　
　だからひたすら無視。
「そーなんだったらそーなのよ。だから生きてるウチには女なんだから結婚ってのも気になったりするってワケよ。結婚なんてめんどくさいって言う人居るじゃない？　それもアリっておもうケド、私は愛が欲しいのよ。独り占めよ独占よ。結婚しちゃえばダンナの浮気に言い逃れできないくらい文句言えるじゃない。殴ろうが蹴ろうが一晩折檻しようがアリなのよＯＫなのよノープロブレムなのよ。それがなによ、恋人同士だったらそれすら言い訳されて最後は別れてもＯＫなのよ。あんまりすぎるわ。だから結婚なのよ女が男を独占するための合法手段なのよ」
　言いたいことを言いたいだけくっちゃべるのは疲れないのだろうか、とこちらはいい加減聞くのに疲れ果てたクーシャは思う。
　だからメイプルの方を見ずに、明後日に顔を向けて明日の天気などを考えてみたりもする。
「でね、クルジェったら、メイプルに彼氏みたいなヒトって居たっけ？　って言ったのよ。どういう意味なのかと詰め寄ったら、結婚するには自分を好いてくれている異性が出来なきゃムリだジョ。だって。失礼ぶっこいてるわよまったくもー」
　そこで言葉が途切れて、タンっとコップがテーブルに叩き置かれる音がする。
　どうやら一気に中身を飲み干したようだ。間を置かずに、コップに新しい酒が注がれる音もクーシャの耳に聞こえてくる。
「私だってその気になればいい男のひとりくらいは捕まえる自信はあるのに。クーシャだって彼女の一人くらいは居る…あ、クーシャはガルカだからそーいうの興味ないか。あははははは」
　無言でテーブルに転がってた酒瓶を掴むと、今だ笑ってるメイプルの頭にたたき落とす。
　バカ殿みたいな笑顔が一瞬固定され、散ったガラスを頭にトッピングしたまま、メイプルは顔面からテーブルに沈んだ。
　はじめっからこうやって黙らせれば良かった。
　よーやく、マトモに酒が飲めると安堵するクーシャ。仕切り直しの一杯をイッキに飲み干して、くっはー、と大きく息を吐く。
　邪魔はないし、鬱陶しいのは黙ってるし。
　だいいち『興味ない』って決めつけるなよ。まったくもう。
　思いつつ、自分のペースで杯を重ねる。
　酔いも回ってそろそろ良い具合かな、と思い始めた頃にメイプルが動いた。
　動いた、とは言うが実際はテーブルに頭をのせたまま、身動ぎした程度なのだが。
「クーシャはさ、」
　うつぶせになったままの体制でそこまで言ってから、次の言葉が出るまで間があった。
　言葉は先ほどとは比べものにならないくらい、はっきりとしていた。酒が抜けて思考がまともになったのだろうか。
「二度と思い出したくない記憶とか、会いたくない知人とかってやっぱ居たりするワケ？」
「…あってもまあ、自分の人生他人に教えるのはイヤなんだけどね」
　実際クーシャは自分の過去を誰かに教えたことはないし、聞かれてもあまり答えない。
「じゃあさ、幸せを逃した人は不幸っていう公式は成り立つと思う？」
「なんだそりゃ」
「私の話じゃないけど、昔幸せのど真ん中で、あと少しで結婚だ！　って意気込んでたら彼氏は死んじゃって、残った彼女は不運の連続に巻き込まれたって言う人は不幸なのかと」
　まだ酔っぱのままだったのか、と内心でため息ついて受け答えして損したと、横を向く。　しかし、話の中身を思い返せば…それは自分の事じゃないと言って置いて、まんまメイプル自身の事だと気がついた。
「ほら、彼氏が死んだときすでに不幸なのか、そこで幸せが逃げたのかどっちなんだろうって」
「…そーさな、死なれたのはたしかに不幸だと思うけど。それのせいで幸せが逃げたって言う考え方がダメなんじゃないか？」
「ダメ？」
「どっかのおとぎ話みたく、幸せってものにカタチがあるならいいさ。鳥やらコインとかな。でも現実にはそんな明確なものはないだろ。あるのは自分を中心として起こった出来事が自分にとって良いことか悪いことかで、幸せの判断をしてるっていう漠然とした物しか無いんだし」
「じゃあ、なんで悪いことって続くわけ？」
「続くっていうより、違う悪いことが色々おきるわけだろ？　その悪いことって一秒も間を置かずにポコポコ起きるワケじゃあない。大抵自分がヘコんでるときに次の悪いことが起きて、追い打ちかけてくるから続いてるように見えるだけだと、思う。だから、本当はそのヘコんでいる間に『普通の事』やら『小さな幸せ』ってのが気がつかないところで起こっていてそれと一緒に『悪いこと』もやってくる、みたいな」
　これだって他人の受け売りだからホントかどうかあやしーけど、とその事は言わなかった。
「とくにそうやってヘコんでる時は、何時もだったら空元気でも出せば吹き飛ばせる出来事もマジんなって悩んじゃうだろうし…ま、考え方だな多分」
　そう言い終えて、再びメイプルの方を見れば、いつのまにか彼女はテーブルから身を起こしていてこっちをじーっと見つめていた。
　その眼差しは、目から鱗が落ちたとか世紀の大発見とか、スゴイことを見付けたガキんちょとかそんな感じの。
「トイレ行ってくる」
「…あ、ああ…」
　その真剣な眼差しに気圧されて、クーシャはその間まともな返事は出来ず、ただ頷くしかなく。メイプルが席を外している間中その目が頭から離れなかった。
「おまたせ」
「お、おかえり…」
　帰ってきたメイプルは頭にトッピングされてたガラス片が無くなっており、先ほどよりももっと顔色もマトモになっていた。
「やっぱダメね。アルコールに頼るのって」
「…トイレでなにしてきたンだ？」
「口の中が酸っぱくなるようなこと」
「ああ、そう…」
　席に着いたメイプルがクーシャを見ている。
　肩ひじをテーブルについて手に顔を預けるように、斜にかまえてなおかつ目線はクーシャに固定している。そのせいでどう見てもニラみつけているように見えた。
　しばしの沈黙。
　それを破ったのはメイプル。
「今度、生まれ故郷に遊びに行くの」
「普通そういうのは『帰る』って言わないか？」
「はっきりとした思い出があればそうかも知れないけど。小さい頃にいただけで記憶が薄くってどーにも実感無いのよ。だから遊びに」
「ふーん」
　身の上話をされても酒が美味くなるわけがない。
　聞き流しても良いし、関係ないみたいだし。だからクーシャの返事もとたんにそっけなくなる。
「ただね…私の母親ってまだバスにいるみたいなのよ。遇ったらナニされるかわかんなくて」
「は？」
「前回は背後からケリ喰らわされて運河に沈められそうになったわ」
「なんでそんな事になるんだ？」
「自分の娘が冒険者になって、毎日ふらふらしてるから。サンドの友人に私を預けて英才教育云々…って言う道を考えてたみたい」
「そりゃあ…メイプルにはムリだろ」
　酒が手伝って、失言がすんなり飛び出てしまった。失言というよりは100％クーシャのホンネなのだが、この場合メイプルの怒りを買うのはほぼ間違いない。
　怒りの言葉を覚悟したが、予想外に罵声は飛んでこなかった。
「ムリなのは誰が見たって判るでしょうよ。…そんなきっぱり言わなくても。問題なのは、私が子供産めなくなったあげく、ミスラらしい仕事も出来ないってことがバレることよ…」　テーブルにおきっぱになっていたハンドバッグから、シガレットケースを取り出すメイプル。
　同寸法にカットされた巻紙をテーブルに二枚。
　刻まれたタバコの葉を直線に巻紙の上に落として、上の一枚を器用に丸め、端を舌に載せ、滑らした。
　あとは指で軽く押さえて、トントンとテーブルで葉の密度を調整して、不健康極まりないフィルターなしタバコのできあがり。
「長生きする気ないだろ」
「まぁね」
　マッチを適当な場所にこすりつけ、手早く火をつけると思いっきり煙を吸い込んだ。
「…将来はお嫁さんになって、ダンナの休日には甘いリンゴをふんだんに使ったパイを焼くのよ。子供は二人。布団を干すのと一緒に私もお昼寝。今晩は何作ろうかしら、なんて考えながら町中の市場を歩きながら、『あの子達イタズラしてないかしら』なんて思ったりね。そうやって毎日が続いていくもんだとばっかり思ってた」
　行儀の悪いことに、タバコの灰を適当に空いていたコップに落とす。
「まだ子供だったのよね。パイが焼ければ一緒に他のモノがくっついてくるのと勘違いしていたみたいでさ。お小遣い貰っては美味しいリンゴ探して歩いてた。買ったリンゴをかじって、夕暮れ時の石畳をてくてく、歩いて帰ったのがついこないだの事みたい」
「パイは焼かなかったのか？」
「育ての親がね、アブナイからって使わせてくれなかった。でも本当の理由は自分もパイが焼けなかったみたい。料理全般苦手だったのね、きっと。育ての親ってのがね、お見合い結婚だったらしくて、お互い堅物系でさ。勉強と礼儀作法は教えてくれても他はまるでダメだった。それでも不思議と家の中では二人とも仲良しだったのね。それだけは子供ながらに感心しちゃって。パイも焼けないのになんでそんなラブラブなのかな、って」
「冒険者やる理由がみつからないな、そんなんだとさ」
「道ばたに転がってる石ころに躓くカンジよ？　転べばあとは土がベッタリ。自分でも真っ黒になってどうしようか悩んでるのよ。全部洗い流すには、この世界には綺麗な水が足りないの。全くね」
　短くなったタバコをもみ消して、自分のコップにウィスキーをどぼぼぼ、と注いで一口、渇いたのどに流し込む。
「この歳になってから慌ててムコさがしやるのも今一乗り気にならなくて。それでも出会いに期待して、あちこち回ってはいるけど…こんなのより良いのは沢山居るワケよ。私は下から何番目、ってかぁ…」
「…」
「黙られたら、凹むじゃない。何か言って欲しかったわよ」
「こう見えても、愚痴を聞くのは得意じゃないのですよ？」
「…あら…」
「うむ」
　一つ頷いて、クーシャも酒をあおる。
　酒瓶とコップが散乱したテーブルが、二人の滞在時間を物語る。
　話題がないと、自動的に無言の飲酒タイムとなって杯を干すペースがハネあがって。　
　酒瓶がまた一個、ごろんとテーブルに転がされてしまった。
　それから数時間後、二人は店を後にするのだが、呑んだボトルの数は総計４１本。途中のトイレタイムはメイプル４回クーシャ０回。
　最後はメイプルの意識喪失により、第８回耐久飲酒マッチはクーシャの勝利が決定されたことをここに記しておく。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　おわる。