森山法相初め児童ポルノ防止法「絵、単純所持」を含めるよう改正、全ての児童ポルノを消し去りたい方へ

自分が中学生ぐらいの男の子だと考えてください。
皆が性に目覚め、気が早い男の子はもうセックスを経験したりしています。
自分もポルノ雑誌やマンガに手を出していますが、同級生に好きな子はなぜかいません。
ポルノでも特に幼児を描いたコミックに性欲をそそられることで、半ば冗談のロリとは感じていました。
しかしある日の放課後、道で見かけた小学校低学年の女の子に心を引かれて尾行してしまい寂しい道に入って、その子が車にひかれそうになったのをかばい、押し倒す形になってしまいました。
それで猛烈な性欲を感じ、思わずそのまま抱きしめて・・・それが犯罪だと気がついたのです。同時に自分が幼児性愛者だと明白に理解しました。
何かの本で、「セックスは愛し合う者同士が愛を確かめ合うため」と読んだ記憶が理性を取り戻させました。
その子と自分は、絶対に愛し合うことはできない。同じ変態でも同性愛とも違い、合意そのものがありえない。だから強姦以外の形はありえず、絶対悪です。
仕方がない、愛は諦めよう。性欲だけを・・・写真やビデオも被写体に悪いから、マンガや小説で我慢しようと決めたとき、児童ポルノ法が絵も禁止したことを知りました。
しばらくは我慢していたのですが、我慢するほどに性欲は募り、このままでは犯罪を犯してしまうと思いました。
そんなある日、学校の図書館で聖書を見かけ、救いを求めて適当に開くと「生まれてこなかったほうがその人自身のためによかったであろう」という一節が目に入り、彼・・・イスカリオテのユダのその後を見ると、「彼は首を吊って死んだ」と。
学校の帰り、神とそんな性に産んだ両親を呪いながら首を吊りました。

そして、今度はその男子の親の立場で。
最近部屋に秘密が多い、困った息子の帰りがとても遅いです。
深夜・・・いてもたってもいられなくなり、警察に電話しようとしたらその警察から電話が。
命だけはあった、そのことに安心するやら悲しいやら。ただ生きていてくれた、それだけがたまらなく嬉しい。
そして治療が一段落し、理由を聞くと・・・

そこまで考えたことはありますか?
絶対悪というのは簡単です。でも・・・かつて同性愛者も、自分の「性」というアイデンティティが悪であることに苦しんだのでしょう。
もちろん正当化はできませんが、被害者が出ないポルノコミックまで禁じるのは残酷ではないでしょうか。
悪しき「性」であっても、まさかガス室に送るわけにはいかないでしょう。