Dunk Like Lightning
第14章 昼下がりの無風
朝だが日差しが強く、この時期ならではの蒸し暑さ。
晴子は目覚め、口をゆすごうと台所に。
「あ、おはようさく」
とごく自然に出た言葉が悲鳴に変わった。
「どうかしたか?」
赤木と寝ていた木暮……別に変な意味ではない、多くの読者には申し訳ないが一応このシリーズは健全。昨日湘北恒例勉強合宿で、木暮も教えにやってきて、当然OB+彩子で飲んで布団が足りなくなっただけだ……が、真っ白になった。
「桜木ィ!また」
降りてきた赤木がなんともいえない表情に。
「昨日は本当に申し訳ないっす!」
珍しく殊勝な言葉で(晴子に)しおしお小さくなる花道。
「いや、そうじゃなくて」
木暮が、そして後から顔を出した彩子が吹き出した。勉強合宿+遊びに来ていた三井も顔を出し、爆笑。
「何だその顔は桜木!」
「鏡見てみなさい、桜木花道」
彩子に言われた花道が、台所にかかっている鏡をのぞいて、真っ白に凍った。
「お化け!」
晴子がやっと吹き出した。
鏡の中の花道の顔はくまなく紫に腫れ、膨れ上がって誰とも分からないほどだった。
「やりすぎたんじゃねえ?赤木」
三井の言葉に、赤木はばつが悪そうに
「新聞取ってくる」
と、出かけたものだ。
当然赤点で勉強合宿に来た花道がトイレと洗面所を間違えて全裸の晴子とはちあわせ、二分四十六秒に及ぶ硬直の後やっと晴子が声を上げ、飛んできた赤木が花道をめちゃくちゃに殴った、というわけだ。
「あ、あの、桜木くん」
「ハ、ハ、ハ、ハ、、ハルコさん」
「ごめんなさい!」
同時に謝った結果、晴子は花道のみぞおちに頭突き。花道はその晴子の背中を上から見下ろす。
ちなみに晴子はデトロイトピストンズの短いTシャツに赤いジャージの下、というラフな寝起き姿だ。
息が詰まった花道の目に、ちらりと下着の一部と素肌が見えてしまった。凍った花道の鼻に下から、また晴子の頭が直撃。
鼻血はどちらのせいとも言えない。
「ご、ごめんなさい桜木くん!大丈夫!」
「おはようございます晴子先輩、みんな居間にいますから着替えてきたらいかがですか?」
三井らから見ても頭一つ高い優等生軍団の新入生、元木が声をかける。目を背け、他の連中を全力でスクリーンアウトしながら。
晴子はやっと(部活仲間とはいえ)他人の前でとんでもない格好をしていることに気がつき、耳まで真っ赤になって部屋にかけ戻った。
花道は思考停止+ダメージで、鼻血を押さえて座り込んでいる。
新聞を握って表情を殺していた赤木が、どうしようもなくとりあえず食卓に座り、新聞を広げた。また花道が顔に落書きしたことに、まだ気がついていない。
「ごちそうさま…です」
赤木(料理は晴子と元木)に、インターハイに出る運動部主将とは思えない礼を述べた宮城が皆を見回す。
「さて、今日はいよいよ追試だ。とにかく頑張ろう!」
「お前が一番頑張れよ、主将」
三井が茶々を入れる。
「お前もだ、赤点軍団」
と、赤木が軽く三井を殴り
「いや、気にするな。続けてくれ」
無理というものである。
「いいか、とにかく絶対追試はクリアするぞ!今日は赤点組は朝練なしで図書館で復習、昼休みも勉強だけだ。試験が終わってから少し基礎練はやるけどな。いいな、おれたちは強い!湘北、」
「ファイ・オオシ!」
赤木たちも唱和したため(もちろん木暮は止めたが)、近所迷惑だった。
ただし、花道と晴子はまだそれどころではなかった。ひたすら目を背け、時々ちらりとお互いをうかがい、目が合っては真っ赤になってうつむく。それだけ。
花道は学校までドリブルで行こうとしたが、彩子は許さず日本史用語集を持たせ、道々復習させている。
晴子はその後ろを少し離れ、恥ずかしげに後ろ姿を見つめている。
「晴子先輩」
元木が呼ばなかったら転びそうなほど。
「桜木花道の後輩とは思えないわね」
と、そんな元木に彩子が苦笑していた。
花道たち赤点軍団は晴子と部室に向かう。
体育館ではもう朝練が始まっており、流川がほとんど一人で華麗なプレイを繰り返していた。
「流川、足は大丈夫なの?」
彩子の言葉に、静かにうなずく。
流川はファンクラブ有志の特別直前指導で期末はセーフだった。
「ならいいけど、無理はしないこと。インターハイ本番やジュニアの試合で使えなかったらただの馬鹿よ。無理して桜木花道みたいになったらもっと馬鹿、わかってるわね」
流川は力強くうなずいた。
花道たち赤点軍団は晴子の監視下、部室で復習していたため、事にはならなかった。
「初心者集まれ!基礎練始めるわよ。流川も手本として参加しなさい」
と、彩子の号令。
赤点軍団は追試中の放課後、宮城も赤点のため一日キャプテン代理の安田が
「集合してください」
と、声を出した。
彩子がホイッスルを鳴らし、
「集合!」
と叫んでやっと集まる。事実上の主将がいれば部は動く。
「今日は何人か追試なので、班編成を変えます。
引き続き流川と佐々岡、渡邊、今之浦は怪我があるのでI班として筋トレや水トレなど」
「もう治ってる」
「三千代ちゃんから聞いたわよ。」
流川が無表情にぎくっとする。
「昨日無理して痛みを言わず、心配かけたんだって?罰として今日一日足首は休めなさい。」
と彩子が情け容赦なく告げた。流川は表情を変えぬまま三千代をにらみつけたが、彼女は平気で視線を受け止めたものだ。
「なに見つめあってんのよ〜!」
「あんたなんかに流川様の視線はもったいないわ!」
「見返すな――っ!」
とギャラリーの黄色い悲鳴が上がる……三千代はくす、と小さく笑い、視線を安田に戻した。
「あの、ええと、A班は僕と潮崎、トム、桑田……で前半は体育館で軽いフットワークをしてハーフの紅白戦と反省練習。後半はI班とプールの右側で二百メートル二十本を組んだサーキット。
B班は角田、石井……」
とまあ延々と続く。この調子の激烈な練習で半分近くになったが、一年だけで二十人以上いる。しかも厄介なことに、その多くが二、三年の大半より上手い。
全国に出た有名部は楽ではない。小人数弱小時代の運営上の経験、前例が全く通用しない、新しく作るようなものだ。かといってノウハウを海南に聞きにいくわけにもいかない。少しは赤木が牧らから聞いてくれるが、そのたびに修業中の魚住が大忙しになる…赤木がおごらされて。
この班編成だけでも三年が、一方で赤点軍団を指導しながら半徹夜で苦心したものだ。
「トムは明後日にはアメリカに一度戻るそうです。幸いインターハイには参加できるそうですが。また、流川も来週には全日本ジュニアの合宿や試合に行くことになります。
いろいろ大変ですが、一人一人ベストを尽くしてインターハイに備えましょう。せーの、湘北」
「ファイ・オオシ!」
「じゃあみんなでストレッチだ。」
思い思いに組んでストレッチを始めるが、流川とトムを除いて皆赤点軍団の追試が気になっていた。
花道が三角関数に頭を抱えている頃、体育館では紅白戦という名でトムのワンマンショーが行われていた。
流川は無表情にベンチプレスをやっているが、出られないのがかなり悔しいようだ。
「やれやれ、やっと終わった」
「どうだ花道!」
桜木軍団が花道に寄ってきた。
「今回は楽勝だったな!キソだよキソ」
「でも花道は九九もヤバイからな」
「あ〜あ、今度こそインターハイ花道抜きか。ま、流川とトムがいるから」
「小学校かr」
大楠に皆まで言わせず、
「ふんぬ〜!」
花道の頭突き四連発が炸裂した。
「いてて…で、これからどうするんだ?」
「練習だ」
と、花道は部室に飛んでいった。
「それにしてもさ、今日の花道なんか様子が変だったな」
「いつも変だろあいつは」
「いや、二時間目の終わりに晴子ちゃんと目が合った時、二人とも真っ赤になってそっぽ向いてたぞ」
「まさか……昨日の勉強合宿で?」
「ついに花道が」
高宮が言い、みな一瞬顔を見合わせ、大声で笑い転げた。
「そんなはずないよな〜っ!」
部室のロッカーを蹴破るように開けると、そこには宮城もいた。
「どうだった?」
「ふっふっふ、この追試の桜木に愚問を。リョーちんこそだいじょうぶだろうな?」
「任せろって、アヤちゃん直々の特別指導でばっちりだ」
赤点二人が意味もなくハイタッチした。寝不足でハイになっているのだろう。
「おい花道、お前はプール行け!」
宮城はユニフォームに着替えた花道に軽く言うと部室を出る。
「リョーちんは?」
「ちょっと書類だ。面倒だぞ、次期キャプテン」
花道は耳たぶをパタンとふさぎ、さっさとプールに向かった。
渡り廊下から、流川の坊主頭が泳いでいるのが見える。そして、流川親衛隊のみならず晴子まで目がハートになっているのも。
「ふぬ、負けるかルカワ!勝負だ!」
叫んで駆け出し、無人の更衣室に飛び込んで服を全て脱ぎ捨てた。
そこに何の前触れもなく、晴子が入ってきた。
時間が止まる。
一片のぜい肉もない、鉄片を叩きつけたような巨体。素直に美しいと感じる。
ネコ科の肉食獣を思わせるしなやかな脚の筋肉、力強い大臀筋。力を入れると丸太のような腕も、今はすらりと美しく伸びている。巌のように盛り上がる後背筋に、くっきりと刻まれた手術痕が無惨だ。
陽に灼けた肌のあちこちに、連日の激しい練習と昨日の赤木の鉄拳が紫色の班を残している。
そして……
今度の硬直は一分十三秒だった。
「きゃああああっ!」
晴子は悲鳴を上げ、花道を思いきり平手打ち、
「バカ!大ッキライ!」
叫んで顔を覆い、走り去っていく。
花道はただ、その場に崩れ落ちることしかできなかった。
最初にかけつけたのが彩子だったのは、不幸中の幸いといったところだ。少女マンガならここで誤解を広げるところだが、インターハイ前にそんな余裕はない。
「晴子ちゃんにタオルを取りに行かせたの。まさか桜木花道がすっぱだかで着替えているとは思わなかったわよ。今度はあんたは悪くないわ……お・い。ふぅ、もう。
これでもうすべてを見せ合った仲ってわけね。借りは即返さなければならない、ってこと?」
花道は放心状態のまま。
「おーい、生きてる?桜木花道」
返事がない。ただのしかばねのようだ。
「どうでもいいけど早く水着着なさい!インターハイ前に死んでるヒマはないのよ!」
と、気付けのハリセンが炸裂して、やっと花道がのろのろと起き上がり、海パンを手にした…彩子は平然とその生尻を蹴飛ばし、
「さっさと準備体操して、サーキットと二百メートル泳いでらっしゃい!」
怒鳴って渡り廊下に。
「アヤちゃん!」
「あ、リョータ、晴子ちゃん見なかった?」
「そういえば階段ですれち」
「じゃ、あとよろしく!」
「ちょっと待ってアヤちゃん、おかげで追試はバッチリだとかそれもアヤちゃんの愛の個人授業のおかげ」
聞いていない。
晴子は屋上で泣いていた。
「晴子ちゃん!大丈夫?」
「あ、彩子さぁん」
泣きじゃくる晴子を彩子は優しく支えた。
「わかってる、桜木くんは悪くないって、何で、キライなんていっちゃったんだろ、また傷つけちゃったのかなあ、桜木くん、桜木くん…」
何も言わず、彩子は晴子の背中をなでていた。
花道は水から全然出てこない。
「桜木くん、溺れてない?」
「ずっと潜水で泳いでるのか、それはそれですごいよな」
「二分」
「影は一応動いてるよな……」
「高速で」
水泳部が呆れてみている。
「二分三十秒」
「あ、ターンした」
流川以外が心配そうな目に。
「そろそろヤバイんじゃない?」
「まあ、桜木だからな」
三分近くの潜水から一瞬の息継ぎ、また潜水に……水泳部がもの欲しそうに見ていた。
追試は一応全員クリア。花道は……限りなく大人の事情だったらしい。