とりあえず、僕の思想・理想とする政策です。公約のように演説調にしたのは冗談で、別に政治活動はしていません。
これは僕個人の考えですので小さいお子様はうのみにせず、必ず自分で「疑い、否定してみる」→「賛成する理由を考える」→「自分の意見をみつける」ことを忘れないようにしましょう。

要は「人類滅亡は嫌だ」「餓死は嫌だ」「拷問虐殺は嫌だ」「焚書は嫌だ」「科学技術の進歩は大好き」それだけです。

基本思想 教育 エネルギー フロンティア 経済 環境 軍事 世界 歴史 文化国家 福祉 基本思想再解説 人類共通規範

人間とは何か?
人類は地球の生物の一種である。それ以上でもそれ以下でもない。
そして、少なくとも現在のところ、人類の生存自体地球生命圏の存続に依存している。
利己的遺伝子(リチャード・ドーキンス)を解釈すれば、あらゆる生命にとって優先順位は、地球型生命の遺伝子がひとつでも存続すること>自分の種(人間にとっては人類)が生存すること>自分のDNA(子孫、親族)ができるだけ濃く生存することである。
それだけを求めるならば、文明が存続する必要もない。今すぐ自分の親族以外人類のほとんどを殺して地球生命圏を維持し、予備として自分の遺伝子を宇宙中に播種船や放送でばらまくほうがはるかに合理的で確実だろう。
より現実的には、世界の特権階級…白人…が有色人種と必要な奴隷を残した貧困層を抹殺すれば、人類の存続は確実になる。六十数億全員を生かすのは不可能かもしれないが、数億まで減らせば生存率は飛躍的に上がる。
だが、私は科学とは関係のない、個人的な良心または美的感覚による選択として
●誰も餓死しない、絶対的貧困・奴隷状態にない
(そのためには文明崩壊の防止も絶対必要であることに注意!文明崩壊すれば多数の餓死・虐殺・奴隷化が必然的に起きる)
●人類の現在の文化、文明の価値を認め、多様性を尊重し、維持する
●誰もが基本的人権、特に言論、思想信条、信教の自由を保障される
●誰もがあらゆる情報を受信・発信でき、最大限に自己を成長させることができる
●(これは特に個人的なわがままで賛同は少ないだろうが)人類全体として知と科学技術を高め、宇宙などに領土を広げ、前進する
ことも求めたい。

わが党は人類の文明崩壊の予防、恒久的生存と、現在及び将来の全人類の最低限の幸福…選別も餓死もない全員の生存権と市民的自由…を両立させること、「人類の存続と幸福のための総力戦」を最大の目的とする。
そのために我が国は大胆に政治、経済システム、生活様式を変革し、世界に積極的に奉仕する。
餓死も選別も不自由も望まない人、未来を望み、貧困や奴隷制を憎み、絶望から立ち上がる気力のある人は参加して欲しい。

日本人としては日本の国際的信頼、国民相互の信頼、国民と国の信頼を取り戻そう。どっちをむいてもどうしようもない閉塞状態をぶち壊し、発想を変えて日本を民主主義の国としよう。
民主主義である以上、特に言論、思想、信条、信教の自由は当然守られなければならない。誰もが寛容と批判精神を行動だけでも守り、法など民主的に決められたことにはきちんと従い、暴力はつつしまなければならない。

教育改革

「人類の存続と幸福のための総力戦」には一人一人に高度な科学知識が絶対に必要だ。
そして、貧困と戦乱の解決には充分な教養が欠かせない。
大量の情報を的確に整理し、正しく発信するにも、そのための教育が必要だ。
これからますます重要となる文化を支えるため、よい読書を幼い頃から積み重ね、伝統的な美に豊かに触れて情操の基礎を育てる必要がある。

「読み書きそろばん」という基礎を徹底し、その上に国際共通語である英語と科学、論理と数学をしっかり重ね、運動能力と正しい生活習慣、世界の古典や日本の伝統を身につけて高い人格、すなわち「仁義礼智信」=「おもいやり、正義、礼儀、智恵、信頼」をもつ人間を育てよう。
平和、人権教育も必要だが、それにとどまらず世界の現実を幅広く冷徹に理解し、現実的に信念を持って正義を貫ける有能な人間を育てたい。
また、日本がこれまで避けてきた宗教教育も必要となる。三大宗教、日本という宗教、哲学、近代科学を理解し、相対的かつ寛容に扱うことができなければならない。また、祈りや聖なるものと向き合う必要もある。カルトに取り込まれないよう、それを理解することも必要だ。宗教関係の本などには誰もが触れなければならない古典も多い。

まず大人数年齢別の画一的教育から、科目ごとの習熟度別授業に。
6−3−3−4制から、五歳からしつけと読み書きそろばん、特に古典の暗記を重視する5年の初等教育、科目ごと習熟度別授業を中心とした8年の中等教育を無償義務教育とする。尚、その中で長期の野外活動や社会奉仕活動を義務づける。
また、経済的事情がある者や若いうちからの修行が必要な技術職(歌舞伎、板前、鍛冶など)希望者は労働も単位に含める。
それから入るのも出るのも難しく、5年で博士号クラスを目標にする研究大学院、教養中心のリーダー養成校、医師や法曹人を育成する資格学校、ホワイトカラーからブルーカラーまで職場での実務的教育を中心とした現在の大学に当たる学校に高等教育を分ける。
もちろん相互に針路変更ができ、また卒業後もいつでも志あればやりなおせ、生涯学び続けられる柔軟さも備えたい。

また無料義務公教育を必要なことをきちんと学べ、機能するよう質を高めると同時に、塾などを含め奨学金を充実させ、やる気があり優秀な者は生まれの貧富を問わず学問を修められるようなシステムも整えておくべきだ。

エネルギー革命

事故の不安が尽きない原発、地球温暖化の原因になる火力のどちらも正しい選択肢ではない。核融合発電は現状では石油枯渇に間に合わないと思われる。
我々は国力をあげ、諸国と協力して「人類の存続と幸福のための総力戦」として風力発電所、宇宙、地上、海洋問わず太陽光発電所の実用化、外洋を利用したバイオマス開発を進め、その電力で水を電気分解して得られる水素燃料電池を車、暖房を始めあらゆるエネルギーの中心にする。
十年以内に乗用の化石燃料利用を半減させ、三十年以内に再生可能燃料を用いるディーゼルハイブリッド以外乗用の化石燃料の使用は原則全廃、五十年以内に石炭、(地球内部由来と確認された場合のみ)天然ガス以外の化石燃料の使用を原則全廃する。
そして車社会そのものの弊害を解決するために車中心の社会から、電車と自転車、また車と電動自転車の中心のような、燃料電池を用いるオート三輪のような乗り物を研究開発する。

地球温暖化について懐疑説があるのは確かだが、どちらであっても化石燃料消費を抑え、再生可能エネルギーの比率を高めることは、わが国にとってのエネルギー自給だけを考えても必要である。

ちょっと考えてみれば、とても単純で疑いようのないいくつかの事実から出ることがある。

結論……砂漠に海水をくみ上げて撒くか、海に肥料を撒けば膨大なバイオマスが得られる。
それは食料としてもバイオマスエネルギーとしても使うことができるし、使うべきだ。貴重な淡水、特に再生不能資源である化石地下水をこれ以上浪費すべきではないし、化石燃料はいつか尽きるのだから。

フロンティア

人類の文明はどんなに環境に配慮しても、どうしても環境を破壊してしまう。それを防ぐ唯一の方法は、我々が大地を出て行くだけだ。不可能だと思うだろう。だが、我々はみずから新しい世界を作る力があるはずだ。宇宙、海、地下に広大な未開拓地がある。
世界に先んじて我々は環境問題の最終的解決にむけて動きだそうではないか。
そして、そこには現在の不景気など吹き飛ばすだけの仕事とやりがいがあることを約束しよう。

もちろん、百億人を超えるであろう全員を宇宙に出そうとしたら、そのロケット燃料で地球は破壊されてしまうだろう。軌道エレベーターを含む解決策を模索しつつ、人口の制御も計らなければならない。

経済、財政

現実を見よう。経済のグローバル化、国や地方の桁外れの借金、そして少子高齢化、食料自給率の低さ…これはどうしようもない現実だ。
他にも世界を見渡せば、根こそぎ経済システムを壊しかねない深刻な問題が数多くある。
私はあえて約束する。日本人の餓死者が一年に一万人を超えたら腹を切る!それ以上のことは約束できないほど事態は深刻だ。
逆に言えば、たとえ国が破産しても世界経済、世界の気候や文明自体がどんなに深刻な事態に陥っても日本人の餓死者だけは出さないよう、できれば世界全体で餓死をなくせるよう最大限の努力をしたい。国民も総力を挙げて協力して欲しい。

景気は回復しているように見えるが、グローバル化と産業構造の変化による全体的な時給減によって、働く者は家庭も維持できない薄給の非正規労働か、正社員や自営業者は健康はおろか命も損なう長時間労働、とどちらにしても悲惨な状態にある。世界的新自由主義の結果がそうなることは必然なのだ。
確かに世界全体を見れば経済成長があり、多くの人が豊かになっているという面もあるが、それだから日本人の使えない者は餓死、使える者は過労死でよい、ということはないはずだ。
また、経済的に中流層がなくなるのは国内需要を減らして経済を不安定にさせるし、社会不安の原因にもなる。経済構造の変化は逆らえない歴史の流れだが、国は質的には変化があっても中流層を維持する努力をすべきだ。
そのためには経済成長、公的な需要増政策が必要だが、従来型公共事業や戦争による需要増は無理だ。それどころか従来型の経済成長自体、環境を考えると問題が多い。
逆に世界全体で環境を回復させ、従来の大量生産大量消費ではない正しい文明への変革、新技術による新大陸の開拓にエネルギーを集中し、「豊かな自然環境を享受しつつ十分な情報に囲まれ、安定しゆとりのある暮らしをする」国民が多数になるよう国は努力すべきだ。

具体的には従来型の自然破壊型公共事業ではなく、自然回復と地域社会の機能回復、老人介護、そして世界的なエネルギー構造の転換と世界全体の植林運動などに財政は度外視して思い切った力を注ぎ、社会構造の変化に対応しよう。
ワークシェアリングと最低所得保障も必要だろう。
「人類の幸福な生存のための総力戦」にはきわめて大きな景気浮揚効果があり、国民に多くの所得と希望を与え、結果的に財政も好転させるはずである。
一時的には確かに財政負担が大きく国地方問わず莫大な借金になり、税負担もさまざまな形で増すだろうが、何があっても誰も餓死させない、という信頼があれば実質的な問題ではない。

確かに共産主義は失敗したが、だから単純に市場に全てを任せるというわけにもいかない…それでは貧富差の拡大による社会不安、資源の枯渇と人類文明の破局を誰が防ぐのだろうか。
全てを市場に任せるのではなく、逆に全てを国家が計画するのでもなく、国および国際社会は資源の管理、環境基準の維持、最低限度の生活や教育や情報や介護や医療の保障、そして外部経済に属する植林や廃棄物処理などをきちんとするべきだ。
大きな政府と小さな政府という二元論はやめよう…必要なことをきちんとする政府を民主的に作ろう。それは経済にもいい影響があるはずだ…文明が破局に至れば経済もないのだから。

環境の回復

この百年で日本の、そして世界の自然がどれだけ破壊されたのか、言うまでもないだろう。空虚な言葉で解決できるほど、それは簡単な問題ではない。文明が活動する限り、人が生きていくために必然的に起きることなのだから。
しかし絶望はすまい。ダムを壊し、木を植えよう。

およそ近代工業というシステムそのものに、致命的な問題があった。
持続可能な限界を超えて土壌や海、空気を酷使し、再生不可能な化石燃料や原子力燃料を大量に消費し、自然が分解できない廃棄物を大量に生み出す。
ではどうすればいいのか?代案のない批判は無意味だ。
まず、現在の世界の全体が膨大なエネルギーを無駄に使う金持ち…日本人の生活保護水準でさえ全人類ではかなり金持ちであることを自覚して欲しい…と深刻な貧困の中にある人々に二極化される絶対的経済的不平等によって成立していることを直視しなければならない。
しかも全員が車を持ち、電気を使い、牛肉を食うことはできない。それをすれば確実に地球は破産する。
ならどうすればいいか?日本は率先して無駄に資源、エネルギーを消費しない「充分な」生活を模索し、理解してそれ以下に物質消費を抑えよう。
その上で、現在貧困の中にいる人たちもその状態に至れるよう、そしてその合計が地球の限界を超えないようリードしよう。
さらに将来的には、人類が地球から巣立てるように努力しよう。

軍事、憲法改正、法治、治安

およそこの世に、平和を望まない人がいるだろうか。だが、それにもかかわらず常に人の欲望が勝利し、戦いは絶えない。それが現実なのだ。
まず我が国は生き延びなければならない。国民を守らなければならない。
日本人は元々最悪の事態を想定し、対処法を考えて動くのが苦手だが、それは克服しなければならない。

憲法制定のプロセスが正当であるかないかはこの際無視しよう。
憲法九条の条文を見れば、自衛隊の存在と明らかに矛盾している。憲法を変えるか、自衛隊も日米安保条約も破棄して非武装中立に賭けるかどちらかだ。
どちらを選ぶかは国民の選択だ。だが、これ以上機能しない憲法を守るふりをし続けるのは日本のためにならない。
現在の日本のシステムは、道路に守るのが困難な時速四十キロ制限の速度制限をかけ、誰もが六十キロで走っている…本当に四十キロで走ったらかえって迷惑となる…状況が一般的である。
それでは皆が違反しているのだから、逮捕されるかどうかは警察の裁量ということになる。
憲法九条も同様だ。日本は自衛隊という形で憲法に違反している。
きちんと守れる法律、憲法にし、きちんと守ることにしようではないか。法は守られなければならない。

非武装中立の理想は確かに崇高だが、まず考えてみよう。もし日本が侵略されたら?
本当に日本国民が皆殺しにされるならまだいい。だが多くは侵略国のために軍事愛国心教育を受け、次の国の侵略に加わり、虐殺もすることになるだろう。それでは「二度と殺したくない」という誓いは無意味になる。
非武装中立でそれを防ぐには、日本人全員に遠隔操作式の小さい爆弾が入った首輪でもつけ、侵略されたら全員自殺するシステムにするほかないだろう。非暴力不服従は、残酷な侵略者相手では全員ができるものではない。

現行憲法で事実上無法に存在している自衛隊の暴走を阻止するためにも、憲法を改正し、通常のしっかりした文民統制原則に基づく軍事条項を入れよう。
そしてそれはきちんと守ろう。そのためには当然国民一人一人の意識、そして政治のレベルでの法治主義の徹底が必要となる。民主化も必要だ。
世界平和の理想は理想、現実は現実だ。理想は市民に任せ、国政は現実に国民を守る。
戦争のための改憲ではなく、平和のための改憲だということを忘れてはならない。平和をより正しく追求するのだ。
あくまで平和のため、民主的に今度は真に国民、世界平和のための軍隊を機能させよう。国民の責任は重い。

そして、他にも手直しするべき点はある。時代に合わせ、恐れずに変えよう。ただし、自衛隊と日米安保条約の現状も完全ではない。現在、日本に対する正面攻撃はほとんど考えられない。そして、世界一の地震国である日本が、それに対処するシステムをろくに持っていないという矛盾もある。
また、諜報、対テロ能力の低さも常々指摘されている。変革を恐れず、必要に応じたシステムにしよう。特にテロ、犯罪組織との戦いはこれから、全ての国家にとって最優先課題の一つになる。それを基準に軍、警察の組織を再構成してみることも必要だろう。
日米安保と核についてだが、日本が軍事的に自立するためには核兵器の保有が不可欠だ。だが、それを許す国際状況ではない以上、当分は日米安保条約を堅持しなければならない。それは日本人としてのプライドが、本来は許さない状況だ。だが、結果的に日本国民が無事で、世界が平和であればそれにこしたことはない。
我が党は現在は日米安保条約の堅持、核戦力の放棄を選択する。

国連の平和維持システムは残念ながら、十分機能しているとは言えない。もちろん義務は果たすべきだが、国連改革を条件とすべきだろう。
日本はそれだけの金を出している。さらに血も流すのなら、無駄にならないようそれなりのことを要求する権利はあるはずだ。
もちろん「人間の安全保障」やNGOの役割なども否定はしない。それらは内科であり、軍事は外科だ。どちらも必要だ。虐殺が横行する戦場を丸腰のNGOに任せるのは出血を止めず薬を与えるようなものであり、逆に必要以上の武力行使は必要以上の手術と同じで、どちらも患者はよくならない。有効に資源を配分しなければならない。

治安について、主な脅威が正規軍同士の全面戦争からテロになっているのは事実だ。
そのテロは本質的に、完全に防ぐことはできない。だが、そのために言論などの市民的自由を制限するのは反対だ。
テロについては無理にゼロを目指すのではなく、社会の機能を損なわない程度に抑えること、起きてしまったときにダメージを最低限にすることを目標にすべきだろう。
そのためには上述の通り諜報、軍、警察、消防システムを大きく再編するべきだ。また個々人の自覚、訓練もある程度必要となる。

法治主義のためには法律を、現在のように重過ぎる法律を裁量で現実に合わせるのではなく、軽めだが絶対的に守るべき法律と現実に応じて補足する条例・より民主的に制度化した行政指導などに分けて再編すべきだ。
比ゆ的に表現するなら無理に時速四十キロにするのではなく、まず制限速度を六十キロにしておき、カーブなど危険なところや児童通学時間、悪天候時など電光掲示で素早く制限速度を調整、また各車の位置・速度計から無線通信をつけて制限速度をオーバーしたら一切見逃さず罰するような法治主義を提唱する。

治安について犯罪も心配されているが、実際には犯罪は減少傾向にある。不安をあおらないよう、正しく物事をとらえるべきだし、政府も何が正しいのかきちんと国民に伝えるべきだ。
また、現在の情報技術をもっと活用することによって犯罪を抑止することもできる。皆が「ボタン一つでアラームと同時に位置、音声、画像を警察直結の記録センターに無線送信する」携帯電話を持っていれば、特にアラームに応じて周囲の人もそのシステムで画像を送信するのに協力する習慣があれば、重犯罪を犯して逃げおおせるのはきわめて難しくなる。
他にも大音響と閃光を発するものなど、合法的に携帯できて悪用できない護身具、護身術を普及させることも有効だろう…結局自分を守るのは自分自身だけなのだ。現在の政府は個人の護身や救急措置に否定的で、一般市民は全くの無力であれというが、それでは犠牲も不安も大きい。大震災に備えるためにも各個人の危機管理能力を向上させるべきだ。
また、国民全体の最低生活の保障と希望も犯罪の原因を断つのに重要だ。
また自分をよりよく理解できるよう義務教育段階で心理学などをきちんと学ばせ、瞑想や祈りなども教えること、また刑務所や少年院をきちんと再犯を防ぐシステムとすることなど、心理学や精神医学をより盛んにすることも長期的には有効だろう。
何より地域社会、個々人が自由を損ねてかえって不満、不安をあおらないよう注意しつつ、きちんとした防犯意識を持って社会を機能させ、信頼を回復させるべきだ。地域、個々人がなにもせず不安を訴えるだけだとしたら、人権上問題がある監視カメラが増えてしまうのだから。

世界に向けて

今、地球のどこかで何人もの子供が餓死している。それを知りつつ、我々は彼らを養ってあまりある量の食料を捨てている。これは許されるのか?我々は許さないことを選ぼうと思う。
そして、餓死の裏では日々恐ろしい勢いで人口が増え、森が切られて砂漠と化しているのだ。その意味でも他人事ではない。
ただし、その解決は非常に困難だ。日本にも住む家がない貧困者はいるのだ。
また、貧富の差を無くそうとしたマルクス主義という実験がどんなに無惨な失敗に終わったか、我々は忘れるわけにはいかない。

だが、立ち上がろう。我々は世界の富のかなりの部分を独占している。その富のごく一部で、世界から絶対的な貧困をなくすには十分なのだ。
世界に飢え死にする人、教育を受けられない人が一人もいないという人類の見果てぬ夢のため、その富を使おう。世界各国とも協力しようではないか。

それが困難なことは言うまでもない。我々は世界でも最も大きな金額を対外援助に使ってきた。にもかかわらず、それはほとんど無駄に終わっている。現地の腐敗にからめとられ、自らも腐り、結局は彼らの自立を助けるどころか壮大な自然破壊に終わってしまった。改めて有効な援助のシステムを考えよう。
彼ら貧しい人たちは、まず今日の食料が必要だ。だが、それをただ届けることも簡単ではないことを忘れるな。向こうは平和じゃない、戦国時代なんだ。
むしろ治安が必要かもしれないが、それは日本一国では難しい。答えは出ていない、考えよう。

そして、一番大切なものは希望だ。そのために、教育と衛星携帯電話、太陽電池や太陽調理具、木の苗とコンドームを届けようではないか。
希望が根づき、教育と情報が行き渡れば出生率が下がって人口問題が緩和され、そして貧困と絶望ゆえの戦乱も終わるだろう。政治的な問題、独裁や腐敗にも教育と情報は有効な薬だ。
絶望は絶望を生む。だが、希望も希望を生むのだ。希望の側に立って戦おう。

具体的にはこれまで無駄が多かった、特に中国向けの経済援助を、植林の報酬として食糧を直接供給し、無条件で(現地の文化を尊重し、日本人スタッフは算数と科学に限定する)初等教育を援助するシステムに変える。
また、累積債務で各国が破綻している状況を考え、原則金は貸さず無償で与えることとし、現地でスタッフを直接組織、育成する形にする。
そして、工業生産に対しては現在我々が持っている、公害に苦しんで苦労して作り上げたクリーン省エネ技術を与えて広め、環境への負荷を最小化させる。
目標は平和と自然の回復、工業生産のクリーン化、教育の普及に限定する!
森林が消えるより新しく植えられるほうが多くなり、貧困国の皆が教育を受けて平和と寛容、科学と人口制御の必要を理解すれば、それだけで世界全体が大きく変わるだろう。

歴史

日本は明治維新以来多くの犠牲を払い、努力を重ねて近代化を成し遂げ、非西洋諸国の大半が免れなかった植民地化、隷属と搾取を免れて独立した。それは世界的な白人支配に対する闘争という流れにもつながっている。
そのことは現在の日本国民がどれだけたたえ、感謝してもしすぎることはない。
だが、その過程で近隣諸国には支配され、戦争に巻き込まれる痛みを残してしまったことはとても悲しむべきことだ。

その恨み、痛みも理解すべきだろう。だが、それで考えることをやめて土下座することは無意味だ。彼らの恨みはどんな賠償でも、日本人を皆殺しにしてもなくなることはないのだ。
何より、歴史認識は誰にも強制されるものではない。日本政府も近隣諸国政府も、一人の日本人の歴史認識という内心の自由を侵すことは絶対に許されない。
とにかくさまざまな立場から多くを学ぼう。それは必要だ。

互いに相手の立場を考えよう。虐殺と略奪、強姦がない戦争などない。その被害者の痛みを理解しよう。だが、加害者も一方的に断罪するのではなく、自分ならせずにいられたか想像してみよう。当時の指導者に他にどんな選択があったかも考えよう。
次の戦争を起こさないために我々がすべきなのは悲惨だけを伝える平和、謝罪教育より、むしろ戦略的シュミレーションの訓練、あらゆる立場からの近現代史教育の充実だ。
真実を知り、考え、そして近隣諸国にもそうするよう呼びかけよう。

文化国家

日本は独立した素晴らしい文明であり、「源氏物語」をはじめ多くの文化遺産をもっている。
そして、現在も世界的に競争力を持つアニメを初めとする文化を生み出す力がある。それを育てたい。
そのためにも、我々は今忘れ去ろうとしている歌舞伎を初めとする伝統芸能、音楽、そして講談や落語、民話の中にある素晴らしい物語を子供たちに伝えよう。

これは夢だろうか。そこらの公園で、ロックのエレキギターとクラシックのヴァイオリン、それに三味線が面白く響きあって歌舞伎の踊りや所作と鮮やかに融合し、民話をベースにSFやファンタジーのストーリー手法も加えた寸劇が普通に上演されている情景は。

そのためにもまず自由が何より必要だ。文化はすばらしいものだ、とまず認め、自ら参加し、金を出そう。
そしてインターネットから図書館、安価に借りられる小劇場に至る情報インフラも重要になる。
教育の上でも十分な読書、特に古典、あらゆる美に触れること、体育、音楽、美術の授業の充実で基礎を作っておこう。伝統的な芸能や音楽も伝えるべきだ。

社会福祉

福祉の重要性は憲法からみても自明だ。
だれもが安全を保障され、衣食住を確保し、愛情を持って育てられ、教育を受け、情報を受けて発し、法の下の平等と適性手続を保障され、体が動かなければ介護を受ける権利を持っている。
特に高齢化を考えると、今後ますます福祉の重要性は高まる。

日本は健康保険、年金はかなりしっかりしているが、生活保護と介護が比較的弱い。
「健康で文化的な最低限度の生活を保障(この内容は改憲後も残すべきだろう)」するために、一番公平なのは無条件である程度の(現在の生活保護水準より高い、特に情報にアクセスでき医療を受けられる、かつ環境負荷が許容範囲)生活ができる、贅沢でない(ユニクロ程度)衣食住+教育、情報(図書館、新聞、電話、ネット)、医療介護を本人しか使えないクーポン券の形で全員に渡すことではないか。
現在の生活保護制度ははっきり言って使えない。親族の扶養義務が優先するのでは、ホームレスを選ぶ人が多いのは当然だ。また、制限がきびしすぎる反面生活保護貴族の批判もある。
全員最低限は配給に近いクーポン券で与えられた上で、それ以上贅沢をしたければ自分で稼ぐのが公平だろう。人間には勤労意欲、社会生活についての欲求がある以上、最低限で生きるだけでは満足できないはずだ。

財源は当然税金しかない。
これからも本質的に供給力の増大によるデフレは続く。経済成長も環境を優先するなら見込めない以上、金利という金の成る木はもうないのだ。
大きな増税になるだろうが、それは炭素税など「環境に悪いもの、地球にとって有害な経済」に課税すればよい。
また最低限の衣食住が無条件に保障されていれば、消費税を増税しても逆進性はかなり抑えられるはずだ。

また、介護と初期育児は、大家族制を復活させるのが無理である以上、誰かが仕事として、公の金でする他ない。
失業対策としても、多くの人をフルタイムに限らず使うことが必要ではないか?団塊世代が介護を必要とするまでわずかな時間しかない…団塊ジュニアの潜在的失業者を使うか、移民か、それともロボットを急ぐか…最良なのは失業者・潜在的失業者を介護要員として訓練することだ。
医療問題は介護が充実して、必要なのが治療ではなく介護である入院寝たきり老人が減れば、あとは医療側の構造改革で解決する。
また、予防を優先するようにすべきである。病人を治療し、寝たきりの病人を介護するより、病人を出さないほうがはるかにいいのは自明だ。
またあまりに必要なマンパワーが大きく、しかも生産性が低いのは構造的にどうしようもないので、介護の機械化の努力もすべきだ。日本の強みは科学技術と自動化ではないのか?

あらためて僕の思想の根幹として人間の「目的」を説明する。(これに反対する者がいるなら、反対の根拠は?)

  1. 地球型生命の存続
  2. 人類という種の存続
  3. a生物種の多様性、野生環境の保存
    b文化・文明が維持され発展すること。その必要条件として文明が持続可能であること。
  4. 個々人の人権(生存・自由・法適正手続・教育・情報送受信・医療介護)が保障されること。
    餓死や最低基準以下の貧困・奴隷や邪悪な支配は絶対に許されない。

これはそれぞれ上位が保障されない限り、下位の目的は不可能であることに注意すること。

それぞれの根拠。

  1. 人間は生物である。全ての生物の本質は、その遺伝子(DNA、ミトコンドリアDNAやRNAも含む。またそれが持っているデジタル化可能な情報も含む)の自己複製である。その自己複製を続けるため、地球型の生命は存続しなければならない。
    個人の遺伝情報をデジタル化し、永久保存すれば「個人」の遺伝子の命令はある意味満たされるように思えるが、遺伝子には分子の面も大きいので天然のままの生命が存続することを自然は命じていると考えられる。
  2. 人類という種が存続しないと、個々人の遺伝子も多くが失われる。そのため種の保存はあらゆる生物種にとって重要な目的であり、生物種のひとつである人類にとっても重要である。
    また、地球生命圏は大規模に宇宙進出することができないため、巨大隕石・太陽の寿命など地球外、巨大噴火・海水の吸収など地球自体がもたらすリスクに本質的に対応できない。そのリスクに対応して地球生命圏を守るのは人類の重要な役割と考えられるし、そのために人類は存続していなければならない。
  3. A 多様な生物種は医学などにとっても重要な、人類全体の共有財産であり、それが失われれば人類の存続可能性を低下させる。
    美的にも非常に大切である(科学的根拠なし)
    豊かな野生地域は、いざというときに人類の残存者が生存できる避難所にもなり、地球生命圏の存続・気象などの安定のために重要な役割を果たしている。
    B 主に科学的根拠を持たない、美的な問題。
    ただし文明があるほうが人類は存続しやすいかもしれない。特に文明がなければ、2で説明した大規模なリ
    スクには対応できない。
    また文化的な多様性は、文明を持続させるのに必要な知恵になる可能性はある。
  4. 科学的根拠を持たない、僕個人の美的な要求である。

そのために人類全員が努力すべきこと。

人類共通規範

ホームへ

戻る