パターン分類10-1
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。
前回の補足で、試す行為で肝心なのを忘れていました。告白を用いて試す方法で、ヒロインがヒーローを、もしくはサブメンバーがメインメンバーを試すときによく使われます。ヒロインがヒーローを試すときにはわざと、普通トラブルのいらいらもあって当て付けに告白されたことを自慢げに言い、嫉妬を期待します。が、これをやるとしばしば祝福されてかえって厄介なことに。サブメンバーがメインメンバー(両片思いであることが多く、事実上カップルと言って差し支えないが)を試すのに告白を使う手段には二通りあり、一つはわざとライバルであるメインメンバーの目の前で好きな人に告白したり告白したことを後で嫌味たっぷりに打ち明けたりします。もう一つは告白されたとか告白したらOKだったとかの嘘を言って絶望させる手段です。
今回から少女マンガの恋愛もの以外のパターンについて探っていきます。ただ、問題は恋愛もの以外が主題になるパターンでも大抵恋愛が従であるだけで存在することです。完全に恋愛を無視するのはやや例外的です。そして最大の問題は、海図が全く無くどうしていいか正直解らないことです。ともかく船出してみます。遭難したらごめんなさい。
とりあえず少女マンガのジャンル分けをやってみます。主流となる学園恋愛ものが中心にあります。これは圧倒的に多いのみならず非常に柔軟で、エピソードや副主題として他のジャンルの話も可能です。学園恋愛と言う言葉自体が学園と言う舞台と恋愛と言うテーマ、ジャンルの合成で成り立っていますね。
話そのものの中心は今までやってきた恋愛もの以外にもギャグ、ホラー、サスペンス、ミステリー、アクション、スポーツなど、(ファンタジーの疑似も含む)歴史、芸能界など、その他諸々。
舞台別に考えますとまず世界が違うファンタジー、SF系があります。ファンタジーでないものは主な舞台に学校、家庭、部活動、芸能界を始めとする特殊活動、外国を含む上流階級、歴史的時間等。
テーマとして分類しますと恋愛、友情、家族、スポーツなどの夢、学校そのものの悩み、受験等があります。メインテーマは基本的に少女の成長が軸になるのですが、その表現にも色々とあります。
ファンタジーやSFは舞台として自由度が高く、特にアクションの表現において現実の物理による制限を取り払うことができます。SFも同様ですが、ファンタジーと違ってこちらは技術上の制限がありません。大抵はワープを認める、物理に忠実ではないソフトSFですね。話のバリエーションも豊富で、全てが可能です。ただアクション要素を必要としない少女マンガではやや少数です。
学校は他とのつながりも深く、下校して家庭へ、放課後に部活へ等場面転換も容易でキャラクターも豊富に出せます。一番多い舞台であることは言うまでもないです。話は恋愛もの、ギャグ、ホラー、サスペンス、ミステリー、スポーツはそのままできます。アクションや芸能界ものは(細かくは後述、アクションの場合不良物ならほぼそのままできるが少女誌では少ない。芸能界の類には芸能人専用学校等が用いられる)特殊な設定を必要とします。人間関係を主体としやすく、現実感が高いので感情移入も容易です。
家庭も重要な舞台ですが、それのみが舞台になるような話は家族ものと恋愛の同居もの位しかできません。学校との組み合わせによって活きてくる所です。
部活動や委員会、塾、街等の放課後の世界は学校や家庭と独立させることもできますし、学校や家庭と連続して扱うこともできます。部活動はスポーツや文科系の演劇、音楽などと深く関わり、その主要な修業、発表の場となります。それらの活動を中心にするかその中での人間関係(恋愛、友情)を中心にするかで大別できるでしょう。委員会は人間関係が中心になりますが、極端なものですと疑似的な権力がからんでくるためミステリーに近い状況も発生します。塾は受験と密接に関係しており、集団で勉強するという意味で学校に似通っている(規則等の違いは大きいですが)という面もあります。街は完全にプライベートの場で、そこで学校の延長上かまたは全く関係のない人間関係があります。また非行はここが主な場になります。
特殊活動にはそれぞれの舞台があり、舞台ごとにジャンル分けができるでしょう。上流階級は家庭、学校を主舞台とする点では同じですが、それらが一般とは隔離されており、独自のシステムを形作っています。また他に見られない社交界や場合によっては政治、経済活動への参加があることも特徴的です。華やかで人気がありました。ジャンルとしては恋愛や友情はその中の小ジャンルまたはパターンとして扱われます。サスペンス、ミステリーが非常に多くなるのが特徴的です。歴史ものとの関連も深く、少女マンガの歴史ものは大抵その時代での上流階級を舞台にします。
歴史ものは資料に支えられた想像の世界といってよい過去(時代考証は必ずしも完全ではなく、多分に想像が混じる。生存者がいない昔に対する厳密の時代考証は事実上不可能)を舞台とします。現在とは違う法、社会制度、宗教、習俗、衣服など風俗状況を堪能できます。
宿題と言いますか、友情について考えていてふと思ったのですが、「まめ(子供の鬼ごっこにおける特殊ルールで、極端に足が遅かったり年齢が下だったりして一度つかまったら永久に鬼であろう子がいる時、その子をまめとしてつかまっても鬼にならないとするハンデ。地方によって別の呼び方をするかもしれない)とプレイヤーの間に友情は成り立つか」はどう思われますか?僕は絶対に成り立たないと思います。まめとそうでない、ルールにしたがって遊んでいる者には同じ場所にいても全く立場が違います。まめは遊びに参加しているように見えますが、実際には遊んでいる場でただ走っているだけです。邪魔をしている、そしてそれを許されているだけの存在であり、プレイヤーではありません。友情はプレイヤー同士の間にのみ成り立つもので、まめとの間にあるのはプレイヤーの側から見るとあわれみだけ、まめにとってはそこにいる楽しさと錯覚でしかない仲間意識がありますが、現実を直視したら限りない屈辱感と悔しさに打ちひしがれるだけです。その間に何の友情があるのでしょうか。しかし、現実には全く同じ能力の持ち主にしか友情がないと言うわけではないです。かなり差があっても友情は存在しますし。可能性の分、同じルールで動いている限り友情はあるのか、それとも本当は友情など対等の者にしかないのか。かなり今後の講義でも重要になるといます。予習と思ってレポートにでも。
今回はここまでにします。何か質問は?御静聴深謝。