パターン分類10-13
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。
今回も学校について。非行の原因である程度考えましたが、学校をテーマとする作品において背景として重要なのが校則に代表される管理体制、教師と生徒の葛藤、教師同士の葛藤、部活動のシステム、受験に付随する諸問題、学校の更に上位システムである教育委員会や文部省の教育政策まで色々とあります。
本来教師を主人公にした話や教師社会を中心にした話もあっていいような気がしますが、余り見られないですね。
教師のタイプ分けは次回に回します。
校則など、学校のシステムに関するものですが、この場合には教師がどの立場で行動するかです。教師としての義務はあくまで、生徒に(そのルールの是非以前に)ルールを守らせることにあります。ただし、それを強要することが、生徒との信頼関係を破壊し、かつ自分の良心にも背く場合があります。生徒にとってはこの認識自体教師に対する誤解なのですが、それまで自分の味方と思っていた教師が敵に変わった場合、強い裏切られたという感覚を抱きます。
教師と生徒の恋愛ですが、少なくともある時点までは禁忌とされてきましたし、現在においても必ずしもその禁忌としての精神的な支配力は消滅していません。少なくとも保守的な大人にとってはタブーです。ですが、現在では幼年少女誌でもありふれた設定です。その恋愛としてのパターンは基本的に年上と年下で、男性教師がヒーローで生徒がヒロイン、それに教師と同年代のサブヒロインと生徒との同級生のサブヒーロー、という四角関係を構成することが普通です。今のところは男子生徒と女性教師で、男子生徒の単なる憧れ以上の恋愛は扱われていません。初めは強い反発があり、見直すような行為について尊敬を押さえ付けた結果恋愛感情に変化し、三角関係の発生や他人によるからかい、非難などの逆効果などで顕在化します。教師は卒業したての新米でも22歳、生徒は12〜18という極端な年齢差、教師と生徒という立場の違い・・・上下関係、そして禁忌であることが障害になります。その障害は顕在化する前は顕在化を阻害し、顕在化した後も理性で押さえようとします。が、それは本当の恋愛にとっては逆効果で、かえって思いを募らせます。結局は結ばれてしまうのが普通です。それがもたらす影響ですが、想いを確かめ合うまでの段階では、教師の側はその生徒に対する態度に苦慮します。恋愛感情と教育が矛盾し、ひいきを恐れる気持ちが極端に冷たい態度になったり、激情が極端な叱責などの教育的に見て不適切な対応になったりと、本質的に対等である恋愛と上下関係である教師ー生徒関係の矛盾に苦しむことになります。これはくっついて後も同じです。想いが通じ合って後は教師にとっては、間違いなくばれたら失職という秘密になります。生徒にとってもばれたら退学です。それが誰かに知られたら大きな弱みになります。またそれゆえ、秘密交際になりデートなども思うに任せません。想いを確かめ合って後、つきあうのを生徒の卒業まで我慢する、と約束することも多いですが、それは三角関係の発生等、非常に不安定な状況です。
大学院以上を舞台にした話はさほどなく、あるとすれば年上の家庭教師などとの恋愛で、相手が抱えている悩みとしてです。それ以上に研究内容や勉強内容には天才がからむことが多いですね。日本では余り見ませんが、極端に早熟な(天才には生まれながらの神童、学生時代は普通、そして落ちこぼれ大器晩成型がありますが、神童の天才は本当に凄まじいエピソードを持っているものです)生徒がいて、もう既に学会にデビューしていたり当該分野についての知識で教師を上回っていたりもよくあります。この場合にはテストの採点などで、模範回答のみを正解とするテストのシステムや画一的な授業で天才型の生徒は悲鳴を上げることが多いです。また、研究環境になっても日本は徒弟制度が強いため、新しいアイデアを教授の側が押しつぶすことが多いですが、これは年齢的に幼年少女誌の範囲ではありません。恋愛の対象になる家庭教師などの悩みとして、はあるかも知れませんが。
単なる感情的なものが一番深刻です。人間には当然好き嫌いがあり、それは教師と生徒でもあるのが自然です。それが好きな場合にはひいきとなり、嫌いな場合には逆に差別的な扱いになります。これは露骨なものと無意識的なものに分かれます。露骨な場合、教師はかなり悪質です。ひいきの理由には生徒の家・・・親が金持ちであり、社会的な力が大きいため、それに媚びる形が多いです。他にはセクハラが混じる好意、成績優秀な者に対する期待等があります。無意識的なものは感情です。これは教師も人間である以上やむを得ないのですが、生徒は敏感にそれを察し、教師を軽蔑します。
一番大きいのが校則など、生徒を管理する体制についての対立です。生徒に同情、もしくは生徒の側に立って考えるという教育理念を持つ(これが「いい先生」の像であり、その中で情熱的な教師が熱血教師と呼ばれる)と学校の立場に忠実な先生が対立する、といったものですが、これは本来学校と生徒の対立の投影でしかないでしょう。この場合には生徒に味方した教師が窮地に立ち、何を優先するか悩むことになります。生徒の立場から見ればいい先生が自分たちに味方したばかりにいじめられているように写りますし、自分たちにとって都合の悪い事態でもあります。
より複雑な方針ですが、いじめや犯罪のような深刻な事態に立ったときにはまず学校側は事なかれ主義によって事態を隠蔽しようとします。各担任も、学年主任も、できるだけ自分のところで事態を収束させようとし、事態を秘密にするのが普通です。ですが、熱血教師はそれに反発し、学校側と対立して最悪失職に至ることもあります。大抵はその直前、ぎりぎりのところで水戸黄門的に上位者によって助けられますが。
単純な派閥抗争は人間の持病です。上の意見対立や学校内の権力闘争、その他様々な形で発生します。特に教師の側に昇進についての欲がからむとき、厄介になります。
教師間の多角関係は厄介です。普通はカップルとそれに強引に割り込む悪役、といった感じになります。
それら様々な要因が絡み、いじめと同様な事態が発生することもあります。これは普通の職場でもあるのですが。言うまでもなく厄介です。
それでは今回はこの辺で。何か質問は?御静聴深謝。