パターン分類10-3
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。本当に遅れて申し訳ないです。今後はしばらく、無理せずにペース落として・・・一つ一つのジャンルを考えながらやると思います。
前回予告した補足で、真剣ではない恋愛について詳述します。
これはもう、恋愛についての分類(虚像に対する恋、肉体だけの恋、甘えだけの恋、計算ずくの恋、本当の恋)に戻って追加しなければならないでしょう。計算ずくの恋を含む概念だと思います。恋愛感情がない(か顕在化していない)のに告白したり、その他のアタックを仕掛けることです。この定義ですとLikeでしかない恋愛感情、虚像に対する恋やその他(完全に一致しない気がする)との区別が難しいのですが、本人は恋愛と思ってもいないということで。大抵本当に恋に変わってしまうことは言うまでもありません。恋愛を遊戯化するのは、少女マンガの価値観としては非難されるべきものです。特にされた側や知った第三者が純情な場合、強い怒りを覚えます。そして本当の恋に変わること自体が本当の恋の優位性を主張しています。
これの動機としては復讐などや何かの実利(この場合には計算ずくの恋に含まれる)、からかって、賭けや罰ゲーム等があります。
- 復讐ですが、これは昔の個人的な恨み(誤解である場合には{誤解失恋で変身、再会}等。これについて気付いたの自体が今月号の「BUSUかもしんない!」で)や家の因縁等があります。これは基本的に、相手を傷つける武器として恋愛を用いようとしています。具体的に仕掛けるほうの意図としては、相手を誘惑して自分のとりこにし、その上で傷つける形で振る事を考えています。実際にはなかなか上手くいかず、いつの間にか本気になっていく事が多く見られます。その場合には悪感情が顕在化の障害になったり、近づいたこと自体が真剣ではないことが罪悪感に変わり自分には相手に近づく資格がないと思い込んだりします。
- 実利については既述ですが、ざっとでしたので改めて少々。これについては大概何か事情があります。やや大きな身分があって相手が高い地位を持つ者の子弟の場合(この場合仕掛けるほうも親に関すること・・・親の借金等、やや古いパターンですが)や相手の地位を利用して何か(部活関係も含む)利便を計って欲しい場合、最近よく見られるのには新聞部などのジャーナリズム的な興味でネタとしてなどがあります。これは相手を利用するためであり、仕掛けた側の恋愛感情が顕在化した場合の罪悪感が大きいです。被害者のほうの本当の恋である、との)恋愛感情が顕在化し、その上で仕掛けがばれたら(偶然、誰かの密告等)最初の反応は二つで、感情を素直に出してその裏切りをなじるのと、知っていて知らないふりをし、敢えて相手の(最初の目的をかなえるべく)便宜を計るのがあります。後者の場合のほうが仕掛けたほうのそれに気付いたときの衝撃と罪悪感が大きいです。
- からかいについてはかなり微妙な問題です。大体容姿、成績、スポーツ等に特に優れ、人気があってしかも高慢なタイプのキャラクターが仕掛けます。逆に仕掛けられる被害者は非常に朴訥で地味、真面目で純真なキャラクターです。仕掛けるほうは(取り巻きの影響も強い)それを軽蔑し、娯楽として侮辱しようとして仕掛けるわけです。書いていて腹が立ってきました・・・忘れていたのもそのせいでしょう。しかしその被害者の長所を発見したりして本気に変わってくるというわけです。純情なタイプは特に、仕掛けたほうの深刻な心の空洞を埋めてくれたりできる存在だったりするわけです。
- 賭けや罰ゲームなどは半ばいやいやです。無論、そのグループ全体が恋愛を遊戯としか見ていない事は事実ですが、特に男子の集団には恋愛を真剣にとらえることを罪悪視もしくは軽蔑し、遊戯化する傾向があります。それはあくまで見栄でして、結構その他のトラブルの種になります。
展開としてはまず仕掛けるほうが被害者にアプローチします。それに対する被害者の反応であっという間にはまってしまうのと誘惑が失敗するのがあります。
- あっという間にはまった場合には相手とつきあう(普通正式にではなく、何となく一緒にいることが多くなる程度。仕掛けた側としては言質を取らせず、最後にうぬぼれるなと突き放す意図がある)につれて相手のことを理解するようになり、特に相手のファッションセンスのなさなどでおせっかいを焼いたりする事が多く見られます。そしてデートの際など、何かがあって恋愛感情が顕在化したりし、特に深刻なのはその恋が本気ではないということを自分に確認している自分自信に気付いたときの顕在化です。これでは本気ではないと確認しなければならなかった理由は本気になってしまっていたからではなく、それに気付いてしまえば相手のそばにいる資格などない、となります。これ、結構別れの理由(この場合傷つけまいと別の嘘である理由を告げ、全てがばれてハッピーエンドとなる)としても多かったと思います。
- 誘惑が失敗し、かえって相手のペースにはまったり自分の弱点をさらしていく事もよく見られます。なぜか、その馬鹿にしている相手の前では失敗ばかりし、ありのままの自分をだしたり、弱い部分や優しい部分を目撃されたりすることが多くなります。それを優しく受け止めてくれる相手にだんだんほだされたり、上手くいかなくていらいらし、それでいつの間にか水面下で恋愛感情が強まり、のめり込んでいったりします。
確実に言えることは遅かれ早かれ、恋愛が嘘であったことは被害者にばれることになります。その理由はメモの発見や友達の噂の目撃等の事故、仕掛けたほうの告白、密告などです。この時の反応は上述のように怒りをあらわにして感情的に責めるか暖かく許すかです。怒りをあらわにしたときも結局は普通許します。後者の暖かく許した場合、被害者はもう知っていた(この場合のばれるというのは、仕掛けた側にとって。正確には仕掛けた側がばれたことを認識したこと。誤解という場合もあるのは言うまでもない)事が多いです。その時には怒ったものの、仕掛けたほうと距離をとって冷静になる時間がたまたまあったわけです。
ばれる(被害者が嘘であるということ(理由までは知らないこともある)を知る)タイミングですが、まず仕掛けたほうがばれたことを確信する(事実として知ることと知られたと誤解することの両方を含む)のと同時かどうか、双方の恋愛感情の顕在化とのタイミング(及び因果関係)はどうかです。
- 同時であれば、それはその事件で被害者が嘘であると知り、かつ仕掛けたほうは相手が知ってしまったことを見てしまうことになります。これに言い訳の余地はないです。そこからの場合分け(両方顕在化していない、被害者は顕在化している、仕掛けたほうは顕在化している・・・これはほとんどない、両方顕在化している)で、両方顕在化していない場合には被害者が強く責めることになります。この場合にも被害者のほうは、はっきりした恋愛感情にはなっていませんが、ある程度いい気になっていた状態です。それで怒り、それが被害者のほうの顕在化につながります。仕掛けたほうは相手の怒りに圧倒され、軽蔑の言葉に怒り以上に深い悲しみを抱いて、その時には反発することもありますが結局相手を失った悲しみから相手が好きだ、と顕在化します。被害者のほうは顕在化している場合には、ある意味仕掛けたほうの思うつぼにはまったわけです。被害者の絶望やショックも深いでしょう。でも、その時に仕掛けたほうには痛みがあります。計画が台無し、という以上にそれまでの、嘘でしかなくても楽しかったのが思い出されて、最終的には相手を失ったのが辛いと自覚し、顕在化に至ります。特に被害者のほうが責めず許してくれたときには罪悪感がより強くなります。仕掛けたほうが顕在化していた場合にはですが、やや複雑です。この状況になるのは上述の、誘惑が上手くいかずに相手にのらりくらりとかわされてむきになってから、等です。この場合には態度には見せなくとも、被害者のほうも顕在化していることがほとんどですね。この時にはもう本気になっていますから相手にばれるのは一番恐れていた事態です。その時には普通、「だましたのは本当だけど今は本当に好き」と言うことはできず、友達に伝えてもらったり別のハプニングから伝わったり時間をおいて改めて告白したりします。被害者のほうはその時には一見無反応ですが、悲しみと怒りがあります。それは事情を詳しく知ったり(これも友達からが多い)して収まりますが。両方の頭が冷えるまで後述の深刻なトラブルが続き、告白で解決することが多いです。
- ばれるのが仕掛けたほうがばれたことを知るより早い、と言ったケースですが、この場合まず被害者が顕在化していたかどうかです。していれば強い絶望と怒りを感じますね。始めから知っていたということもあります。性格によって反応が異なり、短気だとすぐさま相手にそれを言い、怒りを叩きつけます。この場合には上の同時に知ったケースと同じです。そうでない場合には上述のように理由を察し、そのことを受け入れて(何かの便宜が目的の場合それをかなえて)去ろうとします。そのことが仕掛けたほうの顕在化になり、そして騙していたけど好き、と告白してハッピーエンド。被害者が顕在化していないときにはその悔しさが顕在化につながります。一時関係を遠ざけ、時間を置くこともあります。仕掛けたほうの顕在化ですが、これの前後関係は余り関係ないです。仕掛けたほうがばれたことを知るのとどちらが早いか、それが問題です。顕在化のほうが早ければばれることを恐れ、罪悪感に悩んでいるのですが相手はとっくに知っている、というわけです。恋愛と騙していたことの告白のタイミングの問題です。顕在化のほうが遅いならばれた、またはばれていることを知ったときにその罪悪感から顕在化します。
- 仕掛けたほうがばれるのを知るのがばれるより早い、というのは文面だけですと矛盾しています。が、ばれるのを知ると言うのが誤解なら矛盾しません。別にばれていないのに、勝手にばれたと思い込んでパニックになり、逆にそれからばれることも多いです。この場合には同時と同じ事です。
これはふと浮かんだ補足で、本気で突き詰めたらトラブル理論を見直さなければならないかも知れません。このような見落としは他にも無数にあると思います。喧嘩友達の延長とは違う、深刻なトラブルの中で大きいものに軽蔑もしくは強い非難があると思います。これは一方が他方にとってかなり許されない言動をしてしまったときで、言動によるトラブルの一形態です。これは分類がきちんとされておらず、宿題でした。とりあえず浮かんだので一つ解きます。
この、軽蔑もしくは強い非難というのは感情的に、「好きな相手に低い存在でいてほしくない」ということが伝えられず、怒りの形で出てしまうことです。相手もそれを感じ、強い自己嫌悪と決定的に嫌われたとの確信に至ります。
その理由は様々なのですが、その言動が他人(軽蔑する者でないことも多い)を強く傷つけ、そして言動の主体の人格も傷つけてしまうようなものです。もののはずみで、と言うのが多いのですが主体の人格そのものを疑うことになる言動、と言ったほうが分かりやすいかも知れません。感情的な暴言や精神的なあり方そのものに関わる行為が多いですね。具体的には相手にとって何か非常に大切なものに対する侮蔑、弱音、相手が必死で誘っているのを嘘ついて断る、上述の嘘の恋愛、いじめかそれに類する行為への参加、今のところは幼年少女誌範囲外ですが売春行為、第三者に対するのも含めた裏切り行為、不正行為(誤解も含む)等が考えられます。
この時にはトラブルが非常に深刻になり(特に誤解がからんで売り言葉に買い言葉が起きたときには!)、相手を失うという恐怖感から顕在化していないときには顕在化になります。解決は大抵告白と結びつきます。
補足がずいぶん長くなりました。今回も前回の続きで、友情をテーマにしたパターンとその中でのトラブルについて考えてみます。
舞台として、学校・・・は最重要ゆえ、検討し尽くして後の最後にします。家庭において、ジャンルごとに考えてみます。話自体のジャンルが違っても中心になる(話のキーになるトラブルが友情がらみ)ことがよくあります。どれだけの組み合わせになるか、考えるだけでも恐ろしいものですが、始めたものは仕方がありませんし、何よりこれは僕の、個人的な最大の楽しみです。
- 舞台としての家庭では余り友情は入ってきません。家庭と学校の境界的な話では非常に重要なのですが、純粋な家庭の中だけの話では参加機会がないものです。
- 家庭を舞台にしたギャグマンガにおいてはさほど関係ないですね。
- ホラーでは、舞台を問わずアクションに近い構造をとることとそうでないのがあります。後者の場合は互いに、極限状態において友情を確かめたり恐怖に負けて裏切ったり、本音がでます。霊と生身の人間の友情もよくあります。この場合には年齢差があることも多く、特殊な友情に回します。
- 家庭を舞台にしたサスペンスやミステリーは古い、もしくは上流の大家族ということになります。これは非常に閉鎖的で、友人の関わりは探偵役もしくは狂言回しでしかないです。オープンな形ですと別のジャンルになるので。探偵と被害者又は犯人になる同級の友人の場合、探偵は家に縛られている友人を助けようとして、結局家からの開放は死をもってしかなされなかったという構造になります。家族外の友人が狂言回しの場合にはそれがより弱い形で出てくるわけです。
- アクションはもとより関係なしと言っていいでしょう。
- スポーツは学校か、むしろ芸能界に近い状況で出てきます。
- 学校は後述にし、芸能界に近いケースについて次でまとめます。
- 芸能界などというのは競争社会で、しかも因習が強いため家における人間関係を強く引きずるケースが極めて多いことから家庭を舞台とした話でもよく見られます。ここにおいて友人は大切な支えとなります。このジャンルについて細かい事は後述しますが、友人とのトラブルとしては三角関係、ライバル、裏切り、忠告に関するものがあります。
三角関係について詳しくは既述ですが、その友人との関係がライバルであるときとそうでないときに大別できます。
ライバルについてもまとめてしまいますと、能力的な競争者であると共に三角関係の恋敵、そして話の構造に家族が強い場合にはしばしば姉妹(兄弟)でもあります。
兄弟姉妹である場合には普通(主に誤解による、大抵最後のほうで母親等の告白によって誤解が解ける)強い憎悪があり、その分強い競争意識をもつことになります。能力的な競争についてですが、その具体的な動機は主にアベルとカイン、つまり親の愛情(と同時に認められること)と相続権の確保です。相続は文字通りの財産というより業界における象徴的な地位を意味します。恋愛についての三角関係もそれに付随し、嫌がらせである(あったが本気になった)事もあります。両方親の愛に飢えているケースと一方(通例主人公)は養子で愛情には恵まれていたのとに別れます。細かいことは後述。展開として、第三の敵が現れた場合には恨みを捨てて共闘し、その中で感情的には収まっていきます。決着はつけるのですが。そうでない場合には決着と同時に上述のように憎悪の元となった誤解が解けます。
ライバルが兄弟姉妹でない場合ですが、大きく分けて意地悪役、目標、親友の三つがあります。普通ライバルのほうが能力的に上回っており、主人公のほうが潜在能力が上です。
- 意地悪役については既述。普通友情は芽生えませんが、意地悪役のほうの弱み(人間としての弱さ、影の特訓の目撃、大怪我、挫折等)に触れ、そこから深い触れ合いが生まれることがあります。そのためには恋愛、その状況での地位や能力両面で主人公に意地悪役が脅威を感じている事を告白しなければならないのですがプライドが高い分きついです。
- 目標は(スポーツのときには他校であることも含めて)主人公から見てもその世界の水準から言ってもかなり能力的に高く、手本として憧れに近い感情を抱く対象です。先輩であることも多いです。目標とされたほうは比較的早くに主人公の潜在能力を見抜き、脅威を感じます。意地悪に走らないところが性格の違いなのですが。その立場から主人公が挫折したときに強く(冷たく突き放して)励ましたりすることも多いです。それが友情に変わっていくのは対等に争う(恋愛の相手を賭けの対象にすることも)ことになったときなどで、この時には目標のほうが事故などで挫折することが多いですね。それを逆に励ましたりして友情が強まり、その過程で恋愛の面でも進展します。基本的には目標のほうはフェアであろうとしますが、主人公が気付かないうちに足元を脅かしている場合など卑怯な手段の誘惑に駆られることもあります。この場合には寸前に告白するか、恋愛の対象が助けます。主人公としてはそれで初めて目標としていた存在の人間としての弱さに触れるわけです。その弱みに触れ、許して受け入れると言うのも友情の典型的なモチーフです。
- 親友の場合には能力的にも対等に近いか、{疑似姉妹}的な関係です。仲が良く、それを維持するために多少の不満は抑制しています。それが爆発するのが一番多いですね。ライバルでない友人はそのスポーツ、(芸能界などの)仕事に関係ない、個人的な友達です。三角関係のトラブルについては既述です。
裏切りについてですが、これは上述のような動機によるフェアでない行為が主です。相手に対する競争意識、派閥(に対する義務、自分が取り残されていくことに対する恐怖感等のコンプレックスが動機になります。具体的には昔ながらのトゥシューズに画鋲のようなものです。普通は虚偽の情報、下剤などで状態を悪化させようとしたり、動揺させたり、弱いものでは陰謀を通報しなかったりがあります。行為は既遂と未遂に別れ、既遂の場合には重大な罪悪感があります。これを告白するのは大変な勇気が必要で、しばしば三角関係の対象の助言(叱責)によります。未遂の場合には事前の告白による中止と第三者の助力による阻止があります。
忠告は挫折等、なにかを諦めようとするのについて励ましたり、また上述の卑怯な行為についてそれをやめるように説得したりがあります。
上流階級は家族ものの本場の一つで、上と同様です。歴史的な時間の中の主要なジャンルはアクション(既述)と歴史そのものがあります。歴史的な時間においても構造的には同じですが、制度や宗教、文化や社会状況の違いからややこしいことが色々とあります。詳しくはこのジャンルについての検討にて。
今回はこの辺で。何か質問は?御静聴深謝。
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