パターン分類10-5
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。
今回も前回の続きで、友情をテーマにした作品において恋愛に関するトラブルといじめについて考え、中心テーマとしての友情全体をまとめます。
最も重要な、恋愛ものにおける友情について。これはあらかた分析済みですので、ごく軽い、項目整理に止めます。詳しくは友達のところを振り返ってみて欲しいのですが、協力者、{三角関係}、からかい役、(恋愛以外での)強敵と書いて友と読む、親友等を考えました。からかい役は昔の講義では定義のために分けましたが、協力者に含めていいと思います。強敵、つまりライバルについてはスポーツなどのところで大体やっています。そして、ここで検討を加えなければならないのは恋愛に対する親友の嫉妬(同性愛は考えないことにしていますが、それに近いが異なる形のものです・・・「リリィ&アールのふしぎなお店」の「おでかけハッピーセット」を念頭においてください)についてです。
からかい役を含めた協力者としての友人について、友情を中心において考えてみましょう。言うまでもなくこれは女子についての考察であることにご注意下さい。協力者(反対する立場も含めていいかも知れません。今まで友達による恋愛に対する反対は考えていませんでしたが)となることは、それ自体がその友達の恋愛に関心を持つことを意味しています。それには娯楽としてか相手のことを心配しての二つの動機があります。混在していますし、それにの配分によって反応や行動が大きく異なってくるので注意が必要です。それについて具体的に分析を始めると同時に、精神的な発達段階によってどのように友人の恋愛に対する反応が変化するか、友人の側から考えましょう。この心理分析は後述の友人の恋愛に対する嫉妬にも共通します。
まず恋愛そのものに興味を持つ前の段階では、男子に対する感情的認識が仲間か敵かに分かれます。仲間である場合、友人が誰か男子を好きになった、と見抜いた(第三者にとっては恋愛を見抜くのは容易なことです)、もしくは相談を受けた時には意味不明です。無関心であることや意味もわからず騒ぎ立てる事もあります。その遅れについて馬鹿にされ、もしくは相手の憐憫や子供扱いを感じて怒る事もあります。恋愛感情の意味が解らないながら周囲に合わせてからかうこともあります。それがきっかけで自分のほうも恋愛に対する憧れなどを持つこともしばしばあります。
敵とみなしている場合、その敵である男子を信じていた友人が好きになってしまった、これは裏切り以外の何者でもありません。恋愛がどのようなものか理解できない段階で、友人がなにを考えているのかも解らないためその友人を失ったような気がします。特に反恋愛の集団規範がある場合には罪人を責めるのと同様の非難感情が加わります。恋愛感情が解らず、罪悪視していますからとにかく友達の恋愛を止めようとし、そう忠告します。それは恋愛をしているほうにとっては友情と恋の二者択一を迫られる事態で、恋愛を諦めようとしてかえって募らせるか始めから耳を貸さず、その残酷な(友情か恋愛かの)二者択一を迫った友人と絶交することを選ぶかです。最終的には普通、その恋愛が解らないが故にそれをやってしまったほうも恋愛を理解して反省し、仲直りします。裏として仲直りできないままというのもありますが・・・そういえば友人でもいったんトラブルで絶交状態になり、再会してまたと言うのがありますね。
恋愛に対する興味が出てきてから、自分も恋愛を知ってその辛さを理解し、真剣にとらえられるようになるまでの間、恋愛は興味と娯楽の対象です。恋に恋し、自分も本音では素晴らしい恋を夢見ていますが、反面見栄として恋愛を馬鹿にする心理もあり、それ以上にワイドショー的に首を突っ込んで楽しもうとしたりもするものです。親友の場合には真剣に心配しますが、心情を理解することはできません。それゆえに結果を考えず噂としてもてあそんだりできるわけです。無論そのことから後で相手の辛さを理解し、謝ったり反省したけど遅かったということもあります。また心理として、やや幼いうちは友達も独立した人格であることを認められず、その恋愛に(心配と興味本位の両面で)干渉してしまうと言うのも多いトラブルです。特に耳年増の場合、生兵法と言いますか、余計な手出しをしてかえってトラブルの種になります。
行動として、噂にしてもてあそぶ、相談に(心情としては真面目にであることとからかい半分の両方がある)のる、いい加減な受け答えをする、そして(からかい役の意味で)からかうがあります。
また、特殊な心理として詳しくは後述しますが、違う段階に入った友人が遠くに行ってしまうのではないか、という焦燥感もあります。そのことから忠告などにも微妙な変化が出てきます。
友人のほうも恋愛を経験している場合ですが、これで始めて友達の心理が理解できるようになったわけです。三角関係がからまない場合ならある程度客観的にそれを見ることができます。大抵からんできますが。
この場合に多用されるトラブルが上述の忠告です。特に友人の恋愛が明らかに虚像に対するもので、最も危険な、単に遊ばれているだけであることを(豊富な経験から)察知した場合には無駄を承知で忠告し、喧嘩になって一時絶交されるに至るか、または目が覚めるまでと放置して、そして最悪の事態にだけはならないようにその友人を影で本気で想っている男子に危険を警告し、緊急時の救出劇の黒幕となるかです。家族を媒介にして、というのは有効そうですが見られませんね。家族は選択肢としては抵抗があるからでしょう。これらの場合には緊急事態の発生によって恋愛の対象に本質に気付き、熱病が覚める形になって初めて忠告のありがたさに気付き、謝罪して仲直りします。
恋愛に関する友人の嫉妬について考えていきます。これは三角関係と異なり、しかも同性愛も含まないのですが・・・疑似的にそれに近い構造をとります。つまり全体として、ヒーローとヒロインがつきあっているかそれに近い状況で、ヒロインの親友(以下”友”)がヒロインを取られたような寂しさを感じます。また、ヒーローから見てもヒロインが相変わらず友を優先するようなときにはその気持ちを疑いたくもなります。前思春期の友情には、どうしても一種の疑似的な同性愛の側面も否定できないため、非常に難しいところです。
男子どうしの友情でも同じ事は起きそうなのですが、それについてはほとんど描かれません。男子を主人公にしないからかも知れませんが。女子が好きな男子とその友人の仲に嫉妬を抱くと言うのはあります。半ばギャグで同性愛を疑う、と言うのも良くありますね。
恋愛をしているほうの心理を考えていきますと、つきあうまではいいのですが、告白して付き合い初めて、その時点で・・・既述のように男女交際自体が初めてならなかなかそのペースがわからず、今までの生活を変えたくありません。今までの惰性として(羞恥もあり)友人との仲を変えたくない心理が強く、それで恋愛そのもののペースも上手く掴めなくなっていきます。特に登下校などで、始めは恋人と帰るか今まで通り友人とかで、今日から一緒に帰れると期待した男子と友人と帰りたい女子のトラブルがあります。そこで、友人としては無論恋人と一緒にいるよう勧めるのですが、その時に恋愛をしているほうとしては今まで通りにいたいのに、気を遣って避けるような行動を取られることがとても寂しくなります。無論これは、友人としては自分(達)がお邪魔虫であることを自覚しているため、愛情のこもったからかいもこめての行為なのですが。友人との仲の良さについて、特にそれがスポーツなどの好敵手やチームメートであるなど、時間的にも精神的にも強いつながりがある場合、恋人のほうから嫉妬を見せることもありえます。恋愛感情には独占欲もありますから。この時には悩みますが、ここは他の、共通の友人上位の相談相手、またその嫉妬の対象となっている友人の助言等で解決していきます。
その友人のほうの心理として、友人の恋愛を知ったときから嫉妬は始まっています。助言、応援していても、やはり親友を取られるのではないかという寂しさはあるものです。そしてくっついてから、気を遣ってお邪魔虫にならないように離れたりするものですが、それが内心寂しいのは当然のことです。それが伝えられないと、嫌われたのではないかなどの誤解の危険がありますね。彼氏のほうの配慮も大切です。また、特に危険なのは{疑似姉妹}の構造のとき、妹のほうの恋愛に姉が強く干渉することが多いことです。「そういうことはお姉さんに任せなさい」等と強引に展開させようとします。本質的にその心理は、疑似妹のほうを支配下に止めておきたいから、個人的なこと(特に秘密)の存在を許しておけないからおせっかいに隠れて支配をアピールしているわけです。これがろくなことにならないのは言うまでもありません・・・{仲人のつもりだったのに(仲人のほうが好きだった)}を始め、人に頼らなければ告白できないと男子に軽蔑されたりもします。疑似妹のほうは恋愛には干渉して欲しくないことが多いです。恋愛はあくまで個人の問題ですし、自分のペースで思いを育てていきたい、と思っています。それが疑似姉から見ますとじれったくて、我慢ができないものです。これで疑似妹が失恋し、妹個人の問題として自分で引き受けるのを許さなかったくせに、振られてから責任をとるのを拒んで責めた妹を責め返したりする等、疑似姉が責められたりしてトラブルになることが多いです。間違いなくこれで疑似姉妹関係の欺瞞が表に出ます。
三角関係について、重複しますが友情を中心に今一度まとめてみましょう。恋愛面については既述ですが、特に男一人女二人のパターンにおいて、女子同士の友情がどのように変化するか考えてみましょう。初期条件として女子同士が友人である場合とそうでない場合に分かれます。
友人なら、互いに友人を傷つけたくないです。かと言って恋愛のほうも諦められないですし、以前からたまっている不満等が爆発する機会でもあります。上述の{疑似姉妹}における感情の流れですが、既述のように一般に姉に当たるほうが譲ろうとし、自分の想いを押し込める(この時点で恋愛の対象、疑似妹の両方に嘘をついている。顕在化を無意識に押し止める形になることも)ようにしていたが、結局ばれて妹のほうも傷つける事が多く見られます。この時の心理は既述の通り疑似姉のほうが相手をかばおうとして、実は軽蔑と言いますか、疑似妹のほうの精神力を弱く見繕っていた事によります。それを敏感に察するからこそ疑似妹のほうの痛みも大きいわけです。対等の友人とみなされていない、それほど辛い裏切りはありませんから。また、このときは互いにその関係を維持していたいという心理も恋愛に対する抵抗になります。姉は苦労等のコンプレックスと支配している優越感による喜び、妹のほうは安心感と屈辱感という複雑な心理がありますから、この関係が恋愛によって壊れることを望むと同時に恐れます。三角関係はその関係の欺瞞をはっきりさせる役割もあります。それによって絶交状態になることもありますが、それが解決される場合やはり男子のほうの協力が大きいです。結局は恋愛と友情とは別であること、互いに独立し、恋愛をしている対等な人格であると認めることが仲直りにおける最も大切な点です。特に従属関係の場合、従の側の人格の独立を認めるのは主の側にとっても破滅的ですから、難しいところです。三角関係の決着がついたら対等の友人に成長するケースが多く見られます。
対等の友人の場合の行動は分析済みです。心理ですが、恋愛が友情を壊してしまいかねないと互いに思っています。対立したくはない、それが恋愛を表に出すことを阻害し、かえって互いの信頼感がそれだけ足りない事を露呈することになります。そして対立してからは信頼を取り戻すことが多いのですが・・・。仕方のないことです。
友人でない場合、その三角関係から意外な友情が生まれてくることもよくあります。共通の話題は無限にありますし、対立によって互いの事を知っていくことができますので。ライバルとして出会ってから、特にそれがスポーツなどでもライバルであった場合には互いを強く意識し、憎悪に近い競争意識と嫉妬を持つことになります。友情がむしろ中心となるパターンとして、二人とも失恋した時には対等に慰めあうことができます。これにはその男に別に恋人(妻)がいたというのと実はひどい男だった、というのがありますね。三角関係からどちらかがその恋愛の対象とくっついた、というときには立場が対等でないのですが、それまでに友情が育ってしまっていることが多いです。恋愛の過程の中で、トラブルの際などにもう一方がフェアな行動(チャンスであるのに抜け駆けをせず、むしろそのトラブルを解決する)を取ることも多くあります。
いじめは非常に重いテーマです。人間集団の宿命でもあります。幼年少女誌では余りの重さのためか扱われることは重要度の割に少ないのですが、現実の学生にはとてつも無く重いプレッシャーでしょう。あたかも魔女裁判時代や秘密警察&強制収容所の恐怖のように。誰でも被害者になる、誰も加害者にならずに生きられない・・・。地獄のほうがましです。細かい分析は正直、専門書をお読みくださいとしか申し上げられません。様々な、混乱するほかないほど多くの本があります。僕の学校とは関係のない事実上の専門分野の一つ、神秘に対する分析の応用もしくは類推としての社会心理学からですが、まあ・・・生贄の現代版と考えられます。今はその、彼岸にある神秘的感情の対象が見られないので、社会と言いますか、帰属する人間集団が感情の対象です。それは合理的なものだけではないため、そこに昔と同じ、誰かの苦しみを必要としているわけです。その生贄として異質な要素を持っている存在が選ばれるのも古代の人身御供と共通しますし、集団の均質性が高い場合にむしろ無差別に犠牲者を求めるのも同じです。ここで人間としての同情心が麻痺するのは、もともと人間の同情心というのはストレス下ではそれほど強いものではないのと、虐待行為が儀式化してしまっているからです。結局、人間は本質的に誰かの犠牲無くしては生きられない生き物なのかも知れない、と思うと絶望さえ感じます。
いじめの現象は結局、集団の中の(集団である加害者と被害者、という構造をとるが、本質的には一体となった病理構造をなしている)虐待行為です。その虐待には肉体的な暴力、精神的な無視や侮辱、相手の所有物の破壊、恐喝行為などとなっていきます。恐喝行為の特に悪質なものは、少女誌では見られませんが暴力団に対する上納を中心とした闇の制度と化しています。少年誌の不良アクションはそれとの対決から始まるのが一般的ですね。
被害者になる条件ははっきりしません。魔女裁判同様、誰でも被害者になり得ますが、例えば内向的で従順、行動が不活発なタイプは比較的被害者になりやすいようです。また何らかの異質性をもっている場合もまず避けられません。既述の意地悪役とその取り巻きの行動も単純に見ればいじめです。この場合には意地悪役の傲慢さと加虐性がはっきりしており、分かりやすいです。キャラクターのタイプ分けは最後の総まとめに回しますので、そこでいじめとの関係についても検討してみましょう。
解決は・・・現実にはほとんど絶望的です。自然に始まり、自然に収束するものです。少女誌で扱われる場合にはそれではカタルシスが得られないので、被害者が抑制を破って(普通恋愛と関連した)勇気を振り絞ってもうやめてと自己主張し、それが共感を呼んで解決に至ることが多いのですが、現実的ではないのです。
今回はこの辺で。何か質問は?御静聴深謝。