パターン分類9-6
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。
補足の補足、ベッドなどで一緒に寝る体勢について、並んで寝る際にも心を許しているのでは抱き合う、腕枕、許していないのでは背中合わせ、できるだけ離れてと分けられますね。
前回忘れていたのに二人きりで同じ部屋に、という状況があります。
この状況は放課後の教室等で、その発展として更に意識せざるを得ないのがそのまま夜を過ごす形です(着衣で離れて同じ部屋で寝る)。この場合どうしても関心の中心が相手になるため、気持ちの上で圧迫感と顕在化していない場合には嫌悪感を感じることになります。
今回は残りの触覚以外でのスキンシップについて検討していきます。
感覚には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚があると言うのが一般的です。六感とか小宇宙とかエイトセンシズ(単行本もないですし僕の手元にある辞書には載ってませんでした。阿羅耶識だったと思いますが、保証できません)はここでは考えないでおきます。あだしことはさておきつ、スキンシップは五感を総動員して相手を認識する行為です。である以上触覚以外も重要な役割を果たす、というよりは色々に複合してスキンシップを構成しているわけです。単純に抱き合っていても体の感触だけでなく相手の匂いを嗅ぎ(嗅覚)、相手の心拍を聞き(聴覚)、相手を至近距離で見つめ(視覚)と。ここでは味覚は働いていませんが、感覚が複合して相乗効果を起こしているのはわかると思います。
視覚的接触としては相手を肉眼で見たり写真、ビデオ、望遠鏡などで見たりすることです。これは着衣と脱衣に大別できます。着衣では普通に一方的に見る、お互いに見て目が合う、脱衣では事故もしくは偶然で見る、のぞく、写真などでは女子の隠し撮り、男子の盗撮、そしてその利用が考えられます。また、目での意識的な会話としてウィンクがあります。また涙することもあり、深い意味をもっています。特殊な接触に筆跡を見ると言うのもあります。キスや抱擁の時など、感覚を他に集中させる為にあえて目をつぶることもあります。
故意に恋愛感情で見つめると言うのは片思い状態では相手を見つめていたいし相手と目を合わせたい、でもそれが恥ずかしいという微妙な心理です。相手が振り返ったら普通目を合わせないように目をそらします。その見つめる場所には教室、校庭などスポーツの場、家の窓があって教室で見つめるのはクラスメート、校庭などは普通同じ学校か放課後寄れる程度の距離、家の窓は家が隣か向かい合っているか、つまり幼なじみです。見つめられるほうは鈍感でなければ何となく気付くものです。また、視線の方向やたまたま目があったときの赤面から他人に気持ちがばれることがあります。これは完全に一方的であるため憧れだけであってもできる行為で、相手の外見しか見ることはできません。
故意ですが恋愛感情なしというのは相手の髪に木の葉がついているとか服にシールや悪戯のビラが張ってある等の笑いのため、友達が好きになった相手を確認するために、何らかの合図、恋愛感情以前の外見や運動技能等に対する鑑賞、事故等の用事が考えられます。これを相手が気付いて恋愛感情のためと誤解するケースが多く見られます。ただ、他の動機で見つめているうちにいつの間にか恋愛感情が芽生えてしまうことも多いです。
何となくは偶然に近いように見えますが、これは無意識で相手を見たいからが多いです。顕在化されていない恋愛感情またはその違いについては微妙ですが相手に対する関心があります。
偶然は見ること自体に意味はなく、一方的ですのでコミュニケーションとしての役割もありません。上の何となくもそうですが、その相手を見てしまうことで相手を意識することになります。
一瞬合わせてそらすのは一方的に見ていた状態で相手に気付かれた際、何か後ろめたいことがあったり急に相手を意識したり(羞恥と恋愛感情に対する抵抗)して相手の目を見ることに耐えられない等目を合わせたもののそれが嫌だという反応です。一方的に見つめているときに相手がそれに気付き、目が合うと嬉しい以前に羞恥心が起きます。それでほとんど反射的に目をそらします。その相手のほうは敏感ならそれで相手の存在と好意に気付き、逆に意識(高慢で恋愛を軽蔑しているタイプであれば感情が動くことはありませんが)する事になります。両片思いであったらお互いに目をそらして真っ赤になることも。
目を合わせられない理由があってそらすときにはその目をそらす行為自体がその理由を表現しています。ただこれは言葉ではないので誤解の種になることが多いです。相手の目をまともに見ることができない理由には浮気(くっつく前に相手以外の人とつきあって自分の気持ちを裏切る形になるのも含む)や誤解していたりしたことに気付いたり嘘をついたりした罪悪感、顕在化していない恋愛感情からくる羞恥心等があります。いきなり目をそらされたら仲がよくて目が合えば笑うか何かする人やにらみ返して舌を出す喧嘩友達の場合どうした、という不快感があります。それは目をそらした相手との関係や恋愛感情に応じて色々な誤解や感情に変わります。相手のことを好きだったら嫌われたと誤解したりし、つきあっているのなら浮気を疑います。顕在化していない状況では戸惑いが顕在化のきっかけになることもあります。またその目をそらす反応からおかしいと感じ、追っかけたり目を見て話すことを強要したりします。それは相手を追いつめることになり、強い恐怖感を持たせることになりますが、上手く気持ちが壊れればそのまま事情を説明して解決することもあります。
見つめ合うのは幼年少女誌では特殊な事で、お互いに素直に気持ちをぶつけ合うことができる心境になっています。相手の目をまともに見る意思と勇気があれば告白も時間の問題です。羞恥等が破れさえすれば何よりも最も深く気持ちを通じ合わせることができます。
大抵は男子が女子の裸等を見るケースです。女子が男子のを見てしまうのはあまりありませんね。あっても嬉しいと言うより羞恥と嫌悪が先に立ちます。見るものでは裸と下着姿があります。
女の裸を見るのがまあ小学校4年から落ち着く(落ち着き方については講義趣旨から外れるので各自考えてください)までの男子にとっては人生最大の目的です。これは断言してしまって構わないでしょう。現実にそうですし、少女マンガの中でも性が除去されている、と考えなければかっこつけているだけで内心は同じ筈です。女子が裸になる状況としては入浴中、着替え中(平服と制服、制服と体操服の間は下着止まりで全裸は制服と水着とか入浴から平服とかのみ)、絶対に取り扱われることはないケースで下半身のみが裸なトイレが考えられます。他に看病で体を拭くためもありますが、これは大体幼年少女誌の範囲外なので省略します。補講で同居について再検討するときにやるかも知れません。女子は反面、よく知らないのですが男子の裸には興味はなく、嫌悪感のみのようです。入浴に出くわすのは同居がメインです。他に偶然訪ねていったらとか修学旅行中の事故もしくは半いじめの陰謀でもありえますが。これは女子が確実にパニック状態になり、強く非難して暴力(ものを投げる)事になります。男子としても慌ててしまい、一瞬硬直してから転んで被害を大きくするか逃げるかです。冷静に謝ったり、ましてきれいなものを見せてくれてありがとう、などと褒めたりする余裕はないでしょう。
心理的にはいきなり女子の裸を見てしまうのは未熟な男子にとってはショックが大きく、また女子も一番羞恥心が強い時期ですから屈辱が大きいです。その点、強いマイナス感情を持った出会いとして非常にしばしば用いられます。感情的に見て、例外が非現実的なまでに極端なお嬢様で、まあ昔は貴人に裸身に対する羞恥はなかった(自分で着替えることはなかった為)ようなのですが、高貴さを誇張するために羞恥なしにすることもあります。
着替えは風呂上がりなら上で説明した通り、水着からならプールや海から上がってです。反応についても上と同じです。
下着姿は着替え中です。大体僕の経験では小学校の間、私服から体操服は男女一緒で4年当たりからプールの着替えは別、体操服への着替えは中学では一応別でしたが、僕は見てしまった記憶があります。もしかしたら僕だけが精神年齢が低く、また絶対に意識的には見ないという信用があったから黙認されていたのかも知れませんが。まあ着替えは家と学校があり、家は同居とかです。男子禁制になってからは着替えを見られても女子は入浴を見られるのと同じような反応をします。かなり差がある気もしますが。
反応についてですが、女子としては顕在化していない相手だと屈辱感と怒りに震え、反面相手を−ですが意識することになります。喧嘩友達のきっかけとして使われます。顕在化していたら羞恥の反面、どきどきで爆発しそうになります。同時に怒りから相手に(本当に故意か誤解で故意ののぞきだと思った時)幻滅を感じ、そこから相手が生身の男性だと理解して受け入れるまでかなり困難(詳しくはもう幼年少女誌範囲外)なプロセスを経なければなりません。
男子は見た相手への恋愛感情が顕在化していなければ大ラッキーです。ただ、むしろ嬉しさを素直に感じられず、特に全裸をもろに見てしまった場合には羞恥が出てショック状態になりますね。それと相手の泣き顔がきっかけで恋愛感情の顕在化になることも多いです。顕在化している相手なら嬉しいのはもちろんですが、罪悪感とショックが先に立ちます。思春期では自分の性に罪悪感をもつケースが多く、それの対象に好きな子を当てたくないという心理もありますので思い出してしまう自分を責めたりもしますね。
単純な隠し撮りは男子女子ともに相手の写真を身につけておきたいからです。これの理由には無意識での類感呪術としてと相手の顔をいつも見ていたいからの両方があります。意識的に呪術のためにと言うのもありますが。細かい状況についてはスキンシップの状況に関連して後述します。
普通の写真の使い方ですが、生徒手帳や財布などにいれて持ち歩いたり額にいれて引き出しに隠したりがあります。それを見つめてうっとりしたり話しかけたりするわけです。話しかけたりキスしたりするのは無意識の呪術ですね。単に見るのは相手の容姿に対する美的な鑑賞の意味があります。
盗撮とは裸体やそれに近いものに対するのぞきに写真が加わった行為です。言うまでもなく犯罪性はより高まります。また、その写真を売買することもあります。のぞきと重複しますが、動機には単純に好きな女子の裸身を見たいと言うのと単純な無差別、金の為や脅しによって等があります。
ここでまとめておきますが、視覚には色々な補助装置があります。望遠鏡や双眼鏡、望遠レンズ付カメラやビデオ、暗視装置など。望遠鏡はのぞきや一方的に遠距離から見つめるのに、望遠レンズ付のカメラなどは隠し撮りやのぞきの盗撮に、暗視装置は完全にのぞきのために使われます。また、小さい頃のお風呂の写真を女子が恥ずかしがるというのもあります。ほほえましいエピソードです。
男子が泣くのは泣き虫なキャラクターでなければ特に悲しかったり悔しいときで、家族の死やスポーツなどでの敗北、失恋などですね。女子はこれを見ると気になり、その男子が可愛く思えます。反面、涙を見られた男子は普通強い屈辱感を覚えます。
女子は結構泣くシーンが多く、それを見ると男子としては優しい場合には同情と悲しさを感じ残酷な男子は強い不快感を抱きます。泣きやんで欲しいという困惑が何より強く、自分のせいだとしたら罪悪感があります。また失恋したのをいたわる場合はあえて泣かせることもあります。この場合抱きしめたり袖で拭いてやったりして相手を安心させることもあります。
どちらにしても泣きだすというのは感情が押さえ切れなくなって暴発した状態です。まず必死で我慢しようとし、自分の強いところを相手に見せようとします。でもそれが通じなくなり、感情が堰を切るのが恥ずかしく、でももう押さえられなくなって涙がこぼれ、その瞬間相手に抱きつくこともあります。泣き顔を相手に見せるのは屈辱でもありますが、それだけにプライドの壁が破けて相手に心を開く状態になっていることも重要です。そうなると今まで押さえていた感情もついでに放出され、恋愛だけでない思わぬ告白になることも。そして泣きやんでいく段階ではしゃくり上げて疲労感に身を任せ、同時に相手に対しては幼児に戻ったようにもたれかかることになります。
聴覚的接触は相手の声や心拍音を聞くことです。
声を聞くのは無論会話ですが、それには内容だけでなく相手の声に触れることも大きいです。例えばよくあるケースでは電話で相手の声を聞き、言葉が内容になる前から安心して涙ぐんでしまうことがあります。
心拍音は抱き合った状況でしか聞くことはできません。それも身長差を考えますと女子が男子の心音を聞く以外はないでしょうね。男子が女子のを聞こうとしたら前からだと胸に顔を当てることになり、背中からでも普通ないです。これは深いコミュニケーションです。赤ん坊を抱いているとき、母親の心臓の位置に頭がくるようにするのは子宮内でずっと聞いていた心音をまた聞かせるためもあると聞いたことがあります。男子のどきどきを直接聞き、確かめる事ができるのですから。
また、一方的に聞くことでは放送によって聞くケースもあります。学校内の委員会や放送部、芸能界のラジオ放送などで。
聴覚の補助装置にはテープレコーダーやそれと同じ機能をもつもの、マイクによって発する音を増幅する装置(単純なメガホン含む)、盗聴等のために小さい音を大きくする装置等があります。使用頻度は低いです。
嗅覚は人間がほとんど忘れている感覚です。が、本来は結構敏感なもので、それは野宿を3日ぐらいしていればよくわかります。そしてそれだけ心の原始的な部分に深く結びついています。その分都市文明生活をしている人間は必死で追放しようとしていますが、その原始的な部分と結びついていると言うのは反面性との結びつきが強いと言うことで、幼年少女誌ではぼかしてありますが性的な興奮と匂いの関係は大きいです。どきどきする、と言うのも身も蓋もなく言えば性的な興奮の一反応でもあるわけですし、恋愛と性との無理な切り離しは作品上はやむを得なくても分析上は邪魔になります。少なくとも互いに全てではなくとも最も大きい部分なのです。
嗅覚的接触には相手の髪の匂い、汗臭さ、服に染み付いた体臭、密着時、香水や化粧品があります。
味覚は余りスキンシップとは関係ないです。ディープキスもまだ全面解禁とはいっていないですし、まして体への口での愛撫は・・・せいぜい涙を口で吸い取ってやるとか相手の作ったものを食べるとか程度でしょう。もっと広義で考えますと一緒に食事をする事も含まれるかも知れませんが、それは相手を味覚で感じているわけではないです。
細かく触れませんが、感覚は直接のスキンシップ以外にもムードの演出としても重要です。その点については補講で。
それでは今回はこの辺で。レポート、と言いますか皆様に考えて欲しいのですが、「独りで立てない人間には恋愛をする資格があるか」は皆様どう思われますか?無期限で考えてみてください。