パターン分類9-7
遅れて申し訳ありませんでした。今回のテーマがとんでもないものだったことに初めてから気付きまして。これを本気でやるとしたら博士論文級の仕事でしょうね。それ以前に明らかに未開拓分野といいますか、タブーの匂いがぷんぷんします。参考文献が全くないんです。遅れたいいわけになりますが、本当にどうやっていいか見当もつきません。今やっている方法も後になると多分馬鹿やったとしか言いようのないものであるでしょうし、僕自身の経験も人格も知識もこのテーマをやるだけのものでは元からないのは明らかです。でも一種の使命感でやるだけやってみました。どうか御自分で考える参考にでもしてみてくださいませ。
んちゃ、講義を始めます。出席カードを回してください。
今回はスキンシップの状況別分析に入ります。
状況についてはもう何度も講義しているので詳しくは省きますが、出会いから気持ちが育ち、恋愛感情の顕在化から告白、そしてつきあい始めるとなります。その全てでスキンシップは強い関わりを持ちます。心理分析についてかなりの重複がありますが、ここできちんとまとめておくためです。
出会いにおけるスキンシップは大体がぶつかって倒れた拍子に胸に触ったの類です。当然その時の感情は女子のほうは−になります。男子のほうは一目ぼれで+、喧嘩で−のどちらかです。典型的な出会いとしては肉体関係からいきなり始まる恋と言うものもあるのですが、それは幼年少女誌範囲外です。具体的に言いますとハプニングのからむ出会いとしては基本が転校生と校門、その変形として電車、同居、のぞき等。やや性質の違う出会いに看病など。出会いの段階におけるスキンシップと性に関する心理を分析してみます。まず少女マンガでは出会いの段階における女子の成熟度は思春期前期が多く、かなり未熟です。同じ未熟でも非行に近い形でセックスの経験が先立ち、傷つくことのみ多くて精神的に未熟なままというのは範囲外(サブキャラエピソードとしてはある)になります。言い換えると経験的には未熟であると言うのが必須になるわけです。思春期以前の話は別に考え(それでは性の概念自体関係ありません)、思春期に入ったばかりの女の子について考えますと全く性について意識していないか、意識はしているけど嫌悪感が先立っているかです。意識していない時には単なるドキです。意識して、それが理解できず、受け入れられなくて同時に男子に対する軽蔑と嫌悪があるときには男子との接触を不潔なものと感じます。それは一般的な教育においては正常な羞恥心の発達段階の一つであるとされ、未熟な思春期においては身を守るためにも重要なものです。非難するべきものではありませんが、過剰になると後にその段階を卒業できなくなり、無理な禁欲、純潔主義に走ることがあり危険です。教育の側もその点は注意すべきです。それが先に立っているため少なくとも意識としては単にキスに憧れると言うのはありますが、性欲という形はありません。男子は少し早めに精神的には性欲が芽生えますがセックスの概念を知らない、もしくは性教育やメディアによって知識としては知っていてもきちんとイメージできない段階ではむしろ裸、そして下着を見たい、そしてできれば触りたいと言うのに集中していることが多いです。それが女子にとっては汚らわしく思えます。また、男子にとっても初めて女子の体に触れてしまったことが何らかの変化を起こすこともあります。
顕在化以前が多いのですが、何らかの関係ができるときにもスキンシップが仲立ちになることは多いです。よくあるのが痴漢の代償として奴隷にするとか(結局痴漢自体誤解だった)です。そこから恋が芽生えていくときもスキンシップによるものが多く、男子がいきなりキスしてその時には反発するけど後にその負の意識がひっくり返った(「愛の反対語は憎悪ではなく無関心」よくも言ったものです。そういう意味では本来ないですが、愛という言葉についての議論は複雑です、アガペーとエロースに単純に分けるだけじゃ正確さを欠きますから。もうマザー・テレサも一周忌ですか、改めてここでご冥福を祈らずとも御座近くに額ずいていらっしゃるのでしょう)り既に出会っている間柄でもハプニングによるスキンシップやのぞきがきっかけで関係が変化したりして、対立的な又はよそよそしい感じになることが多いです。また、感情に関わらず近しい関係に(意思と関係なしに)なることも多いです。同居を始め学校での席が隣になる、通学電車が一緒になって否応無しにしょっちゅう密着することになる、手錠でつながれる等。これは間接的で通例作中は暗示に止まりますが、互いの人物器量のみならず性に対する理解を深めることにもなります。
また、顕在化以前の友達状態において喧嘩友達で男子が弁当のおかずを横取りするようなじゃれ合いに近い触れ合いもよく見られます。それ自体は別にどうということはないのですが、何かのきっかけで変化するとそこが話の始まりになります。
顕在化のきっかけがスキンシップであるときには接触による官能が引き金になるのと魂の触れ合いとしての効果からであるのとの両方があります。官能は少女マンガでは「どき」のみで表現されますが、それが抱きしめられたりして極めて強くなり、制御できなくなって何が何だか判らなくなって混乱し、からかい役の助け等で「〜が好き」と言葉で感情が表現できるようになるようになるケースもあります。魂の触れ合いとしてのスキンシップですが、これは結構難しい問題です。ぼろぼろになっているときの慰め、緊急事態などでこの面が強くでてきます。また、性的接触にその面があることは中々実感できるものではなく(そんな意味はないとおっしゃる方も多いでしょう)、その点も非常に難しいです。
恋愛感情の顕在化と性的な成長の関係は非常に難しい問題です。専門家ではない僕にきちんと説明できるか判らないのですが、やるだけやってみます。大抵は肉体的な成熟が一番早いです。それに次いで男子の性欲があり、通例そこから始まるのは前述の通り。同時に起きることもありますが、通例は恋愛感情だけを表に出して性については無意識もしくは象徴表現に押し込めます。更に性的な覚醒状態にしても漠然とした官能がある状態からそれを言葉としては認識した状態、両性の本質を情緒的にも生理学的にも理解した段階、更にそれを受容した段階となるわけです。現代の現実としてこの最後の二つに一生至らない、もしくは性体験後、高卒後やそれ以上になる事もよくあることに注意してください。単純に耳年増と言いますか、情緒的、肉体的には未熟なのに知識のみ、それもメディアによるいい加減なもののみが発達してしまっているケースが現実には多く見られます。尚、用語の統一も取れていないですし、ましてそれときちんとした学問的な用語とは関連はないのでややこしいのですが、これは前述の通り参考文献もなく、一人で手探りするしかない状態です。「正常な恋愛と性の発達、そして統合」は何だかタブーのようですね。あくまで不純異性交友とか性非行とか、よくないものと決め付けて一番理想的な形ではどんな発達になるのかの研究をなおざりにしている気がします。その手の性教育に関する本は全て経済的自立以前の恋愛にもとずくセックスについては否定的です。デメリットが多いことも確かですが、互いに高め合う恋愛の理想像の構築さえできないと言うのは余りに悲しすぎる気がします。現実はそれほどまでに絶望的なのでしょうか。
具体的な状況についてですが、女子男子それぞれ恋愛感情の顕在化の有無と性的な発達があります。その組み合わせは膨大ゆえ、ここで全てを議論するのは冗長のきらいがあります。補講で暇があったらきちんとする、で今はお許しください。ここでは概論に止めます。一般的にですが、恋愛と性とを意識の上で切り離し、意識していなかった相手に対する性的興奮をときめきと言う形に限定して別物として顕在化のきっかけになることが多いと思われます。
女子の恋愛感情と性的な発達の関連ですが、恋愛感情の顕在化は上記全ての性的発達段階で起き得ます。
全く性に関して未熟な場合には恋愛感情にも鈍感なことも多いのですが、恋愛感情が別のものとして扱われることもあります。理想化された無垢がキャラクターとしてできていることも多く、その場合には手をつなぐなども全く性的なものなしに進行することもあります。また、小学校低学年以下の思春期以前における恋が描かれることもあり、それは性が潜伏している以上疑似的な恋愛ではないか、とも思うのですが純粋なものです。故に理想化される度合いも大きく、そこから一時転校で別れ、再会という形になることも。後述しますがお互い性的に全く未熟な状態でつきあい始めた場合には後が大変です。またその恋が憧れであることも多いです。そのため性的にその段階でしかないときに別の段階の男子とつきあい始めると・・・後述。ここではスキンシップは単に安心感を与え、親しみを示すものでしかないです。関係ないとも言えます。
思春期に入りかけたあたりでの漠然とした官能ですが、それは通例羞恥心の変化が指標となります。幼なじみの場合そこから関係が不安定になります。ここではスキンシップが強い反応につながり、それが何を意味しているのかも判らず男子に対して強い不安と恐怖と嫌悪を感じ、また自分も肉体的な発達によりそれが不安になります。精神的には不安定で、憧れだけの恋に陥り易い面もあります。同年代の性欲だけが突出している男子は間違いなく最も嫌悪すべき存在です。不潔で乱暴でHで等、否定的にとらえます。まあこれには男子にも個人差があり、より大人っぽくて(大人はがつがつしていないからですが性欲がないような印象を持っています。作中の大人っぽい、知的な男性(主人公の年齢+3〜25位)には性的な感じは全くありません。逆に35以上になってきますとオヤジとして嫌悪間の対象になることが多いのですが)素敵な男子も逆に子供っぽくて安全な男子もいます。その状態でまず憧れの対象に対する恋愛感情を体験するわけですが、それは官能を排除した純粋なものと自分では思っています。しかしたまたま手をつないだり一緒に歩いたりするとどきどきする事は無論あります。それがきっかけで「好き」という言葉でそのときめきを表現することもありますね(この時にはそれは性とは切り離されています)。この時に抱きしめられる等、相手が性的に求めてきているのを感じ、相手もやはり生身の男性なんだということを知るケースもあり、それは裏切りと感じます。無論裏切りではなく勝手に理想化したほうが悪いと思いますが。また、別のパターンとして軽蔑の対象でしかないはずの同年代の男子に対してときめきを覚える事があり、それは無論大きな戸惑いを起こします。そのときめきはしばしばハプニングによるキスなどや事故や急病による搬送と看病、成り行きデート等のスキンシップによって否定を破るほどに強まります。ですが未熟ゆえに自分の感じているときめきが何か解らず、互いに助け合いながら発達する恋愛感情と性の両方に対して混乱と否定が起きます。そこから恋愛感情だけを分離する形で受け入れ、性的な面を押さえ付けて純粋な恋愛として顕在化、つきあいに至ることが多いです。幼年少女マンガの大半はこれと考えていいでしょう。
言葉としては認識した状態についてですが、性教育が発展してくるとこの段階で初恋を迎える女子が多いと思われます。つまり実感なしに知識のみの状態です。この状態ではスキンシップにおいて自分の感じているときめきこそが性的な官能であることまでは理解していませんし、受け入れることもできません。上の延長線上にあると言ってよいでしょう。また、きちんとした書物や性教育によるものではない、ポルノメディアやそれに近い子供向け大衆誌、子供同士の噂話の類(これは盲人が盲人の手をひくのと同じで、間違った方向にしかいかないことが普通です)による知識のほうが優越していることのほうが残念ながら多いです。これについては後述。ここでは体験としてのスキンシップと知識がつながっていないので、知らない状態と同じく認識できず混乱します。ただし言葉とはいえきちんと解っていれば実体験を理解するきっかけになる事もありえます。普通はそういう解釈を否定し、恋愛感情ともども(「私は彼が好き」と「私は彼との接触で性的な快感と精神的な安心感を感じている」この二つの命題は直結しています)押さえ込んで反発を強めるか別の解釈をしようとします。そしてスキンシップによる興奮から恋愛感情の顕在化になる事も多くあります。そしてそれが顕在化に付随して(暗示に止まりますが)性の情緒的な理解につながることもあります。
情緒的にも生理学知識としても理解している場合ですが、ここまで中学生で至るのはやや困難でしょう。この場合には逆にそれを恋愛感情を否定する為の逃げ道として用いることがあります。単に自然な肉体的反応だから恋愛とは関係ない、と自分をごまかすことができるわけです。その場合には恋愛だと確認するのに、トラブルで相手と離れる悲しみを噛み締めるなどのステップが必要とされます。またこの状態では下と違って自分と男子の性に対して否定的な感情があり、つきあいはじめた後には重大なトラブルが生じます。理解はしているのですが自分の事としてきちんと受け入れるのには恐怖と嫌悪が先立ち、目の前の男子を恋愛と性の対象として見ることができないです。この状態でのスキンシップですが、性についての知識がある分恐怖感が具体的な形になっています。特に同居など二人きりの状況で相手と距離が近くなり過ぎ、相手が紛らわしい動き(緊張時に立ち上がったり単に暖めるために肩を抱こうとしたり)をしたときに誤解して強い反応をすることもあります。それは男女双方に強い影響を与え、妄想(女子は誤解でイメージとして、男子は性知識がある場合女子が何を考えたか察して)ですが性交渉の相手として相手を意識し、それが恋愛感情につながったりします。これは幼年少女誌の範囲からはもうずれていますが、そう解釈できる状況は見られます。またこの時期に限りませんが、守ってくれる人に対する恋愛も結構見られます。顕在化のきっかけとしても大きい要素です。このあたりは統一的に議論できていないですね。そして、この段階に至るきっかけであるスキンシップが同時に恋愛感情の顕在化のきっかけでもあると言うケースが多く見られます。無論扱いは暗示的ですが。
男女両方の性について完全に理解し、受容・・・性的自己同一性の確立に至るのは現代においては困難を極めます。まして中学程度ではよほどのことがなければ難しいでしょう。ここまでいくと大人と余り変わらず、恋愛についてもきちんと対応できます。ある意味完成しており、これを少女マンガで扱う意味はないです。
不完全なのに理解していると多いこんでいるタイプにはメディアの投稿や友人間の噂のようないい加減な情報源を鵜呑みにしているケースが多いです。現実には中学生から高校生、大学生になってもこの形が多いのではないでしょうか。外見上は大人っぽく見え、かつ自分でも大人と思い込んでいる分たちが悪いです。この場合には背伸びがとんでもない危険につながる事があります。具体的には単にかっこいいだけの男に憧れの恋をし、そして性的な要求にも応じることが愛だと勘違いしてしかもそれが大人の証拠だと思い込んだりするケースは現実にも多いです。作品上ではここで今まで相手にしていなかった年下や同級生の男子に救われ、それがきっかけで今まで相手の幼さから軽蔑し、意識していなかった恋愛感情の顕在化に至るパターン{リトル・ナイト}が多いです。その顕在化には恐怖しかなかった襲われかけたときのとは違う愛情のこもった抱擁等のスキンシップに安心感とぬくもりを感じ、それは性的な成長にもつながります。
男子についてですが、女子との大きな違いは女子に比べて極めて強い性欲の存在と無差別性、男性用ポルノメディアの圧倒的充実があります。
それぞれについて少し触れておきますと、男子の性欲は本当にどうしようもないほど強いものです。それはセックスの概念を情緒的(感覚的)にも理解するまでは前述の通り女性の下着や裸が見たい、そして触りたいという形になります。そして抑圧も普通は女子ほど強くなく、友人間の会話でも当たり前のように語られます。理解が進んでからは特につきあっている相手がいる場合には女子にはとても想像のできない我慢をしています。
無差別性についてですが、これはもう人体構造的なものとしか言いようがないです。単純に女性は一年に1〜2人しか生み出せませんが男性は最大数を考えるのも嫌なほどです。そして、彼女がちゃんといてもどうしても誘惑には弱くなり、ましてくっつく前では誘惑されたら弱いものです。
男性用ポルノメディアについてですが、小中学生は「進んでいる」者や上級生等によって与えられるもの(なぜかそれが人間関係における上位の主張になりがちな面も注目すべき)で、雑誌(ヌードグラビアによって裸に対する欲望を満足させ、ものによっては読者投稿によって極端な性交の描写にも触れることがある)、コミック誌(青年誌レベルでも性描写は多い。成年誌となるともう大抵は歪んだ性交をたたき込まれることに)、場合によってはアダルトビデオを見せられることも。自分で見てしまう物では深夜テレビ、普通のドラマでもHシーンがあるもの等があります。またゲームも貸し借りと自分での入手(ゲームセンターでも)の両方があります。これが目につくために悪影響があるとされてあんな運動があり、法律や条例ができたりしますが、もともと止めようがないですから悪影響が出てくる前(信じられないほどの早期)にその間違いを指摘し、きちんとした性教育をしておいたほうが良いと思いますがそれを連中に言っても無駄です。女子向けのポルノは余り見られず(同人誌のやおい位しかないようで。無知ですが)、極端な差が見られます。女子は無論男子のポルノメディアとの接触に対して強い不快感と軽蔑を感じます。好きな男子がいる場合、その相手だけはそんなものには関心がないと信じ込むケースも多いです。
全く無垢な状態については女子と同様です。
漠然とした官能がある状態ですが、これは女子の着替えを見たり普通に何気なく接触したりして変にどきどきする等の形になります。それ以前から悪友によってポルノメディアとの接触があり得、それとは乖離して感じられます。結構純粋な面もあり、恋愛と性を切り離そうとすることが普通です。クラスメートを性の対象としては見ません。その理由には彼女らの体形がポルノメディアのモデルに比して貧弱であることと無意識に近い罪悪感及び恋愛感情がある場合の神聖視があります。年上の女性に対して憧れであると同時に性的な意識を強く持つことがしばしば見られ、それが恋愛感情に近いものになっているケースもあります。その場合には普通三角関係を形成し、最終的には同級生のほうに対して感じないようにしていた女としての意識と恋愛感情を同時に顕在化させることになります。その時の年上の女性の対応ですが、完成した大人の女性であって真摯に対応するケースと全く相手にしないケースがあります。そこで同級生のヒロインに慰められ、それがきっかけでその相手に対する恋愛感情の顕在化に至る事が多いです。その時に慰めのためにスキンシップが使われることも多いのですが、その性的な意味は通例暗示に止められます。本当にくっつくパターンですが、その場合には年上のほうは年齢及び肉体的成熟度と精神的成熟度にギャップが見られます。一般に男子はこの漠然とした状態ではスキンシップに対して意味不明の羞恥があり、ハプニングや何らかのやむを得ないこと(搬送など)で接触した場合感じるときめきを理解できません。それが顕在化に至るときにしばしば性的にも相手をはじめて女性として意識し、恋愛感情と性意識が実は互いに影響し合いつつ育っています。無論それは隠されていますが。手を握ったとき、感触と共にどきどきする興奮があり、それでその相手のことを意識すると言ったシーンは結構多く見られます。
性について言葉としては認識した状態ですが、ポルノメディアとの接触が多い場合間違った意味でここに至ることもあります。その時には女子に対する思いやりに欠けた言動も多いことに注意してください。無論ポルノメディアが悪いのではなく、それを受け取る側との相互作用次第で良いことも悪いこともあるのですが。この段階では実感が伴わないため、同級生との接触で感じることと知識との統合が上手く取れていません。それに対して恋愛感情というレッテルをはってしまうことも結構見られる気がします。
生理学的にも情緒的にも理解した段階に入ってからは自分の感じているものが性欲に他ならないと一応理解しています。しかしそれは恋愛感情との統一が取れず(性欲の無差別性は一対一対応を要求する恋愛感情とは矛盾)、ロマンチストは否定的にとらえて意識的に恋愛と分離させ、性はポルノメディアに限定しようとします。そしてしばしばスキンシップの際に(意識していない恋愛感情がある)相手に感じたそれを性的なものと感じることを拒否し、そのことがきっかけで顕在化に至ることがあります。言い換えますと女子ではより強いのですが、ときめきという言葉を性的興奮から極端に切り離してしまうわけです。恋愛を神聖で良いもの、性を汚くて悪いものととらえてしまうことは多いです。そしてその切り離したときめきを感じ、はじめは何でもないと拒否していたけれども(これもスキンシップがきっかけであることが多い)認める結果になります。
性的な自己同一性の完成は男子にとっても結構かかります。この状態である男子が関わってくることは{青い鳥は近くにいた}等の年上三角関係以外ないでしょう。
ポルノメディアとの親和性が高い男子が歪んだ状態になりやすいのは無論です。しばしばそのような男子は性としての女性を快楽をもたらすものとしか考えず、恋愛を児戯として否定することもあります。ロマンチックな男子がそれゆえに恋愛と性との分離に傾くことも前述の通りです。これに関しては幼年少女誌では直接的には扱われず、僕自身の理解も不足していますのでここまでとします。
顕在化してから告白するまでですが、ここでもスキンシップが思いを深めたりトラブルを解決するために使われたりもします。また顕在化している状況ではしているほうにとって相手との接触は手が少し触れた程度でも大きな事で、過剰反応からからかわれて否定し、誤解になることもよくあります。女子で態度が素直になっていないときには負の過剰反応(大したことではないのに思い切りひっぱたく等)があり、それはトラブルのきっかけになると同時に関係を変化させるきっかけになることも。男子の場合しばしば相手を神聖視し、性的な対象にしまいとする心遣いからかえってトラブルになるケースも。これはつきあいはじめた後のところで詳述します。
告白において、気持ちをほぐすためのきっかけとしてスキンシップが使われることがよくあります。大抵ハプニング系の接触からで、その時に羞恥が逆療法に近い形で告白自体の羞恥を吹き飛ばしてくれる等。また、告白で上手く行った直後の興奮状態に乗ずる形で抱きついたりキスしたりすることもあります。それはむろん愛の確認になり、思い出をより強いものにします。
長くなりますのでつきあいはじめた後のスキンシップについては次回。
本当に内容が下品なのは勿論、重複や内容の間違いなど、欠陥が多いことは判っております。具体的なスキンシップのパターンについてもほとんど挙げられませんでしたし。それも次以降、場合によっては補講に回します。プラトニックラブについての見当も次回以降になりますね。何より心苦しいのはこの議論の要点と言いますか、何が中心的な問題なのかをはっきりと示して体系的にまとめることが結局できなかったことです。
レポートとしてといいますか、このテーマについては特に講義が完全ではありませんので御自分でよく考えてみてください。
それでは今回はこの辺で。御静聴深謝。