「恋するパワー」(大石あきら)&「マジック・ピンク」(白沢まりも)SS
Petite days

 休講で開いた午後、海まで出かけたのはほんの気まぐれだった。
 自転車で二十分、近くはないがそれほど遠くもない。
 読みたい雑誌はもう読んだから、コンビニにもあまり寄らずに少し狭い道をひた走る。MTBの多段変速が上り下りの激しい道では助かる。

 少し肌寒い春の風。海はお世辞にも青いとは言えず、どんよりしていた。
 やるせなくなる汐の香を吸いながら、防波堤沿いの道を少し飛ばす・・・と、ふと骨董屋を見かけてブレーキをかけた。
 もちろん日本刀があればな、だ。買う金などないが。
 店内を軽く見回したが、意外に片付いている。
 刀はないようだ・・・奥まったところに鍔や小柄は少しあったが。はずれか、と苦笑しつつ窓側を見て、ふと指輪に目が止まった。 
 石が窓を向いている。仕方ないな、と放っておけない性分が顔を出し、手にとってみる。
 目を引かれる青。今日は空にも海にも見られない青・・・
 ちょっと左手の中指にはめてみた。
 やはり似合わない、苦笑しながら外そうとしたが・・・外れない。
 救急車でも・・・まあ、ここで騒ぐこともない。
「すみません、これ」
「あれ?値札がありませんね・・・600円です」
 別に何も言わずに払い、店を出るともう少し海沿いを走ってみる。
 少し海の色が変わっているようだ。

 買い物かご(初代のママチャリが壊れ、MTBを買ったときにわざわざ注文してつけた)に袋を積んで、山のふもとにある結構きれいな大学生一人暮らしにつく。
 鶏肉と魚、キャベツと小松菜を冷蔵庫に放り込み、重いリュックをベッド脇に置いた。
 水を軽く飲むと、上をジャージに着替えて風呂の残り水をジョウロにくんだ。
 アパートの脇の狭い道を通り、裏へ。そこは数歩四方の狭い斜面で、そこからコンクリの崖。下は隣家の庭、そして山から下る小さな川だ。
 草ぼうぼうだった斜面を勝手に耕し、レモンバームとセージ、マリーゴールドなどのハーブやいくつかの花を植えている。
 だが最悪の乾きやすい土は、曇りにもかかわらずもう乾ききっていた。
 二往復か、と苦笑しつつ水をやり、戻って風呂の水を汲んで残りを済ます。
 またヤブガラシの芽が出ているので、耕しているときに拾ってずっと使っている太さ7mm、長さ30cmほどの鉄筋を使って掘り、地下茎をつかんで引っ張った。
 一メートル近くずるっと出てきたのを脇に放り、下宿に戻る。どうせこれも、トカゲのしっぽだろうが・・・

 手を洗ってほっこりして、やっと指輪に気がついた。
「外さなきゃな」
 石鹸を塗って回してみる。取れない。
「くそ」悪態をつくと、リュックの緊急道具入れからニッパーを取り出した。
 そのとたん、指に激痛が走る。
 なんだこれ!指がもげる!
 痛みは始まったときと同じく、突然収まった。
 そして指輪が光ると、真っ青な服を着た、身長20cmぐらいの女の子が飛び出してきた・・・
「アンタっ、これで何人目よあたいを切ろうなんて!せっかく願いを聞いてやるってのに!」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なんか顔が笑顔で硬直してしまう。
「男の子か・・・まあいいや、三回までかなえてやるよ。願い事!」
「じゃあ・・・」
 もちろん思い出したのは「ああっ女神さまっ」である。
「君にずっとそばにいて欲しい」

 九割がた冗談のつもりだった。まあ指輪から妖精が出てきている、という時点で十分冗談のような状況なのだが。
「バカ!なに考えてんのよ、このスケベ!」
 真っ赤になって怒ってる。
「いや、そうじゃなくて、一人暮らしって結構淋しいから話し相手でもいてくれると嬉しいかな、ってことで・・・」
「絶対大きくなんかならないからね!」
「別にいいよ、そんなの。だめかな、やっぱり・・・」
「しかたないなあ、これで一つめだからな!そうだ、あんた名前は?」
「石橋知解」
「あたいはメル。とりあえず、よろしくな!」
「うん・・・あ、洗濯物!」
 六時を回り、外はすっかり暗くなっていた。
 俺はテレビをつけると、ベランダに手だけ伸ばして洗濯物を取って、ハンガーから外してベッドに盛った。
「へえ、一人でやってるんだ。フツーは男の一人暮らしって」
「部屋中ゴミだらけでパンツからはサルマタケ?あいつならそうなるかもな」
「誰なら?」
「兄」
 話しながら数枚のタオルと枕カバーを畳み、クローゼットを開けてダンボールを重ねた棚に分けて放り込む。
 あ、夕刊忘れてた!
 取るついでに今日使ったタオルを洗濯機に。
 戻ると「大学演習 群、体、環」「Lagrange 形式と Hamilton 形式」「基礎物理化学」「ドイツ語基礎文法語法II」と独和辞典を机に戻し、借りてきた「聖書偽典、外典2」「民事訴訟法」「山岡荘八全集 柳生石舟斎」「偏微分方程式入門」「里山の薬草、毒草」などをベッドの近くに積んだ。
「そんなに読むの?」
「まあね。」
 夕刊を広げ、ニュースを聞くともなく聞く。
「フセインも懲りないな。まあ、代わりがいないからアメリカも無理はできないけど」
 いつもなら独り言。でも今は・・・
「それ、ひとりごと?」
 返事が返ってくるのが、なんとも言えず嬉しい。
 声はそっけない感じだけど。
「ええと・・・話しかけてるような、独り言のような」
「どっちかはっきりしな!」
「ごめん。」
 おこりっぽい奴だな。
「第一ニュースなんてわかんないッ!他の話にしな、たとえば」
「たとえば?」
 しばらく間が持たない。天気予報が流れる。
「夕ご飯どうするの?」
「あ、そろそろ作らないとな」
「自分で作ってんの!?」
 なんかこうびっくりされると・・・
「まあね。食べる?」
「いい、それより『八甲のおいしい水』ない?」
 ちょっと残念。
「ないけど、ここの水道水は結構おいしいよ。」
 と台所に向かい、コップに汲んで渡そうとした。
 それで気がついた。コップは身長20cm前後の彼女にとってバケツ・・・いや、高さは風呂桶並みだ。
「持て・・・ないよね」
「あたりまえだよっ!」
 そりゃそうだ。腰まである、抱えきれないコップ・・・というか水瓶に水を満たされたら、とても持てない。
「ちょっと待って」
 少し考える。酒は・・・料理用にはあるが飲まないからおちょこはない。
 ボールペンのキャップ・・・はいくらなんでも、洗っても汚いだろう。
 客用の紙コップを出してシンクを開け、包丁立てからガーバーのピキシーを出して底から1cmほど切る。
 ダメだ、彼女にとっては洗面器みたいなもんだ。
「洗面器?」
 怒ってる。
「ごめん、ええと」
 スパイスなどが入った棚を開けてみる。ちょうどいい・・・ない。
 その隣の、救急箱になっている引き出しを開ける。風邪薬のビンのふたは?
 駄目だ、口切っちゃう。
「あ」
 冷蔵庫を開け、コーラのペットボトルのキャップを外し、洗って水を入れた。
「これでいい?」
 サイズはまあ悪くない。
「すごいニオイだよ!」
 そうだな、コーラの香料は結構強烈だ。水の風味など消し飛ぶな。
「じゃあ・・・」
 もう一度台所を見回し、あ!
 引き出しを開けて、弁当に使うアルミ箔のカップを出し、ちょうどいいサイズにした。
「どう?」
「これならよし!うん、結構おいしいじゃん。おいしい水ほどじゃないけど。」
「ここは山脈のふもとだからね、地下水が豊富なんだろうな。あ」
 ついでで行くか。
「よかったら後で山の井戸の水、試してみる?」
「うん!」
 やっと笑ってくれた。

 あらためて姿を見てみる・・・ツインテールの豊かな青い髪。目も青い。
 同じく青い、袖のないミニスカートのシンプルな服。
 足は青いブーツで、左右で長さが違う。左足は膝まで、右足はくるぶしより少し上まで覆っている。革のような質感だが・・・?
 両腕にはこれまた青の腕輪。
「なにじろじろ見てんのさ!」
「ご、ごめん」
 謝りながら少し苦笑して、冷蔵庫からサバを出し、頭と内臓を出して三角コーナーに放り込み、二枚に下ろして・・・
「本当に全部やってるんだ。」
「一人暮らしだからね」
 手鍋に昆布と水、切ったサツマイモとにんじんを入れ、火にかける。
「男の一人暮らしって、フツー」
「カップラーメンばっか、って千兵衛さんじゃないんだから」
 そういえば山吹先生、いつも千兵衛さんちに行って食事作ったり泊まったりしてたのか、と今頃思いつく。
 それって事実上通い妻?ただの生徒の父兄と教師の関係じゃねえよな・・・
「そうそう」
「へえ、わかるんだDr.スランプネタ」
 いくつなんだ?この指輪を見ると、少なくとも百年は・・・
 ここは武士の情だ、料理に専念しよう。
「何作るの?」
「サバを半分・・・塩焼きも飽きたし、」
 思いついてすぐフライパンを熱し、サバの中骨がないほうを軽く洗って残ったほうをビニール袋に入れ、冷蔵庫へ。
 洗った半身に塩を振り、コショウとカレー粉とタイム、バジルを振ってから小麦粉をつける。
 油を引いたフライパンに皮を上にして入れると、強い香りが音と共にあふれる。
 そろそろ鍋が湧いたか、小松菜を少し出して切って入れ、味噌を溶いてサバをひっくり返した。
「ホントに慣れてるんだ」
「食べる?」
「いい」
 信用してないのか?ひょっとして。

 夕刊をキャスターのついたキッチンラックの上に敷き、そちらに皿や茶碗などを並べて食べようとしている・・・間にメルは部屋にふわふわ消えた。
 食べている最中に戻ってきて
「なんで大事な写真がこんなのにはさまってんのさ!」
 きんぎょ注意報!とチム・チム・チェリー!のテレホンカードと、挟んであった写真!
「あ、それ!」
「なんだ、彼女いるんじゃん・・・あれ?」
「昔だよ。あの頃は80kg以上あったかな?高校時代にダイエットしたんだ。大地震が起きたとき死にたくないし、いざというときは好きな子を守りたいから」
「って、別れたの?」
「別れたんじゃない。最初からつきあってないよ。」
「でも、写真を持ってるって事は・・・片思いなんだ!なんだ、願い事あるじゃないか。」
 そうだな・・・できればいいんだけど
「じゃあ、お願いしようか。
 彼女の記憶から、僕を消してくれないか?」
 メルの表情が凍った。
「どういう・・・こと?」
「彼女にはとっくにふられてる。」
「告白はしたんだ。」
「一応な。でも、返事がないんだよ。多分それは、僕のことを信じてないからだと思う・・・」
 それほど悲しいことはないが、どうしようもない。
「もちろん俺にとっては彼女の幸せが最優先だから、彼女が幸せになってくれるならそれでいいと思ってる。もう二度と、彼女に緊急事態がない限り一切接触するつもりはないし、彼女に恋人ができ、結婚したら心から祝福したい。でも、返事もできないって、彼女にとっては俺がいる事自体・・・俺の事を思い出して嫌な思いとか不安とかないか、不安なんだ。そうだとしたら、俺が生まれてきた事自体彼女にとって迷惑でしかない、ってことになる。生まれてきた事自体が、マイナスでしかなかったことに・・・まあ、実際迷惑かけまくってきたんだけど。
 だから、彼女が僕のことを忘れるようにして欲しい。そうすればそんな心配はなくてよくなるから。マイナスじゃなくて、ゼロになれるから。」
 言いながら、なぜか涙が出ていた。
 我ながら嫌になる、なんでこう自己憐憫でしか涙が出ないのか。
「これが第二のお願いだよ」
 言うと、そのまま食事に戻った。味など感じられなかったが。

「泣いてるの?」
 メルは怒っているようだった。
「気にすることないよ。僕が泣くのは・・・ろくなもんじゃないんだから」
 食べ終わり、すぐ食器とフライパンを洗い始める。食事のたびに洗うのが一番楽だ。
「無理なら別にいいんだけど。」
「できるさ、それくらい!でもさ、泣いてるって事は本当はやって欲しくないんじゃない?」
 そうだな・・・
 でも、僕が悲しいのは僕の勝手だ。それより彼女の幸せを優先しないと。
「手、出して」
 言われて右手を出すが、違うようだ。左手を出すと、指輪がはまった中指にメルは手をかざした。
 青い石がかすかに光を放つ。
 これで・・・もう罪悪感に苦しむ必要はない、のかな。いや、僕が彼女に迷惑をかけたこと自体は消えない罪だ。だが、少なくとも彼女は嫌な思いをしていないはず・・・

 それからしばらく読書をして、九時を回った頃一冊読み終え、いつも通り時計を見て
「さっき約束した、山の上まで行ってみる?」
「うん!」
 いつものランニングの時間だ。さっさと上はTシャツ、下は動きやすくぼろい室内用ズボン。ベルトにコールドスチールトレイルマスターをつけ、鞘の先の輪に通した紐を太股に巻く。タオルを首にかけ、
「まさか」
「そのまさか。走るんだ」
「じゃあさ、着いたら指輪を三回こすって呼んで!」
 と、メルの姿が消えた。
 準備体操をして靴を履き、戸締まりをしてゆっくり走り出す。体が温まる頃には宅地、畑の合間の道を抜けて山に。一気に百メートルほど急斜面を駆け上がり、息が上がる頃舗装も切れて本格的な山道になる。
 明りはないが、月明かりがまぶしいぐらいだ。僕はこの夜のランニングで始めて月明かりがとても明るいと知った。
 五百メートルほど走ると山の稜線に出る。結構なだらかなトレッキングルートを一キロほど走ると、小高く見晴らしのいい山頂に着く。そこに湧水がある。
 息を整えながら指輪を三回こすると、メルが飛び出してきた。
「ここ?おいしい水は?」
 さっきのアルミカップをポケットから出した・・・が、もちろん潰れていた。
「しまった」
 言いながら森に歩み寄り、人がいないことを確かめて・・・腰に手をかけると、左右袈裟が閃いた。
「え」
 指ぐらいの太さの竹が斜めに切断され、もう一撃は節の下を皮一枚・・・とはいかないが、細く残して切っている。
 切り離し、残っていた枝を切ったり鋭くなってしまっている切断面を整えたりしながら井戸に向かう。
「バカ!びっくりさせないでよ」
 仕方ないだろ。大きさもちょうどいいし。
 湧水で洗ってからメルに渡し、僕は手で受けてたっぷり飲んだ。
「でもおいしい!」
 メルが喜んでくれたからよかった、か。
 いつものルートより遠いけど、喜んでくれるならこれからも来るかな。
「帰ったら呼ぶから、指輪で休んでろよ」
 そういってメルが指輪に戻るのを確かめ、帰り道を走りだした。いつも通り、途中にある平坦な場所でたっぷり一人稽古をするのも忘れない。

 帰ってからすぐ風呂に入り、洗濯しながら(二漕式なので時間がかかる)メルの前の主人について、色々話した。
 正直あまりあてにならない気がするが、ちゃんとやればすごい力の持ち主のようでもある。
 そして、タエという女の子の賢明さにも心を打たれた。

 今日はいつになくゆっくり寝られそうだ…彼女が本当に僕を忘れてくれているといいけれど。
 とにかく一人じゃない、というのは素敵なことだ。

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