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救急用品として、こんなのがあると便利ではないでしょうか?人間は呼吸と心臓の動きが止まったら、五分で脳が死にます。でも、人工呼吸&心臓マッサージができないケースも多いです。そんな時、とりあえず脳や組織を生かすために、直接酸素を送り込む事はできないのでしょうか。
要は、心臓が動いていなくとも呼吸がなくとも、動脈から新鮮な、つまりガス交換済みの酸素がいっぱい含まれた血液を動脈の流れる方向に向けて送ればいいのです。その、心臓と肺が行っている「動脈血に圧力をかけて押し出す」「動脈血に酸素を含ませる」を外から自動的にしてしまえば・・・。現在でも人工心肺というのが大手術でありますが、もっと簡易な、ちょっとした(義務教育内で十分できる)訓練だけで、特別な資格がなくとも使える、単に備え付けのメスで頚動脈を露出させ、それに装置を引っかければ自動的にまず外側二箇所で動脈を止め、その途中に切り込みを入れて上下両方にそれぞれ装置に血を吸いこむ管と装置から血を押し出す管を差込み、血がもれないように管を差し込んだ上から固定し、そして止めてあった動脈を開放して入って来る血に酸素を吹き込み、また上に向けて押し込んでやる・・・それでとりあえず脳を生かす事は可能だと思います。
そこまででなくとも、簡単な救命用具が身近に・・・例えば全ての電話ボックスの下に備え付けてあり、緊急時には自由に使えたらもっと便利かも。人工呼吸器具と毛布、精製水、生理食塩水、救急処置マニュアルだけでもかなりのことができるはずです。
携帯できる冷房機は不可能なのでしょうか。昔からある懐炉、現代の使い捨て懐炉など、暖房のほうはごく小さいものまで色々あります。でも同じように、例えば電気髭剃りくらいの大きさの扇風機や、そこから冷風が出てくるものなどがあれば、特に地獄に他ならない夏場の満員電車の中など非常に便利だと思うのですが・・・。
原理的には不可能ではないと思います。携帯用の小型扇風機は原理どころか子供の工作でもできますし、そこに量子冷却を組み込めば冷風を出すこともできるはずです。他にも小さな魔法瓶に液体酸素を入れ、その猛烈な冷気を少しずつ出すようにする事も可能だと思います。何故そのような商品がないのでしょう。
地球温暖化で、何よりも恐ろしいのは温室効果の暴走です。二酸化炭素と並び、水蒸気は強力な温室効果物質ですから、気温の上昇で海水の蒸発が激しくなると・・・そして水が沸騰する温度を越えるともう、止めようがなく温室効果が進んでいき、海水は全部蒸発して金星のような分厚い雲に覆われ、気温は何百度という灼熱地獄になり、当然生物は(現在深海にいて、たとえオゾン層がなくなって紫外線が降り注いでも、強力な放射線が宇宙から降り注いでもまず安全なのも含めて)全滅します。そして二度と元に戻りません。
それを何よりも避けなければならないはずです。他にも、地表の氷が増えすぎて、氷は日光を反射しますから太陽からの熱が反射されてしまって地球が凍り付く事態も避けなければならないのですが・・・そう、どちらも、一体どれくらいの二酸化炭素濃度や太陽の光の変化などで発生するか、その条件がまだ知られていないです。
できればそういった、巨大なスケールの大気、海洋現象に対する研究を進めて欲しいです。
超長期を考えると、地球は人類による破壊を度外視しても決して生物の長の住処ではないです。太陽は熱を強め(太陽は核融合で動いていますが、始めは水素を燃やしていたのがだんだん、水素が燃えてできたヘリウムが燃料に混じってきます。ヘリウムのほうが燃えたときのエネルギーが大きいため、太陽の出すエネルギーは時間が経つに従って多くなります。)ていき、その結果あと何億年かすると生物は住めなくなる、とか後十億年で海水は全部地中に取りこまれ、海がなくなるとか言われていますし、どの道後40億年もしたら太陽が老化してエネルギーを増し、最終的には地球も巨大化した太陽に飲み込まれるとか言われています。その、セ産つにとっての最終的な破局を避ける、そして(太陽の寿命は避けられませんから)生命を太陽系外に避難、否植民する事が人類という特殊な種が地上に生まれた理由だと思うのですが。
何故日本の家屋には、ほとんど地下室がないのでしょう。
防音で温度も一定の場所は、例えばピアノを置いて近所に気兼ねせず練習、とか備蓄物資を入れて安全に保つとか、意外と音を立てるので近所をはばかるトレーニングに使うとか、色々と用途はあると思うのですが。ワインセラーとしても適していますし、単なる物置としても・・・。
そういえば、同じ別のスペースといえば、屋根裏部屋も日本の家屋には見られないですね。
やはり湿気などの問題があるのでしょうか。まあ、伝統の問題ですから仕方ないのですが。
英語雑誌などを読んでいて、非常に苦しくなるのが英語の中の中国語です。例えば日本で、ごく自然に「毛沢東」を「もうたくとう」と読んでいるのが、英語では中国語の発音から「Mao Tse-tung(Zedong)」になります。一時が万事その調子で、特に中国関係の記事など、日本語の新聞でわかっている内容でも誰が誰だか、なにがなんだか全く分りません。日本読みしている中国の人名、地名、概念、その他全てが英語では通用しないのです。
もしアメリカに行って、中国人と会話をする機会があったら(多いと思います)、それこそ日本で日本人が持っている中国についての知識は全く役に立たないのではないでしょうか。例えば三国志について、何を言っても全く通じないのは目に見えていますし、かといって漢文で筆談をする力の持ち主はいないし、もしできても日本で保存された古い漢文は現代の中国人にほとんど通じない・・・コミュニケーションは不可能に近いです。
「昭和天皇」の生涯の全てを、それこそせいぜい山岡荘八「徳川家康」くらいのスケール、量、そして思想で描き切るのは当分不可能なのでしょうか。これができるかできないか、「太平洋戦争」「昭和」その全体を一つの文学として受け止めうるか、これは日本人の精神にとって大きい問いだと思います。
人間の技術、と言いますか・・・SFを実現させる上で、大きな障害になるのが「電池の限界」だと思います。
蓄電池をこれ以上小型軽量、しかも高速充電はできないから、と電気自動車の構想は単純な蓄電池式から燃料電池や蓄電池とガソリンエンジン切り替え方のハイブリッド車などに変形されています。そして、エアカー;空を飛ぶ自動車が実用化されないのも原理や技術、というより、それだけの膨大なエネルギーを発生できる小型システムができない事が大きいのでしょう。
ただ難しいのが、そのエネルギーシステムを評価する基準です。単純な効率、つまり燃料の単位質量当たりで発生できるエネルギーとすれば原子力が最大です。他、仮に単位体積(貯蔵庫を含む)&単位時間当たりのエネルギーとしても巨大な原発が最大になります。でもそれを、それを保ったまま小型化する事はできないです。では1立方メートル以内の大きさで最大のエネルギーを発生できるシステム・・・これも簡単ではないですね。どんな単位で評価すればいいのか・・・。
電池以上の電池、ですが、色々とあるようですけど使いにくいですね・・・。とにかく寿命だけを考えた、太陽電池の支援を受けられない、ボイジャーのように宇宙に飛ばすのには同位体電池が使われていますが、非常に危険です。少なくとも地上で使える代物ではないですね。原理的に最大のものは反物質ですが、これは不可能ですね。ブラックホールもエネルギーを放出するから・・・無理ですね。
言うまでもなく人間の人格や能力などは遺伝子のみで決まる代物ではなく、胎児段階での偶然に支配されると言っていい脳の配線、そして生後の「初期条件に鋭敏に依存する」過程の事実上無限の繰り返しからなる複雑極まりない、予測などできないものだとわかっています。知った上で言っています。あまりにも多くの人が新聞や雑誌の見出ししか読んでいない、それだけが暴走するものだと言う事を考えてください・・・
もしも、現在のヒト遺伝子解読計画が、最終的に「天才」「聖人」「信仰」「連続殺人」「同性愛」「幼児性愛」「邪悪」「独裁者」「長身」「肥満」「美人」「瞬発力」「カリスマ」「精神分裂病」「怠惰」「好色」などの遺伝子を見出したとしたら、人間はそれに耐えられる存在なのでしょうか?適当に並べてみましたが、一番怖いのは「信仰」でしょう。信仰の遺伝子を与えられている、と言う事自体が神によって救われるように呼ばれ、選ばれている証と解釈する人がいそうですから。
上述のように、その遺伝子だけが問題ではない、環境との複雑な相互作用・・・そんな理性は発見のショックの中で跡形もなく消え去る、これは賭けてもいいです。現にいくつか、社会生活や健康に決定的に関わる遺伝子がいくつも発見され、それらは出生、否中絶期限の前に判断できるようになってきています。
でも、それら悪い遺伝子を拒否して、「オーダーメイドの子供」を考える事は許されるのでしょうか?いえ!既にやっているではないですか・・・犬や猫、牛や馬には何の遠慮もためらいもなく。
核廃棄物を岩塩層に封じ込める、という最終処理法が実行に移されつつある、と新聞で読みました。
ダイオキシンを始めとする化学物質や核廃棄物を考えると、今すぐ人類が死滅したら、地球生命圏自体に深刻なダメージが発生する心配があると思います。だから、地球生命圏を存続させることを第一に考えると、それなりの数の技術者と科学者を支えられる人口の人類は必要ではないでしょうか。その点、「人類が死滅したほうが地球のため」と言う極論は誤りなのでは?あ、でも、もし今人類が消滅したら、それら化学物質や核廃棄物がどれくらいの害を自然界にもたらすか、それも計算してから考えたほうがいいのかもしれないですが。地球生命圏が存続できなくなるレベルか、それとも地上から駆逐されて深海部に辛うじてごく原始的な生物が生き延びる事はできるのか、それとも大した事なく、せいぜい恐竜が絶滅した時代程度で済むのか・・・
そして、岩塩層で本当に絶対安全なのでしょうか?まあ、そこは億単位の年月、全く地殻変動レベルの地震がないと言うのも事実ですし、確かに地下水があっては岩塩は溶ける・・・はずですが、もしかして数千年後、巨大な地下水脈がちょうどそこに触れ、汚染されたその地下水が地上まで・・・その心配は絶対にないのでしょうか?
では、確実な核廃棄物の処理法には何があるでしょうか。宇宙空間・・・これなら地球生命圏からは永久に・・・いえ、それも地球重力圏離脱速度でなければならないでしょう。衛星軌道ではいつか落下して地上を汚染する事になりますから。しかも、チャレンジャー事故を始めとするような事故が絶対に許されない、SF等で見られる、コンテナを直接電磁気力で加速し、レール上で充分な初速を与えて打ち上げる方法(現実に可能かどうかは計算していない)が実用化されるまでは無理・・・。では地下の、もっと深いところは?地下水を汚染する心配が絶対にない、まだ人類が達していないマントルの奥深くだったら?そしてその流れに乗せて、地球の底まで運んでもらっては・・・確かにこれは確実ですが、まだ人間はマントルを利用できる文明レベルには達していないです。どの道、今は多分岩塩層がベストなのでしょう・・・。もっと怖いのが安全になるまでの軽く数万年、人類が文明を維持できるかの問題ですが・・・文明と言えるのはせいぜい5千年、そして我々のSETI(宇宙人さがし)が確認できる、電波技術を使った文明からはまだ・・・。あまりにもわずかで、それが後どれだけ存続するか、歴史的には・・・現代世界に蛮族はいないので不確定ですが、あまり希望的な予言はできません。明らかに歴史のタイムスケールとは異なる荷物を人類は持っている・・・。
インターネットは、特に学生の英語力の向上に結びついているのでしょうか?
少なくとも僕の場合、英語の掲示板に参加していますから、それなりに読み書きの力はついていると思います。特に書く際にはそれこそ、スペルの確認と単語さがしに何十回も英和、和英辞典を引く事になりますから、何度か繰り返した単語はスペルを含めて覚えているのでしょう。どれだけ向上したのか、と言う手応えはないのですが、BS放送での英語ニュースの聞き取り能力もかなりアップしてはいます。
最近多くの中学校や高校で、全生徒がインターネットをできるように教育しているそうですが、その際にどれくらいの子が英語ページを真剣に読もうとしているのでしょうか?そしてそれは、英語力の向上にどれくらい関わっているのでしょうか。とうとう日本はTOEFLの平均成績、アジアでビリになったそうですが・・・。
それとも、よほど英語が得意な学生以外、英語ページなど接触しないものでしょうか?
やはり、義務教育のカリキュラムに、医学を加えて欲しいです。以前も言いましたが、性教育と生理学知識、救急処置法などが保健や理科、家庭科、道徳などに分離されている(僕が受けたカリキュラムであり、現行のカリキュラムについては知りません)医学、生理学についての知識を何とか統合して、性教育の統一的な扱いはもちろん最終的には予防、そして早期発見の考え、それに自己診断能力、せめて怪しいと思って病院に行ける判断力をつけておいて欲しいです。
あと、精神医学についての知識も義務教育では全く与えられまえんでした。精神分析の基本的な考え、それと心的外傷とその回復についても、基礎的な事は教えて欲しかったと思います。
フェルマーの最終定理が証明された今、純粋数学には何が残っているのでしょう。もちろんまだ未解決の難問もあります。リーマン予想やP=NP、オイラー定数が超越数であることの証明などが有名ですが…今、それらに対して希望を持っている人は少ないようです。
密接に関連する基礎物理の世界も沈滞が深刻です。SSC(超大型超伝導粒子加速器、強力な超伝導磁石で陽子を光速ぎりぎりまで加速、ぶつけ合う実験を行う。陽子や中性子の更に中を見通そうとする素粒子物理学の最も重要な実験手法で、アメリカが計画していた巨大計画)の中止後、太陽ニュートリノ問題(太陽の中心から飛んでくるニュートリノと言う軽い粒子の数が計算に合わない問題)を除けばほとんどやる事も無く、理論をいじくっている状態です。ノーベル賞も物性物理等の分野や昔、もらい損ねた人を再評価してなどが多く、若い学者が提唱し、すぐさま実験で証明された新理論に対して授与される事も最近ほとんどありません。
基礎物理が解決すべき、量子論と相対性理論の矛盾にこそ数学の根本的なブレイクスルーがあると言われています。でもそこも理論ばかり…量子論と相対性理論を統合した究極理論の有力候補、と言われながらも事実上実験不可能と言うハンデを持つ超弦理論も特別な進展はないようですし…寂しいです。
基礎物理の目指している、究極の理論=この宇宙の設計図を見極めたい、と言う人間の欲求、「真理とは何か」(ヨハネによる福音書18章38節)という人間の最も深い問い、これはもうこれ以上進める事はないのでしょうか。
そして、間違いなく世界を記述する神の原語であり、同時に人間の最も崇高な営みの一つでもある数学も…。
「予定」がどうしても分りません。本当に「救い」が、その救われる人の行いにも信仰にも一切関わりなしに、神の意思だけによって決められ、行われるものなのか、それとも救われると神が決めている人間は、その神の恵みによって行いも信仰も自然に与えられ=どう見ても自発的にしか思えない形で神のほうを向かされているのか・・・。
そして、もしどんな悪人でも救われる事がある、どんな善人でも救われない事もある、その判断は神のすることであり、人間のすることではない(その意味ではダンテの「神曲」はこれ以上ない冒涜ですね、神の専権事項である天国と地獄の割り振りを人の身で行ったのですから)、それも納得できないです。それなら、宮崎被告や松本被告、ヒトラーやスターリンが天国でマザー・テレサやアウグスティヌスが地獄にいるという可能性もある、そんな事を受け入れられるでしょうか?いかに人間が善悪を判断してはならないとしても、それは神のする事だとしても、人間には善悪をを感じる事は、制限はあるにしてもあるのですから。でもそれも児童虐待、ドメスティックバイオレンスなどを罪悪感無しに伝承している家系やストーカーなどの元々良心が壊れているケースがありますから、良心を普遍的なものと思ってはいけないのですが。
でも、もし人間が行為や信仰によって救われるとすると、異教徒の善人やキリスト以前の人間はどうなるのかという「神曲」で強引に答案を出した問題も出てきます。昔の宣教師が苦労した事に、自分達の洗礼を受けずに死んだ親が地獄に落ちるのを尻目に自分だけ天国に行く事が耐えられないから改宗しない、と言うのも深刻な問題です。また、救われないと神が決めた人に同情する事は神に逆らう事であり、だから罪であることと無条件の隣人愛が矛盾するのでは?救われない人間は「キリストの肢体=真の教会の一員=隣人」ではない、のでしょうか?でも「よきサマリヤ人」(ルカによる福音書10章29〜37節)の譬え、そこでの隣人は無条件で、まして相手が救われるかどうかは人間には分らない以上、隣人愛を制限する事は必要ない、してはならない事とも思えるのです。この矛盾はどうすればいいのでしょう。
そして、人間の何%が救われるのでしょうか?マタイによる福音書7章14節、22章14節などからは非常に少ない気もするのです。
そして何より、常に本当は地獄行きに決められているのではないだろうか、という不安に悩まされる事も避けられないと思います。
警察の不祥事が続いています。でも、不祥事が表に出るようになった分、進歩だとも思います。
それにしても、警察、検察、公安ひっくるめて信用できないから破防法や特別立法はいや、オウム真理教は潰して欲しい、では一体どうしろと言うのでしょうか。有効な代案を出して欲しいです。まして組織犯罪対策の盗聴も警察には任せられない、というなら、どうすれば麻薬汚染を食い止められるのか教えて欲しいです。
警察を信頼しない、と言うのは一体どういう体制なのでしょうか?それこそ自分と家族は自分で守る、を徹底するしかないのではないでしょうか。他に何かあるのでしょうか?
傘に鞘があると便利なのではないでしょうか。
前、海外旅行の最中に、傘の先に蛇腹状に収納できる鞘がついているものを見た事があるのですが、独立して刀みたいな鞘を腰のベルトに結び付けることができれば・・・。腕時計をベルトに通し、そのリングに差してみたのですが、とても具合がよかったです。
でも、そのデザインが暴走して外見が無反りの日本刀になってしまったら物騒ですね。多分取り締まりの対象になると思います。でも、外見が刀で中身が傘なのと、外見が傘で中身が刀なのとどちらが罪が重いのでしょう。
仮に、地球の国旗及び国歌に当たるものを考えたら・・・何になるのでしょう。
国旗が国連旗で、国歌がヴェートーヴェン交響曲第九番ニ短調op.125「合唱つき」通称第九でしょうか?
でも、反対も多いと思います。国連旗は北半球中心で、南半球を無視するものと言う批判が当然考えられますし、ドイツ語である第九はドイツ語圏以外の猛反対を浴びるのでは?自国語を神聖なものとする意識が強いフランス、世界共通語の自負がある英語圏、そして中華思想がある中国・・・。
まして、宗教的な問題も大きいと思います。イスラムがクラシックを認めているかどうかは知りませんが、イスラム教徒とキリスト教徒が地球歌について合意に達するとは思えません。クラシックの歌の余りに大きな部分がキリスト教に関係していますし、イスラム教徒は人類を代表する歌はアラーをたたえる歌でなければ承知しないでしょう。地球旗についてもそれは同じ事・・・。
それにビートルズのファンは「イマジン」を、モーツァルトのファンは、ワーグナーのファンは・・・そう考えても合意は難しいでしょう。
そういえば、地球から宇宙へのメッセンジャーであり、異星人に拾われる事も考えて様々な資料を積みこんでいるボイジャーやパイオニアにはどの旗を?やはり星条旗だったのでしょうか。
そして、今後宇宙を意識したとき、地球全体を象徴するには何がふさわしいのでしょうか。
人間の「良心」とは果たして信じていいものなのでしょうか?
例えば万引きや痴漢、児童虐待のように、それ以外の社会生活は正常で、ただその犯罪にだけは良心が働かない、そんなことも多いです。戦場でも人間は慣れにつれて、殺人を始めあらゆる犯罪について良心を麻痺させているでしょう。
また、良心の体系自体が人によって、そして文化や時代によって異なると言う事も多いです。それは価値観とか文化とかの、重要な部分だと思います。宗教の違いが一番大きな例で、戒律が違うと他の宗教の信者や無宗教の事にとって当然の事が許し難い犯罪になったり、逆に絶対に許せないような犯罪を真っ白な心で実行できたりするものです。例えば豚肉を食うと言う当然の事はイスラム教徒にとって許し難い戒律違反であり、罪ですし、魔女裁判は現代人の価値観から見れば許し難い犯罪ですが、当時の人間は最も純粋な信仰心、つまり良心そのものであの残虐非道の行為を行っていたようです。
前に「幼児の正義感」と言う言葉を使いましたが、それには文化は関わりが無いでしょうか?もしかしたら、敬虔なイスラム原理主義者にとってはその、幼児の段階からテロを正当化する論理を叩き込まれ、それを否定するより深い良心など無いのかもしれません。
では…本当の良心とは、むしろヨブ記が訴えているように、人ではなく神に良心の判断を任せるのが正しい、主こそが人間の卑小な良心では計り難い、絶対の善…なのでしょうか?でもそれでは魔女裁判を止める事ができないです。一体何が正しいのか・・・。
それ以前に、「良心」とは果たして意味のあるものなのでしょうか。「内心」と「行い」、それに「無意識」まで含めて考えると、良心の意味や価値さえも否定されそうな気がします。例えば心の中、意識としては冷笑していながら、「心にも無い」善行をする事に価値はあるのでしょうか?その、「偽善」とは果たして善なのでしょうか、悪なのでしょうか?もしそれが偽善であれば何の意味も無いと、パウロは語っていますが・・・。そして、本人としては「心から」しているつもりの善行でも、その心自体悪を無意識に抑圧した結果であることもあります。その場合も断罪されるのでしょうか。それとも「行い」だけの「偽善」であっても、やらないよりやったほうがよく、またそれは心そのもの、そしてその奥の無意識にも何らかのフィードバックがあるのでしょうか。
死刑執行方法について、電気椅子は残酷かどうか議論があるそうです。
残酷かどうか、には死刑囚本人の断末魔の苦痛をどれだけ少なくできるかと、その前後の死体の損傷などをどれだけ少なくできるかの両方の意味があると思います。
例えば口に爆薬を詰めて頭を吹き飛ばす、というのは死体の損傷を見ると残酷ですが、断末魔の苦痛は無いはずです。苦痛を感じる脳が瞬時に消し飛ぶのですから。または衝撃的なスピードのプレスや普通より強力な銃弾(砲弾)を用いて頭部を瞬間的に粉砕しても苦痛を感じる暇はないはずです。
死体の損傷を最低にするのは毒ガスや薬物注射ですけど・・・。
その点電気椅子は・・・残酷である可能性もあります。受けた人間から話を聞けないのが厄介なのですが、狙いは心臓の停止で、場合によっては焼死になる事もあるそうです。でも心臓が止まった後も、それから十秒かそこらは脳は生きていますから、その間苦しむ事になります。その点、銃殺も心臓狙いですし、絞首刑や断頭台も脳への血流を止める目的ですから、脳に血が行かなくなってから意識が消えるまでは苦痛がある、と言う点で同じでしょう。
頭を脳幹を狙って二本の太い針を機械的に(ものすごい力で素早く)突き刺し、同時にその針の先端部を電極として高圧電流を流せば瞬時に脳が崩壊して苦痛なく意識、そしてもちろん命が消えるはずです。また死体の損傷も針の傷と、壊された脳や脳漿が口や鼻、耳などの穴から流れる事はありえますけど一応それほどひどくない、これが理想的な気もしますけど。あ、至近距離から頭を撃つ銃殺も同じ事・・・に見えますけど、頭蓋骨で銃弾がはじかれるケースがあるので確実ではないし、銃弾が抜けた穴が大きく広がるから残酷、と・・・。
そういえば、昔から人間はありとあらゆる処刑法を考えてきましたけど、近代技術を用いなくとも、斧で首を斬る代りに同じ体勢で、大きなハンマーで頭を叩き潰せば斧よりはるかに簡単かつ確実に、しかも苦痛なく処刑できるのに・・・あまり聞かないです。何故なのでしょう。苦痛が無さすぎるからでしょうか。
僕がもし・・・どうせなら原爆に縛りつけて瞬時に蒸発させてほしいです。苦痛が全くないはずですから。
なぜ交響曲に人間の歌を加えた形が、ヴェートーヴェン交響曲第九番ニ短調op.125「合唱つき」通称第九以外、ほとんど見られないのでしょうか。僕が知らないだけで、本当はもっといっぱいあるのかもしれないですが、少なくとも知られている交響曲ではあれ以外無いようです。
他にも、人間の口笛、指鳴らし、拍手などの声以外の体から出る音を活かした曲も見られないですね。なんとなく不足を感じます。
自由民主党の立場になって考えますと、今これだけ自自公連立に対してマスコミ、世論の批判が集中している、その時に衆院の解散総選挙は無謀でしょう。いくら野党がぼろぼろだとは言え、議席を大きく失う危険性がありますから。まあ、それは以前の選挙でも同じ、大敗しながらいつのまにか連立に次ぐ連立、そしていつの間にやら過半数と言う凄まじい粘り腰を見せつけている党ですから、また気がついたらなにも変わっていない、と言う事になっているかもしれないですが…。
でも、どちらにせよ、今の自民党にとって衆議院の総選挙は避けたい事でしょう。かといって、期限は来年の10月に迫っていますが・・・なんとかその総選挙を行わせない方法はないのでしょうか?総選挙さえしなければ、ずっと現在の衆参両院での圧倒多数を維持できるのですから。憲法で規定されているから絶対に選挙になるはずだ、と言う固定観念自体が甘いかもしれない、考えておくべきかもしれないです。
台湾はどうなるべきなのでしょう。独立はやはり無理なのでしょうか。アメリカが結局、独立を支援するか、それとも中国に売り渡すかが一番の問題です。
もし日本に、無論中国にどれだけ非難され、脅されても台湾独立を積極的に推し進める気骨があれば話は早いのですが、残念ながら日本の外交はひたすら弱気ですから・・・。
人類全員で投票するとしたら・・・どんなテーマがあるでしょうか。
まず地球の元首(国連事務総長ではなく)を決めるとしたら誰になるでしょう。ビル=ゲイツ氏でしょうか?それともローマ法王がそのまま?一体誰が地球の元首にふさわしいでしょうか。
それからなにを決めればいいのでしょう?例えば地球全体の憲法を、国連憲章のような形ではなく決められるでしょうか?
そして、昔からよく議論される地球連邦の構想は現実には可能なのでしょうか。
法を守る理由ですが、以前考えたものの他に、「法だから守る」という絶対の遵法精神も考えられます。これは自分の良心を持たない、非常に不自然なあり方ですが、教育次第では可能でしょう。
このあり方の長所はいかなる違法行為もしない事です。人目、捕まる確率の計算、そして自分の良心など全てを無視して法を絶対視するのですから。
短所は、かなり極端ではありますが、もし法が明らかに悪である事を命じたら、それに逆らえない事です。
西洋文明は何故最強なのでしょう。無論現在においてはハイテクローテク、あらゆる兵器と食料を考えられない量生産し、そしてそれを使いこなす高度な教育制度を持ち・・・イスラム原理主義を始め、他の文明圏がどうあがいてもどうしようもない強さです。では、歴史的には?いつごろ、なにをきっかけにしてこの圧倒的な優位が?
まず産業革命。技術革新を認め、促進し、それによって大量生産された銃器が次々と征服を成功させ、領土を広げてきました。
その産業革命の理由は?やはり宗教改革が大きかったのでしょうか?それによってそれまで、技術を押え込んでいた宗教の力が弱まって・・・そればかりではないでしょう。それを言うなら、例えばイスラムもある時代は科学技術の先端でしたし、中国も早くに石炭による製鉄を組織化させていました。それなのに、何故西洋だけが・・・。
大航海時代でしょうか?アメリカ大陸という巨大な資源を手に入れる事ができたから。でも、それもヴァイキングが一度たどり着いた土地です。その時には定着も征服もできなかったようですが。
それとも心のあり方、社会制度全体なのでしょうか。
人間には、食物の好き嫌いは許されるべき権利なのでしょうか?
小学生時代、大半の人間が・・・今はどうなのか知りませんが・・・偏食をなくすための指導、と称して食べられない物の皿を前に、昼休みはおろか五時間目、更に放課後までにらめっこさせられた記憶を持っていると思います。更にそれはエスカレートして、そばアレルギーにも関わらず無理矢理食べさせて生徒を殺してしまう、という本末転倒な事件さえ起きてしまいました。
人間の好き嫌いとは、始めは大した事の無い物なのでしょうが・・・それが学校で許される数少ない自己主張であり、長じて後にはその、多数の心の傷の固まりとして一生はげしい感情を持って拒否し続けると思います。恐らく僕も、もし記憶を全て失ったら納豆を喜んで食べる事でしょう。味や匂いに対する感じ以上に、数々のいやな思い出が積み重なって今の激しい嫌悪感ができているのですから。
ですが、人間の個性の一つとして味覚の好みは厳然としてあると思います。乏しい物資の中集団行動をする軍隊ならともかく、何かを嫌いでいる権利、好きでいる権利はあると思うのです。食生活と異性の好みは人間を最も雄弁に語る物でもありますし。
そして、好き嫌いで注意しなければならないのが、それが宗教的な物である場合です。まさかとは思いますが、イスラム教徒の子供に豚肉を強制する教師はいないでしょうね・・・。宗教的戒律に背く事は、現に生きている社会から追放されるだけでなく、死後地獄に落ちる事でさえあるのです。汚物のほうがはるかにましなのです。それを尊重するのは当然でしょう。
遺伝子的に最高の人間とは一体、どのような人間なのでしょうか?そしてそれに意味があるのでしょうか?
調べられる限りあらゆる血のつながりのある人間に遺伝性のある病気や、将来遺伝性が証明されるかもしれない肉体的、精神的異常が一切ない、そして知能を始めあらゆる能力がバランスよく高い、そんな人でしょうか。
でも、人間として完全な遺伝子を持っているとして、それは意味がある事なのでしょうか?ある能力は人間の極限を超えている代りに様々な精神障害に悩まされている、そんな人も多くいます。例えば何百年も先のカレンダーを正確に言える、とかコンピューターより早く暗算がこなせる、など・・・。また、歴史上多くの天才が知的、精神的、また肉体的に遺伝子によると思われるマイナス面を抱えていた事が知られています。無論、最高の人間が天才である必要は別にないのですが・・・。
でも、最高の遺伝子に意味はあるのでしょうか。その人間が善人であるかどうかは怪しいものですし、そして人間の善悪は遺伝子によるのでしょうか。人格を善悪で計る事ができるのか、そしてそれに遺伝子と関係があるのか。例えば、マザー・テレサには、その無限の愛の遺伝子があったのでしょうか?だとしたら、最高の遺伝子の条件には人格さえ含める事ができてしまいます。それは人間に許される事なのでしょうか。
今後、現在も結婚はしたくないが子供を産みたい母親がいい精子を求める、などの形でもう存在している遺伝子そのものの売買が進む可能性がある以上、これは考えておくべきだと思います。
こんなスポーツがあったら面白いと思いませんか?森の中で、木に登ったり降りたり綱を伝ったりターザン飛びをしたりしながらボールを回し、ゴールに入れる。木登りは結構体力を使う、楽しいスポーツでもありますから。
ルールとして、
{場所}任意の(これがポイント、同じ場所で二度の試合はない!)手を加えていない森の、縦10m横25mとその上の空間をフィールドとし、その枝から適当に太さ1インチ(約2.5cm)の200kgの重さに耐えられるロープを各チーム好きなように10本垂らす。安全のため、フィールド内の地面には全面落下の衝撃を吸収できるクッションを敷く事。
{ボール}ボールはハンドボールと同じ大きさのボールを用いる。バスケットボール並みかそれ以上に弾むもの。
{人数}フィールドに出られるのプレイヤーは各チーム五人。ベンチの交代要員と合わせて12人、そして監督一人、その他マネージャーが最大三人。この競技には必ず医師が付き添うこと。
{動作}ボールを持った者は地面では二歩しか移動できない。三歩移動したらトラベリングで相手ボール。バスケのようなドリブルも認められない。ボールを動かす事には制限なし、蹴っても投げても(二歩までなら)持って運んでも(立ったままなら)ドリブルしてもなんでもよい。ボールを持っていないものは地面を歩いたり走ったりしてもよい。ただ、高さ10m以上に登ってはならない。それを含め、一方のチームがフィールドの外に出たら反則となり、ボールをキープしている際には最も近い敵にパスしてすぐ試合再開、していない場合には反則を犯されたほうが妨害無しのパスまたはシュートを認められる。また、2m以上の自由落下、もしくはその危険のある動作も同様の反則となる。
{得点}自分のコートの各端、高さ3mのところに、フィールドを向いた半径1mの円形の輪を設け、そこにボールを入れると相手チームの得点となる。得点が入ったら自動的にボールは点を入れられたチームのものとなる。入れたチームはボールに触れてはならない。入れられたチームの一人が外から投げ込んだと同時に試合再開。
{接触}非常に危険な競技のため、身体接触は一切認められない。身体接触があったら触れたほう、または一方が空中をジャンプもしくはロープでターザン飛びをしていた際に、コースに侵入したほうがファウルとな。、ボールはその場でファウルされた者が受け取り、受け取ったと同時に試合再開。被害者が負傷して交代する場合には最も近くにいた被害者側チームがボールを受ける。一人のプレイヤーについて、一試合内ファウル5回で退場。
{服装}手首、足首まで覆う動きやすい服、足首までガードするしっかりとした靴でスパイクなどのないもの、丈夫な手袋を着用する事。野球と同じ松脂の粉を使用してよい。
{時間、交代など}時間は前半30分、休憩10分、後半30分。プレイが中断したらその都度時計を止める。交代は監督の指示で任意にしてよい。タイムアウトは前半と後半に、各チーム三回、5分ずつ認められる。プレイ中、水分補給や松脂の追加も自由だが、フィールド上のプレイヤーは30秒以内にプレイに戻らなければならない。
{審判}審判は一人。
ボールは樹や枝がありますから、蹴ったり投げたりしたら当たって方向を変えたりしかねません。それを計算できれば面白いでしょう。そして木を登ったり枝を飛び移ったり、危険は大きいですが非常に面白い動作の、それでいて恐ろしくハードなスポーツになると思います。現実にできたら面白いのですが。
問題;タイムマシンと高性能な狙撃銃、データベースCD-ROMを開けるノートパソコンとそれを充電できる太陽電池または手回し発電機(要するにあらゆる知識)、それに充分な金やそれが通用しない社会なら絹布、そして薬などの医療資材、行動用のヘリコプターを与える。太平洋戦争を阻止せよ。
さあ、どうします?誰でも暗殺できます。あらゆる情報を警備さえ抜ければ、好きな相手に伝える事ができます。病死した者の中で、今の医学で助けられる者は誰でも助ける事ができます。否、かなりの確率で、子を産めなかった夫婦に子を与える事もできます。
坂本竜馬を訪ね、暗殺されないように警告、護衛したらどうなっていたでしょうか?その結果、維新政府の中で、彼は影響力を保持できたでしょうか。本当の近代化ができたのでしょうか。それとも結局、西南戦争に同調したりして、どちらにしてもあっけなく破滅していたでしょうか。
織田信長に警告を発していたら?まあ、うかつな事を言ったらこっちが斬られると思いますけど…。そうなったとき、どのような歴史の変化が起きていたでしょうか。
アメリカの側の誰かを暗殺していれば、流れが変わっていたでしょうか?
歴史の流れはどこから来て、そしてどこに行くのでしょう。それがわからないからこそ、この思考実験はほとんど無意味なのですが…せめて知に対するわずかな戯れと演習問題、として考えてみましょう。
山手線の快速が欲しいです。東京、品川、渋谷、新宿、池袋、田端、上野…これは急行ですか、快速なら東京、新橋、品川、五反田、渋谷、新宿、高田馬場、池袋、田端、日暮里、上野、秋葉原でしょうか。
無論無理です。現在の超過密スケジュールを保つのが精一杯なのに、それを快速通過待ち合わせなどできるはずがないです。まして全部快速急行用の線と在来の鈍行用の線の複線に、など天文学的な費用です。
でもあると便利でしょうね…。
法、特に罰則規定のある刑法などを守る動機は、一体内面の、倫理感や良心、正義感などと呼ばれるものと、それとも法を破ったとして、それによって得る利益と発覚した場合課せられる刑罰(+倫理的指弾がありますが)との利害を計算した上での高度な利己心によるものと、どちらが正しいのでしょうか。
内面の良心などが法を守るよう命じるから、というのは、もしその良心と法が矛盾した場合に法を守らなくなります。未成年者の喫煙から軽い習慣的な交通違反など、これは非常に多いと思います。
そして、多くの場合、特に(ニコチンを含む!)肉体依存のある薬物、そして精神依存を含むあらゆる薬物やギャンブル、恋愛などの総合的な依存症は良心そのものに影響し、様々な形で行為を正当化して良心の命令を止めてしまうものです。
利己心で、罪を犯したら罰されるから犯さない、という計算によるものでは、完全犯罪の自信があるとき、それを止める理由がありません。あるとすれば偶発事による失敗、逮捕の危険ですが、そこはリスクの計算になり、リスクより利益のほうが大きいと出たら実行を止める理由はありません。また、極めて多い罰則規定の無い法や規則、条例の類を守る必要を全く感じませんし、利益にならないのに守る事はないでしょう。
そして、この場合には司法、立法、警察行政そのものをコントロールできる、例えば裁判官を買収、脅迫する力がある者の犯罪を止める術は無くなります。
言い換えると、徳と恐怖のどちらが法治国家の源泉でしょうか?今や徳は消滅しつつあります。世界的に道徳が経済効率の前に完全に敗北する、という歴史上初めての事態が起きているのです。そうなりますと、特に経済的な力のあるものは政治にも強い影響を持ち得ますから、法の意味が無くなる心配すら考えられます。