奇妙な味のDQ3

DQ3的100のお題

「ねえ、空はどうして青いの?」
 ムオルの宿で、ポポタといういたずらっ子がふと、空を見上げて聞いた。
「それはね……」瓜生がいくつかの本を取り出し、また分光実験の設備も出し、マニュアルを読み始める。
 見たこともない、精密な機械に、小さい子が目を見張る。準備自体に小一時間かかった。
「よし、ここの太陽光はうちの太陽光とさして変わらない。まあ、そうじゃなきゃ今ごろおれは死んでる」
 そしてまず、日光をプリズムに当てて、その虹を壁に映してみた。
「虹だあっ!」喜びの声。
「まず、この問題に答えなきゃいけない。色って何だろう?」
 瓜生が聞いた。
「え?」
 瓜生の手には、いつのまにかラピスラズリとアクアマリン、ブルートパーズとサファイアの指輪やペンダントが握られていた。
 それを手渡し、捕虫網でそばの花に止まっていた蝶を捕まえた。
「どれも、青だ。それぞれ成分は、全然違う」
 網ごと少年に手渡す。少年はあっさりとその腹を潰して殺し、宝石とまとめて、おやつを包んでいた樹皮にしまいこんだ。
 そのまま、しばらく一休みし、瓜生は頭の中で考えを整理した。
 瓜生はプリズムをポンチョから出すと、光を黒い布に当てた。
「虹!」
「このプリズムには別に魔法はかかってない。単なるガラスだ」言うと、近くの樹から垂れ下がるつららを折り、ナイフで軽く三角柱に削って手のひらの体温で表面を整え、日光に当てる。
「な? この虹にある、青。これは日光の一部だ。では日光、光って何なんだろうな」
 瓜生が微笑む。
「おれも知ってるとは言わない。でも光が従う法則は知っている」と、光学・電磁気学・量子力学の教科書を取り出す。
「まず、光はまっすぐ進む」と、テントを張り、分厚い暗幕で覆って遮光し、中に入れて一部だけ開け、外の日光を入れて線香に火をつけ、煙を見た。
「ただし、光は二つの曲がりかたがある。回折と屈折だ」と、光の一部を板で遮り、線香の煙を光が照らすのを見る。
 それから分厚いガラス板を出し、それに細めた日光を当てて屈折させてみる。
 いいかげん少年は飽きてきているが、瓜生は容赦しない。というか自分が楽しんでいる。
「屈折した光は、このように」と、テントの壁に当たった光を示し、「虹になっている。さっきのプリズムは、その屈折を利用しただけだ」
 また、今度は密封されたガラス容器の中の、小さな羽根車を出す。
「これに光を当てると回る。光にはわずかだが、ぶつかるのと同じ性質を示すし、場合によっては一つ一つの粒子のようにも働く」
 それだけ言って車がゆっくり回るのを見せながら、また少し考えたり、本をめくったりする。
「この、屈折や回折をするのは、水の波と同じような波の性質だ」と、テントを出て近くの池に行くと、池に石を投げて、その波紋を板で遮り、波の回折を見せる。
「波には、波長と波の幅の二つの要素がある。そしてこの回折から、波長を求めることができる。サファイアでもブルートパーズでも、この花も、海の水でも、同じ波長を示す」
 と、マメ科と見える青い花を触り、光学の教科書を見ながらレンズとガラス板を出し、ニュートン環を示してみる。
「その方法がわかれば、実験で検証できる。でも、厄介なのが、なぜ人間はいろいろな波長の光の、波長を区別できるか、だな。まあ、そのほうが便利、というかこのあたりの波長、可視光線は地表に到達する日光で一番強いし、進化論的に言えば森の中のサルにとっては、いい食べものである果実や天敵であるヘビを見分けられれば有利、ってことか。あ、進化なんて言葉使ったの、あのガブリエラって姉ちゃんやダーマには内緒だぞ」
 瓜生が苦笑し、色とりどりのキャンディーを渡した。
「さて、青だ。
 地球の大気圏の厚さの、大気……窒素が約80で酸素が約20、微量に二酸化炭素・水蒸気・メタン・アルゴンなどが混じる気体。といっても、その性質は大して重要じゃない。光の波長より小さい粒子による散乱、というのが本質だ」
 と、本をめくり、レイリー散乱を示すページを見せる。
「一つ一つ説明しなければわからないだろうけど、簡単できれいなことを言ってる」
 少年は怯えたように首を振る。
「この太陽の光が、この数・大きさの粒子にぶつかって、それでこの波長ができる。そう、日光がほとんど変化しないし、大気の厚さや粒子の組成がほとんど変わらない、それで一定の波長になる……それ自体がこの問いの事実上の答えだな。といってもどちらも人間原理に帰着するか、どちらが変化しても人類など存在し得ない」
 瓜生はくすくす、と笑った。もう、少年のことなどきれいに無視している。
「では、なぜどんな波長でもいいはずなのに、この波長なのか?それも人間原理。より大気が厚い惑星では金星のように温室効果で水が液体にならず、生物が生じない……
 で、この波長を人は「青」と認識するわけだ。しかもそれを他者に伝え、言葉にすることもできる。色を言葉にすることで、たとえば新天地で、「あっちの藪で黄色くおいしい実を見つけた」というだけで全員に新しい食物の情報を伝えられる。色言語がなかったら実物を全員に見せねばならず、大変だろう。
 それに、空と地上にたまった水の一部の状態以外、青は人類が進化してきたジャングル・サバンナではさほど多く見られる色ではない……比較的少数の花・実が青だ」
 それだけ説明し、もう赤くなりかけている空を見た。
「こうして赤くなるのは」と、さっき使った分厚いガラス板に、垂直と斜めからフラッシュライトを当てる。「大気に斜めに当たった日光が、より長い距離大気を抜け、より多くの粒子に散乱され、波長が長くて散乱されにくい赤がより多く残るからだ。今言ったことは全部嘘かもしれないが、実験で検証できる。やってみるか?あと、数学の勉強も必要だが」
 そう、目を向けられた少年は魔物に追われるように、村の入口で手を振る女性の胸に走っていった。
 瓜生はやれやれ、と設備をすべて消し去り、傷つき病んだミカエルが眠る宿に戻る。

 それ以降、いたずらっ子のポポタは大人に賢しらな質問を一言もしなくなり、村の大人は「ポカパマズさんの娘さんの仲間、ウリエル」に心から感謝したという。

 何の気もなく、口を覆う布を赤いバンダナにしただけだった。
「そ、それはどこで手に入れたんだ!」
 ポルトガの、いやな匂いが漂う港町。下水道が整備されておらず、トイレの中身は街路に放り出され、悪臭を放ちながら乾燥し、分厚い土と化している。
 角が鼻の上から前に突き出た、豚に似た家畜がまだ暖かい糞を食らっている。
「え」殺気に似た迫力に、瓜生の顔が強張る。革ポンチョの下で、サイガブルパップを握って安全装置に左手をかける。
 いつものことだが、片手操作の早さを優先してトリガーを引くだけのグロックやダブルアクションリボルバー、指一本で操作できるH&K-MP7やFN-P90、FN-SCAR-HやAR-15の.50Beowulfを、せめて町中では使うべきだった、と後悔する。沼地を歩く時にはAK系統以外は信じられないと思い直すし、強敵に襲われればバレットM82やFN-MAGにすればよかったと思うが。
 無論全部持つのは重すぎる。場所によって使い分けたらとっさに間違える。FN-F2000の338ラプアと長銃身のアンダーバレルショットガンは売られていないし、あっても重すぎ装弾数も少なく、素早い敵や多数の敵に対応しきれない。彼のサイガブルパップフルオートとAK-103は、そしてアサルトライフルそのものが重量・威力・装弾数・射程・信頼性・全長など両立されない要因を突き合わせ、経験で磨かれた妥協だ。
「バカ」ガブリエラが肩をすくめ、瓜生の左手を押さえて安全装置をかけ直させる。
「三百、いや四百出す。売ってくれ!」目をぎらつかせた男が、さりげなく左手を後ろに回しながら言う。
 ミカエルが、瓜生を短剣から守る位置に薄鉄の楯を構え、自分も短剣の柄に手をかけた。
「わたしは五百だ!」
「赤」
「六百!」
「赤だ!」
「千ゴールド出すぞ!」
「千十!」
 何人もの、いろいろな年齢や身なりの男、屈強の奴隷を連れた貴婦人も迫ってきた。
 ガブリエラがため息をつき、瓜生の顔からバンダナをむしり取って、人々に放る。同時にミカエルがルーラを唱えた。
 槍を構えた衛兵の姿すら近づいてきていた。

 レーベの食堂で、一息ついた。
 ガブリエラは「バカバカ」と瓜生を責め続けている。
「しばらくポルトガには寄れないな」ミカエルがため息をつく。
「何でここまでの騒ぎに」瓜生が呆然とし、注文を聞きに来た女に塩魚スープの穀物粥と蜂蜜酒を頼む。
 ラファエルが軽くため息をつき、「さきほどと同じ布を見せて下さい。ほかの人には見えないように」と言う。
 それを、周囲を一度見まわして目がないことを確認し、丁寧に見ると、苦笑気味に指を振りはじめた。
「これにとても近い赤が、世界中でとても価値があるのです。サマンオサの特産で、どうやって作るのかは誰も知りません」
「サマンオサの鎖国も長いな」ミカエルがどうでもいいように、でも伏せた目は強さを増している。
「強めの酒おくれ」ガブリエラが瓜生に言い、瓜生はジンとベルモット、ビター、瓶詰めのオリーブを出して、木のジョッキに入れると細い木の棒で混ぜた。
「正統じゃないが」と渡す。
 ふと、欲しそうな目をしていたミカエルにも気づき、彼女にも作る。
「ああ、そういえばブラジルって国名は、染料の取れる木からだっけ」瓜生が思い出す。
「あんたは人の服なんかに興味ないからねえ。あったら見回して、よっぽどの金持ちか王族だけが、かなり擦りきれてるその赤をつけてるってわかるだろうに。そんなだから女にもてないんだよ」ガブリエラが即席マティーニを干して、そのジョッキで瓜生の頭を軽く叩く。
「下手をしたら奢侈罪で処刑されていたかもしれません」ラファエルが、やや深刻に言う。
「赤なら、確かアッサラームで見かけなかったか?それに、酸化鉄からも簡単に出せる色だろう」瓜生が思い出す。
「バハラタ由来で、かなり違いますよ。鉄さびは、レンガは染められますが」ラファエルが信じられないように。
「こいつに微妙な色なんてわかるわけないだろ」ミカエルが呆れた口調で言いつつ、マティーニをなめる。
「おれの故郷じゃ色なんて何でも化学染料で好きなだけだからな」瓜生が苦笑した。
「化学?」ラファエルが聞いた。
「聞いちゃだめだよ」とガブリエラ。
「石油とか、石炭を乾留したタールとかの分子から、ほぼあらゆる色の染料を作ることができるんだ」そう言いながら、運ばれてきた食事と酒を受けとり、食べはじめた。
「バカなやつらだよ」ガブリエラが文句を言いながら、自分も食べはじめる。
 瓜生は歴史の通俗書と化学染料の本を出し、歴史の本から読み始めている。世界を変え、大国の国名ともなった数奇な木と、人間の欲望、くり返される虐殺に思いを馳せる。
 物欲をいつでも無限に満たせる彼には、もう理解できないことだが。
「朗読していただけますか?」とラファエルが聞く。それも、異界の知識でも得るのが好きだからか、それとも瓜生を喜ばせるためか……
 どちらでもいい、とミカエルがつぶやいた。
 朗読を音楽のように聞き流しながら、煮た塩赤魚と紅大根を細身のナイフで切り、刺して口に運ぶ。

 ガブリエラが、グリーンオーブを見つめている。ちびちびと酒を飲みながら。
 赤毛の女海賊が、並べられたレッドオーブやパープルオーブを見ながら、ともに飲んでいる。
 カザーブの一度凍らせて薬草や魔物由来の薬を浸けた梨酒に、瓜生が出したチリのカベルネ・ソービニョンとサントリーの角瓶を手分量で5:3:2、混ぜずにストレート。
 ランシールの、五角柱で採れて叩けばボウル型に割れる石の器。なぜかそれは、唇に冷たい。
 強烈なアルコールと、ぐちゃっとした苦み、芳醇な香りが混じってかなりの悪酔いになる。
 二人同時に、何か言おうとして言い損なう。沈黙を、遠くで器を叩く音や男どもの歌声が覆う。
 赤ワインの瓶やレッドオーブに反射した、魚油ランプの光がグリーンオーブを染める。
「緑、か」
 それだけ言って、痛みを苦笑に変え、二人炒ったナッツやドライフルーツ、干魚を食べ、飲む。
「これなんかどう?」
 と、ガブリエラが傍らの瓶に手をさまよわせ、一瞬アブサンに触れて、シャトー・ディケム・イグレックの十年物をイシスの鉛ガラスに注ぐ。
 ブルーオーブを通った光が、琥珀の酒を染める。

 口にできぬ男の名。ガブリエラの、双子の禁で別れた兄。失われた、緑の故郷。
 女海賊にとっても、遠い昔……サマンオサの私掠船貴族だった頃。テドンに外交官として赴任したことも、襲って撃退されたこともある。サイモンをともない、オルテガたちと出会ったのもその近く。ガブリエラの兄との、激しい一夜も。
 廃墟に、牢に縛られ緑の宝玉を隠し待つ亡者。
 言葉にできない。ただ、新しい酒を手にし、飲むだけだ。飲めば飲むほどに、思い出と酒。

 ため息が出る。
 どちらを向いても地平線まで、黄色一色。すべてが、葛に似た蔓豆の花。
 ペルポイの街はこちらだ、といわれても、地平線まで何もなければ実感は持てない。
 空も薄く、黄砂に曇っている。地面を探ると、時に露出する石灰岩を分厚く黄土が覆っている。
「まるでイシス砂漠だね」ガブリエラの一言で、悪夢のような日々を思い出す。
 草原の海を、遊牧民たちが旅している。蔓に足を取られて家畜が転ばないよう、丁寧に。もちろんその、馬に似た家畜は蔓の中を歩くことに馴れている。
 砂の海を、隊商が歩む。重い鎧に、足が一歩ごとに深く砂に沈む。その足を巨大な蟹のハサミが突然とらえるので、厚い鋼でできた、高価で重いブーツが必須だった。
 それを焼けた砂から抜き夜冷えた砂に下ろす、それほど辛いことはこの世にないと、その時は思っていた。マングローブを歩くまでは。叫ぶ五十度の氷海を航るまでは。溶岩の洞窟を歩くまでは。
「今は、あのイシス砂漠も、あなたが山脈を破壊して緑に……」ラファエルが、畏敬すら含んだ目で瓜生を見る。
「まあ、西側の一部には水が流れこんでるだろう。どれだけかはわからない、ろくに測量してないし。水が飲めるまで放射能が減るのは何年後かな」瓜生が、何か罪をごまかすような目で上を見上げる。
「美女の顔思い出してるんじゃないよ、美女はここにもいるだろ」ガブリエラが瓜生の背を叩いた。
 イシス女王の華やかな美しさ、ロマリアのカテリナ王女の暖かく適確な導きを皆が思い出す。もう何年も会えない、懐かしい人々。そちらにまた戻るための旅。
「あいつらもどうしてるかな。放射能浴びて……」瓜生が、表情を殺してフードをかぶりなおす。自分たちを散々殴り、こき使った隊商。「なきゃいいが」とも「ればいいが」とも、言えない。
「さあ、あれから消息は聞きませんね」ラファエルが微笑み、祈る。
「復讐したければ、上への帰り道を探すんだな」ミカエラが面倒くさそうに言った。
 同行している遊牧民が、花を摘んで蜜を吸った。
 ガブリエラも、目顔で許可を取って吸ってみる。
「甘い!」目を見交わし、三人も吸う。
「すごいよな」瓜生が、見渡すかぎり大地を覆う蔓草を一本手にし、先端の芽まで手に滑らせた。
 柔らかな毛で淡い緑に見える。大きな葉を、家畜がうまそうに反芻している。
「さて、食事にするか」
 素早く遊牧民たちが、フェルトのテントを張り、瓜生から買った鉄の大鍋に塩漬け肉を入れる。
 蔓草の花や若芽が、そのまま野菜になる。他にも生えているタンポポに似た草やとげのある草のつぼみ、灌木のベリーも。
 そして蔓豆のレンズ豆によく似た種や、スライスした太い根も。
 最後に馬乳酒を、具の半分程度入れる。
「よその人にはわからんだろうが、この布は最高じゃよ」と老人が笑う。蔓を潰して晒した繊維の布。
 そのもとの色に、どこかで採れる土で染めた鮮やかな黄色。同じ黄色でも、蔓草の花とは違う。
 触れてみれば、絹と木綿の中間のような素晴らしい感触だ。
 蔓豆の根から出た水分も加わって炊きあがった、実だくさんでとろみがついたシチューは、甘みと塩気、骨付き肉のうまみ、微かな苦みが絶妙に混じる、すばらしいものだった。
 地下茎は里芋とカブをあわせたようで、腹にたまる。臭みがあり硬い肉がうまい。脂で熱いのをふうふう言いながら食う。
 馬乳酒や蜂蜜酒が酌み交わされる。
 バイオリンに似た楽器が、もの悲しい調べを歌う。
 厚いフェルトでできた大きなテントは、驚くほど暖かくて寝心地がいい。
(ずっとこうして、四人で、この遊牧民たちと旅していられたら)瓜生の胸に、切ない思いが迫り涙があふれる。(いつ、帰されるかわからないなんて)
「考えちゃだめだよ、歌いなよ」ガブリエラの言葉に、瓜生は遊牧民が歌う歌を真似て静かに声を滑らせた。
 歌いはじめて、はじめてわかる。遊牧民たちの歌声に、どれほど哀しみが深いか。だからこそこれほど明るく深い歌声。
 何を失ってきたのか、この定住しない、そして時には剽悍な戦士となる人々が。
 巨大山塊からの黄色い風に育まれた、黄色い花を咲かせる蔓草にすべてを委ね、さすらう人々。
 もうしばらく旅をしたら、彼らとも別れ、彼らが軽蔑するペルポイの街に向かう。
 そこには何が待つのだろう。
 果てしない、黄色の……

「あかねさす 紫野行き標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る」
 瓜生の口から、和歌が漏れた。
「紫?」
 ミカエルが首をひねる。
 ハイダーバーグの、瓜生が出資した薬草園。世界各地から多種多様な植物を集め、育てている。
 ヤヨイが、いとおしげに小さな白い花をつける、変哲のない草をなでた。
「やっと増えてきたのです。なかなか根づかない草で」
「薬としても貴重だからな」
 ジパングから持ち出してきた種の一つ。
「今の言葉はなんでしょう?」
 ラファエルの言葉に、瓜生が少し黙る。
「おれの故郷での、短い詩だよ」
「不倫の歌に聞こえたね」ガブリエラが、ぼそっとつぶやく。
「さあ、どうだか」
(額田王の伝説の、どこまでが史実だかはわからない。昔は僧でも恋の歌を歌ったりしてたしな)
 瓜生は故郷の歴史を思い返しながら、薬草園を見回る。
「藍も育ってるな」その種は瓜生が提供したものだ。
「発酵など手間はかかりますが、すばらしい色です。ですが、やはり」
「紫の美しさには及ばないな」
「地中海周辺では、貝からわずかにとれる紫が珍重されています」ラファエルが軽く指を振る。
「ああ。うちで見たことがある、母の、故郷での宝物だったと」ミカエラが懐かしげに言う。「ガブリエラ。聞かせてくれるか……カンダタと、」
 ミカエルの声が震える。
「あたしはよく知らないよ。ルイーダにでも聞くんだね。あと紅の女が、知ってるかもしれないね」ガブリエラが寂しそうに言う。
「紫の、匂へる妹を憎くあらば……」その先、(人妻ゆえに、我恋めやも)は、瓜生は口にできなかった。
「少し、稽古でもするか」瓜生がミカエルに声をかける。もう、腕に天と地の差があるのはわかっているが。
「ああ」と、ミカエルは船へ、木刀を取りに歩きだした。
 アリアハンにいくには、かなりの心の準備が必要なのだろう……会うのが家族でなく、ルイーダでも。
(こぶだらけですめばいいんだが)瓜生は内心やれやれ、と肩をすくめ、見回りながら歩いている。

 同じ銀色でも、シルバーオーブの輝きと、そのレプリカは、まったく違った。
 ラーミアに捧げる前に、瓜生があらゆる角度から写真を撮り、全高や土台幅、重量を測定してあった。
 その写真を参考に、王国の芸術家が何人か蜜蝋で精密な模型の原型を作った。
 瓜生がプラチナのインゴットを出して、宮廷の大学のようなところの、技術を研究している人たちが国内で得られた石や土を試した耐熱るつぼ・耐熱鋳型で鋳造し、表面を精密に磨きあげた。
「違いますね」
 ネクロゴンド第二王朝の宰相となった老人が、重くてとても持てないそれを丁寧に見回してつぶやく。
「見事に造られたものです。ですが、わたしどもが日夜、護り祈っていたあの玉とは違います」
「おれたちが手にしていたのは短い間でしたが、それでもわかります。金属の輝きじゃなかったですね。第一、密度が違いすぎます」瓜生が肩をすくめた。
「この、写真とかいうものも、見た目は近いようで、それでいて違うのじゃ」
「そりゃま、真珠や蝶の羽など、極微細構造による見た目をどこまで表現できるか、というと仕方がないです」瓜生がうなずく。
「ただ、国のシンボルとしてならこれで充分だ」ミカエラが見て、瓜生に笑いかけうなずいた。
「むしろ、重要なのは鋳造技術、プラチナの融点まで達する加熱や耐熱素材の技術と、精密に磨き上げる技術です。技術者の皆さんへの褒章、おわすれなく」瓜生がミカエラとうなずき合う。
「ネクロゴンド国内にも、銀やプラチナのよい鉱脈がある、と教えてくださいましたね」ラファエルが聞き返した。
「ああ。でも砒素が多いんだ。今の技術水準で下手に開発したら、おそろしい汚染になりかねない。でもおれの世界の技術書をいくら出しても、ここのみんなに、どれだけできるのかわからない」瓜生が苦慮する。
「オーブは神々のもの、人の技で真似られるものではないのです」女の声に、皆が振り返る。
 簡素だが高級感のある服、やや年老いているが驚くほど美しい女。ミカエラ女王の母親、エオドウナだ。
「昔から、ネクロゴンド王国はオーブを守ってきました」
 静かに語りはじめるのを、全員が威儀を正して聞く。
 ネクロゴンドが滅びる直前、オルテガと駆け落ち同然に結婚した彼女は、ミカエラが女王となった今も国民に、古き祖国の象徴として、バラモス以前を知る老人たちに慕われている。
 夫オルテガとも再会して、かつてとは違いすっかり幸せそうでいる。
「雷神の血を引く国の祖より、稲妻の剣の力でオーブを人の欲と、何よりもギアガの大穴より出でる脅威より守るのがわれら代々のさだめでした。武運つたなく、バラモスには敗れましたが」
 悲しげに語り、老人たちが涙を流す。
「このような、にせものはオーブとはなりえませんよ」エオドウナは悲しげにミカエラに言う。
 女王はじっと考え、母に問いかけた。
「オーブそのものは、ラーミア復活の代償として捧げられた。ラーミアも今は自由に、空を舞っている」
 どうすればいいのか、と間接的に問い返す。
「これが、人の手で造られた偽物だ、ということを忘れないようにしましょう」ラファエルが穏やかに言うのに、皆がはっとする。
 彼は王婿であるが、王位継承権放棄を宣言したとはいえアリアハンの王族でもあり、立場が微妙なので普段は祈祷場にこもり、祈り続けている。
 本来なるべき神官長すらも遠慮し、ランシールから来た後輩に任せその命令に従っている。
 また医者としての瓜生を補佐しつつ近代のさまざまな知識を学び、伝える教育関係の仕事もしている。
 めったに国事には口を出さない分、彼の発言は重い。その知恵と無私は知れ渡っている。ちょうど、アリアハンでの彼の父親と同様に。
「ラファエル、どうしたらいいか言ってくれ」ミカエラがうながす。そうしなければ、ラファエルは自分からは口を開かない。どんなことでも解決できる知恵はあるのだが。
「オーブの、形そのものを秘すべきです。この偽物は王家に、偽物と明記した上で秘蔵しましょう。
 プラチナなどの鋳造技術も高めるべき、ならば、『世界樹にとまるラーミア』の像を、常に造って各国や各地の領主に贈る、それでよろしいでしょう」
 それに、エオドウナや老臣も、ミカエラや瓜生も深くうなずく。
「そのままでなくても、抽象化された……そうだ、芸術家たちに褒美を出して、原型を競わせよう。原型は石でも木でも、石膏で型を取ってそれに蜜蝋を入れ、あとは同じだ」
 瓜生の思いつきにミカエラがうなずき、さっそく宰相に命じた。

「このうえなくまったき黒をよこせ」
 ムーンブルクの大貴族の一人、レアナがミカエラたちに因縁をつけてきた。
 ムーンブルクの王侯貴族は、よそものをへこませようとするのに難題を好む。城下に蔓延した疫病を治療するため、強引に滞在しているミカエラたちは、難題をやすやすと解決することでも知られつつあった。
 三大作図問題など、難題を出した方にも理解不能な答えを出すことも多いが。
「疫学調査でいそがしいってのに……カーボンナノチューブ黒体よりこっちが早いか」と瓜生は呟き、即座に別室で、中空のステンレス球を出すと小さな穴を開け、金属筒を短く切って接着した。
「これが近似黒体ですよ。この穴をのぞいてください」
 それだけ言う瓜生に、聞いていた女王が呆れた。
「黒ではなく、白銀ではないか」
「中をのぞけばあらゆる光は吸収されます。黒の定義は、『あらゆる波長の電磁波を吸収する』です。実際に冶金などで温度を測るため、黒体の熱放射を観測するためにこれを加熱して実験しました。そこで生じた矛盾が、量子力学の基礎と……」瓜生がうるさそうに言いかけ、飛び退いた。
 彼がいたところを、まっ黒なハリセンが鋭く通り、大きい岩でできたテーブルにあたって、岩が瞬時に砕ける。砂よりも細かい粉に。
「そ、そのハリセンは」
「ゾーマの爪と闇の衣の欠片、竜の女王のたてがみ、世界樹の樹脂、はぐれメタルの精髄、鋼のハリセンを合成したのさ。名づけて暗黒のハリセン」
「そんなことのために伝説級の武器を造るな、普通それは呪われるし、雷神剣より強力だろ」
「ああ呪われたよ。でもシャナクで解けるからね」
「国一つ買える宝をいくつ使ったんだ」
「まあ、覚悟を決めな……ダーマには、あんたとミカエラはいつ殺してもいいっていわれてんだよ」
 ガブリエラの笑みに、瓜生の笑顔が固まる。
「そういうことか。ならこっちも、全力を出させてもらう」
 と、瓜生の目の前にオットー・メララ76mm艦載砲が出現し、重量に石造りの広間がきしむ。
「一度本気でやりあったら、どうなるか……」
 ムーンブルクの王侯貴族の、表情が恐怖にすくむ。
 ムーンブルク城の四分の一を崩壊させたのは、二人を止めたミカエラのギガデインだった。
 無論、誰も死なさないようミカエラたちは魔法で人々を守ったし、修理代にあまりある財宝も贈った。
 そのハリセンの、シャナクで崩壊した漆黒の残灰は至上の黒としてムーンブルクの国宝となったが、二代のちに神官たちから灰でも危険すぎるとクレームがつき、ザハンの海底深く封じられたという。

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