奇妙な味のDQ3
勇気ある者
「にやりと微笑み、『小悪党にゃあなりたくなかろう……?』と視線をポップに向けた」即興でノベライズしながら、瓜生は『ダイの大冒険』を読み続けていた。
イシスの酒場。皆が夢中で聞き惚れ、喝采を挙げている。といっても、歌として節をつけていない、韻文でもない朗読と、時々彼が裏返して皆に見せる、見慣れない文字が刻まれた精密な絵にいぶかしみながら、だが。
「勇気とは、打算なきもの」ミカエルが、酒がこぼれているのも気づかず、何度も口のなかでくり返している。
「何考えすぎてんだい」ガブリエラが、瓜生が出したジョニ黒を、ミカエルの前の店が出したエールに加え、ひとかけらの岩塩をつまんだ。「ほら」
ガブリエラ自身も飲む。
「勇気なんて、その時にならなきゃわからない。それに、今日は勇敢だけど明日は臆病、ってこともある。その時に勇敢かどうかなんて、人間にどうにかできることじゃないよ。あのときの、……」
珍しくガブリエラが、真剣な口調で口にし、言ってはならないことを言いかけたように酒で言葉をのみこんだ。
「内心は臆病でも、行動だけでも勇気ある者のようにふるまえば、それでいいんじゃないか」瓜生が言うが、
ミカエルは「本当の勇者には恐怖などない」と怒ったように言った。
「なにが、勇気ある者だと思いますか?」ラファエルが瓜生に聞く。
「おれの故郷のある国で。王に反対するものや、ある民族の人間全員を働かせて殺す設備があった」
「話に聞くサマンオサみたいだね」ガブリエラが悔しそうに言う。
「そこでは一人逃げたら、十人を餓死するまで閉じ込める。誰もが恐れていた。
そこで、一人逃げた人がいた。それで指名された人が、家族との別れに泣いているとき、コルベという神父が歩み出たんだ。私には家族がいませんから、身代わりにならせてください、と。それがおれにとっては、この上ない勇気だな」瓜生が静かに言った。
「わたくしも、そのときにはそれができるよう祈ります。その偉大な勇者の偉大なる御霊よ、どうか安らぎあれ」ラファエルが強く祈った。
「大丈夫、あんたならやる!」とガブリエラ。ミカエルがうなずいた。
「あと、誰もが虐殺をしているとき、おれはやらないと叫んで自殺する……おれは、そうすると決めてる。そうできるよう、それだけが願いだ」瓜生の言葉に、ガブリエラが杖で殴りつけた。
「そんな酒がまずくなるようなことばっか考えてんじゃないよ!」
「というか、勇気というより集団心理のほうが重要だよな。死の恐怖より、仲間はずれが怖い。それと、みんなが前進してるから自分も、って気持ちもある。極端に勇気のある個体は……遺伝子は、女にもてて子孫を残すのと戦争で死ぬのと、どっちが早いんだろうな」
瓜生がぶつぶついう、その頭をガブリエラがぽこぽこ杖で叩き続ける。瓜生はまったく気にしていない。
「いや、勇気は勇気だろう」
ミカエルが言うが、もう酒で舌が回っていない。そのまま、崩れるように寝てしまうのを、瓜生とラファエルが抱きあげた。
戦いの専門家
「卑怯だぞ!」甲冑姿の少年が叫んだ。
その周囲の戦士たちは、疲れきった表情で杖や槍に寄りかかっている。
足元には、魔物の骸。幽霊船の腐臭は、とっくに慣れきった。
少年たちとは少し離れて、四人が固まっていた。
先頭にいるのは、青い返り血に全身染まり、腐った肉片を全身にこびりつかせた、恐ろしく美しい若者。右腕の、肘から先を覆う手甲から、長く薄い刃が延びている。声を少し悲しげに無視し、周囲を警戒している。
その両脇に、賢者の額冠をつけた女と男。
女の衣、手の魔杖と楯はしっくりと馴染んでいる。妖艶な微笑が心を隠す。
長槍を拾っている男も賢者の印をつけているが、槍や楯も含めしっくりしていない。遊び人が扮装しているようだ。ただ激しく息をつき、何か考えている。
後ろには、伝説的な雷の杖を手にした、徳の高さと王家の血筋が肩章に示されている僧侶。困ったように微笑した。
「槍を投げるなど、死刑だ!それに、それに、船の綱を投げるなんて、そんな卑怯な戦い方があるか!勇者なら正々堂々と戦え!それがアリアハンの勇者のやることか!」
巨大なテンタクルスの骸。人の胴を簡単に締め潰す長く強靱な触腕が、綱に絡まり複雑な毛糸玉となっている。船倉にあった、大量の古びた帆布や綱を、瓜生が投げつけたのだ。
それがなければ、剣で剛強な魔物と戦うのは無謀だっただろう。
(全滅しなかったとしても、二人は死んで無駄な魔力を膨大に使い、探索できる範囲は半減してたろう)
瓜生は、ミカエルやガブリエラも、言いたいことは押し殺した。
ミカエルにとって、瓜生の戦い方が衝撃になったのは、別の大陸を歩み始めてからだ。平和なアリアハン大陸では、彼のそんな面が出ることすらなかった。
身長の二倍はある、巨大なサル。ロマリアからアッサラームへの道に出没する、先頃共に旅をした隊商の傭兵たちが、恐ろしげに噂していた魔物。
別の側から襲うキャットフライの喉をかろうじて貫き、身を起こした時に、目に焼きついた。
至近距離にそそり立つ巨大な影。重い革ポンチョが翻り、右手の短い銃が肩と頬に着く。
銃口の下から奔る閃光が、牙をむき出す顔を包み、同時に銃声が耳を打ち銃口炎が宵闇を照らす。
ハンドガードと一体化したフラッシュライトで目をくらませて顔面にOOバックショット。すぐさま光が下に向く、光の剣で切り下げるように。
次の三インチマグナムスラッグとバックショットは、二足で立ちあがった巨体の、下腹部と膝を相次いで打ち抜いた。
「伏せろ!」瓜生が叫びながら、左手で手榴弾を放って横に跳び、ミカエルを押して一歩進み、抱き倒して共に伏せる。次の瞬間爆音、全身を殴られたような衝撃と耳や喉の痛み。
起きて見ると、暴れザルの巨体が潰れえぐられていた。
「目、そして足を」
ミカエルが、はじめて気がついたように驚く。
「目で見てるようだったから。至近距離の手榴弾は大口径弾より強力だ」
瓜生はそれだけ言って、暴れザルの後頭部にもう一発スラッグ弾をぶちこむ。銃口炎と煙が広く吹き、草原の風に吹き飛ばされる。重い巨体を裏返して柄の長い剣鉈を抜き、鍔側を握って心臓から価値のある魔石をえぐり、長い柄を両手で握り太い脚の肉を断ち切る。関節に厚い刃をねじこんで切り離そうとし、うまくいかないので頑丈なハサミに両手をかけて腱を切り、剣鉈の柄頭側を握って叩き切る。
「二日分の肉にはなる」
「目、足……勇者、勇者の」ミカエルが、衝撃を受け立ちつくす。
「オルテガもカン……今のハイダーの親父もエオドウナも、戦う時には手段を選ばなかったよ。敵を倒すことだけに徹してた。まあサイモンは、サイモンだったけどね」
ガブリエラがミカエルの肩を軽く叩く。
(もし)ミカエルは暴れザルの立場に身を置いて、実感した。剣を手に突進。あのまぶしい光で目がくらみ、次の瞬間多数の銃弾……跳弾が腕に当たったことがあり、痛みは知っている……が顔を、頭を吹き飛ばす。目が見えない中下腹部、膝と吹き飛ばされる。楯を構えていたら足を撃たれるだけ。
ラファエルはミカエルの傷を癒し軽く触れて震えを支え、キャットフライの皮をはぎ始める。
瓜生は弾倉を入れ替え、血に濡れた剣鉈で長い草を叩き切り、歩きはじめていた。
カザーブに向かう隊商との旅で、稽古した傭兵たち。彼らにとって、脛打ちが基本だった。
瓜生が習った剣道では、誰もが一生考えることもない禁じ手。
正面打ちを基本とする剣道が、どれほど非実戦的か。正面振りかぶり自体、肘が兜の縁にぶつかるから不可能なのだ。さらに正面は、分厚い兜と頭蓋骨で最も頑丈に守られている。
打って抜け残心などあり得ない。打ち合えば、鎧があるから一撃では致命傷にならず、大抵は取っ組み合いになる。刀で頭を斬りつければ、刃が骨に食いこむから走り抜けられるはずがない。
取っ組み合いでは股間を短剣で狙う。目や喉は面頬や喉輪で守られている。人間の、外から触れられる最も太い動脈は、股間から大腿部に走っており、即死……それは瓜生は解剖学の知識で知っていることだが、傭兵たちは経験で実感している。
地に倒せば甲冑の重みで起き上がることもできず死ぬ、それが最も有効だ。
柔道・相撲・空手・剣道が分かれていること、柔道の寝技に短刀や捕縄がないことが間違いだ。弓道と馬術も含め一体であるべきだ。槍と小太刀が廃れているのも間違いだ。
剣を鉄棒として鎧ごと殴り、足を叩き、頭からぶつかり、膝から下を蹴りつけ、組んで股間を刺しえぐり、突き押しで崩し足を踏んで投げ倒し、馬蹄に任せるか体重をかけて鎧ごと貫く、戦場で有効なのはそれだけだ。
瓜生の「現代」ではもう銃剣は飾りだ、銃での撃ち合いを中心に、距離が詰まってしまえば打撃やライトで目をくらませて転ばせ射殺するか、背中から口をふさいで膝裏を踏み腎臓か股間をえぐるのが有効なはずだ。
正面からの一対一格闘など、それ自体があり得ない。傭兵たちはしばしば二対二、三人がかりで稽古し、魔物と戦う。
剣道の発想とは真逆。実戦で磨かれた傭兵の流儀だ。
「平和なんだな」そう言うしかない……思い出すと胸が焼ける、無限に遠い故郷のことを。竹刀の音に包まれた、小学校の体育館を。
幽霊船の軋みにかき消される、サイモンJrの叫び。
それにミカエルは、旅立ちの前夜に泣きわめいた姫が隠れて服に縫いつけていた、邪魔な飾りの数々を思い出した。
平和な王宮で自らを飾り、戦いを夢みるためのそれ。
瓜生がサイモンJrに見えぬようミカエルに、小さな人形を手渡した。彼の故郷で売られている子供のおもちゃ……奇矯で自分を傷つけるようなとげがあり、それでいて急所の肌は露わに出した甲冑をつけ、飾りだらけで鋼だったら人間には持ち上がらない巨大な剣を持っている女戦士。
ミカエルの世界にはありえない材質と加工精度、色。
笑えない。ミカエル自身も、ランシールの神殿まで、勇者であること、オルテガの子であることに、こだわっていた……
そして、以前の瓜生も、ミカエルが手にする人形と、同じだった。知っている。
格闘家
サマンオサの牢獄から助けだされた男は弱って見えた。
何カ月も着たきりの、もとは丈夫な毛糸だったが腐っている衣類。
やせ衰え、傷ついた身。
瓜生があわてて、全身の毛を剃り入浴し、衣類を交換するよう怒鳴り散らした。他の政治犯もだ。
だが、彼の目だけは輝いていたし、ミカエルは(今戦ったら、多分負けるな)と直感した。
「テウス」冤罪で危うく逃げ、ミカエルたちと旅していた騎士ウィキネが、弟の手を取る。
「すまない、見捨てて逃げてしまった」
囚人は黙って首を振る。舌を切られ、口がきけないのだ。
ウィキネの家の従者、僧侶のピウスが半泣きで治癒呪文を唱え、祈っている。
瓜生は偽王の残忍さに吐き気をおぼえたが、それだけのことだ。瓜生以外の皆にとって、その程度の残酷刑は珍しいことではないし、瓜生もこれまでの旅で残虐なことは散々目にしてきた。
(おれの故郷だって、別に威張れた話じゃない。アフガンやシリア、中南米の麻薬王国、アフリカ、アメリカや中国、北朝鮮、これをやった牢番だって震え上がるような拷問虐殺屋が億単位でいるんだ)
吐き気をこらえた瓜生は、このような野蛮な監禁に関する医学の本がないか探しに、別室に引き取った。
それをよそに、再会の喜びと宴は続いているし、王は浴場を政治犯たちのために使わせてくれた。
囚人たちが何日もかけて健康を取り戻すのをよそに、祝いの宴でサイモンJrは先頭に立ち、勇者ミカエル一行をともなって打倒バラモスの旅に出た。
旅の間、数回サマンオサにルーラで里帰りし、帰りを待つ家族たちと旧交を温めることはあった……そのときには、瓜生の姿はなかったが。
そして火山の火口にガイアの剣を投げ入れるまで長い旅を続け、サイモンJrたちとミカエルたち四人が別れた。ミカエルたちはネクロゴンドの大地と洞窟を踏破し、ついにバラモスを倒した。
そしてギアガの大穴から闇の大地アレフガルドに至ったミカエルたちは、より大きな力を得るため、ダーマ神殿の転職の力を使おうとしていた……
「武闘家に」ラファエルが、ダーマ神殿に申請する。ランシールの神殿騎士団に留学していたラファエルの名と血筋は、ダーマにも届いている。まして魔王バラモスを倒した四人の一人でもある。
転職はすませたラファエルだが、いくらアリアハン王家の証でもある大力、剣と僧侶としての棒術の基本、豊富な実戦経験はあっても、武闘家独自の術は知らない。
ラファエルが幼い日に憧れた、アリアハン王家の招きに応じて、緊急時の護身法を教えた武闘家の演武を少し見ることもあったが、許しは得ても遠慮して技は学ばなかった。
「姫に習ったらどうだ?」と瓜生が聞く。「一度、おれが目を離してしまったときに巨大な猿を蹴り殺してたぞ」
一瞬ラファエルが席を立ちかけ、がっくりと椅子に身を沈める。
姫、というのが誰か、ラファエルやミカエルのほうがよく知っていた……アリアハンのアリーナと呼ばれる、アリネレア王女。小さいころに習ったことを、伝説のアリーナ姫の真似をしてひたすら修行ばかりしている。
彼女のわがままには、二人とも小さいころから散々振り回されてきた。
そして彼女は最近、瓜生ともしばらく旅をしたのだ。
「遠慮させてください」ラファエルがため息をつく。
「なぜ遠慮したいかは、聞くな」ミカエルもため息をついた。
「心当たりは……そうだ、ウィキネの弟」と、瓜生が思い出し、ラファエルが目を輝かせる。
「早速行くか」と、ミカエルがルーラを唱えた。
サマンオサの、半ば取り壊されていたのを再建しつつある中級貴族の館。
「お久しぶりです。まだ散らかってはおりますが」と、戦場で頑丈な板金鎧を着ているときとはうってかわって、貴族らしい服装をしたウィキネが四人を迎えた。ピウスは功績によりサマンオサ王国の教会でも重要な地位を得ている。
そのかたわらに、簡素な服の弟が座り、深く頭を下げて感謝の意を示した。
「筆談なら」という言葉にうなずき、歓迎の晩餐を待ち、土産として瓜生が出したウィスキーを土地の木の実ですすりながら話す。
『私は未熟。わが師チケンに習う方がよい』と、流麗な字が書かれる。
「では、その師はいずこにいらっしゃいますか?」ラファエルの問いに、
『カザーブに。カンダタさまとも知り合い。共にゆく』と。
「確かに、徒手武闘はカザーブが本場だな」とミカエルが立とうとして、舌打ちして座り直した。
せめて晩餐に出て、一晩泊まってから行かなければなるまい。
サマンオサの料理は町では素晴らしくうまいが、最近まで没落していた貴族では残念だった。散っていた使用人を集めるのも順調ではないし、返され加増もされた領地も荒れている。
「あと五年くらいしたら、子を産み終わった老人が行くべきだが、北砂漠の巨岩をぶっこわして港を造ったから、そっちが豊かになるよ」と瓜生が言って、ガブリエラに責められていた。水爆を使用したことを、ガブリエラやダーマはいまだに責めている。
ミカエルたちは、バラモスを倒したのに旅を続けていることについて、ごまかすのが大変だった。ゾーマのことは秘密だ。
「平和が残念だ!まだ魔物は出るが。わしもみなと、バラモスを倒したかった。それにしてもカンダタ殿はいまいずこに」とぼやいている貴族に、複雑な目を向けながら料理を腹に詰めることに励むしかなかった。
戦いの旅では気さくで心強い仲間だったが、こうして貴族として再会すると、幻滅してしまうのはいたしかたない。
山奥の村、カザーブ。十字路の中央、水・森林・鉱脈に恵まれた村。
今はカンダタ一味からロマリアの支配に戻り、ポルトガとも緊密に交易するシャンパーニュや、眠りから覚めたノアニール、両町とロマリアの通行にも重要な村で、規模の割に豊かだ。
素手で熊を倒したという武闘家の伝説でも知られる。
村に入り宿を取り、テウスが松葉杖をついてまず墓参りをし、いくつかの花と小石を意味ありげに並べて供えた。
(見せかけだね。墓守のじいさんとめくばせした、それだけだ)ガブリエラだけは見抜いた。
そして夜、ラファエルだけを連れて、また墓に赴く。
亡霊のかたわらに、亡霊と同じように痩せた老人がいて、テウスと軽くうなずきあった。
そのまま、三人黙って、山の廃坑に向かう。ミカエルたち三人は絶対についてくるな、と厳しく言われていた。
学ぶ許しを得るのに、ラファエルは三日三晩一睡もせず一滴の水も飲まず、ひたすら腰から腕を振り回し、身体に巻きつけては逆に戻す、ラジオ体操にある動きに似た単調な動きを続けさせられた。
それから、一月ほどかけていくつかの動きを学んだが、「いくつか失伝がある」とも伝えられた。
ゾーマを倒し、〈上の世界〉に戻って、ラファエルはミカエラと結婚し、ネクロゴンド王国の女王となった彼女の夫として、王国を支えることになった。
それからミカエラが双子を妊娠し、その一方はアレフガルドに残し、〈下の世界〉を守るためロトの血筋を伝えよ、という予言があった。
そのときに、ガブリエラと共に赤子を守り〈下の世界〉の土となる、と誓った数十人の志願者がいた。
その中に、テウスの姿もあった。兄や知り合いに別れを告げ、オルテガのかぶとに眠る赤子とともに世界樹を通じてアレフガルドに下った。その前にラファエルから、ゾーマから教わった失伝技も教わり、技を完全にした。
人々はかつてルビスの塔があったマイラ沖の島に行き、そこでガブリエラの導きにより地を耕しつつ知恵や技を教えあった。
赤子ミカエルが長じれば、テウスも徒手の技を教え、他にも多くの弟子を育てた。
各国に散って情報を得るガライ一族も、武器を持たなくとも戦えるし舞踏にも通じる徒手武技は好んで学んだ。
ミカエルの多くの子も、そして瓜生の教えにより病を持たず健やかに生まれ育った、遠い大灯台の島の〈ロトの民〉の子も、多くが彼に拳を習い、素質あるものはより高く学んでより多くの一族に伝え、時に魔物との戦いに光を放つことになる。
テウスは百近くまで長生きしたという。
魔導師(魔女)
ジジと瓜生の肩に、老いた手が置かれる。
瓜生がびくっとした、予想通り、三メートルぐらい吹っ飛ばされて転がった。
骸と化した魔物たちを、勇者一行が解体している。
「ばかもん。剣の素振りとは違うのじゃ、戯れに魔力を編むなど許されん。当分魔法を禁じる」
瞬時に、瓜生の心身に、見えない網が絡みつくと激痛とともに魔力を封じられたことがわかる。それが深い喪失感となる。
逃げようとしていた少女ジジも、小爆発をぶつけられるが、すりぬけた。と思ったら、別のところに放たれた氷風に、かなり違うところで足が凍りつく。
「おぬしも。呪文と奇術の組み合わせは当分忘れよ、と言ったであろう」
老いた、サイモン家の紋章をつけた魔法使いエニフェビが、悲しげに叱りつけた。
「あんたのとばっちりであたしまで怒られたじゃない!」ジジが瓜生に当り散らす。
「それとこれとは別だよ」答えるのを、
「うるさい!いい年してあたしより魔力弱いくせに、口答えするなっ!」と少女が怒鳴った。
「そうだ!お前みたいな三流賢者の声など聞きたくない!」となぜかサイモン二世が加わる。
が、
「あんたはすっこんでろ!」とジジが蹴飛ばし、反撃しようとするがいつのまにか、サイモン二世は虚空を殴り続けていた。
魔物を遠ざけるため、焚火が大きく燃える。
サイモン二世は、もうぐっすりと眠ってしまっている。その口から、甘えたような寝言が漏れる。
皆食事は済んでいるが、食べきれず放置すれば腐るだけのカメの魔物の焼肉に、重戦士ゴルベッドと海賊商人バッサーニノ、そして新米賢者の瓜生がまだまだ旺盛にくいついている。
「しばらく魔法封じられるから、明日は前衛で戦うよ」と、瓜生はカザーブで特注した、長大な鋼の槍をしごいて見せた。
「お、そりゃたのもしいな」と、ゴルベッドが酒を干しつつ、瓜生の背をバンバン叩く。
焚火を背にするように、女賢者ガブリエラと老魔法使いエニフェビが相対している。エニフェビの膝には、ジジがぐっすりと眠っていた。
その、幼いが充分売り物になる美しい髪を、老人の手が孫のようになでている。
「助かるよ、二人を教えてくれて」ガブリエラが言う。
「おそろしい」それが答えだ。
「ああ」
「ジジ、この子の髪色、目の下の」と、まぶたの下を軽くなで、まるで眠った子犬のようにジジが甘えた。「ほくろ。予言されておるな」
「ああ、魔法の天才にたまにいる、ってさ。僧侶と魔法使いの区別なく、特に幻や混乱など、心を操ることに長け、恐れられる……」ガブリエラが、眠る少女を痛ましそうに見て、奇妙な発音を、口を閉じたまま舌に転がした。
「そなたに言われたな。アッサラームの幼い盗賊に、魔法の天才がいると。あの悪夢の洞窟と同時に」
瓜生が、カンダタに負けたうさ晴らしで、ある洞窟の一室を大量の重火器で破壊しつくした。
それをガブリエラがジジを通じて盗賊たちに告げ、カンダタ盗賊団や女海賊ルフィナらにそれを見せた。勇者ミカエル一行には手を出すな、という警告を込めて。
そのときにエニフェビがカンダタを通じてアッサラームの盗賊にかけあい、ジジをカンダタ盗賊団に引き取ったのだ。
カンダタはシャンパーニュ周辺を治めつつ、サマンオサ王の暴政に追われたサイモン二世、エニフェビらも助けていたし、エニフェビとはオルテガや先代のサイモンが健在だった昔からの付き合いでもあった。
「しかし、実際に教えてみて、想像以上であった。幻術の類に限れば、エオドウナ王女すら及ばぬであろう。さらに奇術との組み合わせがどれほど恐ろしいことか。放置しておけば自らも滅び、世に大きな災いとなっていた」
「最初に会ったときも、あたしから掏る、その時にごく弱い幻術と、手を用いた技であたしの目と体の感じを別の方に向けた。手を使う奇術の基本、見て欲しくないことを見せず相手が見たがることを見せる、が骨の髄でわかってんのよの子は。
魔法が使えなくても、奇術や盗賊だけでも天才だね」
ガブリエラがため息をつき、一息入れて二人、熱い酒をすする。
「オルテガやカンダタ、サイモン、それにあたしやあんたと旅していた頃のエオドウナは最強の賢者だった。それよりも、この子の幻は?」
怯えるように問うガブリエラに、エニフェビがうなずいた。
「だからこそ、危険じゃ。奇術と魔術は近すぎる、ゆえに遠すぎる」
「このようにですか?」いつの間にか来ていた瓜生が、地面に十字の線を引き、反比例のグラフを描いた。
「そのようにおそろしい線をむやみに描くではない。眠れ」とエニフェビがラリホーで瓜生を眠らせ、線を消した。
「わけのわからぬ、とてつもない知識。異界の」エニフェビがガブリエラに、目を閉じて首を振った。
ガブリエラがうなずき、「賢者、魔法を使う身としても、はたで見てても面倒だね。ラファエルも悩んでた」と、ため息をつく。
エニフェビが深くうなずいた。
「彼は研究熱心すぎ、すぐに禁呪を試す。同じメラを心身で魔力を高めてから放つことで威力を増そうとする、メラミを使うのではなく」
「成功したら、メラゾーマ五発でも相殺できないね。でも」
「人が行うべき呪文ではない。フィンガー・フレア・ボムズに挑む方がまだましじゃ」老人が指を広げてみせる。
「できちまったら、メラゾーマはその真の姿、熾炎界の鳥神を召喚することになる……大魔王だよ、そんなことができるのは」ガブリエラが震えた。
「それが、夢といえぬほどに、もともと魔力が大きい。彼のレベルなら五回はからっぽになるほど呪文を使い続けて、やっと魔力が尽きる。仲間たちは何も考えず、重宝に使っているが」
経験豊富な魔法使い二人、ため息をつき、火が崩れていくのを見つめる。
「そしてミカエルさま。あのお方の魔力は……」熱い炎を前にして、老人が震えた。
「ダーマには任されたけど、無茶だよ。神だよ?」とガブリエラが肩をすくめた。「なるようになれ、さ」
「なるようになれ、には恐ろしすぎる。老い先短いのが不安やら、ありがたいやら」
老魔法使いは疲れきったように、眠りこんだ。
ガブリエラは、三人の眠る魔法使いに毛布をかけ、自らもジジを抱くように身を横たえた。
〈ロトの子孫〉の導き手、大賢者ガブリエラ。
後の、サマンオサ宮廷魔術師長エニフェビ。
後にダーマなど魔法使いの間では〈禁呪破りの異魔人〉、王族たちには〈山脈砕き〉と恐れられ、商人には〈伝染病根絶者〉〈上下水道・肥料・作物の守護神〉、医者たちの間では新ネクロゴンド方式産婦人科医法の祖とあがめられ、貴族や庶民の間では伝説的な笑いものと親しまれる賢者ウリエル。
そして〈上の世界〉ではそれほどは知られないが、〈下の世界〉ではデルコンダルの幻魔、そしてローレシア・サマルトリア両王国の影の女宰相と恐れられるジジ。
その四人の寝顔は、その強大な魔力を感じさせるものではなかった……数時間後、見張りを交替するまでのわずかな眠り。
ミス!
「ああっ!」老魔法使いエニフェビの、絶望の悲鳴が上がった。
朽ち腐りゆく、死の幽霊船、ほの暗い下層甲板。
一人の、賢者の額冠をつけた青年が、全身から黒い炎をほとばしらせ、絶叫して踊っている。
得たりと、それに触腕を巻きつけた巨大なイカの魔物が、一瞬で全身燃え上がり、灰に化して消えうせた。
そこにやたらと派手な服を着た、まだ十二歳ぐらいの少女が飛び込んだ。
その呪文が、飾りの多い杖が複雑に舞い、可愛らしい口から呪文が絶叫された。
もはや口からも炎を吹き上げ、肘から先が消滅しかかっている瓜生。その目が曇り、瞬時に凄まじい、魔物より激しい殺気と変わる。
怯えるはずのない、巨大な魔物たちが怯えていたが、思い出したように襲ってきた。ジジがそれを指差した瞬間、瓜生のもはや存在しない手が振るわれ、口が人にはありえないほど大きく開く。
閃爆!凄まじい爆風の嵐が吹き荒れると、魔物たちは跡形もなく消え、幽霊船の船腹の分厚い木材すら広く崩壊していた。
そしてその向こうの大海原すら激しく叩かれ、大波となる……強力な魔力で維持される幽霊船でなければ一発で沈んでいた。
そのまま倒れる瓜生に、ラファエルが駆け寄りベホマ、そしてザオリク。
「こちらにもじゃ!」エニフェビの悲鳴。その腕には、ジジが倒れかかっていた。
「黒魔炎症、魔法使いたちが最も恐れる現象じゃ」一時撤退したロマリアの宿。
エニフェビが、怯え半分で聞く皆に説明を始める。
瓜生は、五体は回復しているがまだ意識が戻らない。ジジも激しい痛みと吐き気を訴え続けている。
「新米の魔法使い、若くから魔法を使いすぎている、それが急すぎる成長で中級呪文を使うようになるころ。その十人に一人程度が起こす魔力の暴走じゃ。多くは助からぬ、それどころか周囲を巻き込んで大規模な破壊を起こすこともある。一度起こして助かれば二度とはやらぬが」
「ジジが、とっさにウリエルに桁外れに強力なメダパニをかけた。メダパニの上位呪文は、存在しない。しちゃいけないんだ。禁呪だよ」ガブリエラが怯えながら、ジジの額のタオルを換える。
「それで、ウリエルの暴走した魔力を、攻撃呪文として幻で指示した方向に吐き出させた……」ラファエルが、畏怖の目でジジの手を握った。
「普通の状態ならば死ぬ、いや消滅するほど、無理に全魔力を出しつくさせた。人が人にそのようなことをさせられるとは」エニフェビがジジをじっと見つめる。魔物を見るより恐れる目で。
「ダーマや魔法使いギルドにとっても、これは朗報だね。黒魔炎症で、助けることができたんだから」ガブリエラが、あえて笑った。
「この子以外にできるのか?あのように高度な精神支配呪文と幻術、魔力操作……わしも、しなければならぬ日があるやもしれぬな」エニフェビが覚悟を固める。
ガブリエラも、目を閉じてじっと考え……その額から、汗がしたたる。
「よくわからんけどさ、魔法ってのもおそろしいんだな」ゴルベッドが心配そうに瓜生を見た。
「どうでもよい。二人とも別にいらなかったんだ」サイモン二世がはき捨て、寝床に向かう。
「ばかいうな、どれほどの戦力減だと思ってるんだ」ミカエルがラファエルと、小さい声でうなずき合う。
「戦力というなら、あれを呪文として使いこなせるなら」バッサーニノが言おうとしたのをエニフェビが怒鳴りつける、
「メガンテの方がまだましじゃ、あれなら味方に被害を出さぬようできるが、あれはおかまいなしじゃ!」
「言ってみただけだよ」海賊商人は悪びれず酒を頼み、料理を追加した。