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この、「人類滅亡の年」の終わりに、その人類滅亡について考えてみましょう。
「人類の滅亡」で、利益を得る人はいるでしょうか?いない、と結論づけられそうですが、います。「人類の滅亡」が今すぐの場合、一部の宗教者以外には利益はないと思います。でも、それが「五十年後に人類が滅亡する代わりに、現在の既得権益層の力を維持、増大する」としたら?五十年後に確実に寿命が尽き、そして五十年以内に人類が不老不死を発明する期待ができない既得権益層にとっては人類の滅亡が利益になります。
「人類の滅亡」を防ぐためには、人類全体が一つの意志、「いかなる手段を用いても人類を滅亡を防ぐ」という合意に達しなければならないです。僕はそれについて、楽観していません。国連決議にかけるべき事かどうかにも疑問があるでしょうし、まして宗教者にそれを合意させるのは難しいと思います。多くの啓示系の宗教は終末、つまり人類の、神の命令による滅亡を肯定し、前提にしていますから。
あ、この問題も大きいですか、「預言の成就としての、神の意志による人類の滅亡に対して、抵抗すべきか否か」。もちろん抵抗など無駄でしょうが、それでもできる限るの抵抗はすべきでしょうか?それとも、素直に服従するのが正しいのでしょうか。でも、その場合、それが本当に神であると言う事はどう確認できるのでしょうか?
アメリカで、公教育から進化論やビッグバン説を否定しろ、という「聖書がそのまま正しい」派が力を伸ばしているそうです。確かに、進化論もビッグバンも、それ自体の証明は非常に難しいのも確かです。ただ、ビッグバンを否定するなら背景放射や銀河の赤方偏移の説明が欲しいところですし、進化論を否定するなら化石について説明して欲しいものです。本当に世界が聖書通り約六千年前に一週間ででき、しかも「一見地球は五十億年、宇宙は百数十億年前にできた」ように「神が見せかけている」としたら・・・そのための労力があまりにも大きすぎる気がします。
あ、そのような創造論者は、物質が原子で、生命がDNAでできている事も否定しているのでしょうか?それはもう否定のしようがないと思います。
そういった、科学に反対する力は思った以上に強いです。今後、科学の影響力が低下しないことを祈りたいですが。人類、そして地球生命圏の生存のためには、やはり科学知識による冷徹な理性が必要ですから。
学問は今後、有用なものしか生き残っていけない運命なのでしょうか?僕はそれでは、学問の意味がないとさえ思います。「哲学は神学のはしため」だったかもしれませんが、学問は決して技術の奴隷ではないはずです!世界の真実を知りたい、という人間の最も純粋な欲求に答えること、それは必要ない無駄か、環境破壊や核兵器を生み出した、むしろ悪なのでしょうか?絶対にそうではないはずです。悪になったのはあくまで、人間がその攻撃性をコントロールできず、権力構造が戦争を、そして社会構造全体が環境破壊を起こす形になってしまい、それを自分で止めるだけの理性がなかったからで、科学のせいにするのは違うと思います。
そして、今有用ではないから研究費を出さない、というのもどうでしょうか?昔とは違い在野の、アインシュタインのような理論家やファラデーのような実験家が科学の先端を切り開ける時代ではないです。やはり公的な資金で研究しないと、先は見えないです。未来の世代のためにも、すべきことを考えて欲しいですね。
人間は幸い、一人一人は多様な個性があるとは言え、少なくとも遺伝子的には根本的な差がありません。遺伝する身体障害も知能障害も聞きませんし、人種の差が顕著な体格、知能などの差になっている事もないです。
でももし、これはファンタジー小説と言っていいのですが・・・その差があったとしたら?体力は低いが高い知能と手先の器用さを持つ種Aと、それとは交配不可能な、けた外れの体力がある、そして言葉を理解する力があるが、どうしても高等な知的作業はできない種Bが分かれていたとしたら。
今後、素粒子物理学や宇宙物理学のような科学の先端を行く基礎科学で、根本的な発展は見られないと思われています。素粒子物理学は明らかに実験設備の限界に達し、多少今後発展的な実験をしても現在の標準理論が崩れる事はないと思われます。宇宙物理の分野では重力波の検出、宇宙定数の決定など難問は山積していますが、背景放射やクエーサーのような、新しい理論の発展を進めるほどの大発見はほとんど期待されていません。
でも、まだすべきことはあると思います。それは、一般大衆に向けての一層の啓蒙です。もう発展は望めない、ということは、しっかりとした定説体系が出来上がっていると言う事でもあります。ただ、それは数学的に非常に難解で、一般人はおろか学者でも隣の分野は分らない、と言う状態です。それをなんとか、インターネットやコンピューターグラフィックを活かしたテレビ番組などで、分かりやすく啓蒙する事はできないのでしょうか。難解な数式でも、数式を用いずに視覚的に表現する事もある程度は可能です。第一、人間は言葉で考え始めたのが二百万年前、数式で考え始めたのは数百年、それまでの何億年も生物として、それなりに情報を処理してきたのです。それを直接刺激する形で、深く理解する事は可能だと思います。
また、将来脳そのものに直接情報を入力するシステムが生まれるかもしれません。その時を期待していましょう。
マカオもパナマ運河も、次々に返還されました。これは一体何を意味しているのでしょう。
かつて、世界の大半をごくわずかな国が支配していた時代がありました。そして、ある時期次々と、名前だけは独立しつつ、かえって混乱の中に苦しみ、資源を搾取される国が生まれました。ただし、いくつかの要地は契約上租借関係が続いていましたが・・・。
昔、中学や高校の頃感じていた未来予想と今の現実を比べて、あまりの差に愕然としています。まあ当然のこと、当時のそれは理想が多分に入っていましたから。
当時、様々な報道や本などを参考にして、政治、産業構造、経済、雇用形態などの大変革を予想していました。政治面では自民党の一党支配が崩壊し、柔軟な政治体制になっている、官僚の支配も大きく崩壊、小さい政府のもと財政構造改革が進んでいる、産業構造は大きく情報関連に傾き、古い大企業が次々と倒産する反面、新しい企業が次々に出て環境、情報、バイオテクノロジーなどが大きく発展、宇宙開発も大きく進んでいる、雇用制度も大きく変動し、終身雇用の代わりに大幅に流動化した労働市場の中、今までのような「社畜」「滅私奉公」ではなく、個人の能力が重視され、同時に余暇も増えて無茶な残業が減り、余裕があって一人一人の個性と創造性が活かせるように、言い換えると従来はじき出されていた、常識の枠に収まらないようなエネルギーの持ち主が活躍し、学歴社会も大きく変わってどこの大学を出たかではなく、何を勉強したか、何を創り出せるかが問われるようになり、より創造的な力の持ち主が冒険的な起業や研究を通じて自由に力を伸ばし、それを軸に個人の幸福が追求できる時代になっていく・・・と。
大外れです。当たっていると言えば情報産業とバイオテクノロジーの隆盛ですが、それも当時の予測とはかけ離れた次元になっています。十年前、十年以内に羊のクローンが完成する、などと言ったら笑い飛ばしたでしょう。インターネットなど、五年前にはその概念も知らないに等しかった・・・。
政治構造が見事なまでに元に戻ってしまった、その一番大きなきっかけは細川内閣の崩壊だったと思います。あの政権に国民の、政治の変革に賭ける希望が集まり、そして希望ごと崩壊してしまった・・・。そして、あの状態からここまで盛り返した自民党の底力には呆れる他ありません。財政構造改革の失敗も意外でした。
新しい企業も、トヨタクラスの巨大企業が新しく生まれるには至っていません。そして、最近は一時の企業ブームが金融不安のため失敗に終わり、新しい芽を出せる環境ではなくなっているようです。
そして、雇用構造の予想が一番大きな外れでした。能力主義の浸透、終身雇用の崩壊は当たっていましたが、まさかそれがこんな形になるとは。社畜がなくなるどころか、スーパー社畜以外ははじき出されて新卒者の半数近くが就職できず、同時にこれまで頑張ってきた中高年も、ごく一部のトップクラス以外は切り捨てられるとは予想していませんでした。競争社会も個性と創造性、といったいいイメージではなく、実現してみると今までの価値観の延長にある根回し、上司の覚えなどが優れた物だけが生き残る、というとんでもない淘汰体制になり、仕事も幸福追求ではなく、解雇を脅しに使うという最も強力な、そして救いのない動機で労働時間も実質的に(運よく仕事にしがみつける者は!)大きく増えてしまうという・・・もちろん個性だの創造性だのは今まで以上に消され、リクルートスーツから誰も冒険ができなくなってしまっています。
でも、もしこうなると知っていたとしたら、一体将来のために何ができていたでしょうか。今、中学や高校にいる人に、将来のために何をしろと言えるのでしょうか。せいぜい英語とコンピューターを学んでおけ、くらいしか言えないと思います。それ以上のことは・・・こっちが聞きたいです。
コミケのカタログチェックをしていて思った事・・・。
日本の、マンガやアニメの文化の恐ろしさ、深さは底が知れません。これだけの人数の、水準以上の絵が描ける人間を抱える国がどこにあるのでしょうか。信じられないです。
そして、呆れながらも思い知るのが男のリビドーの強さです。コミックマーケット以外も含めて考えると、男性の性に関する産業は一体、GNPの何%を占めているのでしょう。恐ろしいです・・・が、逆に、女性にはそれはないのでしょうか。となると、この巨大な産業と同じ量の需要が眠っている事になる、想像するだけでもぞっとします。
やはり、と申しますか・・・心より大内さんのご冥福をお祈りします。今日まで生き続けた事自体が驚異でした。医学の進歩がどれほど早いか痛感します。ただ、結局医学の、現在の手法と言いますか、使える技術の限度を超えていたのでしょう。ほとんどの細胞のDNAがやられているのだから、無事な細胞を一つ探してクローンを作り、急いで脳以外の体をフルセット作り、それに脳を移植する他にはないですが、現在の、医学の枠組みではできないです。そうなるともう医学ではないですね、タイムマシン完成後の歴史学と同じく。
この事故をきっかけにして、なんとか原子力、火力、水力発電から太陽光発電にシフトして欲しいです。日本は領土こそ狭いですが、領海はとてつもなく広大ですし、全ての屋根を太陽電池にする事を強制しただけでもそれなりの発電力(ついでに膨大な経済効果)は得られるのですから。そして、最終段階としての宇宙太陽光発電所を国の方針として進める、それ以外に大内さんにできる供養はないと思います。
横山大阪府知事が辞表を出しました。青嶋前東京都知事に続き、かつて「無党派」と呼ばれた、特定の政党を指示していない層が期待した、東京と大阪の芸能人知事が、これで二人とも、期待されただけの業績を上げず、少なくとも注目されるようなプラスのないまま消えた事になります。
次の総選挙は一体、どうなるのでしょうか。この二人の知事が去った事から無党派層の絶望感が増し、棄権が増える恐れがあります。
それに関連して、少し疑問なのがなぜ日本に、左派でない、はっきりした「環境保護」を中心にした政党がないのでしょう。環境保護のための産業構造の根本的変革は日本では・・・。
それにしても、今回の理由はあまりにも情けないです。
人類の人口は最大でどれくらいになるのでしょうか。増大、否爆発を止める事はできるのでしょうか。
産児制限に必要なのは、特に女性に知識が普及する事と経済的な安心感で、今までのように七人生んで二人生き残ればいいほう、という時代ではない事を夫婦に納得させる事でしょうか。ただ、人口爆発地帯で生きている人の心を考えますと、社会が崩壊しつつあるのにそれが一体どんな事なのかを理解できるほどの情報と教育はない、そうなると一人一人、夫婦一組一組は一人でも多く生んで、その誰かが生き延びれば遺伝子は残せる、という意識してかどうかわかりませんが、合理的な選択をしている気もします。ただ、それは各夫婦にとっての合理的行動でも集団の錯誤であり、全体としては人口爆発により広範な害をもたらします。
地球の限界は100億人とも80億人とも、120億人ともいわれます。ただ、経済的な平等を重視し、10億人の車と電気を使うものと、原始に近い残り50億、というのを否定すれば・・・恐ろしい結論になるかもしれません。全員が先進国の生活をして、許される人口は・・・これは考えたくない事ですね。
恐らく実際は、人口爆発を今起こしている後進国が、ある時期飽和、限界に来て食糧供給が不可能になり、深刻な無秩序が発生、先進国は介入を諦め(現在もソマリアへの介入に失敗、その結果ルワンダで虐殺を放置しました)て放置を選び、そのまま激しい小武装勢力同士の抗争になると思います。そして、その抗争から国際社会の支援が中止され、食料供給の崩壊と医療水準の低下が伝染病を引き起こして急激な人口の減少、というシナリオが一番予想されます。その際に、先進国がどこまで自分たちの繁栄を維持できるのかが問題です。先進国も共倒れになって文明の崩壊、は避けなければなりません。先進国の科学技術でも足りない、だがもしそれが無かったらもっと深刻な事態になる核物質や化学物質を、この地球は余りにも多く抱えています。でも、混乱が予想されるアフリカ大陸サハラ以南や中央アジアなどの資源なしに、どこまで先進国が持つか・・・特に希土類と石油資源だけは力ずくで確保する、という事も考えられますが、それも難しいかもしれません。
腐敗、と言いますと、中国やロシア、フィリピンなどがイメージとして浮かぶと思います。少し前まではイタリア、中南米諸国が浮かんできました。最近は日本の官僚もでしょうか?
でも、それではアメリカやイギリス、フランス、ドイツには汚職や腐敗はないのでしょうか。無いはずはないと思いますが、CNNでもNewsweekでもほとんど見かけません。一体何が違うのでしょう。自覚した市民による監視体制、情報公開、法治原理の徹底などなのでしょうか?それとも宗教的な何かがあるのでしょうか?
そして、中国と言う国は、結局腐敗から立ち直ることができる国ではないのでしょうか。歴代王朝が腐敗の限りを尽して腐れ落ち、その腐敗から力を得た地方軍閥が次の天下、というのが中国史のパターンなのですが。一体なぜ、中国はああ腐りやすいのでしょうか。
一人で死ぬ、というのは、今の日本ではどんなことなのでしょう。阪神大震災のあと、仮設住宅で多くの老人が孤独に死んでいき、「孤独死」と言う言葉までできたほどです。でも、実際に頼れる身寄りがない人間が死んでいく時って、一体どうなるのでしょうか。考えるとぞっとします。そのための、一人で死んでいくための公的な設備があるといいのですが。老人ホームというものもありますが、他にも様々な形で。特に今後、失業状態で社会から切り離され、生活を再建できないまま一人で死んでいく人間は出てくると思います。
「強さ」について考えてみて、ふと同じ週刊少年ジャンプの連載作品、「ドラゴンボール」と「JoJoの奇妙な冒険」が二つの対極として浮かんできました。同じ週刊少年ジャンプで、「戦い」「強さ」に縛られた作品なのですが、その「強さ」観は極端に違います。「ドラゴンボール」はスカウターという道具で、数字で表現されるように単純な、線形の力です。常にA<BかつB<CならばA<C、腕相撲にも似た、「波ーっ!」のどちらが強いかを比べ、負けたほうが吹き飛んで終わりの強さです。反面、第三部以降「スタンド」を扱うようになってからの「JoJoの奇妙な冒険」は、最終的に力に帰着する面もあるのですが、非常に多彩な心理戦や複雑な物理法則の変化があり、ジャンケンのように組み合わせによってはA<BかつB<CかつC<Aが成り立つ世界でもあります。どちらが、という比較論は愚かでしょう。単純な人気では「ドラゴンボール」に敵う作品はないですが。ただ、地球をも容易に破壊できる「ドラゴンボール」のキャラクターでも、時を止め、鏡に潜み、夢に侵入し、空間に潜り込み、因果律さえ変える「JoJo」のキャラクターに勝てない事も多いと思われます。様々な作品についてその、どちらの系列か考えるのも面白いです。
同時に、現実の格闘技でもよく言われる「最強格闘技」について、それは「ドラゴンボール」の発想ではないか、と思います。皮肉にも「ドラゴンボール」では「天下一武道会」という、最強を決める大会がありますし、多くのドラゴンボール系の強さ観を持つ作品で、同じくルール無用のトーナメントバトルが見られます。
現実の世界は違うのではないでしょうか。それぞれのルールがあり、だから別の格闘技に習熟した特定の二人のどちらが強いかでも、ボクシングのリングでルールに則って戦うか、柔道の道場で試合をするか、K-1のルールで戦うか、戦場で殺し合うか、街路で殴り合うかによって、よほどレベルに差がない限り勝敗は全く違うと思います。
今の世情で、一番足りないのは信じる事のような気がしてきました。
年金制度を信じない、警察を信じない、国会を信じない、議会制民主主義を信じない、企業を信じない、企業は学生も社員も信じない、本を信じない、マスコミを信じない、銀行を信じない、逆に銀行は借り手を信じない・・・今まで信じてきたものが崩れ、新しい信が芽生えていない、そんな感じがします。アメリカは何を信じているのでしょう。そしてイギリスは、フランスは、中国は、韓国は、ロシアは。
もちろん、健全な懐疑精神は特に今後、メディアリテラシーを求められる以上、必要になると思います。
信以外の、仁、義、礼、智も現在、見られない気がします。封建道徳である仁義礼智信も一つ一つ、単純に考えると、必要な倫理ではないでしょうか。仁は思いやりで、これはキリスト教でも隣人愛として最も高く重視されているのと同じことだと思います。義は約束を守る、利益よりも善を選ぶ、といった自然な態度ですし、礼は自然なマナーと、結局は仁に帰着すると思います。智は善悪の判断・・・これは一番難しいですか、今のように価値観が相対化され、寛容が求められる時代では。でも、もっと深いレベルでの善悪はあると思います。
上水道が一種類しかない、当たり前のような気もしますが、おかしい気もします。いくつかに分かれているほうが自然ではないでしょうか。
下水にも疑問があります。どこかで実験してほしいですが、例えば一万人の生活廃水を浄化するには、どれくらいの沼地が必要なのか。浅い、左右にどんどん水が染み出す細い水路を縦横に引いた、無論伝染病の心配があるから立入禁止の地域を作り、そしてその周囲に充分な広さの植林をすれば、汚水の汚物の大半は肥料になるような栄養物質ですから(性質の悪い、自然に分解されない化学物質も多いのですが)、表面積さえ広ければ酸素が供給され、光合成が充分にできて分解され、食物連鎖に入ってそのまま生物資源になるのではないでしょうか。この処理法は不可能なのでしょうか?もちろん、日本の狭い国土では無理ですが、ほかの、いや汚水を外国に押しつけてはいけない、海面に人工的に作った浮かぶ陸地(メガフロート)でもできると思います。海面上にできた、巨大な、とても広くて浅い水を通さない桶、そこに土を敷いて汚水を流せば、海に流れ込む事なく日光を浴びて擬似的な沼地になり、そこで食物連鎖が起きて自然に浄化される・・・。
あ、今の想像からの思いつきですが、更に拡大して・・・宇宙空間の太陽電池発電所構想、それをさらに変形して、宇宙空間から鏡で日光を海の汚染された場所に当ててやったらどうなるのでしょうか。もし、そこの紫外線量が二倍になったら?もちろん、人間が住んでいる場所にそれをしたら大変です。でも、海面上だったら?船に警告すればいい事です。そこで、二倍になった紫外線が海に当たり、そこでもっと多くの植物性プランクトンが増殖、そのままより多くの動物性プランクトンや小魚・・・と食物連鎖のピラミッド全体が大きく・・・なるのかどうか、実験しないと非常に危険だと思いますけど。
今日、パナマ運河がアメリカからパナマに返還される式典が行われるそうです。
でも、とても不安です。ちょうど今日、コロンビアのパナマに近いところで、軍隊が左翼ゲリラに襲撃され、多数の死傷者が出たという話も聞きました。あの地域では左翼ゲリラが麻薬組織と結びつき、強力な軍事力と経済力、政治力を持っているので、もし万が一、事実上パナマ運河が麻薬組織に牛耳られたら・・・そう、いつでもパナマ運河を破壊するという究極の脅迫ができ、またそこを密輸の最高の拠点にもできる・・・悪夢そのものです。
米軍なしで、本当に大丈夫な地域なのか、とても不安です。
人間はなぜ、星占いを信じるのでしょう。科学の冷酷な世界観には、耐えられないのでしょうか。僕自身も、人間の智の集合体で、同時に人の無意識の構造をよく伝えてくれる魔術体系を学ぶのは好きなのですが、実際にそれを信じるかどうかとは別です。
説明では、人間の心理として信じようとする傾向が強く、それは例えば当たった事例のみを印象的に記憶する、とか当たっているという風に解釈するとかがあるそうです。では、なぜそのように、無理矢理事実をねじまげてまで信じようとするのでしょうか?占いや予言が実在していたら都合がいい、当然ですか。実在していたら傘を持っていくかどうか悩む必要はないですし、世界がしっかりした理に支配されている、というのはとても安心できます。世界が予測可能、解釈可能である事を人間は求めているのでしょう。言葉を手に入れ、そして生きていく過程で。量子力学やカオス理論が何と言おうと、そんな事知ったこっちゃないのでしょうね・・・。
今後、定年制はどうなっていくのでしょうか。年金が65歳からの支給になる、ということで、60歳からだと5年間、55歳定年だと10年間の空白がある、と騒がれているそうです。
雇用の問題は、高齢者、働き盛り、そして若者の別なく深刻ですが・・・
しかも、彼らには高額の教育費のかかる子供がいます。特に先端であるアメリカで、質の高い私大の教育はすさまじい額になっています。逆を言うと、それを払える家庭の子(または、アメリカは奨学金制度が充実していますから上位に入れる資質の持ち主)だけがチャンスを得る、強力な学歴階級社会ができつつあるということです。もちろん、パソコンで情報社会に参加できるかどうか、非英語圏人の場合英語を習得させる金が親にあるかも階級を分ける点ですが。だからこそ、今教育費を払えるかどうかの重要さが分っている分、プレッシャーも大きいとおもいます。
実際問題として、日本は今後、労働者も市場もどんどん縮小していく運命なのでしょうか。そして、ごく一部の優秀な人間を除いて、老後は暗いという見通しが広まっています。そして、それこそが不況の根本的な原因だとも思います。
日本の、皇統がもし絶えたら、一体日本はどんな事になるのでしょうか。ごく自然に共和制に移行できるのでしょうか?僕自身は今回の騒ぎでほっとしましたが、女子である可能性もあるのです。皇室は確かに国民主権の原則からは外れている、かもしれませんが、僕は天皇は政治とは(かなり昔から)もはや関係の無い、全く別のもっと深い、神秘的なレベルで日本を守っている、と思っています。つまり天皇制は、原始的な宗教にある、人格化される以前の神霊と深くつながり、天皇の命自体が国を霊的に守っている、それが今もとても強いと考えています。
女帝をかたくなに認めようとしない宮内庁の姿勢も疑問です。確かに歴史的に、女帝は問題があった時が多いので、避けたいのは分るのですが。
国民全員のDNAと指紋、声紋がデータベース化されていれば犯罪、特に性犯罪は事実上不可能になります。
ですが、特に新聞の論調では、それは望まれていないようです。実際に国民投票したら、どれくらいの圧倒的多数で否決されるのでしょうか?犯罪のない世界、であっても、そのような巨大な力を警察が握っている社会はいや、ということらしいです。他、銀行やコンビニを始めあらゆる所にある防犯監視カメラ、Nシステムといわれる高速道路での自動写真撮影システムなど、「監視社会」「警察超管理社会」などの見出しで、否定的に紹介されるものが多いです。ただ、それらのシステムがないと、いくつかの犯罪が迷宮入りになっているはず、ということには目をむけないのでしょうか。
人間の社会に、普遍的にあるらしい倫理観について考えてみましょう。
まず最初、前からある単純な疑問です。旧約聖書の律法に、無数にあるユダヤ教の食物禁忌、その中にいくら探しても、「人間の肉を食べてはならない」がないのです。それこそ、一番始めに、いや十戒に並んで例えば「人間を食べたり捧げたりしてはならない」と厳禁されてもいい事なのに。もちろん、「蹄が分かれていなくて反芻しない」ので、禁じられていると導く事はできるのですが。でも、それとは独立に厳禁されていないのが不思議に思えます。言うまでもない事だからなのでしょうか。
また、高度に文明化されている文化圏でも、中国は歴史的に人肉食が多く見られます。これも不思議な話です。
宗教的な禁忌の、最も共通のものといわれる近親婚(相姦)禁止、これもやはり人間の普遍的な倫理観と言っていいのでしょうか?無論多くの文化圏で、ごく始めの禁止事項になっています。そして、人間と動物の違いとしても指摘されることです。これの起源は遺伝子的に有害だから、それだけでしょうか。
あと、医学目的の人体実験の禁止、これも普遍性があるような気がするのです。世界各地の医学史を見ればわかる事、どこの文明圏でも好き放題に生体死体の解剖をして研究した、というのは聞いた事がないからです。暴君の典型的エピソードのパターンに妊婦を捕らえて腹を割き、胎児を見るというのがありますが、それは無意識の好奇心を暴君の名を借りて行っている、と言われています。西洋でもかなりあった死体解剖に対する宗教的な抵抗は、それが文化的、宗教的な直接交流の少ない日本や中国でも強くあったようです。証拠は漢方医学の解剖学知識の少なさです。人身御供が文化だったアメリカ大陸先住民文明などではどうだったのでしょうか?そこでは高度な解剖学、生理学の知識があったのでしょうか?ある、という話も多いですが、宇宙人だの何だのと言った怪しい情報源が多いので。
あ、どこの文明にも明らかに高度な解剖学、生理学、そして心理学の知識を持っていた職業集団があります。拷問係というやつ。古今東西、医学的に善用してくれたらどれほど、と思うほど高度で科学的な知識を用いています、皮肉にも。まあ、人体を好きにしてよくて、しかも「死なせず、狂わせずに意志だけを崩壊させる」という難題を解くため、膨大な人体実験による試行錯誤を何百年に渡って積み重ねているのですから、当然ですが。
現在、西洋科学技術文明では、献体という形で医学目的の死体の解剖は、同意を条件に許容されています。しかし、それに対しても抵抗感が多いです。これも普遍的な倫理観のせいでしょうか?そして、どのような形でそれが許容されるに至ったのでしょうか?
そして、生体の利用は(もしあるとすれば)最も普遍的な倫理観に反する、感情的には当然ですが、本当に普遍的な何かが禁じているのでしょうか?同意を前提にしての新薬実験などはありますが、生体解剖などはもちろん許容されていません。確かナチスドイツや旧日本軍の細菌戦部隊などでは人体実験が許容されていたそうですが、それはどれほどの新知識をもたらしたのでしょうか?また、異人種に対する奴隷制を正当化していたついこの間までの西洋キリスト教社会では、奴隷にしていいのなら実験動物や薬材料扱いしてもいい、という論理は出てこなかったのでしょうか。そして、もし人間同士の臓器移植に対する拒絶反応がここまで強くなく、技術的にもそんなに難しくなく、古代の技術で可能だとしたら、奴隷制度があり、人権や平等がなかった時代、実行されていたのでしょうか。それとも、やはり何かがそれを押し止めていたのでしょうか。
またしても火星探査が失敗したようです。思わず叫び出しそうになったほど悔しい思いです。一体なぜ!
これがしょせん、人間の知性や技術の限界なのでしょうか。月に人間を送り込む事はできたけれども、火星に観測機を送る事は、確実にはできない・・・。もどかしい思いです。何か別の方策はないのでしょうか。途中に中継基地があれば、例えば月面上から打ち上げれば・・・。
昨日は、疑問が整理されていなかったと思います。
音楽、音の高低や長さを使ったコミュニケーションは鳥にしても動物にしても、かなりしています。でも、僕が言いたかったのは、それを言語のように、「単語」を「文法」に基づいて組み合わせ、「文」として、論理的な事や抽象的な事を表現できる記号体系にしているか、というとそうではない、ということです。
論理的には音楽で言葉を表現するのは可能なはずなので、それをしている動物種がいてもいい気がするのですが、やはり抽象的な思考や文法に基づいた組み合わせなどは、人間に固有な事なのでしょうか。
声を使って様々な、会話のような表現ができる種は人間と、鳥とクジラ目しかないそうです。チンパンジーも人間や鳥のような多彩な声を発し、人間の言葉を真似、歌う事はできないとか。人間の、「(多彩な)声による言葉」と言うコミュニケーションがいかに奇跡的か、分ります。
そしてふと疑問に思ったのが、特に人間に、他の動物でも可能だと思うのですが、音階・・・音の(波長の)高低を含めた、音楽によるコミュニケーションが発達していない事です。あ、同時にこれは、人間の歌や音楽の起源についての疑問でもあります。他の動物、特に鳥について、どれくらい音の高低がコミュニケーションになっているか分りませんが、人間の声や口笛はかなり広範な音階を正確に取ることができますから、それを利用しても言語そのものと同じぐらい広範なコミュニケーションができそうです。特に感情表現については、互いの顔を見られない遠距離では音楽以上のものはないです。
単純に考えても、音階の組み合わせと口頭言語の音節の組み合わせに差はあるでしょうか。「その木にりんご」の代りに、「(ハ長調)ミドソ(半拍休み)レファシャープド」でもいいような気がします。ドップラー効果や風で波長が変わる、そのリスクは?これも考えるべきでしょうが、何故人間が言葉を選んだのか、そして言葉だけがどうしてこのような知能の発達と結びついたのか、まだまだ奥の深い問題のようです。
まあ、こう言えるのは僕が、「要素の組み合わせ」と「言葉」の写像関係を理解しているから、言葉が使えるからなのですが・・・。
他にも、例えば発音が発達しなくて会話での言葉はできないけれども、文字言語を使える知的生物、それもなぜいないのでしょう。
意外な事に、現在世界の総食料生産は、60億全員を十分食べさせることができるそうです。にもかかわらず、今でも相当規模で飢餓がある・・・一体どういうことでしょうか?
まず、金がないからでしょう。地球には充分ある、と言ってもその圧倒的な量がアメリカやヨーロッパの大農業地帯で生産され、輸出されているものです。それを買う金がないと、食べる事はできないです。買わなくても自分達の国で自給すればいい?自国の人口全てを食べさせる量を自給できる国は決して多くないです。多くの後進国では食料よりむしろ、外貨になる商品作物(コーヒー、ココアなどの嗜好品、ゴムなどの工業材料など)を売って、それで食糧を買おうとしていますが。そうなると、国全体が貧しいと食糧の輸入ができずに餓える、と。
他にも内戦を始めとする政治的な問題も大きいようです。
どの道、世界にはっきりと構造的な貧富の差がある以上、日本のように食料を捨てている国と餓えている国が同じ地球にある、という事態は変わらないのでしょうか・・・。
相変わらず火星探査、苦戦しているようです。日本もロケットの打ち上げを失敗しましたし、最近の宇宙開発は見ていてとてももどかしいです。
人類は、どこに移住すべきなのでしょうか。それもじっくり考えてみたいテーマですね。人類の特質が「宇宙に順応できる」ことである以上、一刻も早く本来の生態的地位である宇宙に移動し、地球は放棄しなければならないと思います。となると、移住先を考えなければならない・・・。
まず、地球周辺の安定度の高い場所に小さ目の居住施設を作るのがいいでしょうか。でも、地球の軌道上はだめですね、銃弾以上の速度で飛び交う今までの人工衛星の破片などが襲い掛かりますから。少し離れたラグランジュポイントでしょうか?そして、次が月面でしょう。その後をどうするか・・・エネルギーとしては太陽に近い水星が適しています。テラフォーミングが容易なのは火星と金星、資源が豊富なのが木星の衛星・・・できるのでしょうか。人類に、それを本気でやる気はあるのでしょうか。技術ではなく資金の問題で、やる気がないように思えます。何しろ人類は、アポロ計画以来もう二十何年・・・有人では地球の衛星軌道を出ていないのですから。
オウム真理教の取り締まりを目的とした法が可決されました。いつにないスピード裁決で、自自公と言う巨大与党の、新聞の論調では明らかに悪い意味での風通しのよさも印象的です。
そして、他にもいくつかのカルトが摘発されているようですが、ここで多くの人は一番大きな問題を忘れているような気がします。宗教は、本来「世間」とは対立関係にあるもので、国家や体制にとっては服従しないものであり、故に敵です。キリスト教やイスラム教も初期は明らかにカルトでしたし。それについて、日本人は一体どう考えているのでしょうか。
あくまで宗教は「魂の救い」を求める人間の心に発しており、その答えとしてこの世の秩序を超えたもの、形而上、彼岸の存在、つまり神を常識や法など全ての現世のルール以上に尊重する事に他なりません。もちろん、その「魂の救い」と教団内部での「社会」としての面、そして「儀式」「文化」などのいくつもの面があるのですが。まあ、宗教は現世とは違う、形而上からもたらされた秩序の実現を求めますから、常識と法でできている社会に根本的に対立する存在です。解決は
のどれかでしょう。現世が完全に宗教に屈服する事はありえません。一見そう見えても、原典を本当に守っては、例えば「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」(マタイによる福音書第5章39節)を社会全体が本当に守ったら人間は生存できないのです。
日本においては江戸幕府が安定する際、カルト性の強かった、つまり体制に対して順応せず、忠誠の対象を目上の人間、領主、そして究極的に公儀ではなく、あくまで神に置く事を止めなかったキリスト教を徹底的に弾圧し(純粋な弾圧でキリスト教を壊滅できた希有の例です)、他の宗教も仏教(特に一向宗)には葬式仏教として本来の、宗教的な思想を現実の行動として現世の秩序より優越させる事を厳しく禁じ、魂の救いを考えさせない、単純な儀式体系&社会秩序の一員とする事で骨抜きにしました。神道もその点は・・・本来神道には「魂の救い」の概念がなく、習慣としての面が強かったので、宗教と言えるかどうか微妙ですね。つまり、江戸幕府は「魂の救い」を考えさせず、代りに「上の命令」「身分」「世間の常識」「法」をアイデンティティや良心の源泉として与えてきました。明治政府の宗教政策もそれを踏襲、「魂の救い」の要素を無視して「社会秩序(命令、常識、法)」を国家神道として強引に宗教化する事で支配を貫徹しようとしたように思えます。
現代ではそれは一体どうなるのでしょう。「世間」「常識」が弱まり、「法」の権威も大きく弱まってきています。そして「魂の救い」は与えられないまま、それを求めるものが多くカルトに流されています。
人間の第22染色体が完全に解読されたそうです。これは非常に大きいニュースだと思います。ヒューマンゲノムプロジェクトがそこまで進んでいた、それ自体が意外でしたし、その結果も大きいと思います。
まだ刑が確定していないので推定無罪ですが、例の幼稚園児殺人事件・・・供述では「お受験」ではない、ということも言っているようで、何もはっきりしてはいないです。
でも、とりあえず報道では様々な「お受験」についての情報が出てきて、驚くやら呆れるやらです。
一番の問題は、子育てを母親、仕事は父親と分担して、しかも双方相談する余裕もなく限界を超えたストレスがたまっているケースが多く見える事でしょうか。
話がちょっと違いますが、「お受験」がイメージと随分違う事にも驚きました。国公立ではくじびきで大きく絞られるとか、そのあたりの話は初耳です。僕のイメージとして、公文式の宣伝に出ているような「三歳にして微分方程式を解く」ことができ、それに加えて「CNNを原語で聞いて内容を解説でき、1500m完走できて逆上がりも可能で、新聞が読める」ようなスーパー幼児を選抜していると思っていたので・・・。
相変わらず就職戦線は絶望的なまでに厳しいようです。
即戦力しか入れたくない、との事ですが、だとすると新卒者はどうすればいいのでしょうか。在学中にバイトなどで、ある程度の職業経験を積んでおけという事なのでしょうか?それとも、はっきりと必要ない、とりあえずバイトでもして食っていろという事なのでしょうか。ここも集団の錯誤、個々の企業にとっては新卒者を鍛えて戦力にする経費の節約になりますが、誰もがそれをしては社会不安になる・・・若者が希望を失い、失業者が増え、そして長期的には現在働ける人間が老いた際、その技術、知識、顧客などを引き継ぐものがいなくなるなどのリスクを社会全体が抱える事になります。