枕元の計算用紙

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29日

ストーカーという言葉が市民権を得てきたようですが、知る限りでは精神医学的な定義はないようです。

定義がはっきりしないまま言葉だけが拡散した結果、どこまでがストーカー行為なのか、境界がはっきりしないことが問題だと思います。
いじめ同様、被害者の被害感覚があればストーカーだ、ということでいいのでしょうが、そうなると同じ行為がある時には正常な恋愛感情の表現、ある時にはストーキングになってしまうかも、と言う懸念があります。そして、どう考えてもほとんど全ての文学における恋愛はストーキングになってしまうのは一体どうすればいいのでしょうか。「レ・ミゼラブル」のマリウスも「風と共に去りぬ」のレットも「三銃士」のダルタニャンも、「源氏物語」の光源氏も誰も彼もやっていることはストーキングです・・・。
それほどストーキングは児童虐待同様日常的な、それ故に罪悪ともみなされてこなかった罪悪であり、その中であらゆる女性は押しつぶされてきた、という論法になりそうなのが少し疑いを感じます。
それに、普通の恋であっても盲目になるのは元々恋の常ですし、その中で相手の気持ちを自分に都合よく解釈するのもある程度なら当然のことです。そして相手のことをもっとよく知りたいと思い、尾行したりするのも元々自然でしょう。
それなのに、そういった普通の恋さえも「これってストーカーじゃ」の一言で罪悪になってしまう、そのために恋すらできなくなることもあるのではないでしょうか。そのためにも、ストーキングの正確な精神医学状の定義と、その普及が望まれます。

もちろん、特に悪質でしばしば殺人や深刻なPTSDをもたらすようなストーキングも最近増えてきています。
そのようなものは残念ながら、加害者を「治す」ことはできないようで、法律も潜り抜けてしまう以上闇からのスポーク以外解決策はない、と言うのが現実のようですが・・・。

さて、そのようなほとんど生まれながらに悪魔の魂しか持たず、愛と言う人生最大の喜びをまともに行うことのできない人間は、一体何のために生まれてきたのでしょう。まさしく「生まれなかったほうが彼のためによかったであろう(マルコによる福音書14節21章)」ですね・・・。治療法も研究して欲しいものです。

28日

現在、人類の活動範囲が広がり(人はそれを発展と言う!)熱帯雨林と人類の生息域が接してしまったため、それまで生命の海の中に閉じ込められていた細菌やウイルスが広がり始めているそうです。かつて大騒ぎになったエボラウイルス事件もその一つですし、HIVそのものもまた、熱帯雨林で平和にサルと共存していたウイルスがある日人間に感染したもののようです。

で、もう一つ恐ろしいものを感じています。それはこの、60億を突破した人間です。
その膨大な人間の中で、その圧倒的多数は衛生ともワクチンとも無縁な、しかも特に旧ソ連や東欧諸国、また廃棄物を押しつけられた様々な最貧国で常に突然変異を起こす化学物質や放射性物質と接している貧困者、その体の中で毎日どんな数のウイルスが生まれ、分裂しているのでしょうか。その中で、どれほどの変異が起き、進化が起きているのでしょう。それはどんな研究所より多くのシャーレであり、試験管だとおもいます。そこからある日、とんでもない物は出てこないのでしょうか。

27日

大相撲で、女性が土俵に上がることの是非が再び問われています。「女性を生理現象ゆえに汚れているとみなす古い考えを引きずっているだけで、間違った女性差別に他ならない」という声が多くなってきているようです。

ただ、僕自身は、そのように何もかもを理由を分析し、説明して互いに説得する、という土俵の上でしか考えないのは、微妙に反対です。
僕もまあ分析屋の面もありますから、分ることは分るのですが、「だめだ」「なぜだめなのですか」「これこれこういう理由だからだ」「その理由は・・・」というふうに進むことだけが絶対正しいのか、となると微妙な疑問があります。「だめだ」「なぜだめなのですか」「だめなものはだめだ、反問は許さん」というスタイルは間違っているのでしょうか?僕自身このスタイルには反発が強いのですが、特に子供に対しては必要もあるのではないか、とも感じます。

26日

サラ金からテレクラまで、様々な種類がある街頭のポケットティッシュ配布、あれはどれくらいの効果があるのでしょう。一日に、日本全国、特に都市部の駅事実上全てでそのために支払われている人件費を考えただけでも莫大とも何とも言いようのないものですが、それに見合う宣伝効果はあるものなのでしょうか。

そして、そのティッシュをもらうことは、いいことと悪いことのどちらなのでしょうか?
僕は確か、もらってはいけないとしつけられていたと思います。それをもらうと、それだけでも人間としての程度が落ちるから、と。でも、ただのティッシュに何か罪でもあるのでしょうか。底の、宣伝文のある台紙を外して捨て、市販の布製ポケットティッシュホルダーにでも押し込めば、それでただのティッシュになります。あ、買うべき物を利用する気もない、関係ない相手からもらう、と言う性根が悪いと言うことだったのでしょうか?

25日

上着はしっかり着込んでいるので暖かいのですが、下半身が寒いです。ズボンの上に着ることのできる上着があればいいのに。
もちろん、下にパジャマのズボンを(本当はいけないのでしょうが)はいたままとか股引とかもあるのですが、脱ぐことができないので暖房の効いた部屋に入る時、ギャップが出ます。長めのコートはある程度足をカバーしますが、完全ではないです。

それ以前に、この「背広」と言う現在のビジネスシーンの制服である服装は今後、未来永劫変わることはないのでしょうか!ぜひとも変わって欲しいです。

24日

マイクロソフトの分割が現実味を帯びてきました。それは現在のIT革命にどんな影響を及ぼすのでしょう。アメリカバブル崩壊、そして世界恐慌のきっかけにならなければいいのですが。

もしかして、何かとんでもなく面白い影響が出てくるかもしれませんね。

23日

やはり、地球環境が本気で駄目になった時には、白人エリート層は素早く箱船を作って生存を図るのでしょうか?
非白人全てを無視して。そうしたらユダヤ人はどうなるのでしょうか・・・技術、経済の世界での影響力から見て、とてもユダヤ人を排除するのは無理とも思えますが。間違ってもその時、黒人はもちろん日本人のチケットなどはないでしょうね。

なにしろ、大洪水とノアの箱船という、どう考えても大虐殺を行い、一家族だけの卑怯な脱出を命じた、その神をいまだにあがめていますから、言い訳は何千年も前から完璧ですよ。
問題は、それが実際に可能かどうか、そしてどれくらいの規模になるかだけでしょう。間違いなく、その計画は公式には発表されることはないでしょう。箱船の搭乗員を選ぶなど、公的にできるはずはないのですから。

ただ、単純に生命圏と人類の生存を最優先すると、それは間違った選択ではないです。文明そのもののコントロールが不可能だとしたら、破局に対して一部の脱出、と言う選択も、人類や同時に持っていく無数の生物種(の受精卵)の存続を考えると必要と思えます。

22日

オフィスなどで、「椅子に座る」という非常に負担のかかる姿勢を長期間続けることは、明らかに腰痛と痔の重大なリスクを負うことになると思います。「座る」以外にデスクワーク及び会議における、適切な姿勢はないのでしょうか。ここは従来の枠に囚われずに、柔軟に考えてみたいと思います。

物を書く事を考えますと、重力の関係からどうしても現在の机のように、上を向いた平面が主な作業台になるでしょう。コンピューターや電話はある程度柔軟に置けると思います。

読書の時、一番楽な姿勢は何でしょうか?安楽椅子はかなり楽です。ベッドに、仰向けに寝てはどうしても本を支える手に負担がかかります。でも、うつぶせに寝たまま肘をついて本を読む姿勢は目に悪いですし、結果的には疲れます。横に寝て本を読むのも無理があります。まして物を書いたり、コンピューターを使ったりは無理です。正座は実は腰にとってはいい姿勢ですが、膝などに無理がありますし、どうしても足が痺れます。

例えば、ベッドのように頭側と足側両方に仕切り板があるのではなく、長椅子のように両側が解放されているところにうつぶせに寝て、肩から先を一方からはみ出して床の高さにある本を読んだりノートを書いたりはどうでしょうか?ハンモックからでもいいと思います。体重は体前面全体に均等に分散されますから、腰の負担はないです。ただ問題は、移動がしにくい点と一人が占める面積がかなり大きくなる点です。

他に、腰にとって適切な姿勢は何があるでしょうか・・・。座りながらでも、例えば痔の予防に椅子に電気座布団があって、肘かけが松葉杖のように脇の下から体を支えて、同時にコルセットのようになった背もたれが背中を固定するようにすれば・・・でもそんな束縛感の強い椅子では、余計ストレスがたまるかもしれませんね。

21日

風邪で盛んに出る鼻をかみ続けているうち、ふと・・・現在のように、紙が豊富に使えるようになる前、鼻紙やトイレットペーパーはどうしていたのでしょう。そして、現在も西洋文明が及んでいない、紙の大量消費など思いも寄らない地域ではどう処理しているのでしょうか。想像すると恐ろしくなります。

そういった、人間の細かい習慣がどう発展してきたか、それも知ることができたら面白そうですね。あまり資料がないのがなんですが。

20日

もし子供を育てる際、産まれてすぐにこのような部屋を与えたらどう育つのでしょうか。

この部屋は、「絶対の安全、その代わりの孤独」を子供に保証することができます。その安全は、親からの安全をも含みます。この状況を子供に与える事は、子供の心に何を与え、何を奪うのでしょうか?

また、「人を殺せる武器を与え、そのかわり殺した際には自分も自殺しなければならない」場合には子供はどうなるでしょうか。昔の武士は刀を持つかわり、よほどの事がない限り人を斬ったら切腹でした。でもそれは飽くまで元服後のことだったと思います。

19日

幼児性愛者、快楽殺人犯、ストーカー(これらにはっきりした精神医学的裏付けがあるかは知らないで言っていますが)などの放置しておいたら重大な犯罪の危険がある精神を持ってしまっている存在を、何とか事前に見つけ出す術はないのでしょうか?
今回の、それこそ犯人を倍の20年かけて人類が発明した拷問技術全部使ってなぶり殺しにしてやりたいような事件で、警察の重大なミスがここまで深刻な事件にしてしまった、ということですし。

アメリカでは法案の名前は忘れました(被害者の女児の名前をとっていると思います)が、特に幼児に対する性犯罪の前科を持つ者のリストを公開する、という手段があったと思います。
確かに本来、刑が終わった時点で罪は消滅し、新しい人生を始める権利があるという建前はありますが、残念ながら幼児性愛などの人格的な罪は事実上治療不可能だったと思います。本当はガス室送りが世のため人のため全ての女の子とその家族の安心のため、そして人として許されない罪を犯す以外に満足を得る術がない、という呪いを受けている本人の魂のためでもあるのかもしれないのですが、できないでしょう。

18日

「学年到達度テスト」を中心にした学校制度は日本では不可能でしょうか?
教科ごとに各学年、そして小中高大の卒業に相当する実力を見極め、それが出来さえすればその学年及び卒業資格を認めればアメリカのように学校に行かないで家庭内学習、というやり方ができるようになりますし、特に進度の速い子には飛び級という道も開けます。逆にある教科で上の学年に進む力がなければ、現在のように年齢だけで上の学年に進んでわからない授業に参加、放棄する羽目になるよりも、もう一度分らないところをやり直すほうがはるかにいいと思います。

17日

日本は今後、現在のように移民も難民も政治亡命も事実上認めない政策を維持するのでしょうか?確かに、治安上は鎖国状態のほうが間違いなくベターです。そして、今後職は減ることはあっても増えることはまず考えられないですし、今後オートメーション化が進んで行くことが予想される以上、労働力としての移民も必要ではないでしょう。

ただ問題は、今後東アジアで起きる可能性のあるいくつかの動乱で、大量の難民が発生する可能性です。第二次朝鮮戦争、中国による台湾の武力統一、逆に中国自体の分裂、極東ロシア軍の内乱、東南アジア・・・火種はいくつもあります。そうなると、それこそ政策決定の暇もなく状況の激変を迎えることになるでしょう。

留学生の受入れ体制でも不備が多く指摘されていますが、僕は日本に留学するメリットはそれほどないと思います。あらゆる学問の本当の最先端は紛れもなくアメリカやヨーロッパなのですから。日本語をマスターし、そして日本人とコネを作るというのもあるでしょうが・・・。

16日

精神医学に予防医学の概念はないのでしょうか。あまり聞かないですが・・・。
そういえば、特に義務教育の保健体育などでも精神医学に関する啓蒙は非常に少ないと思います。義務教育、といえば、例えば中学卒業前に、卒業資格や進学(就職も?)と関わらないように注意しなければならないですが、一人数時間の面接を中心とした精神医学の検診を受ける、というのは有効ではないでしょうか?
様々な不安があるでしょうし、最も不安定な時期だからこそ予防の意味でも、健康な者も一度受けるべき検診としての精神医学・・・そんなものはないのでしょうか。

検診といえば、前に東洋医学か何かの通俗書で、「病気で病院に来るのは医にとっては敗北。初めから病気にさせないのが本当の勝利」と予防の大切さを説いていましたが、国民皆が一年か半年に一度、特に四十歳を越えたら全身ガン前提の徹底した検診を半年に一度は受ける、そんな制度があるといいです。その中に精神医学の検診もあれば、どんな効果になるのかわからないです。

15日

聖徳太子は実在していない、という説が出てきたそうです。とても面白く思います。聖徳太子はある意味、日本と言う国が(中国から)独立して形成される過程の中心人物の一人でもあると思っていました。そして、日本と言う国のある意味象徴とも感じていました。

それにしても、資料的な歴史学の手法で、どの資料が信頼できてどの資料がだめなのか、はどうすれば決められるのでしょう。例えば、その資料にある超新星爆発、彗星、大地震、火山の噴火などの、現在から資料ではなく、科学的な方法で確認可能な天変地異の年月が正確である資料はある程度信頼が置けると思いますが。

14日

Wowowで「タイタニック」の後半部を少し見て、もしあの事故がなかったら・・・タイタニックはそれから何十年も、クイーンエリザベス二世号に匹敵する超高級客船として世界の海を回っているのかな、と想像してしまいました。

ただ実際、あの事故は沈まない船はない、落ちない飛行機はない・・・事故がない、と言うことはありえないと繰り返し教えてくれていると思います。たとえ新幹線でも、事故が絶対にないと決まったわけではない・・・。

そういえば旅客機に、一応救命胴衣はありますが、なぜパラシュートはついていないのでしょうか。地上に墜落することを考えると、救命胴衣は単なる気休めでしかないような気がします。たとえ上手く使いこなせなくとも、パラシュートが乗客乗員分あれば少なくとも冷静さを保てた何人かは助かるのですから、できる事なら用意しておいてほしいものです。

13日

ついにグリコ森永事件が完全時効を迎えます。犯人たちは一体、今何をしているのでしょうか。脅し取った金を懐に、ニースの豪邸で優雅に乾杯しているのでしょうか。それとも、どこかの地方都市でのんびりとささやかな祝杯を準備しているのでしょうか。または全員闇から闇に葬られ、どこかの山奥の地下深く白骨と化して横たわっているのでしょうか。

様々な背後関係が噂されていますが、全て憶測の域を出ません。まあ、少しは謎がないと、この世もつまらないでしょう。あの犯罪自体は許せないものですが・・・一般人はむしろ、楽しんだと思います。

12日

この地上から、煙草が追放される日は来るのでしょうか。言うまでもなく、もし法律で禁止しようとしたら、確実にかつてのアメリカでの禁酒法時代以上に犯罪組織による大規模な密造、密売が行われ、社会を混乱に陥れると思います。

でも、特にアメリカではほとんどの公共の場は禁煙だそうで、喫煙者であるということ自体が意思の弱さ、ということで就職などの差別要因になることさえあるそうです。

僕のような非喫煙者にとっては、煙草の煙による間接喫煙も非常にいやなものなので、なんとか煙草の煙を外に発散しない、完全に一人だけで吸う手段を見つけてほしいものです。古い嗅ぎ煙草や噛み煙草は、体臭以外他人に迷惑はないので、優れていると思うのですが。

11日

今日が僕の誕生日ですが、祝日生まれというのはかなり悲惨です。家族以外に祝ってもらったことは皆無と言っていいでしょう。建国記念日、ということで、実は僕の通っていたキリスト教系私立学校では祝日と承認されていませんでした。どのみち受験休みでしたが。

そういえば、日本におけるキリスト教はなぜ、極端な左派と同じ政治的主張をすることが多いのでしょうか。天皇制反対、日の丸君が代反対、改憲反対絶対平和主義、その他もろもろ・・・。本来、左派である共産党が政権を取ったら、キリスト教を含む宗教は禁止されるのが目に見ているのに。同じ弱者の味方だからでしょうか。

10日

社会から活力が失せている、特に若者の起業が増えない理由に、人生設計の難しさがあるのではないでしょうか。
今ははっきり言って、二十代より下の者は、年金と財政の破綻で老後など期待できない、ということを見ていると思います。第一、うかつに起業して失敗したら確実に借金に押しつぶされ、生涯はおろか連帯保証人として他人まで巻き込んで地獄に落ちると思わなければならないようです。

逆に、若者が次々と起業し、その十人中九人は失敗しているものの、その一人の成功者がビリオネイアになって経済を盛り立てているアメリカでは、そういった人生設計はどうなっているのでしょうか。彼らは失敗後の人生をどう考えてチャレンジするのでしょうか。失敗もまた経験として、肯定的なキャリアになるとも言われています。それ以上に、その失敗後の人生は具体的にどうなるのでしょうか。

9日

中国の古代史を読んでいて、いつも悲しく思うのが「巧兎尽きて走狗煮らる」です。抜擢され、優れた主君と共に国を盛り立てた素晴らしい知性の持ち主が、その主君が天下を統一したり主君が死んでその子が即位したりして粛正の対象になり、昔の知性を働かせる暇もなく、あっけなく族滅、腰斬の憂き目に遭う・・・ああいうのを読むのはたまらないです。
なんとか、どんな猜疑心の強い主君も安心できるような「絶対出られない場所」を作って、そこで残りの一生を著述に過ごさせてやりたいような気がするものです。

8日

アファーマティブ・アクション、つまり黒人など差別されている少数者を大学入学、就職などで有利にする政策は、僕は間違っていると思います。

理由は、特に学校という純粋な学力を問う場所では、ガチンコ・・・実力のみでの勝負でなければ意味がなく、結果的に全体の衰退や、その制度のない外国への頭脳流出の危険があるからです。また、その優遇策で入学している者も、自分がその実力がないと判っていれば大きく自尊心を傷付けられていると思います。

根本的な問題は、黒人の初等、中等教育の問題だと思います。黒人は知能が低い、という思い込みがありますが、それはやはり黒人は圧倒的に教育レベルが低いからに他なりません。
犯罪率の高さ、貧困も結局は教育にこそ問題があるのですから、黒人貧困層に対する無償初等教育の充実、そしてその中で優秀だけれども親が貧困で、上級教育を受けられない者に対する生活費込みの奨学金の充実、それが先決ではないでしょうか。基礎教育が充実すれば、自然により高い本物の実力を持つ者が増えてくると思います。

7日

被疑者の自殺、という最悪の結果になった京都の児童殺害事件ですが、やはりああいった結末になると、現在のように警察を疑う心理が強い時には「警察には逮捕できない有力者または身内が犯人で、それをかばうために適当な人物を殺害して犯人に仕立てる」というストーリーが浮かんできます。
全ては闇から闇ですから、反証する手段もないですが、検証もできないので警察発表を信じるかどうかの問題でしかないのですが。

そういえば、日本の警察制度が整って以来、そのような手段、または強引に冤罪を仕立て上げて拷問で無理矢理自白させ、そのまま死刑を早めに執行するなどして、警察ぐるみで重大事件を闇に葬った、または警察幹部や有力者の個人的な恨みや不快感で無実の人間に冤罪を押しつけて処刑したことは一体何件あるのでしょうか。

6日

暴走族がうるさいですが、あれは一体いつ頃からの現象なのでしょうか。そして、アメリカやヨーロッパでは同じようなことがあるのでしょうか。イギリスなどでのフーリガンも似たようなものでしょうか?

特にドロップアウトした少年に行き場がない、生きている実感を与えることができない社会、というのも問題だと思います。なんとかならないものでしょうか・・・。

5日

今後、日本でも進むと思われる階層分化は、政治的には一体どのような影響をもたらすのでしょうか。そして、それが一足先に進んでいるアメリカでは、例えば次の大統領選に何らかの影響があるのでしょうか。

階層分化は、日本やアメリカでは高度なコンピューター、バイオテクノロジーなどの教育(特に非英語圏では英語を完全に使いこなせる)を受け、激しい競争社会の中で長時間激しい、しかも高度な創造性と人間関係能力を基盤とした知的労働をして、それで勝ち抜いた結果高い収入が得られる、というしくみで起きると思われます。
その競争に脱落した者、それにそのような特別な教育を受けられない層は、一般的なフルタイム労働の急速な縮小によって、パートやアルバイト、派遣労働といった比較的不安定で昇給もない仕事を余儀なくされるはずです。

上位10%かそこらに富の大半が集中、そして世界中で情報にアクセスできる層とできない層の大きな階層分化が起きる、そうなっては、特に情報にアクセスできない層には政治にアクセスする権利を剥奪したほうがよい、という考えが起きてくる可能性があります。
本来民主主義とは、その成員である市民がきちんと武装して共同体を守り、政治のために必要とされる情報を充分に受けて考える、ということが必要とされますが、持たない者はその情報もないですし、武装という意味でも、新しい武器はより高い教育がなければ使いこなせなくなるかもしれません。結果的に、民主主義そのものが機能しなくなり、貴族政体への変化という事も考えられます。

そして次の世代では高度教育の教育費の高騰から、その上の人間の子弟と、特に優秀な人間(日本ではアメリカと違って奨学金制度が発達していないため、それが少なくなる懸念があります)だけがチャンスを得る、これは政治上、いったいどんな現象を起こすでしょうか。
圧倒的多数のチャンスを持たない層は、自分たちに対する搾取に対して反抗を強めるでしょうか?しかし、その反抗のための理論だった、マルクス主義は実験的に潰えています。
逆に、チャンスを持つ高い教育を受けた子供たちの政治的態度は?昔の貴族階級のようなノブレスオブリージュを持って、国や地球そのものに対して指導者としての義務感を持って事に当たるでしょうか。そのような、いい意味での貴族的な精神が発達するでしょうか。それとも、現状のまま自分の欲望だけを圧倒的に肥大化させ、力をどんどん強めることにエネルギーを注ぎ続けるでしょうか。政治をそのための手段としてのみ考えてコントロールしていくのでしょうか。

さらに不安なのが、次の世代では下の階層の人間に、教育が与えられない可能性が懸念されます。財政赤字と高齢化のしわ寄せと雇用形態の変化の両方による両親の収入の目減りから、下手をすると義務教育すら受けられずに子供たちが働かなければならない、という事態になるかも。そうなったら歴史は大きく逆行します。

4日

現代人の、生きる意味とは一体何でしょう。意味とか以前に、とにかく家族を養って生き延びること、それだけなのでしょうか。だとしたらとても寂しいような気がします。

ビル=ゲイツ氏を始めとする、成功者の人たちはその点、どうなのでしょう。努力して、自分の能力を最大限発揮できて、それで世界をも変えて、巨大な富と権力を手に入れて、それで果たして幸せなのでしょうか。

現代で、幸せとは何があるのでしょう。

3日

EQ、心の知能指数が数値化されたら恐ろしいですね。特に人間関係能力が偏差値で判断できるとしたら、空恐ろしいですが、ある意味では実現されていますね。SPIの性格試験という形で。それがもし、本格的な偏差値として、一人の人間の「性格のよさ」を完全に数値化できるとしたら、恐ろしい人格差別が起きてしまう気がします。

2日

考えてみると当り前の事ですが、鉱業という産業は農業などと違い、限界がある産業ですね。掘り尽くしたらそれで終わり、です。それに頼ってしまっている国が心配です・・・あ、鉱業国の多くは、鉱業それ自体の資本は欧米からですから、その資源は自分たちのもののようで自分たちのものではないのですが。

枯渇の心配をなくすには、リサイクルを徹底して鉱山からの産出を極力抑制する、特に石油、石炭などの化石燃料は燃料としてではなく、化学工業材料としてのみ考えて、できるだけ早くエネルギーを地球外太陽光発電と大深度地熱発電(から生産された水素燃料)に切り替える、そしてどうにか、マントル以下の超大深度資源を研究する事も必要だと思います。

1日

尼崎市公害訴訟判決、意外とも言うべき画期的な結果でした。控訴審でどうなるかわからないですが。

この判決から、僕は二つ大きな疑問を突き付けられました。一つは「偏微分的発想の限界」で、もうひとつは「車社会の是非」です。

偏微分、というのは・・・細かい説明は省略しますが、二つ以上の変数を持つ関数をいじる時、その一つだけに着目して、他の変数をすべて固定する事です。それによって、一つの変数の関数と同様に処理ができます。
これは偏微分ではないですが、例として、車の性能には、最高速度、馬力、価格、重量、燃費、デザインなどがありますが、単純に最高速度だけで比較する、と考えれば「偏微分的発想」の意味が分ると思います。
公害の、一体何がその喘息を生み出したのか証明せよ、という国や道路公団側の要求は、まさにそれです。でも、どう考えても不可能です、肺に入って来る無数の微粒子やNOx分子を、道路から来た物と他の工場から来たものに選り分けて因果関係を証明するなんて。
道路との因果関係だけを証明するなら、他の要素を固定するために十年間周囲の工場をすべて止めて人体実験しろとでも?無茶です。全ての公害裁判に言える事ですが、厳密な証明を求め、その厳密な証明が全て偏微分的発想だから、結局全て因果関係が証明できない、それでは動けません。

車社会の是非もまた、大きい問題だと思います。誰もが忘れていたそれを、大胆な判決がはっきりと突き付けました。
毎年一万人が死んでいる、考えてみますと空襲で毎年一万人死ぬ、となったらとても大きな戦争ですね。それと同じことを平気でやっている、と・・・。なぜここまで鈍感になっているのでしょうか。ただ問題は、車をやめるとしたらどうするかということです。車を使わない文明を、今の我々に想像できるかどうか。