枕元の計算用紙

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30日

文字の書体や文字自体が書く手段によってかなり変わっています。漢字では始め、彫るためのてん書が用いられ、筆と墨の発明をきっかけに手書きのための書体になり、楷書に至っています。西洋でもメソポタミアの粘土板にアシを用いて刻むためのくさび文字、また北ヨーロッパで石や木に刻むためのルーン文字からペンで書くためのアルファベットに変わっています。

その後の書体も、時期的に直接関係があるかはいまいち分からないのですが、印刷術の発展と草書体(アルファベットでは筆記体)から楷書体(ゴシック体)に関連がありそうな気がするのです。

で、今後ますます発展していく、コンピューターディスプレイに合う文字や書体が発明されることはあるのでしょうか?例えば数字が、電卓にあるような二つの箱を重ねたものを8として、それから適宜辺を消すことで他の文字も表現しているように。

例えば、正方形の各辺とその対角線を構成する線は全部で6本ありますが、その線の有無の組み合わせ(いくつあるかは自分で計算して下さい)は使えないでしょうか?そこまで極端でなくても、アルファベットと数字の形が多少変わるくらいはあるかもしれません。あ、でもそれには何百年とかかりますが、多くの人がコンピューターを使うような文明がそんなに持つか、という問題がありましたね。

29日

法解釈について色々な議論がありますが、最高の解釈者はその法を起草した者のはずです。憲法の解釈などで色々と議論をする前に、その憲法を書いた人間がどう考えているかを聞きに行ったほうがいいのでは・・・。

もちろん、法はその文面そのものだけが有効である、としないと、特に立法者が交代したり死去したりした時に問題が起きます。それはわかるのですが。

そういえば、今度の総選挙で社民党の議席が伸びたことは、民意はまだ憲法改正はしないほうがいい、と考えている・・・と、社民党の人は言っていますが、どんなものでしょうか。

28日

フェミニストの言説を読むにつけ、いつも思うのが「どうして欲しいのか。」彼女らの理想がどこにあるのか、そしてそれが実現可能なのか(人間に過ぎた社会構造理論がどれほどの害悪をもたらしたかはマルクス主義で実証済みです)を真剣に考えて欲しいです。

例えば、最も肝心な性について。女性の性について、これまで語られてきた「強姦願望」や「本来は無性欲」などを男性の願望による、押し付けられた性のあり方として否定するのはわかります。では、真実は何でしょうか!男性の願望によって歪められていない、自然な真実とは一体?

そして、全ての価値を男性中心が作ったものとして否定するのも分かるのですが、その代わりとなる何か価値のあるものを考えて欲しいです。そして、より普遍的な価値も認めて欲しいです。日本刀の美しさは単なる男根崇拝などではない、もっと普遍的な美だと僕は信じています。ただひたすら、世界の歴史にしても文化にしても芸術にしても全てが男性の罪悪だとしたら・・・正直、居たたまれないです。単に、価値を剥奪された罪の世界に沈むのみならず、ならどうすればいいのか、何を美しい、よいと思えばいいのか示して欲しい・・・。

27日

環境によって多くの精神病や人格障害が発生するとしたら、過去などの全く別の価値観、社会構造の中、どう子供は育っていくのでしょうか?

例えば誰もが「家」の道具、次の世代に家の地位を引き継ぐ事だけが全てで、個人の人格や命には何の価値もなかった時代・・・人類の歴史の大半・・・に生まれ育っていながら人は正常な精神を持つことができた、そのこと自体が驚きです。どう考えても、武士としての教育を徹底的に受けたら正気にはならない気がするのですが。

また、どれほど多くの人が現世の価値を一切否定され、自然な欲望をすべて罪として徹底的に抑圧されて来世だけを願うよう育てられているのでしょうか・・・今も。

でも紛れもなく、今の価値観からは狂気と言っていいような価値観の中に育った者に、多くの最高の哲学者がいるのです。これは一体何を意味しているのでしょうか。

26日

至極当然、と思われているのに、何の根拠もないこと・・・

罰金または拘留、禁固や懲役、そして死刑と言う刑罰体系。これが最も確実に犯罪を抑止し、かつ(死刑以外の)犯罪者を更正させる手段である、と示す根拠は何もありません。昔は体刑、流刑もあり、そして今あちこちで死刑が廃止されて禁固、懲役が中心になり、罪の種類によってはカウンセリングや社会奉仕も加わってきています。

人権の概念。「全ての人には人権が生まれつき不可侵に存在する」ことの根拠は一体何でしょうか?

戦闘ロボットが人間型。どう考えても昆虫のように六本脚が一番安定するのに、なぜ最も不安定な二本脚に?

25日

衆議院総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査、あれには意味があるのでしょうか。今まで罷免された最高裁判官は一人もいないですし、今後もまずありえないと見られます。

最高裁判所に問題がない、とはお世辞にも言えないと思います。思想的な偏向を排除しても、憲法の本を読む限りでは明らかに最高裁判所は人権に関して、強い無関心があります。しばしば見られるやり方として問題を裁量権(行政関係)や契約権の枠内(校則、企業の入社試験やその後の不当解雇などの人権侵害)としており、結果的に支配権を重視して支配される側の弱い人権をほとんど配慮していないです。また、特に自衛隊や安保訴訟で見られる態度に最高裁判所の判断にそぐわない、として憲法判断を避ける姿勢があり、結果的に違憲立法審査権をただ一例(尊属殺人)を除いて事実上放棄しています。

では、どうすればこの制度を機能させられる・・・否、司法制度そのものを国民に配慮するように改革できるのでしょうか?

24日

「数ってなに?」こんな簡単で単純な質問に、僕は答えられませんでした。

とりあえず、自然数に関して・・・「数学‐その形式と機能」(S.マッケイーン著、森北出版刊)では、自然数は{

  1. 物を数えたり、番号をつけたりするのに用いられる一連の印の列
  2. 有限集合のことである。ただし、同じ個数の元からなる集合は同じ自然数を与えるものとみなす。
  3. 有限集合の基数に関する同値類
  4. 有限順序集合の順序同値類
  5. 0=φ、1={0}、2={0,1}、・・・・・ω={0,1,2,・・・・・}となるような集合を元とする有限集合

}で、別の立場では{Nはペアノ公準を満たすような任意の体系である}ということです。

でも、もっと抽象的に数そのものの本質は表現できないのでしょうか?例えば、複素数の任意の1を含む部分集合がなんらかの量の集合と同型であれば、その量の集合の元である量は対応する複素数(の部分集合の元)によって数えられ、その複素数の部分集合は数となっている・・・これは定義にならないでしょうか?一体何が、完全な数の定義になるのでしょう。

ペアノ公準;

  1. 0は数である
  2. nが数ならば、その後者snも数である
  3. 0は後者ではない
  4. 同じ後者を持つ二つの数は等しい
  5. Pが自然数についてのある性質とする。0が性質Pをもち、さらにnが性質Pをもつとき必ずsnも性質Pを持つならば、Pは全ての自然数に着いて成り立つ

23日

いくつか、なぜこの技術はもっと古くないのか不思議だ、と言うものがあります。

マンガがもっと昔からないこと。例えば今の、日本式のコマ割と吹き出しを持つマンガを、昔のキリスト教宣教師に教えたらとても喜ぶと思います・・・偶像崇拝の危険はありますが、文盲の民衆を教化するのにこれ以上適切なテキストはないですし、当時の技術でできない理由はほとんどありません。スクリーントーンはないですが。

そして、折り畳みナイフの刃を手軽に固定する技術が今世紀まで登場しなかったことも驚きです。

22日

なぜ大阪や京都を舞台にした時代劇がないのでしょう。

時代劇の舞台は江戸(暴れん坊将軍、鬼平犯科帳、大岡越前、遠山の金さんなど多数)か日本全国津々浦々(水戸黄門、三匹が斬る!木枯らし紋次郎など)ですが、大阪や京都も大都市でしたし、魅力的な舞台には違いないと思うのですが・・・例えば江戸時代初期の名京都所司代として知られ、大岡裁きのモデルとも言われる板倉重宗など、その気になれば面白いキャラクターが色々と考えられるのでは?関西弁も、正しい発音を徹底的に訓練すればむしろ面白いはずです。

21日

総選挙でどこに投票するか考えて、結局「どこもだめ」と言う結論になりそうなので・・・発想を変えて、欠点を探す減点法から何かプラスを探す姿勢に切り替えてみようと思います。

でもそうなると、何かしているのは与党だけで野党は事実上口だけ・・・と言う問題があります。結局社会党が一度も単独政権を取れなかったのは、経験がないから政権担当能力が疑われての事と思います。その判断は間違っていないようにも思えるのですが、そうなると変革は永久にありえない・・・はあ。

20日

完全な立体テレビはまだ当分無理なのでしょうか。原理は簡単だと思います。

ユークリッド空間上、二つの離れた点から直線を延ばし、交差させればその二点を結ぶ直線上以外全ての空間内の点を、直線の方向だけで決定できます。だから、二つレーザーのような何かを出す放射器を作っておき、その交差した点だけが光を放つようにすればいいです。そして、その光点で空間内の決められた範囲を走査させれば、そこにテレビと同じように画像を映し出すことは簡単だと思います。

例えば電子線と陽電子線なら、交差した所で対消滅を起こして発光するのでは・・・できることならそのビームは空気と反応せず相手とぶつかった時のみ発光し、そのまま飛んでも何の害もないのが理想です。そうすれば、それこそ二つのビーム放射器を持つ小さな台だけで済みますから。でも、空気中ではビームが途中で消えるとか、そのビームそのものがそのまま飛ぶと危険とかなら、例えば鉛ガラスなどで覆ってその内部を真空にするとか、手はあると思います。

あと難しいのはカラー化でしょうが、それも技術的にスタートさえすればそのうちなんとかなるでしょう。

19日

ふと、今は亡き(に等しい)社会党と自民党の時代を思い出していて・・・もし、社会党がある時期から継続的に第一党だったらどうなっていたのでしょう。小説のような感じで想像してみましょうか。

・・・想像できるほど、記憶も知識もないことに気付きました。自分が子供の頃の新聞など、まして選挙前の公約など全く覚えてはいないですね。これでいいのでしょうか、とは思いますが、実際問題毎日の新聞を全て暗記することなどできませんし、意味がないです。その気になれば調べればいいことです。

18日

今、学校に行くことは「学力」と「人間関係」を学ぶいい手段なのでしょうか。人間には少なくとも基礎学力と人間関係力が必要なのは確かです。でも、今の学校はそれを学ぶ場でしょうか?

特に人間関係・・・言うまでもなく、それは集団の中でないと身につけることはできません。家で親+本では、どんなに知識を持つことができても人間関係力をつけるのは困難でしょう。
しかし、今の学校でそれが身につくのでしょうか。最大の問題はいじめです。誰もがいじめの被害者であり、加害者である現状では、とにかくいじめられないこと、孤立しないことに子供たちは圧倒的なエネルギーを費やします。
今になるとよく分かるのですが、テレビを見、ゲームをするのも自分が楽しむため、というより、明日話題を合わせることでいじめられないで済むためです。誰がいじめられる側に回るか、というサバイバルの中では、親友などありえません。成長につながる葛藤も極力避け、とにかくトラブルを起こさないように誰もが努力しています。そしていじめられる側に回ったものは、それによって人格も人への信頼も根こそぎ破壊され、どうしようもないほど深い心の傷を負うことになります。多くの人がそれから回復できないまま、凍りついた心を抱えて苦しんでいます。それは人間関係を経験したことによる人間的成長と言えるものではありません。

その、いじめるかいじめられるかの状況で、正しい人間関係力はつくのでしょうか?人をいじめる技術を身につけ、いじめられる体験から自力で回復することが、人間関係力を身につけるための必須の試練とでもいうのですか?絶対に違うと思います。いじめられる体験から回復することは誰にでもできることではないですし、いじめた側も・・・確かに今、リストラばやりの企業社会の中ではいじめの技法は有効な生存技術になっていますが、それと本来の対人関係力は違うでしょう。もしいかにいじめる側に留まるかの技法が人間関係力で、それに優れたものが生き延びる社会なら、そんなものくそくらえです。

学力は徹底してテスト回答能力ですし、それさえも低下している一因としていじめを始めとする人間関係のストレスがあります。結局、今の学校で身につくのは学力と対人関係力ではなく、特に強いものだけがテスト回答能力といじめ技術を学ぶに過ぎないでしょう。

では、いじめ関係が余りにも支配的な学校という場以外に・・・どこに人間関係力を学ぶ場所などあるのでしょう。そしてちゃんと基礎学力と、それぞれの能力に応じた何かを学ぶ場は・・・。

17日

大衆の願いの集合が天意、では今の世界で天意とは何なのでしょう。

アフリカでははっきりしています。まず平和。そして食えて、自分の土地に安心して住んでいられて、働ける仕事があることでしょう。では、それを実現するのは?やはり信長のような英雄が出てきて、武力ででしょうか?それとも現在も行われている外交努力が実を結ぶのでしょうか。

先進国では?個々人の欲望が突出しているように感じます。

16日

1日に書いた、警察によるクーデターで逮捕を濫用する、というのは・・・言うまでもなく国会議員、閣僚の不逮捕特権について度忘れしていました。留保も法律でですから、もし議会で多数なら合法的なやり方で官僚組織が政権を転覆させるのは困難・・・

でも、警察を始め官僚組織全体が本気になれば、法律など無視しても文句は封殺できるでしょう。

15日

国家の存在目的は「現世代国民の人権を実現する」ことと、「人類の存続を永久的に実現する」ことのどちらなのでしょうか?そして、その優先順位を国民投票に、そして「人類の最優先目的は地球生命圏及び人類の永久的な存続である」と言う命題を世界全成人投票にかけたら、どうなるのでしょうか。

日本国憲法の前文からは、最終段落の「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」があります。それから日本国の存在目的は「崇高な理想」すなわち、主権在民の普遍原理、世界的な恒久平和の実現と、生存権を含めた人権の確保を実現することにある、と読めます。

では、その中で人類(を含む地球生命圏)の生存の優先度は?これについてははっきりしていません。「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という言葉からは、政治的な圧迫さえ除かれ、人権が確保されればそれで諸国民の生存権は自動的に保障される、と言うように読めるのです。ですが、もし人口が増えすぎて全人口を地球が養えなくなった時、人権の確保と人類そのものの生存、いずれを優先すべきかは前文からは読み取ることができません。憲法学者は人類の長期的な生存と現世代の人権が対立した場合、どちらを優先すると読んでいるのでしょう。

そして、世界全体では一体、どのように意思統一されるのでしょうか。それとも議論を避けたまま・・・。

14日

神以外には決して数字化できない、けれども明白に存在している、非常に強い意義を持つ政治指標が、言葉の組み合わせとして考えられます。「冤罪率」。有罪が確定した刑事裁判で、被告が無実である比率です。逆に、無罪が確定した刑事裁判で実際には罪を犯している場合も含め、刑事裁判の確定判決の間違いの比率、としてもいいでしょう。

これの測定はできません。あ、その根拠として、最終審法廷が歴史的事実を決定する権利を独占しているから、と言おうとしたのですが、それは正しいでしょうか?少なくとも確定判決は、再審請求が通らない限りあらゆる公文書上で真実として扱われます。それは事実上歴史的事実と等しいと思うのですが、どうでしょうか?否、歴史的に冤罪とされている大逆事件などの事案がありますから、確定判決の事実性は政治体制の連続性の範囲内に限定されるのでしょうか?それに別の国の視点から見た時、例えばアメリカなどが人権問題として非難している国の裁判を冤罪と判断することが多いですから、最終的な歴史的真実の決定権は最も力のある国にあるのでしょうか?また、日本と違って神を意識しているキリスト教圏の先進国では、確定判決の真実性は真実の最終的独占者である神と、どのような関係で受け取られているのでしょうか。

これを測定するには完全な嘘発見器または完全に人間の記憶を読み取る装置が実現するか(でも、それが実用化された時点でそれ以後の冤罪率は0となります)、または神に聞くかするしかありません。ですが、一体どこの国の冤罪率が一番低いのか、日本の冤罪率は本当に先進国と比較して高いのか(かなり多くの本で、日本は冤罪国家と言わんばかりの論調があります)、見てみたいものです。

そして、陪審制は本当に、冤罪率が低いのでしょうか?

13日

四割の児童が犯罪にあったことがある、ということです。では危険だから、と管理を強め、常に大人の手の届く所に子供を置くべきでしょうか?むしろ理想的なのは適度に大人の目が行き届いていることです。問題は、子供の分布と大人の目が大きくずれてしまっていることだと思います。

子供の生活スタイルは学校から帰宅したら多くは塾、その途中のごくわずかな時間で遊ぶことになります。その学校の行き帰りの道でほとんど大人の姿を見ないですし、塾に行く途中に遊べるような公園には目が届かないものが多く、その時間帯に公園にいる大人はまずいません。塾の帰りは夜の街、それも大人とは離れて行動することになりますし、案外歓楽街に近い雰囲気の悪い道も多いのです。あ、ここで塾帰りの子供を時間が重なる通勤帰りのサラリーマンが保護する生活の形ができれば・・・無理です。

また、かつては労働のかなり大きな部分が町工場のような家庭の延長でしたが、それが少なくなって子供の遊び場には一切目を向けることのないサラリーマン労働が増えています。サラリーマンなら、その一日にいかに子供の姿を酔っ払って歩いている夜中の帰り道以外見ていないか、一日意識すればすぐ分かることです。その分、子供たちに向く目のとても大きな部分が消えているのです。また、主婦層も不思議なほど外に目を配っていません。現代の生活様式では、やはり子供に目を行き届かせ、しかも自由に遊ばせることは不可能なのでしょうか。

では、子供たち自身に、自らの身を守る手段を教えるべきでは?護身術は悪用すると危険、それは確かです。しかし、人が何をしたら死んだり大怪我をしたりするかはっきり知ったら、それは暴力に対する抑止にならないのでしょうか?少なくとも僕は、人の殺し方・・・何をしたら人が死ぬか理解してから暴力をふるうことはなくなりました。身を護る最後の手段だからいざと言う時しか使ってはならないし、できる限り危険な場を避けること、これは子供に要求できないのでしょうか。

体力の劣る子供が大人の手から身を護るには、やはりある程度の武器が必要になると思います。また、武器と言っても人を傷付けるためのものに限定せず、シュアファイヤーのように強力なライト、ホイッスルや催涙ガスのようなものも有効だと思います。もちろんスタングレネードがあれば理想ですが。

では、それでも止められない時は?ナイフを子供に、日常の道具として教え、責任を持って管理させるのは非常に難しいでしょう。ナイフの使い方は教えておくべきですが、それはあくまで大人の監督下、アウトドアや教室などでであるべきです。
むしろ、僕が子供に適していると思える武器は、片手のフラッシュライトで目潰し、もう片方の手にブラックジャックのような短めの棍棒だと思います。あ、ある程度以上の大きさのマグライトなら両方を兼ねるかも。光が弱いでしょうか?ホイッスルで警告、光で目を眩ませて足のすねを強打、かがんだ頭を・・・これなら子供でも大人に対抗できます。大人の犯罪者がそれに対抗するため、奇襲を狙うか分厚いサングラスをかけたら無効かもしれないですが。その時にはホイッスルで誰かが来ることを期待するしかないでしょう。

もちろん、それを全ての子供に教えるとしたら、当然犯罪者もそれを習っています。それでも、抵抗の手段がないとあるとでは大きく違うと思います。

12日

紙でできた本には寿命があります。特に酸性度の高い近代的な西洋紙でできている本は、どう保管しても長くて100年、下手をすると30年しか持ちません。磁気テープにも寿命があります。

寿命のない情報媒体は?となると、断然CD、DVDを含む光ディスクの類です。頑丈で化学的な安定度が高く、デジタルの形で情報を保存していますから劣化がありません。たとえ人類が滅んで十億年後に異星人が発掘にきても、地殻変動などで極端な力や高温高圧を受けていなければすぐ再生できます。

なら、急いで今ある限りの情報をそちらに移すべきです。

11日

無数にある放置自転車と、毎日出る膨大な食料のゴミ・・・これらを発展途上国の「困っている人」に送れたら、これはごく自然な感情だと思います。

どちらも簡単ではないのですが・・・。でも社会資本の整っていない場所では、無理に自動車を導入するより自転車を大量に普及させたほうがいいと思います。自動車のメンテナンスや補給にはそれ自体膨大な技術者とガソリン、オイルなど高価な石油資源が必要で、それがないと動かないですし、メンテナンスを怠ると(怠らなくてもある程度ありますが、質量共に大きく違います)深刻な公害が発生します。反面、最低限の工具だけでメンテナンスが可能で無公害である自転車は価値が大きいと思います。

あ、その・・・生活のための自転車と考えますと、やはり普通の自転車では弱いかも・・・MTB以上の頑丈さで、しっかりした荷物かごがある自転車が必要になると思います。三輪のほうが荷物容量は多いですが、そうなると自転車そのものをかついで非常に悪い道を歩くのは不可能になります。

それにしても、自転車といえばなぜ・・・法的には、ちょっと余計に払えば電車に自転車を持ち込むことは可能です。それでも、誰も自転車を電車に持ち込む人はいません。それを平気で持ち込んでいいなら、かなりライフスタイルが変わると思うのですが。確かにラッシュなどがあると、自転車など持ち込む事はとんでもない被害になりますが。

10日

医療ミスによる、人命に関わる事故が最近本当に多いです。これは単に表沙汰になっただけで、昔からもっと多くあったのが隠されていただけなのでしょうか?それとも最近、本当に増えているのでしょうか。

原因として指摘されている医師、看護婦の超過労働・・・弁護士資格の持ち主も非常に少ないと言われてきていますし、そういった特別な資格の持ち主が不足しているような気がします。どうすれば質を落とさずに大幅に増やすことができるのか、考えてみたいことです。

9日

「マイクロソフトの分割」これは何を意味しているのでしょう。

結局控訴して争うようですが、本当にもし分割されたら・・・やはりかつて石油や煙草で行われたように、いくつかの巨大企業の集合体になるのでしょうか?それとも危惧されているように、崩壊する危険があるのでしょうか。

Windows〜InternetExplorerの評判は、安定性や安全性などを考えるとあまりよくないので、多くの企業が競争する形になったら少しはよくなるのでしょうか。でも、Windows95以降、WinとIEは一体に近い構成なので、分割したらどうなるのか、不安もあります。

とにかくもっと使いやすく、吹っ飛ばないパソコンになってくれればいいです。

8日

今後、人間の道徳観はどう変化していくのでしょう。

市場原理がこのまま浸透したら、また階層分化が進んだら、従来のような平等重視は影を潜めてやったもん勝ち、力が全てになっていくのでしょうか。

日本の次の時代がどういった方向に進むのか見えないので、そこで「正し」く「成功する」理想的な人格がどのようなものになるか、また子供たちに教える道徳はどうなるのか・・・全く読めないのです。

7日

支持政党がない、というのは無党派層の常ですが、ならどんな政党なら支持できるのでしょう。特に高学歴の都市生活者にとって。

とりあえず、僕にとっての理想は「危機管理」と「生存主義」、それに「人道」「教育」です。矛盾はありますが。

危機管理を重視し、特に大震災に対する徹底的な備えと対テロシステムの充実、犯罪抑止の強化、犯罪者に対する刑罰制度の再検討、軍事的政策の全面的な見直し・・・憲法はとりあえず現状でアメリカとの同盟を台湾、韓国の死守に協力することを含めて強化。その上でアメリカには米軍兵士の沖縄などでの綱紀の徹底、特に犯罪があった場合は犯人は極刑、アメリカが巨額の賠償金を支払うように要求。自衛隊が独自作戦を取れるように再編成。

生存主義は繰り返し述べていますが、地球生命圏の存続を最優先課題とすることです。同時にそれが、人類も地球生命圏に属する生命である以上、人類存続の可能な唯一の道でもあります。そのために、いち早く「先進工業国でありつつ持続可能」なシステムを模索し、徹底した廃棄物削減、炭素税の導入から太陽光−水素エネルギーシステムの構築、破壊的な開発の中止と必要に応じたダムの撤去、河川の流路変更など。

人道はとても上との両立が難しいのですが、「世界に餓死者、文盲がいることを許してはならない」をスローガンに、従来の効果の乏しいODNを見直して飢餓地域に対する人道援助と低教育地域、特に女性に対する基礎教育援助に力を集中。

教育は現在の非人間的管理教育と放任教育の両極端を廃し、「最低限のマナーと基礎、才能に応じた力」をつけることを主眼に、現行の6‐3-3-4制の見直し、20人学級の実現など。

この公約を全て満たす政党は今の所見当たりませんが・・・どうなるでしょう。

6日

使っていい言葉と使ってはいけない言葉をマスコミが決める権利があるのでしょうか?「三国人」「神の国」「国体」それらの言葉は使ってはいけない、と誰が決めているのでしょうか。マスコミでしかないです。

マスコミはそれ自体の思想で動いていて、それと森総理や石原都知事の思想が食い違っているのかもしれません。前も言いましたが、森総理が本当に戦前の天皇中心の軍部ファッショを再現したいのかどうかは不明です。わざわざ問題になるような言葉を使うことはない、という気もしますが、それだから唯一の目的、天皇制ファシズムの再現の為に生きていると決め付ける事もできないと思います。

そして、マスコミの思想が「国民の総意」で「絶対に正しい」と言えるのでしょうか?「マスコミの思想(上のような発言はいけない、が中心に近い)」=「国民の総意」=「絶対に正しい」、だから「マスコミの思想」が嫌がる発言は間違っていて絶対に許されない、これが正しいとするには「マスコミの思想」=「国民の総意」かつ「国民の総意」=「絶対に正しい」でなければなりません。

僕には、この二つの命題はどちらも必ずしも正しくないと思えるのです。マスコミの思想と国民の総意が果たして一致しているか、色々な疑問があります。マスコミが自分たちの意に添わない思想が注目されると、危険だとして非難する事が多いのが特におかしいような気がします。何が正しいのかは自分たちで決める、別の思想に関心を示したらそれは国民が間違っているか、悪い方向に洗脳されているのだと言う態度が見え隠れするのです。もしかしたら、マスコミと一般国民には思った以上のかい離が起きてしまっているのでは?

そして、「国民の総意」=「絶対に正しい」かどうかの答えは簡単です。魔女裁判もナチのユダヤ人絶滅政策も「国民の総意」に基づいて行われたことです。

5日

今、例えば国立国会図書館の文献の、何%が電子化・・・コンピューター上の文字データに変換されているのでしょうか。そして、世界全体にある文章の何%?

日本の国立国会図書館は、全ての本を集めていると言われていますが実質は一部のみ、それも日販、トーハン両大手取次を通じてでしか納本を求めていないそうです。つまり、一冊づつしかないというわけで、万一燃えたら終わりと言う事でもあります。

その価値を知っているテロリストなら、例えば国会図書館に爆弾を仕掛けて国を脅迫する事もありえます。もしも爆破炎上したら、日本の文化、民族の記憶そのものが消し飛ぶことになりますし、人類全体にとっても大きな打撃です。もちろん、テロではなく事故としての火事で国会図書館のコレクションが失われる事態も考えられます。

そのような事に備えて、二冊づつ納本して別々に保管、またできる限りそのテキストを電子化し、分割して保存しておく事が必要と思われます。

4日

ついに衆院総選挙、どうなるのでしょう。

自公体制が崩れる事は考えにくいです。現状では民主党の人気は期待できないですし、共産党がいくら躍進しても単独政権は不可能でしょう。

3日

昔はよく食べられてきた、鯉、なまず、どじょう、田螺といった里の水産物は現在、少なくとも一般のスーパーでは手に入らないものです。

一生食べる事のない人も多いのではないでしょうか?僕も一年に一度機会があるかどうかです。

2日

女性の半分が暴力にさらされている、とのことです。これは犯罪なのでしょうか、それとも文化なのでしょうか!

例えば、その部族が人食いを慣習としているからと言って、文明の一つでしかない西洋文明の視点、(善悪ではなく)一つの価値観から非難するのは間違っている、と言う反省も多いです。ロビンソン・クルーソーでもロビンソンは、人食い人種を皆殺しにしてやりたいという「自然な」正義感と激しく葛藤しました。今何らかの手段で女性に対する暴力を止める事は、同時に重大な文化と精神の破壊を伴うのではないでしょうか?

犯罪である事は確かです。でも、それを止める事がどんなに不可能な事か!政治も情報も浸透していない発展途上国の、それも文化を否定するのがどんなに難しい事か。正直、処方箋は全く見えません。

一人一人の、そして人類発祥以来全ての痛みを感情移入したら、言える事はただ一つ・・・「畜生、人間なんてみんな地獄に落ちちまえ!」(猿の惑星)

1日

フィジーのクーデターは結局、テロリストに屈する形になっているようです。まだまだ不安定な要素や分からない事が多く、予断を許す情勢ではないですが。

同時にふと心配になったのが、日本についてです。以前、日本においてクーデターは考えられないと書きましたが、クーデターを余裕で起こせる力を持つ組織があります。暴力団ではありません、可能性はありますが。それとは比較にならない力を持っている集団・・・警察を中心にした官僚組織です。

これを思い付いた時、僕は正直爆笑しました。警察を中心にした官僚組織は、元々日本を支配する政治機構です。それがなぜ、必要がないじゃないか、と。ただ、もしも警察不祥事などを背景にして今度の衆院総選挙の結果、官僚組織の解体やそれに近い意味を持つ全面的かつ徹底的な情報公開を新与党(具体的にどことは今言えないです。衆議院選挙までの一ヶ月にどうなるかも分かりません)が推し進めようとしたら。または、もしくは同時に何か、今まで表沙汰になったのとは比較にならない、重大な警察組織ぐるみの犯罪がすっぱ抜かれたら。前の総選挙直後の非自民連立政権には官僚と闘える手腕はありませんでしたが、もし世論と政治に対抗しきれないと官僚組織が感じ、組織防衛という本能の為に暴発したら!

それは銃撃戦もなく、静かに進行するでしょう。武力は全く必要ではない、単純に新与党の主要メンバーを逮捕し、自民党に政権に戻ってもらうだけです。罪ならいくらでも、なければ作ればいい事です。日本人には元々、警察組織に対抗できる力などどこをどう探してもないのですから、抵抗を恐れる必要はありません。憲法改正の必要もない、マスコミを始め言論の自由も営業許可そのものを官僚組織が握っていますから、簡単に封殺できます。

後は傀儡とした国会で、いくつかの法案を通過させてしまえばまた、官僚と利権の天国の復活です。その後選挙が巡ってきたら、体制に反対する立候補者を片端から公職選挙法違反で摘発、失格にすれば心配はありません。外国がどう動くかですが・・・日本を潰すのは彼らにとっても利益にならないので、強い動きはないでしょう。