枕元の計算用紙
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アフガニスタンのイスラム教原理主義政権(認められてはいませんが、国土の大半を実効支配しています)、タリバーンが勢力圏内の仏像を全て破壊することにしたそうです。シルクロードの歴史を今に伝える、世界遺産と言っていい貴重な文化遺産をです。
彼らを説得する言葉はありません。いくら、おまえたちに人類の至宝を破壊する権利があるのかと叫んでも、彼らイスラム教原理主義者は耳を貸さないでしょう。彼らにとって偶像破壊は神に命じられた神聖な義務です。あらゆる偶像の存在自体が絶対悪なのです。啓示宗教の論理はよく分かっていますが・・・でも、百年後、否千年後の歴史家、芸術家に迷惑をかける権利が人間にあるのでしょうか?彼らにとってはそれら全てが神の意に背く悪でしかない、彼ら、そしてコーランが絶対に正しいのですからどうしようもないのですが。
身震いするほど止めて欲しいです。でも、経済制裁以外何もできない国際社会に打つ手はありません。一体どうすれば、かけがえのない文化遺産を守ることができるのでしょうか。できることなら、特殊部隊を動かして世界遺産と言える文化財はすべて国際社会が管理することにして欲しいです!
価値観の全く違う、別の価値観の存在を認めない人間・・・絶望感に震えています。
本屋のポルノ棚を見回してみて、非常に大きな世代の断絶を感じてしまいました。ほとんど全くと言っていいほど読まないので、内容まではわからないですが。
写真系や雑誌系にも断層を感じたのですが、明白なのが小説の表紙の絵です。高年齢層を対象としていると思われる、黒を基調にした重い装丁で細密かつ写実的な絵のものと、多くがパソコンゲームを原作にしている軽い装丁でアニメ調の絵のものにはっきり分けられます。内容も全く違うのでしょう。
ポルノ文化に大きな断絶があるとしたら、それは世代断絶の最たるものではないでしょうか。
「武装さえ捨てれば平和になる。戦争の危険があるのは軍備を持っているから」なのか、「暴力に対抗できるのは暴力だけ、ちゃんと国を守るだけの軍事力を持つべき」なのか、証明する手段はありません。
それを試すのは・・・余りにも危険な試みのような気がしています。
丸一日、絶対安静の入院患者のように食事とトイレ、入浴以外一切ベッドから出ず、外に出ないで運動もせず、テレビもラジオもつけず、新聞も本も読まず、音楽一つ聞かず、パソコンにも手を触れずに過ごすことはできるでしょうか?
時間についても貧乏性な日本人には難しいでしょう。でも、年に一度でもそれができたら、大きなリフレッシュになる気がします。
朝日新聞、共産党など日本の「良心的」な人たちが理想とする日本・・・自衛隊もない非武装中立、天皇制もない、人権はきちんと守られている・・・それは本当に天国なのでしょうか。地上の天国を作ろう、というのは人間のおごりではないでしょうか?戦争に巻き込まれていないだけで、餓死者が年に数人しか出ていないだけでかなり幸せな部類に入る気がします。
猟奇殺人や凶悪犯罪はいつの世にもあります。なのに最近、特に少年が起こしている凶悪犯罪に対して過剰に問題視している気がします。そして、社会全体の少年=人間とは異質の犯罪者に対する恐れが非常に激しい気がするのです。
それが暴走したらどんな非道な手段を使ってでもそれを「解決」しようとしかねない、と「バトル・ロワイヤル」を始めさまざまな表現者が感じているように思えます。
ポルノグラフィーを創作する行為は、これ以上ないほど作者の内面の秘められた部分を明らかにします。
それを仕事としてできる神経は凄いとも思えますが、逆に人間には自分を表現したい欲求がありますから、それを素直に出しているだけかもしれません。
逆に、自分自身をより深く知るために、性教育として一度書かせてみることも面白いでしょう。もちろん提出は言語道断、出来上がったら自分で読み返してどこか見つからないところにしまうか捨てることとして。
援助交際という名の売春などが問題となっていますが、その問題の扱い方は「売春は女性をおとしめるものだ」が前提になっています。僕も、特に江戸時代終盤から明治時代にかけての現実はそうと知っています。
ただ、特に中世における自由民の女性の売春について、彼らは女性を高く見ていたから自由を許していたのだ、という見方もあります。それとこれとは別なのでしょうが・・・。
悲劇的な海難事故をきっかけに、森首相の退陣が騒がれています。
その中で、なら誰がいいのかという議論になり、どの候補も駄目だ、という声が大きいです。期待できる政治家のいない冷笑・・・では、どんな政治家ならこの時代の首相にふさわしいのでしょうか。
想像してみるだけでも意味があると思います。たとえば、マンガのキャラクターですが「マーダーライセンス牙」の板垣首相のような首相はどうでしょう?他に、どのようなプロフィールの人間がいいのか、マンガのキャラクターを作るようなつもりで考えてみたらどうでしょうか。
例えば、子供の頃から正義感が強く、小学生の頃からアフリカ難民の救援活動を行ったり環境を破壊するダム建設を命がけで止めたりし、長じては弁護士資格を取っていくつもの冤罪事件を晴らし・・・そんな人でしょうか?それとも中卒で就職しなければならないほど貧乏な家に生まれ、抜群の才覚と努力で二十代で世界的な大企業をつくりあげた経営と改革の天才でしょうか?
台湾は、結局中国に併合されるしかないのでは?よくアメリカと中国のカードを照らし合わせてみると、中国は面子にかけてどんなことがあっても台湾を諦めることはできません。しかし、アメリカは自国を核攻撃されることに、政治的に絶対耐えられないのです。
アメリカは本質的に孤立して生活できる国です。太平洋の覇権は必要ありません・・・中国が全アジアを制覇しても、アメリカ大陸に手を出さない限りアメリカにとってはそれほど大きなことではないでしょう。アメリカは最後には自分が傷つくことより、それを選ぶのでは・・・。
他に台湾に協力できる国はありません。次は沖縄である日本が本来台湾を守るべきですが、日本政府が中国の意向に背くことはありえないですし、よしんば台湾を守ると日本が決めたとしてもわずかな都市に人口、機能が集中しすぎている日本は本質的に核攻撃に耐えられません。
アメリカがイラクに対して行った空爆には、「あいさつがわりだ」という台詞しか感じられません。それで負傷したり死んだりした人はたまらないでしょうね。
ただ、やはり・・・フセイン政権は何とかして欲しいです。情勢を考えるとどうしようもないですが・・・。経済制裁ではどれだけ続けても無辜に等しい国民を苦しめるだけで何年待っても政変など起きない、本人の死去を待つつもりか、と非難したくなってきますね。
一人が週100時間働くのと、四人が週25時間働くのとどちらがいいのでしょうか。もちろん雇用者の側の効率としては圧倒的に前者です。今後の社会は、ますます最も有能な一人が百時間働き、脱落者がどんどん苦しむようになる気がします。
ワークシェアリングでだれもが生活を楽しむ、と言うのは夢物語でしょうね。
プロとアマの差はどれくらいあるのでしょう。仮に、甲子園の優勝高がプロ野球のペナントレースに参加したら、やはり全試合コールド敗けでしょうか?それとも、かなりいい試合をし、場合によっては最下位にもならずにすむのでしょうか。
また、プロのチームなら確実に優勝できるものでしょうか。いや、地方予選一回戦負けの弱小高でも、プロ最高の投手と捕手が入ったらそれだけで全国優勝できるのでしょうか?
児童虐待の過去は、全ての悪を正当化できるものなのでしょうか。逆に、その生い立ちの悲惨さによってもあえて裁くことはできるのでしょうか。いかなる正当化も受け付けない罪とはあるのでしょうか。
不良債権処理がもう十年も叫ばれていますが、不良債権とは本来処理すればするほど増えていくのでは?リストラによって一層失業率が上がり、消費が減って全体の株価が下落して、それで本来優良債権だった株も不良債権に・・・土地も同様。
緊急備蓄物資として、缶詰になったチョコレートがあると便利ですね。それもビタミンやミネラルを強化し、栄養補給食品としても使えるように調整して。
チョコレートの厄介な点は、溶けて汚れ、周囲も汚す危険があることですが缶詰や瓶詰めならその心配はないです。
ダンクコンテストがオリンピック競技になったら・・・無理ですね、余りにもわずかな人にしかできないことですから。
少なくとも小学生にとって人間は逆上がりのできる人とできない人、飛び箱を飛べる人と飛べない人に分けられます。逆にダンクはできる人が少なすぎて日本では問題になりませんが、身長の高い人の多いアメリカでは問題なのでしょうか。
それにしても今年は少し期待外れ、やはりヴィンス=カーターもコビー=ブライアントもいなかったからでしょうか。スリーポイントラインからとか立っている人を飛び越えてのダンクとか、期待していたのですが。あのとんぼ返りからダンクと馬飛び越しダンクは凄かったです。
完全な証人保護・・・特に、殺人の実行犯で黒幕を証言する勇気の無い人とその家族を守るため、国にはどこまでできるのでしょうか。刑務所内、留置場内で受刑者を完全に守ること、何よりその安心を与えること、そしてその後も生涯の安全を保障することは国にできるのでしょうか。
クリントン時代の米軍の、一人の死傷者も出したくない姿勢が少し疑問です。自分は痛い思いはしたくないが、人が痛み苦しみにのたうちまわるのは楽しい、という最近の犯罪少年の態度を思い出させるのです。
確かにハイテク兵器を持つ軍隊同士の全面戦争は、今の国際情勢ではほとんどありえないでしょう。しかし、もちろん対空砲火をかいくぐってですがスマート爆弾でゲームのように攻撃するだけ、地上軍の派遣はしない、という姿勢が武人の態度だろうか、という気は少しします。あ、弓矢や槍しか持たない現地人を機関銃で虐殺した植民地時代の白人の姿勢にも通じるかも。
もちろん、報道されない場所では特殊部隊員が日夜血を流しているのですが。
狂牛病騒動は、もしかしたら地球環境にはいいかもしれませんね。牛は多量の穀物を消費したり、また広大な原野、森を破壊した牧場で育てられたりしていますから。げっぷに含まれるメタンガスが温暖化に関わるともいわれますし。このまま牛肉食の文化が弱まってくれたら・・・。
意外なことからとんでもない事が分かることがあります。たとえば、古代エジプトの話を読んでいて、聖書について理解することも(って、これは関連が深いからよくありますか)。
古代エジプトの信仰で、その体によみがえるために死体をミイラにする、と言うことから初めて何故パウロがコリント人への第一の手紙15章42〜44節で「霊の体によみがえる」と強調していたかがわかりました・・・復活とは古代エジプトのようなものなのか、なら自分たちもミイラを保存すべきかなどと聞かれたのでしょうね。
有明海諌早湾を塞いでいる堤防を爆破するテロは・・・犯罪は犯罪ですが、死傷者さえ出さなければ英雄視の可能性もあります。さて、すぐ修理するでしょうか・・・それはなんとか、マスコミと環境運動家が抑えて、数年だけ開いた状態で様子を見る、としてくれれば。
EUは、刑務所をいつ統合するのでしょう。もうされているのでしょうか?
「絶対服従」義務を課せられている人は、本来「命令」であれば任意の行為の違法性が阻却されるはずです。
しかし、東京裁判やニューベルグ裁判は、それにNoを宣言しました。絶対服従が死刑で強制されていても、虐殺を行ったら死刑・・・では、どうすればいいのでしょう。「殺せ」嫌だと言ったらその場で死刑、殺したら戦後死刑・・・どちらにしても死刑、これほど残酷なことはないです。
今の日本でも絶対服従が鉄則の社会は多くあります。警察、暴力団、刑務所などなど・・・それらで、違法な命令を受けた場合にはどうするのか、特に警察のような公的な組織ではどうすべきか。もし、普通の一警官が上官に「明日我々が警護する野党幹部を射殺し、おまえもその場で自殺しろ。命令だ」「**町に住む*藤*治という男を例の連続放火殺人容疑で逮捕し、その日のうちに留置場内での自殺に見せかけて殺せ」など、逆らえるでしょうか?
人間にとって、「そのためなら歴史を曲げてもいい」ほど正しいことはあるのでしょうか。たとえば散逸、破壊された文化財の保護、あるいはホロコーストの阻止、韓国人にとっては朝鮮の植民地化の阻止・・・日本の近代化の妨害!!さらに環境破壊による人類の破滅を防ぐため、産業革命を妨害することも正当化されるでしょうか?色々考えられます。
でも面白そうですね、タイムマシンで戦場や宗教ヒステリーの中を駆け巡って文化財保護をする冒険者、そんな小説やマンガがあると。圧巻になるのは燃えるアレクサンドリア大図書館から少しでも資料を救い出そうと、大軍と機関銃が溶け出すほど戦うシーンでしょうか?
もし、最低の駄作と思い込み、そう公言したマンガが大ヒットしたら?編集者なら、即座に考え方を変えなければ仕事にならないでしょう。
でも、僕のようにただネットで、自分の感情を垂れ流しているだけの、評論家とも言えない人間はどうすればいいのでしょうか。「こんなの読んでる読者がおかしいんだ、どうかしている」と言っても、それは余りにも空しい言葉です。あくまで個人趣味と見切って、自分の感性を押し通すしかないのでしょうか。
逆に、最高傑作と思ったら全く駄目だった場合には・・・そんなの日常茶飯事でしょうね。
危なかったとしか言いようの無いニアミス。でも、間一髪回避できてよかったです。
ですが、次はないと思わなければ。ニアミスの影には、無数のそこまで至らない事故があり、そしていくつかのニアミスから必ず大惨事は起きるのですから。
思うに、航空機や医療のような人命を支配する領域では、基本的にミスは許されません。ですが、人間はどうしてもミスをしてしまう生き物です。それをフォローできるだけのフェイルセイフが必要なのですが・・・それにも現界があります。やはり、事故はやむをえないことと諦めるしかないのでしょうか。人間いずれは死ぬ、と・・・。
この二つの魔法の財布の、どちらを選びますか?「年に一度百万円引き出せる」「一度の買い物につき、小銭で千円以内無限に使える」。これについて考えてみると、自分の消費傾向も少し理解できてしまいます。僕は後者の方が都合がいいですが、それだけ一度に高額な買い物をすることが少ないことがわかってしまいました。