枕元の計算用紙
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タリバーンによる大仏の破壊・・・どうしても怒りが抑えられません。
ただ、考えてみますと釈迦自身は「諸行無常といつも言っているでしょう。人が必ず死ぬように、形ある物は壊れるものです。彼らが壊さなくとも何億年も月日が経てば砂に帰ったはずです。
形は全て移ろいゆく空しいもの、石が仏になり、仏が石に戻っただけの事です。タリバーンの人たちの言う通り、目の見えない人にとってはあんな物は岩山と変りませんよ。何事であれ、何物であれ、執着するのは愚かしい事です。こだわりさえ捨てれば怒りはなくなります。
人間の文化に対する攻撃といいますが、その人類そのものも宇宙の時間から見ればほんの一瞬の泡に過ぎません。
彼らが何をしようと、空に帰り、このうえない悟りを得て涅槃にいる私に指一本触れる事などできません。
これを機に全てのものは空しいと悟りましょう」と笑っているでしょうね。
でも、何に対してもこだわるな、怒るなと言われても・・・それで本当にいいのでしょうか。
北方四島は、いっそのことロシアにあげた方がいいと思います。外交交渉による返還は不可能ですから。
政治的にロシアの政権が返還しようとしても、領土にこだわるロシア世論がそれを絶対に許しません。そして、決して守られない約束のために、底無しに援助を取られるだけです。
なら、あれは本来日本の領土だが、あんたがたが戦い獲った領土だし、今はロシア人が住んでいるからもういい。そう言ってしまったら、ロシアは・・・それから外交のネタがなくなります。
日本はただ、平和条約の締結を検討すればいいだけ・・・さらに、もう配慮は必要ないのだからとシベリアへの捕虜抑留、満州にいた日本人への虐殺暴行への謝罪、賠償要求もできるはずです。もちろん、現状では賠償は取れないでしょうが・・・。
安部元帝京大教授の無罪判決・・・やはり、といえばですが、深い敗北感に包まれています。
やはり日本で正義は、「それ」に勝てないのか。「それ」とは何か・・・はっきりしません。日本の医学、薬産業の中枢を免責された元731部隊の人間が支配した事、そして・・・日本における、医師の特別な権力。権力の走狗に過ぎない裁判所。「それ」が何か分かったら・・・多分、絶望の底に沈むだけでしょうね。初めから、勝てる相手ではなかった。
ユダヤ人入植者の乳児が狙撃、射殺されたとのニュース・・・全身を怒りが押し包みます。でも、よく考えてみますと同じような事をイスラエルもしているはずです。報道されないだけで。
ただ、それを知ってもやはり、無抵抗な弱者に対する暴力にはどうしようもなく怒りが燃えます。
凶悪さで社会を震撼させ、同時に言葉による表現力を示す犯罪少年たちに、全てを書いて欲しいです。生い立ち、折々に感じた事、犯行の詳細、そしてその後・・・反省文になるかもしれませんし、反省などないかもしれませんが。
今生きている人のどれくらいが理解しているのでしょうか・・・この文明はまず百年もたない、あと何十年かすれば最低でも多分世界人口の半分以上が死ぬ大破局が訪れる可能性が大きい、ということに。
「持続可能な文明」は言葉としてはきれいですが、その中ではおそらくハリウッド映画もコカコーラも存在できないでしょう。テレビも駄目でしょう。本は・・・確かに江戸時代のような持続可能分明でも存続していましたが、今とは全く規模も何も違うでしょうね。何より、地球上に限定された「持続可能文明」の人口規模は・・・考えるとぞっとします。
多分、文明の転換は制御できない破局の形で訪れ、その過程で何十億死ぬ事になるか・・・。もちろん、人類の滅亡で終わる可能性も大きいです。
小さくなって遊べたら面白いでしょう。体調2cmくらいになれば、そこらの小さな空き地もジャングルですし・・・それだけ危険ですが。
テレビ通販のサービルの基本は、「もう一品」です。たとえば鍋セットの場合、本体価格を下げる代わりに包丁を一式つけるなどします。場合によっては物自体を二倍にする事さえあります。
そのほうが、本体価格を下げるより業者にとって得なのでしょうか?
ロシアの宇宙ステーション、ミールの落下で不安があります。僕ももちろん、帰りに脳天を直撃されて即死する可能性は何兆分の一ですがあります。
政府がすべきことは、起きたら金でできる補償はするから安心していろ、という事でしょう。いくら安心だと言っても、政府の「安心だ」は信用されていませんから。
まあ、ミールがなくても隕石に当たって死ぬ可能性はいつでもあります。そして、車にひかれて死ぬ可能性は比較にならないほど高いのです。
明日生きている保証はない、それも自分のみならず・・・巨大隕石の落下を確実に捕捉することは現状ではできませんし、偶発的核戦争の危険もありますから、人類自体明日生きている保証はありません。
「今欲しいもののリスト」を作ってみることには意味があるのでしょうか。いくらでも長くなりますね、どうしても。
成功に必要なのは努力、才能、運のどれなのか・・・松平秀康の生涯を読むと、どうしてもそれは運でしかないように思えてしまいます。
彼には最高の才能があり、それを伸ばす努力もしたのでしょう。当時の若者では最高の武将と認められながら、本質的には家康を父に持ち、その家康に母の事情で忌まれたという本人にはとは無関係な一事だけで生涯何もないまま終わってしまった・・・地方の一武将の子であれば活躍できたであろう剛毅さがあったのに。
官僚は予算を使いきることで評価され、企業で努めている人は(本来なら)予算を余らせることで評価されます。
僕は小中学生の頃、前者を叩き込まれた覚えがあります・・・給食で。給食は食べきれないと次の日から量が減らされるシステムになっており、先生にはそれが起きないよう食べ尽くすことを勧められました。その結果、当時の僕は特にご飯の処理施設となり、そのためにたまった脂肪で苦労させられました。
鏡を一枚持てば、宇宙の半分を手に入れたと同じです。鏡の中には、理論的には宇宙の鏡面側全ての鏡像があるのですから。でも、それで所有欲を満たす事はできません。
仕事を「遊びに行くから休みます」と堂々と言える人は、やはり少ないのでしょうか?そして、大概の職場はそれを認めていないのでしょうか・・・有給も含めて?
人間の死は大概突然・・・でも、現代人は普通かなり前からスケジュールを決めて動いていますから、とても不便です。
おそらく、前からスケジュールを決めてその通りに動かなければならない現代生活の方がおかしいのでしょうが。考えてみますと、特に車通勤の人間は明日生きている保証がないのに先のことを決めている、おかしいですね。
考えてみますと、民主主義を世界全体に敷延・・・世界人民投票で物事を決めるとしたら、偶像崇拝禁止は確実に可決されてしまいますね。
「地球民主共和人類共同体」が果たして人類の幸せを保証するかどうか、怪しいものです。ではアメリカを敷延した「地球合州国」はどうなのでしょうか?
ある程度より若い世代の普通の人には、バイトなどの公の場では元気がなく、逆に私的な場では元気な傾向はないでしょうか。
アフガニスタンのタリバーンが、本当に世紀の蛮行をやってのけたらしいです。となると、次は世界中のあらゆる像が危ないのでは?次は東大寺に放火されるかも、という危惧を感じています。それら全ての像の存在自体を彼らは許さないのですから。
そして、彼らにとっては・・・日本式の葬式など、偶像崇拝の極みで死者を冒涜し、地獄に蹴落とす蛮行なのでしょう。そして、一体どちらが正しいのでしょうか?本当に仏教で葬られた死者はすべて地獄に行くのでしょうか。本当に天国に行ける宗教は何でしょう。キリスト教?イスラム教?それとも死後の世界などないからどれを選んでも関係ない?それとも、どの宗教でも生前正しく生きていればそれなりに報いられる・・・僕はそう思いたいです。
あ、そういえば「バーミヤン」がただのがれきの山になった今、その名前を使っている中華料理チェーン店はこれからどうするのでしょう。
全ての子供が一年に一度のテストで全科目百点じゃなかったら処刑あるいは生殖能力を除去、脳手術で従順な労働階級に変えるとし、最終的に大人になって子孫を残せるのは完璧な知能の持ち主のみ、としたら、人間は進化するのでしょうか。または全てのクラスで「バトル・ロワイヤル」を行い、生き残ったものだけが成長できるシステムでは?
現代の、人間として生まれた事自体から不可侵に人間としての尊厳を与え、生存権を保証することは自然淘汰が起きないという意味ではとても不自然なことです。
ただ、上記のようなシステムでは偏った能力でのみ淘汰するため、問題が起きる可能性が大きいでしょう。
江戸時代のご飯や単なるいわしの塩焼き、ネギと豆腐の味噌汁、酒・・・全て農薬もダイオキシンも一分子もない、今では望むべくもない水と土、人間の手間で作られている、現代のものとは比較にならない天上の味・・・なのでしょうか?特にグルメマンガはそう言っている気がします。
例えば現代の人は昔の水と米で作られたご飯と味噌汁に酒、昔の人はマクドナルドやケンタッキーにコークハイを交換して試食したら・・・どちらがより深い満足を得るのでしょう。
アメリカの海兵隊は、ある意味洗脳と言っていい厳しい規律と激しい人格否定、罵声で人間を・・・かなりの不良でも有能で忠実な兵士に変えてしまうといわれています。
では、その超スパルタ教育は犯罪者や人格障害者の治療、引きこもりなどの病的な状態の改善になるのでしょうか?どんな人間でも?または限界があるのでしょうか。
意味はないと分かっていても、憧れる能力があります。漢文と旧字体を自由に書けるようになることです。読むことはある程度できますが、書く事はワープロの助けがあってもできないですから。旧仮名遣いさえわかりません。
それにしても、漢詩や四書五経などの素読は今の社会では必要ないのでしょうか?
忘れがちなのが、時代劇やファンタジーの登場人物は地球が丸いことや物が原子でできていること、二次方程式の解の公式などを知らないことです。
逆に難しいのが、文字式計算も知らなかった頃の人間がどうものを考えていたのか想像すること・・・。古代のローマやエジプト、中国ではどうやって税を集め、来年度予算を決めていたのでしょう。級数計算どころかゼロの概念も無しに。
今日の帰り道、道端に猫が倒れていました。車にはねられたのでしょう。少しためらいましたが、別に急ぐわけではないので埋めることにしました。その道路の横が土手になっていたので、穴を掘って・・・そして、埋めてやろうとその猫を、ビニール袋で包んで手袋の上から抱き上げたら・・・まだ暖かいのです。
手袋を脱ぎ、ビニール袋ごしに胸を触れてやると、わずかに脈拍のようなものを感じます。もしかして自分の脈を勘違いしているのか、と思いましたが、やはり脈のようです。それなら、と胸を押してやったり、声をかけてゆすったりしましたが、全身は完全に脱力しており、自発呼吸の気配もありません。
外傷は・・・体には別にないのですが、あごがぐずぐずに砕けて歯が飛び出し、鼻血が地面にかなり出ています。あ、今から考えると脳髄液が漏れていなかったかチェックする手がありましたか、髄液らしい透明な液や脳はもれていませんでした。ただ目はどこに行ったのか眼球が見られず、穴のようになっていました。
しばらく抱いていて、動き出すか自発呼吸が再開するかどうか見ていて・・・何度も考えたり話しかけたりしているうちに、脈が触れなくなったのでそのまま埋めて、何度か光明真言を唱えて帰りました。
これでよかったのか、まだ疑問があります。もしかしたら生きていたかも、動物病院に直行したら・・・1%以下だと思いますが助かったかも。少なくとも、人間に対する診断としては明白に間違っています。体温が残っていて心臓が動いているなら、人工呼吸を(感染の危険があるかあごの損傷が激しくてマウスツーマウスができない時にはニールセン法か気管を切開して管を入れ、それを通じて)医師の診断があるまで継続すべきです。
そのまま、または布か何かで保温して放置することも考えました。翌朝死んでいたら埋めればいいし、いなければ生き返ってどこかに行ったということですから。
ただ、もう過ぎてしまったことは仕方がありません。少なくとも、首輪がなかったから多分ノラで・・・最後は人間に、ビニール越しとはいえ抱かれて看取って?もらったのだから、まあ恨んで化けて出ることはないでしょう。帰ってから塩で自分は清めましたし。
この、「時間がある時には道端で死んでいる猫は埋めてやる」というのは、親は許しませんし誰にいわれたこともない、僕だけのルールです。果たしてこれは倫理と言えるのでしょうか。
人間の脳はコンピューターとして考えると巨大なスーパーコンピューターをもしのぐ存在だとよく聞きます。
なら、なぜ普通の人間は簡単な計算にもこんなに時間がかかるのでしょう。数学的な計算が進化に必要なかったからかもしれませんが。
サヴァン症候群と呼ばれる、精神障害と引き換えに凄まじい数学的な力を示す人たちは、そのコンピューターとしての力を活用する特別なプログラムを持っているのでしょうか。なら、普通の人間はどうしてどう努力してもそれを見つけることができないのでしょうか。オイラーやガウス、リーマンのような異常な数学的才能はそれを一部持ちあわせていたということなのでしょうか。
また、そのような特殊な能力を代償を支払わずに遺伝子的に発現することは可能なのでしょうか?
人間の振舞いと素粒子の振舞いに、奇妙な類似を見つけて苦笑しています。
人間も素粒子も、一つ一つは予測できないけれど統計的に捕らえることは・・・人間については、経済学や社会統計はできるつもりでいるようですが。でもまあ、例えば犯罪と環境の関連などでは、悪い環境でにいる・・・一人一人の子が将来悪くなるかどうかは予期できませんが、統計でははっきりといい環境の子供より犯罪率が高いと出ていたりします。
タリバーンの仏像破壊宣言のニュースに、怒りを抑え切れません。どうしても経済制裁解除を迫る駆け引きとして言ってみただけで、本当は破壊していないと信じたいです。その、信じたい気持ちからかもしれませんが、僕にはタリバーンの指導者が正気なら本当に破壊はしていないと思えます。
なぜなら、宗教的価値観や文化的価値観の違いを念頭に入れても、冷徹に利害を検討したら仏像を破壊することは三つ巨大なデメリットがあるからです。
一つは(ギボンの「ローマ帝国衰亡記」によると嘘とのことですが)アレクサンドリア大図書館を「コーランに書かれている言葉なら不要、書かれていない言葉なら有害」と言って焼いたイスラムの武将に匹敵する、それこそ21世紀最悪の蛮行として人類が生きている限り罵られることです。
二つは本当に破壊したなら、「異文化への寛容と文化財の保護」を重要な価値観として持つ、世界の大多数を全面的に敵に回すことです。直接軍事的攻撃はしないかも知れませんが、経済制裁解除は限りなく遠くなるでしょう。
三つは特にバーミヤンの石窟を初めとする仏像は、アフガニスタンが(タリバーンの手によってでも)安定し、開いていった時に貴重な外貨を大量にもたらしてくれる金の卵を産む鶏であることです。
反面、メリットは単なる宗教的信念の満足です。一文にもなりません。このデメリットを無視し、自分たちの経済、政治的利益を捨ててまで破壊を強行するとしたら、それこそカルト教団の信者並みに判断力が低下していると判断するしかありません。そんな集団が、一国を獲れるのかどうか。
歴史教科書に対する内政干渉に、どうしても不快感を覚えてしまいます。歴史的事実ではなく、あれはもう言論の自由の問題です。
果たして、「歴史」は議論を許されない、もうはっきり決まってしまっているものなのでしょうか?そして、それを決めるのは誰でしょうか。中国や韓国に日本の歴史を決めて欲しくはないです。
ところで、僕の手元にはないのですが、スペインやイギリスの歴史教科書はどうなのでしょう。
「我が国はコロンブスのアメリカ大陸発見以来、平和に暮らしていた先住民を侵略、貴重な文化遺産を破壊しつつ残虐極まりない虐殺、奴隷労働を行い、先住民がほとんど死に絶えた後には黒人奴隷を大量に移入して莫大な利益を上げつつ、それを宮廷生活や戦争で浪費した史上最悪の人間集団であることを決して忘れてはならない。先住民の大量虐殺は事実上のジェノサイドであり、ナチスのホロコーストに匹敵する人道的犯罪である。それはレコンキスタ以来、酸鼻を極めた魔女裁判にうかがわれる自分以外を悪魔とみなし、根絶しようとするカソリックの本質であった」
「我が国は太陽の沈まぬ国と言われるほど広大な領土を征服し、先住民を人間扱いせずに差別しつつその富を収奪した。そのような愚行を永久に繰り返さぬため云々」
とあるのでしょうか?
武道の世界では、三日三晩休息なしの立ちきり試合や百人組手といった、スポーツ理論からは狂気の沙汰と言える通過儀礼的な修行があります。
それは本当に有効なのでしょうか。たとえばサッカーで同じように三日三晩いくつもの相手がいれかわりたちかわり、ハーフタイムや交代などの休息を一切認めずに水分補給だけで試合を続ける特訓は有効なのでしょうか?
一番いい雨具は何でしょう。圧倒的多数の日本人は(こうもり)傘に頼りますが、ドイツ人は傘を嫌うと聞いたことがあります。
傘の長所は、開いたり畳んだりが気軽にでき、畳むと濡れた棒を持っているだけで体自体は濡れていないことです。また、上から静かに降ってくる雨の大半から身を守ることができます。また、汗によって蒸れることもありません。そして着脱が上下両方のレインウエアと比べれば格段に楽であることです。
短所は足元の防御が不完全で、特に風の混じる強い悪天候では下半身が濡れること、さして歩いていると広い面積を占めること、比較的壊れやすい構造であること、防寒性が全くないことなどです。また忘れる危険性も高いです。そして、雨を落すための骨の延長が当たると痛いですし、場合によっては目に怪我をさせる恐れもあります。そして片手がふさがるため、とっさの事態で不便になることもあります。
レインコートはどうでしょうか?コート型、ポンチョ型、上下兼用の服型などがありますが、長所は全身をほぼ完全に、横殴りの雨からも守ることができることと、たたんで小さくできること、高い防寒性も持っており、ひどい悪天候の時には生命維持にさえなることです。また、面積は服を着ている状態と変わりないですし、怪我の心配も一切ありません。また両手が自由に使えます。
短所は全身が濡れた状態になり、本屋や公共交通機関に乗り込むと周囲に迷惑・・・特に座ってしまうと不可避に座席を濡らしてしまうことでしょうか。乗る際脱ぐにしても、その動作自体が非常に周囲に迷惑で、まして上下両方着ている時(靴が邪魔で)下を脱ぐのは大変です。従来は汗によって蒸れることが大きな短所でしたが、これはゴアテックスの発明でかなり解決されています。そしてリュックのような大きなカバンを背負っている時、カバンごと防水するのには特注する必要があることです。
あ、日本で従来使われていた、陣笠のような・・・広いヘルメットをかぶる形式はどうでしょうか。長所は手軽に着脱できる、両手が自由、短所はかさばる・・・
正しい知識を持つことの難しさ・・・特に、物理学や数学の難しい概念を直感的に解説した「科学読み物」のレベルと、その本当の姿のギャップには頭を抱えたくなります。
雑学と専門家の差もきちんと比べると凄まじいです。少しでも正しい知識に向かおうと努力していても、すればするほどそのレベルの低さを痛感する・・・いっそのこと、雑学レベルの知識など何もない方がいいと思うことさえあります。