枕元の計算用紙
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小泉新首相の支持率が非常に高いそうです。でも、ほとんどの人は冷笑を込めて投票している気がします。公約通り、本当に徹底した構造改革に成功する、というほうに金を(まして命を!)賭けられる人はほとんどいないと思います。
多分細川内閣同様、掛け声だけであっけなく押しつぶされるだろう、と大半の人が思っているはずです。そう考えると細川元首相の罪は大きいですね。日本が変わる事、政治家の力、政権交代の意味に対して徹底した不信感を植え付けたのですから。そのために日本の本当の政権交代はどれほど遅れるか・・・。
で、万が一実際に大改革をしたとして、それが成功する保証は何もありませんね。行財政改革を強引にやって橋本元首相の二の舞いにならない保証はないのですから。
ホームセンターや文房具屋で、せいぜい500円で手に入る最高のナイフ、切り出しが普及していないのが不思議です。教育機関や専門誌などはオピネルもそうですが、ああいった安価な入門用ナイフをもっと注目していいと思います。
漂白精製のない・・・全粒粉のパン、玄米、無漂白の衣服、紙の生活は、それほど悲惨なものなのでしょうか?
高価ではありますが・・・考えてみると不思議ですね、一手間かかっている漂白精製済みの商品よりされていないものの方が高いとは。
まあ生産量が違うからですけど。
今の日本で、千円で最も高いカロリーを得る方法は何でしょう。バターでしょうか?それとも小麦粉でしょうか。
人間の、一番適切な寿命はどれくらいでしょう。あ、老化を考えていないかも・・・
もし老化がなかったら、人間はどうなっていたでしょうか。老耄による判断ミスがなく、歳を経るに連れて成長していくのでしょうか?
小泉純一郎氏の自民党総裁、つまり内閣総理大臣就任が確実になりました。
もちろん全ては就任してからですが、不安なのがこれでまた自民党政治が続いてしまわないかです。野党からは「派閥政治家と改革家の両面がある」といわれている小泉氏、彼の国民的人気を利用して参院選を勝利して、その後は彼の派閥政治家としての面を出して従来通りの政治を、というシナリオが感じられるのです。
結局本当の意味での与野党交代はまだ当分無理そうですね。でも問題は、国民が本当に求めている野党が存在しない事では?たとえば環境問題と財政構造の改善を中心にし、経済を後退させてでも自然を守り、債務を減らす事で子孫に残す国の借金と自然の借金を共に減らしていく、そして研究に力を注いで2050年までに原則として化石エネルギーと原子力は発電用としては使わない、宇宙及び洋上の太陽光発電所を中心にまかなう、そんな公約を掲げる政党がないのが問題でしょう。
神は幸福なのでしょうか。この問いは思ってはならないのでしょうか?
何かの幸福を問う事自体、それを擬人化する行為に他ならない、例えば虫・・・否、石の幸福を問うのと同じように無意味で、そして傲慢で罪深い問いでしょうか。
ただ、僕は神とは「人間のそうありたいものの極限」ではないか、という気もしています。天地全ての絶対の支配者で、完全な独裁者という意味で。
その完全である事・・・堕落もなければ成長もない、ただ一人でいて何の寂しさもない、その存在自体が完全な自足、それは果たして幸せなのでしょうか。
映画の「ターミネーター」を見て、これが「時間順序保護仮説」の証明だな、と苦笑しました。
もしタイムマシンが実現可能なら、発明者は多分ユダヤ人でしょうから、まずヒトラーを暗殺しようとしているはずです。
未来からの旅行者がいない事が証明だ、とホーキング博士は言っていますが、同様にヒトラーが未来から来た暗殺者の一団に襲われていないことも明白な証明ですね。
あ、考えてみますとイエスもマホメットも暗殺したい人は多いです。守りたい人も多いですよね。もしタイムマシンが将来実現したら、彼らやその両親をめぐって暗殺者とボディーガードの一団が戦争を始めかねません。面白そうですが。
テレパシーが使える不老不死の独裁者はとても恐ろしいです。
彼に支配される民衆にとってではなく、本人にとって。狂わずにいられるものでしょうか?テレパシーなどと言う能力が現実にないのは、むしろ恵みかもしれませんね。
李登輝氏のビザ問題がやっと落着したようです。
不思議なのが、一体なぜただ一人を中国はここまで恐れるのかです。ただ一人が外国の土地を踏む事が、あの巨大な軍事力を持つ中国をそこまで震わせるとしたらすごいですよ。
それにしても、ダライ=ラマの件といい他の国にいる人間が第三の国を訪問するのを入れるなというとは、何の権利があってそんな内政干渉を・・・といいたいところですが、アメリカは自分に敵対する人間は国際指名手配さえしますね。まあ実際にテロや虐殺に関与しているかの差はあるにしても。中国も、テロリストとして国際指名手配する手続をするだけの力があればあんな騒ぎを起こさなくてもいいのですが。
教育として外科手術や出産、家畜の屠殺解体のビデオを義務教育の生徒に見せる、または見学させる事は不可能なのでしょうか。
興味本位ではなく、人間の命の尊厳を教える有効な方法として。
少なくとも義務教育では尺貫法、ヤード=ポンド法は一切学びません。
でも、計算練習として考えても、また・・・僕の生活が特殊なのかもしれませんが、歴史、時代小説や英米の小説を楽しむためにもわかっていると何かと便利です。
もしかして、法の適性手続原則は加害者側、男性側が考えた悪しき制度ではないでしょうか。
特に性犯罪や児童虐待など、被害者に深刻な心的外傷を与える犯罪においては傷を少しでも癒すためには否定してはならない、逆に加害者側は自己弁護のために認める事はできない「被害者側の物語」を証明しなければならない。この、「証明」という行為そのものが、疑われる事だけでも深刻に傷を深め、沈黙に向けての圧力を強められてしまう被害者にとっては残酷な事です。
でも、逆にだから公正な裁判もなにもなしに、被害者の証言だけで罰するのも冤罪の危険がありますし、無茶です。どうすればいいのか・・・やはりこの世界、法体系など全てが加害者によって作られている以上どうしようもない、それを全面的に変えねばならない、という論理になるのでしょうか?
世界統一の歴史教科書は作れないものでしょうか?世界各国の歴史家たちがそれぞれの歴史観を戦わせ、否定できない事実を集めて一つの真実を作り出すことは。
ふと電車で見かける女子高生を見回してみて、あまりのスカートの短さにびっくり。下着が見えても仕方のない短さで、そして・・・脚線美をそれだけ強調しているのかな?と思ったらルーズソックスで台無し。
しかも平気で地面に座っています(当然丸見え)し、何を考えているのか理解に苦しみます。
プディングと言う食物を食べた事、作った事のある人はどれくらいいるでしょうか。ある意味西洋料理の中心なのに。
米軍偵察機の乗組員が解放されたようです・・・解放という言葉自体、考えてみると変ですね。彼らは何でしょうか?捕虜?戦争中ではないですから違います。スパイ?軍属であり、米軍人とわかるようにしていますから違います。アメリカの立場では合法的な情報収集活動中の事故でやむを得ず不時着した被災者ですよね。
では、彼らは尋問、もしくは拷問されていたのでしょうか。映像で見た限りでは自分の足で歩いていたようですから、少なくともそれほど過酷なものではないようですが。もちろん拷問、処刑したら戦争ですから、正気ならしないでしょうけど。
中国が偵察機を調査する権利は・・・まあ、戦利品ですし。でも徹底調査する法的根拠は何もないですよね。
人間として本物であるために、僕が幼い頃自分に課した知っているべき事・・・それは余りにも厳しすぎました。その目標の、余りにも小さな部分しか僕は知っていません。
自転車を盗まれた事のない人はいないでしょう。そして、一度盗まれたら絶対に出てこないというのが常識です。
が、諦めずに捜せば出てくる事もあるのではないでしょうか?なぜなら、盗まれた自転車はこの世から消えたわけではなく、どこかにあるはずだからです。そのどこかも、思った以上に限定できるのでは?
中野で盗まれた自転車が北海道の原野に捨てられている事はありえないです。ほとんど確実に自転車の行動範囲、否まず徒歩のつもりがたまたま見つけてですから、徒歩で行動できる範囲にあるはずです。盗まれた地点から1km以上動く事はまずないでしょう。
盗まれた場所が駅や大きな娯楽施設から遠ければ駅方面の空き地などかコンビニエンスストア、ゲームセンターなどの駐輪場、駅の駐輪場などにある可能性が高いです。逆に駅の近くで盗まれた場合には帰るためと考えられるため、捜す場所が線ではなく面になって捜すのが難しいですが、ある程度重要な路の空き地、コンビニエンスストアなどにある可能性が高いはずです。少なくとも路上、空き地などに放置されているはずです。間違っても盗んだ自転車を家の車庫に入れ、磨き直して大切に使うことはないでしょうから。
放置自転車を収集、処分するシステムに届けておくのはどうでしょうか?また、そこで見つかる例はないのでしょうか。最終的にはそこにいく可能性もあると思います。
まあ何よりカギをかけておく事が一番大事なのですが・・・考えてみますとカギなど、MPTがあれば簡単に破壊できますよね。
アメリカの京都議定書の拒否や環境対策費の削減など、環境問題に対する逆行に危惧を感じています。考えてみますと環境派といわれていたゴア氏の敗退自体が、アメリカが環境に背を向けている事の現われだったのでしょうか。そして、その傾向はこれからも続くのでしょうか?そうなると・・・世界がアメリカがやる気がないならおれたちも、と環境に背を向けるムードを作ってしまい、結果的に破局を加速する可能性があるような。
歴史にIFはない、わかっていても・・・信長がどんな日本を、そして歴史を作ったか・・・気になります。
今日本の30歳以下で、真田十勇士の名前を全部そらで言える人はどれだけいるのでしょう。それらの講談は、様々な形で今でもマンガなどの豊かな源泉になっているのに。
また、天皇を神武から昭和まで言える人は?般若心経や四書五経を暗記している人は?非常に少ないのではないでしょうか。そして、本当に不要なのでしょうか。
もしある日・・・電話が使えなくなるのと、郵便が使えなくなるのとどちらが困るでしょう。
教科書でがたがた騒いでいますが、考えてみますと家永事件では検定制度は検閲だ、憲法違反だと言っていた側が、今回の教科書はなぜ検定制度で潰さないんだ、と言っているようです。
つまり、検定制度の問題とは自分たちの好きな方向の教科書に出て欲しくて嫌いな方向の教科書は出て欲しくないのに、思い通りに動いてくれない事でしょうか。「君の意見には反対だが、君がその意見を言う権利は命をかけて守る」という自由民主主義の根本はどこに行ったのでしょう。
あ、でも例の教科書も検定制度でかなり骨抜きになっているそうですが、まだ甘いと・・・?まあ、騒ぐ側の立場からすれば、政府は一貫して民主主義を叩き潰し、民族主義を煽るために検定制度を利用している、だから教科書は自分たちが決めるのが正しいということなのでしょうか。
新聞を一つ(または+日経が多いかも)しか取っていない事は、どうしても視点の偏りを産みやすいのでは?やはり最低でも二種類は必要でしょう。
憲法9条・・・この問題は本来非常に単純です。この三つのどれを選ぶか、それだけのことです。
では、実際に123のどれがいいか国民投票したら、一体どうなるのでしょうか。
今、冒険者の魂を持つ人間は何を選べばいいのでしょうか。じっとしていられない、人間の社会に順応できない、危険を冒して新しい世界を切り開く以外の人生がない人間は・・・地図上に空白はなく、科学も研究の天才より組織と予算の能力を求められ、宇宙の夢も予算の前にほとんど行き場がなく、芸術も売れるかどうかか一人よがりの迷宮しかない世界に。
反面、ビジネスの世界には新しいものがいくらでもあると言われます。でも、本来・・・冒険者の魂と健全な市場世界とは相容れないものがあるのです。
日本人は、今とても大切な言語遺産を失おうとしているのでは?現代の若者で、落語、謡曲、講談などの大衆向けの言葉の芸を少しでも知っている人はどれくらいいるのでしょうか。
アメリカが京都議定書から手を引いた・・・人類の未来がなければアメリカもない、と理解しているのでしょうか?ブッシュ新大統領に、宇宙船地球号のキャプテンとしての自覚はあるのでしょうか。
不良債権処理と構造改革が全ての新聞で繰り返されています。しかし、それは一体何でしょうか?不良債権とは何で、どうすれば処理でき、構造改革とは何をすればいいのでしょうか。
知らないうちにムードだけが盛り上がっている・・・内容がない気がします。そして、処理によって余計に増えてしまう不良債権に押しつぶされかねないような不安感もあります。