枕元の計算用紙
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暴力やセックスなど、俗悪な要素をすべて消し去った社会は・・・本当に子供たちにとって安全でしょうか。
あ、カルヴァン時代のジュネーヴがそれに近いかもしれません。でも、正直そこに産まれたくはないですね。
それにしても、カルヴァンとはどんな人間なのでしょう。一人の人間が同時に「圧倒的な博識を持つ天才学者」「最も敬謙なクリスチャン」「人々の内面をも支配した冷酷な独裁者」であるのですから。
それを考えると、善とは何かさえ危うくなってしまいます。最高の善が、人を火刑にしたのですから・・・。
今の僕には、感情を素直に爆発させる事ができる人や、できた昔の自分がうらやましいです。
理性を失ったら、相手を殺したり重傷を負わせたりしかねない以上、とてもそれはできません。
人間がどこまで合理的な存在なのか、あまり合理的に全てが解釈できると思わない方がいいのでは・・・。
天国は本当に素晴らしいところなのか・・・漫画の形をした夢の中でですが、一人の霊が「怒る事もできない天国という名の地獄から、やっと逃れて地獄に落ちたときは怖かったけど」と言いました。
もし、現実の世界にある刺激的なものや激しい感情が一切ない・・・許されない、ただただ安楽と信仰だけの世界、これはちょっと辛そうですね。
そして、人間が自然な怒りや憎しみ、欲望などの感情を持ち、刺激を求めて生きている事は、それ自体が地獄なのでしょうか。そうとも思えますが、そうでないとも思えます。
人間が、知的な蟻や蜂のようになる事ができれば生き延びる事ができるかもしれません。共産主義者の理想ですが・・・あのように、完全に個体の欲望を捨てて、群れのためだけに命そのものも捧げて奉仕し、一切感情を持たずになすべき事をする事ができれば。
もし自分の子供が凶悪犯罪を犯したら、プライバシーは全て公開して、その子を殺して自分も自殺するのが親の責任だ、という考え方もありますし、そう公言する人もいます。
でも、もし別の子供・・・兄弟姉妹がいたらどうするのでしょうか。彼らは世間の偏見の中を、親を失って・・・見捨てられて生きなければならない。それくらいの責任はあるのでしょうか?
今回控訴しなかったのは、ある意味超法規的措置だとのこと。つまり、時効の概念などや国会の不作為の責任二対する最高裁判例の打破など、法的には問題があるけれどもあえて、とのことです。
つまり、この判断は簡単に言うと、正義と法理をはかりにかけて正義を取った、ということです。でも、それでいいのでしょうか。もちろん、控訴したらまた・・・後退判決、差し戻しと時間稼ぎの末、結局人権はまた踏みにじられたのでしょうが。
正義をあえて選ぶ事ができるのが、人間の行う政治の力だ。そういう事もできます。でも、法理が壊されるなら、それは悪の側に法理を壊す事も認められ、危険だという見方もできます。
ハンセン氏病患者の裁判で、国が控訴を断念したそうです。
そのニュースを見て、全て計算してでは、と・・・。「国民の声」(マスコミの正義ぶった視点)が控訴断念を求めているのに、国民の支持で成り立ったはずの小泉政権が控訴に動いている、と散々思わせておいて、土壇場で大逆転。ドラマじみたスリルと、それゆえの快哉がありました。
ハンセン氏病、という呼び名で気になってしまったのですが、癩病でいいはずです、本来。インフルエンザやC型肝炎などと同様、単なる病気の呼び名なのですから。でも、その名前には長年にわたる差別が染み付いており、口にしただけで患者を傷付けるから使ってはならない・・・僕は、患者に対して差別意識をむき出しにし、恐怖と憎悪をあらわにして口に出せば「ハンセン氏病」でも差別的で患者を傷付けますし、逆にその病気の感染力の弱さ、治癒できる事と患者の苦闘を理解し、人間としての当然の尊敬を持って接していれば「癩病」でも差別用語ではないと思います。
言葉を踏み絵にする事は、果たして意味があるのかどうか・・・人類が滅んで、地球に調査に来た宇宙人が文献を調べてどちらの言葉を使っても関係はないはずです。
国旗と国歌については、考え方を整理すると四通りになります。
また、その思想を他人に強制するかどうかも大きいと思います。
日本人は、死後を考える事自体禁止されてきたのではないでしょうか。江戸時代キリスト教は禁止され、仏教は葬式仏教となって魂の救済を求める声に背を向けました。明治時代からの国家神道は、確かに靖国神社という答えは用意しましたが、完全とは言い難いですし。
そして、その禁止が長すぎてその問題に背を向ける習慣がついているのでは。
特に、今の若者は死後をどう思っているのか・・・。
武士道や戦前の国家神道は死後についてどう思っていたか、これも興味深いです。
なぜか、かなり多くのジュニア向け小説やマンガなどで、「独裁国家や犯罪組織が暗殺部隊の養成のため、子供たちを誘拐や人身売買などで数多く集めて落伍イコール死の厳しい訓練を課し、時には訓練生同士殺し合いをさせて選抜して精強な殺人機械を作り出す」という設定を見かけます。「バトルロワイヤル」もそれに近いでしょう。
その、人間性を根こそぎ破壊されて戦う機械になった子供の、極端に高い戦闘能力やわずかに残る人間性と任務の葛藤などが人気を集めるのでしょうか。
否・・・僕には、その子供の命を非常に軽く扱い、大人の目的のために淘汰する、そして仲間同士殺し合いをさせる、という事自体が何らかの満足を感じさせてしまう気がしています。
なぜこの設定が人気を集めるのか、考えてみると面白いかもしれませんね。もしかしたら、自然淘汰を求める本能かも・・・。
ただ、現実に考えてみると・・・特にコストがばかばかしいです。現実の特殊部隊では、少なくとも僕の知る限りでは選抜試験に失格しても原隊に戻すだけです。そうすれば、損失はせいぜい訓練期間の費用程度で済みます。もし失格者を処刑したり実弾で殺し合いをさせたりしたら、彼が試験に参加できるようになる、一人前の兵士となるまでの膨大なコストが無駄になります。それが全て合格者にかかってしまい、結果的に合格者の命が極端に高価になってしまいます。
あ、そう考えると・・・神風特攻隊は、単に悲惨とか痛々しいとか言う感情論だけでなく、金で考えてみれば正気ではないですね。少なくとも空母から発進し、正しいルートを飛べるレベルにまで人を訓練するのに、衣食住に訓練のためのガソリンや部品代、教育費、最後に貴重な戦闘機と・・・そのコストを考えるともったいなさにめまいがします。
それこそ、天皇陛下の軍の予算をなんだと思っていたのでしょう。
尚、現実には・・・精鋭部隊という考え自体が比較的最近で、それも一番始めは犯罪者から編成したりだったそうです。さらに昔、高度な戦闘訓練は上層階級の特権で、命の価値のない下層階級を精鋭の戦士に鍛え上げるなど、忍者についての話が現実でなければ皆無といっていいでしょう。
ついに宇宙太陽光発電所計画へ、重要な実験が行われるそうです。
人類文明が生き残るための、水素燃料太陽電池系と並んでキーになる技術、発展してほしいですが。
日本の今も残る天皇制が日本の不自由の源泉だ、と言う人がいますが、それ以上に封建制の伝統が大きいと思います。
また、少しシュミレートして慄然としましたが、もし戦国時代の初期に誰かが皇室を根絶やしにしていたら、日本はどうなっていたか・・・天皇という権威なしで信長の天下統一ができたかどうか、そして統一されていない日本はやすやすと西洋の植民地になっていたのでは。
また、「天皇制」として非難されている上下関係や権威などが、今までの日本とその高度成長を支えてきた社会資本である面も無視できません。
日本の国旗、国歌が法改正の結果「青地に桜」「日本国憲法よ永遠なれ」になっても、「国旗国歌は尊重すべき」と主張する人は頭を下げるのでしょうか。
逆に、いらないという人はこれもいやなのでしょうか。または、こちらの「国旗国歌」に頭を下げない人の権利は尊重するのでしょうか。僕は、こちらの国旗国歌を拒否する生徒は、かつて日の丸君が代を拒否する事に教師生命をかけて協力したその教師から攻撃される気がしています。
「国旗国歌」の議論と「日の丸君が代」の議論が変に混じってしまって、ややこしくなっています。
(「日本国憲法よ永遠なれ」は僕が勝手に考えたものです。こんな歌詞
「われら日本国民は 愚かな侵略戦争を悔いて 決めました
もう二度と戦争はしません 基本的人権を守り 国民の主権に基づいた民主主義の国へ
世界の全ての人が 戦争や汚染で滅ぶことなく 貧しさや差別や強制に 苦しめられる事なく
平和で幸せに 自由で平等に 生きられるように 励みます
ああ日本国憲法よ 永遠なれ」)
僕はどちらにも頭を下げます。なぜなら、海外において僕の身を(原理的には)守ってくれるのは国旗ですから。
小泉内閣の、特に田中外務大臣の暴走とも思える大胆な行動は・・・「正しいが、失敗するだろう」と見られています。
これはふと思った事ですが、どうせ玉砕するなら警察組織の全面改革に着手して、全ての闇を暴いて散るのもいいかもしれませんね。
そして、虚しいのが・・・日本にはヒトラーさえ出てこない事です。
なぜ宇宙に物質があるかに深く関わる、「対称性の破れ」問題に大きな進展がありました。
人間を生み出す無数の必要条件・・・その余りの精緻さに、時に呆然とします。
麻薬依存者やストーカーなど、治療不可能な社会不適合者を実費程度、または無償ボランティアで暗殺する人がいたら、それはそれでとても「感謝され、世のため人のためになる仕事」だと思います。
それがどう悪いのか、実例のルポを一度でも読んだら何も言えなくなりますよ。
特に麻薬中毒患者は、最低限隔離された施設に入れて、薬物を好きなだけ供給してさっさと死なせるのが一番いいかも。薬物を使ったら外の人に危害を加えないよう48時間外出禁止、薬物の持ち出しは禁止にすれば十分。脱走の心配はないでしょう。彼らにとって薬物が最大の欲望なのですから、最高純度のものをただで好きなだけ使っていいなら、それは天国です。天国から逃げ出せる意志の持ち主なら、薬物から回復する希望もないわけではない・・・。
人はそう簡単に、特に昔の人間の思想・・・まして人間性を判断できるのでしょうか。
福沢諭吉に対し、「脱亜入欧を説き、アジアを裏切った侵略者だ」というような論評がありますが、その評する人は福沢諭吉の全ての著書を読んだのでしょうか。読んだとしても、それで足りるのでしょうか。
たとえば青年時代は過激なテロリストだったのが後年回心して聖者のような聖職者になった人がいたとして、未来においては彼の、青年時代の犯行声明と後年の説教、両方の、その中の一行で彼という人を引用、判断できてしまう・・・。かといって、後年の説教なら彼が正しく表現できるとさえ思えません。
確かにコンピューターをプログラミングを含めて使いこなしている子供は多くいます。
でも、量子力学の演習問題を確実に解ける子供はごく少ないです。もちろん条件反射的な丸暗記として微積分ができる子(公文式を幼稚園で卒業したとか)はいますが。本来の英才教育とは、小学校で本当に大学卒業レベルの能力を持ち、二十歳になるころには第一線という感じにならなければならないのに。
やはり子供の能力の発達は、前者には適していても後者には適していないのでしょうか。
軍隊、および軍隊的なものが悲惨の源泉だ、という声が多いですが、では軍隊の力が強いアメリカや中国など日本以外の多くの国はそれほど地獄なのでしょうか。
それとも日本という国、日本人という集団だけが、軍隊を普通に使いこなす事のできない欠陥があるのでしょうか。
今、もし少女漫画家で「主人公の女の子が遅刻寸前で走っていたら転校生にぶつかって遅刻した上見られたパンツをからかわれ、そのままケンカ友達に、親友が彼に告白したいと相談してきて取り持ってしまい、彼の行動に自分の気持ちに気づくが後の祭り、そして色々あって告白と同時に彼が初恋の人だと知る」べたべたストーリーを描いて読者を泣かせる事ができたら、それ以上すごい実力の持ち主はいないでしょう。
刑務所の体験収監を子供たちの義務とすれば、犯罪の抑止に有効では?どれほど厳しく非道だか、ほとんどの人は目をそらしているのですから。
悲惨と言われる割には再犯率が高いですが、それも社会に適応できないほど人格が破壊されるから、とも聞きますし。
自衛隊が軍隊かどうか少し怪しいと思うのが、軍法会議がないらしい事です。軍隊は普通軍法会議で中を裁きますが、例えば自衛隊員が訓練中職務を放棄してサボった場合、単に懲戒免職となるだけなのでしょうか?それとも軍法会議にかけられ、敵前逃亡で死刑か無期懲役になるのでしょうか。
「日本人は西洋文化の本質を理解できないから科学を理解できない」と、よく言われてきました。だから僕はわざわざキリスト教まで学びました。
でも、本当にそうなのでしょうか。今の日本人は本当に科学を理解していないのでしょうか。理解できないのでしょうか。ならなぜ、科学を使った高度成長を成し遂げたのでしょうか・・・でも科学そのものを先に進める事はできない、ノーベル賞の少なさが証拠だ、となりそうですね。
グラフィック=ユーザー=インターフェイスはコンピューターの力を無駄遣いしていないでしょうか。もし最新の強力なパソコンをMS-DOSだけで動かしたら、どんなに快適か・・・それとも、ソフトの進化はそんな無駄など吹き飛ばすほど速いのでしょうか?
音を出すのに、ヘッドホンという個人的な方法と大型スピーカーという集団的な方法があります。
映像では今のところ集団的な方法が中心になっています。でも、これでは立体映像を出す事が困難です。立体映像を出すもっとも有効な方法は、全ての映像を出す装置を個人的にする事ではないでしょうか。小さな、左右の目に違う映像を出せる眼鏡型のディスプレイが普及し、それに立体になるよう左右をずらされた映像を無線または赤外線で外から送信すれば・・・。
ただ、少し難しそうなのが、たとえば立体映像博物館を想像すると、一つの恐竜の骨をイメージし、それを色々な角度から見る事を再現する・・・一人一人の受信者の位置から見える映像をコンピューターで判断、映し出すようそれぞれの受像機に加工した情報を送る、まして動く鯨を考えるとかなり難しくなりそうですが。
詰め込み教育ととゆとり教育、どちらもだめならどうすればいいのでしょう。
英語にしても、もっと英語に触れさせないとという声と、中身の充実が先だ、日本語で表現できる中身を増やさないとという声がありますが、どちらも無理なような気がしています。
これから、人口爆発による圧力や化石燃料などの再生不可能資源の浪費、水や食料の問題、温暖化などで人類そのものが危ないとよく言われますし、僕もそう感じています。
解決するための何らかのシナリオができたとして、それをどう実現すればいいのでしょうか。それが最も絶望的なのです・・・特に人類のシステムそのものを変革しようという言葉・・・人類社会を理想を中心にゼロから再設計することについては、共産主義の失敗がトラウマのようにひっかかります。かといって、成り行きに任せても・・・。
もし、会う人の精神を正確に洞察し、例えば治療不可能な人格障害で、生きていても自分も苦しいし他人に迷惑をかけるだけとか矯正不可能な犯罪者だと判断できるなら、その超能力者は相手と社会のために相手を殺していいのでしょうか。
釈迦は過去生の一つでそれをしています。が、その伝説はオウム真理教による殺人を正当化する結果も生んでいます。
自転車の変速は、普通の買い物自転車の3段変速では弱すぎる気がしますし、MTBの3×6〜7段変速は多すぎて全部使いこなす事ができません。
極端にギア比が大きい・・・最小と最大の比がMTBの最小と最大ぐらいになる・・・5段変速ぐらいが一番いいと思います。
そのような、MTBと買い物自転車、それに実用車と呼ばれる頑丈な自転車の中間的な自転車があると便利ですが。MTBには買い物かごや泥よけがついていませんし。
人口問題を根本的に解決する唯一の方法は、天然痘の解放かも知れません。
どれだけの犠牲者が出るか・・・うまく、人口を持続可能なレベルまで削減できるか。エイズにはそこまでの力はないようです。全世界でも一億人かそこらでしょうか?いかんせん感染力が弱すぎます。
ただ高年齢層は免疫があるので、世代間の力関係ががらりと変わるのが怖いですね。それどころではないでしょうが。