枕元の計算用紙
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今の日本人で、子供の頃有名な武勇伝をちゃんと聞いている人はどれくらいいるのでしょう。武勇伝を聞かず、戦争の悲惨だけを叩きこまれて男子は正常に育つことができるのでしょうか。
二十代後半から三十代にかけては、桜井の別れの代わりに巨大戦艦に向かうヤマトやピッコロ大魔王と戦う悟空の姿が目にやきついていると思います。では・・・今の子供は?今子供が何を見ているか、知らないのが恐ろしいです。
50口径(12.7mm)のアサルトライフルがあったら。生身の人間用ではないですが、今の技術でプラスチックを多様して10kg前後まで軽量化、ブルバップ式で銃身長を稼いで二脚と光学照準器が標準装備(イスラエルの新型銃をサイズアップして!)。
普段は三連バーストでフルオートはベルト給弾機と三脚をつけたときのみとすれば、弾丸が重過ぎますし銃身交換ができないので制限されますが、多目的機関銃の能力も持ちます。
それがあれば、砂漠などの遠距離戦や「ジュラシック・パーク」などのシチュエーションでは心強いでしょう。12.7mm弾の対人使用が禁止されているのが問題でしょうが。
中国が誰の手に帰していたら、中国の一般人は一番幸せだったのでしょう。共産党、蒋介石国民党、そして大日本帝国、イギリスやアメリカ、ソ連・・・どれであっても、幸せにはなれない気がします。
ゲームボーイなど携帯用ゲーム機のボディに引き出し式のイヤホンをつけてラジオと携帯電話の機能を加えるのは難しくないでしょう。それにソフト記憶システムをMDにするか、またはロムカセットで音楽を編集できる機器を出すかして音楽の機能もあればとても便利だと思います。
僕は、日本が政治的、社会的に大きく変わると思えません。戦前の東京音頭、幕末の伊勢踊り、戦国の風流のような熱狂的な踊りの流行がありませんから。
アニメやギャルゲーの人気者を集めてアイドルユニット(もちろん声は声優です)を作ったら面白そうですね。かなり人気は出ると思います。
過去の作品になりますが、「カードキャプターさくら」のさくら、「新世紀エヴァンゲリオン」のレイ、「ときめきメモリアル」の詩織、「同級生」の美沙が組んだら知名度はあるでしょう。
うなぎの蒲焼きや鯵の干物がスーパーマーケットにたくさんあるのを見て、その頭や内臓はどこに行くのかふと恐怖にかられました。
肥料のようなものにしているのでしょうか。それとも焼却しているのでしょうか。
今の20代後半から30代後半までに、「スーパーマリオブラザーズ」を与えたら確実にサルになります。
そういえば今の優れた技術を持つクリエーターたちは、ファミコンの制約ではどんな物を作れるのでしょう。
現実にゆっくり休むことのできない人は、一体どうやって風邪を治しているのでしょう。薬は対症療法でしかないのに・・・
それにしても、日本で社会生活をするとニンニクを使えない、というのは面倒です。特効薬に近いのに。
人間が生きるのは、楽しむためではなくて単純に義務・・・自殺したら人に迷惑をかける、父母妻子の面倒を見なければならないからだとしたら、それは終身刑と変わらないです。
でも余りにも多くの人は義務のために生き、死ぬように教えられ、そうしてきました。
好かれる国と嫌われる国にはどんな違いがあるのでしょう。日本は、特に朝鮮や中国に・・・侵略にのめりこんでいく頃も今も、他の帝国主義国以上に嫌われていた気がしています。
日本もイギリスも侵略をしました。でも、イギリスは好かれ、日本は嫌われています。この意味はもっと考えなければ。
なんとなく、ホラーアクションの映画について考えるともなく考えて、FNが今度発表したブルバップライフル+40mmグレネードランチャーを7.62mmNATO弾で長銃身にしたものと44Magを撃てるサブマシンガンが欲しくなりました。
現実の銃はあくまで対人用で、対怪物用ではありませんから、どうしても心細い気がするのです。
どこかの大学で、こんな入試問題を出す度胸はないのでしょうか。
「ζ(s)=Σ(1/nのs乗)[n;1から無限大の自然数、sは複素数]で定義される関数(ゼータ関数)の値が0になるsは実部が正であれば、その実部は全て1/2であることを証明せよ。配点無限大」この問題以外の配点の合計は百点中八十点です。
解けたらすごいです。これはリーマン予想と呼ばれる、フェルマーの最終定理が解けた今数学の世界で最高最難の未解決問題なのですから。
もちろん実質は部分点で、素数の積に変形しただけでも十点、s=1で発散することを示せば五点、さらに「受験生にリーマン予想が解けるか」とでもわかっていればそれだけで五点、という感じで・・・もし、重要な進展を丸暗記でも書ければそれだけで何百点も与えて他がどうあれ合格決定、と。
こんな問題が過去問にあったら、それを少しでも研究して・・・数学の楽しみに目覚めるかもしれません。
ピラトの文献学的に疑問の余地のない日記が発見され、例えばそれにイエスの事が一言半句も出てこなかったり、福音書に記述された受難物語とは根こそぎ違う裁判、処刑のプロセスが詳細に描かれていたりしたら・・・大混乱ですね。
人の殺し方を教えた教師が問題になっています。でも、記事を読んだらなにが悪いのかわかりません。
「ぶっ殺す」という言葉や暴力に対して、人を殺すということをリアルに実感させることは有効な抑止になるでしょう。そのことは僕が一番知っています。僕も、人の殺し方を本などで知るまでは、何も考えずに「ぶっ殺す」などの言葉を使い、武器を振り回していました。が、どうすれば人が死ぬかを明白に知ってから暴力的なことを人にすることはなくなりました。
また、殺人の方法を教えてはいけないなら、武道の授業も道場で教えることも一切禁止されるべきです。柔道には殺人技術に他ならない締め技がありますし、剣道は元々日本刀で人を斬り殺す技術です。
人の殺し方を教えられて実行する馬鹿は、漫画やドラマ等から不可避に学んで実行するはずです。
全ての生徒に銃を持たせ、使い方も教えればいじめは難しくなるでしょう。でも、賛成する人はいないでしょうね。
また、みんなが銃を持っていれば凶悪犯罪も難しくなりますが・・・。それによって死ぬ人と、殺されずにすむ人どちらが多いのでしょうか。
「どじ」という現象はかなり多数の遺伝子が複雑に絡み合っているようです。致命的なのに淘汰されていませんから。
梅干しには赤シソ、と決まっていますが・・・他の薬草は適していないのでしょうか。
例えば強力な薬効を持つドクダミ、日本では古来知られていないセージやラベンダー、赤ではありませんが華麗な発色と強力な薬効を持つターメリックやサフランなど・・・
もう、全て試しぬいた上で赤シソ以外は駄目だ、と証明されているのでしょうか。
宝塚はストーキングの予防になるのでは?徹底して「身を引く事が誠の愛の証」と洗脳されますからね。
テレビCMで、小さな女の子の入浴をたまに見ますが、チャイルドポルノという批判はないのでしょうか。
大人の女性の入浴などはかろうじて見えないように配慮していますが、ある程度ポルノといっていいのがありますね・・・。そういえば、十年前と比べて深夜も含めて番組内で女性の裸を堂々と見ません。制限が強まったのでしょうか。
児童八人が殺され、二十数名が傷つけられた事件の凄惨さに、怒りが燃え上がってしまいます。
昔の社会なら、この犯人はどれだけ残酷な処刑になるか。でも、今はそれが・・・多分死刑も無理でしょう。せめて、一生懲罰房に入れて狂い死にさせて欲しいものです。
学校の安全管理も問われていますが、学校が屈強なガードマンに守られている状況と、または地域の老人や失業者などあらゆる人たちが自由に出入りする環境と、どちらが安全なのでしょう。
恐ろしい事に気づきました。もし、タイムマシンで昔の、汚されていない自然を散策、堪能して・・・靴に少しでもセイタカアワダチソウの種がついていたら!あっという間に過去の世界の植生が変わり、ひいては現在の生態系も打撃を受けるでしょう。
なら、もし昔の人と接触して、天然痘ウイルスを持ち帰ったら・・・下手をすると人類半減。
まして、ファンタジーで異界に召喚されて冒険をしたりしたら、菌や動植物も持って行くのも持って帰るのも・・・両方にとって悪夢です。
タイムマシンを使うSFや異世界への召喚があるファンタジーでは、検疫の概念も必要かもしれませんね。
カラスをパイにして東京名物にしてでも撲滅したい、という石原都知事の言葉を聞いて大笑いしました。
でも、ハトもそうですがカラスを食べられない理由は何もありません。特にまずいというわけでもないでしょう。
なら、例えば都内では、カラスを狩るためなら安全に配慮してエアガンやパチンコや罠やとりもちを使ってもいい、ただし狩ったカラスは全て食べる事とし、それを学校授業などで実際にやって、みんなが抵抗のないちょっとしたスポーツ感覚でカラスを狩って食べるようになれば面白いですね。
カラスも減りますし、特に子供たちは命を奪って食べる、という生の原点を学ぶ事もできますから。「捕まえて殺して解体して料理して食べる」これを授業でやるのが、教育上どうなのかは知りませんが・・・。
性犯罪などの累犯性の高さを考えると、元々社会復帰は危険ではないでしょうか。
かといって、一生刑務所というのも費用がもったいないですし、問答無用で死刑も現代では無理ですから、どこかの女性や子供のいない、そのかわり他の生活物資はある程度そろっている島に送り込んで、そこで島を出る自由以外の、ポルノを使う自由も含めた自由な普通の生活を認めるのが一番いいのでは・・・。
家族との面会は、船の中など安全地帯でということにして。
哲学は真理を探究する学問のはずです。真理は唯一と考えられます。
にもかかわらず、なぜ東洋(仏教)と西洋の哲学はこうも隔たっているのでしょうか。
人間は、自分に都合のいい歴史しか正しいと思えないようですね。
たとえば、アドルフ=ヒトラーが「ユダヤ人を中心に数百万人を虐殺した」ことと、「ドイツを立て直した優れた政治家だった」ことは両方事実ですが、共に認める事は難しいようです。
3D画像で実写やアニメに匹敵するポルノグラフィーを、これを夢見て日夜頑張っている人はどれくらいいるのでしょう。
ある意味ばかばかしいようにも見えますが、実現すれば何億・・・下手をすると何十、何百億の市場となるのです。
孫悟空や関羽を拝んでいる中国系の人と、昔の天皇や平安時代の貴族を祭神とする神社に柏手を打っている日本人と、イスラム教徒から見るとどちらもどうしようもない馬鹿でしょうね。
超能力の存在について、決定的な反論を思いつきました。
たいてい超能力は、「より原始的な力」と表現されています。なら、動物には超能力が当然あって、ライオンから逃げるガゼルがテレポートし、それを千里眼で見つけたライオンがガゼルの心臓を直接念力で握り潰そうとして、テレパシーで急を知らされたガゼル仲間が時間をさかのぼってライオンが子供のうちに発火能力で焼き殺そうと・・・自然界は年中、因果律もくそもない超能力大戦をしているはずです。
まして、自然淘汰というものがあるのですから・・・手足が退化し、穴にうずくまって透視や千里眼で獲物を探し、念力で殺して口まで持ってきて食べるだけの動物がいてもおかしくないでしょう。
超能力は自然淘汰と関係ない、とか人間だけの特権だ、などというと、もうそれはためにする議論に他なりません。