枕元の計算用紙
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世界中の軍用携帯食料・・・コンバット・レーションが気軽に入手できたらいいのですが。災害時の非常食としても、独身、下宿生活の手間はぶきにもいいでしょうから。
米軍のMREは入手可能ですが、他の国のものや本当に緊急用の固形圧縮食料は難しいです。おいしいというフランスのものもあったら・・・いや、アメリカのものだけいくつかあるより、世界中のものが一つづつあるほうがバリエーションがあって楽しめるでしょう。
天和で九連宝塔は、麻雀というゲームができてからこれまで行われた配牌の中、起きたことがあるのでしょうか。
確率は、計算する時間がなくてやめました。
いくつかの格闘技のエッセンスをまとめて、学校の体育で教えることはできないのでしょうか。
ストレッチング、相撲の基本的な技と鉄砲と四股、柔道と合気道の(平服でできる)受け身と基本的な投げ技や固め技、ボクシングのワンツーとフックとアッパー程度の基礎を訓練が必要な拳ではなく掌底で、それに実戦を考えて腰より低いムエタイ系の蹴りと肘、ひざの使い方、それにタックル程度を。
体系の違う複数の格闘技を同時に学ぶのは危険ですが、これくらいの基礎を体に通しておけば、高められる人は自力で高め好きな格闘技を選んで続けられるでしょうし、そうでない人も最低限の護身ができ、同時に急所を知ることによって危険な暴力遊びを避けることができるでしょう。
「パールハーバー」が、評論家に酷評されています。
「アラモ」から「エアフォースワン」「インディペンデンス・デイ」など、アメリカ礼賛映画の評価はおしなべて低いようです。
でも、映画評論家という職業自体、ハリウッドの映画産業なしには、アメリカなしには成り立たないのですから・・・面白いですね。
地球の元首は誰でしょう。宇宙人の大使がきたら、最終的に誰が応対するのでしょうか。
アメリカ大統領?国連事務総長?それともローマ法王?それだけでも戦争の一つか二つは起きそうです。
株価は一万円に迫り、週刊誌やタブロイド新聞は小泉政権を叩いています。
では、第二次橋本内閣だったら現状はどうなっていたのでしょうか?
そして・・・感じているのですが、もう日本は改革はできないのでは。もう、手術ができる体力などないのでは。誰がやっても、財政構造改革の断行は恐慌にしかならないのでは。
だとしたら・・・もう、日本は再生を諦め、緩慢な破滅に向けて・・・できるだけ痛みを最低限にする戦略を立てるべきではないでしょうか。
我々の自衛も、恐慌になったら紙切れになりかねない円や国債、株ではなく金を主体にすべきでしょうね。
失業者は勉強しろ。これをセイフティーネットの中核においては?
何かを学ぶことを条件に、大学でも専門学校でも職業訓練校でも学費免除と最低限の生活費を支給すれば、年配の失業者はITや起業に関して学ぶことができ、大卒で就職できなかった若者は学び続け、少なくとも能力を落とすことはありません。
「興学革世」「救人護地」これをこれからの日本のスローガンにしてはどうでしょう。勉強を盛んに興して世界を革新し、地球と人類を救う・・・いい国家目標だと思います。そして「宇宙進出」ができればいいのですが。
人間の内心は変えられるのでしょうか。
たとえば「アイスが好き」をどうすれば変えられるのでしょう。
毎日一万回「おれはアイスがだいっきらいだ」と唱えさせ、アイスクリームに目がいったり考えたりするたびにスタンガンで罰を与えれば?
それは洗脳ですが。
インターネットの掲示板で、もしコンピューターが人間のふりをしていても分からないでしょうか。
プラトンがもとで、政治体制は民主制、貴族制、専制の三つしかない、と多くの人が思いこんでいます。
でも、少なくとももう一つあります・・・「禅譲」。現実には、脅迫による政権交代を粉飾するだけの言葉です。人間には不適切な制度かもしれません。
ただ、最も能力、人格ともに優れた人の専制で、しかもその指導者が次を選べば間違いないだろうというのは、簡単に考えると正しそうです。
素晴らしい指導者というと、共産主義の名残で怪しんでしまいますがね。
他には何か、上のどれでもない政治体制はあるでしょうか?あ、コンピューターと生命工学が発達して、脳とコンピューターをリンクして人々を統合すれば、それも新しい体制かも。
サミットに、反グローバル団体が抗議を繰り広げています。
彼らは何を考えているのでしょう。その主張を大新聞で読んだことはありません。
自由とは何でしょう。天皇に戦争責任があるか、という命題について、天皇は絶対権力者だった。だから戦争も昭和天皇の意志があった、という説を考えて・・・
絶対権力者なら、何でも自由になるはず。
では、戦前の天皇に「朝寝坊する権利、自由」はあったのでしょうか。朝起きる時間になって、寝足りないから今日は政務を休んで寝る、起こすなと命令してそのまま二度寝する自由は・・・なかったと思います。
いや、上の権利、自由を持つ専制君主や独裁者が一人でもいたでしょうか。ヒトラーにもナポレオンにもスターリンにもヴィクトリア女王にも玄宗にもマルクス=アウレリウス=アントニヌスにも徳川吉宗にも・・・誰一人として、それはなかったのでは。今の金正日にはあるのでしょうか?
専制君主のもつ「自由」「権利」とは何でしょうか。政策を決定する権利?いかなる刑法の対象にもならない自由?でも、実際の生活はしきたりと義務と激務に縛られ、結局奴隷と変わらないのでは・・・。
日本で、ランドセルをしている大人を見たことがありません。ランドセルは小学生のもので、それ以降は担ぐならリュックを用います。
では、ランドセルはそれほど不便なものでしょうか。ならなぜ、小学生はリュックではなくランドセルで通学しているのでしょう。単なる陋習で、ランドセルの実用的な価値は今やないのでしょうか。
ランドセルは重いですがとても頑丈で、雨なら防ぎます。それほど不便ではないと思いますが・・・。
肉親の死など、重過ぎる代償で三つの願いをかなえる「猿の手」。
一番怖いのが、あれを手に入れたクリスチャンがそのことを忘れて、主の祈りを唱えてしまったら・・・。
「御名があがめられますように」「御国がきたりますように」「御心が天にあるごとく地にもなされますように」
この三つがかなったら・・・キリストと神の名があがめられる、ということはその時点で地上からあらゆる異教(仏教もヒンズー教も全部)が一掃され、御国がきたるというのは最後の審判=現在の姿の、生身の人間の世界が滅亡するということです。
まして神の望む通りの世界が実現したら・・・考えるだに身震いがします。
政教分離の名のもとに一切の宗教教育を糾弾するのは、ある意味「無宗教」の宗教教育をしているのではないでしょうか。
しかも、キリスト教の神の否定で成り立つ西洋式の無宗教ではなく、ひたすら「世間」「校則」などの日本システムへの盲従を強い、安心立命に背を向ける「日本無宗教教」を・・・。
単純な疑問として、学校で「瞑想」「祈り」を教えなくていいのでしょうか。家庭で教わることはほとんどない以上、かなり多くの生徒がどちらも知らずに卒業していく・・・恐ろしいです。対象を限定せず、食前などに一定時間目を閉じて瞑想させるのは政教分離に反しないと思います。
あ、そういえば生徒が死亡したときや、終戦や原爆投下などの記念日に学校全体で黙とうすることがあります。これは宗教教育には抵触しないのでしょうか。拡大解釈ですが、死者に対する畏敬、追悼も霊の存在を肯定し、宗教的な概念を含んでいるのですから。
アメリカが、対弾道ミサイル防衛の重要な実験に成功しました。ロシアや中国はいっせいに非難し、日本のマスコミも同調しています。
この計画に対する是非は、まず費用対効果です。ですが外交上重要な問題は道義上のもので、「アメリカのみが究極の剣と盾を持つことの是非」だと思います。
これまでは、弾道ミサイルという究極の剣は絶対に防衛不可能でした。しかし、それを打ち落とす盾が完成したら、アメリカは外国を核攻撃するのをためらう理由がなくなります。
アメリカが究極の盾の影から、理不尽に究極の剣を振るわないか。僕は、アメリカは信じられると思っています。
沖縄人のナショナル・アイデンティティはどこにあるのでしょう。
日本、というのは嘘である気がします。米軍統治時代、本土復帰と日の丸のための運動が沖縄人の自発的意志としてあったのは確かですが、それも米軍統治という異常な状況下でですし。
沖縄人の今の総意は、やはり米軍基地も自分の軍隊もない、完全非武装中立の独立国でしょう。
でも、あの要地・・・しかも中国は歴史的に自国領と主張している・・・で非武装中立は無謀でしょう。経済的にも、日本の補助金も米軍基地の需要もなければ・・・立ち行かないでしょうね。
合理的に考えると、日本の夏に適した衣服として、男性の上はアンダーシャツなしで浴衣のような和服にズボン、収容力を考えて帯にポウチをつけるか上にメッシュのチョッキを着るのがいいと思います。着流しでもいいですが。
女性は・・・和装を適度にアレンジして、それでいいと思います。
僕が今、クーラーのきいた部屋でパソコンをいじっていられることに、どちらの恩恵が大きいか考えてみました。
湾岸戦争で戦死したイギリス特殊部隊隊員と、ガダルカナルで餓死した日本兵。
どう考えても、前者のほうが「今の僕の生活」に対する貢献は大きいです。
今日本が石油を輸入でき、電気を使えることは湾岸戦争で戦った多国籍軍のおかげです。
でも、日本が今独立国であり、日本人がガス室送りにも強制移住にも奴隷にもならずこの島に住んでいられることに、ガダルカナルの戦(餓)死者は貢献していません。
貢献している、と信じたいのは山々です。ですが、日本は無条件降伏をした以上、どう扱われても文句は言えませんでした。日本人が日本で生きているのはアメリカの事情や、敗者は皆殺しか奴隷という考えは古く野蛮であるという国際的な思考様式の変化のために過ぎないです。
ただ、だから靖国神社には砂をかけてイギリスの戦死者墓地に行くべきだ、とは思いません。彼らの気持ちもありますから・・・SAS隊員は日本人の電化生活のために戦ったのではないですし、日本軍兵士は日本人のために戦ったのですから、せめてその心は汲むべきでしょう。
ある時代の特定の立場の人に対する「結果」だけで人間の善悪を決めるとしたら、ジェンナーやコッホは人口問題のA級戦犯です。
マクドナルドとケンタッキーフライドチキンが、一つの店にあったらどうでしょう。
つまり、「ビッグマックと(ケンタッキーの)チキン2ピースにマックシェイクとフライドポテトM」が一つのレジで注文できるとしたら。
ドリンクやフライドポテトはマクドナルド側でいいでしょうか?デザートなどはどちらも個性がありますから、両方楽しめるほうがいいでしょう。
さらにピザチェーンなども加えて、ピザ、フライドチキン、ハンバーガー、ケーキ、パンなどなんでもありのパーティーセットで配達できれば楽しいでしょうね。
努力は必ずしも報われない、ということを、日本人は頑固に否定しています。うまく行かないのは努力が足りないから、一生懸命ではないからだと、底無しの努力を強い、努力不足を責める・・・
もし日本で実力主義が定着したら、最大限努力してもうまくいかない不器用な人間にとっては地獄でしょう。
しかも成功する側も完全主義がありますから、絶対に「充分な努力」はありません・・・文字どおり死ぬまで。楽しいかもしれませんが、地獄でもあります。一部の非常に幸運な人には楽しい地獄でしょうか。
多分これから、日本人の幸福の総量はどんどん下がっていくのでしょうね。
怪獣映画などを見ていると、通常兵器の威力を誤解すると思います。
歩兵ライフルの5.56mm弾でも肉や骨、キチン質程度の装甲なら相当厚くても容易に貫通しますし、中枢神経などの急所に当たれば相対的に小さい傷でも致命傷になるはずです。現に、象は普通の軍用ライフルで狩ることが可能・・・現在形でしょうが、過去形としましょう。
まして戦車砲弾や空対地ミサイルが当たったら、怪獣のサイズで考えられる厚さの、戦車のそれを含むどんな装甲をつけていても生物ならひとたまりもないはずです。鎧を着せたティラノサウルスに戦車砲を撃ち込んだら、一発でバラバラになるでしょう。
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日本の上流階級にとって、ハンティングはどれほど重要なのでしょう。もちろん日本でもハンティングは最も金のかかるスポーツの一つですが、逆に金持ちがみなハンティングをしている、というわけではないようです。
例えば天皇が狩りをしたことがあるとは聞いていませんが、イギリスの王室やアメリカのビリオネイアで狩りをしたことがない人はいないでしょう。
これを考えるには、日本とイギリスの金持ちについても考えてみたいです。
イギリスでは、貴族の多くが金持ちとして残りました。貴族は地方領主であり、広大な土地を支配し、そこで騎士階級としての軍事訓練と害獣駆除などの農村管理の双方としてハンティングが伝統になっていたと思われます。
その点は日本の昔の武士も似ています。仏教の影響か平安時代の貴族はそれほど狩りを好まなかったようですが、地方を実質的に管理している武士にとっては上記の理由で狩りは当然だったでしょう。そして、それは源頼朝から徳川家康まで、様式化を経ながらも続いていました。
しかし、徳川家康の頃には兵農分離により、武士は土地から切り離されています。そうなると徳川宗家や大名家を除き、家禄で生活している下級武士は狩りに、せいぜい家臣として参加するだけです。
その代わりとして、害獣駆除としての狩りを農民が自分でしていたのでしょうか?特に土豪と呼ばれる富裕な農民は?
そして明治維新の後、新しく生まれた富裕階級はどうしたのでしょう。大地主も生まれましたが、彼らの多くは不在地主でした。新しい華族の多くは東京で暮らしています。新しく興った財閥はどうしたのでしょう。文明開化として、西洋文化の一つとしてハンティングも真似たのでしょうか。
戦後はどうしたのでしょう。
あ、フランスやロシアではどうなのでしょうか。それも興味深いです。
靖国神社は、世界に認められないカルトと認識した方がいいのでしょうか。そして、その霊と我々はどう向き合えばいいのでしょうか。
太平洋戦争の加害者でもあった兵、A級戦犯ばかりが話題に上りますが、それで幕末から日露戦争までの戦死者を忘れるのも問題です。彼らは日本の独立に貢献した、今生きている日本人にとっても恩人です。
歴史上の人物には、信頼できる肖像や写真がないのに美形だというイメージが広がっている人がかなりいます。沖田総司、源義経、真田幸村、竹中半兵衛などは美形とされますが、やはり大衆ヒーロー=美形となってしまうのでしょうか。
沖縄でまた、悲しむべき事件が起きました。僕は在日米軍は・・・追い出しようがない(日本は急所を握られているので)と思っていますが、この事件に対しては対策をちゃんとして欲しいです。それこそ、米軍兵士、日本警官ともに特に米兵の強姦を目撃したら犯人を即座に射殺してよい、というくらい徹底しないと。あと、もしかしたら自衛隊が日本人を守るためにパトロールしたほうがいいかもしれません。
アメリカ軍の身内に対する甘さ、住民に対する意識の希薄さも問題ですね。ここは徹底して、巨額の賠償を請求するなどすべきでしょう。
まあ、何万人もの飢えた若い男がいたら、ある意味どうしようもないのですが・・・でも少しでも少なくする努力は日米ともにすべきでしょう。
沖縄の女性に、特別な武装権を与えるのも手だと思います。相手も拳銃を持っていますから、銃身を切りつめて携帯しやすくした散弾銃などを許可、問答無用で撃っていいとすれば。
眠ることは、時にとても勇気のいることです。翌朝目を覚ます保証はないのですから、一種の死と感じることもあります。
日本の戦争責任や教科書の問題は、もう決着がついている気がします。少なくとも世界では、日本のナショナリズムが認められることは絶対にないです。主張するだけ悪者扱いされ、かえって国益を損なう状態です。
さっさと無条件降伏し、教科書は国定として中国と韓国に共同監修してもらって、国会で全面謝罪を全会一致(反対、棄権したら内乱罪で死刑)で決議して天皇が読んで土下座して、元捕虜や元慰安婦への個人賠償も三権分立も条約もくそもなしにやるのがいい気がします。
ちょうどあの時、早く降伏していれば原爆を落とされずにすんだように。
PL学園が夏の高校野球に出場できなくなりました。
ただ、なぜPLだけが、と不条理を感じます。甲子園の強豪のほとんどが、同様かそれ以上の残酷なシステムを持っているはずです。
それは伝統であり、これまでの何十年の間どの当事者も悪いとは考えていなかったでしょう。ある大学の剣道部で下級生に対する体罰が死につながり、廃部に追いこまれた事件もですが、それまでは当然のことがある日突然悪になってしまったような、そんな不条理を感じているはずです。実はそれは、この伝統が正しいと洗脳された結果なのですが・・・。
これから、そんな「体育会系」システムが崩壊に向かうのか、それとも一部の運の悪いスケープゴートを除いてそのまま維持されるのか、僕は前者に賭けたいですね。そうである限り、日本のスポーツは世界に通用しないでしょうし社会にとっての害も大きいのですが。