枕元の計算用紙
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350mlにつき成人男性一日分のビタミン、ミネラルが入ったコカ=コーラがあったら面白そうです。
コーラの嗜好性の高さとビタミンCの酸味、甘味と炭酸がビタミンの味を打ち消してのどごしもよく・・・
あ、酒でそういうのがあっても面白そうですね。
マンガや小説、ゲームの宣伝文などの非常に残酷で非道な描写は、怒りと同時に強い印象を残します。
そして、その印象の強さは忘れられない効果になり、不思議なことに購買欲さえ刺激します。「バトル・ロワイヤル」の人気はそれだと思えます。
その印象は無意識の欲望からでしょうか?そして、わずかな抵抗さえ抜ければ、その残酷なことを含むコミックやゲームなどは、非常に大きな快楽、刺激のもとになるのでしょうか。
それを思うと、人間の心は・・・光り輝く中心があり、そこから離れるにつれて暗くなっていく同心円状のもので、邪悪なものに引かれるのはその中心から外れるからなのか、それとも磁力線の図のように光と闇二つの中心があって、どちらも同じような力を持っているのか・・・わからなくなります。
どちらでもなく、海のような感情の上を理性という船が漂っているだけのような気もしますし。
反戦思想からすると、かつての日本人は「祖国を守るため」と称して自分たちも無益に悲惨な死に方をし、そして近隣諸国の人たちを苦しめる結果になったということです。
なら、「祖国を守らない」と決意していれば最低限の犠牲ですんだ・・・そういうことなのでしょうか。
では、もし当時の日本がそういう・・・全面的にアメリカに屈服し、中国大陸から手を引く方向に、天皇の意志ででも進んでいたら、どうなっていたのでしょう。
反人種主義の集会が開かれていると聞き、ふと人種主義の世界的な集会はないのか、と疑問になりました。
世界中でこれほど多くの人が信じている思想なのです。堂々と主張し、集まって理論的に高め、確かめ合えばいいでしょう。
それがない、ということは、人種差別行動をとっている人たちもそれが、世界的には悪であることを自覚しているのでしょうか。
同様に一般に悪とされる・・・たとえばナチズムや環境破壊の推進、奴隷制、男女差別、封建主義などを正面から主張する団体がいて、その主張が普通に新聞などで紹介されれば面白そうですが・・・
やはりそれらは、「本音と建前」の本音として世界を動かしつつ表に出ることはないのでしょうか。日本の歴史修正主義も同様でしょうか。
でも、今普遍的な価値観とみなされている宗教的寛容、人間の平等および個人の尊厳、それらは・・・公的な機関全てによってみとめられているのでしょうか。確かに国連憲章などに含まれていますが。
また、世界全人類で投票したら認められるのでしょうか。
美しいものとは、一体何でしょう。
なぜかなり多くの日本人の若者は、様々なポスターを部屋に貼るのでしょうか。
逆に、写真や人物の絵自体をイスラムの原理主義者は許しませんが、彼らはなにを美というのでしょう。
美しいものに囲まれていたいという欲があり、逆にそれ自体を罪とする宗教も・・・
「暴れん坊将軍」のオープニング等で、よく弓を引くシーンがありますが・・・初段程度ですが弓道の経験がある僕には、下手にしか見えません。
もしかして、僕の目が甘いのかもしれませんが・・・習っている間何度か見たことのある、高段者の動きとも違います。
最も多くの人が見ている和弓を引くシーンである以上、できれば正しい射形をと思うのは贅沢でしょうか。
フレッド・ホイル卿が死去しました。
彼の「定常宇宙論」はいわゆるトンデモだったのでしょうか?優れた物理学者だったにもかかわらず、終始ビッグバンを否定しつづけた・・・間違った方向に行った、多くの学者の一人だったのでしょうか。
でも、その主張はどんな定説も仮説に過ぎない、と警告していると思います。科学法則は、たとえ相対性理論でも真理ではなく、「実験結果と矛盾していない一つの仮説体系」に過ぎないのです。
そして、ふと不安になるのですが・・・かつての大陸移動説や地動説などと同様、今は嘲笑されていますが十年後には学会の主流となっている説は今あるのでしょうか。
例の誘拐犯の一人がオタクだった、ということで、また・・・かつての宮崎勉事件同様、風当たりが強くなることが予想されます。
世間の風当たりに何を言っても無駄なのですが、子供を誘拐する人が何人いて、そのうちのたった三人がオタクだからオタクは誘拐をするという結論は間違いです。そして、コミケに申し込む人はサークルだけで五万、誘拐犯はそのうち数人。残り四万九千九百九十何人(×3以上)は罪を犯していません。
でも不思議なのが、犯人が被害者の子供を殺さず解放する分別があったこと・・・大きな違いです。
人間の寿命が防災意識を疎外している、と昨日考えましたが、同様に環境破壊や巨大隕石に対する対策も、人間の寿命や考えのスケールを超えているのかも知れません。
でも、だから絶望していいのでしょうか。
日本が地震国なのに防災意識が低く、「自分だけは大丈夫」症候群に支配されているのはなぜでしょう。
今の日本を考えず、昔の日本を考えてみましょう・・・大地震の周期は百年前後のようです。なら、昔の人が生涯に二度大震災を経験することは、事実上ありえないでしょう。現在なら、小さい頃南海地震を経験した人が神戸に移住して阪神大震災を経験することはありえますが、昔の人の大半は生まれた場所を離れることなく、しかも五十年生きれば長いほうです。
大震災の悲惨さは、語れるものではありません。文字にしても、その脅威はほとんど伝わらないでしょう。映像という表現を持たない昔の人・・・映像という表現を持つ今の人でも、どれだけ伝えられるものか・・・には、その体験の恐怖を次の代に伝えることはできないと思います。
となると、祖父の体験から地震に備えていた人は生涯大地震に遭うことなく過ごし、その子には「大丈夫だった。地震なんかに備えていてもろくなことはない」と言い残して、結果的に備えるのをやめた孫がまた大地震に遭う、ということに。
つまり、人間の寿命は大地震の周期にさえ対応していないから・・・
ニューエイジ運動というものはカルトによる悲劇を作り出しただけで、人間にとって何の積極的意味も持たないままなのでしょうか。
そして、資本主義だけが勝利し、最終的には破滅に至る・・・
もう一度、戦争犯罪者を日本人の手で裁き直したらどうなるのでしょうか。
時効も死去も関係なしの、徹底した軍法会議で第二次世界大戦の関係者、上は昭和天皇から731部隊関係者、下は戦場に行ってすぐ実敵刺突訓練で現地民を殺し、翌日流れ砲弾で片足を失って生還して恩給で普通に暮らしている二等兵まで全員。
特に無能指揮官たちの罪は徹底的に暴きたいものです。そして、諸悪の根元ともいえる二日酔いで宣戦布告を渡し遅れ、日本(と昭和天皇)に永遠に消えない汚名を塗ったくって責任どころか位人臣を極めた大使館員は極刑でも生ぬるいです。
でもそれをしたら、年配者の大半は刑務所で余生を終えることに?
地底や深い海底に遊園地があったら面白そうですね。
海底水族館は一部ありますが、もっと大規模にテーマパークとしての要素も取り入れて。地底でも、トロッコを模したジェットコースターやRPGの地下迷宮探検を光線銃で実体験するとか、さらに深地下の地熱、温泉などを楽しむとか、いろいろできると思います。
自然に準じる動物園として、肉食動物を比較的広い空間に放置、但しそのテリトリー内で放し飼いの牛、羊などの放牧をしてむこうが食べるに任せ、食べられた分は補充する、というのは無理でしょうか。
おりの中の肉食獣は、しばしば狩猟のやり方や子育てを忘れますが、基本的に放っておき、自分で獲物をとるようにすれば・・・。
日本が公共事業として、使われない劇場や空港、農道、ダムのたぐいではなく、ピラミッドや大仏を作っていたらどれくらいのものができていたでしょうか。
そのほうが環境破壊にならなかったかも・・・。
靖国神社に対して、軍国主義の象徴だの国家神道だの以前に、多くの人が感じている違和感には国が霊の行き先を決める、という事もあると思います。
考えてみますと、閻魔庁だか聖パウロだか知りませんが、死後天国か地獄か靖国神社か極楽浄土か黄泉か、どこへ行くかに地上の人間は口が出せません。これは僕は、絶対的なルールだと感じています。厚生省だろうと地球国王だろうとローマ教皇だろうと、たとえ世界全人類全員一致であっても一人の人の死後の運命は決められないはずです。
では靖国神社は、それのみならず墓とは一体何か。僕は、それは生きている、遺された人のためにあると思うのです。靖国神社は国のためにでもありますが・・・まあ、死後どう利用されようと、死人にとっては痛くもかゆくもないでしょうね。
正常な成人男性は、年に何度・・・いや何年に一度くらい、用便の不始末(おもらしのこと)をしでかしているのでしょう。
意外と知られていないデータかも。
不思議なのが、僕の知る限り普通の人は下着と靴下の替えとタオルを携帯していないことです。不始末のみならず突然の雨などでびしょぬれになったときや大地震のとき便利なのに。
前倒し参拝ですか。妥協しつつ参拝は決行、で左右双方に不満が出そうです。
でも心配していた爆弾テロがなくて安心しました・・・あ、それを避けたのですか。
履歴書は手書き、間違えたら修正液を使わず書き直し、という原則が古いと思うのは僕だけでしょうか。
単に手書き文字が荒く、間違いやすい僕にとってそれが、果てしない苦行になるだけですが。
コミックマーケットのような大きなイベントは、刃物男か爆弾魔が一人いれば潰れます。
今後、そういった無差別犯罪が増えていくと、結果的にイベントができにくくなることに・・・
妊娠と性感染症のリスクがあるHゲームがあったら笑えますね。
正しく避妊、予防しないとひどい目に・・・最悪の場合エイズや梅毒で死んでゲームオーバー、女をひどい捨て方をしたら女の父親に殺されてまたゲームオーバー・・・いい性教育かも。
物事のごく初歩的な入口は、本ではわからないものですね。
常識の全てを網羅した本があればと思いますが・・・あれば、日本にとっては聖書です。
自転車を主体にした球技は無理でしょうか。
ポロを自転車でやるとか、あるいはコンクリートのフィールドでバスケットボールを用い、ドリブルか蹴るかパスで運んでサッカーに似たゴールにシュートするとか・・・
危険ではありますが、面白そうです。
さらに過激な、ものすごく広いフィールドで、オートバイで球技をしたら・・・危険すぎますね。
構造改革が成功し、新規雇用が増えたとしてもかなり多くの人は失業したままでしょう。
なぜなら、増えると思われるところは知識産業ですから、雇用需要が増えたとしてもごく一部の層の人材薄で、逆に例えば建築の現場しか知らない、他の仕事ができない高年齢層は絶望的なのでは?
古い技術に順応してつぶしのきかない、改革後に必然的に恒久的失業者になる人をどうするか、考えるべきでは。しかも、彼らの多くは底収入の下層にいて、生活悪化にはより耐え難い・・・。二極化が進みそうです。
もちろん、改革を先送りにしても最終的な結果はさらに悪いですが。
百年残るポルノグラフィはありえるのでしょうか。ヌード写真集、アダルトビデオ、アダルトゲーム、美少女漫画、アダルトアニメビデオ、ポルノ小説などの多くは非常に短い寿命です。昔のにっかつロマンポルノがたまに注目されたりはありますが、広い層ではないようです。
アダルトビデオの中で、十年たっても安定して売れつづけている作品があるとは聞きません。
ということは、それらポルノグラフィは演出(メイク、カメラ、脚本など)の新鮮さが最も重要で、モデルの美しさは標準で十分なのでしょうか。もし、百年に一人の超美女が出てきたときには、それでも百年通用することはないのでしょうか?
あ、ゲームとマンガ、アニメはモデルではなく作画ですね。こちらの作画技術は日々進歩していて、昔のものが通用しないのはわかりますが・・・でもキャラクターの人気が少なくとも数年持続している作品はいくつかあります。
小説は・・・どうなのでしょう。
音楽や絵のために、子供が教育で使う道具はプロに引き継がれません。
音楽は幼稚園ではピアニカやハーモニカ、小中学校ではリコーダーが中心です。
絵は幼稚園はクレヨン、小中学生では水彩です。
どれも、音楽や美術の世界で主流ではありませんし、その基礎技術というわけでもないです。
単に親しみやすさだけが優先されてでしょうか。
音楽ならピアノやオルガンを中心に希望者はバイオリンやギター、絵は鉛筆でのデッサンと色鉛筆を中心に補助的に毛筆と水彩を学べば、基礎として先に進めると思いますが・・・。
被害者の方を悪く言うようでなんですが、やはりアメリカ並に子供の車内放置は犯罪としてほしいです。
ベビーシッター(近所の中学生が気軽にバイトでやれる社会環境も含め)の普及、託児所の充実などが先ですが。
核を完全廃絶せよ、という人は、この二つを考えてほしいです。
何でも願いがかなうとしたら、大多数の男はハーレムを選ぶでしょう。
では、女性はどうするのでしょうか。フェミニズムの中では、女性の性は開かれるどころかますます謎に包まれる気がします。
カソリックは、人類の未来より信仰、教義のほうが大切なようです。
南アフリカで、エイズで国そのものの存続も危ないというのに、コンドームを用いた感染予防に反対を表明しました。
でも、当然かもしれませんね。本来キリスト教は、人類が最後の審判で滅び、復活して裁かれることを願ってやまないのですから。
反暴力の文化が世界に広がっている気がします。アメリカでの銃規制運動、対人地雷禁止条約、そして小火器規制に向けての動き・・・
実を結ぶのでしょうか。僕は、人間の中にある暴力の本能を悪と決め付けて抑圧するのは反対です。必ず反動が出ますから。また、かなりずれていることもあると思います。ただ、人間には洋の東西を問わず争いのない、武器のない世界に対する憧れもあるので、見守っていくつもりです。
日本国内での、ヒステリックな武器、刃物嫌いには問題がありますが。