枕元の計算用紙
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今年も何とか、無事にとは行きませんが人類滅亡はなく終わったようです。
それでよしとしましょう・・・来年について、楽観している人は誰もいません。
日本はこれから小泉改革を続けるか、これまでのような財政出動による景気対策に戻るかどちらでしょう。
いや、そのどちらでもない道はあるのでしょうか?
例えば今余力があるうちに債務不履行宣言をして財政、金融などを一時凍結、「国民を餓死させない」ことだけを考えて衣服、食料、エネルギーは配給制にして供給を安定させ、とりあえず使える製造業を国有化して動かすことで最低限の生活必需品が手に入るだけの貿易はする・・・
これらに優先順位を考えてみてください。
など。対立するものもありますし、誰も否定できないこともあるでしょう。
人類の未来は、
という悲観的シナリオか、または
現状では悲観的なシナリオに賭けるしかないのですが。
今の何十億という人口は、ある国の十九世紀まで何百年、何千年分の人間です。もし三十億人の若者がいれば、それはイギリスのこれまで生まれた若者に匹敵する数なのでは?
いや、そんなものではないです。ずっと変わらず人口一千万人の国があり、毎年一万人ずつ生まれて死んでいるとしたら、二千年の歴史の中で登場した人間の総数は二千万人に過ぎないです!現在の人口曲線は指数関数に近い、ということは積分と等しい、つまり現在の人口は今までの全員と同じ・・・
なら今この時代にそれだけの天才や名将が出ていていいはずなのに、まあビル・ゲイツやジェフ・ベゾスぐらいでしょうか?シーザーやガウス、ベートーベンなどに比べたら小粒な気がします。
もしかしたら、天才や英雄は単純に「百万人に一人」などのような、確率で出てくるものではないのでは。
デフレ状況では、どうやって老後を設計すればいいのでしょうか?
投資は胴元のいる博打同様全体に損になる、たんす預金が一番損が少ない世界では、金利による年金は不可能です。
けれども、年二百万で過ごせるとしても60歳定年からだと85歳までで五千万は必要でしょうか?無理です。
働けなくなったら貯金を使い果たすまで遊んで首を吊るのが一番正しいのでしょうか。
日本人のクリスマス好きはなぜでしょうか。今の、アメリカ式のクリスマスは古来のものではないでしょう。まあ元々、クリスマスは本来のキリスト教とは無関係の、異教の儀式なのですが。
クリスマスの象徴とも言えるサンタクロースの赤と白の風俗はコカコーラの宣伝で、最近と言っていいでしょう。
本来ならゆっくり聖書を読むのがクリスマスなのですが、それを期待するのは無理でしょうね。
「サイボーグ009」の九人の中で、実際に軍事的に一番便利なのは誰でしょう。
003と007が組めば、非常に高い諜報能力を発揮するはずです。
004タイプが実戦では最強に見えますが、人間のサイズで詰め込める武器には限りがあり、せいぜい要人暗殺、警護程度にしか使えません。009や002により強力な武器を持たせたほうが強いはずです。
005や006には工兵としての能力も・・・重機を持ってきたほうが早いですね。地雷処理は003のほうが向いています。
もちろん001を量産すればなんでもありになりますが・・・
ローコストの量産機としてはやはり009をベースに脳を強化し、手に熱線銃を内臓、003の強化感覚を加えてそれをむしろ兵器の誘導に使う形になるのでしょうか。
海軍は008型を求めるでしょう。
所得税や相続税を廃止し、消費税をそれだけ・・・20%やそれ以上にして、そのかわりに生活保護を拡張したらどうなるでしょうか。
今のように厳しい審査でエアコンも許されないものではなく、ちょっと生活がきつくなったり子供の学費が辛くなったら(多額の借金がある場合は自己破産を条件)気軽に入ることができて、消費税を計算に入れても車とパソコンがあり、悪くなったら医者に行ける生活は保証する、という。名前も生活保護ではなく生活補助に変えて。
今後生活がどんどん苦しくなっていき、年金の破綻で希望がなくなる中産階級の下のほうの生活をその形で保証すれば消費は減退しないはずです。逆に現在生活保護を受けたりホームレスでいるような下層が消費生活に入るため、絶対的な需要が増える効果もあります。
さらに高額の消費税のため、企業の売り上げは変わらないですが投資より預金が有利という状況はなくなります。
問題は勤労意欲の減退による社会の沈滞と、働かずに普通の暮らしをすることの精神的な悪影響で薬物依存などの社会不安が起きないかですが・・・逆に所得税がない以上、頑張って稼げばいくらでも金持ちになれますから、頑張る人は頑張るでしょう。そして、今の消費生活を満たすための生産に、全員が働く必要はありません。それほど現在の一人当たりの生産性は高く、それが皮肉なことにデフレの原因になっています。
今のように全力で頑張っても生き延びられない、国家破産を予測して誰も身動きが取れず、自殺が急増し、生き延びている労働者でもいじめを使った弱肉強食が横行する状態よりましでは?
そして無理に働かなくても生きられるなら、財政構造改革もスムーズに進む可能性があります。抵抗が強いのは失業したら終わりだという死活問題になっているからです。
もちろん、自助努力(セルフヘルプ)が国の活力の根元ですから、活力を失うリスクのほうが高いのですが。
「剣と魔法」タイプのファンタジーで、槍が比較的軽視されるのはなぜでしょうか。
剣に比べて一対一の決闘でも圧倒的に有利ですし、魔物・・・大型獣に対しても剣よりずっと頼もしい武器です。熊やライオンを狩るのに槍を使う人はいましたが、刀で熊に切りかかる人はいません。間合いが剣より長く、体当たりのエネルギーを簡単に槍先に集中できるから威力は比較にならないですし、投げて使うこともできます。
なにより、剣は絶対に戦場で主力武器になることはありませんが、槍は弓を主力としたモンゴル騎兵を唯一の例外として、銃が主力になるまで戦場の中心でした。
軍事行動でないファンタジーの冒険旅行には携帯に不便という弱点はありますが、それは厚いパイプ状に鍛えた剣の柄に長い杖をねじこみ、目釘で固定するフクロナガサのスタイルにするか、魔法の武器として普段は普通の剣なのが合言葉で柄が伸びて槍になる形にすれば容易に解決するはずです。
迷宮内、街中のような狭いところでの不利ですが、普通の槍でもサイドアームとして(ライフルに対する拳銃のように)剣や大型ナイフ、斧などを使えばいいですし、上記の分離、伸縮式槍なら剣として使えばいいです。
日本人のかなり多くが、このストーリーを持っているように思います。
戦争で悲惨な死をとげた兵士たちもアジアの被害者から見れば残虐非道な加害者の片割れ。
でも彼らが戦場に引きずり出されたのは邪悪な軍国主義のためだが、しかも軍国主義日本の(天皇含む?)肝心な権力者はろくに責任を取らず、アジア各国の被害者と兵士の生き血をすすって大儲けし、さらに終戦後もうまく占領軍に取り入って権力と財を握り、いまだに日本に君臨している。
単にそれが、日本の戦争のすべてなのでしょうか・・・。
新字体否定論者は、旧字体をすでに覚えているからこそそんな事を言えるんだと痛感しました・・・旧字体の問題をやってみて。
小学校の頃の僕が、習うのがあれだったら・・・想像しただけでめまいがします。
今児童売春、チャイルドポルノに関する会議が行われているそうです。
あまりにも理解されていませんね・・・まして、幼児性愛者の病理についてはあまりにも無知です。
僕は「つける薬があるのか」さえ知りませんもの。
それにしても、なぜそんなものがあるのでしょう。神は何を考えてそんな者を創ったのでしょうか。
鞭、杖といった体刑は非常に残酷ですが、別の面もあります。
たとえば復讐など、義ではあるが法に背く犯罪の場合、執行者がその義に同情していればいくらでも手加減ができるのです。逆に許せないが金の力で罪を軽くした罪人は叩き殺すこともできます。
現在の、法だけで決まる懲役刑ではそういう加減は不可能ですね。
一つの犯罪で国が滅びることはあるでしょうか?
仮に小説のプロットのような形で、日本を根こそぎにするような事件を考えてみましょう。
警察が決定的に国民の信頼を失うような、そんな事件は日本の報道陣は押さえられますから外国の報道で明るみに出る、という形でしょう。
非常に残虐な、青少年の集団による連続殺人事件・・・一家皆殺しが何件も相次ぐようなケースが起き、最終的にショッキングな形・・・バスを乗っ取られ、全員がとてつもなく残虐になぶり殺しにされるような結果になる。
被害者の中に外国の上級貴族がいたため国際問題になったが、実は少年中心の犯人グループの中に警察上層部や皇室に近い元華族などVIPの子弟がいたため、警察は犯人たちを逮捕、発表できず無関係な暴走族を逮捕して罪を押しつけ、目撃者を片端から家族ごと拉致、処刑して死体を埋める暴挙に出る。
その殺された目撃者の中にアメリカの有力者の遠縁と、日本を離れていた著名なジャーナリストの妻子がおり、そのジャーナリストは在日米軍の協力を受けて真相を調査、ついにすべてを突き止め、アメリカの雑誌に発表する。
それがどんな結果になるかは考えたくありません。
アニメなどでよく見る、サイボーグなどが走りながら銃を乱射するのは実戦では誤りなのでは?
実戦での歩兵は弾を浴びる、前から見ての面積を減らすために伏せて、できれば塹壕を掘って射撃するのが基本です。
となると、それに適した人間型ロボット、サイボーグの形は・・・両手がシャベルになっていて穴を掘る力に優れ、また肘とひざに車輪がついていて整地では伏せたまま高速走行ができ、ほふく前進が非常に早くて起き上がってダッシュしてまた伏せるのに適した手足が必要でしょう。
そして銃は伏せ射ちと同じ角度で体に固定されている、つまり肩か背中から頭と平行に銃身が出ていて、背中にロケットランチャーや迫撃砲を乗せることができる、という体でしょうか。
すごくカッコ悪いです。
千石イエス死去の報・・・僕はリアルタイムであの事件を見てはいないのですが、結局彼は神からきたのか人からきたのかどちらなのでしょうか。
それとも、そんなもの問題ではなく、彼に助けられた人もいるし、彼のせいで苦しんだ人もいる・・・それだけでしょうか。
同人誌やインターネットコンテンツの校正作業は誰もやっていない隙間産業かもしれません。
「以外」「意外」の間違いなど当たり前、爆笑ミスもしばしば見られます。
人類を滅ぼしかねない巨大隕石が地球にぶつかる軌道で接近しているのを見つけたとき、従来考えられているように直接核ミサイルで迎撃するより、月面に深いまっすぐな縦穴を掘って内部を鉄で固めて銃身とし、底に水爆を推進薬代わりに入れて、巨大な弾を飛ばして狙撃すれば万一破片が地球に落下しても放射能汚染の心配がないのでは。
それでは予測できないなら、巨大隕石の近くで鉄パイプに原爆と弾丸を入れ、無反動砲の原理で至近距離から撃つ、というのもありでしょうか。
素直に現在の大型水爆弾頭を、強化したロケットで横腹にぶち込んだほうが楽でしょうが。
太平洋戦争以前の教育を受けている人のほとんどは神武天皇から順に歴代天皇を言えるはずです。
一見無意味な、天皇制に洗脳するためのの苦行に過ぎません。
でも、あれをやってあると特に古代史の流れがスムーズに理解できるのです。
太平洋戦争で日本軍の戦略ミスがいろいろ言われますが、なら米軍は完璧だったのでしょうか。
一つの戦略ミスもなく、海軍と陸軍は完璧に連携、意思疎通して、補給も一切滞りなく前線と補給、エリートと叩き上げが互いに尊敬して、面子のための無謀な作戦やコントロール不能など一切なく、無能な人間は即座に更迭されて無駄な戦死者を出すようなことなどなにひとつなく・・・?
スーパーの買い物袋に税をかけるかなど、環境問題として騒がれていますが、スーパーでもらうビニール買い物袋をすべてゴミにしている世帯がどれだけあるのでしょうか?
多くの世帯は生ゴミを捨てるのに重宝しているはずです。
本当にゴミにしているのは指定買い物袋を使用しつつ、ほとんど自分で調理せず弁当で生活している独身世帯とコンポスト設備を導入し、使いこなしている世帯だけでは。
アフガンやソマリアのように、小さい部族で抗争を繰り返し、外から入ると団結してゲリラ戦をやるという厄介な地域に対して、ある程度有効な対処は僕は一例しか知りません。
天正伊賀の乱。織田信長が忍者で名高い地域のゲリラ戦を得意とする小領主たちに対してとった手段は・・・女子供を含む、徹底した皆殺しでした。
それしかないと思いたくはありません。
人間型ロボットは家事、特に介護の分野で求められています。
でも、無理に困難極まる移動形式である二足歩行にする必要はあるでしょうか。
エレベーターがあれば三輪+バランスを取るためのしっぽでどこでも動けるでしょうし、階段が必要でも四足歩行のケンタウルス型で充分ではないでしょうか。
二足にティラノサウルス状のしっぽをつけるだけでもずいぶん楽になるのに、なぜ人間型にこだわるのでしょうか?
ちなみに、戦闘用でも重火器中心にするなら羽のない甲虫みたいな六足(つねに三本足が着地するので完璧に安定する)で背中に砲塔がついていて、車輪と足での歩行を切りかえられるのがベストです。銃火の中では前から見た面積が小さいほど当たりにくいですし、地面のコンディションがよければエネルギー効率のいい車輪、悪いときには足で歩行すればいいです。武器の取り替えや作業ができない点は、触手型の作業用アームがあればいいでしょう。
エピソード、いや英雄物語のない歴史に意味はあるのでしょうか。
意味以前に、つまらないです。上杉謙信が単騎長躯、立つ暇もなく武田信玄が軍配を上げて必殺の剣をはっしと受けた、とか木村重成は堂々と家康に血判の血が薄くて読めぬと言い放ち、戦死の時には兜に香をたきしめて、とか義経が弓を海に落とし、危険を顧みずに拾い上げて弓一本を惜しんでどうする、となじられ、いや鎮西八郎為朝公のような強弓ならわざと落として拾わせようが、こんな弱い弓を拾われては末代までの恥だ、などのような史実でなくともそういう面白いエピソードがなければ。
全部戦争の話?それは当然でしょう。「イリアス」も「アイネアス」も戦争の話です。
アフリカなどの内戦と、日本の戦国時代の重大な違いとして、日本の戦国時代では全ての武器は国産でしたがアフリカの武器の多くは外国産だ、ということがあります。
戦国時代にはより多くの武器を生産するために優秀な戦国大名は産業を奨励しました。戦争に悲惨があったにしても、景気は比較的よかったといわれています。
信玄堤などインフラ整備をし、法を定めて領内の治安を維持するなど領民をある程度慈しむ武将も多かった、というよりそうしなければ滅亡でした。
しかし、アフリカの武装勢力にとって、武器は山刀など最低限のもの以外、自動小銃もバズーカもすべて外国製です。かつては冷戦の代理戦争として供与され、それが途絶えた今は地下資源や援助された食料はおろか、麻薬やあまつさえは人身・・・奴隷、売春、臓器・・・まで売って武器を買っています。
インフラ整備などしておらず、庶民にとってはひたすら地獄なのでしょう。
テロを完全に悪として弾圧すると、独裁者に反抗する術がなくなるのではないでしょうか。
言論で対抗すればいい、といっても言論の自由自体がなく、何かを言えば秘密警察に処刑される社会で、しかもCNNなどの報道陣が関心を一切持たない地域では秘密の会合から暴力的な手段で問題の存在をアピールする以外、何かできることはあるのでしょうか?
もしテロという手段がなかったら、パレスチナ難民もクルド族も忘れられたまま滅びていた可能性があります。
第二次世界大戦中のレジスタンスも今の基準で言えばテロですね。
テロを完全に撲滅するなら、意見を表明する手段を独裁政権下で無視されている弱者に何らかの方法で与えない限り、深刻な不正義が発生する恐れがあります。
高速道路の問題は、地方の問題でもあるのでは?
本来高速道路建設の目的は職と利権のためではなく、利便でありそれを基とした地方の経済発展のはずです。
道路ができて東京への便ができ、さらに金も落ちたのだから、それを元手に頑張ってより大きな産業を作り、より多くの高収入の職を生み出すのが本来の望みだったはず。
それができず、道路を作るだけで終わってしまって職と利権の中毒のようになったのは、結局どうやっても克服できない地方の過疎化、中央への資本集中のせいではないでしょうか。
それは止めようのない歴史の流れかもしれません。それに逆らったことが悪い、ということもできるでしょう。でも地方を見捨てればそれでよかったのでしょうか。
対テロ作戦を米軍のみに任せるのは無責任ではないか、という感じもあります。事実上の世界の警察をアメリカの国家予算で運営するのは、アメリカ人以外はチェックする権利も応分の責任を分担する義務もない、という点で安心な反面不公平感があるのです。
それを解決するには、米軍の少なくとも対テロセクションに、「外国人義勇兵の参加を認め」て「株を公開」すればいいのではないでしょうか。株といっても、営利会社ではない軍に配当を支払うことはできないのですが、ある種の寄付であり、保険のようなシステムでもある・・・
たとえば日本人の僕が平和に貢献したければ、義勇兵として参加するなり株を買うなりすればいいです。
そして株を買えば、株主総会と同じく最低限の説明責任を求めることができます。また、別の国の軍隊も同様のシステムを持っていれば、米軍は信用できないのであればそちらの株を買うこともできます。
内親王殿下出産の報道に、ものすごい量の偽善を感じました。
レポーターを含め国民全員が本音を言えない、笑顔でおめでとうというしかない。
もちろん、その本音は邪悪と言っていいでしょう。人を深く傷つける、言ってはならない言葉です。でも、そう思わない人も少ないでしょう。ここに何か、すごく深いものがありそうなのですが。言ってしまえば人ではなくなる、でもそう思わない人もいない。人である事自体不自由で偽善を余儀なくされるのでしょうか。
そして、皇統については皆わかっているはず。皇室典範を改正して女帝を認めるか、産み分け人工受精か二つに一つです。
海に囲まれた日本がなぜ海洋民族でなかったのか、考えてみると不思議です。
黒潮に押し上げられて、南洋に行くのは無理だったからでしょうか?