枕元の計算用紙
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ありそうでどこの店でも見当たらない、あったらぜひ欲しいもの;
指導者選びは消去法で欠点がない人を選ぶか、実績だけで選ぶか、人気で選ぶか、前任者の勘で選ぶか・・・色々あります。
では小泉首相が終わったら?
消去法ではどうしても麻生氏、古賀氏など自民党中堅層または難しいですが鳩山一郎氏になります。
石原慎太郎氏、小沢一郎氏はファシズムの傾向があり、田中真紀子氏は対中従属の上に人格的に問題あり・・・
と欠点が目立ちますから。
でも消去法の指導者では有力者の影響力が強く、せいぜい先送りしかできません。危機的状況ではよくないです。
実績だけで選ぶとしたら?
考えてみると田中真紀子氏は外務省改革が全くできなかった、ということで冷徹に見ると実力の無さを露呈しています。
石原慎太郎氏、菅直人氏はそれなりの実績はありますが・・・
人気で選ぶのは、小泉首相の支持率下落でマスコミ、国民ともにこりたのでは。
それともそれ以上の人気の持ち主を作り出しては持ち上げ、の繰り返しでとんでもないポピュリストを作り出していくのでしょうか?でも誰を?
もう首相が誰だろうがどうしようもない、というのが一番真実に近いでしょうが、絶望は何も生みません。
有人火星(月、小惑星も含む)探査は片道切符ならどれくらい楽(格安)になるのでしょう。
知性、体力とも十分あるが余命1年という希望者は少なくないはずです。
沖縄の人たちの宗教は何でしょう。
江戸時代には薩摩の支配下にありましたから、仏教でしょうか?
それとも明治時代に国家神道を叩き込まれたのでしょうか?
古来の自然信仰が生き残っているのでしょうか?
そして在日韓国人は?
韓国ではキリスト教がかなり強いようですが、キリスト教徒以外は?
確か朝鮮半島では仏教は弾圧され、儒教に統一されていたはずですが・・・
台湾は?
結構知らないものです。
中国では地震予知技術が確立していて「海域地震」などで素晴らしい実績を上げている、とよく言われます。
本当でしょうか?
確立された技術があるなら、なぜ他の国は使わないのでしょうか。
科学の本質は「再現可能性」です。他の誰がやってもできるもの以外は科学的には認められません。
他が追試して成功していない以上、常温核融合同様怪しいと思うほかありません。
日本人が政治に対して、結局はほとんど動かない(少なくとも自民党政権がいまだに続いている)のは、日本人は自然と親しみすぎていて「人間は無力、変に何かを変えようとしても無駄」という世界観を持っているからではないでしょうか。
小泉首相の登場時には変わることへの期待が史上最高の支持率になりましたから、そればかりとは言えないかもしれませんが。
反天皇制の決まり文句の一つに、「明治時代までは天皇など誰も知らなかった。明治政府が作り出した人工的権威でしかない」というのがあります。
では、明治時代以前の幕末動乱期になぜ「尊王攘夷」という激しい運動が起きたのでしょう。
そしてなぜ戦国大名たちさえ、何の実権もない官職のためにあれだけのエネルギーを傾けたのでしょう。官職に権威があったからでは?
そしてその権威の源は天皇に他なりません。
最近はCAG(コミック、アニメ、ゲームの頭文字)も爆発的な新しいヒット作がなく、しかもこの上半期は十二年ぶりに音楽のミリオンセラーが出なかったそうです。
活字の衰退は言うまでもありません。
今までの娯楽が衰退し、そのかわりになるのは携帯電話、インターネットなど「会話」「コミュニケーション」娯楽でしょうか。
でも、それは・・・恐ろしいことに、「作品を生み出さない」と言っていいものです。
「もし世界が百人の村だったら」を産み出すことはありましたが、基本的にただの会話はその場で消え失せるものです。
保存され、伝わり、広がることはありません。言いかえると「ミーム」ではないです。自己複製を行い、時間と空間を超えて人類全体に広がる力はほとんどありません。
また、不安なのがその中から突然とんでもない流言飛語が生まれないかです。
狭いコミュニティの中で会話が交換されている限り伝播は最低限で済むようですが、不幸の手紙のようなミームとしての力を持つものもいくつか見られます。その中からいつ強い力を持つ流言が生まれないとも限りません。
上とは矛盾していますが、「作品」はあまり作れないけれど「デマ」を産み出すことはできる、ということです。
何かと心配で、不毛な時代です。
ODAとして、ろくに感謝されないインフラではなくこのようなことはできないでしょうか。
できるだけ多くの人、特に子供に週三日二時間ずつ半ば強制(ここに相手国政府の協力が要るが)で時間(学校の?)を借り、相手の言葉で科学教育を行う。
目標は「(自国語及び英語の読み書きと)最低限の計算ができ、なぜコンドームと森が必要か理解すること」。
エイズが蔓延し、人口が爆発する一番大きい理由は無知です。
それを克服するには、エイズはどんな病気でどのように感染するのか、なぜコンドームが有効なのかを理解するには性知識とある程度の科学知識が必要です。
そして人口増加がなぜ問題か・・・個々にとって正しい選択も、皆がそれをやると人類全体が困るという論理、そして未来や環境に対する意識は科学教育以外の方法では芽生えないでしょう。それがなければいくら木を植え、水路を開いても無駄です。
同時に科学教育は生活そのものの改善、環境保護意識などを育てることにもつながるはずです。
それ以上の国際貢献はないでしょう。
ついでに、宗教は問題になりますが平和主義非暴力そして寛容の精神を教えるぐらいは構わないでしょうか。
これからの日本の進路として最悪の、そしてこのままではそうなる確率が高いシナリオとして
が何人かの評論家の意見を総合すると浮かんできます。
そうならないためにはどうすればいいのでしょう。具体的には次の選挙で何党に入れればいいのでしょう。
官僚は選挙の洗礼を受けない以上、何党に入れても無駄である可能性が高いのですが・・・それでは民主主義とは何でしょうか。
選挙では結局自民党をひっくり返せないのは、絶望感ゆえに今だけはと現状維持を望んでしまうからかもしれません。
大都市の地下に平面を確保して、そこに二輪車専用の二車線+徒歩の道路網があればとても便利ではないでしょうか。
事実上自転車専用、バイクも侵入できますが時速30km以下。
それで山手線の内側なら、高低差がないのですからかなり楽に行動できるはずです。
徒歩でも風雨や車を気にせず移動できるのはありがたいはずです。
問題は治安を維持できるかでしょうか。多くの地下道がホームレスと犯罪者の巣になっている現状を考えると・・・でもある程度以上の規模、利用頻度があれば自然にホームレスとの共存ができるようになるでしょう。
なんか中国側の発表のほうが説得力ある気がしてきます。
向こうが比較にならないぐらい上手なのでしょうね。
このままでは逆に、日本が賠償を払う羽目になるかもしれません。
日本は財政赤字が大きいから大きな政府か、と思うと生活保護をはじめ福祉が機能していませんね。
重税感は強いのですが、他の国では普通消費税は二桁です。その重税感も考えてみるとおかしいです。
税制は小さな政府なのに支出は大きい政府で、だから財政が破綻していると聞いたことがあるのですが・・・では福祉でも軍事でもなく、ひたすら土建?
なんか笑うしかないです。
いや、この「不安」が原因の消費不況をなんとかするには、生活保護の抜本的見直しは必要でしょう。
例えば生活保護は親族の扶養義務が優先されますが、僕は将来を考えてみて・・・結論は兄に頼るより死を選ぶです。それでホームレスが多いのでは。
そしてその過酷さが知れ渡っているのも問題ですね。
そこを大きく見直し、それほど生活を変えなくても・・・自動車はともかく、エアコンと新聞と電話とテレビとネットパソコンはある生活は保証してもいいでしょう。
少なくともそれくらいないと今の日本では「健康で文化的な最低限度の生活」とは言えませんし、就職活動も情報格差で非常に厳しくなります。
なぜ日本で公的福祉が機能しないのかも面白い問題ですね・・・
古代遺跡を破壊するのは従来のイメージにある征服者やキリスト教、イスラム教の傲慢な「権力者の命令」よりむしろ、建材としての略奪が大きいと聞いて・・・なんともいえないです。
多くの古代遺跡の破壊の典型的なパターンは、
という過程だそうです。
結局、一権力者の命令より市場と欲望の力のほうが強いということでしょうか・・・。
電車内でイヤホンをつけて音楽を聴くのがなぜ迷惑なのか分かりました。
騒音が激しく、適度な音量にすると聞こえないからです。なんとかならないでしょうか?
脳に直接情報を入力するシステムさえできれば・・・もっとそれが欲しいのは聴覚障害者でしょう。
日本でオンブズマン制度などがうまく動かない理由は、それが天下りに支配されるか「市民」という名の共産主義勢力になるかだからでしょう。
外国ではどうなのでしょうか?日本人には職を離れ、イデオロギーに縛られない市民意識が存在しないからうまくいかない、ということでしょうか?
民主主義の要素に「任期が終わったら一市民に戻る」というのを加えると、現在の民主主義は純粋なものとは言えないです。
ほとんどの民主主義国で投票で選ばれる議員などの公職は職業化しており、任期が終わってもそう簡単に一市民には戻れません。
例外が三選禁止で任期が終わったら大学教授などとして公職から引くことが多いアメリカ大統領でしょうか?
あ、さらにいえば「任期が終わったら一市民に戻る」システムがあった古代ギリシャ、ローマでは公職の多くは無給でした。
それを考えると、現在の民主主義と古代の民主主義とは相当な質的違いがある・・・何を今更、ですね。直接民主主義と議会制民主主義はもう別物といっていいでしょう。
消しゴムのかすを練り固める遊びは誰でもやったと思います。
この固めたものは何かに使えないのでしょうか?防水性のある詰め物になるかもしれませんが、性能は保証できません。
他に・・・単純に消しゴムがわりにも使えますか。
住民基本台帳などに「国民総背番号制」と反対する声がマスコミでは多いです。
でも人権先進国のスゥエーデンに生年月日と四けたの数字による個人番号があるのです。
盗聴法案や有事法制でもそうですが、問題は政府に対する信頼の有無ではないでしょうか。
日本の政府が全面的に信頼できない存在なら、民主主義があるのだから政権交代をすればいいのに、どうしてもそれができません。
特に最大野党である民主党に支持が集まらないことに、マスコミの責任はないでしょうか?
日本政府が「児童売春・買春・ポルノ」「武力紛争における児童」の選択議定書に署名したそうです。
それがどれほど恐ろしい意味を持つのか、理解している人は少ないと思います・・・一見正義に見えます。でも、「児童買春・ポルノ」議定書は現在の児童ポルノ禁止法では対象外になっている「単純所持」「アニメ、マンガ」も禁止しています・・・日本のマンガ、アニメ、ゲーム産業は確実に壊滅します。
美少女コミック誌のみならず、「りぼん」「少年ジャンプ」など子供向きのマンガでも、解釈によっては児童の下着姿や裸体などポルノと解釈されそうなシーンは多いです。今店頭にあるマンガの三割以上が抵触するのでは?
そしてパソコンゲーム市場において、いかに内容としては「絵による児童ポルノ」に他ならないアダルトゲームが多いかは周知のことです。それがどれだけパソコンの需要を高めているかを考えると、その全面禁止は冗談抜きに秋葉原・・・日本のパソコン、ゲーム市場、文化を崩壊させかねません。
そして、コミックマーケットは開催自体できなくなる可能性が高いです。そこで取り引きされる膨大な本の相当部分はこの議定書の基準では児童ポルノなのですから。それは愛好者の邪悪な趣味の問題ではなく、同人誌関連印刷業、専門古書店という業界の崩壊、そしてコミックマーケットの「才能プール」の崩壊を意味しています。
これは日本の文化産業、文化にものすごく深い影響・・・おそらくは致命的な傷を与えることになります。
そして、改めて背筋が寒くなったのが96カ国がこの議定書に署名していることです。
それほど世界的な反児童ポルノの動きは強いもので、しかも・・・空想と現実の区別がついていないものだったとは。もちろん、本来それで取り締まろうとしている現実の児童に売春をさせることは最大の悪の一つですし、被写体として虐待し記録したものも存在自体が許されません。それがいかに、麻薬と並ぶ大きな問題になっているか、それは充分に理解しています。
でもそれは「武力紛争における児童」を同列に扱っていることから想像できますが、ほとんど法が機能していない、多くの子供が学校にも行けず奴隷状態にある世界のための議定書なのではないでしょうか。日本のように実写児童ポルノをほとんど見かけることがなく、反面大量のマンガ、アニメ、ゲームなど絵の児童ポルノと18歳以上制限が守られているアダルトビデオなど(その相当部分は18歳以上のモデルが児童を服装などで演じている)が氾濫している、しかも奴隷状態が比較的少ない先進国とは事情が異なるのでは?
空想を絵で表現しただけであるマンガ、アニメは別の問題ではないでしょうか。いかなる形でも児童の性を表現することは許さない、というのが正しいのでしょうか。邪悪なものでも、誰かに被害を与えていなければ表現していい、ただし判断力のない青少年の目には入らないよう配慮する・・・それでは不十分なのでしょうか?
もう一つ恐ろしいのが、この問題についてマスコミが全く無関心であることです。「個人情報保護法案」「人権擁護法案」などにはあれほど強い反キャンペーンが新聞雑誌問わずあるのに、この問題には全くの無関心でした。同じ流れにあるのは明らかなのに・・・
もう手遅れでしょうか。二年後の日本がどうなっているか、考えたくもないです。
そしてブラックマーケットの肥大化も心配です。
デファルト(債務不履行)、ハイパーインフレ、デノミ+新円切り替えなどについて具体的なシミュレーションに近い小説があると心の準備がしやすいかもしれません。
どれほど悲惨なことになるか、今から覚悟を決めておかないと。
中国にある日本の領事館に駆け込んだ人が中国の武装警察官に日本領内で連行される事件がありました。
主権とは何か、というのは、島国で陸にいる人はこのような事件がない限りあまり感じないものですね。
中国側の言葉を考えてみてください。襲う人に対して領事館の安全を守るためだからいい、それはペルーでの篭城事件を思い出しませんか?あれもまた、日本の主権があるはずの日本の外交施設にペルーの軍が強硬突入して解決しました。状況が違うのは確かですが確か日本の了解は得ていませんから、法的には同値だとするのも理解できます。
本来ペルーの事件は、日本が日本の特殊部隊を投入して解決するべき事態でした。
アメリカをはじめ日本以外の先進国ならそうしたはずです。
あの事件で他国の人に血を流させ、日本の主権を軽んじた報いが来た・・・そう言ってはならないでしょうか。
どれだけ日本に主権意識がないか、そのことで中国のみならず世界になめられているか痛感します。
古代中国には諸子百家という多様な思想があったにもかかわらず、その中に民主主義という考えは見られないようです。
民主主義・・・政治的に平等な市民層(本来のギリシャにおいては自由民男子)が「まず話し合う」「多数決」「緊急事態に対応するリーダーは多数決で選出、有限任期で終わったら一市民に戻る」という発想は、中国の歴史のどこにも見られません。
日本では室町時代にできた農村共同体に部分的に見られたようです。インド、イスラム圏についてはあったかなかったか分かりませんが、あった様子はありません。
やはりギリシャで一度出ただけの思想だったのでしょうか?
「利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス、邦訳紀伊國屋書店)」をもっと内容をわかりやすくして、同時に生物、遺伝学の基礎や統計学の考えを詳しく説明したやや長い序章をつけて小学校高学年から理解できるようにした版を作り、全ての子供の必読書にしたいものです。
他にも子供たちに絶対読んで欲しい科学者の書いた本は多くあります。「沈黙の春(レイチェル・カーソン、)」、「虹の解体(リチャード・ドーキンス)」「カール・セーガン科学と悪霊を語る」「宇宙創成はじめの三分間(スティーブン・ワインバーグ)」、・・・これらは内容をかなり簡単にしても・・・いや、何とかマンガにしても子供たちに読んで欲しいです。
核兵器がもっと昔の発明だったら、どうなっていたでしょう。
もしユダヤ戦争の時に核兵器があったら、エルサレムは無人の荒野と化していたでしょうか。
信長やナポレオンは使ったでしょうか。アレキサンダー大王やチンギス=ハンは世界帝国を完成させ、永続させていたでしょうか。
この間テレビで特別版を放映した「スターウオーズ」で気になったセリフですが、レイア姫の抑圧するとするほど民衆の反抗は強まる、という言葉に帝国側は星ごと吹き飛ばせるデス=スターがある以上誰も逆らうことはできない、と断言しました。
では専制君主が核兵器を持てば、その時点で永遠の(地獄ですが)安定が保証されるのでしょうか?
多分否です。核やデス=スターのような巨大無差別殺戮兵器は辺境の反乱を鎮めるのには有効かもしれませんが、首都や軍内部の暴動に使うのは痛手が大きすぎますし、宮廷闘争には役に立ちません。核のボタンを持つ独裁者も、親衛隊長の拳銃には無力です。
たとえ核兵器に加え「1984」の徹底監視洗脳システムを完成させたとしても、それをコントロールする上層部は人間のままですからどう扱うか難しいです。全てに成功しても、結局君主の寿命の後の後継者争いがあります。
たんす預金のせいで資金が回らず、不況が深刻化しているとのことです。
しかも、デフレでは現金の価値が上がりますから金持ちが現金の値上がりを見越して銀行の貸金庫にため込んで経済が壊れる瞬間を待っている、という人もいます。
なら五百万円以上の現金を使わず一ヶ月以上保有することに課税すればいいのでは?
とりあえず緊急処置として。
今のロシアは子供にどのような歴史教育をしているのでしょう。
日本のようにそれまでの歴史を根こそぎ否定し、だからこそと民主主義の価値を高らかに謳う教育でしょうか。
旧ソ連時代や帝政ロシア時代と、どちらも・・・まあ日本的な価値観で言うと地獄のような時代でしたから、日本的な発想ではそれらを根こそひ全否定し、スターリンの粛正をはじめどれほど邪悪で悲惨だったかをひたすら強調することになります。
いや、それともナポレオン、ヒトラーの侵略を生き延びたロシア民族の強さを強調し、少しでも愛国心を持たせるような教育をしているのでしょうか?
あ、ゴルバチョフやエリツィンについてはどのように語っているのでしょう。建国の英雄としてでしょうか?それとも国を分裂させ、貧困と混乱に落とし込むきっかけを作った戦犯としてでしょうか。それとも無視しているのでしょうか。
ソ連崩壊直後には、日本であったように教科書に墨を塗るようなこともあったのでしょうか。
現在の日本の不況について、「もう欲しいものがないから」という要因もあるようです。
多くの人がテレビと電話と洗濯機と・・・を持っていて、別にこれ以上欲しいものはない、それは本来素晴らしいことのはずです。
でも、皆がそれで満足してしまったら苦しくなる・・・つまり、いらないものをどんどん買ってまだ使えるものを捨てていかないと経済の歯車はうまく回らない。
それはおかしいのではないでしょうか。でも、経済成長がないと投資が焦げついて経済が回らなくなるのも理解できます。
ではどうすれば?理想は一人一人が満足できる生活物資があり、そして余った力を芸術や文化に回すことですが、文化芸術は生産力として新車のモデルチェンジほど高くなりません。
大規模公共事業は今や自然を破壊するだけです。宇宙開発に集中するのが一番望ましいのですが・・・コンセンサスは得られないでしょう。
昔のラテンアメリカなどで、「温情主義」という社会思想が資本主義、自由主義、社会主義と並んで存在していたそうです。
階級による貧富の差はあるのだからどうしようもない、それはそれで神が許しているこの世の秩序として肯定する。
ただし、人間としての尊厳は神によるものであり、現世でどんなに物質的に差があり、実質的に支配関係であっても平等である。
そして、階級が高く富める者は隣人でもある下層階級の労働者のためにできるだけの「温情」をかけて飢死はしないようにする。
現在の、平等が絶対視される民主主義から見るととんでもない話です。
でも、自由主義、資本主義が温情主義に勝った時、インディオをはじめ弱者が資本主義の論理で過酷に絞られることになったそうです。
今後日本でも貧富の差が広がり、それが新しい階級になっていく傾向があります。それは1000人に一人は成功するチャンスがあるかわり残りの999人は資本主義の冷酷な論理で搾取され抜く地獄なのでしょうか。
あ、サッチャー改革前の福祉国家イギリスも、もしかしたら一種の温情主義だったのかも。階級が厳然とありながら、労働者の福祉に力を注いでいたのですから。
ハリウッドで、聖書の全面映像化を考えた人は今まで誰もいないのでしょうか。
「十戒」(「プリンス・オブ・エジプト」も)「サムソンとデリラ」のように個々の名場面の映画はありますが、創世記からヨハネ黙示録まですべてを一貫して・・・一つのスタジオでやるのは不可能でしょうが、例えばアブラハムからヨハネまで(それだけでもエピソードの省略を認めないなら上映に丸一日はかかる超大作になります)はフォックス、エゼキエルとダニエルはディズニー、共観福音書はユニバーサル、大作を作る力がない中小スタジオは短い後期預言書や歴代志のそれぞれの王を一つやるなどと分担して、それこそハリウッド全体で。
詩編、雅歌、箴言、伝導の書は映像にはしにくいのですが、それはダビデのところで彼が朗読する形にしてもいいでしょう。
レビ記などの法や手紙や預言も難しいですが・・・それも何らかの方法が考えられるはずです。
映画には普通時間の制約がありますが、それを無視して何百、何千時間かかっても・・・ハリウッド全体が一丸となって取り組まなければならないでしょうし、資金など全てにおいてあまりにも困難ですが、もし完成したら「映画」の価値を一気に引き上げる上世界中の文盲の人に福音を届けることができます。
最大の問題は製作総指揮とイエス、マリア役は誰か、誰がどう監修するのかでしょうか。
単にアメリカプロテスタントの神学会が中心になるか、それともヴァチカンなどカソリックが中心になるか・・・同じアメリカのプロテスタントでもスタンフォードとイェールでは全然方針が違うでしょう。
そして、できたとしてもどういう形で配給するかが難しいでしょう。ぶっ通しで上映しても月単位の時間がかかるものを映画館でやるのは難しいです。
ビデオ、DVDシリーズの形で配信・・・しても全部見る人は少なく、採算が取れるのは出エジプトや福音書のような有名なシーンだけになりそうです。
ならそこの映画を作ればいいのかもしれませんが、それだけでは映画というジャンルはその可能性を全部出し切っていない気がするのです。
社会にダーウイニズムを応用して単純に考えると不思議なのが、多くの文明で食人がタブーであることです。
遠征で最も大変なのが食糧の補給です。
敵味方の戦死体、敵捕虜や敵地住民から容易に得られる人肉を食料にできるならその問題は簡単に解決します。
ならば食人の習慣がある文明のほうがない文明より、特に大河や砂漠など自然の障害物を隔てて対峙し、互いに遠征する場合には有利なはずです。
また戦争に限らず、飢餓時の食料としても幅がある分有利でしょう。
にもかかわらず、平時に食人の習慣がある文明はほとんどありません。中国文明において飢餓戦乱の時や奇抜な贅沢としてわずかに見られる程度です。