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31日

なぜ太閤記には「羽柴(豊臣)忍軍」についての言及がないのでしょう。

講談レベルの通俗的なものでも、秀吉配下の忍者についてはほとんど触れられていません。

秀吉は天下をもとった武将で、しかも調略などの情報戦を得意としています。
そのためには情報収集、情報操作、暗殺などをこなす忍者は普通の武将以上に必要だったはずです。

本来なら徳川家の伊賀服部家および裏柳生、北条氏の風魔、武田、上杉、真田十勇士など数々の伝説よりはるかに優れた忍者組織があってもおかしくないはずです。
そして、それが講談レベルで語り伝えられているはずです。

ではなぜそれがないのでしょうか?

秀吉が本当に忍者組織を持っていなかった、とも考えられます。
信長は忍者を嫌い、天正伊賀の乱で伊賀の忍者を根絶やしにしようとしたことは有名ですが、にもかかわらず天下に肉薄しています。
秀吉にとって信長は主君であり師でもあります。信長の生存中は要らぬ猜疑を招かないよう忍者を使わず、信長の死後天下を取る際も信長の忍者を使わないシステムを引き継いだ、と考えることもできます。

もう一つの、そしてより魅力的な仮説は・・・秀吉の忍者組織が極めて優秀で、一切名を残さなかったというものです。
だとしたらおそらく、秀長直属でその死と同時に解散したのでしょう。その後の情報不足と衰運もそれで理解できます。

また、普通イメージされる黒装束に手裏剣の忍者とは違う情報収集システムがあったのかもしれません。秀吉は蜂須賀小六などの野武士をうまく組織していましたが、彼らは忍者としても十分有能です。

そういえば、上にあげた徳川、武田、上杉、真田は古くからの土豪でもあります。
その代々の歴史が忍者組織の充実には必要だった・・・と考えるのは?
後北条は違いますが、それはうまく土着の忍者を手なずけたからでしょう。

30日

憲法九条をより平和主義を強める方向で改正;

第一項に自衛権の否定を追加、さらに第二項は

とし、世界で始めて、狩猟、警察用を含めた「一切銃器を持たない(作らない、持ち込ませない)国」を実現することは可能でしょうか。
もちろん対テロ部隊もなし。平和主義国家にテロやハイジャック、たてこもり犯罪などありえない・・・と本気で言いそうですね、彼らは。

狩猟はよくない趣味ですから禁止・・・となると、有害獣の駆除は・・・動物を有害と考える事自体人間中心主義で邪悪だ、となるのでしょうか。
まあ罠と弓矢、空気銃による狩猟は許可し、狼や豹などの大型肉食動物を移入すればいいのですが。

爆薬も全面禁止・・・したら鉱業などいくつかの産業は成り立ちません。
そういえばゆりかもめで爆破事件を起こした中学生、花火職人に弟子入りするとか建築や鉱業、または自衛隊で爆発物の取り扱いを学ぶとか、その興味を健全に伸ばすことはできなかったのでしょうか。
興味と才能は深い関係にあるのに。

29日

もし核兵器の開発がうまくいかなかったら、第二次世界大戦後のアメリカとソ連は人類滅亡による抑止がない以上どこかで全面戦争=第三次世界大戦になっていたでしょうか。
そうなっていたとしたら、どういう経過をたどったでしょう。

まずアメリカの戦略として、ヨーロッパへのソ連の陸路攻撃を前提にしていたはずです。

その時に中国がどうなっていたかも重要です。
中国がソ連と対立するようになる前なら、アジアでもソ連側は動きやすいはずです。
もし中国がソ連と対立していたら・・・資本帝国主義と社会主義の最終戦争ということでソ連につくか、それとも中立を守るか・・・

ソ連の日本侵攻はあったでしょうか?

28日

ポルノグラフィ、売買春が根絶されたとしたら、それまで踏みにじられていた女性および子供のセクシャル・ライツが保証される代わり、パートナーがいない者、単身赴任者及び児童性愛者はセクシャル・ライツの中の快楽追求権を侵害されることになります。

これはどうすればいいのでしょうか?解決策として、

  1. 個人の空想による自慰行為は許容する。
     1'そのファンタジーが強姦など相手の人格を踏みにじるものでない限り、空想による自慰行為を許容する。
  2. 幼児性愛者はどうにもならないが、パートナーがいない者は男女とも平等にポルノグラフィ、買春を享受できるものとする。
    ただし、その過程において被写体、売る側の性的自己決定権を徹底的に保護し、本人の自発的意志と欲求により、正当な報酬といつでも辞める権利を確保する。
  3. 直接の被害者がない文章、絵、アニメなどによる想像上のポルノグラフィーを許容する。
  4. (空想を含めた)禁欲を主に教育によって強要、犯罪に走らないよう社会的に監視する。
  5. 性欲抑制剤による治療を義務とする。

それぞれの問題点ですが、

1は実在する個人を対象とする空想の場合その対象者を、実在しない空想上の対象を想像した場合その対象(女性(男性)、児童)の性そのものを(そのファンタジーが強姦であってもなくても)自分に奉仕する存在とし、その性的自己決定権をある意味侵害している。
また、実際上空想のモデルを与えられなければ健全な想像が難しい可能性もある。

2はポルノグラフィ、売買春は本質的に性の商品化であり、平等にしてもその邪悪さは変わらない。

3は1、2参照。また性を商品化することには変わりない。

4を実行しようとしても、個人の内面である空想は管理できない。抑圧し、沈黙させるのが精一杯。
それ自体が深刻な人権侵害である。(女性は従来その状況に置かれてきた)
幼児性愛者は本質的に邪悪であり、セクシャル・ライツを含む人権は認められないと言う立場も特に被害者遺族からはあるだろう。

5人権侵害の問題がある。

もちろん幼児性愛者とパートナーがいない者などを同一視するのは問題ですが、ポルノグラフィー及び売買春を必要としているという面では一致しています。

27日

何かに緊張したときのおまじないを思いつきました。

「コーイヌール(またはホーブダイヤ、アフリカの星)をカットした職人の気持ちを考えてみろ」

史上最大最高のダイヤモンド、世界の至宝、コーイヌールをカットした職人・・・歴史上彼の緊張以上の緊張はなかったでしょう。あるとすれば離れの瞬間の那須与一でしょうか?

膨大な保険がかかっているとはいえもし失敗したら死刑ではすまない、なにより恐ろしいのは人類が生き続ける限り汚名を語り継がれることになります。
どれだけの時間、現在のセンスと未来の目まで考えて計画し、デザインし、何度も別のダイヤで練習を繰り返し・・・その時を迎えたのでしょう。
どんな気分でノミを輝く巨大なダイヤに当て、ハンマーを振り上げ、振り下ろしたのでしょう。
しかも一番緊張したのは始めの一発でしょうが、一度では終わりません。二度三度、何十何百も細かくカットし、正確に磨き上げ・・・それもどれ一つとして、髪一筋のミスすら許されないことには変わりありません。

それほどのことをやり遂げた職人はどんな人生をたどって、それほどの精神力を身につけたのでしょう。

26日

もしどの道日本経済の破綻が避けられないとしたら、現在マスコミや経済評論家が唱え、一応小泉首相が進めようとしている「構造改革」とマスコミでは悪役とされている「既得権維持」のどちらがひどい結果になるのでしょう。

既得権層を守り抜き、従来の比較的平等な統制社会を維持して財政のばらまきも続けてゆっくりと経済を縮小させ、財政破綻で倒れるほうが、現在の年間三万人以上の自殺者を出す改革の末に失敗するより痛みの総和は小さかった可能性もあります。

改革戦略は確かによいシナリオがあります。ただし、必ずしもそれにたどりつくとは限らないです。
逆に現状維持戦略はいいシナリオ(景気の従来型自然回復?)が見えにくいし、その可能性も低いのですが、悪いシナリオに行ったときに比較的痛みを弱者に集中させずに済む・・・ような気がする、というだけで実際には検討が必要ですね。
改革戦略の悪いシナリオは・・・考えてみるとぞっとするものです。

いいシナリオだけを比べるのではなく、悪いシナリオ同士も比べる必要はないでしょうか?

25日

真善美の一致は、人間の迷信ではないでしょうか。

例えば、人間の容姿の美とは進化の過程で生まれた、「生殖の相手としては奇形者を避ける」ことでは?
奇形や栄養不良を示す肉体的な欠点がない、健康な遺伝子と肉体の持ち主を生殖の相手にすることで、子孫もより健全な遺伝子を持ち、経済的にも豊かに育てられる期待が持てます。
その積み重ねが「美しい=健康な」人に惚れる(=生殖の相手に選ぶ)プログラムを進化によって作った、と考えられます。

ですが、それは現在の「善」である「平等」とは正面から衝突します。明白な遺伝子、身体障害、肉体に対する差別であり、悪に他なりません。

また、物理法則も「真」であり、数学的には「美」でもありますが、必ずしも「善」ではありません。

24日

女性の女性による女性のための宗教はありえないのでしょうか。

フェミニズムは理性的な分析、運動が中心で、超越者による干渉は想定も想像もしていないようです。

もし女性のための宗教があるとしたら・・・その神は決してエホバ、すなわちアブラハム・イザク・ヤコブ(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の神ではないでしょう。
エホバの神こそ家父長制、男性支配の究極の象徴だからです。

ではいかなる神が女性の神でしょうか。あるとすれば詩編に言及されているエホバの神に倒されたレビヤタンのような、男性中心主義宗教体系で悪魔とされている女性のための神が復活した、という形でしょうか。
または文明−自然を男性−女性に置き換えて、自然崇拝をジェンダー・フリーに換骨奪胎するのでしょうか?

考えてみると女性のための神話すらほとんど伝わっておらず、宗教を起こすための下地すらないです。
女性に大宗教並みの力と普遍性がある福音が降りるときは来るのでしょうか。
それとも、超越者に頼ることなく知性のみで男性社会と戦い続けていくのでしょうか。

いや、宗教、神秘、形而上と言う観念そのものが男性原理と・・・それはないです、現代の科学、唯物論のほうがむしろ男性原理に毒されていますから。

女性にとって祈り、信仰、瞑想などはいかなる価値を持つのでしょう。

また、フェミニストからの批判に対して、神学はいかなる答えが出せるでしょうか。
たとえばカール=バルトやカルヴァンなら?

23日

今もし、小泉首相が突然総辞職または急死、暗殺などで首相でなくなったら、次はどうなるのでしょう。

関心は解散の有無にばかり行っていますが、その可能性もいつでもあります。

22日

幼児性愛は児童ポルノ(およびそれを許容する文化)さえなくせばなくなるのでしょうか。

つまり同性愛のように人間の自然なものではなく人工的な、男性中心のポルノグラフィー文化の極限として生まれたにすぎないものなのでしょうか。

もしそうでないとしたら・・・

21日

物語で興味深いのは、「誰がどの情報を知っているか」です。

原則として作者は全ての情報を知っています。

推理小説においては、読者と探偵は基本的に犯人を知らず、犯人と作者だけが犯人を知っています。
ただし、読者と探偵は平行して同じ情報に触れつつ、どこかで探偵が犯人を推理、確信します。読者も同時に推理していますが、その結果は必ずしも同じではありません。

20日

後継者(まともで健康な長男)がいなかった偉大な英雄で、もしいたら歴史がどう変わったか興味深い人は多いです。

代表例は豊臣秀吉ですが、他にもアウグストゥスなど・・・あ、中国共産党が毛王朝にならなかったのも不思議ですね。
ヒトラーも確か子供はいませんでしたから、もしどこかでうまく講和してドイツ、オーストリア、フランスの一部程度の領土で政権を続けることができたら後継者はどうなっていたのでしょう。

逆に上杉謙信は実子がおらず、死後養子同士が内乱を起こしたにもかかわらず景勝がある程度有能だったのか、家は一応保てました。
考えてみるとシーザーもアウグストゥスも実子に恵まれず、結局は養子縁組が成功して政権を維持できています。

19日

僕がもしネットと出会っていなかったら、今どうしていたでしょう。

大学時代四年間一切触れることはなかったのですから、仕事で必要になるまでやらなくてもおかしくないです。
そして仕事で使うだけだったら、僕の性格から見て仕事中ネットにははまらないでしょう。

そうなっていたら・・・もちろん、他にも人生には無数の分岐があります。どれも想像はできるものの確かめることはできません。

そういえば僕は、昔はありえない未来を想像して楽しんでいましたが、逆に今はありえない過去を想像して楽しんでいますね・・・
どちらも不毛です。今日を生きるか、または実現性のある明日だけを考えるのが健康というものです。

18日

中国に日本は多額のODAなど経済援助をしていますが、中国はそれを軍事に使ってしかも日本に感謝するどころかODAについて国民に知らせることさえしていない、とのことです。
だからODAなど意味がないからやめろ、せめて外交カードとして使えという声もあります。

僕は、単に使い方を限定すればいいと思います。植林だけに使え、と。

今、特に黄河流域は深刻な水不足に悩んでいますし、黄河の上流域が砂漠化した結果日本まで飛ばされている黄砂の被害も大きいものです。

それは植林で解決する問題です。

もし解決できなければ、最悪の場合水不足による農業生産の減少から「誰が中国を養うのか」問題が爆発する・・・飢餓による社会不安から易姓革命という中国史のお約束が起き、しかも近代兵器の存在ゆえ歴史上の動乱期とは桁外れに悲惨な内乱になりかねません。
そうなったら日本も難民のために重大な被害を受けます。

中国に植林をさせてアジア地域の環境を改善し、沿岸部との賃金格差が広がっている内陸部の膨大な余剰労働力を活用して彼らの経済成長を助け、中国政府の不安を除きつつ今まで植林に費やしてきた予算を好きに使える・・・そして日本は大きな名誉を得て将来の不安を除く、誰も損はしません。

17日

現在、人類が手にしていない種類の技術がある気がします。
うまく表現できませんが、非常に広い範囲で低い密度の物質やエネルギーを利用しコントロールする技術、といえばいいのでしょうか。

例えば太陽光は非常に薄く、広範囲に降り注いでいます。全てまとめると膨大なエネルギーになりますが、拡散しすぎていて経済効率は悪いです。
海洋深層水も資源の量は膨大ですが、あまりにも広範囲に拡散しているため本気で利用しようとしたらとてつもない規模の施設を作る必要があり、採算が取れません。

二酸化炭素を地底に閉じ込めようという実験もありますが、大気中の二酸化炭素もどうしようもなく拡散しているため財政的に許される規模では大気組成にはほとんど影響を与えられません。
現在確かに二酸化炭素の増大は起きていますが、それも意図したものではない・・・あ、熱力学第二法則!

冷蔵庫を廃棄する際のフロンガス、火力発電の廃熱と二酸化炭素など部分的にエントロピーを減少させようとした結果外の系に吐き出す部分こそ環境に影響を与えています。

人間の文明とは逆に生物は、一つ一つは小さいですが数多く広範囲に広がることで有効に低密度の資源を利用し、結果的に人間の尺度から見ても大規模な大気組成の変化などを引き起こす力を持ちます。

自己増殖ナノマシンがその生物の働きのようなことを人工的にする技術の鍵になるでしょうか?

また、例えば「スターウオーズ」に出てくる大気中の水分を集めて農業などに使う凝結プラントも、砂漠であっても上空の水分はほとんど無尽蔵ですし使えそうです。

16日

子供が「神様は本当にいるの」と聞いたら、公立学校の教師はどうするべきなのでしょう。

15日

日本流の平和主義は、まず日本人全員が平和への意志を確かなものとすることを求めます。
そうすれば自衛隊も諜報機関も何もなくても世界平和は向こうからやって来る、と言わんばかりです。

僕はその考え方にふと、天皇制のより古い構造との共通点を感じました。

天皇がなぜ権力と武力を持たないかについて理想論としてですが、天皇は地上をそのような形で治める者ではなく、神の代理人、顕現として平和と気象などの平穏、そして一人一人の幸福を祈り、もしそれがかなわなかったら自らの不徳を反省してより一層深く祈るために存在する、とあります。

日本人がまとまって「祈れば」世界は平和になるし、逆に世界が平和でなくて近隣諸国が軍拡競争をしているのは日本人が心から平和を祈り、そのために動いていないからだ・・・それは日本全体が、世界のための天皇になろうということでは?

14日

考えてみると、人間の力は恐ろしいほど組織に依存しています。

例えば一人の人間がファンタジーでよくあるように異世界に飛ばされ、そこの戦いのために我々のこの世界の好きな兵器を召喚できる、としましょう。

でもそれだけでなにができるでしょう。個人ではせいぜいジープから携帯用対戦車ミサイルや重機関銃を使う程度です。

剣や槍しか持たない人間の軍相手ならどれくらいの人数と戦えるでしょうか?現実には機関銃は一分も連射したら銃身を交換しなければなりません。M2重機関銃の銃身交換は一人ではかなり困難、FN-MAGなら個人、数秒で可能ですが騎馬隊が相手では不安です。多銃身のミニガンを連射速度を遅くして撃つ、または一発一発が榴弾になる開発中のOCSWがいいでしょうか?
ドラゴンのような大型動物型魔物相手だったら携帯用対戦車ミサイル、無反動砲などがある程度使えるでしょうが・・・それほど圧倒的な力ではないです。

戦闘機や爆撃機、戦車などは召喚してマニュアルを読み、燃料や部品も召喚するとしても多数の人手がなければ整備できず、まず動きません。

そしてそれら近代兵器の本当の力は、大人数の組織でなければ決して発揮できません。

生産活動もまたしかり。いくらこの文明の産物を持っていくことができても、組織的に多人数で動かさなければろくに動きません。

逆に考えると、個人の力はほとんど変わっていないのに組織化されることによって巨大な力を産み出すことができる近代文明はすごい、とも言えます。

そう考えると個人の行動が中心になるファンタジーはかなりおかしいですね。人間には違いないはずなのに。

13日

天道是か非か。

大航海時代から続いた欧米諸国の帝国主義的侵略、戦後の新植民地主義という名の経済支配や代理戦争など暴虐の数々に対し、いつ本当の報いは来るのでしょう。

日本は原爆や東京大空襲が、イギリスに比べればわずかな植民地支配の天罰という見方があります。
ならはイギリスやスペインに加わるべき天罰はどれほどのものでしょうか。

天罰などないし天道などない、弱肉強食が全てだと考えるのは簡単ですが・・・

12日

あるマンガで、平和は何よりも尊い、国の誇りなどいらないという言葉を読んで考えさせられました。

僕も平和は大切だと思っています。でも絶対無条件に、としすぎるとかえって平和からは遠ざかると思います。

例えば誇りについてですが、誇りがないということは卑屈ということです。ご無理ごもっともで、相手の道理がどうだろうが強い者に従うということです。
すなわち日本人にいかなる誇りもなかったら、アメリカに某国を攻めるから平和主義を捨てて前線に立て、と言われたらご無理ごもっともで従うほかないです。
また、敗戦直後の日本人(特に支配層)が誇りを打ち砕かれていたからこそ、アメリカに再軍備しろと言われたときに平和憲法を押付けておきながら何を言いやがる、日本は平和を選ぶんだと叫べなかったのでしょう。

ただ、そのマンガで平和がなにより大事だと叫んだ政治家の姿は紛れもなく「誇り高く堂々とした」ものでした。

その誇り高い態度は何から出ているのか・・・彼にとっては、自らの戦争体験で痛感した平和への意志、平和憲法こそが誇りの源泉なのでしょう。

ではなぜ、今の日本人は誇りを持たないように見えるのでしょう。

僕には・・・それは今の日本が国への誇りを忘れさせる教育をしているからだ、という普通の意見も全部正しいとは思えません。
今の日本の教育の問題は、二つまたはそれ以上の矛盾した国を同時に教えているからではないでしょうか。

が考えられるのですが・・・

前に聞いたことがあるのですが、民俗学の研究では子育てに色々、たとえばかなり大きくなっても子供に乳房を吸わせる文化や立つ前から死ぬほどのスパルタ教育をする文化など色々ありますが、どれでも親がその伝統的な育て方で正しいと思っている限り子供は健康に育ちますが、近代的な教育を伝えられて親が自分のやってきたことを疑うようになると子供たちは価値喪失を起こし、精神病になるそうです。

つまり、どのような形でも一本化していればいいのでは?

日本国憲法は革命だったとして天皇制や封建文化を根こそぎ否定し、絶対平和主義、自由平等に徹してもいいし、逆に皇国史観でもいい、とにかく疑問の余地なく一つの価値観だけを押しつければ子供は誇り高く健康に育ち、その誇りは非暴力非服従の非武装中立主義にしても軍事力を使った相互抑止にしても平和につながる、と考えてはいけないでしょうか。

11日

たとえばアラレやアトムのように、人間と同じ大きさ、形で十万馬力やそれ以上の力があってもほとんど意味がないのでは?

握力も背筋力も全てクレーン以上としても、自動車を持ち運ぶのにも姿勢で無理が出そうですし過剰な握力でへこみをつけてしまい、商品輸送には役に立たないでしょう。
棒二本を持てばフォークリフトのように色々持ち上げることができますが、バランスで限度があるでしょうね。

まして巨大な岩を持ち上げようとしても、足の面積が狭すぎて地面に沈むだけでしょう。
持ち上がったとしてもせいぜい2m50cmぐらいで、それほど意味はありません。

走るにしても、どんなに力があっても一々飛び跳ねる「走る」動作では音速に達することは難しいでしょう。

10日

子供の教育として暗唱、暗記を見直そうという動きがあります。

僕も賛成ですが、暗記は出来不出来がありますし限界があるので、全員にやらせるなら一度または何度か回数を決め、内容が分かる分からないは抜きに音読及び筆写するのはどうでしょう。

例えば普通の教育では憲法以外の法律は学びませんが、とりあえず六法を音読してみたらどうなるでしょう。
頭のいい子は理解するでしょうし、そうでなくても少なくとも何をやったら捕まるかぐらいは分かると思います。

また、聖書の全文暗記は難しいですが、全文を一度音読するのは数時間でできることです。
そして新約聖書の英語版を書き写せば、かなりの重要単語のスペルを身につけられるのでは?

また論語を丁寧に筆写するのも、漢字学習と道徳教育の両面でものすごく有効でしょう。

9日

アフガニスタン、ソマリアなど群雄割拠状態の国は無理に近代国家にするより、一時的に幕藩体制のようなシステムを作り上げるべきでは?

つまり各軍閥の支配領域を州として認め、短期的には軍閥支配者に徴税、警察、最高裁判権を含む完全な自治権を与える。
ただし、将来的には各州が民主化できるよう各州に民主選挙議会と憲法は置く。

かつての江戸幕府のように中央は各支配者を転封、改易できる。また中央政府は軍事力では少なくともどの軍閥にも圧勝できる(米軍の協力)。
また各州に軍役や土木事業への協力を命ずることで間接的に国家予算を負担させることもできる。
そして外交と対外軍事だけは中央政府の専権事項とする。

これにはどんな問題があるでしょうか?無理に中央集権にしようとして反発と腐敗で戦乱が続くより、多分この方がいいでしょう。

少なくとも日本ではこのシステムで二百年以上平和が保たれたのですから・・・いや、それは天皇というシステムがあったからでしょうか?または地理的な孤立と中国の弱体化という地理、歴史的に特殊で幸運な条件があったから?

8日

現在の日本は一種の絶望感、閉塞感に覆われています。
ある意味幕末に近いのですが、不思議と草莽から激しい動きは出ていません。

では、もし今皇太子ご夫妻に男児が産まれたら、明治天皇が生まれたときのように人々が希望を託すよすがにはならないでしょうか?

実際にはどうなるのでしょう。何も起きないのか、それとも希望が生まれるのか・・・現在天皇という存在にどれだけの力があるのか。

僕は明治維新という歴史上の奇跡にとって、天皇というシステムは非常に大きい役割を果たしていたと思っています。

7日

近い将来日本が経済破綻することを前提に、「国民を餓死させない」事だけを考えればどんな手を打つべきでしょうか。

外貨による食料及び石油の輸入が見込めない状況で、一億二千万人を食べさせることはできるでしょうか?

考えられることはまず食料と水の配給制。あと暖房用燃料も必要でしょうか。
これだけでもものすごい非難を浴びることは間違いないですが、いくら市場は弱肉強食とはいえ貧乏人は餓死しろでは国の意味がないです。

そして、石油の輸入ができなくなったら化学肥料の生産も農業機械の運用も難しくなるので、日本にもある石炭である程度動かせるように工夫しつつ伝統的な有機農法をできるだけ復活させること。

食生活の大幅な変化・・・現在は魚介類、肉や鶏卵を産み出す飼料の相当部分を輸入に依存しているのでそれがなくても暮らせるよう、昔ながらの米と鯉や鮒、タニシ、ドジョウなど水田で取れる魚介類や沿岸でとれる魚で暮らすようにしなければならないでしょう。
現在の一億二千万人を支えられるかどうかは微妙ですが・・・

蛋白質の大幅な減少は避けられないですが、考えてみると江戸時代の日本人はその大半を味噌、豆腐、納豆などの大豆食品からとっていたはずです。

あ、そう考えると配給は米、味噌など大豆製品、いくつかの国内で自給できる野菜、いわしやさんまなどいわゆる大衆魚、そして塩と酒とタバコに限ってもいいかもしれません。
純粋な自給は難しそうですが、栄養を考えるとある程度の乳製品と鶏卵も必要でしょう。
それ以外の贅沢品は買ってもいいけれど、円が紙屑になったら外貨貯金をしていた金持ち以外は買えないよ、ということで。

6日

現在起きている人材のロスは、将来どんな形で帰って来るでしょう。

例えば今自殺している潰れた中小企業の経営者たちは皆経験豊富な社会人です。少なくとも一流大の新卒より実務能力は高いでしょう。それが失われることは社会にとって損失です。
そして学校を卒業しても就職できず、職能を身に付けることができない若者も人材不良債権として将来社会問題化するはずです。

前の大恐慌のときにも同じような問題があったのでしょうか?だとしたらその後は?

5日

最近ベストセラーになった「ホーキング、未来を語る」「エレガントな宇宙」など物理学(特に宇宙論と素粒子論)啓蒙書は、冒頭の二章以上を費やして相対性理論と量子力学のわかりやすいレクチャーをする宿命があります。
それぞれの著者の個性が出ていてそれはそれでとても面白いのですが、内容的には重複していると言ってもいいでしょう。

ならば、その「数学を使わない相対性理論、量子力学の解説」を一冊の本にまとめておき、物理学啓蒙書を書く際には冒頭に「尚、この本を読む前にその本を読んでおくように」とすればページの節約にならないでしょうか。

読者は誰もそんな指示には従わないでしょうか?第一、相対論と量子論の啓蒙書はもうとっくに腐るほどあります。

一番いいのはちゃんと数学を使って理解することなのですが・・・正直理学部物理学科でも卒業するまでにちゃんと理解するのに苦労しています。
中学卒レベル(今大半が高卒以上とはいえ、高校でほとんど数学と物理を学んでいない人も多いですね)からそこまでちゃんとたどり着ける教科書・・・はかなりの量になってしまいます。

4日

昔の日本人はブーツなしで、どうやって馬に乗っていたのでしょう。

鞍もくつわも鐙もかなり早い段階から使っていますが、考えてみるといつどんな経由で伝播し、なぜブーツだけが抜けたのでしょう。
そういえば僕は昔の中国人が何をはいていたかも知りません。

革の使用がタブー・・・ではないはず、日本でも鎧や馬具には皮革が使われています。
湿気が多く物が腐りやすい日本の風土に合わないからでしょうか?

3日

中学校の卒業アルバムは、一部ずつ警察に提出されているのでしょうか。

ほとんどの人は中学は出ます。そして、卒業アルバムにはそのほとんどの人の顔写真と住所氏名電話番号があります。
近郊のものだけでも調べられれば身元不明の変死者などの調査にはいい資料になるはずです。

全国的に卒業アルバムの顔写真と住所氏名電話番号に歯科治療の資料と何かあった場合には指紋を合わせてデータベース化すれば、相当強力なはずです。

2日

日本の政治はまず始めに「歴史問題(教科書、謝罪、従軍慰安婦、靖国神社・・・)」と「軍事(現状維持、自衛隊解体および安保破棄、憲法改正の三択)」についてきちんと議論し、はっきり国民投票で決めないと動けないのでは?

自民党及び政府はどっちつかずの御都合主義に徹しているため、左右どちらも不満を抱いているかわりに非現実的な行動はしていないため大きな破綻はないです。

いや、それも今までは通用してもこれからはきついのでは?

野党も、特に民主党の中に大きな分裂がありますし、野党が合同して政権交代を迫れない大きな理由になっています。

経済体制の問題はほとんど選択肢がないのですから、その後でも・・・どうしようもないものはどうしようもない可能性が大きいですが・・・

1日

いわゆる憎しみと暴力の連鎖を断ちきるにはどうすればいいのでしょう。

それこそ「ロミオとジュリエット」の時代からそれは身近で、そして事実上解決不可能な問題でした。

いや、それよりはるかに古くバビロニアの「目には目を、歯に歯を」ルールさえも果てしなく復讐が続く族戦(フェウド)をコントロールするためのものと言われています。
それがヒントになりそうですね。「個人的な復讐の禁止」→「復讐、処罰を公、政府が独占」することが解決策でしょうか。

現在のイスラエルとパレスチナの場合には?

残念ながら、イスラエルとパレスチナはモンティギュー家とキャピュレット家と違って家と家ではなく民族(国)と民族です。
家と家なら領主が(争いを止めることはできませんでしたが、悲劇の末に和解せよと判決を下すことはできました)両方に強制力で争いを止め、武装を解除することはできますが民族と民族、事実上国と国ではそれは無理です。

国際社会には国が家を武装解除して私的闘争を処罰できるほどの強制力はなく、しかも特にパレスチナ側は国際社会はユダヤ人の支配化にあると信じているため国連などは信頼されません。

アメリカさえその上位者にはなれませんでした・・・本質的には、アメリカはイスラエルという独立国と法的には対等であり、強制力を発揮できる権威がないためです。
すなわち言うことを聞かないからは国に対する家の場合武力行使の十分な理由になりますが、アメリカと他の国(特にアメリカ政財界に強い影響力を持つイスラエル)では通用しないからです。

独立国の自衛権が認められている限り誰もイスラエルの武装解除はできませんし、自爆テロを完全に止めることも・・・現状では許容できるいかなる手段を使っても不可能です。

ではどうすればいいのか。日本の言論界が言うように報復の連鎖をやめろと叫び、日本だけが暴力に荷担せず経済援助をすればどうにかなるとは到底思えません。