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30日

火山活動でまだ住民が帰島できない三宅島で、皮肉にも人間がいないために自然が急速に回復している、との報に一種の衝撃を受けています。

自然にとって一番いいのは人間がいなくなることだ、というみもふたもない真実を再確認してしまったからです。

たった二年間住民が避難しただけで珊瑚礁やウミガメが戻るなら、もし日本列島全体から人間が十年間いなくなればどれほど自然は回復するでしょう。まして百年間なら。
でも、日本列島全体から人間が避難しなければならない事態など考えたくもありません。

そして地球そのものから人類が何らかの致死率100%の伝染病で死滅したとしたら、地球の自然が回復するまでどれくらいですむのでしょう。
それは起きて欲しいことではないのですが。

最終的には人類は宇宙を住処にし、地球から出ていく方針が望ましいのですが・・・難しいでしょう。

29日

コピー&ペースト操作として、「入れ替え」と「番号付きクリップボード」がWindowsのメモ帳でできる標準操作でないのは不便です。

念のため説明しますと、入れ替えはある文章などAをコピーしておき、そのまま別の文章Bを陰影反転させて「入れ替え」操作をしたらBを切り取ってAを張り付け、しかもクリップボードの内容はBが保持されている、ということです。
それがドラッグ&ドロップでできても便利です。
まあ番号付きクリップボードがあれば、入れ替えは簡単にできるのですが。

28日

エニックスとスクエア合併の報には驚きました。
ゲーム市場の頂点、勝ち組同士の合併です。

今後「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」ブランドはどうなるのでしょう。
もしかしたらDQの中でFFワールドに行ったり、その逆など互いに交流できるかもしれません。夢の合作ソフトもありえます。

そして、考えてみるとエニックスは「ガンガン」などのコミックメディアも持っています。それはどういう動きになるのでしょう?ドラゴンクエスト「ロトの紋章」のようにファイナルファンタジーのコミック化もあるのでしょうか。

そしてゲーム業界全隊の再編が進むのかも興味深いです。
少子化による市場の成熟、開発費の高騰などの何問にこの合併が答えになるか・・・車のように強化されるか、それとも銀行のように硬直したまま肥大するだけか、楽しみと不安が入り交じっています。

27日

「自他ともに厳しい」という生き方は非常に賞賛されるものですし、僕も素晴らしいと思います。

でも、考えてみるとおかしいのです。もし、他ならぬ自分が「他人がそんなことをしたら絶交する」ようなことをうっかり、誤解に基づいて、善意であったが結果的に、または行きがかり上やむをえずしでかしてしまったらどうするのでしょう。

自他ともに厳しくある、ということは他人に対すると同じかそれ以上に厳しい裁きの基準を自分にも適用するということです。
となると自分は自分と絶交しなければなりません。自分と絶交するというのはどういうことでしょう。

まず考えられるのは自殺です。
でもそれは個人の倫理観ですが、自殺も絶対許さないなら?

ふと思いついたのは手塚治虫「ブッダ」にある、ある罪の罰として人間であることを捨て、生きながら畜生道に落ちる・・・服も着ない、言葉も話さない、目も潰して四つ足で歩き、手を使わず飲み食いする生活を生涯続けた仙人の話です。
考えてみると重度の引きこもりもそれに近いかもしれません。人との接触を断ち、食べて寝るだけの生なのですから。
もしかしたら、それらの人がそう落ち込んだのも自分を許せない、人間として人前に出る自信を失ったからかもしれません。
ただ、現実には引きこもりも親にとてつもない負担をかけていますし、親が働いている間の話です。
現実には自ら人間であることを捨て、畜生になることはできないのです。人間を捨てた、動物として扱ってくれと言っても本当にそうされる場はありえません。

では一生自分を責めさいなみながら生きればそれでいいのでしょうか。いや、それでは自分との絶交としては不十分です。
普通に生きるということは、就職にしても友達つきあいや恋愛、結婚にしても、「自分の品質保証」ができなければ・・・自分に厳しく、嘘を許さないならできないでしょう。人との接触をしないのは上と同じこと、不可能です。

失踪し、名前も経歴も家族知友も全て捨て、人格も根本的に変えて出直すのは?
いや、それも一種の欺まんです。いかに行動用式も何も全て変えようと、そこに生きているのは自分以外の何者でもありません。古い自分は死んだ、今ここにいるのは新しい別人だといっても遺伝子情報も記憶集合体や技術も全部同じです。
イメージチェンジも同様です。

結論を言いますと、「自他ともに厳しい」人は自殺しているか今まで一切決定的な間違いをしていないかです。

間違いはしているけれど自分を誤魔化しているなら、もちろん「自他ともに厳しい」とは程遠いです。

26日

政治、マスコミ論壇などの流れとして、左翼的潮流という形ではかつてのソ連や中国に従属しよう、という方向はありました。
でもそれは文明としてのロシア、中国に対してではなく、共産主義というイデオロギー、スターリンや毛沢東という指導者に対してです。
現在、政治、経済、軍事的にロシアや中国に従属しようとその利益を含めて主張しているのは寡聞にして見ません。

25日

アメリカ大統領が台湾独立に反対する発言をしたとのことです。
重大すぎて一体どんな影響になるか、計算もできません。
これで最終的には台湾は中国に吸収されることが決まった、アメリカは台湾を守り抜くつもりはないと判断していいのでしょうか。
そうなったときに中国の覇権はどれくらい大きくなるのでしょう。そして経済的には?

24日

日本の選択肢について昨日言いましたが、考えてみると日本は孤立できないです。

食料と燃料の自給力がない以上、アメリカからの食料輸入、アラブからの石油輸入のどちらを断たれても破滅です。
その状況で自立した軍事大国は幻想でしかありません。

それを考えるとアメリカに依存するしかない、軍事を肯定しつつ自立するのは始めから不可能なのでは。
特に孤立してアメリカ、中国の両方を敵に回すのは太平洋戦争同様、自殺です。
最低でもアメリカとのシーレーンは確保しなければなりません。

ただ、考えてみると石油を自給できないのは朝鮮、そして中国さえ同じです。
石油を自給できる大国などアメリカ、潜在的にはロシア、そしてイギリスぐらいです。
フランスなど石油を自給できない国もそれなりに軍事大国として動いていますから、ある程度はできるのでしょうが・・・

23日

ボジョレー・ヌーヴォーに皆舌鼓を打っていますが、考えてみるとボジョレー・ヌーヴォーとは単に「ボジョレーの新酒」というだけでは?つまり「新灘」のようなものです。

そう考えると、同じくシャンパーニュ・ヌーヴォーやシャトー・ディケム・ヌーヴォー、さらにカリフォルニア・ヌーヴォー・・・と世界のワイン産地の数だけあるはずです。それらはなぜ話題にならないのでしょう。
逆にボジョレーの何十年前の逸品、というのもあまり聞きませんね。

ボジョレー・ヌーヴォーで騒ぐのはワイン文化が浅い日本だけなのでしょうか、それとも世界中なのでしょうか。
本当にワインが好きな人は世界中のヌーヴォーを楽しみ、今年はスペインのどこそこがいいかななどと言っているのでしょうか。
そしてワインを生産している故郷を持つ、最も幸せなワイン好きは故里の新酒を心ゆくまで味わっているのでしょう。

22日

今後の日本は戦略的にアメリカの従属国として行動するか、または自立するか(自立にも軍備否定の平和主義と武装中立論があります)、そして(これを露骨に言う人は少ないのですが)中国やロシアに服従するか、選択しなければならない宿命があります。
ロシアは没落傾向にあり、極東方面への膨張傾向が現在見られないので無視するとしてもアメリカ帝国か中華帝国か、それとも自立かという選択を迫られることは避けられないでしょう。

考えてみるとそれは韓国も同じでは?

「文明の衝突」では朝鮮は儒教文明にあるため、中国に従属するだろうと予告されていましたが、現時点で韓国の現実の軍事としてはアメリカの同盟国です。
統一後も含め、最終的に朝鮮はアメリカにつくか中国につくか、孤立して自立するか日本と連合して自立するかなどの選択肢があります。

ただし日本と統一朝鮮、台湾が連合して中国に対抗しつつアメリカからも距離を置いて軍事的に自立することは不可能に思えます。南北問わず朝鮮人には(教育によるものだとしても)あまりにも強く日本への恨みがしみついていますから。

21日

最近はマンガなどでも「アメリカの傲慢なわがままさ」に対する反感が強まっているのを感じます。
ではそれをどうすればいいのでしょう。

アメリカではテロ以来、強い愛国と自分の正義に対する確信はますます強まっています。
中間選挙の結果を見てもその強さは明らかです。それが自然に変化するjことは望んでも無理でしょう。

日本人が日本の中で、いくらアメリカは暴君だと叫んでも向こうの耳には聞こえないでしょう。
なんとかアメリカに日本など外国が意見を訴えかけるチャンネルがあるといいのですが。

20日

こんな童話があったとしたら(類型を参考にしていますが僕の創作です)。

四人の兄弟がいた。

上の兄、アルは森に狩りに出て金色の鹿を追った。
金色の鹿は飛ぶように走り、アルは必死で追って気がつくと迷い、大きな城の前に立った。
その城には金の門があった。
アルは金の門から入り、広間に行くとそこは無人でごちそうが並んでいた。
腹が減っていたアルはテーブルに乗っていた食物を食べた。
すると眠くなり、金の寝台に寝てしまった。巨人が現れ、アルを食べてしまった。

二番目のペールも次の日狩りに出て、金色の鹿を追った。
金色の鹿は飛ぶように走り、ペールは必死で追って気がつくと迷い、例の城の前に立った。
その城には金の門と銀の門があった。
ペールは銀の門から入り、広間に行くとそこは無人でごちそうが並んでいた。
誰かいないかペールは叫んだが、誰も出てこず、小さなネズミが出てきて
「そのごちそうをたべてもいいけれど、私にも少し取ってください」
といった。ペールは
「だまれ、お前になんか何もやらないよ」
と叫び、フォークをネズミに投げつけて好きなだけ食べた。
すると眠くなり、銀の寝台に寝てしまった。巨人が現れ、ペールを食べてしまった。

三番目のカールもその次の日狩りに出て、子を連れた赤い鹿を追った。
赤い鹿は飛ぶように走り、カールは必死で追って気がつくと迷い、例の城の前に立った。
その城には金の門と銀の門があった。
カールが広間に行くと、やはり無人でごちそうが並んでいた。
食べようとしたカールに、ネズミが
「私にも少し取ってください」
といった。カールは
「だまれ、お前になんか何もやらないよ」
と叫び、フォークをネズミに投げつけておなかがはちきれるほど食べた。
すると眠くなり、銀の寝台に寝てしまった。巨人が現れ、カールを食べてしまった。

その次の日、のろまなハンスも狩りに出た。
そして子供を連れた赤い鹿を見たが、見逃した。
次に金色の鹿を見つけ、追ったが金色の鹿は飛ぶように走り、ハンスは気がつくと迷い、城を見つけた。
すると可愛らしい子供を連れた女性が現れ、錆びた針をくれて
「その城には金と銀の門がありますが、どちらからも入らず犬がくぐる鉄の門から入りなさい。そして広間にごちそうがありますが、それは食べずに台所の棚にあるかびたパンを食べなさい」
と言った。
ハンスは言われた通り犬がくぐる鉄の門をくぐり、広間を通りすぎて台所に行った。
するとネズミが出てきて
「私にも少し分けてください」
と言った。
ハンスは気前よくかびたパンをネズミに投げてやり、自分もかじった。
そのパンはかびてまずそうに見えたが、口に入れると甘いケーキになった。誰もそんなにおいしいケーキは食べたことがないだろう。
ハンスをネズミが金の寝台に案内すると、そこには広間の食事を食べた巨人が寝ていた。
「その針で巨人を刺しなさい」
とネズミが言ったので、ハンスはこわごわ巨人を刺した。そうしたら針はたちまちぴかぴか光る槍に変わり、巨人を貫いた。
長い咆哮の末、巨人は死んだ。
するとネズミはこの世の人とも思えないほど美しい乙女となり、金色の鹿は王に、赤い鹿とその小鹿は王妃と小さい王女になった。
ハンスは乙女と結婚し、城主として幸せに暮らした。もし彼らが死んでいないなら、今も生きているだろう。」

この話の不条理に気がついたでしょうか。

まず、アルには選択の余地がほとんどありません。もちろん銀の門から入り、ネズミに食物を分けてやることもできますが、それでも針がない以上辛いでしょう。
ペールがネズミに食べ物をやらなかったのも、常識から言って当然です。千人中999人がそうする道を行くことが間違った選択というのは過酷に過ぎるのでは?
カールはかなりのチャンスがあります。子連れを見逃していれば、気前よくしていればよかったのですが、それもまた普通の人間に求めるのは無理なことです。
それ以前に、末っ子でないという時点で失敗はほぼ確実なのです。

正しい選択をしたのはハンスですが、ハンスも始めに金色の鹿にあっていて、金の門を選んでいたらクリアのチャンスはありませんでした。

人生における、個人の選択の意味などその程度しかないのではないでしょうか。
生まれながらにかなりの部分が決まっていて、一見自由意志に思える選択も幼児期の体験(これも自分では選べません)に影響される性格に影響されます。
もっと愚かな、犯罪などの選択もその場の本人にとっては限りなく選択可能性が少ないと主観的には感じられるのでしょう。

そうなると自由意志とは何だろうかとも思いますが、選択の結果を予期できてしまっても選択の余地がないのと同様自由意志とは言えなくなります。

19日

グローバリズムによる貧富の差の拡大が懸念されていますが、単純に考えると不思議です。
ほとんどの人が貧しくなれば、経済は縮小するのでは?

つまり一万人が失業してドロップアウトすれば、車の需要(売り上げ)が一万台減るのでは。

死ぬほど働かないと飢え死にする状況に追いつめることで労働者の支配がしやすくなる、ということかもしれませんが、それはそれほど全体として得になるのでしょうか。
それともそれは、「神の見えざる手」の暴走でしかないのでしょうか。

それ以前に、世界全体で今車を買える人は増えているのでしょうか減っているのでしょうか。
アメリカと日本を合わせて車を持てる人が百万人減ったが中国では二百万人増えた、というなら世界全体としては経済が膨らんでいるのでは。

18日

もし宇宙人の人権審査委員会が地球を詳しく調査したら、地球は歴史上のどの時点よりも残酷な奴隷制社会だと断定するでしょう。
特に売春(性奴隷)、兵士、そして臓器提供者として家畜以下の状態におかれている子供の奴隷たちは考えたくもないほどの数です。

不思議なのは、なぜ日本人はそれについて無知無関心なのでしょうか。
まず真っ先に言える理由は、マスコミも「グローバルシステム」の構成者である以上、「グローバルシステム」を支えている奴隷についての反対運動は困るから報道しない、です。
でもそれはあまりにも単純すぎる考え方です。大書店や図書館、ネットには十分資料はあるのですから、知らせることが封殺されているわけでもありません。

やはりあまりにも嫌なことは知りたくないという心理でしょうか?それとも現在の豊かな生活がどれほど罪深いものかから目を背けたいからでしょうか。

そして、やはり人間が人間である限り、戦争と同じく奴隷制をなくすことなど不可能なのでしょうか。だとしたらとても悲しいことですが・・・

17日

人権を抑圧し、環境を破壊し、戦争をする国も政府と大企業の集合体であるグローバリズムも間違った上からの力であり、下からの市民の連合がその対抗者として平和で公平な世界を実現しうる、という論調が結構見られます。

しかし、「市民」、特に運動する市民に対して感じるいかがわしさ、特に左翼の気配は払拭できるのでしょうか。
政府=右もグローバリズムも市民=左も信用できないのではもうどうしようもありません。

それ以前に純粋な市民、というか大衆も人権を抑圧することはありますし、便利さなどを追求して環境破壊に手を貸していますし、戦争もします。
市民と大衆は違う、または大衆を教育して市民にしなければならない、という考えにも危険が感じられます。
確かに現実には政治的意識が高く、歴史、共同体の中の自分を自覚的、主体的に捉えている「市民」とそれがなく、自分の欲と習慣だけで生きている「大衆」はいるのですが、その二つの違いは二項対立ではなくより連続的なものだと思います。そして100%の市民も100%の大衆(=0%の市民)も普通は存在しません。

16日

とうとう経済政策の転換が始まるようです。
それも持てる力を一気に出し、きちんと転換の理由、方針、予測される最善、最も可能性が高い中間、そして最悪の結果も含めて説明、一度決断した以上断固実行するのではなく、小さな修正から小出しにする「兵力の逐次投入」とも言うべき最悪のやり方で。

それで「失われた十年」になったことから学んでいないのでしょうか。

いや、太平洋戦争において逐次投入癖のせいでどれだけ無駄な死者を出したか、最も優秀な人たちが分かっていないのでしょうか?
まあセンター入試(今政策を決めている人はもっと違う東大試験でしょうか)に戦史は出ない、ということかもしれませんが。

一度死んでいるのにまだ治らない、もうどうにもならないです。
これは指導者がどうこうではなく、組織文化の問題ですね。
それはどうしようもない、としか考えられないのですが・・・絶望には陥りたくないのですが。

別に構造改革路線を続けろとは言いませんが、構造改革路線の誤りを認めてどうすべきか明白なプランを示してからやって欲しいというだけのことです。

15日

イラクが大量破壊兵器の査察問題について、安保理決議を受諾しました。

悪く見ればアメリカは受け入れなければ戦争、受け入れたならでっち上げてでも戦争に持ち込む、とも思えます。

現在のアメリカの、強引なイラク潰し路線は国際的にも支持されていません。
どのようにして正当化できるのでしょうか。

対テロのためにアルカイダと手を結んでいるフセイン政権を打倒する、というのは単純すぎます。
反米という共通点があるので全くつながりがないとは限りませんが、全体としてはフセイン政権とイスラム原理主義者であるアルカイダは敵と言った方がいいです。

残虐な独裁者からイラク国民を解放するため、という大義名分は・・・確かに総選挙で100%という数字を見ると、どうしようもなく自由がない国だとは感じます。
イラク国民は反米、フセイン政権への忠誠で団結している、という報道も多いですが、自由がない状況での意思表示は信用できないのが本当のところです。
ただ、それだけ独裁体制が残虐でひどいということかもしれませんが、イラク国内に有効な反政府活動があまりないことが気になります。

そしてクルド人の処遇も気になるところです。北部イラクをクルド人の独立国にする、というのはトルコが強く反対しています。

14日

ケンタウルス型のロボットに不便があるとしたら、ケンタウルスははしごを登ったりフェンスを乗り越えたり木の枝から枝に飛び移ったりはできないことでしょうか。

でも介護用にしても戦闘用にしても、そこまで要求する必要はないでしょう。階段を登れれば十分です。
戦闘用で特殊部隊機能を要求するならロープ降下なども必要ですから、ケンタウルス型では無理ですが、普通の歩兵、斥候ならそれは必要ありません。

それにしても本当に四足、六足歩行は二足歩行より難しいのでしょうか?それが少し信じられません。
後ろが車輪、前足だけが足の折衷型はどうでしょうか?いや、あまり意味がないです。それなら四つの足に車輪がつき、車輪走行と歩行を切り替えられる形の方がまだいいです。

13日

デフレの恐ろしさについて色々言われていますが、経済が縮小するということは環境破壊も縮小するのでは?
環境という視点が全くないのはどうでしょうか。

ただ、不況だから環境破壊は減るということはなく、不況になると産業はより原始的になり、環境に対する配慮の余裕がなくなって環境破壊は好況の時よりひどい、ともいわれます。

本当はどうなのでしょう。そして、環境にとって最もよい経済のシナリオはどのようなものでしょうか。

12日

僕がアダルトビデオを見ない理由はつまらないからです。
成人して自分の部屋でビデオを見られるようになってからほんの数回見たことはありますが、期待に比べてあまりにつまらない、というより馬鹿馬鹿しくなりました。

ではどうすればいいのか自問してもよく分からないのが正直なところです。
どこが悪いのかもよくわかりません。少なくともレイプには嫌悪感と憎悪しか湧かないですし、男優が技術を誇示するのは馬鹿馬鹿しく思えます。
インタビューなども無駄に思えます。どうせポルノである以上、女性の体を商品として享受しているのですから。

11日

小泉改革、特に竹中氏の方針をこのまま続けては駄目だ、とマスコミ論壇の中で一種の合意ができつつあります。

しかし、考えてみると「一刻も早い構造改革」はまずマスコミ論壇の合意として求められ、それが世論を動かして最終的に小泉内閣の出現に結びついたのです。

確かに現状は、小泉首相以前の識者が求めていたシナリオともかなり異なります。当時は現在のような激しいデフレは想定外だったかも知れません。
それでも細かいことに目をつぶれば、マスコミ論壇が改革を求めて小泉政権が誕生したのにそれをまた潰そうとしている、という構図には変わりありません。

このままでは駄目だ、というマスコミ論壇の合意も、ある程度「どうすればいいか」についてデフレ対策を優先する、という方針は見えているものの、それを実行できる政治家については心当たりがないようです。

10日

解体も利用もできない「ザウス」の面白い利用法を思いつきました。

自転車(スケボーなども可)を持っていくか貸し出し、アメフトのような頑丈な最新素材の甲冑、特に頭、首、背骨の中枢はがちがちに固めたものをつけて滑り降りる。
下には発泡スチロールの小さい球が大量に積んであり、中にネットもあっていかなる衝撃も柔らかく受け止める。

自転車でノーブレーキなら最高時速どれくらいになるのでしょう。その最高時速をキャッチコピーにした究極のスリルと風、一度やってみたいです。

9日

名古屋刑務所での受刑者への暴行が事件となっています・・・が、ある意味今更です。

受刑者にも人権はある、という人もいますが、少なくとも最高裁判所の判決はそれを否定しています。
かといって拷問しても殺してもお上の勝手、というのはやはりいい状態ではないでしょう。

ただ、これが革手錠など拷問具の使用停止、懲罰房の廃止など受刑者の処遇改善の方向には行かないでしょう。
今のマスコミの関心もすぐになくなり、また忘れられた存在になると思います。
見たくないもの、穢れには目をむけず存在しないものとする日本人の習性、ですか。

8日

児童ポルノ法の改正として、「絵」を児童ポルノの定義に含め、単純所持も処罰の対象にすることに対しネットを中心に反対の動きがあります。

僕もその改正には反対ですが、絶望感もあります。
なぜなら、今もなおマスコミや政治の世界を強く支配している「左右」のどちらもこの改正には賛成せざるを得ないからです。

「左」側はフェミニズムを強く取り込んでいますし、世界的な良心、人権問題に敏感です。児童の権利を侵し、女子の性的自己決定権を損なっている児童ポルノと戦う、と言われれば賛成してしまうでしょう・・・言論、表現、性的嗜好の自由を無視してでも。
「右」側から見れば巷にあふれかえるロリコン文化・・・美少女ゲームやマンガ、アダルトビデオなどは「健全な常識」から見ると文化、伝統、美風、社会を破壊する邪悪で汚らわしいものであり、なんとしても浄化しなければならない心のガンとも言えるものでしょう。
どちらもよりよい世界を求める以上、ロリコン文化の氾濫を抑圧するのは当然です。そして「左」と「右」を合わせたものは、マスコミや政治の世界では事実上全部です。

第一・・・おそらく世界全市民投票にかけたら、「絵(マンガ、ゲーム、アニメ)による児童ポルノの流通、販売、所持を禁止する」は圧倒多数で可決されることは間違いありません。考えられる中でもっとも大差がつくアンケート項目でしょう。

ではその児童ポルノ法の強化に反対する者は?表現、言論の自由はともかく、本音では「自分たちの生まれ育った世界」を守ろうとしているのでは・・・思想的なバックボーンを作れるのか、危惧があります。
結果的にどうなるのか、予断を許さないものがありますが・・・マスコミ、世論の支援は期待できない以上、苦しいものがあるでしょう。

美少女ゲーム、コミックなど「アニメ絵ロリコンポルノ」文化を消費している青年層だけでは戦力不足ですが、アダルトビデオなどポルノグラフィーの消費者である「おじさん」層がどう動くかが鍵になるかもしれません。

7日

選挙はうさんくさいことだから、行かない方がいいという考えがあるようです。それも普通の人の「常識」に。

理由を聞くと、選挙の受付などをしているのはとてもいやらしい目で地域の一人一人を監視ししている嫌な人であり、彼らに顔を覚えられたくない、ということです。
選挙は確かに地域の力が大きいので、地域社会から背を向ける姿勢(核家族の自然な姿でもあります)は選挙に背を向けることになるようです。

現在の無党派層という名の「棄権層」には、既成政党に対する絶望感だけではなくそういう論理もあるのかもしれません。実に興味深いです。
日本の議会制民主主義の未来を考えるとしゃれにならないことなのですが。

6日

人間が人間である条件として、「トイレのしつけ」と「十戒」のどちらが重いでしょう。

数百人を残酷に殺した連続快楽殺人犯と、心は優しいけれどところかまわず大小便垂れ流しの人と、どちらが「人間」でしょうか。

トイレのしつけは十戒にも刑法にも事実上ありませんが、それができていない者を人間とは感じられないのが正直なところでは。

いや、肝心なことを忘れていました。十戒の多くは人間でなければ破れないです。人間以外に「木や金を刻んで拝む」ことはできません。
人間であることは前提で、それを罪人と義人に分けるのが十戒ですね。

罪は人間である事自体を否定するわけではない?でもあまりにひどい犯罪を見る時、我々は「犯人は人間ではない」と叫びます。
いくつかの犯罪に結びつく人格障害を構成する要素の一つ、他者に対する情けや良心がないということは人間ではない、と感じるのでしょうか。

5日

学校を見ると少子化の進行がいかに凄まじかったかよくわかります。
僕の世代は学校からあふれ、プレハブ校舎で学んでいたのにみるみるうちに使われない教室がいっぱい・・・

つまり、膨大な教師、校舎などの教育資源が余ったのでは?

その解決策としてやっておけばよかったことに、まず二十人学級があったはずです。
考えてみると生徒が半減しているのに二十人学級になっていないし、教師の過労も変わっていないのは不思議です。
まさか教師も半減しているとか・・・?

もう一つ、余った教育資源のできたかもしれない活用法を思いつきました。
もしこれをやっていたらどうなっていたでしょう。

アジア各地で知能は高いがやや貧しく高等教育の余裕がない子供たちを大量に・・・生徒の減った分ぐらい・・・選び、日本で学んでもらう。
もちろんその衣食住+教育は基本的に日本政府予算。

無茶苦茶な浪費に思えるかもしれませんが、その衣食住+それだけたくさん雇用される教師の生活と無駄工事のどちらがいい公共事業でしょうか。
しかも既存の校舎をその留学生と共有することで、そこで学ぶ生徒の視野が大幅に国際化します。

その教育はその留学生の故国の言葉、日本語、英語の三重で行いますが、高等科目は日本語にするのがいいでしょうか。
日本語で高等教育を受けた子供たちが日本に残ってくれれば少子化による労働力の減少を補うことになります。
もし彼らが故国に帰っても、高学歴で成功した親日層が生まれることになります。どんな外交より力になるでしょう。
これはアメリカがまさに今やっていることでもあります。

4日

保守的な論客、政治家の環境問題についての関心はどうなのでしょう。

環境、公害問題は革新、市民運動が中心に盛り立ててきたところがあるので、反発や無視したい感覚があるのでしょうか。
それともそれどころではない、人類や日本の山河の興廃に関わると危機感があるのでしょうか?

グリーンピースや「買ってはいけない」などの悪い面を告発する言説は見られるのですが、公害や森林破壊、地球温暖化などに対しては?

3日

RPGなどのファンタジーでは原則として銃火器は出さない、でも板金鎧などが一般的です。
本当はそれは大きな矛盾です。板金鎧は銃に対抗するために発達した防具ですから。

さらに言えば、レイピアと長剣など様々な時代の武器が同時に登場しているのも矛盾です。

それぞれの世界の歴史、特に技術史をよく考えなければならないでしょうが、あまり厳密すぎても面白みに欠けるかもしれません。

2日

巨人の松井選手がFA権行使、大リーグ挑戦を決断しました。

いや、もう決断という言葉はあてはまらない・・・移籍と言うべきでしょう。
野茂選手、そしてイチロー、新庄選手などの活躍を見れば全く通用しないで恥をさらすだけ、というリスクは事実上ないです。
それを考えると野茂選手の功績は限りなく大きいです。

しかし日本の野球少年の誰もが憧れる頂点中の頂点、「巨人の四番」よりも・・・四番に定着できるかどうか一抹の不安が残るメジャーを選ぶとは、すごい勇気にはちがいありません。
成功はほぼ確信していますが、想像以上の成功を収めて欲しいです。
日本で逃した三冠王をメジャーで取るくらいやらなければ巨人原理主義者は納得しないでしょう。

これでは日本球界がメジャーの二軍になる、と言われますが、それでいいではないですか。
長期的に見れば必ず日本球界にとってプラスになることもあるはずです。バスケットボールではヨーロッパのチームからどんどんNBAに選手たちが参加、活躍することによってなぜかヨーロッパの本国のバスケも盛んになり、シドニーオリンピックでUSAチームを脅かしたり世界選手権で(ベストメンバーではないですがトップクラスの現役NBA選手を含む)USAチームを破って優勝したりしています。
そういういい循環をもたらすためには、今メジャーで活躍している選手たちが日本に帰ってきた時に温かく迎え、そのまま日本でキャリアを全うしていたよりも高い地位を与えるべきでしょう。
何年か後にグラブを置いた野茂選手の「その後」が重要になると思います。アメリカでちゃんとアメリカのコーチ学を学び、現場でも経験を積んでから日本に帰って一流球団の監督、いや球界の重鎮としてそのアメリカンベースボールの技術、精神を日本に輸入してくれれば日本の野球は一気に発達する、と確信します。
日本球界が彼を受け入れるのは限りなく難しそうですが。
そして究極の夢として、オリンピックでメジャードリームチームを破ることさえ考えられます。そのチャンスを逃すことだけは許されません。
あと日本球界を建て直すには・・・まず外国人枠を取り払い、下位球団からドラフト指名権が来るようにし、なによりプロとアマチュアの断層をなくし、そして各中学、高校の野球部を無理矢理にでも近代化してスポーツ医学の専門家を配し、有望選手の将来を見据えたコーチングシステムにすることです。
どれを取っても不可能といわれそうですが。

そういえばふと、メジャーで頑張っている日本人選手を集めてメジャーの一球団を作れば面白いかな、とも思いましたが、それははっきりいって古い発想ですね。
それぞれの球団の中で、言葉や文化の壁を実力で突き破っているからこそメジャーの日本人選手は輝いているのです。松井選手も必ずやその輝きを見せてくれると期待していましょう。

1日

ファッションはどうやってもジェンダーフリーにはなりません。

女のスカート、男のズボンという体系をどうすれば破壊できるのでしょう。
女がスーツを着、男がドレスを着るだけではジェンダーを克服したとは言いがたいです。

もちろん洋装は世界的には一地方の服装にすぎず、和服、中国服など色々な体系がありますが、そのどれも性差が深く染み付いています。

機能だけで考えたらジャージや野戦服、作業服という男性原理の極地になってしまいますし、かといって貫頭衣のように原始を探るのも正解とは言えないでしょう。

また、オカルティズムのジェンダーフリーは完全に自己矛盾した言葉です。

自分の心身を含む世界の全てを男と女に分け、その統合でより大きな存在になるのがオカルティズムの本質なのですから。

逆にいかに「人間」というプログラムが骨の髄から男性原理、ジェンダーでできているかを読み取るには便利な言葉になりえます。
しかし、たとえば占いの体系をジェンダーフリーにすることはどう考えても不可能なのです。