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28日

あらゆるものなどに対し「批判」「脱構築」という手法を使うとき、そこには批判する側は正しいという前提があります。
より具体的には、「〜は差別固定に他ならない」「〜は結局は支配する側の論理である」などと断言する事自体に、「差別は解消されなければならない悪である」「支配は悪である」という前提、絶対的な善悪判断基準体系があります。

そして、その前提を深く追求すると多くの日本の論者から浮かんでくるのが「普遍原理」です。
それは日本国憲法前文の「国政は国民の厳粛な信託によるものであって〜」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」に見られます。
他にも全体として「自由、平等、友愛」「個人の尊重=個人を支配、圧殺する縦社会、男性原理からの解放」「貧富の差の解消」「非暴力、平和主義」「弱者尊重」「科学文明に対する反感、自然保護」などの理想を語っている、という感じです。

だからこそ僕は、批判するなら自分の批判がいかなる原理を前提としているのか、そして自分が理想とするのはどんな社会、文化なのかをはっきり表現して欲しいです。
できることなら「こうであればよかった歴史の過程」と「実現した理想社会における普通人の一生」をきっちり描いて欲しいです。
共産主義という正義を独占したシステムが崩壊し、ただの悪夢となった今だからこそ。

そして、その普遍という名で絶対視されている「正しさ」そのものも批判されるべきだと感じています。

例えば、本当に理想通り男女、能力、人種など一切の差別がなくなったとき、人間はアイデンティティーを保つことができるのでしょうか。
そして現在の人口のままで全ての人が豊かな生活をしたとき、果たして地球環境はもつのでしょうか。
人類または地球生命圏の長期的な生存のためには、世界の大半の人を貧困のままにするか強制的な産児制限など暴力的な人口削減かどちらかしかない、と結論が出たらどうするのでしょうか。

27日

すめらみことは戦いに 御自らはいでませぬ

有名な与謝野晶子「君死に給うなかれ」の一節です。
これはもちろん反戦の大きな根拠になっています…戦争は兵士や一般人が死ぬもので、偉い人は後方でぬくぬくと兵士の生き血でできたうまい汁を吸っている、と。

でも、もし天皇が戦争の最前線に御自ら出てきたら?
考えて背筋が寒くなりました。

士気は最高潮に高まり、誰一人として死を恐れることなく全員が肉弾三勇士となって敵陣に特攻するでしょう。
まず将校が天皇の盾となるべくどんどん前に出て、兵士もそれにつられて前進するでしょう…作戦も戦略も補給もなく。
前線にいる天皇のささいな一言が絶対的な作戦目的となり、しかもその伝達も混乱して指揮系統はしっちゃかめっちゃかになるでしょう。
誰も戦略的に情勢を分析し、退くべきところは退いて戦争を終わらせるタイミングを計ることなどできません。
休戦も停戦も撤退もできません。敵が降伏しても受け入れられないかもしれません。
どちらかの…まず間違いなく伸び切った戦線&補給戦を断ち切られたこちらの全滅があるのみです。

中国の故事に、ある名将の話があります…戦いで傷を負った兵の膿をその将軍自ら吸って治してやる、というものすごい情愛を示しました。
その兵の母親にその話をしたら、母親は泣き出しました…感激でではなく、悲しみで。
話を聞くと、その母親の夫で救われた兵の父親もその将軍の下で、同様に膿を吸ってもらって助かりました。そしてその恩に応えるために一歩も退かずに闘い、戦死しました。
息子も膿を吸ってもらったからには同様に死ぬだろう、夫を失い、息子も失って一人になってどう生きていけばいいのか…

単純ではないです。

26日

最近発見した古本の楽しみ:政治、経済評論系の古い本を見つけてその予測を見る。

五年前の本で今後五年はデフレが続く、と書いてある本を見つけたときには拍手したくなりましたし、逆に笑えるほど外しているのもありました。

それで評価するのが一番確実ですね、その手の論客は。

ただ、かく言うここの昔の文を見ると人の事は笑えません。精進精進、アンテナアンテナ。

25日

なんでもある百円ショップに、なぜ携帯電話ポウチだけはないのでしょう。
または携帯電話にクリップがあるかカラビナがついているかすればいいのに、なぜないのでしょう。

24日

強い供給力を持つ日本は食料自給力がないのにもかかわらず大量の食料を食べきれず捨てています。
逆に膨大な人口を抱えて様々なものに対する需要があるにもかかわらず、自動車やパソコンなど先端技術製品や情報を作り出し、供給する力を持たない後進国の貧困層には購買力はありません。

日本は需要不足に悩んでいますが、現状をより正確に言えば「金持ちは生活必需品をこれ以上必要としていない」「負け組は収入喪失や将来不安、借金で購買力が大きく下がっている」状態ですから、需要の一言で済ませるのは乱暴でしょう。
需要は購買力が伴わなければ意味がありません。

自分で何かを生産し、金を稼ぐ力がなくても世界中全ての人が一定の最低購買力を保証されていれば需要不足によるデフレなど起きないでしょう。
ただ、それは所詮社会主義の夢であり、機能しないでしょうししたらしたで今度は環境が破滅するでしょうが。

でもやはり・・・あまりある供給力を持ちながら世界全体では膨大な貧困層を持つ現在のシステムにはおかしさを感じます。

23日

日本人全員が白米の飯を食べられるようになったのはつい最近のことです。
高度成長以前は「白い米の飯」は庶民には夢でしかない贅沢でした。

今不況が続き、多くの家庭が失業と借金で困窮しているといわれます。また「白い米の飯」は特権階級以外口にできない時代が来るのでしょうか。

それでふと気がついたのですが、今「白い米の飯」が食べられなくなったらその下に何があるでしょう。
麦や雑穀を混ぜるにはそのほうが金がかかるぐらいです。
最も安いパン、インスタントラーメンのほうが金はかからずにすむでしょうか?
それとももっと安く惨めな生活がありえるでしょうか・・・小麦粉を水で練って味噌汁に入れるだけとか?

そして今後、豊かな層と貧しい層それぞれの食生活はどうなるでしょう。
安いハンバーガーや吉野屋の牛丼にサラリーマンは群がっている、と政治を非難する人もいますが、どちらもついこの間までの日本人にとっては夢のような贅沢です。
本質的な底上げはある…銀シャリは年に一度の贅沢、ということはない…ものの、貧しい層向けの安いものと豊かな層向けのグルメに分かれる…でしょうか。

そういえば千年以上夢見ていた白い米の飯をあっさり捨てる傾向もありますが、もったいないことです。

22日

奥付が1983年の本に「今は時代の転換期だから」という言葉を見ました。
転換期が二十年も続いて、まだ先が見えないとは。

でも、昭和も実際に「安保体制下の経済大国」という先が見えたのは転換期が始まってから大戦を経て三十年以上かかりました。
応仁の乱が終わって江戸時代になるまでは百年かかっています。そんなものかもしれません。
転換は一つの政治的改革で一瞬で終わるような錯覚を抱いていたのかもしれません…国民やマスコミの多くも含めて。

でも本当に転換期なのか、大きく変わるのかというと疑問符がつきます。

政権交代も一時的、確かに下位文化や生活は携帯電話、終身雇用の崩壊などで崩壊は感じますが本質的な変化は感じられません。
希望が見えていないから先が見えない閉塞感があるのでしょうか。それともまだ先が見えるには早い、崩壊期であるだけなのでしょうか。

あ、そういえば「転換期」と「閉塞感」は矛盾した言葉では?

21日

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」佐藤会長の「核武装」発言には驚きました。

その言葉だけを見ると、一つも間違いはありません。
日本が北朝鮮の一方的な核の脅威の下にあり、それゆえ拉致被害者を取り戻すための制裁すら発動できないのは主権国家としては紛れもなくおかしい状況です。
日米安保に頼り切ることも不安はありますし独立国としてはおかしいですから、将来的には自力で核武装し北朝鮮の核を抑止しよう、というのもそれはそれで納得できます。

ただ、日本における核アレルギーの強さを理解した上での発言でしょうか?
下手をすると左系メディアを全面的に敵に回し、「戦争をしたい反動」の走狗扱いをされる可能性もあります。
ワイドショーなどで煽られたフィーバーが大きな反動になり、石を投げられることにならないとも限りません。

また、核武装論に至る論理は一見正しいのですが、結論を見ると疑問を感じます。
日本は軍事、外交において徹頭徹尾アメリカの属国である、という現実を無視した論理遊びのような気がします。
アメリカが日本の核武装を許すはずはありません。
また中国や韓国、そして他の世界全部も強く反発するはずです。損が大きすぎます。

20日

貯金はいくらあれば十分でしょうか。

今職を失っても十分残りの一生を暮らせる金額?
それともまた職が見つかるまで、半年程度は生活できる額?
戦争などが起きたときに海外に逃げられる額?
欲しい家や車などを買える額?

19日

韓国での地下鉄放火には様々な意味で衝撃を受けました。

まず、地下鉄サリン事件よりはるかに被害が大きいことです。
思えば大変な危険を犯し、苦労してサリンを作った犯人の苦労はなんだったのでしょう。どこででも手に入るガソリンでサリンよりはるかに(犯人の立場から見て)効果的な攻撃ができるのですから。

そして、今までこの手をまったく思いつかなかったことです。
地下鉄サリン事件と、新宿バス放火事件を合わせて考えればこれほど有効な手はないことは容易に考えられたはずなのに。
恥ずかしいというか残念というか、逆に予測していなかった以上阻止も回避もできなかったことが恐ろしくてなりません。同様に、9.11テロの手法もまったく思いつきませんでした。

怖いのは模倣犯の出現です。
社会に対する不満を強く感じている、不景気で自殺に追いつめられている人たちがどうせならできるだけ多数の道連れを、と考えない保証はありません。
そして、テロリストにとっても大きなヒントです。多分ビンラディンはなぜ今までこんな簡単なことを思いつかなかったんだ、と膝を叩いているでしょう。
(北朝鮮工作員を含む)テロリストに恐ろしい武器がまた一つ渡ってしまいました。

そして、犯人の背景についてまだはっきりした情報はありませんが、それが韓国社会にどんな影響を与えるかも気になります。

18日

今世界中で起きている反戦運動は何か現実に影響するでしょうか。
もちろん平和主義を優先して報道する日本のメディアのフィルターがあるのかもしれません。
でもCNNのニュースでも報道されていますから、世界的に反戦運動があることは確かです。

アメリカに対する反感、正義とは思えない、露骨に石油利権を目的とした戦争である点などが反戦運動の理由でしょう。
でも、それでアメリカ大統領を止められるかどうか。
前から僕は今度のイラク攻撃を大阪の陣と比較していますが、やはり絶対強者であるアメリカが陣触れをしたら豊臣恩顧の大名も先頭に立って兵を出さなければならなかったのと同様、どの国も協力せざるを得ないのでしょうか。
それともフランスなどはあくまで兵を出さない選択ができるのでしょうか。
その中で反戦運動は力を持てるのでしょうか。

17日

政局を考えるには、常に今衆議院を解散されたらどうなるか考える必要があります。

そう考えていて気がついたのですが、なぜ去年の十月に解散しなかったのでしょう。
小泉首相は訪朝で支持率をかなり回復し、かつ左派政党が強い社会的非難を浴びていました。
さらに民主党が代表選挙とその論功行賞人事で致命的な状況にありました。
そこで解散していたら、自民党にとっては最善なら民主党が崩壊、社民党と共産党が消滅して圧倒多数の与党に対し分裂した弱小政党がいくつかあるという事実上の翼賛体制、最悪でも大幅に議席を伸ばして「国民の審判」という錦の御旗を得ることができたはずです。

いわゆる抵抗勢力が選挙で正統性を与えられた第二次小泉内閣を恐れたのでしょうか?
でも現実には小泉首相は選挙での正統性があっても現在以上のことはできなかったでしょう。
一体なぜ絶好の好機を見逃したのか…

そして戻って、もし今解散されたら?

16日

今、日本人のリスクに対する感性はどうなっているのでしょう。
本来なら時代の転換期である以上、果敢に挑まなければならないはずです。

でも現実には新規起業数は廃業数を大きく下回っています。
政権交代が結局ないのも、有権者の意識の保守性をうかがわせます。

結局変われないまま滅びていくのでしょうか。

15日

バスケットボールやバレーボールなど、身長が極端に影響するスポーツはいっそ身長別にしたほうがいいのでは?
160cmの男子はバスケができない(現実に試合に出る機会は皆無でしょう)、というのは間違ってると思います。

あ、大相撲もその点は同じでは。柔道のような体重別にしたほうが無理な増量による怪我も防げますし、スポーツとしての幅も広がるでしょう。

14日

刑務所で行われた酸鼻を極める拷問虐殺が奇跡的に明るみに出ました。

でも不思議なのは、なぜ刑務所はその残虐な実体を公開しないのでしょう。隠しては犯罪抑止にはなりません。
政府自体が口では厳しくしかるべく処置を取る、といいつつ決して処遇を改めず責任者をごく軽い処分に留めて残虐行為を放置する姿勢を保ち、その残虐行為を積極的に公開すれば高い犯罪抑止効果を持つのではないでしょうか。
心配なのは人権団体と外国の非難だけです。

13日

宇宙の謎が大きく解き明かされました。

でも謎が増えただけです。ダークマターでさえ一部でしかない、宇宙を平坦に保つ圧倒的な宇宙定数とは?
そしてダークマターの正体は?
宇宙を一瞬で平坦にしたインフレーションのメカニズムは?
何より宇宙の年齢より古いといわれる星団の問題は?

12日

建国記念日ほど反対論が多い祝日も珍しいです。

本来日本の「建国記念日」はいつでしょうか。明治維新?サンフランシスコ平和条約?それともポツダム宣言受諾?ただ、独立記念日がはっきりしているアメリカのように何年何月何日と決めにくいのは確かです。
紀元節=神武天皇の即位日にはいかなる証拠もない、というのはその通りです。

11日

山の中で亡くなっていた二人は、ただ二つの装備と簡単な言葉があれば助かってた可能性が高いです。
もちろん他殺でなければですが。

ホイッスルと、アルミを蒸着させた大人がすっぽり入れる大きさのビニール袋。
ホイッスルは首から下げることができ、袋も畳めばポケットに入ります。
叫んでも体力を消費するだけですが、ホイッスルならそれほど体力を消費せずかなり遠くまで音が届きます。
アルミ蒸着ビニール袋に入ってしまえば、窒息しないよう注意が必要ですが水と風を防ぎ、放射熱を反射して毛布以上の保温能力があります。何とかしばらくは凍死せずにすむでしょう。
はぐれたらうかつに動かず、その場で袋に入って体温を保ち、ホイッスルを鳴らし続けるよう教えておけば。

それにLEDを使った長寿命ライトがあれば、それで光を得て安心しつつ夜に位置を知らせることもできたはずです。
もちろんナイフとライターなどがあればもっといいのですが、あの年齢では正しく使うのは難しいでしょう。まして雪の中的確にたき火をし、体を温めるのは簡単ではありません。

誰もが最低限のサバイバルキットをいつも持ち、そして生き延びるための知識を持っていることの必要性を痛感しました。

10日

どんな文明でも、物理法則だけが同じ異星人の文明でも数学だけは同じはず、と考えていましたが、肝心なことを忘れていました。
それで同じなのは本当に基本的な構造だけです。表現する仕方は全然違うはずです。

指が六本であれば当然十二進法、三本なら三進法か六進法でしょう。
さらにゼロの概念がないまま高レベルの文明を育てていたかもしれません・・・古代ローマ帝国にはゼロの概念はありませんでした。
そしてゼロの概念ができてからも、数の表現方法は違ったのでは?たまたまアルファベットを使うアラビアからヨーロッパで数学は進歩したから現在の表現方法を使っているだけです。
難解ではありますが、西洋とは無関係に漢字を基礎とした日本でも和算でも高度な数学を発達させていますし、中国で発達していてもおかしくありませんでした。

考えられるあらゆる算数の表現方法を統一的に扱える数学体系・・・
そして、子供の教育として自分で算数の表現形式を考えさせるのもいいかもしれませんね。本当に理解していればできるはずです。

9日

「疑わしきは罰せず」が近代法の原則ですが、もし「疑わしきは罰する」であれば?

もちろん無数の冤罪が出る、酷薄な制度ではありますが皆疑われることもないよう「李下に冠を正さず」を徹底し、また密告もされないよう人間関係にも気を遣うでしょう。

もちろん僕個人はとても嫌です。

でも考えて見ると、世間の噂と企業の解雇は「疑わしきは罰する」です。
むしろそのほうが自然かもしれません・・・法の下にあって法以上の権威がそれにありますから。

8日

イラクが戦争を回避し、生き延びるための意外な手段を思いつきました。

戦争放棄、通常戦力を含む完全武装解除を自分から宣言する。
そこまでやればいくらアメリカでも開戦には踏み切れないでしょう。

そういえば、アメリカはイラクを解放(占領、フセイン政権抹殺)してからGHQが日本でやったと同様に民主主義を根づかせる努力をするそうですが、新憲法には日本国憲法同様戦争放棄、軍隊否定条項が入るのでしょうか。
しかも、冷戦ゆえ自衛隊を作らざるを得なかった日本とは違い、本気で非武装が可能では・・・もちろん米軍の駐留は必要ですが。

7日

政治家もマスコミも、アメリカのイラク攻撃に対してなぜ「国家安康、君臣豊楽」の一言を使わないのでしょう。
その無理押しを理解するにはそれが一番なのに・・・そして、無理だからこそ現在の日本にはせいぜい忠節に励む以外の選択肢がないことも伝わるでしょう。

そういえば、こうして口実として使われた以上江戸時代を通じて国家安康と君臣豊楽の二つの言葉は絶対のタブーだったのでしょうか。
例えば家継以降「家中正継」というような、似たようなことになる文字の組み合わせも?

6日

子供に校則に従い、制服を着るよう教える手段として「学校では石橋知解はお休みして、一年三組21番になる」という言い方もあると思います。
場所によって自分を変える・・・本当の自分は外で出せばよく、従うことを求められる場所では従うように、というのも一つの知恵です。

ただ、校則の中にはプライベートも厳しく拘束し、外に個人的に出るときも服装制限などを課すことがあります。
それは・・・上の論法で行けば、少なくとも在学中は石橋知解という名前、個性は忘れて学校でも家でも街でも寝ても醒めても一年三組21番であり続けなければならないのでしょうか?
もちろん生徒としての自覚、責任を常に持つことは必要かもしれませんが、プライベートの感性を完全に忘れろというのも酷です。
実質的なプライベートが存在しない軍隊や刑務所なら出るまで石橋知解を忘れて常に認識番号D-18387であれ、というのもわかるのですが。

そして・・・そうして名前の自分を封じられていると、卒業(退役、出所)したときには名前の自分は忘れられ、死んでいたということにはならないでしょうか。

もっと管理する側にとって望ましいのは、自分から心から望んでその規則に従うことですが・・・それは無理というものでしょう。

5日

明治日本文明は全面的に否定されるべきものでしょうか?
特に靖国神社を中心とする国家神道に対する攻撃として、それは本来の神道とは違う、近代化のための人工的な一神教だということが多いです。

では逆に肯定すべき伝統とはどこにあるのでしょう。江戸時代なら正当なのでしょうか。
いや、武士道の殺伐とした心は日本人の心ではない、平安時代の雅ともののあはれこそ・・・いや、平安も・・・とマイナス面を言いたて、縄文時代に至るのは不毛でしょう。

4日

死後の世界があるとして、恐ろしいのは天国にしても地獄にしてもなにも選択できないであろうことです。

我々は今選択することができます。
今の選択が天国か地獄に関わるかは神学的には色々あるので複雑ですが、少なくとも現世での未来の多くは今の選択で変わります。

ですが、死んでしまえば地獄でどんなに後悔しても二度と悪事をしないと誓っても無駄であることと同様、天国も一度行ってしまったら出られない・・・どころか出ようとも思わないのでしょう。
第二の生がそのようなものであれば、それは生といえるのでしょうか。
虚無と質的には変わらない気がします。
しかもそれは永遠です。地獄では自殺で逃げることもできません。

ですが、現世での生でも我々はどれだけ選択しているでしょうか・・・善人であること、悪人であることは選びようがない気もします。
行動として自己犠牲、慈善、法の遵守などの善行はできますが、内の底から「善」であるか「偽善」であるか「悪」であるかは自分でも分からないこともあります・・・それは意志によって選択できるものではないでしょう。

まして自分が善人であること、善行を行えたことは恩寵でしかないとしたら・・・

3日

またもスペースシャトルが爆発、乗員全員死亡の悲劇が!

少なくともスペースシャトルはこれで息の根を止められたでしょう。
それが有人宇宙探査の終わりになる可能性が非常に高いのが心配、というか身を裂かれるような気分です。

考えてみると、僕が覚えている限り・・・二十年以上もスペースシャトルは使い続けられてきました。
コンコルド同様、進歩から取り残されたように古いシステムが続いてきた・・・とっくに限界は超えていたのでしょう。
でも費用などの面でどうしても次が実現しない、なんとかしてくれと叫びたくもなります。

人類は月に行って以来、地球周回軌道から出ることもしていないです。
そして、宇宙に行くのもやめるのでしょうか。
人類の存在価値は、生態学的地位は宇宙にしかないのに!
深海にも高山にも地下深くにも生物はいます。でも宇宙に進出できるのは人類だけです。生物がどう進化しても宇宙には行けないのですから。
だからこそ、人類は将来宇宙を住処にすべきなのです。
地球は他の生物、自然のために残して宇宙で暮らし、場合によっては数億年後に起きるといわれる地球生命圏の破綻の後も生命の緒を太陽系に、そして外宇宙に残すために・・・そのために人類は知性と技術を得たと僕は考えています。
違うのでしょうか?宇宙は人類が行くべき場所ではないのでしょうか。新たな海、フロンティアではないのでしょうか!

2日

江戸時代にはかなりの日本人は「奉公」に出ていました。
ティーンエイジの大半を親元を離れ、薮入り以外には帰るどころか連絡を取ることなく、もちろん休日もなく上位者には絶対服従の集団生活で働くのが当然でした。

薮入り以外休日がないのが当たり前、現在土日休みが当たり前なのは西洋暦が入って以来というのも興味深いですが、奉公の文化そのものも面白いです。
奉公と無縁なのは士農工商のうちの士と農で、特に商のほとんどは男女問わず(女子も女中奉公で礼儀を身につけることが多かったようです)奉公が当たり前だったようです。

これが気になったのは、最近大相撲に新弟子がこないのは「特異な社会」だから、という議論と、住み込みという仕事文化についての興味です。
その生き方は昔の、少なくともある階層にとっては普遍的でした・・・

一定期間親元を離れ、住み込みで働くことは教育面から見るとどうなのでしょうか。
甘えを断ち切り、社会性と同時に仕事まで身につけるという意味ではよさそうに思えますが・・・
徴兵がある国では兵役がそれに近い意味を持つのかもしれません。

1日

現在闇金融など高利貸のためにすべてを奪われ、没落する中産階級が多いです。

それは明治時代、農民が高利の借金によって土地を奪われ、没落して小作人または都市下層労働者となって地主社会+資本主義の成立につながった歴史に似ているます。
現在も同様に中産階級が大規模に没落し、社会構造が変化しているのではないか、と前から考えてきました。

ただ少しその具体的な姿を考えてみますと、違いも多く見られます。

明治時代の農民の没落は、借金のかたは「農地」と「労働力」のセットです。
その二つはほとんどそれだけで、農業によって富を生み出します。地主はその富を収奪すればよいのです。
ですが、現在高利貸に苦しんでいるしている都市中産階級は?

具体的には「サラリーマン=企業労働者」と「中小企業:町工場、商店などのオーナー」です。

前者が持つものは労働力(給料・・・リストラされなければ)と家の土地、その他財産です。
莫大な借金を負わせることで、高利貸側はその三つを手に入れることはできます。でもそれは何になるでしょう。
給料を継続的に差し押さえ続けることはできます。
それは性質上、比較的小額の金が定期的に入ってくることになります。
ただし、借金で破滅している人の場合リストラ対象になることも多いですから不安定です。失職すれば一文も出てこないです。
家の土地を手に入れても、農地のようにそれ自体が富を生み続けることはありません。
現在は地価が下がり続けているため、それ自体がしばらく待てば高くなることもありえません。
資本を投下して店などを作っても、住宅地にある小さい店などは斜陽産業であり、それほど富を生み出しません。
家としてそのまま売っても、相対的な価値は大きく下がっています・・・闇金融の比較的少ない借金額なら十分かもしれませんが。現在地価が下がり続けているのは担保の家をたたき売りしているからとも言われています。
駐車場にしておき、ハイパーインフレで価値が出るのを待つとしたらそれまで無駄な税金を払い続けることになります。
その他財産はしょせん二束三文です。貯金があれば始めから借金などしないです。見せしめにしかなりません。

後者が持つものは工場や商店など資本でもある土地、それと強く結びついた労働力、そしてその他財産です。
工場や商店などを労働者ごと差し押さえても、町工場、商店街のような小さい商店ともにそれだけで利益を上げ続けることができないからこそ破滅するほどの借金をしたのです・・・もう金を生み出すことはありません。
他の用途に使うとしたら、上の土地についての議論がそのままです。
労働力についてですが、その工場や商店が立ち行かなくなった時点でその労働力も価値を失っています。
別の仕事をさせて給料を絞ることはできるかもしれませんが、不安定であることは変わりありません。
その他の財産はやはり、商店の商品や工場の機械など資本を含めても大した価値はありません。

つまり・・・都市中産階級を没落させ、全てを収奪しても「農地+小作人」のように安定した収益を出し続けることは難しいようです。

没落した人々も、多くはリストラされて収奪されるものもなくなりますから地主と小作人のように安定した主従関係にはなりにくいのでは。

富は産み出し続けているけれど、税などの必要のために借金を負い、事実上身柄ごと手放すことになった明治時代の農地とは微妙な違いがあります・・・それが一体何を意味しているのか。