枕元の計算用紙
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アメリカの対イラク戦争に反対するフランス始め各国が、大量破壊兵器テロ対策でどんな対案を出したのか聞いていません。
シラク大統領ら、アメリカに反対する人の演説をもっと詳しく読むべきでした。
まあこの戦争はもう対テロ戦争でもなんでもない、アメリカは大量破壊兵器テロには関心がないのかもしれませんが。
そういえば不思議なのが、なぜ今まで国際テロ組織による大規模な大量破壊兵器テロは起きていないのでしょう。
テロリストがまだ大量破壊兵器を手に入れていないのか、それとも持っているけれどやっていないのか。
手に入れる意志と資金があって手に入らない、というのはオウム真理教のケースを考えるとありえない気がします。国際テロ組織にはオウム真理教以上の資金力、組織力はあるのですから。
持っているけれどやっていないなら、放っておいても心配はないし、この戦争が本来使う気がなかった毒ガスを使わせるきっかけになるかもしれない、という見方もできます。
統一地方選挙の公約が並びましたが、残念ながら第三次エネルギー革命…エネルギーの中心を石油から水素とし、太陽光発電と水素を使う燃料電池を普及させることに触れているところはぱっと見た限りではありませんでした。
北海道知事候補でサハリンを通るシベリアからの天然ガスパイプラインに触れている人はいましたが…それは将来のアジアにおいて、現行の燃料としても水素としても重要なインフラになり得ますが、とりあえずは従来型火力発電を前提にしてでしょうか?
でも、例えば東京都知事選で八年以内に東京の車は水素エンジン、燃料電池、電気自動車のどれかしか認めないというのは聞いていません。
戦争や経済にばかり気を取られて、文明の未来像が見えないのは危険ではないでしょうか。
ついに「満月をさがして(りぼん連載)」「東京ミュウミュウ(なかよし)」「ミルモでポン!(ちゃお)」の三誌競演が最終回を迎えます。
延長が決まったのはアニメ雑誌やコミックマーケットにおける完全無視にも構わず、正統派の子供向けに徹した「ミルモ」だけでした。
「満月」は強力な裏番組にもかかわらず、かなり健闘しました。
その後番組は立てず、「ウルトラマニアック」は衛星多チャンネル…りぼんは地上波から事実上撤退します。
アニメにできる作品、作家に恵まれていないこともありますが、メディアミックスに頼る必要はないのかもしれません。
最近の作家起用はアニメ化をあまり考えず、時代に順応した鋭い感性を磨くことに徹しているようです。
なかよしは「ミュウミュウ」の後番組に共通点が多い「ぴちぴちピッチ」をスタートさせます。
今回大成功はしなかった、原作者をつけて企画先行、美少女キャラを多数使う「人工的セーラームーン」戦略を繰り返すのは個人的には賢明とは思いませんが…他に戦略を知らないのか、それともそれが一番結局は儲かるのか。
三誌三様の特徴があり、面白さがあって一年間楽しませてもらいました。
そして、正統派が一番強いことを再確認したのがなんだか嬉しいです。
ついに腕時計型携帯電話ができたそうです。
若い男性のほとんどは戦隊ものなどで腕時計型テレビ電話に小さい頃から慣れ親しみ、実現を心待ちにしてきたでしょう。
ただ、まだイメージに追いついてはいません。
個人的には、腕時計部分をディスプレイのみとして本体はポケットに入れれば薄い腕時計で簡単に実現できると思っていますが。
ずっと日本は改革ばかり言っていますが、本当に改革をすべきなのでしょうか。
すなわち、改革に失敗したら非常に悪くなり、改革に成功すればよくなるのでしょうか。
これは反証できないのではないでしょうか。
現状も未来予測も悪ければ改革が不徹底だから、と常に言えるためです。
反証できない命題にはどこかおかしいものを感じるのです。
中東を民主化する、といいますが、それは本当に困難です。
一番の問題は「今投票すると原理主義政権になる」ジレンマです。
それを防ぐには近代的教育とある程度の生活の向上が必須です。
ですが、イスラム諸国の非民主的な国々が自分でそれをすることはありえません。
自分の利権を手放すことにつながり、民主主義の理念を含んだ教育をしたり市民層を作ったりすると民主化によって政権を追われる恐れがあるからです。
逆にアメリカがイラクなどを占領してそうしようとしても難しいです。
アメリカによる支配が長引き、そして民主主義というイスラムとは相反する(少なくともそう思いこまされている)理念を教育しようとしたら、精神的な支配として反発され、テロが起きるだけでしょう。
国ではなく世界的なNGOならできる、というのは楽観的に過ぎる気がします。
NGOもアメリカの走狗と見なされ、反発されてテロの標的になる可能性がありますし、強制力を持たず、正当性を保証されないため急速な社会意識改革は難しいです。
ではどうすればいいのか。イスラム諸国はいつまでも非民主的で民衆は貧しく、テロが起き続けるのでしょうか。
考えて見ると日本も同様なはずですが…敗戦当時の日本には元々民主化して欲しい、という世論があったのでしょうか?
「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞を受賞しました。
これは日本史上において、全体でもかなり順位が高い偉大な出来事です。
しかしその反面、この快挙を生み出した「アニメ、マンガ、ゲーム」の三位一体は今爛熟、衰退を感じざるを得ない状況です。
せっかく世界に通用する偉大な芸術であり、これからの日本の基幹産業にもなりうるものなのに。
問題は少し考えて列挙しただけで、
など山積しています。
浮世絵や日本刀のように世界で評価されたときには滅んでいた、としないためには政治レベルでこの産業を守っていかなければならないでしょう。
護身具や護身術は色々ありますが、実際の場でどれほど使えるのでしょう。
特に格闘技の道場や試合場と実際に護身の必要が出るシチュエーションは大きく違います。ざっとあげても
それら、たとえば1を考えると投げられると非常に危険であり、逆に柔道などの投げ技は非常に有効な代わりに殺すリスクもある事が分かります。
2を考えている格闘技はあるでしょうか?むしろ合気道のほうが、座った状態からの格闘を考えているだけ使えるかもしれません。ただし誰かを守りつつ多人数と、などは考えていないでしょう。
3は大きなデメリットですが、逆にメリットにもなります。ネクタイで首を絞められることもあるし、逆に絞めたり縛ったりすることもできます。また動きやすい靴、特に安全靴は恐ろしい凶器になりますし、女性のハイヒールも動きにくい反面、背中から抱きすくめられたときなどピンヒールで相手の足の甲を踏めば激痛を与えられます。
4は平常心の問題、と言えるでしょうか?これが一番難しいかもしれません。
5が一番普通と違う点でしょう。
6も、特に格闘技を長年やっている人ほど引っ掛かりやすい罠になりえます。もちろんある程度以上の水準だとそれも克服できるでしょうが。
護身具についてですが、本当に一番有効なのは何でしょうか?
特に「女性が突然襲われ、組み伏せられるなど自由を奪われた状態」で使える物などあるでしょうか。
カッターナイフさえ抜く隙があるかどうか…
アメリカの真の友人なら間違った戦争を止めるよう忠告すべきだ、という論もよく見かけます。
それは違います。真の友人とは、ちゃんと対等の武力を持って自分の身は自分で守れる存在です。
ドイツやフランス、カナダは自軍で自国を守れます。
日本には自衛隊はありますが、法と世論の分裂で動きが取れません。
銃は持っていても金庫に入れて鍵をかけ、弾倉も抜いてある状態です。それでは友人とは言えません。
第一日米安保条約自体が対等とは程遠い、あえて言えば不平等条約そのものです。
自衛隊は単独では機能できず、米軍の保護がなければいられない以上日本はアメリカと対等の友人ではない、従属国なのです。それが現実です。
ならば良心的軍事拒否国家、非武装中立の平和国家として…というのにはどう反論してよいやら。
造られたものが造ったものに、土が陶工に異議を申し立てるのは間違っている……
その論理で言えば、「鉄腕アトム」で心を与えられたロボットが人間に申し立てた異議も同様では?
それとこれとは違う、人間とロボットの差と神と人間の差は無限に違う、でいいのでしょうか。
あ、「造られたもの」であることはロボットも遺伝子改良されたデザイナーズベイビーも同じですね。
将来西洋社会は、アイデンティティに悩む遺伝子改良された子供にもロマ9.20を言い聞かせるのでしょうか。
それは作った人間を神の座に置くことで許されないですが。
「葉隠」は理不尽な命令をする暴君に命を捨てて忠義を尽くすよう命じています。
キリスト教は(どちらに非があるわけでもなく!)アベルを選びカインを捨て、ヤコブを選びエサウを捨て、アブラハムにイサクを生贄に捧げることを命じるなど理不尽な事もする神を愛し、信じるよう命じています。
神の理不尽に対するヨブの抗議は、ヨブ記の終盤の神の言葉やロマ9.20-21
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造ったものに向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。陶器をつくる者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。
が一応答えとなっていますが…人はそれに納得できるでしょうか。
そして、葉隠の武士はどのようにして理不尽な暴君のために喜んで命を投げ出すのでしょう。
やはり戦争は始まりました。
この戦争がどうなるのか、湾岸戦争のようにうまく行くのかは所詮やってみなければ分かりません。
問題は、フセインが最後に何をするかです。
どうせ死ぬならイスラエルとアメリカに原爆やサリンをぶち込む(スカッドは査察で廃棄したと言っていますが、どうでしょう。なければないでテロリストを使えばいいです)ことに成功すれば、たとえ核報復で国民ごと消し飛んでも未来永劫イスラムの英雄として称えられることができます。
それができないことを祈るほかありません。
また、戦争に反対するならするで、昔の缶コーヒーのCMに、確か独り言でアメリカ大統領にガツンと言ってやると話していたら突然スタジオか何かにいて大統領のそっくりさん役者が目の前におり、通訳を通じて「君の率直な意見=ガツンを聞かせてくれ」と言われる、というのがありましたが…その時なんと言うかをきちんと考えて欲しいです。
CMのように何も言えずにコーヒーを飲み干すのは、代案のない感情的な批判はやめてください。
僕なら?僕なら
「大統領の演説通り、本当に戦争目的がイラク国民の解放だとしたら、そのために子供たちを殺すのは間違っています。
国際法、国際連合というシステムを根底から覆すことにつながり、子孫に独裁者が一人少ない地球をプレゼントするプラスより反米感情に満ち、軍事行動を制限する法システムを失った地球を渡すというマイナスのほうが大きいでしょう。
対テロ戦争としても有功だとは思えません。
なぜなら、[この対イラク戦争が大量破壊兵器テロを抑止する]条件は
です。このうちの1、2は私は真実と考えます。6もリスクを否定するのは間違っているでしょう。
しかし、3はどうでしょう。フセインにとってもイスラム原理主義者は敵です。
4はテロ組織はおそらくもう大量破壊兵器を持っていますし、持っていないとしても5という前提がなければ無意味です。第一フセインが滅びても北朝鮮があります。
5、7ですが、テロリストは世界各国の犯罪組織と深いつながりがありますしサウジアラビア、パキスタンなどでも広い支持を集めており、いくらでも資金を得ることができます。フセイン政権を滅ぼしてもそれほどの打撃ではないでしょう。
大量破壊兵器も入手する手段はあるはずです。日本のカルト教団さえBC兵器を作り出せたのですし、汚職や盗難を完全に防ぐこともできないのです。ソ連が崩壊したとき…これ以上は言う必要はないでしょう。
もうテロ=犯罪組織ネットワークは大量破壊兵器を持っていると考えた方がいい以上、今更イラクを叩いても意味はありません。
その隠し場所は間違いなくイラクの宮殿の地下ではなく犯罪組織が麻薬と同様に隠す場であり、世界のどこでもありえます。例えば海賊が係留している船、先進国のコンテナの片隅、民家、麻薬組織の工場でしょう。
そして、フセインが大量破壊兵器を開発したとしてもそれがテロリストに流れることがなければ、世界にとって致命的な危険ではないでしょう。
国相手であれば相互抑止が機能することは、湾岸戦争の際にイスラエルに撃ちこまれたミサイルが通常弾頭であったことが証明しています。
抑止が通じないのは国土を持たぬテロリストだけです。
では私ならどうするか。
私ならイラク攻撃は止めて査察を無期限に継続、軍事力によるプレッシャーも与え続けます。そしてイラク国民が自ら民主主義を選ぶことができるように力を尽くします。
そして闘う相手を世界中の組織犯罪とテロリストに変更し、世界各国を引っ張って多くの国の主権を制限してでも腐敗を一掃、法の支配の確立と組織犯罪の駆逐のために戦力と資金を集中します。アメリカの軍、警察やCIAなどの全面改革も必須でしょう。それは重大な世界的人権問題の解決でもあります。
さらに全国民に大量破壊兵器を含むテロを完全に予防することは不可能であることを告げ、都市部住民にガスマスクなどNBC防護装備を配って常時携帯を義務とし、その使用法や対策を教育します。特に全医療関係者の対NBC教育は急務でしょう。それによって万一の時、かなり被害を軽減できるでしょう。
ただ、こうして代案を述べましたがその不可能性もわかります。
目に見える戦果が、ニュース兵器ショーがなければ傷ついたアメリカ国民は納得しないでしょう。
全世界で組織犯罪は社会組織と深く一体化しており、彼らは悪をなすだけではなく様々な社会機能を果たしています。その駆逐は全身に転移したガンを取り除くより難しいでしょう。ガンは有害無益ですが、テロ組織は害毒を流しつつ生存に不可欠な機能も持ってしまっています。
闇のない社会はありません、アメリカもJ.F.K.暗殺すら解決していないのです。
個人としては支持はできませんが、理解はします。
せめて無辜の民の犠牲を最低限にし、歴史と神の審判に耐えられるよう全力を尽くしてください。」
というのが精一杯です。
せめて独裁者が一人少ない地球になれば、それはそれでいいのですが…そのために払う犠牲は大きすぎるかもしれません。そうなる保証もありませんし。
ついにハル・ノートが出ました。
これで戦争は避けられないでしょう。もしフセインが亡命したら、慌てるのはアメリカのほうでしょうし。
日本でも反戦ムードは盛り上がっているように、テレビや新聞も見ていると思うのですが実際には違うのでは?
現実には対岸の火事そのもの、そんな事より株価が心配だし、せいぜいF-22のデビューが楽しみと言うのが本音では。
イラクが反撃として、世界各地の大都市にテロリストが原爆や毒ガスを仕掛けた、そっちこそ48時間以内に降伏しろと言ったらどうするのでしょう。
暴力団対策関連法の結果
など大きなマイナスが指摘されています。
でも、では暴対法をやらなければよかったのかといえばそうとは言えません。また、どうしていればよかったのかもわかりません。
ことほどさように、日本でさえも組織犯罪対策は困難なことです。犯罪組織は社会の一部でもあるのですから。
でも、それがテロに結びつく状況を考えると…
イラクの子供たちを殺したくない、ニューヨークでテロリストの原爆が爆発するのも阻止しなければならない。
ではどうすればいいのでしょう。
このどうすればいいのかを、戦争賛成反対派両方に声高く聞きたいです。
イラクの子供たちを殺さない方法は簡単です。アメリカが攻撃中止を決断するだけです。
では、次のテロを防ぐのは?
確かにイラク攻撃こそ反米感情を増し、ニューヨーク核テロのトリガーになるかもしれません。
よくて対症療法でしかないのは確かでしょう。
でも、イラクが開発した核兵器がテロ組織に渡る可能性もあります。
最も必要なのはテロ組織そのものの撲滅ですが、それは…世界全てから貧困と圧政、犯罪組織の跳梁を取り除くのと同義で全くの不可能です。
アメリカはもしかしたら、テロ支援国家の存在がテロの本質で、それらの国を倒せばテロ組織は立ち枯れると考えているのでは?
少なくとも大量破壊兵器の入手は不可能になると考えているのでは?
だとしたら誤っています。
テロ組織はパキスタンやサウジアラビアなどアメリカが国益上手を出せない多くの国々の、政府高官から民衆の草の根まで深く広く根を張っています。
資金、武器も各国の組織犯罪を通じて豊富に入手できます。腐敗したロシアがバーゲンセールしていた大量破壊兵器も含めて。
現実に最も犠牲が少ないのは…テロを防ぐ手段はないと認め、都市部の建物に全てシェルター設置を義務づけて、都市生活者は皆ガスマスク、雨合羽など対NBC装備の常時携帯と訓練を義務づけ、そしてテロの犠牲者に対する国家保障制度を手厚くしてやるならやってみろ、ダメージは最低限にできる、決して屈しはしないというメッセージを主張することでしょうか。
それに加えて、世界のどこでも活動できる諜報、警察、特殊部隊を一体化した組織に予算を集中することでしょう。
国民に派手な映像を送ることができない、闇から闇の戦いですが。
でも防げないから準備して耐えよう、スパイに予算を出すが情報公開はできないじゃ間違いなく落選どころか暗殺です。
イラクの子供たちの犠牲は…わずかな気休めにしかなりませんが、それでもやらなければならないのが政治的な現実でしょう。
マタイ22・37-39
イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これが一番大切な、第一のいましめである。第二もこれも同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これは考えようによっては無理な気がします。
逆に旧約の十戒は全て「あなたの父と母を敬え」「あなたは殺してはならない」など、行為についての命令です。
これは意志によって行動を制御することによって守ることはできます。
でも、意志で「愛せよ」といわれても無理な気がします。何かを愛しているかどうかは人は自分でも分かりませんし、愛そうと努力しても意味があるとは思えません。
いや、それは恋愛感情、エロースを基準に考えるからで、キリスト教の言うアガペーとは違う?
でも、その「アガペー」を人間がもつ事自体が不可能に感じます。
アガペーの注釈としては
コリント1‐13章4-7、愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
が有名ですが、それがそういう物だと言われ、そのように愛そうと意志するだけで可能でしょうか。
もしかしてその命令は実行不可能であるからこそ人間は、意志人としての人間は絶望であり、その絶望を救えるのはこの世のものではない上からの恵みだけだ…?
現在のイラクとタリバン以前の戦国状態のアフガンのどちらかに産まれなければならないとしたら?
同様に、もしイラクがフセイン打倒後に戦国状態になったとしたら、イラク国民にとって今のままとどちらが幸福なのでしょう。
セルビアのジンジッチ首相が暗殺されました。
報道ではマフィア取締りの報復という見方が強いです。
元々民族問題など対立が多い国ですからそれと断定するわけにはいきませんが、組織犯罪対策が旧共産圏からヨーロッパ全域にかけて重大な問題であることは確かです。
そして、本来テロリストとの戦いは犯罪組織との戦いであるはずです。
間違いなくアルカイダをはじめとするテロリストは資金、武器などで世界的な組織犯罪と深い関わりがあるのですから。
そう考えてみると、アメリカがなぜ対テロ戦争で犯罪組織より独裁国家と闘おうとしているかは理解できません。
ただ、イラクではなくマフィアと闘うべきだといってもどうやって?と問い返されると言葉に詰まります。
未来の罪は現在適切な選択をすることで回避できます。
しかし、過去犯した罪はどうやってもその存在を消せません。
すでにあるものであり、避けようもなくのしかかってくるものです。
償いや許しも罪の存在自体を消すものではありません。
原罪も同様にどうしようもないですが、それは恵みによる救いがあると説かれていますが…
ついに平均株価が八千円を割り込みました。
どうすればいいのでしょう。
いや、「どうすればいいのか」という議論は意味がない気がしてきました。
なぜなら、例えば誰かが現状について正しい診断をしており、治療法を理解しているとしましょう。
でも、その誰かをどうやって主治医にするかが問題です。
そして、その誰かが主治医になったとしても、必要な手術ができなければ「正しい治療法、手術法」は何の意味もありません。
竹中平蔵氏が間違っているのか、それとも竹中氏のやろうとしている政策は正しいが官僚などの抵抗で実行できないために経済が悪化しているのか。
間違った診断をし、間違った薬を与えて間違った手術をしている医者なのか、それとも診断は正しいのに医局内の宮廷闘争で思うように手術をさせてもらっていないのか、それとも正しい手術ではあるが執刀医としての技術が未熟なためにミスが続いているのか、または麻酔医が下手糞なのか。どれなのでしょう。
わかるのは患者である日本経済が死にかけているということだけです。
そして、今の日本に「正しい診断、処方」と「手術をする技術」と「手術を邪魔されずにできる権力」を兼ね備えた人などいるのでしょうか。
反対する人が今の竹中氏のポジションに座ったとしても、処方の正誤はともかく結局手術は邪魔されてできないと思います。また、古い型の調整形指導者が官僚にしたがって手術ではなく投薬を選んだとしても世論はそれを許さないでしょう。
絶望的に感じます。
僕自身は手遅れ宣言をし、誰も餓死しないことを保障することに国の力を全て使うべきだと思っていますが、それが正しいかどうかはともかく僕にそれを実行する権力はありません。
「自分中心ではだめだ」とよく言います。
では、どうであるのが自分中心ではないのでしょうか。
例えば自分が属する組織中心…会社中心、もっと狭いセクション中心などは自己中心よりもっと悪い可能性もあります。
国中心も批判が多いです。
そういう中心を持たず、卑小な自意識もなく全てに心を開き、自然に他人の立場に立って…という境地は存在するのでしょうか。
それとも単に、今すべきことに集中していれば自己中心的な性向はなくなるものでしょうか?
それとも自然がキーワードになるのでしょうか。
この三つの夢を同時に叶えることは可能なのでしょうか。
不可能だとしたら…まず捨てるのは宇宙開発でしょう。
では、次に捨てるのはどちら?
石原慎太郎都知事が続投出馬を表明しました。
これで「ポスト小泉」の主要なシナリオの一つが消えた、と考えていいでしょう。
それは一部保守にとっての最大の希望が消えた(革新から見れば悪夢が現実にならずにすんだ、でもありますが)だけではありません。
僕はとにかく政権交代による自民党政権の解体以外、腐敗と混迷を取り除く術はないと思っています。
それは選挙によって結果をチェックされる、という民主主義の根本を実現するためにも必須です。
また短期的な問題として、小泉首相は市場の信任を受けておらず、改革による希望も見えません。小泉首相である限り経済は悪くなることはあってもよくなることはない、と断言してよいでしょう。
とにかく非自民政権に政権交代して欲しい、大袈裟に言えば誰でもいいのですが、石原新党を軸にした自民、民主解体シナリオが消えた以上、今後政権交代のシナリオは普通の選挙によって民主党を中心とした勢力が議会で多数を占めることだけになりました。
それは不可能なのではないか、という危惧が強くあります。
このまま、最悪の場合には小泉首相から自民党内で誰かと交代し、ばらまきに戻って間もなく財政破綻を迎えることになるのでしょうか。
もし日本が本当に非武装中立を宣言、日米安保条約を廃して在日米軍を追い出し、自衛隊も解体し始めたら、本当にアジアは平和になるでしょうか。
中国も軍備を縮小に転じ、北朝鮮も国際社会と対話して過剰軍備を除き、全てがいい方向に行く保証があるでしょうか?
それで力の空白があるから、と中国人民解放軍が日本に強引に駐留したらどうするのでしょう。
逆に、アメリカの属国から脱して自主防衛に向かおうとすると、単に核兵器を開発するだけではすみません。
狭い日本が核による相互抑止を成立させるには、第一撃に耐えることが必要です。
アメリカやロシアは広い国土と戦略原潜で第一撃を受けたら必ず返す、とプレッシャーを与えています。
日本はミサイルや原爆は作れますが、戦略原潜は作れるでしょうか?
さらに言えば、中国と核の撃ち合いになったときには戦略原潜からの報復で中国の大都市圏を吹き飛ばしても、日本は大都市が壊滅すれば事実上再起不能なのに対し、中国にはまだまだ膨大な人口が残ります。
スイスのように全ての家に数ヶ月分の物資を貯蔵した核シェルターをつけ、先制攻撃を受けても決して屈しない姿勢を見せつけることは有効でしょうか?
それらを考えると、アメリカの忠犬が一番現実的なのは確かですが…それもそれで感情的には不快ですしもしアメリカに突然見放されたら、という不安も残ります。
ガンジーなら9.11テロになんと言ったでしょう。
テロリストに非暴力不服従は通用するでしょうか。
国単位の国連とは別に、世界全成人による世界市民投票と多国籍企業経営者や金持ち、王侯貴族が集まる元老院の二つがあればどうなるでしょう。
人類にとって最終意志決定権はアメリカ大統領でもローマ教皇庁でも国連総会でもなく、世界市民投票であると民主主義の原理からは考えられます。
ただし、それだけでは現実性がないため現実の世界でむしろ力を持つプレイヤーを元老院として認めれば。
同時に世界全員の水と食料以外に1%の消費税、化石燃料の消費と兵器の生産に5%の税を直接かける制度もあったらいいでしょう。
正気を疑うような校則はいまだに多くあります。
では、その校則を作る側の言葉はどれくらい世に出ているでしょう。
彼らも彼らなりの論理、正義に基づいてその校則を作り、生徒のためにと大変な苦労をして管理教育をしているはずです。
校則告発本は読んだことがありますが、そんな校則を作る側、管理する側が自分の正当性を主張する本はあまり見ません。
他にもそういうのはよくあります。
例えば高野連もその閉鎖性を批判されることが多いですが、高野連側のアピールはあまり聞きません。
軍隊や刑務所では、退役及び出所の時に脱洗脳処置をしているのでしょうか。
その機能上、その中では個人の人格を解体して洗脳し、服従するだけの人格に作り変える必要はあるでしょう。
でも、一般社会に戻るときにはそのプロセスを理解させて自我を取り戻させないと本人も社会も大変なのでは?
やっていないのでしょうね、多分。
むしろ、目的意識を持って洗脳システムを理論的に構築しているのではなく伝統がそうなっているだけでしょう。
軍や刑務所の上層部も洗脳の心理学については無知、もしくは上層部自身も「規律が至上価値」という狭く偏った価値観に洗脳された状態で、目的意識を持って洗脳している人などいない状態なのでしょう。
一つ一つの論理だけを見るとどこにもミスはないのに、結果が思いきり間違っていることがあります。
もちろん数学にはそんなことはありません。だとしたら前提が間違っているのです。数学以外の社会論でです。
それだから数学的論理は社会を分析する力にはならない、と思うべきでしょうか・・・
オフィスビルの供給過剰が問題視されています。
となると、それもチャンスかもしれません。
都心一等地のオフィスビルが余っているのなら、それを何とか改造して住めるようにできたらどうでしょう。
多少住みにくくとも痛勤地獄とは全く無縁ですし、各種娯楽へのアクセスも極上です。
買物が不便と思えるかもしれませんが、いくつかの転用ビル地域の中心に生鮮食料品専門のコンビニとスーパーの中間的な店があれば、元々オフィスビル地域は生鮮食料品以外の店や外食が充実していますから十分なはずです。
生鮮食料品はネットで宅配できるシステムをつけてもいいでしょう。
もう一つの懸念は駐車場ですが、すぐ駅にアクセスできる環境を利用すれば家から多少離れた郊外の駐車場でも十分です。
アウトドアなどで大きな荷物を車に積むときのみ不便ですが、それも駐車場の近くに小さな倉庫を借りるなどでどうにでもなります。
庭や日照、ペット不可など色々問題はあるかもしれませんが、職住超接近のメリットはそれを補ってあまりあるはずです。
ただし、構造が違うオフィスビルをマンションに改造するのは難しいでしょう。ビル自体を解体して土地と土台だけ活かして建て直すか、住宅の概念を変える必要があります。
住宅以外の転用も考えていいでしょう。
医師、弁護士、教師など国家試験で資格を得る職業の多くは資格があるかないか、合格か不合格かです。
もっときめ細かくできないでしょうか?
例えば司法試験でもぎりぎりでやっと合格するのと、ぶっちぎりのトップはかなり力の差があると思います。
なら、合格してからも数年に一度試験をし、それに実務上の実績も加えて等級をつけるシステムにしたらどうでしょう。