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某牛丼チェーン店の食券に当日のみ有効などとありました。
それって切符では、と思うと…定期券があっても面白い気がしました。
そのチェーン、一名に限り有効期限内食べ放題の券…あってもどちらも損はしないのでは。
店から見て一人が食べきれて損をするほど単価が高いものがあるわけでもないですし、利用者はそれで期間内の食事は心配しなくていいです。
また、Suicaのような汎用プリペイドカードが使えても便利ですね。
尚、駅の立ち食いそば屋にかけそばの回数券はありました。
子供には小さい頃から繰り返しソクラテスやプラトン、孔子、老子、釈迦、イエス、パウロ、マホメッドなど偉大な思想に触れさせるべきです。
特に仮想対話編…プラトンが描くソクラテスの対話法でイエスや釈迦、孔子らと語り合うのはとてつもなく深く思想を創っていくのでは。
さらにある程度近現代の哲学者に触れるのも…
また、語学としても論語や老子などは上級生になってから漢文で学び、親鸞や道元を古文として学ぶのも有益でしょう。
福音書やプラトンも英語で学べばそれはそれで非常に有用なのでは…本来の言葉ではありませんが、いきなりギリシャ語を学ぶのはかなり無理があります…
が、無理という固定観念に縛られなければ「ガリア戦記」「ソクラテスの弁明」「マタイによる福音書」原文の暗記、暗唱には巨大な収穫があります。
なぜ紛争地帯の武装集団のリーダー達は、信玄堤を作るように領民の生活、産業の振興、法秩序の確立に努めて自領を強くしようとしないのか、「タリバン」(アハメド・ラシッド;邦訳講談社刊)に大きなヒントがありました。
人道的援助が結果的に戦争を長引かせているのではないかと言う疑問である。
外国の援助機関が住民の生存を保障し、軍閥から住民に食料を与える責任を免除しているために、軍閥は全資源を戦争に注ぎ込めるのではないか。
これは目から鱗でした!
武田信玄には外資も米軍もKGBもPKOも、そして援助団体もいなかったのです!
もし援助団体が住民に食料を配るなら、莫大な金と労働力(言いかえれば戦力)を注いで堤防を築くなど領土を開発し、生産力を増して産業を振興する必要などありません。
金鉱の開発も外資がやってくれますし、鉄砲は苦労して鍛冶を育てなくても金と引き換えに最新式が手に入ります。
戦国武将は政治を誤り、暴虐を行って民を飢えさせれば住民は流出するか餓死して戦力が低下、半ば農民でもある配下も当然離反して滅亡するだけです。武器も農具も自分の領地でできるだけ作らなければなりません。
その心配がないのなら…
ならいっそのこと統一政府が出てくるまで援助も密輸もさせない、外国人は紛争地帯から閉め出して帝国が完成するまで放置する…のも非現実的です。
その過程の膨大な餓死者、帝王が出て来たとしても当然ありうるタリバンのような暴虐、信長やチンギス・ハーンのような虐殺を思うと…
でもこのまま紛争が続くのも絶対悪い、援助を増やしてもマイナスのほうが大きい、かといって先進国による再征服は危険が大きすぎる…手詰まりです。
他にも戦国武将と武装集団リーダーの違いに、武田信玄や織田信長など戦国後期の武将たちの多くが漢籍を中心に高度な教育を受けていたことがあるとも聞きました。
世界的に生産力が過剰になっているのだからデフレは当然だ、ともよく聞きます。
では、なぜ圧倒的に多くの人がテレビも車も持たないどころか水や食料、医薬品もなく地獄のような貧困の中暮らしているのでしょう。
もちろん生産力は世界全人類に十分供給できるだけあるのかもしれません。
でも、それを買える購買力の持ち主が限られているのです。
その購買力が少ないから物が余ってデフレになるなら、どうやって持たざる人に購買力を持たせるかを考えるべきです。
もちろん、有史以来いつよりも多くの人が豊かな暮らしをしていることも事実ですが。
人が子供から大人になるまでに読むべき百冊の本を選ぶのは難しいです。
そして、子供から大人になるまでに見るべき百本の映画はどうでしょう。
そして聞くべき百曲、見るべき百の絵画や彫刻など…これらもまた選ぶのは難しいです。
北朝鮮が核保有を認めたそうです。
アメリカの言う通り、何年も前から続く懲りない脅しである可能性もあります。
非常に危険であることは確かですが…まあ、どちらにしてもどうしようもないのですから冷静に備える他ないでしょう。
ブッシュ政権のやり方を考えると、瀬戸際外交は北朝鮮にとっても日本や韓国にとっても非常に危険なのですが…大丈夫でしょうか。
与野党ともにバラバラであることに深く関わりますが、保守と言う言葉の定義がねじれていないでしょうか。
保守の経済運営がなぜ自由競争なのでしょう。
産業革命に当たっては、特に地主として地方で力を持っていた貴族が旧来の宗教と伝統を墨守しようとするのが保守であったはずです。
それがいつしか資本家の資本主義と労働者の社会&共産主義の対立になり、資本主義側が保守と呼ばれ労働者が革新と呼ばれるようになります。
冷戦が終わり、社会主義が崩壊してからは…アメリカでは新自由主義と呼ばれる純粋資本主義の下、教育などで伝統を尊重する新しい保守主義が力を強めているようです。
アメリカでもヨーロッパでも、地方に基盤を置く保守層はかなり強くありますし。
ただ、そういう新しい保守も経済は自由競争なのが…ただ、自由経済、近代資本主義に背を向ける伝統主義は経済学として成立できません。
では日本は?日本の自由民主党は保守主義と自由主義のどちら、そして経済的にはどうなのでしょう。
自民党は伝統か自由(近代理想)か、というと伝統を強調しようとはしますが、アメリカにも中国にも腰が低いため結果的に伝統にも徹することができません。あえていえば現実主義、御都合主義です。
本来反共が基本原理ですが、経済システムは統制的…社会主義の影響を受けたファシズムの残滓を残し、主な支持基盤は地方農民と建設など保護されている業界、自営業とされています。
対する労働者側としては、工場労働者などブルーカラーは労組を通じてかつては社会党や共産党、現在は社民、共産、民主党を支えています。ただ、現在に至っても「大企業エリート」「都市サラリーマン」そして「派遣、フリーターなど新しい下層労働者」の利益を代表する政党がないままです。
現在の小泉改革は…失敗とみなされつつありますが、理念としては大企業が求めているものに近いでしょうか?
ポスト冷戦の政治思想再構成がまだできていない…?現在は階級ごとの利益をまとめる思想が弱いことも政党の力を弱めていると思います。
労働者の利益を目標としていた社会主義が崩壊し、その次を見出すこともできていません。
日本ではスゥエーデン式の福祉国家、社会民主主義が野党から注目されていますが、本家も破綻しかかっています。
そして、そのこんがらがった糸のどこに環境が入る余地があるのか…そうなるともうわけが分からなくなってきました。
野党がまた解体されて政策軸が同じ人同士でまとまり、違う意見を持つ人を排除すればバラバラになって少数政党がたくさんという形になり、とても自民党には対抗できません。
でも主義主張がバラバラで無理にまとまっていても、バラバラなので確固とした主張ができず存在感を示せません。
どうしたらいいのでしょう。どちらにしても自民党政権を倒すことはできません。
政策はバラバラなままとりあえず「自民党解体のため」でまとまって政権交代し、兵糧攻めにして自民党を解体してから自分達もまたバラバラになって元自民も含め主義主張が合う同士でまとまる、というのがベストシナリオですが、できるでしょうか。
アトムなど手塚治虫作品キャラと宮崎駿監督作品を中心に、日本アニメキャラクターが勢揃いしたテーマパークはうけるでしょうか。
もちろん多くのテーマパークが破綻し、ディズニーランド以外採算が取れない現状で新しいテーマパークは危険すぎますが…
でも手塚、宮崎を中心にした日本アニメのキャラクターたちはディズニーやユニバーサルスタジオに匹敵する力があると思います。
本当にロボットであるアトムとドラえもんが出迎え、好きなキャラのコスプレに着替えることができればもうアニメの世界です。
そして999のジェットコースターやトトロのトランポリンに園内移動用の猫バス、ラピュタの展望台兼レストラン、忠実に艦内を再現されて各種シュミレーターがある実物大のヤマト、実際に乗ることができ、ある程度動いて風景に合成された映像のバーチャル敵を撃つことができるガンダム…わくわくしませんか?
アトムといえば、今放映しているアトムのアームキャノンはいただけません。
アトムは本来戦闘用ではないし、ちゃんとお尻のマシンガンがあるのに。
就職では、「これができます」と実績つきで出すのが本来はいいのでしょう。
でも、それがない新卒や脱フリーターなどの場合、「これをしたいです」と「何もできませんがなんでもやります」のどちらが正解なのでしょう。
ある業界にこだわりすぎて失敗する人も多い反面、こだわらないどころか何をしたいか自分でも分かっていない人もいます。
自分探しは仕事しながらやれ、というのも正論ですが、自分がない人間を採るところがあるでしょうか。
どの道新卒や脱フリーターは要らない、が今の経済界の本音でしょうか…?
コンピューターに人格としてのプロフィールと様々な状況を入力し、正しい判断を出力させる研究には二つの重大な意味があるのでは?
一つはアトム同様の良心のある電子頭脳を作り出す研究になることです。
もう一つは、何が「正しい」のか「倫理判断」をより深く理解することができることです。
手始めに「敬謙なイスラム教徒」の様々な状況での行動判断をイスラム法学者が認めるぐらい正しく出力させることは?
日本人としては、「真の武士」も興味深いです。
例えば「自分」は身分の低い陪臣のまだ家督は継いでいないが出仕はしている嫡子で、主君が父と将軍弑逆について相談しているのを立ち聞きしたとします。
主君が主に進めたがっているようですが、父は諌めようとして諌めきれていません。
そして「自分」はひょんなことから将軍がわずかな護衛で岡場所に忍んでいる日時を知っており、それを主君に告げれば事は確実に成就します。
逆に、密告して大逆を止めることもできます。
さあどうするのが真の武士道でしょう…と、それに答えられるコンピューターは、です。
「沈黙の艦隊」にある「やまと保険」という奇想天外なアイデアは、保険が「世界政府」の一機能になりうる可能性を示唆していました。
考えて見ると当然のことです、政府に税を払うのはその税で橋が流れたら直し、凶作の時には蔵を開くという一種の保険でもあります。
ブッシュ戦争に対する対案を出すのにも、それが使えるのでは?
イラク戦争の動機の一つが、大量破壊兵器テロに対する恐怖感です。シリアとなるともうそんなのどうでもいい感じですが。
では、それに対して世界の市民の圧倒多数がただ反戦を叫ぶ代わりに出せる額を寄付して集め「今戦争を止めてくれれば、万一大量破壊兵器テロが起きてしまったときにはこの金で全ての損害を補償します」と宣言するのです。
掛け捨てでもいいですが、テロが起きないまま十年経った場合ある程度返すとすれば「加入者」一人一人がテロが起きないよう注意し、協力するでしょう。
それは一つの保険であると同時に、強い反戦の意思表示になり、そしてテロに対する連帯宣言にもなります。
もちろん万一のときの傷を癒すのには金だけでは十分ではないですが、非常に強い力を持つでしょう。
声を上げるだけでは届きませんでしたが、世界中の人たちが出せる金を集めれば巨大な力になるでしょう。
他にも、世界中の人が加入する保険の可能性は色々あります。
例えば人類滅亡保険。加入者は3%の消費税と5%の炭素税を払う代わりに、地球が滅びそうになったときには箱船の優先権を得、そして遺伝子情報を含む体組織を永久保存する権利を得ます。
もちろんその金は人類が滅びないように燃料電池技術の開発、植林など環境のための技術開発、自然保護に回されます。一応箱船の準備もしますが。
そして絶対平和保険。加入者は自国において良心的兵役拒否などで軍事に一切協力せず、国の自衛権も認めず自国及び世界の完全武装放棄に向けて活動し、その平和運動のために定められた金額(税金の防衛費に相当)を支払う義務を負います。
その代わり万一自国が非武装平和主義を選んだせいで滅んだ際には他の加入者がいるどこの国にでも亡命でき、持っていた財産と家族ぐるみ亡命先での生涯の生活を補償します。
これがあれば日本人も堂々と九条絶対擁護、非武装中立を叫べるでしょう。「丸腰で攻められたらどうする」に対して「保険はかけた」と言えるのです。
世界全員から強制的に税金を徴収するのは難しいですが、任意に保険に加入させることは可能なのではないでしょうか。
子供に1,2,3,4…15から20才まで毎年十冊ずつ本を買い与え、もしくは読むようにさせるなら、何を?
大英百科事典や「源氏物語」「史記」「歴史の研究」(マンガを入れるなら)「鉄腕アトム」「ガラスの仮面」のように、何十冊にもなる長いのも一冊扱いでもいいでしょうか。金銭的には全十巻は十冊分なのですが。
これはあまりにも難しい問題です。何が現代においてあるべき教養なのか、与える側の力をフルに問われます。
子供が大人になるまでに読んでおくべき百冊の本、と言っても倍難しくなるだけです。
聖書とある程度の百科事典(児童用、大人用の二セット?)、「星の王子さま」は確実に入るでしょうが…即答はできません。
さらにマンガを加えたらもっととんでもないことになります。
なにより、その「本リスト」は万国共通であるべきか、それとも日本人としてであるべきかが問題です。
古典は現代語訳か原語かも難問です。
歴史などの知識は、現在から見ると間違いの多い「ローマ帝国衰亡記」やホメロスやシェイクスピア、史記など古典から学ぶべきでしょうか、それとも学術的にきちんと編纂された教科書から学ぶべきでしょうか。
全てはこれからじっくり考え、学んでいくべき事です。
とりあえずこれから、書店や図書館を回るときには目にした本を入れていいかどうか考えましょう。
多分僕はその百冊のかなりの部分を読んでいませんから…
今、アフガンはどうなっているでしょう。
カルザイ中央政府も首都近辺しか支配しておらず、地方は無法に戻りつつあるとも聞いていますが…
そして、タリバーンという存在を別の目で見ることも必要な気がしてきました。
タリバーンは大仏破壊という文明犯罪を行い、野蛮で残虐非道な原理主義支配をし、そして9.11テロを支援した邪悪というのが普通の見方です。
でも、戦国状態で無秩序に苦しんでいたアフガンの人々にとって、原理主義で厳しくはありますが秩序を取り戻し、戦争がない状態をかなり広い範囲にもたらしてくれたタリバーンには「覇」のプラス面でもあったのでは。
もしタリバーンの出現がなければ、9.11テロの犠牲者も生きておりイラクの子供は両腕と家族を奪われずにすんだかかもしれません。でも、その代わりと言っては何ですがアフガンは戦国時代のままだったのではないでしょうか。米軍のアフガン攻撃とどちらが悲惨か、どちらのほうが死者が少なかったか…肩をすくめる他ないのです。
アフリカなど、群雄割拠の悲惨からの解放にはその過程で多くの血が流れるとしても「覇」が必要なのではないでしょうか。
でも、アフガンでそれになろうとしたのがパキスタンの後盾はともかく、原理主義と言えば原理主義の歴史が怒るほど狂気じみたタリバンでしかなかったのが不運でした。
そして、今のアフガン政府は果たして「覇」になれるでしょうか。
アメリカが中東で「覇」の代わりになるのは可能でしょうか。
アメリカには無理だと言うのは簡単ですが、ならどんな「覇」が考えられるのでしょう。原理主義しかなのでしょうか。
アラブの人たちの望みは今の国が倒れ、アラブ全体がイスラム原理主義で統一されることですが…そうなってはたまりません。
世俗=近代的な産業構造、政教分離、民主主義政体とイスラム教がうまく調和したイスラムに適した近代社会は…夢想するだけ無駄ですね。
イスラムにはイスラムの歴史がある、これから始まるのだから黙って見守れと言われても、そのとばっちりでテロを起こすのはやめて欲しいです。
ついに人間の遺伝子が完全解読されたようです。
コンピューターと機械…ロボット文明の夢は「鉄腕アトム」などで描かれてきましたが、バイオテクノロジーによる夢はそういう子供向けの人口に膾炙した形ではあまり描かれていませんね。
スターウオーズやスタートレックなど有名なSF映画でも極端に進化したバイオテクノロジーはほとんど描かれません。せいぜい現在の技術でも可能性がある「ジュラシック・パーク」程度でしょう。
むしろ「素晴らしい新世界」の悪夢のイメージがどうしても先行します。
実際にはどうなるのでしょう。機械技術とバイオテクノロジーがどのように進化するのか…それにナノテクノロジーも入れて、SF作家はどのような未来像を描けるのでしょう。
ホラーになる可能性も非常に高いですし、現実には進歩より先に地球の限界が来るリスクがありますが。
統一地方選挙の低投票率と無党派の躍進は予想以上でした。
野党に対する絶望感の深さにも驚きます。
石原氏の圧勝も、他に希望を托せる人間がいない、特に左側の人材部足を露呈しているだけでは。
こちらの話題も見逃せません…バグダッドの博物館略奪!ショックに呆然としています。
これはタリバーンによる大仏破壊に匹敵する人類の文化に対する…歴史的な悲劇、蛮行です。
誰に責任があるのでしょう。強引に戦争をし、無政府状態を放置したアメリカでしょうか?降伏せず消え失せたフセイン政権幹部でしょうか。
こんなことになるならなんとしても戦争に反対すればよかったとさえ思います。
米軍は一体何を考えて無政府状態を放置したのか、なぜ重要施設の警備、治安回復を最優先しなかったのか。
これであらためてわかるのが、無政府状態は戦争に少なくとも匹敵する悲惨があると言うこと、そして文化財保護は非常に特殊な条件でしか成立しない「近代」固有の概念に過ぎず、文明が少しでも弱まれば単純な欲望に負けて崩壊することです。
ところで、人類文明そのものと同時にイラクという国の成り立ち、アイデンティティに深く関わる文化財を破壊、略奪したということはその暴徒達はイラクという国に対して憎悪しか感じていなかったと言うことでしょうか。
今回の悲劇の裏側にある心理がとても興味深いです。
もしかしたら、普遍的に「文化財を略奪破壊したい」欲が人間にあるのかもしれませんし。
そして、この無政府状態で興味深いのが、暴徒達は文化財保護以前に病院を襲うなど、あらゆる人間性、他人に対する同情を完全に失っているように見えることです。それは報道で感じさせられていることかも知れませんが。
少女マンガは日本だけのものでしょうか。
例えばアメリカの女の子は、好きな人に告白できなくてとか、友達と同じ人を好きになっちゃったとか、魔法の化粧品で変身しちゃったとかには共感しないのでしょうか?
セーラームーンは世界各地で流行したようですが…「ベルサイユのばら」のような西洋貴族や学園恋愛系などは通用したのでしょうか。
世界各地の少女は何を読んでいるのか気になりますし、「星の瞳のシルエット」などの名作を見せて反応を聞きたいです。
テレビでよく流れるアラブ民衆のシュプレヒコールが
「努力!友情!A beautiful star!」としか聞こえないのですが…
たまたまリズムが同じなのでしょうか?
それともそのリズムを取りこんだ、または普遍的なリズムなのでしょうか。
彼らが日本の歌を聴いて、ということはないと思いますが。
そして、本当は何を言っているのでしょう。通訳テロップは結構あてにならないものですし。
100円ショップであれだけのものを出せるなら、同じように1000円ショップならどれだけのものが作れるでしょう。
DIYやアウトレットの延長にある、頑丈で車で買いに行くことを前提とした量のあるもの…しっかりした大型のものも含む工具、大量の詰め換え用洗剤、単純機能の家電、家具などを中心にした500円、1000円、5000円ショップがあったら面白そうです。
本当に終わったのでしょうか。
これは始まりに過ぎない、という以前に、まだフセイン政権は終わっていないような気がするのです。
フセイン自身も含め、幹部は誰一人死亡確認も投降もせず、逮捕されたり引き渡されたりもしていません。
全員見事に消息不明です。
考えて見ると、アフガンでもオマル師、ビンラディン共に消え失せたように出てきません。
アフガンでタリバンやアルカイダの戦犯裁判が行われているとも聞きません。大物はほとんど捕まっていないようです。
どんなに戦っても、一人も捕まえることができない…強い焦燥感を感じます。
イラクの今後ですが、誰がマッカーサーの役をするのでしょう。
部族社会を一気に近代にすることは可能でしょうか。
イラク人は「敗北を抱きしめ」るのでしょうか。
高齢化に対し、若者二人が老人一人を養うのと定年を延ばすのと、どちらがいいのでしょう。
前者は無茶ですし、後者は若者に機会が与えられないためその成長がなく、可能性の総和を下げるため社会も動きません。
もう一つ移民という解決策はありますが、それは日本では無理でしょう。政治以前に非常に深い部分が拒否しています。
欧米やアラブなど、日本以外の(肉食文化の)国でも家畜の屠殺、解体、皮革処理に従事する人は差別されているのでしょうか。
例えばアメリカでは、それは黒人奴隷の仕事だったりしたのでしょうか。
「大草原の小さな家」などでは誇り高い白人が自分で平気でやっているようですが…
欧米のキリスト教、アラブのイスラム教のベースになっている旧約聖書では普通市民である成人男子と祭司が供え物の家畜を処理しなければならないようです。
汚いから奴隷にやらせろ、とは書いてありませんし、汚れたものは食べ、捧げてはならないとされますが食肉処理をした事自体が汚れだとは書いてありません。
中国や韓国ではどうなのでしょう。
やはり日本だけなのでしょうか?
アトムの誕生日でいろいろありますが、アトムの「善の心」もまた人間が作り出したものです。
アトムには正義とは言え怒りを発し、百万馬力を欲するなど、完全な善とは言えないところもあるのですが、それもまた人間が作ったものです…
ロボットと人間の心が区別できない手塚ワールドですが、どこか違いはあるのではという気もします。
逆に、人間の心はどこまで「自然」なのでしょう。
人間を善人に「作る」ことも悪人に「作る」ことも教育次第で可能では?
そして、アトムの自由意志の問題はどうなっているのでしょう。アトムの行動は自由意志と言っていいのか、それともプログラムなのか…
ナイフは武器として、それほど優れているでしょうか。
武器としてのナイフを極めようと日々練習しているからこそ、その疑問を強く感じます。
路上、多対一という「実戦」において、ナイフの有利不利は何でしょう。
ナイフは隠し持つのが比較的容易ですが、反面間合いが拳+十センチ前後に過ぎません。
投げることもできますが、それは非常に難しいです。
路上を考えるとどうしてもフォルダーになりますが、それは最も早いエマーソンコマンダーでも抜いて開く、握るの二つの動きが必要です。ワンハンドオープン可能なものでも抜く、開く、握る、攻撃の四つの動きです。
ナイフなど刃物はその刃自体が恐怖感(金槌とナイフでは普通ナイフのほうが怖いですが、殺傷能力では金槌のほうが上でしょう)を与え、軽くかすめただけで出血と痛みがある傷がつきます。
ただし頭部への打撃や銃撃のように瞬時に人間を「止める」事はできません。
打撃と違いまず出血があるため、興奮するなど様々な精神作用が双方にあります。
腹部などに体重を乗せて突き刺せば体力にそれほど関係なく致命傷を与えることができますが、逆にKO…殺さずに動けなくするのは難しいです。
決定的に有利なのは取っ組み合いなどの接近戦です。かなり無理な体勢、しかも密着状態で致命傷を与えることができます。
反面防御に弱く、棒などの一撃を受け止めることはできません。
他の武器と比較すれば、棒やシャベル、鎌、バールなどのほうが威力、間合い、防御性能ともナイフとは比較にならないほど有利です。
ただし、それらは(特殊警棒以外)隠し持つのが不可能です。
隠し持つのが便利な武器としては万力鎖、重い塊(石、鉄や鉛、ゴルフボールなどなんでも)、手裏剣、スタンガン、特殊警棒などがあります。
上はどれも日常携帯は非合法ですが、法に一切触れない武器もシュアファイヤー、催涙ガス、安全靴、ひもなどいくつかあります。
これらを見ると、シュアファイヤーはナイフも特殊警棒もなんでも補完できるもので、しかも合法です。特に格闘技を身につけているならこれが一番いいでしょう。
加えて隠し持てて間合いで有利な万力鎖と特殊警棒、合法で抜くことを考えなくていい安全靴…そのどれかと組み合わせればより有効でしょう。
シュアファイヤーと安全靴なら合法で抜いて握りを整えるロスタイムもないですから、それがベストでしょうか。
唯一不利、というか無意味なのが超接近戦です。
そう検討するとナイフは武器としては使えない、という結論になりそうですが…ナイフそのものの魅力ですね、好きなものは好きなのでしょう。
また、ナイフは素手と間合いが変わらないため、ナイフを使えるなら素手でも十分戦えます。それならちゃんとした格闘技を習った方がいいのですが。
教育は社会の発展にとって非常に重要ですが、万能薬ではないようです。
ラテンアメリカ諸国はかなり昔から初等教育に力を入れ、財政破綻はそのためという要因もあるのですが、現在様々な面でうまくいっていません。
イラク戦争は市民を無差別に殺している。
イラクが国際法違反のゲリラ戦などをしているからだ。
イラク国民が抵抗するのは当然だ、アメリカが一方的に侵略してくるからだ。
アメリカはイラクの大量破壊兵器を懸念している、独裁者が大量破壊兵器を持つことは許容できない。
イラクが大量破壊兵器を持ちたいのはイスラエルが先に持っているからだ。それにアメリカが一番核を持っている!
第一フセイン政権を育てたのはアメリカじゃないか。
イスラエルの核はあくまで自衛、民主国家であるイスラエルやアメリカと独裁国家であるイラクなどとは違う。
アメリカがフセイン政権を育てたのはイラン革命への対抗上などだ。
イスラエルもまた何度も国連決議を無視し、先制攻撃をしている。アメリカもだ。
どちらも、誰にも核を持つ資格などない。
きりがないですし救いもないですね、この議論には。
それより問題は、どうすればそれぞれの利害を調整できるかです。
アメリカはテロを止めたい、中東の安全と石油の安定を確保したいです。
イスラエルもテロを止めなければならないですし、敵が核を持つのは阻止したいです。
パレスチナはこっちの権利も認めて欲しい、占領という名のホロコーストはやめて欲しいです。
フセインは国がバラバラにならないため、アメリカやイスラエルと対決しなければなりません。
統一地方選は、結果よりむしろ投票率に注目すべきです。
非常に低いとしたら、小泉ブームの後、有権者が絶望を選んだということです。
それがなにより恐ろしいです。
そうなったら閉塞感からは抜け出すことができず、自公体制と55年体制での社会党のように力を持たない批判勢力としての共産党、という形で安定してしまいます。
それは底無しの先送りを意味しています。
もし無党派の躍進があるとしても…それが何になるというのでしょう。
与党、現政権に対する不満はあくまで野党への投票で示す、それが民主主義…選挙で決めるということなのに、それがどうしてもできない…
フィリピンのミンダナオ島でまたテロが起きたそうです。
ここはもうどうしようもないに近いようですね。
これら、世界各地にあるテロにどう対抗できるのか…果たして今の対イラク戦争がプラスになるのか、不安がとても強いです。
石原慎太郎総理待望論が保守派を中心に根強くあります。
そして、それに対し戦争への道になるのでは、という危惧も強くあります。
都知事選に出ている現状では総理になる事自体が難しいのが現実ですから、ないとわかっていてかもしれません。
しかし、もし石原首相が実現して、それでも何もできなかったら?
一国会議員としても自民党と日本のシステムに絶望して辞職した石原氏が、総理になったからそれを打ち破れるはずがないと考えるほうが自然では。
期待を集め、圧倒的な支持率と言う武器もあった小泉首相も絶望され、かなり多くの保守層にとって石原総理が最後の希望になってます。
石原慎太郎氏でも何もできなかったとしたら、日本を変える力などないと馬脚を現わしたら…まちがいなく高い支持率という期待がある反動が、凄まじい絶望感になるでしょう。
その絶望感は変なナショナリズムの高揚より怖いです。その後はポピュリズムではなく、無関心…超低投票率による公明党、自民党、共産党優位になると思います。
そういえば、小泉首相に対しても失望感が強いのに…それが政治的なうねりにはなっていませんね。統一地方選で出るでしょうか?
いや、小泉ブームというバブルが崩壊した今、もう静かな絶望が日本全体を満たしているのでは…何も起きていないことが逆に怖いです。
そして、革新側に石原氏に対抗できる希望の星はいるのでしょうか。石原氏が右側の理念、精神を体現しているように左側の理念、精神を体現し、カリスマ性を持って堂々と主張できる人は…
菅民主に希望が集まっている、という感じもないですし。
しかしそれも考えてみると謎ですね、自民党に対する絶望感がどんなに強まっても民主党に代えよう、という力がごく弱いのは。
だからでしょうか、石原慎太郎待望論は。でもそれも、「自民党の異端」という点で小泉氏と同様では。
旧来の自民党はもう駄目だが、自民以外には任せられないというジレンマが小泉ブームや石原待望論の正体なのでしょうか。
ポルノグラフィーは、廃絶するのと読み書き能力(リテラシー)をつけるのと、どちらがいいでしょう。
理念的には左右ともに邪悪と認め、廃絶を希望しています。
特に力がある主婦層がそう考えているのが廃絶論の強みです。
ですが、現実的にはポルノグラフィーの廃絶は非常に難しいです。
美少女漫画、ゲームを含めると巨大な文化産業でもあるものを壊滅させ、日本の経済、文化に大きな悪影響をもたらす恐れがあります。
暴力団が闇で作ることによって暴力団に膨大な資金源を与える可能性もあります。
しかもそれは非合法、闇で作られ、流通するものですから現在ある規制もなくなってモデルの虐待が深刻になり、殺害ビデオさえ作られる可能性があります。
逆に「メディアリテラシー」という言葉を利用し、「ポルノリテラシー」をつけさせるのはどうでしょうか。
きちんとした性教育により、「合意、愛情」という判断基準の柱を小さい頃から作っておくことで少なくとも現実と想像の違いを判断できるようになれば悪影響は最低限で済むでしょう。
できればポルノの質的な善悪を判断し、「悪い」ものを自分から拒否できるのが理想です。
左右とも反対意見が強いでしょうが、現実にはそのほうがいいのでは。