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宗教には表と裏、光と影があると理解したほうがいいかもしれません。
表、光は教義です。
人間の魂をいかに救い、善悪を定め、死の恐怖からいかに免れるか、という面です。
裏、影は社会です。
人間は群れを作り、社会の中でなければ生きていけません。
その社会を安定させるためには様々なルールがどうしても必要になります。集団への忠誠心も必要です。
その中では様々な形で犠牲や差別も必要になります。
キリスト教でいえば、「キリスト教綱要」「教会教義学」「神学大全」いや「福音」そのものが表、光といえるでしょう。裏、影は魔女裁判や十字軍に代表される…これは少し単純化しすぎていますが。
では、日本においては?
日本の神道…現在は初詣、仏式葬式、キリスト教結婚式、会社学歴教や世間教を含めた習俗全体、日本人であることそのものを一つの宗教として解釈する場合は?
驚くべき事に、表らしいものがろくに見当たりません。言葉による教義、救いの具体的な姿を持たないのです…あえていうなら、上記の習俗を守り、村八分にならず学歴を身につけて出世すれば物質的な幸福を得て平穏無事に暮らせる、ということでしょうか。
宗派とは無関係に、なんとなく地獄極楽を信じている人も多い?
裏としての面があまりにも強く、言葉で表現できる表がないように思えます。
いや、もしかしたら戦後日本の場合、戦後民主主義(およびマルクス主義)の平和、自由、平等がその表教義だったのでしょうか?
下の宗教と家族制度から歴史を見るアプローチで、中国の近現代史を見たらどうなるのでしょう。
日本の近代史を、家族制度と宗教からマクロに見たらどうなるでしょう。
現在起きていることは、核家族がそのまま高齢化を迎え、子供には成人しても結婚せず親と同居するものが多く、もちろん子供をほとんど作らない状態です。
宗教的には、これまでも解体傾向にあった「世間教」が急速に崩壊、かつ「会社、学歴教」も恐ろしいペースで崩壊しています。
問題は、その代わりになる新しい社会が全く見えないことです。
弱肉強食による所得格差がどんな社会を産むかは見えません。
実質的に階級社会化されているといいますが、それは収入だけで教育や制度、文化はますます大衆商業化が進んでいます。
これまでを少し振り返りますと、家族は大きく見ると
という過程で分解されていきました。幸いかどうかはわかりませんが、北欧のように結婚せずに子供をつくることや離婚が多数になる状況にはなっていません。
宗教的に考えると、
となるでしょうか。
尚、家族についても宗教についても、その変動過程は産業革命同様、地域や個々人によって時間差があり、今でも大家族と習俗も相当数残っています。
大家族の崩壊だけでも、都市部と農村部では何十年もタイムラグがあるはずです。単純ではありません。
そして、会社学歴教および世間先祖教、そして家族さえ崩壊してから、その次はどうなるのでしょう。
人はいかなる宗教もなしに個人で生きられる存在ではありません。近代、個人主義はベースとしてキリスト教を必要とする可能性が高いです。
葬式仏教でない、宗教としての仏教の復活も難しいでしょう。
今回の選挙で、民主党がどう頑張っても投票日近くに小泉首相と安倍幹事長が拉致被害者の北朝鮮にいる家族を連れ帰ることに成功すれば…特にキム・ヘギョンちゃんの手を引いてタラップを降りる映像がテレビで流れれば、それで勝負は決まりです。
もしその話がついているとしたら、選挙戦もマニフェストも全くの無意味、金と労力の無駄ですね。
敗者の公約など何の価値もありません。
いや、それがなくても補選の結果を考えると、民主党に対するNoは想像以上に強いのでは。
もう、政党政治、民主主義そのものがとっくに見放されているのでは。
となると、ズルズル現状維持とクーデターという最悪の二択になります…
今回の総選挙が、政権交代のラストチャンスだといわれています。
新民主党には新進党同様野合の面があり、理念ごとにバラバラになろうとする遠心力が強いです。
だから今回の衆院と次の参院で現状維持レベル以下だと、菅直人代表の責任問題から党が崩壊する新進党の歴史を繰り返し、もう有権者が野党というか政党政治そのものを完全に見放してしまう、という懸念があります。
では、本当にそうなったとしてそれからどうなるのでしょう。
小泉首相の支持率は依然として高く、民主党のマニフェストもむしろ冷笑されている現状から見て、実際にそうなる可能性は非常に高いです。
民主党が解体した結果、次の次の選挙でバラバラになった野党議員は全滅、自民党と公明党がほとんどの議席を占めることにならないでしょうか?
崩壊した民主党のメンバーに対する怒り、政党政治に対する失望からの低投票率、野党同士の恨みによる不毛な争いなどから自公が圧倒的に勝つことは十分ありえます。
社民党は今回の選挙で壊滅するのはほぼ確実です。
共産党は固定支持層がありますから全滅はしないでしょうが、大きく増えることもないでしょう。社民党の壊滅後、唯一の護憲対抗勢力としての価値が出る可能性はありますが。
民主党が壊れてから別の対抗勢力が台頭する余地はありません。現在の全ての政治勢力と関係のない全くの新勢力は姿を見せておらず、それが低投票率で強化された自公に対抗する術はないでしょう。
ただし、自民党も従来の派閥構造が壊れていることには違いありません。
その代わりに、官僚や大企業とアメリカ政府がほとんど直接小泉首相を操り、ポーズとしての改革を叫びつつ好き勝手をするシナリオが指摘されています。
事実上それは対抗勢力を持たないはずです。自民党抵抗勢力も民主党もマルクス主義も政界から滅びるのですから。
ネットを含むマスコミの評論家はそれを攻撃するでしょうが、対抗できる理念も勢力もありません。
そうなると、現在最悪の経済の中でも持続している小泉政権に対する高支持率がずっと持続してしまい、その中でずるずると経済的に崩れていくでしょう。
債務不履行、ハイパーインフレ、預金封鎖などで支持率が激減することはありえますが、その時は対抗理念どころか政策の選択肢自体がほとんどなくなっています。首相が交代するだけでしょう。
それは日本の民主主義にとって、政権に対する有効な反対者の消滅であり、選挙が完全に無意味となる最悪の事態です。
だからこそ、そうなったらどうなるか、そうなってからどうやって民主主義を再興するかをイメージ、シミュレーションしておく必要があるでしょう。
家をプラスチックで一体成形で作り、ヘリか何かで現場に下ろすことはできないのでしょうか。
確かにヘリを動かす費用はかかりますが、建設は大幅に楽です。
部屋ぐらいの大きな部品を現場で組み合わせるほうが現実的かもしれません。
一体成形に比べて強度は下がりそうですが。
巨額の政府債務、財政赤字と少子化は紛れもない事実です。
多少解釈の余地はあるにしても、不良債権もあります。
環境問題も深刻です。
これをどう解決しろというのでしょう。
まして、不良債権問題にヤクザが絡んでいる、日本人そのもののメンタリティなどなど日本の社会構造、一人一人の内面全体が大きく変わらなければならないという人さえ多いです。
それをどうやればいいのでしょう。それともそれは、単なる革命幻想…マルクス主義の残滓でしょうか?
どちらにしても、気分としても理性としても絶望が若者を中心に今の社会を覆っています。
今フランスの核戦力や空母を含む戦力は何のためにあるのでしょう。
アルジェリアの植民地からは手を引きました。
イギリスともドイツとも予想しうる将来戦うことはないでしょう。もちろんスペインやスイスなどどの隣国とも。
ソ連は崩壊し、ロシア帝国がヨーロッパを侵略することは考えられません。
アメリカとの戦争も考えられません。
内戦の可能性もないです。
脅威になりうるのはせいぜい北アフリカがイスラム原理主義化される…でもそれが強力な戦闘爆撃機部隊を先頭に、地中海を越えて強襲揚陸艇から高性能戦車を含む大規模な軍隊を上陸させ、侵略してくることはありえません。
同様に、本当に差し迫った脅威があって大規模な軍隊が必要な国は韓国などごくわずかなのでは?
弁神論の本質の一つは、神という一者に全ての美徳を負わせ、その美徳が相矛盾していることでは?
例えば、慈愛と正義を両立させることはできません。
慈愛を徹底すればどんな悪でも許すべきですから、地獄はあるべきではありません。
正義を徹底するには、地獄はなくてはなりません。
美徳は所詮人間のものであり、それを人間の概念とは超越した存在である神に押しつけるのが無理なのでは?
そうではないかもしれません。美徳とは、神という人間には考えられない存在の、地上における影のようなものかもしれません…円錐の影が円であったり三角であったりするように。
そして、美徳そのものの中にいかに多くの矛盾があるか、そして全知がなければどの美徳もいかに有害無益かを考えると恐ろしくなります。
日本にとって先の大戦は、本質的には対ソ戦略の結果でした。
否、日本の近代史そのものが本質的に対ソ戦略であり、その帰結があれでした。
更に言えば、現在の日米安保条約さえ本質的に対ソ戦略です。
北から圧力をかけてくるソ連とどう対抗するか…少しでも前に出ていることで、ロシアにとっての攻め込む距離を短くしよう、というのが朝鮮を領土とし、持ち出しになってまで開発、同化し、そして満州を獲ろうとした理由でしょう。
どこで間違えたのか、それとも本質的に間違っていたのでしょうか?
日露戦争は日英同盟の力が大きかったです。
同様に、固い日米同盟が当時あれば?
少なくとも中国、ソ連、アメリカの三正面と同時に戦うのは無理でしょう。二正面でも無理なのに。
また、ドイツがソ連に攻め込んでいた時に、日本が手をこまねいていたのも不思議です。
ソ連にとって絶体絶命の危機だったのですから、挟み撃ちにしていたら?
もちろんやっていれば日本軍も冬将軍の前に全滅していたでしょうが、戦略としては当然のことです。
不可解なのは、陸軍が予算、行動圏ではわがままを言いつつ装備の合理化、近代化には消極的だったことです。
本質的に帝国陸軍は藩の構造だったからでしょうか。
児童虐待、校内暴力(教師→生徒も生徒→教師も)、いじめなどの密室で起きる犯罪を防ごうとすると、どうしてもプライバシーや親権のように大きな人権を侵さざるを得ません。
本質的には隠しカメラしかないのですから。
今のアメリカではテロ防止のために盗聴などが際限なくやられているのが問題になっています。
でも、それなしで合法公開透明を徹底していたら、テロを防止するのは無理です。
大量破壊兵器テロを全力で防ぐのは当然です。
安全という人権が、どうしても他の人権を侵害してしまう…そのバランスを取るのが政治というものでしょうが、それを機能させるのは難しいようです。
社会のゆがみが悪いのであって、自由、平等、人権、非暴力など日本国憲法の理念が実現できればテロやいじめなどはなくなる…という考えもありますが、無理というものです。
ベッドの上も普通デッドスペースですね。
そこに吊るような棚を設置するのは、地震の時のリスクが大きすぎるでしょうか?
それとも圧迫感に耐えられないでしょうか。
ロフトベッドはそれに近いですが、暮らし心地はどうなのでしょう?
人間の「自分勝手」はほとんど底が知れません。
幼児にとって、二つあるクッキーを一度一人占めしたら、そのうちの一つを弟に譲ることは全財産に命もつけて与えるのと同じ事です。
同時に、その弟にとってクッキーが二つともでないことは、感情的にはまるで莫大な遺産を一人占めされるようなものです。
否、食べきれずに残す分さえ人にあげろと言われれば、大金持が全財産を寄付するような感覚です。
子供にとって、一日三十分しかゲームを許さず半年に一度しか新しいゲームソフトを買ってくれない親は鬼でしょう。
まさしく耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいます。
でもその親にとっては、ゲームそのものを許している事自体、半年に一度でもあの高いものを買ってやる事自体耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいます。
親に対する感謝も、子供の忍耐に対する称賛もない…どんどん互いに欲求不満が膨らんでいきます。
ギブアンドテイクと言う奇麗事は、互いの無限の欲求不満の陰で無限に「恩恵を施した」「権利を侵害された」感情がたまっているということでもあります。
人間は本質的にそうなのです…幼児にとって、この宇宙は全て自分のものなのです。
何らかの形でそれを断念させられるだけで。
そのエゴを集団に拡大することはできるかもしれません…その場合、個々人は自我、我欲を捨てていますが、集団そのものが暴走しています。
宗教はそのエゴを、本当になくすことができるのでしょうか。
それとも、宗教も倫理もエゴを集団に拡大する一形式に過ぎないのでしょうか。
日本だけが日米安保を破棄し、自衛隊を解体して非武装中立に向かうのは不安です。
そうなった時、中国や北朝鮮も軍備を放棄してくれるでしょうか?
本質的に一国だけの非武装中立は難しいです。近隣諸国全体と緊密に交渉しなければなりません。
非武装中立の手本とされるコスタリカも、何かあれば隣国の軍が助けてくれる約束をしています。
非武装中立を語ってきた人たちは、アジア全体の非武装化、国連軍による平和維持システムの構築などのプログラムを具体的に提示してきたでしょうか?
中国とロシアに、日本が非武装中立になったら日本に向けた軍備を全面解除する約束はあったのでしょうか。
最低でもそれがなければ、とてもとても。
消費税を一律ではなく、その物が公に貢献するかどうかで税率を決めることができたら?
酒やタバコの税金も本質的にはそれです。
炭素税もその一つになりえます。
ファストフード、清涼飲料水、菓子類、牛肉など太りやすい食料に高額の税金をかければ肥満の解消につながるかもしれません。
同時に米、イワシなど大衆魚、卵、野菜など「国産の和食材料」を無税にすれば、貧しい人への圧迫にはならないでしょう。
ポルノや麻薬なども、禁止して闇を肥やすより超高額の税金をかけたほうが取り締まりやすいかもしれません。
政府にその、ライフスタイルを自由にする権限を与えるのは危険すぎますが…市場に良識がないのも事実です。
そして、ごまかしが横行する危険もありますね。
中国の有人宇宙飛行には驚きました!
日本も成功していないのに…科学技術力の高さをアピールするのにこれ以上のものはないでしょう。
ただ、なんとなく古い気がするのも確かです。
アメリカとソ連が宇宙開発を競い合ったのはもう二十年以上前ですから。
そして、ロケットの形も古い気がします。
無事に帰還できるかどうか、ドキドキしてきました…もしかしたら、これは若いという事では?
中国は老人のイメージでしたが、そうではない…若々しい、若さと活力があふれている高度成長中の大国なのでは。
外で体を使って遊ぶコンピューターゲームは無理でしょうか。
問題は、その「外」そのものが現在の子供たちにとってはどうしようもなく狭いことです。
広い公園があるわけでもなく、路地や空き地などは崩壊し、学校の校庭は部活に占領されています。
非常に狭い、コンクリートで舗装されている空間で一つ考えられるのが、レーザーで命中を検出できる銃でしょう。
高い運動量があり、狭い面積でもできるのは杭(立木)を木刀で乱打することですが…それをコンピューターの助けでドラゴンを倒すことにできればいいですが。
ただの素振りでもかなり有効です…飛んでくる矢や鳥状モンスターをライトセイバーで打ち落とすゲームはどうでしょう。
それにジャンプの必要性が多くあれば、縄跳びのような高い運動量になるかもしれません。
ゲームセンターで大型筐体内、足の動きが制限されている中で剣を振るえるゲームは登場していますが。
一時流行したダンスゲームもかなりの運動量がありましたね。
面白くアクション性が高いものなら…たとえば、テニスの練習用具にボールがゴムひもで足元の固定具につながっているものがありますが、そのボールを武器として画面上の敵を倒すのは?
それができるなら、それを改良してバーチャルテニスが一人でできるようにするほうがいいかも。
失恋の薬として、その思いを作曲で表現するのは有効でしょうか?
逆に、告白として思いをこめた曲を使うことは…現実にはむしろマイナスに働くことが多いです。
でも昔、セレナーデという曲分野自体がありました。
夜、好きな人の家の側で歌いかける愛の歌です。
また、日本には昔から和歌で求愛することもありました。
どちらも非常に雅で素敵な感じがしますが、今実際にやったらよくて若気の至り、普通に言えば変態です。
一つ間違えばストーカー防止法で捕まるかもしれません。
何とかそういうのが復活すれば素敵ですが。
今、本当に十万円の(溶かして固めたのに含まれる純金の量が変動はあるが大体十万円分。昔発行された十万円金貨の純金含有量は四万円分程度)金貨を発行したらどうなるでしょう。
年金などで供給すれば、紙屑になることはないですから絶対的な安心を与えることにつながります。
東ティモールでもルワンダでも、教会が死体の山になりました。
教会に保護を求めた人たちも遠慮なく虐殺されたのです。
本来教会は聖域のはずです。
その教会が、なぜこうも無力だったのでしょうか。
世界全体で、教会はもう何の力もないのでしょうか。
ついに衆議院解散です。
小泉首相は改革かどうかを選ぶと言いましたが、民主党も共産党も改革を言う以上、それは意味がないことです。
ついでに総裁選での候補も皆自分こそ真の改革者だと言いました。
公的に現状維持を金看板にしている政治家などいません。
だからこそ、誰がやっても結局は現状維持ではないかという絶望感があるのでは。
そして、民主党は…どう悪いのかがわからないまま、ただ注目されていない感じです。
民主党政権の最悪の場合、どう悪くなるのかもはっきりしません。
いいシナリオも悪いシナリオもはっきり見えない感じです。
さらに自民も民主も既成政党を全て否定する人が多いですが、それならどう投票すればいいのかも分からないままです。
現在の政治状況を見ると、小泉首相の自民党も民主党も結局は構造改革、財政再建路線です。
ロッテリアとマクドナルドしかないようなもので、選択の余地はあるようでありません。
この状況は、日本が構造改革路線をとることを望む勢力にとってもっとも都合がいいのでは?
まあ、どちらの場合にも現実には改革など進まない可能性も高いです。
そう考えると、表のポピュリズムは痛くもかゆくもない、正しい事を言う護憲勢力に消えてもらえば我が世の春、という改革などどちらにしてもやる気がない連中が高笑いしているのかもしれません。
ところで、実際総選挙の結果はどうなるでしょう。
やはり小泉自民が勝つ気がします…政策とマニフェストだけを商品とする民主党は、テレビが支配する現代政治を考えると微妙に間違えている気がします。
ただ、ではどうすればいいのかは分かりません。
バラバラ感が悪い、きちんと主義主張ごとにまとまるべきだと言う声がありますが、原則でまとまった小政党が乱立したら小選挙区制度である以上、世論が改革を求めれば小泉首相を出す余裕がある自民党に、スーパーマーケットの前の商店街のように全滅するだけです。
アーノルド=シュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事に選ばれました。
同じく俳優出身のレーガン氏は、いい面も悪い面もありますが少なくとも無為無能無策ではありませんでした。
強く記憶に残る偉大な大統領でした。
シュワルツェネッガー氏がレーガンとなるか、それとも横山ノック元知事のレベルになるかはやってみなければ分かりません。
それにしれも、スタンフォードやUCBなど名門大学も多数あるカリフォルニアで…アメリカにもポピュリズムはあるようです。
保守層はゆとり教育に反対します。
アメリカをはじめ先進国はゆとり教育の失敗をとっくに理解し、愛国心と秩序を維持し、子供をきちんとした市民に育てるべく「ゼロトレランス」の厳しいしつけのもと、計算と母国語を大量に詰め込む教育にしているそうです。
確かにゆとり教育の間違いは証明済みかもしれません。
でも、厳しい詰め込み教育が唯一絶対に正しいとは限りません。
それはそれで遊び不足による精神の萎縮、自然感覚の喪失、厳しい規則による創造性の低下など弊害もあるでしょう。
受験教育の弊害、燃え付き症候群やマニュアル人間の量産、受験優等生である高級官僚や大企業幹部の無能も嘘ではないでしょう。
中庸が必要だと思いますが、足して二で割るのは中庸とは言わないでしょうね。
何が正しいか…読み書きそろばんはもちろん必要です。
科学実験も必要です。
しつけも必要です。
遠足などの行事も必要です。
体育や音楽、図工、技術、家庭科など非受験科目も必要です。
道徳や伝統を学ぶことも必要です。
自由に自然の中で遊ぶこと、孤独な時間も必要です。
自由な読書とクラスメートとの私語も必要です。
英語教育やコンピューター、実業に通じる経済の知識、仕事の実践も必要でしょう。
宗教教育も必要でしょう。
自分たちで自主的に何かを調べたりすることも必要でしょう。
でも一週間は七日、少なくとも日曜は休み…制度上の週休二日は多分元に戻せない、一日は二十四時間で、学校の授業時間は一日最大でも六時限しかありません。
何でもは無理、でもどれも切り捨てるのは正しいと思えないし、少しずつも…かといって授業時間を一日十二時間にするわけにもいかない…
パソコンの電源を切ってからまた起動するのは、人間にとって一度死なせてまた生き返らせるのと変わらないような気がしました。
将来コンピューターが極端に進化し、感情が生まれたら…
いや、コンピューターが持つ感情が人間と同様でなければならない理由はありません。
残酷という言葉は、人間にしか適用されませんが…
弱肉強食が進み、大半の人が全財産を失って福祉も崩壊した社会に放り出されるのと、皆が財産を没収されて国の配給で生きていくのと、どちらがいいでしょう。
この経済、財政状況を考えると、将来その選択に迫られる気がします。
今の小泉改革に対する批判として、それは前者…勝ち組のみを優遇し、負け組である大多数からすべてを奪うものだ、というのがあります。
ただ、後者…事実上社会主義になるのが正しいのでしょうか?
それもまた、社会主義国の崩壊という前例があります。
では…果たして第三の道で切り抜けられるでしょうか。
折角ADSLを入れたのはいいのですが、かなり調子が悪いです。
NTT局からは十分近いのですが、家の中でいろいろあるようです。
なかなかうまくいかないものです。
まだ技術が成熟していないのでしょうが、成熟を待っていたらきりがありません。
今の電話そのものが古い技術なのでしょう。
電話線の代わりに光ファイバーなら、もっと安定するのでは?
ネットのための光ファイバーはあるようですが、どうなのでしょう。
将来的には、在来の電話線に代わって光ファイバーとその上でのIP電話が主流になればいいのですが、在来電話がなくなることがあるでしょうか?
そういえば、新しい技術にしなければならない点でテレビのデジタル化も似ていますね。
自然界の定数、地球の軌道や大きさなどがとんでもない偶然…特に光速、プランク定数、重力など、宇宙定数など自然定数は小数点以下十数桁に及ぶ恐ろしいまでの精度がなければ「宇宙の安定した膨張」「安定して核融合する星(主系列星)」「多様で安定した原子の存在」「地球における液体の水」などがありえず、したがって「人間の存在」がありえない、いわゆる人間原理は結構知られています。
しかし、もう一つの神の配慮は意外と知られていません…古典物理学の研究から量子力学ができたのもまた、上に近い奇跡です。
ラザフォードの原子模型、すなわち太陽系状に原子核の回りを電子が回るモデルは、現実にかなり近い近似でした。
ただし、それは古典物理学…薄い金箔に電子をぶつけた時に跳ね返る規則から、本質的にはビリヤードと同じくニュートン力学の方程式を使って考えたものです。
本来なら原子のふるまいは量子力学レベルです…ラザフォードのモデルが機能したのは奇跡以上です。
他にも、神が古典物理学から量子力学への移行をしやすいようにセッティングしたとしか思えない数値などの一致は多くあります。
護身と包丁としての使用、震災時の重作業を考えなければ、市街地では5cm以上のナイフはまず必要ないでしょう。
そう考えると、ひどいと思っていた銃刀法の制限も合理的かもしれません。
ナイフから護身具としての面を切り離してしまえば、まったく違う、そしてむしろ豊かな観点からの検討、選択が可能になります。
護身具としては現在、シュアファイヤーのアヴィエーターA6、通称ポーキュパインが最も有用でしょうか…目潰しの強い光とベゼルに鋭い爪を持ち、LEDの長時間使える光は懐中電灯としても有力です。
ただし、非常に高価なのが欠点です。大量生産でコストが下がれば一番なのですが…
あと安全靴や万力鎖も有用でしょう。
ADSLの普及を入れると、遅れているといわれてきた日本のネット環境はもう世界でも最高水準に躍り出ているそうです。
いくら高齢化と年金、財政赤字、不良債権という爆弾を抱えているとはいえ、戦後高度成長を成し遂げた潜在力はあるようですね。
それがどうプラスになるか、そして上の爆弾を解決するだけの力があるか…それは果たして、力ある指導者の登場いかんにかかっているのでしょうか、それとも…?
グローバル経済に対する抵抗が強まっています。
でも、その対案はありません。
資本主義に対するマルクス主義のような、対立する理論自体存在しません。
グローバル化は経済理論というより、産業革命と同様な社会現象だと考えれば、当時産業革命の対案がなかったように他の道を選ぶことは難しいです。
新自由主義と社民福祉国家、そして第三の道という二十世紀後半の非共産圏での議論も…どれも絶望的な気がします。
スローライフ、NPOなども体系化された政治経済思想ではないです。
サミットで行われる反グローバルデモもちゃんとした対案…社会経済思想を持っているようには見えません。
グローバリズムの反対として自分の地域を国(州)単位で切り離して自給自足で鎖国することは、世界に見捨てられない限り難しいでしょう。
世界に見捨てられているというのは底無しの内戦を意味しています…テロと組織犯罪の温床になることでもあります。
困ったことに、そのテロと組織犯罪もまたグローバルです。
9.11テロは紛れもなくグローバルな事件ですし、某ダイヤ産業など死の商人たちも戦乱地域に深く関わります。
結局のところ、政治、経済、情報、闇全てのグローバル化からは逃れられないですね。