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アメリカは間違っているけれど、ならどうすればテロに勝てるのか…いや、決して勝てないが答えではないでしょうか。
なぜ今まで思い当たらなかったのかが不思議です…僕は以前から、歴史において遊牧民が農耕帝国を滅ぼしてきたように近代文明を滅ぼす可能性がある周辺文明が現在の世界に存在しないことをいぶかしんでいました。
でも、確かに外には存在しないかもしれません…この地球上に、昔遊牧民が駆け回っていたような未開の、国がない地域はありません。また、遊牧民の軍事的優位も近代西洋の発展、そしてコサックの滅亡で幕を閉じました。
でも…9.11テロこそ、それなのかもしれません。
チェチェンやパレスチナなど抵抗を続けるテロ地域…世界中の、アメリカが名指しするテロ支援国家だけでなくサウジアラビアやパキスタン、いや9.11テロの実行犯を育てたドイツやアメリカ自身も含めイスラム教徒全体の地下社会に広がるアルカイダのネットワーク…世界中で経済と政治の腐敗を通じて国をシロアリのように腐らせ、下半身や麻薬と暴力と賄賂を通じて支配し、人身売買という奴隷制を世界をまたにかけて確立させている犯罪組織…中東やアフリカで人工的な国境を無視し、代理戦争として育てられつつ国際的な闇の資本と手を組んで暴虐の限りを尽くして君臨する内戦武装集団…国や法の枠に縛られる軍や警察を嘲笑う海賊…
彼らに対する「勝利」はありえません。アメリカを含めたいかなる国も、犯罪組織を滅ぼすことも自国の腐敗をゼロにすることもできないのです。あらゆる国にとって、犯罪組織は必須臓器なのです。
古代ローマにとってのゲルマン、古代中国にとっての匈奴は「正面から戦って負けることはないが、決して滅ぼすことができない」「人口増加の圧力からずっと流れ込んでくる」存在でした。彼らが帝国を滅ぼしたのです。
現代文明システムにとって、世界全体の貧困層をベースにしたテロ組織犯罪こそそれでは?もちろん社会の主要臓器でもある犯罪組織は寄生中が宿主を必要とするように国を必要とするのかも知れませんが、テロリストなどはそれを無視し、既成近代社会そのものに牙をむいている気がします。
そんなことはないと思いますが、もしアメリカがテロ組織はイランや旧フセイン政権という国の支援、支配、指揮命令の下にあると考えたらとんでもない間違いです。全ては国家を中心に回っている、という古い常識に囚われた考えです。
「ならず者国家」などなくてもテロ組織は普通の国々を下から支配し…貧しい民衆や希望のないインテリの草の根組織として、その社会の一部となって成長していますから、いくら「ならず者国家」を潰しても無駄です。
そして、考えてみるとローマ帝国は強敵との決戦で滅んだのではなく、徐々に蛮族の人口が増え、精神的に内部から崩壊していったという史実もあります。他の帝国もそうです…まず内部から腐ったものです。
もしかしたら、イラクがどうにもならないという事実が…イラク戦争に反対する側も含めて、王様は裸だということを見せつけるのかもしれません。アメリカも国連も!
ライオンも蜂に勝てないように、膨れ上がった人口と現代世界体制の不公平、人間の欲望を餌にシロアリのように全ての国々を蝕むテロネットワークには、アメリカの強大な軍事力も無力でしょう。
でも、国際連合にも何の力もありません。内政不干渉や先制攻撃を禁じた国際法も、イラクの民衆を救えるわけがありません…フセインの暴虐さえどうにもできなかったのですから。
失敗国家の大虐殺を伴う内戦も防ぐことができず、武装集団が援助物資を奪って子供を戦闘奴隷として殺し合うのをどうすることもできません。まして犯罪組織に立ち向かうことも、大量破壊兵器テロを防ぐこともできはしないでしょう…少なくとも国家主権至上主義の上では。対テロ総会決議もできなかったのに。
国連を重視し、国際協調と平和的手段と経済援助…そんなものは多くの国が芯から腐っているという事実を無視した空論では。民主化すれば腐敗はなくなる、というのもありえないのでは…共産圏の民主化は結局平均寿命が下がるほどの絶望と経済崩壊の末、マフィアの持ちたる国を増やしただけです。
ブッシュと反ブッシュのどちらも、世界中でつながりを持って活動し、国と呼ばれる代物を下から腐らせているテロ犯罪組織には全くの無力です。国家という古い枠組みに囚われているのでは。
では…そうだとしたら、「ローマ帝国衰亡記」ならぬ「近代西欧アメリカ帝国衰亡記」の形は?
「西洋の没落」とはまったく違う形でしょう。
下からの腐敗が国によるシステムを無力化し、最終的に近代システムを崩壊させる…形としては恐慌をきっかけに膨れ上がった人口と、水や食料資源のギャップが世界的な動乱になるリスクは常にあります。
その次にどんな世界があるのか、それは想像を絶します。ただ生きていることすら困難を極めるでしょう。
世界の人の大半は食からこの近代的な世界に依存しきっているのですから。
民主主義は手段でしょうか、目的でしょうか。
憲法はどうでしょう。
民意が憲法を改正せよといい、選挙でその結果を出たとしたら、国民全体が間違ったのでしょうか。
それとも誰かのせいでしょうか。
イランの大地震は、周辺にどんな影響を与えるでしょう。
希望的なシナリオを言えば、各国の救援が入ることでイランと各国、特にアメリカとの関係が深まることです。
リビアも大量破壊兵器を放棄したようですし、イランもよりオープンな態度を取り、アメリカとの交流が深まれば「ならず者国家」指定からの解除もあるかもしれません。
イラクのフセイン政権が滅んだ以上、次はシリアだと行くよりならず者国家が平和的に減っていくほうが望ましいでしょう。
日本の自衛隊がイランを救援する、という可能性はあるでしょうか?
いや、これはイラクにおいてもそうなのですが、日本の自衛隊は中東の習慣に合わせる訓練を受けているでしょうか!
それがなかったら大変な事になるのは火を見るよりも明らかです。考えてみると、日本人は中東で大規模な活動をしたことがないため、お互いとことん無知です…
テロの定義が困難と言われています。テロを、一部によってテロと呼ばれているものも含めて、当事者別に分類しますと
さて、上のどれがテロであり、どれがテロでないのでしょう。
手段という面からの定義は比較的容易です…「国際法を無視した、非人道的な非合法暴力」でしょうか。
語源で言えば、フランス革命の「恐怖政治」がそもそもの形であり、すなわち暴力の恐怖によって民衆に服従を強要するという目的が定義になるでしょう。それを言えば上は全てテロですね。
定義がこういう問題になるのは、9.11テロでテロが無条件の絶対悪とされる反面、これまでの世界では(特にパレスチナ)圧制の下声を上げられない虐げられた人たちの、唯一の抗議行動として擁護する声も高かったことです。
人類は海に出るのに適していない…では、現代社会に適しているのでしょうか?
多くの欠陥があります。
脂肪と塩分や糖分、麻薬の誘惑に対抗できないです。
時速百キロ以上のスピードにも対応していませんし、この脳は数学的成果が信じられないほど数学のために設計されたのではありません。
睡眠についても設計限界というべきルールがはっきりしており、昼夜三交代夜勤にすら適していません。まして二時間交代当直など言語道断です。
いやそれ以前に、そう…動物園で檻に閉じ込められた動物は、それ自体もう狂っているに等しい精神状態だそうです。
ならば、この近代生活のために育てられている人間は、それだけでもう狂っているのでは…皆が同じように狂っているなら、それが正常とみなされます。
ついでに、昔は誰もが現代の基準では考えられない栄養失調+重労働+不潔(全員が寄生中や各種伝染病のオンパレード)があたり前でした。
そんな昔の下層階級の精神状態は、現代人が想像できるものではなかったという考えもあります。
人間に海水を飲め、ビタミンCを体内合成できる一族がいれば、彼らは海洋民族として巨大な力を持つでしょう。
いや、人間でなく普通の動物でも…でも、陸上生活のために海水を飲めることは必要ないのでしょうか?
海水を飲める動物が特に有利な砂漠沿海部(または塩湖周辺)という領域は限られていますし、その多くは比較的近くに水源がありますから、それほど意味はないですね。
でも実際、人間は海に出るにはあまりにも欠陥が多すぎます。本来水が豊富なサバンナ地域での長距離走向けに設計されているとされていますから。
汗と薄い尿というものすごい水分の無駄遣いをし、膨大な真水を必要とします…相当多くの動物は食物の水分だけで生きることができ、真水を必要としません。生存のみならず、清潔にも多量の海水が必要です。風呂やシャワー、洗濯などさえ海水でとはいかないのです。
また皮膚が露出しているため、熱帯から氷洋まで衣服で対応できる反面衣服を失い、冷水に落ちれば即座に死ぬ事になります。その皮膚は海水にも弱く、長時間海水に浸っていることにも耐えられません。
他の類人猿の多くが持つ、枝やロープにつかまれる足指や尾を失っていることも一昔前の帆船上では不利な点でしょう。
逆に海に適応した「海人類」の姿は…海水が飲めるまたは生魚から水分が取れる、ビタミンC体内合成は当然必要でしょう。
テナガザルのように手はもちろん足も指が長く作業ができ、尾も使えれば有利です。
ラッコのように密度が高く油を含んだ毛皮、高緯度地方で進化した場合は保温のため厚い脂肪層も必要でしょう。
それだと重作業で上がった体温を調整できないかも…頻繁に海に潜って体を冷やすか、いや元々「水船」でいいかもしれません。
さらに手足の指に水掻きがあり、当然肺活量も大きく血液中の酸素も調整できて長時間の潜水に耐えられないと。
火は必要ないかもしれません。石器で木を切り、麻縄をなって帆を織ることができれば、もう広い海は彼らのものです…丸木舟を作ったりタールなどの処理に火が必要かもしれませんが。
金属の精錬と銃器にはどうしても火が必要ですから、限界はありますが…というか、そこまで海洋生物になってしまったら人類型文明を作るよりアザラシのようになったほうが早道かもしれません。
他に彼らの欠点は足が弱いため長時間重量物を運び、走るなど陸上での行動力が弱いことでしょうか。
でも現在の人類より「海人類」のほうがよかったかもしれません…しかしそれ、イメージの人魚はもちろんカッパなどとも随分違いますね。
または「海人類」が同等の知能を持って人類と共存していたら…いや、他にも様々な亜人類が人類と共存していたらどうなっていたでしょう。
「人類」の性格上他は全部滅ぼしてしまうかもしれませんが、少なくとも「海人類」を滅ぼすのは困難でしょう。でも人類が均質でも奴隷制度と縁が切れないのに、亜人類が存在していたら…どんなことになっていたか考えるとかなり嫌です。「海人類」も航海専門の半家畜奴隷にするかもしれませんし。
クリスマスに大規模なテロが計画されているようです。
一体どこがやられるか、いやテロがあるかもと皆が思うだけで十分な経済被害が起きます。
確かに家族と過ごす人が増えるのは個々の精神としてはいいのですが、経済的にはマイナスのほうが大きいでしょう。
それでまた起きる反戦運動はアメリカやイギリス、日本など政府に対して戦争をするなと抗議することはしますが、アルカイダやハマスに抗議していませんね。北朝鮮にも抗議しないのでしょうか。
もちろん、アルカイダも北朝鮮もアメリカや日本の政府以上に反戦運動の言葉など聞く耳は持ちません。
では反戦運動に何の意味があるでしょう…アメリカや日本が軍事行動を止めれば、それでアルカイダはテロをやめ、北朝鮮は核開発を中止し国内の人権侵害をやめるでしょうか?
天皇誕生日が今日か明日だったら経済的にも大助かりでしょうし、とても楽しかったでしょう。
でも本来天皇制とキリスト教は不倶戴天なので、重ならなくてよかったのかも。
それにしても、今後も何十年かに一日ずつ「天皇誕生日」は増えていくのでしょうか。
今ある普通の祝日も、いくつかは昔の天皇誕生日だったりしますし。
というか、なぜ天皇誕生日という発想が…誕生日自体西洋の発想ですし…あ、西洋の王室がある国では王の誕生日が祝日になるのでしょうか?中国の皇帝も?
法治や人権や政教分離などの諸原理、民主主義、大規模な自由貿易があり、かつケインズによって修正された資本主義市場経済、大規模な常備軍や福祉などを伴う主権国民国家…この現在の世界(の先進国部分)を構成する主要要素は永遠絶対でしょうか。
例えば中東やアフリカなど旧植民地の国境は自然条件や部族の歴史を無視し、列強が適当に地図に線を引いたものですが、それもまた神聖にして犯すべからざるものなのでしょうか。
大衆的で大規模な常備軍はそれほど新しいものではありませんが、それはどれほど必要でしょう。
資本主義市場経済は特定の地方(先進国)に富が集中し、他の多くは特定の作物や資源の産出に依存する独立できず不安定な経済となります。
またもちろん環境問題もあります。
ケインズ主義による修正や福祉国家の理念は確かに素晴らしいものですが、成長が続かない限り財政破綻が運命付けられているようなものです。
多くの、おそらくは全ての国は政治経済システムに深く犯罪組織が食い込んでいます。民主的な法治国家とされる先進国も、少なくとも部分的にはそれは表向きだけのことです。
法治や人権、民主主義は絶対正義かもしれませんが、それに反するフセイン政権もイラクが混乱に陥ることを防ぐためには必要悪だった、という論もあります。
民主化、市場改革を進めたロシア、東欧が経済的にも社会的にも破綻したという現実もあります。
また、法治主義的な人権ルールを守っていてはとてもテロを防げないという現実をどうすればいいのでしょう。
政教分離も、それ自体旧約聖書の神は絶対的に否定しています。ユダヤ、キリスト、イスラム教を本当に信じ、その神の命令に従うなら政教分離や諸宗教の寛容は絶対に認められません。
PKOなどで、どんなにひどい虐殺も国家主権、内政不干渉の名の下に見て見ぬふりをしなければならないという現実もあります。
国家主権、国連憲章のおかげで国同士の戦争が少ないといっても、国同士が地下で糸を引き合う地域単位の内戦で百万単位の犠牲者や難民が出るのと国同士の戦争で同様の被害が出るのと、どう違うのでしょうか。
国連軍でも米軍でも、「虐殺者は主権国家だろうがテロ組織だろうが内乱だろうが民族自決だろうが一切言い訳ぬきの問答無用で叩き潰す」ルールのほうが虐殺を防げるのでは?
様々な世論調査が行われていますが、肝心な質問は誰もしていない気がします。
もし一般市民と論壇に分けて「民主主義を信じるか」と聞いたら、どう答えるでしょう。
イエスが圧倒多数でしょうが、それは質問そのものが単純すぎるので、もう少し分解すると…
などになります。それぞれどうでしょう。2はNoが多いでしょうが、他はYesが大半でしょう。
しかし、
と問えば識者の大半、世論調査でも半分以上はNoと断言するでしょう。
ならば、民主主義…民主選挙制度は確立しています…では日本を救えない、ということになります。
すなわち、民主主義自体信じられていないのと変わらないでしょう。
現在はまやかしの民主主義であり、真の民主主義が行われていない(だから民主主義そのものが無力なのではない)ということもできますが、現在の制度上の民主主義を活用して「真の民主主義」に至るシナリオが示せないのでは同じ事です。
でも民主主義に対する代案はありません…3は大半はYesでしょうし、革命及びクーデターにはNoでしょう。
それについて、一般世論や識者はどう思っているのでしょう。
5がNoなのに3がYesということは、民主主義というのはもはや国を保ち民を幸せにする目的のための手段ではなく、民主主義そのものが目的ということなのでしょうか。それもまた疑問です。
従来のフロッピーディスクドライブを用いた大容量メディアは不可能でしょうか。
FDドライブは古いパソコンにもありますから。
それにしても、FDドライブの代わりにMOドライブというパソコンはなぜかないですね。なぜMOがFDの代わりになりきれないのでしょう。
またはDVDドライブでCDやCD-ROMが使えるようにFDも使える上に、別種のディスクで大容量とFDのようにほぼ無制限の書き込みが可能なシステムとか。
明治維新がなかったら日本は列強の植民地だった…常識ですが、真実でしょうか。
もしかしたら江戸幕府の改革の延長でも、日本が存在感のある独立国としてマイペースに近代化していく道はあったのでは。
証明は不可能、そうでないとしても極めて困難ですが。
日本がこのままアメリカに従ってイラクに自衛隊を派遣するのが国益か…
論壇は親米保守、反米保守、反戦と三分されているようです。
親米保守と反米保守の対立はわかりやすいです。
親米保守は、現実問題として日本が無事でいるためには、現状では自主的な防衛が不可能である以上アメリカに従う他ないという論です。
現実に即して日本の安全保障(資源確保も!)を考えています。
また、テロリストから民主主義を守るという大義名分も受け入れています。
反米保守は、現実的な安全よりも「日本人の誇り」という精神面を重視します。
国際法や国連の大義も無視するアメリカの、名分なき戦いにも盲従していては日本は独立国としての誇りの最後の一片まで失い、長期的な精神が崩壊する、と。
物質的な国益か、精神的な国益か…
反戦は主張そのものは反米保守と不思議と似てしまっていますが平和憲法の理念、国連憲章にこだわり、イラクやアフガニスタン、パレスチナの庶民の側に立とうとしています。
残念ながら国連の無力、大量破壊兵器テロの脅威、日本の資源、食糧自給率の低さなどを考えると、反米保守も反戦も現実的とは言えないです。少なくともプログラムとして不安定要因が多いことは確かです。
国連主体になったとしてもイラクやアフガンはそう簡単には安定しないでしょうし、日米安保の破棄は力の空白、混乱をもたらすだけでしょう。
ただし、親米保守…アメリカに従って約束を守っても、それほど見返りは大きくないでしょう。
そして、どの論も未来像…最高、現実、最悪のシミュレーション…がはっきり見えません。
もちろんビジョンを示す政治家はいません。
テロにおいて、なぜ天皇という要素を考える報道や作品が少ないのか…
日本の皇室とイギリスの王室の主要継承者を同時に拉致されたら、どちらも間違いなく動けなくなるでしょう。
暗殺でも重過ぎるダメージです…結果が予測不能なほど。9.11で示されたアメリカのヒステリーの比ではないでしょう。
現在左右を問わずマスコミに広がっている政治的絶望感は、
という現状判断からでしょうか。
その判断の帰結は、皮肉にも左右とも自民党政権が続いても絶望、政権交代にも期待できないということです。
小泉政権のままでは日本は潰れるといいつつ、「では誰ならいい」と問い返すと答えられないのです。
すなわち、選挙の結果がどうあれ絶望ということです。議会制民主主義が制度上はありながら、それが日本の運命を好転させる希望が事実上ないということです。
しかし、民主主義そのものを否定するのは困難です。
革新側ができることは「新憲法の民主主義を実現させなかった日本旧支配層、アメリカ」と「民主主義に向かない日本の国民性」を責め、「いつかきた道」への警鐘を鳴らし続けるだけでしょう。
現状に対する怒りと絶望しかなく、「ではどうすればいい」「何党に投票する」に答えられません。もはや革命の夢はなく、今後純粋な護憲政党が政権を取る可能性もほぼないのです。
戦後民主主義を否定する保守側も、民主主義そのものを全面的に否定することができる論者は少数であり、代案及びそれに至る手段を示しません。
となると、石原慎太郎待望論か外国のシステムに憧れるぐらいです。
さて、ではどうすれば?
現在の腐った社会上層部を全て粛正し、ポピュリズムを止めて正しい民主主義を実現するための暴力革命しかないのでしょうか?
それとも諦めて海外に逃げるべきでしょうか。
または自分で、どれも腐っている既成政党から背を向けて立候補する人が多ければいいのでしょうか?でも、今から全く新しい人間だけの、しかもポピュリズムとは無縁な政党が政権に迫るのは難しそうです。地方からの無党派知事の流れも政権獲得への流れと国家ビジョン双方において具体性に欠けます。
という構想について希望的な声は、なぜか少なくとも書店ではあまり見られません。
小沢氏自体を人格的に認めない声が大きいからでもあるでしょう…でも他にどんな、希望が持てる道があるでしょうか。
何をしようと日本の財政破綻、不良債権、少子高齢化、資源自給不可能というカードを見れば絶望するしかない、というのが正しいのかもしれませんが…悪いカードだけを見るのは正しくありません。
携帯電話の進化は、今ある形以外ありえなかったのでしょうか。
手に持って見るディスプレイ+操作部、コンパクトなヘッドホン+マイク、かさばる本体を線で結ぶ形ならここまで全体を小型化しなくとも、もっと早くから小型のパソコンとしての性能を持てたはずです。
一体でなければならない理由はありません…ウオークマンの多くは本体と超小型の操作部が分離し、コードで結ばれています。
また、多くの携帯電話にデジタルカメラが塔載されていますが、技術的にはラジオとスマートメディアによるウオークマンの機能を塔載するほうが楽だったはずです。
携帯電話の高機能化の代わりに、携帯電話を内蔵したPDAが普及してもよかったはずです。
いや…これは携帯電話だけでなく、他にも多くのモノについて言えるのでは?
現在普及している形が最も合理的とは限りません。
交流電流にも直流にも一長一短があります。
オート三輪が進化し、都市交通の主流になっていなかった必然性はありません。
キーボードのスタイルはタイプライターの構造を引きずっており、ベストではないことはよく知られています。
VHSよりベータのほうが性能的には合理的でした。
自動車にも風呂にも銃器にも…家屋や衣服にも、普及しなかった、または誰もまだ作っていないけれど実際に普及しているものよりはるかに合理的で高性能なシステムはあるかもしれません。
生物と同じように、最も適応している以上最高なのかもしれませんが…
サダム=フセイン拘束はまさに衝撃でした。
まさか生きてつかまることがあるとは思いませんでした!
生きている以上、何らかの形で裁かなければならないでしょう。少なくとも米軍が一方的に処刑することは許されないでしょう。
では何で裁くのでしょうか?自国民の虐殺?大量破壊兵器の不法開発?さらにイラン=イラク戦争やクゥエート侵攻?
独裁者を裁く法はまだ未整備です。というより、降伏も選挙もない以上法的正当性はいまだにフセインにあるのでは?
イラク国内法もまだ整備されてはいないでしょうし…元々それは困難を極めることです。
かといって国際社会や米英日の野党側、市民団体などが言うであろうとおり、全く裁かないのも不可能でしょう…それでは何のためのイラク戦争かわからないです。
そしてテロはどうなるでしょう。奪回のための激化…最悪の場合は大量の、または日英王室を含む人質…か、それとも黒幕を失って収束するか。
一体どうなるのか、予断を許しません…この事態だけは考えていなかったです!
子供たちの焼死…燃えかけた紙が入ったコップとライター…十中八九、火遊びからの悲劇でしょう。
それにしても、どうしていればよかったのでしょう。
親が目を離して出かけるべきではなかった、といっても子供が大きくなるまで家に閉じ込められていろとは無理です。無理が虐待などにもつながるのです…
ではもっときちんとしつけておけば?火遊びをするなと言っていなかったはずはありません。いくら言っても叩いても無駄です!子供は火遊びが大好きで、わずかでも隙があれば禁止されたことほどやりたくなるものです。
本当に親がいなくても火遊びをしないほど厳しくしつけると、多分無理が出ますよ。
正しい火遊びの仕方を教えておけばよかった…それもどうでしょう。反対する人が多いでしょうね。
どうしようもなかった…あえていえば、大家族制が崩壊して親戚や近所が子育ての助けにならなくなった時点で、こういうことは避けようがないのかも。
アメリカのように、近所の若者に給料を出して子供を見てもらうシステムが機能すれば、それが唯一の代案でしょうか。でもそれも日本では、他人に対する不信感のほうが強いです。
少年マンガの主人公のかなりの部分(不良、ファンタジーなど)は「個人の戦闘能力」を強く追求します。
特にドラゴンボールの孫悟空にとって、「強くなり、より強い敵と戦うこと」は彼の全て、人生の目的そのものです。
似た感じを持ってしまっている主人公は少なくありません…大半が国、軍に属さない無法者であり、勝利や平和や忠誠、あまり誉められませんが復讐や富など普通の戦闘目的以上に「自分の強さの追求」が目的になっています。
それは武士道、騎士道、紳士道全てにおいて邪道です。武士道で大切なのは忠義、名誉のために死ぬことであり、騎士道で大切なのは信仰と名誉です。
また、その「個人の戦闘能力」は現実世界においてはごく限られた力しかない…高段者でも銃で武装し、徒党を組んだ素人にまず勝てない…格闘技となります。
ファンタジーにおいては剣と魔法ですが、それも結局剣技という格闘技に帰着することが多いです。もちろんファンタジーではそれが万能になっても別に構いませんが。
ただ、そこには日本の武道のように強さの果てにある「道」、人格の完成を探す姿勢はありません。
そして、集団を率いて維持する力も求められません。少数精鋭でしばしば雑魚(ヤムチャ)である仲間がいることはありますが、少数精鋭と大軍を維持する方法論は根本的に異なります。
現実の歴史で力のある人、アレクサンダー大王やジンギスカン、織田信長らは(もちろん「Kyo」とは異なり)個人の戦闘力ではなく、組織力がその力です。すなわち大軍の維持で肝心なのは兵站と大将の神格化の維持、規律、戦略などですが、それは少数精鋭の自由なパーティには求められません。
仲間を集めるやり方も、劉邦と(ドラゴンボールの)孫悟空とはまったく違います。
もう一つあまり求められない力に知力もあります…名探偵という知力のヒーローはいますが。
人間の力には古来「戦闘力」「知力」「権力」があり、後に「財力」が加わりました。「徳」などの倫理的な高みも加わったものの一つでしょう。
少年マンガの目的は、その力を仮に体験する願望を叶えることでしょう。
確かに戦闘力は最古の力の一つですが、人間は本来集団で生きる動物ですから、むしろ権力…人を引きつけ、集団を支配する力のほうが有効な力のはずです。
サルでも拳だけでリーダーになるのは難しいです。
なのになぜ戦闘力…下等な個人の暴力に人気が集まるのでしょう。特に一匹狼に憧れるのでしょう。
ケンカに応用された格闘技など現実社会の主な暴力=警察や軍隊ではほとんど使えないし、魔法を加えた剣技は現実に存在しないのに、なぜそれにこだわるのでしょう。
少年マンガでは不思議なほど、リアルな近代戦も少ないですし「魔銃」もめったに見られません。
何より、本当に社会で力になるのは(ヤクザでさえも)まず人格の成熟、権力につながる人間関係能力、知識(教養といえないのが悲しいところです)、そして財力なのに…なぜそれを描く作品が少ないのでしょうか。
イラクについて、イラク戦争に大義名分はない、アメリカの不法な戦争に加担するな、国連の枠組みができてから…という主張を聞いていると、仏教の毒矢の話を思い出します。
毒矢が刺さっている人がいて、まずすべきことは矢を抜くことなのにこの矢を放ったのがどこの誰か、弓の種類は…などが全部明らかになるまで抜いてはならないなどといっていては被害者は死にます。
同様に、イラクもアメリカの正当性がどうあれとにかくまず治安を回復し、「衣食足りて礼節を知る」状態にするのが最優先ではないでしょうか。
正当ではないアメリカがいる限りイラクのテロは続くといっても、アメリカが手を引いたら治安が回復するというものでもないでしょう。毒矢を放った犯人が判明すれば被害者が助かるわけではないのと同様です。
治安と衣食では治安、というか「信」が優先でしょう。
論語にある話ですが、国に何が大切か聞かれた孔子は「政府などの信用、食料、軍備」と答えました。
それでどれかを捨てるならと問われ、まず軍備を捨てる…そして次に信用と食料のどちらをとるかと問われ、食料と答えました。
人はいつかは死ぬ、だが社会に信がなければ生きていても仕方がないではないか、と…
では、イラクにその「信」はどうすればよみがえるのでしょう。
アメリカは不法に侵略したのだから「信」が得られるわけがない、というのは確かに説得力があります。
でも、アメリカが手を引いて誰が「信」を得られるのでしょう。国連が唯一の権威だ、というのはあっさり国連もテロで撃退されたことから明らかにちがいます。
ではイラクにおける「信」を得られる正当な統治者はイスラム原理主義、反米テロリスト、フセインでしょうか?断じて違います!
まず必要なのは治安です。誰もが暗殺とテロにおびえ、略奪が横行し、犯罪を犯しても罰せられることもない状況…孔子が語ることさえ拒んだ「乱」の下、「信」などないでしょう。
確かに今の米軍の方法には多くの不備…本質的には圧倒的な数の不足、語学、習俗教育が行き届いていないこと…はありますが、腐敗の心配がなく規律を持つ組織であり、盗賊団と暗殺の恐怖、部族支配、無秩序に比べ次善ではあります。
最終的に、フセインがいない今、唯一イラクの民にとって「信」となりうるのはイスラム教と諸部族でしょう。
そしてイラクという国のナショナリズム…部族抗争で分裂してはならない、という理性による合意だけでも…が生まれ、その中心の精神としてイスラムの精神は失わず産業の近代化と人権尊重、民主化に向かう意思とバランスよく結びつくことができれば一番いいですが、無茶な夢想かもしれません。
少なくとも米軍が撤退し、たとえブッシュ大統領など米政権幹部を戦争犯罪者として処刑してもイラクの民衆にとっては何の利にもなりません。それを忘れてはならないでしょう。
必要なのは毒矢を抜くこと…テロを抑え、衣食と生活インフラを満たし、そして新しい国を作り始めることです。
イラク派遣決定…僕はむしろ、特にドイツがどういう論理で参加していないのか、どんな代案を出しているのかを知りたいです。
少なくともテロとの戦いは現在の世界にとって最優先事項であり、フセイン政権が核を持つこともイラクとアフガニスタンをテロリストが手に入れることも許容できないことは誰も否定しないはずです。
また、アメリカにとって大量破壊兵器テロへの恐れがどれだけ大きいかもいうまでもないことです。
となると、問題は方法論です。どのような方法をとることが、テロ防止、イラクやアフガニスタンの復興にもっとも有効かを考えることです。
確かに現在のアメリカの方法には多くの間違いが見られます。「衣食足りて礼節を知る」の原則を忘れ、石油資源最優先という印象を与えてしまったこと、民心獲得およびメディア戦略に失敗が見られることなど。
ですが、もし英米がイラク、アフガニスタンから手を引いたら、世界は慌てふためくでしょう。
日本の野党やマスコミの多くは国連主導の枠組み、主権を持ったイラク政府の要請などが言われますが、それが機能する可能性はあるでしょうか。
僕は難しいと思います…カンボジアなど一応成功している例は長期間の準備がありましたし、いくつかの条件の違いがあります。
何よりイラクを含めたアラブ人の本音は反米であり、本当の民主…投票をしたら反米どころかイスラム原理主義になりかねない危険があります。
また、フセイン勢力がかなりの力を温存しているのも危険な点です。
結局、国連はよほどの改革をしない限り、今の世界ではプレイヤーにはなりえないのではないでしょうか。
テロにテロという暴力で答えるのが間違いだ、暴力の連鎖は不毛で終わりがないというのは一面真実ですが、逆にテロを起こす側を満足させることも不可能です。援助は腐敗政権とテロ組織に流れますし、生活が保障されても若者に希望がないことと生活水準を上げるために必要な近代化に関する内面の軋轢は金ではどうしようもありません。
ではどうすればいいのか…もっとも素朴な見方をするとフセインもブッシュJr.も悪であり、さらに平和主義、国連、NGO主導などでどうにかなる状態ではないのです…
核兵器が爆発した時の電磁パルスは、全ての電子機器を破壊する非常に悪質な兵器になります。
ただ、その電磁パルスは非常に強いだけで、本質的には電磁波=光です。
ならば、それに匹敵する強さの電磁波をレーザーの形で照射すれば、大陸間弾道ミサイルの信管だけを破壊することもできるのではないでしょうか。
相対速度の大きさ、囮などからミサイル自体を物理的に撃墜するのは困難ですが、レーザーなら直線(大気によって屈折、散乱しますが)かつ光速ですから、囮も全部機能不能にするのはたやすいでしょう。
もちろん、電子機器が全部やられても機械だけで起爆する信管をつけているかもしれませんが。
日本人そのものに大戦の責任がある、というのは…戦時中、一人一人はどうしていればよかったのでしょう。
戦争に、軍部に協力したのが悪いのなら、反乱を起こしていればよかったのでしょうか。
つまり、革命を自力で成し遂げられなかったのが悪い?
でも、考えてみますと日本が戦争への道にのめりこんだのは、その革命に対する恐れも大きかったのです。
様々な不満があったからこそ、対外戦争でガス抜きをしようとして、それが成功した結果民意が戦争に傾いたのです。
革命への圧力があったからこそ戦争が起きてしまった…恐慌がどんなにひどくとも、欧米列強にどんなに侮辱されても誰も不満を持つこともなく黙って政府に従っていれば、逆に戦争など起きなかったかもしれません。
それに当のイギリス人やアメリカ人にとっても「勇気」「愛国心、祖国への忠誠」は最も大切な美徳であり、戦時中に祖国に背いて戦争に反対し、反乱するなど極悪非道で卑怯極まりない売国奴では?当時の日本人やドイツ人全員がその売国奴であればよかったのでしょうか。
まあ日本やドイツは独裁体制でしたから、独裁の打倒、悪逆な自国とその侵略軍への反逆は祖国への奉仕、軍人の義務に勝る人類共通の義務と考えれば…でもそれを国際法に書き加え、国際条約化しようとしたらほとんどの国は反対するでしょう。
また、アメリカやイギリスで平和のため、独裁打倒(ブッシュJr.は独裁者だという人も多いです)の反乱を起こす者もいないでしょうし、いるとしても絶対に支持は得られないでしょう。
第一、日本が共産革命を起こしたらアメリカもイギリスもパニック状態になって戦争してでも止めたでしょう。
「勇者」という言葉は、僕の世代の男だけかもしれませんが、「ドラゴンクエスト」諸作品などコンピューターRPG系のマンガの影響で「一人で強大な戦闘能力を持つ半神の少年。正義(=人間)の側に立ち、人間全軍でも勝てない魔王を小人数で倒す」となります。
でも、本当にそれが勇者でしょうか。
その勇者像は、やはり西洋のRPG、そしてそのベースになる騎士物語やギリシャ神話がもとでしょうか?それにしても相当それからもかけ離れています。
例えば「指輪物語」のフロド・バギンズは、確かに強い意志の持ち主ですが一人で大軍を全滅させる力などありません。
騎士物語の主人公も、確かに人間の中では圧倒的な強さを誇りますが、そこまでの力ではないです。
いや、世界を滅ぼそうとする魔物と対等に戦えるのはむしろ、ゼウスやオーディーンなど神々自身です!
日本の、RPG系コミックスはアクションをエスカレートさせる結果、人間ではなく神々の戦いを描いている…
本当に勇者の名にふさわしいのは…経典を求めて遠く地の果てまで苦難の旅をした玄奘三蔵、信仰ゆえにあえてヒトラーを暗殺しようとして処刑されたボンヘッファー、信仰と信念ゆえに強制収容所に入れられて自ら人の身代わりとして餓死室に赴いたコルベ神父…あれ、なぜ宗教者ばかりに。
でも本来「魔王を倒す」のは宗教的な意味も大きい気がします。
騎士がドラゴンを倒して姫を救うというRPGの基本の大元である聖ゲオルギウスも、本来の使命は宣教です。
コロンブスも素晴らしい勇気と意志で史上空前の偉業を成し遂げました。そしてピサロやコルテスなど征服者や黄金郷エル=ドラード、スパイスを求めた冒険者たちは…彼らは勇者というには、その道があまりにも血塗られていますし、動機は私利私欲です。少なくとも現代の僕の基準では、「勇者」の絶対条件である「正義」にあてはまりません。もちろん勇気と意志は偉大ですが。
また、例えば幸徳秋水、大塩平八郎、佐倉惣五郎、田中正造らも勇者なのでしょうか。
政治家に勇者はありえないのでしょうか?
生還を期さない仇討、暗殺、スパイなども勇者なのでしょうか。
また、人間同士の戦争において勇者はありえないのでしょうか。
さらにいえば、数学基礎論を築いて発狂したカントールやゲーデルも勇者かもしれません。
そして…逆に、地球生命圏のために人類を滅ぼすのは勇者ではなく、魔王でしかないのでしょうか。
神や地球自身の命令であっても?
対テロに、「衣食足りて礼節を知る」は有効でしょうか。
問題はどうやってです。援助は国同士のODAも国連やNGOの人道援助にしても、受け皿が腐っていてはシロアリを肥やし、回りまわってテロリストの資金になるだけです。
また、部族国家に戻ってしまいつつあるイラクやアフガニスタンにおいて、日本の鎌倉幕府などが、様々な家(部族?)で起こる家督争いや紛争を解決する機関であったのと同様、基本的な政治は部族に任せて厄介ごとだけを解決する形にすれば機能するでしょうか。
それでは人権や法治主義は、という問題もありますが、性急な近代化はろくなことがないでしょう…
それにしてもアメリカの占領体制のまずさは…何を考えていたのでしょう。
最近理由のない子供の殺人などが話題になります。
特に「人を殺してみたかった」というようなものが悪趣味な衆目を集めます。
理由なき殺人の原因には、それこそなんでもなります。
受験管理教育もゆとり教育も、核家族化から夫婦共働きも、戦後民主主義とも戦後の独占資本権力ともなんとでも言えます。
中でも自然から切り離された都会生活が生命の実感を奪っていることが指摘されています。
昔子供たちが自分の手で捕らえたネズミを水に沈め、鶏をしめて解体調理して食べたことは、理由なき殺人に対する抑止になったでしょうか?
生き物の命を自分の手で奪う体験は、必要なのでしょうか。
自然の中での遊びは多くの生き物の命を奪うこともあります。釣りや昆虫採集などその代表でしょうし、カエルの腹にストローで空気を吹き込むという残酷極まりない遊びもありました。
それは…子供の暴力に対する衝動を自覚させ、昇華し、コントロールできるようにする…殺人には至らない…効果があったのでしょうか。
反面、犬猫を虐待、虐殺する子供は次は人間を殺すことを楽しむから危険だとされます。
やはり子供はメディアも含めた暴力から隔離、保護し、きれいに育てたほうがいいのでしょうか?
それは子供である事自体、人間である事自体、自然からも隔離するような気がしてなりません。
住宅密集地域での同時多発放火または満員電車のような混雑した密室での放火は大量破壊兵器に匹敵する被害を出すことができます。
韓国での、地下鉄内での放火は地下鉄サリン以上の被害を出しましたし、原爆に匹敵する被害を出した東京大空襲も本質的には同時多発放火です。
木造住宅が密集しているベッドタウンを、乾燥注意報が出て強い風が吹いている深夜に風上から囲むように…綿密に計画し、車で風を横切るように走りぬけながら積めるだけ積んだ火炎瓶を投げ続け、風上に抜ければ数人から数十人の小グループ、ごくわずかな費用で充分です。
火がつながって燃え広がれば消防は無力です。範囲によっては十万単位の死者が出るでしょう。
考えてみると、なぜテロリストはその最も有効な手を使ってこなかったのでしょう。
これは予防も対処も不可能です。
もう一つ全く予防不可能に近いのが、要人一般市民を問わず特定の人物を名指しして予告、確実に暗殺することです。
現在のイラクでは、フセイン像が引き倒された際に喜んだバグダッド市民を映像から特定し、暗殺する活動が行われているとのことです。
もちろん米軍に対する協力者や暫定政権の人間も。
この、暗殺による統治を食い止める方法はないでしょう。
警官も含めて密告者だらけ、イラク人は全員信用できないけれどイラク人を全部排除することもできないです。
それで自爆を辞さない暗殺者から、まして多数の人間を守ることは不可能です。
元々フセイン政権は強力な秘密警察網を持っています。それをその形で使われたら、手がつけられません。
もし狙われていると思われる何万人もの人を外国に逃がすとしたら…それだけでもう敗北宣言です。
その二つを複合されたら最悪ですね、ターゲットのいるところを町単位で焼き払って皆殺し…どうしようもないです。
イラクにおける外交官殺人事件は、パスポートなどが盗まれていることはなかった、米軍の誤射など情報が錯綜しています。
事実関係が分からなければ考えることもできない気もしますが、その「事実」そのものが元々ありえないものなのかもしれません。
米軍の発表が事実すべてでないのは当然でしょうし、関係者皆が何らかのバイアスがかかっているものですから。
嘘を前提に会話の中から人格を探り、不整合を見抜き、真実を探り出すポアロの手法は限られた状況でしか使えません。
しかし…これも序の口でしょうか。これから本番が起きるのでしょうか。
覚悟はしていたほうがいいでしょうね…核も含めて。
人間は教養を高め、仕事を成し遂げて社会的に成功しても、やはり絶望はあります…少なくともキリスト教の立場で言えば、その絶望からは個人の努力では救われることはありえません。
ただ神だけが救えます。
また、下記の豚の側には宗教の必要はないのでしょうか?
そして神の前では、どちらも…血統書犬さえも変わらない、限りなく惨めな存在なのでは。
「素晴らしい新世界」に対する否定はわかります。
でも、あれは本当に不幸なのでしょうか。
読書もせず選挙にも行かず知的な関心を何にも持たず、愚劣なテレビを見て頭を空っぽにして過ごす愚民が多いのは悪夢だ、という世評があります。
そんな状態では生きながら死んでいるようなものだ、二度とない人生狼として生きろ、と。
でも、教養を高め、政治に関心を持ち、哲学的な悩みで苦しみつつリスクを犯して何かを達成し、人格を高めるのが人間にとって唯一の幸せでしょうか。
「満足する豚よりも不満足なソクラテスがよい」のは本当に真実でしょうか。
人間はソクラテスが全てではない、愚劣な豚も人間の本質の一つです。
愚劣なテレビで満足なら、選挙に行く気がなくて本も読みたくないのなら、無理に高める必要はないのでは…そう考えるとぞっとしますが。
さて、その満足している豚と「素晴らしい新世界」の労働者階層と、どう違うのでしょう。
そして、社会は狼と豚、どちらにとっていい社会であるべきでしょうか。
江戸時代から現代に至る狼は許さない社会と、弱肉強食で豚は死ねという社会とどちらが…
今の趨勢は弱肉強食というより豚は死ね、狼も死ね、血統書犬の天下ですが、政権交代にしても革命にしても望みがあるわけでもないのでどうしようもないです。
イラクで日本大使館員が殺された…これはどういう結果になるのでしょう。
これは自衛隊が来たらこうなるぞ、という警告でしょうか?
それにしては身分証明書も含めていろいろ奪うなど、物取りの要素が強いです。
見せしめなら拉致した上残虐な殺し方をし、身分証明書をそのままつけておくでしょう。
イラク全体で、外国人には用はない…攘夷というだけでしょうか?
結局イラクはどうすればいいのでしょう。
この殺害事件に対し、だから平和にするために自衛隊を出すべきだという論が当然考えられます。
それに反対するなら…大使館員や国連にさえ牙をむく連中がうようよいるのに、国連主導といってもあまり説得力はありません。
おそらく米英が手を引き、国連軍が駐留してもテロは起きるでしょう…攘夷なのですから。
そうなると、血を流さない方法は一つしかありません。
ソマリア同様、どうなろうと知らないと手を引くことです。戦国状態になるのを、ルワンダのように何十万人虐殺があろうと放置することです。
でも、その結果は9.11テロ…本当にどうすればいいのでしょうね。