枕元の計算用紙
1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月
3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月
3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月
3月 4日 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月
3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月
3月 4月 5月 6月 7月
2004年8月
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日
人間の知能は基本的には正規分布…なのでしょうか?
まあどちらにしても、「社会」はその中ぐらいの多数者によって構成されています。
その外にある人は、高いのも低いのも目にすることはまずありません…漫画の登場人物としても、クラスメートや同僚としても。
電車などで低いほうを稀に見ることはあります。
高いほうは…ノーベル賞授賞式で見るのでしょうか。
なぜ、入るはずなのに両方目に見えないような社会を作ってしまっているのでしょう。彼らはこの社会の一員ではないのでしょうか?
土壌の塩害を効果的に除去できる生物はないのでしょうか。
塩分が多い土地でも育ち、その塩分を吸収して葉や茎にためる草があれば、それを刈り取って海にでも捨てれば塩害は除去できます。
または自己増殖性ナノマシンでもいいですね、ミミズの糞塔のように銅でコーティングされた塩の塊があちこちに転がっているとか…
まあ世界選手権でもですし予選でも負けていますが、本当にバスケットボールUSA男子…NBAドリームチームが負けるとは。
これは誰も、シドニーオリンピックのリトアニア戦まで夢にも思わなかった事態でしょう。
そして、アメリカが、NBAマニアがどれだけ深く傷ついたか…想像を絶するスキャンダルです。
というか、大金払って決勝戦のアメリカ放映権を手に入れたテレビ局は泣くに泣けないでしょう。多分アメリカ人は誰も見ません。
もしかしたら野球でメジャードリームチームがないのは、シーズンの問題だけでなくこの事態を恐れる気持ちがあるのかもしれません。
それにしてもなぜ?最有力選手が出場していないから?気合が足りないから?NBA自体のスケールダウン?
いや…単純にグローバル化が進んだからでしょう。
NBAが広く世界から選手を受け入れて育て、先進技術を学んで帰った選手がそれを母国に伝え、膨大な放映ビデオやスカウトビデオでNBA選手を丸裸に研究しぬき…その積み重ねで各国が強化されたのでしょう。
そしてNBA、ドリームチーム…マイケル・ジョーダンが広めてきたバスケットボールの素晴らしさが世界中で放映されて広まり、各国で多くの人がバスケットボールをやってきたから、これが一番大きいのかもしれません。
ならば世界全体でのバスケットボールを考えれば、これはめでたいことなのかもしれないです。
そう、日本も、もしメジャードリームチームができたとしても、同じことができる可能性はあるのでは?
野茂選手をはじめメジャーリーグで活躍している選手たちが日本に帰ってきたときにきちんと迎えて底辺から日本球界の大変革をさせることができれば、オリンピックでメジャードリームチームを破るのも夢ではないでしょう。
要するに、野茂選手に引退後数年間アメリカでコーチ修行をしてもらい、それから三顧の礼で読売巨人軍監督に迎えるべきです。「ワールドシリーズに勝てるチーム」を目標に。
逆に彼らを裏切り者として排斥し、旧態依然を続ければ永遠にメジャードリームチームに勝つ日はこないでしょうね。
秩序は善なのでしょうか、悪なのでしょうか。
基本的には秩序はあるほうがないよりよい、という意味で善とされます。
ただし、マルクス主義や無政府主義の立場では、秩序は強者による弱者支配であり、悪となります。
現在、アメリカは対テロやニューヨークのジュリアーニ市政など、自由社会から監視社会に向かう傾向があるとしばしばいわれます。
それは一面としては秩序を守ろうとしてです。
それが悪いのであれば、ではどうすればいいのでしょうか。
ある程度の無秩序は許容して、自由を優先すべきでしょうか?
無条件に最低限(それも現在の生活保護よりかなり高い)の生活が公的に保障され、それに足るものがきちんと供給されている社会では、人は金のために悪事に手を染め、職を守るために悪事に目をつぶり、自らも流されることはないのでは?
どれぐらいの悪が生活のためなのか…逆に職を失う心配がないなら、どれほど人は正義感のままに動けるのでしょう。
それとも、やはり餓死することはなくても「職」は別の価値があるのでしょうか。
ロシアでの飛行機の同時墜落は、やはりプーチンロシア大統領狙いのテロでしょうか。
そして…墜落ではなく撃墜では、という可能性も考えてしまいます。もちろん9.11や最悪の場合チェルノブイリのようなことになるならば撃墜もやむなしなのはわかっています。
もし、それでプーチン大統領がやられていたら…ロシアは、チェチェンはどうなっていたでしょう。
チェチェンについてもロシアについても、今はあまりにも情報が不足しています…イラク、否いまやオリンピックに情報は占領されていますから。
そのプーチン政権は独裁に向かっているとよく言われます。
今は非常事態だから強権しかない、とよく言いますが、その非常事態が普通に終わって民主主義に戻ったことがあるでしょうか?
南米のように、クーデターによる軍事政権やポピュリズムなどがころころ交代して政治が全く安定しないのと…どちらがいいのでしょうか。南米化する恐れはないのでしょうか。
オリンピックで日本がかなり勝っていますが、その種はいつごろ蒔かれ、どのように育てられてきたのでしょう。
いつの、どのような振興策が正しかったのでしょうか。
どんな組織改革があったのでしょう。
指導者層はどのような人たちで、彼らはどういう考えを実行したのでしょう。
その考えを邪魔されずに実行できるようになった要素は何だったのでしょう。
そこをよく見なければ、失敗からだけでなく成功からも学び、そして成功の中にある反省を的確にしなければまた元の木阿弥になるでしょう。
日露戦争で日本は勝ったことを誇りすぎ、うぬぼれて後の敗北を招いたことを忘れてはなりません。
下で考察したテロを止めるための十兆円の使い道ですが、他にも
こうオリンピック報道一色では、せっかく艱難辛苦の末に優勝した高校球児もやりがいがないでしょうね。
他の報道もほとんどなくなりますから、そういう時期は殺人犯もスキャンダルを暴かれる芸能人もあまり注目されずにすみますね。
マイクル・ムーア監督はアメリカの恥部を暴きたいなら、歴史には手を出さないのでしょうか?
先住民の虐殺、『アンクル=トムの小屋』、軍隊を使った労働組合の虐殺、原爆投下や東京大空襲、戦後の南アメリカにおける反民主主義政策などなど描くことはいくらでもあるはずです。
そして世界の全ての悪を描いた一連の映画…「黒の章」みたいですね。全部見たら発狂するとか。
一方に、ロサンゼルスに対する国際的な核兵器テロ計画が情報部の話を総合すると浮かんできたとします。
もう一方に、自由な資金が日本円で十兆円あります。
どう使えばテロ計画を阻止できるでしょう。
もっと重要なのは、どうすればテロそのものを予防できるでしょう。
老人用の、十八歳の若さになれる代わり一ヵ月後に確実に死ぬ薬があれば、どれくらいの人が使うでしょう。
そしてその結果は…老人の富と経験に若さが加われば、少なくとも異性を誘惑するのは簡単でしょう。
また、美食にしても若い体でするのは楽しいものでしょう。
多くの楽しみは若いときには経済的には無理で、金ができる頃には老いてしまうものです。
どうせ一ヶ月の命なら大冒険を、という手もありますが、考えてみるとそれは若返り薬なしでもできそうですね。
現代社会のもっとも大きな特徴は、大量の安価な食料ではないでしょうか。
それを支えているのは近代工業としての食糧生産です。それは
など、エコロジーの観点から強い批判を浴びています。
しかし、再生、持続可能で自然な伝統的有機農業で食糧を生産しようとすると、どうしてもこれまでのように安価で大量というのは無理です。もし持続可能な有機農業以外許されなければ、食料品の価格が大幅に上昇することになるでしょう。
それは世界の貧困層の相当部分に餓死せよということであり、先進国も消費税の大増税同様貧困層の生活を完全に破綻させる弱いものいじめになります。
肉を毎日食べることができるのは現在毎日松坂牛を食べられるような金持ちだけでしょう。
ちなみに食料だけでなく、油を原材料とする石鹸も一部の金持ちにしか手が出ない貴重品になるでしょう。
居酒屋などでは酒が飲めない人はソフトドリンクは種類が少なく、効果でおいしいものもないので特に飲み放題の場合損をしがちです。
チェーン喫茶店とチェーン居酒屋がくっついていれば、その喫茶店の各種コーヒー、紅茶などさまざまなソフトドリンクを楽しむことができそうなのに。
古いパソコンを何台も何十台も集めて、その部品から新型以上のコンピューターを作ることは不可能でしょうか。
メモリもハードディスクも足し合わせ、そしてCPUも並列的に使うことはできないのでしょうか。
北朝鮮は、拉致問題について
「日本や韓国には、よど号事件の犯人のように悪しき資本帝国主義体制の横暴で弾圧され、わが国に亡命を希望する者がいた。それを支援する地下組織が『拉致被害者』を脱出させることに成功したのである。
だがそのわが国で幸福に暮らしていた亡命者たちは残念ながら、皆米帝の地下工作で暗殺された」
と、全てを闇から闇に葬ることもできたはずでは?
あのとき〜していれば(していなければ)という仮定に、どれぐらい意味はあるでしょうか。
僕は常に「歴史にifはない」に背き、歴史のIfを考えてきましたが、よく考えてみると…「日本があの戦争をしていなかったら」現在の世界について考えられることは一通りではありません。
無数に考えられます。
日本は暴動で共産化していたかもしれないですし、第二次世界大戦が起きなかった結果東洋の大半は植民地のままだったかもしれません。
第二次世界大戦も々転んでいたか分かりませんし、中国は蒋介石政権か毛沢東政権か、アメリカかソ連か、それとも明朝が再興されていたかもしれません。近代化だってどうなっていたでしょう。
歴史の、過程の分岐からある程度以上先に行くと可能な世界が多くなりすぎるから「歴史にifはない」という戒めがあるのかも…
でも、多様な可能性はあっても大きな流れはあるのでは?医学や科学の発展は、基本的には同一でしょう。
クーラーやガス給湯器の廃熱を、食器や衣服の乾燥、浴室乾燥暖房などに使えないものでしょうか。
特にマンションでは相当なエネルギーの節約になるでしょう。
ましてマンション全体を外断熱し、エアコンも給湯も全部中央でやって廃熱も給湯に使って配分すればどれだけエネルギーを節約できるか。
「日本が憲法を改正し、自衛隊を軍隊として扱う」ことと「核廃絶」は絶対両立しないのでしょうか。
それとこれとは別なのでは?
軍隊として扱うからこそ、必要に応じて縮小する可能性もあります。核が有効でなければ捨て、有効であればもつという判断もできます。
戦争を起こしたい勢力は利権でやっているから有効性など考えていない、といっても、核戦争で地球が壊滅したら利権もクソもないと政治家も理解しているはずであり、だからこそ冷戦でも核戦争だけは起きなかったのでは。
現実と妥協したらいつか来た道まっしぐら、と考えるより、現実的に可能なところから理想を実現していく柔軟さが必要でしょう。
いや、それ以前に「日本が憲法を改正し、自衛隊を軍隊として扱う」ことは、果たして民主主義そのものと両立しないのでしょうか?
軍隊のある民主国家というのが根本的な形容矛盾だとしたら、コスタリカ以外民主国家はないということになるでしょう。
すなわち、民主主義=非軍ということですが、民主主義の起源である古代ギリシャの市民兵からしてそれとは根本的に異なります。
今後の政界についてはとりあえず政権交代(自民党から民主党に)、自民分裂、民主分裂の有無の八通り、それぞれについてのシミュレーションが中心になるでしょう。本来ならそれぞれのいい予測、現実的な予測、悪い予測の三通り必要でしょう。
そんなコップの中の世界ではどうしようもないといっても、その外のシナリオ…地方がどうとか…は想像不能なため予測しても無駄です。
政 権 交 代 |
民 主 分 裂 |
自 民 分 裂 |
||
有 | 有 | 有 | いわゆる政界再編シナリオ。 民主党に政権交代して自民が分裂、民主党も解体して政治信条が合う同士で組む。 これ以外に、国民が政策を選択する真の民主主義が実現する道はないし、反米独立保守や緑の党、社会民主主義など大政党に閉じ込められている少数思想が政党化する道もない。 ただし、少数思想による政党を許容するには選挙制度の改正が不可欠。 |
|
無 | 有 | 有 | 政権交代がない限り自民党の解体はありえないので、この二つは考えなくていい。 細川政権の夢よもう一度と期待している人は多いようだが。 |
|
無 | 無 | 有 | ||
有 | 有 | 無 | 政権交代はしたものの民主党が政権運営を失敗、党内の意見不統一が表面化して自己解体…細川政権の末路。 | そしてまた失われた十年、しかも小選挙区制の性質上小党は各個撃破されて自民党の圧倒多数政権となり、国民は完全に民主主義に絶望する。 その後は予測不能。 |
無 | 有 | 無 | 政権交代できないことに疲れた民主党が内部対立を表面化させ、自壊していくつかの小党に。 | |
有 | 無 | 無 | 二大政党制の定着。カレーライスとライスカレー、両方改憲という意味では選択肢は狭まるが、一党独裁の長期化による癒着構造は定期的に清掃できる(原理的には)。 民主党が社会民主方向に変質、自民党も小泉路線が強化されれば(またはその逆)大きな政府と小さな政府という対立軸も生まれうる。 |
|
有 | 無 | 有 | この場合は民主党政権が分裂した自民党を各個撃破して長期化できるが、本質的に民主党もばらばらの政党である…自民党政権が続くのと変わらない? 民主党が新自由主義を強める方向にいくか、それとも社会民主(第三の道)に行くかが重要となる。 |
|
無 | 無 | 無 | 何も起きず自民党政権のまま…自民党内では小泉路線が定着するか、それとも公共事業派の復活がありうるか。どちらにしても指導者を出す力はあるか? 民主党に常に批判票が集まるが、万年野党化? |
なぜ近代国家は家族を尊重するのでしょう。
近代の根本である軍隊と工場は、最終的には家族を否定するほうが効率が高いのでは?
つまり軍隊であれば、一般家庭で生まれ育ち、最終的には家庭に属し、それゆえに私情や普通の倫理、常識を持つ兵よりも、生まれてすぐ両親から引き離して集団で軍隊の論理だけを叩き込んで育てられた、軍隊こそが家族であり、唯一の帰属先である兵士のほうが精強にできるのでは?
アフリカの内戦の少年兵のように、自分の手で家族を殺すよう強要された兵はもう帰る家がないですから絶対の忠誠を持つはずですし、帰りたいという不満=脱走の恐れもないはずです。まして軍の中で生まれ、軍の中で育った子供はそれ以上に忠実であり、生理的にも軍に順応しているでしょう。
工場についても同様です。
軍隊及び工場という効率を追及する組織の構成員の再生産を、なぜ家庭と学校を利用するのか…家庭そのものを否定し、生まれた子供は両親から離して全て全体が育てるシステムにしたほうが組織の論理のみに忠実で近代という異常な論理に適応した人間を生産するのは容易なはずです。
ただ、この論理は近代システムの本質から逆算した考えであり、現実の歴史は過程を基盤にした人々の、自然な人生の積み重ねです。
近代システムをわかっている人が、上から全てを設計したわけではありません。
歴史が上からの設計ではなく、下の動きの積み重ねである以上家族が消滅することはそう簡単には…
いや、実際近代化の過程で部族、ムラ、大家族は崩壊し、ヨーロッパでは夫婦+子供という意味の核家族さえ少数になっているといわれます。
下から家族が壊れることはあるのかもしれません。でもその結果、完全な全体主義になるのは難しいと思われますが。
何も今日起きなくても、というのが正直なところです…犠牲者のご冥福をお祈りします。
今僕が、クーラーはないけれど扇風機を使い、パソコンを使っていられるのも発電所で危険な仕事をしてくださっている皆様のおかげです。
今日この日にこんな事故が起きたことは、やはり核兵器も原発も核そのものが人間には害しか及ぼさない悪である、禁断の火であるとの天の警告だといわれれば信じてしまいそうです。
しかし、事故の報道を聞けばこの事故は火力発電でも起き得るものと思われます。
火そのものが、電気そのものが原子力でも火力でも非常に危険であり、それでもそれがなければ先進国の生活はできないものなのです。
それ自体に反対する、電気のない生活…特に都市は電気をなくしたらどうなるか、細かく想像すれば無理だと分かるはずです。工業生産もできなくなり、農業もとても一億を養えるほどにはできないでしょう。
ただし、原子力発電所が万一大事故を起こした場合、その被害は火力発電所の比ではないことは事実です。
僕が原子力黎明期に核物理と技術を十分学んだ独裁者であれば、ウラン資源があっても原発は推進しないでしょう。
まあこれほどの事故でさえ放射能漏れがない、それほど徹底した保安措置は取られているようですが…
本音を言えば核を扱うのは月か深海底でやってほしいです。
でも、原発に多くの意義があることは確かです…二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーであること、有限には違いないけれど石油の寿命を相当延ばすことが出来ること…まして核融合発電になれば、エネルギーは事実上無限にできることなど。
小泉首相がポピュリストであることは、就任当初から多くの人が指摘していました。
ある程度経ってからは左右とも論壇の多数がそう指摘し、批判を強めています。
小泉首相の異常な支持率は、テレビ政治の発展と自民党、民主党、社民共産全ての既成政党に対する強い反発が基であって積極的なものではない、だからこそ小泉首相に対する圧倒的な期待が失望に変わったときにはどんなデマゴーグがでるかわからない、非常に危険だという危機感も当初からありました。
にもかかわらず、三年以上経っているのに左右とも、「では誰ならいいのか」の答えを用意できなかったのはどういうことでしょうか。
古いタイプの革新、第三の道、環境、新自由主義、保守、自民型旧守など全ての陣営はこの三年何をしていたのでしょう。
マスコミが小泉首相の味方だから、というのは自分が無能であるということであり、無能は言い訳になりません。せっかくインターネットという技術も発展したことですし、新しいマスコミを立ち上げればよかったのです。
否定された従来のあり方を反省して新しいビジョンを確立し、それをきちんと主張して推進できる指導者を育てるのに三年では足りなかったのでしょうか?
USBでパソコンなどとつながってデジタルデータとして情報を取り込めるVHSビデオ、カセットテープリーダー、レコードプレイヤーがあれば、大量のアナログデータを暇なときにハードディスクやDVDに落とせて便利では?
ほとんどの家には大量のビデオテープとカセットテープがあるはずです。
DVDとVHSの両方があるプレイヤーは、ビデオの画像を編集しながらDVDにすることができますが、カセットテープの情報はそうはいきません。
まあカセットテープやレコードプレイヤーからCDを焼ける専用機と、DVD-VHSプレイヤーがあればいいのですが。
今日の試合で、もし最悪の事態…暴動で日本代表および日本人サポーターの虐殺…になったら戦争でしょうか?
しかし、なぜここまで東アジアでの反日感情は強いのでしょう。
日本軍が侵略し、虐殺したからという答えが返ってくるのは分かっています。
ではなぜ日本軍は、抵抗がある…嫌われている、民心を得ていないと知っていながら侵略を続けたのでしょう。なぜ国際法以前に軍規、そして兵法を無視したのでしょう。
そして、中国においては反日が中国という多民族をまとめるタガになっている面も見逃せません。
これはどうすれば解決するでしょう。時間では無理そうですし、いくら謝罪してもきりがないでしょうし、きちんと反論しても聞いてもらえそうにありません。
諦めて害がないようにおとなしくしているのが賢明でしょうか。
問題はその反日が、世界的な宣伝力を持っていることなのですが…そういえば重慶でのブーイングに対し、世界各国の反応は聞こえてきませんでした。中国が日本に何をしても関心はないのでしょうか。
国民に危機意識というか、民主主義としての当事者意識が感じられないのは55年体制という出来レースが続いて有効な投票が出来なかったことと、安保から全共闘の失敗では?
あの失敗で皆が…まるで全財産を賭けて負けたような思考停止がずっと、しかも若者全員に継承されて続いている気がします。
しかし、一つの方針で失敗したかとしても、他にもできることはいろいろあったはずです。
共産主義がダメなら社会民主主義がある、それがだめなら…と柔軟に民主主義にむかうよりよい道を求めていけばよかったのに、多数の国民(特に若者)は民主主義そのものを理解しないまま思考停止を選んでいるのでは。
特に思考停止がひどいのは左側です。
自分たちの過ちを誠実に総括することなく、特に冷戦終了後も従来通りの姿勢から出ることはできませんでした。
しかも、既製左翼政党に対する不満、異議が本当の社会民主主義や緑の党として政治的な影響力を持つこともありません。
そうして思考停止が広がった結果、一時は細川内閣への高支持率で見られたように一瞬希望が見られたものの、それも結果的に、小選挙区制で政権にしがみつく自公と、ばらばらなまままとまってやっと生き延びている民主(分裂純化したら生き残れない)というどうしようもない状況に陥り、小泉首相への期待というとんでもない形に流れてしまい、それが覚めた今…なんとかしなければ。
民主化は不可能じゃない、まだできることはあるはずだ、と一人一人が絶望を乗り越えなければなりません。
永田町だけを見ればどんなに絶望的な情勢でも、どんなに全共闘の失敗が無残でも、失敗からよく学んで全てを見直して、とりあえず民主主義の実現を目標にやり直せばいいのでは。
絵は文字より教育がなくても覚えられます。
では字を教えるのではなく、絵で情報を伝える形の文明は考えられないでしょうか。
例えばエジプトの神殿のレリーフなどは、歴史などをほとんど絵で表現しています。また、技術についてもマニュアルは絵で描かれていたほうがわかりやすいかもしれません。
そして心配なのが、今後のネットの発達によっては文字を必要としない文化は生まれないでしょうか。
確かに今のネットはテキストが中心、携帯電話文化も文字メールが中心ですが、どちらも画像も多用します。
その延長として短い言葉を口で吹き込み、それと写真を組み合わせたメールが中心になることは考えられないでしょうか?
さらに「ムカつく」など言葉としては退化しているといわれる感情そのものを、抽象画のように手軽に表現できる描画ツール(+作曲ツール)が普及し、それを送りあう形になる可能性はないでしょうか。
ただし、今の文字メール携帯電話文化は顔文字やヘタ文字など、字そのものを自由にもてあそぶ面もあるので、文字文化が廃れることはないのかもしれませんが。
二大政党制を期待し、また批判する声が多くあります。
自民党と民主党の二大政党制は持続するものでしょうか?
確かに政権交代がなく、「民主党が惜しいところまで追い詰めるものの公明党の力で自公は過半数をかろうじて確保」がずっと繰り返されるなら二大政党制でありうるでしょう。
しかし、政権交代してから数年民主党政権が持続すれば、民主党同様内部がばらばらである自民党は政権という蜜を失い、ばらばらになるでしょう。
そして民主党もばらばらになり、護憲改憲、大きい政府と小さい政府などわかりやすい政策軸で再編する…という予定になっていませんでしたか?
でも民主党も現在、バラバラではありながら自由党さえ取り込んでまがりなりにもまとまっているということは、野党となった自民党も小選挙区制のために分裂、各個撃破を恐れてまとまり続けてしまう可能性もないわけではないし、民主党も政権という蜜を接着剤にまとまり続ける可能性はないでしょうか。
再編が起きず、本当に時々政権交代するだけの、両方バラバラの二大政党制が定着してしまったらある意味最悪の事態かも。
そうならないためには、政権交代後できるだけ早く選挙制度も改革する必要があるかもしれません。
現状を見れば、自民党の自壊は進むけれどどっちもどっち、取って代わる存在もなくずぶずぶと政界全体が崩れていく可能性が高いのですが。
民主党もそのうち万年野党でいることに耐え切れず分裂するか、変質して支持層の多くにそっぽを向かれる可能性は無視できません。
読み終えたら全部食べてしまえる新聞や雑誌があれば、ごみにならずにすむのですが。
まあ電子ブックのほうがごみは出ないですが、なかなか普及しません。
本来ネットができるPDAは十分本、新聞として使えるはずなのですが…?
ウエアラブルパソコンを待ったほうがいいのでしょうか。
敵に似てしまうのは仕方がないのでしょうか。
西洋の侵略に対抗できたのは、自らの近代化…明治維新…のみであって、神風連や義和団ではないのが現実ですが。
核兵器に対しても、抑止力があるのは本質的には核兵器のみです。
でも、その敵に似る過程で、自分のアイデンティティも失ってしまうことはないでしょうか。
例外は確かにあります。
テロ、ゲリラ戦術は全く違う次元から、近代国家、近代兵器の正規軍を攻撃することが出来ています。
これに反対する理由は何でしょう。
「諸国憲法の生活権を敷衍し、世界全体で世界の人全員に最低限度の生活を保障する」
財源でしょうか?それならその機関(国連?)が炭素税などの税をとればいいです。
それは国家主権を侵害するといわれるでしょうが、なぜ国家主権は不可侵なのでしょう。
世界の全ての人に最低限度の生活を送る権利を保障する、という自明の善に背く国家主権の概念自体が間違っているといわれれば?