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31日

日本の教育はホームルームや委員会活動などを通じ、民主主義を教えようとはしています。

しかし、実際には平等主義が強く、リーダーシップや軍、古典という民主主義の重要な要素を忌避しています。

平等主義かつ民主主義は、衆愚でしかありません。
そして、それをなんとかするために権威主義をとってしまいます。

30日

今朝テレビで放映された会見を見ていると島田紳助、一場靖弘両氏の問題は本質的に同じ気がします。
つまり、法的にはよくないとわかっているが、「当たり前」「みんながやっている」「(狭い世界での)常識」「ずっとそうやってきた」「慣習(命令)だ」からやったに過ぎないことが、ある日突然重罪になるという…本人にとっては不条理です。

島田氏の場合、会見内容が事実なら、多分彼自身が若い頃に同様のことをしたら、女性でも重傷を負うほど殴られるのが「当たり前」=「正しいこと」の世界で育てられたのだと思います。
鞭で骨が見えるまで叩かれるのが「当たり前」の教育を受けて教師になったら、知らない間に体罰が禁止されていたとします。けれど、やはりみんなひっぱたいているし平手など体罰のうちに入らない、という感覚になってしまうようなものでしょうか。
感覚の麻痺といえば、西洋中世では万力のようなもので親指を締め上げるのは法的に拷問ではなかったとか。日本の江戸でも同様に、吊るして竹刀で叩くなどは拷問のうちに入らなかったらしいです。
時代の変化が急すぎていかなる暴力も許容されない時代になっていたことが、わからなかったのかもしれません。

一場選手も同様でしょう…みんながもらっている、といわれれば疑問を持たない…目上の言葉に疑問を持たないよう、「みんながそうしてる」「そうすることになっている」といわれれば疑問なく受け入れるように野球界全体が育てたのでしょう。
自分で物を考えるような生意気な性格であれば、多分ドラフトの目玉にはなれないのでしょう。どこかで潰されて。
少なくともこれまでもドラフト全てで、往年の名選手を含め、裏金を受け取っていない選手のほうが少ないことは明白です。

それはもはや不条理劇です…あ、『わたしは貝になりたい』『南十字星』など、BC級戦犯の悲劇にも重なりますね…当たり前のことをしただけ、それに疑問を持つこと自体許されていなかったのに、それが突然罪とされる…

29日

貧富の差を広げる政策が行われているといいますが、それは環境にはプラスとマイナスどちらなのでしょう。

技術水準や効率やモラルが下がることにより環境破壊はよりひどくなるのでしょうか?

いや、実際に牛肉を食べ、車を運転でき、電気を一日中使えるのは10%の金持ち階級だけの社会になれば、資源浪費は大幅に減るでしょう。
10%の金持ちがどんなに無駄遣いをしても、80%の豊かな生活をする中産階級ほどではないでしょう。
貧富の差がない皆が中産階級(で、車と電気と牛肉)の社会こそが環境にとって破滅的なのではないでしょうか。

ならば全員が自発的に車と電気と牛肉を諦める…それは無理というものです。

28日

日本が第二次世界大戦に勝ってしまう仮想戦記は多いですが、逆にハル=ノート受諾から始まる仮想歴史はどんなものになるでしょう。

暴動が恐れられていましたが、天皇の権威などそれを押しとどめられるだけの力が日本にあったでしょうか?
動乱や内乱、革命騒ぎにも至るかもしれません。
そうなればきっと、現実の歴史では出番がなかった人やすぐ戦死した人などがさまざまな形で活躍したでしょう。

そして、最終的に日本はどうなったか…共産化してソ連に征服されるか、朝鮮や台湾は失うか、そして中国はどうなっていくか…

27日

選挙制度に対する批判も多いです。
滑稽なことに中選挙区または単純比例代表にしろという声もあれば、単純小選挙区制にすべきだという声もありますが、おおむね現状には批判が多いようです。

さて、では従来の中選挙区制で、現在特に批判が多い少数意見の圧殺はなかったのでしょうか。
中選挙区制に戻せば護憲政党や環境政党、またその逆の反米独立保守などの少数政党も十分な勢力を持つことができるでしょうか?次々と清新な候補が立候補して当選し、政界は浄化されるでしょうか。
中選挙区制でも十分腐っていたことは、忘れられているようです。

何事にもメリットもデメリットもある、それだけです。

むしろ定数是正こそ急ぐべきことでしょう。

26日

やはり災害のための備えは、三日間は完全に孤立しても何とかなるレベルで必要でしょう。助けは来ないと思ったほうがいいようです。
それほど難しいことではありません。乾パン、インスタントラーメン、総合ビタミン剤、ミネラルウオーター2リットル×6以上、ウィスキー、丈夫な靴、下着三セットほど、靴下一ダース、軍手、フリースの上下、ジャージ上下、ポンチョ、タオル一ダース、ウエットティッシュ、エマージェンシーブランケット(最新の丈夫なもの)、トラックなどにかぶせるビニールシート、ロープ、MPT、小型シャベル、カセットコンロとアルミ鍋、(飲める水でなくても)水が大量に入るタンク、LEDライト、ラジオ、小さい救急箱などでしょうか。
いや、そんなもの用意できない人も多いですから、とことん軽減してかなり不自由だけどまあ死にはしない、という程度でいいかもしれません。
とにかくいつでも避難の準備をしておき、そしてできるだけ早く身一つ+十分な装備だけで避難するのが正解のようです。

しかし、化学的に水だけで温められるヒーターなどいろいろ入ったMREなど軍用糧食が非常用に市販されていればもっと便利なのですが…少なくともスーパーでは見ません。

携帯電話は結局、それほど役に立たなかったようです。
やはり情報収集、緊急連絡については、ある程度諦めたほうがいいのかもしれません。

問題は、自力避難が難しいお年寄りです…やはり家でひとりで暮らすのは無謀なのですが、その気楽さは換えがたいものがあるのでしょうか。

できれば定期的に、自治体全体で大災害を前提にした避難訓練をすべきなのでしょう。
それこそ大震災が起きたことを前提に、仕事も全部麻痺させて本当に市全員ぐらいのスケールで二日間避難生活を送る、というレベルのを。それで備蓄食料を期限切れ前に食べきればちょうどいいでしょうし。

25日

震災、ですね…台風で土にたまった水との相乗効果も大きいようです。
亡くなられた方には心よりご冥福をお祈りします。

今回の政府の対応は、強い非難を浴びた村山政権と違うでしょうか?まだ評価は出ないでしょう。

問題は、打ち続く天災は緊縮財政、公共事業不要論に反撃になるでしょうか?
災害対策のための補正予算は組めるでしょうか。三位一体改革はどんな影響を与えるでしょう。大問題が起きているとも聞きます。
といっても、もし補正予算が組めなくなってもそれはその自治体、否国そのものが破産状態なんだといわれればどう反論できるでしょうか?

24日

台風の被害で野菜が高騰しています。
同時に農家も大きな被害をこうむっています。

ジャスコが前の台風で、落ちたリンゴを安売りしてかなり売れました。それは本来ならすべてを失うところだった農家にとっても大きな救済になります。
それを続けて拡大し、品質について完全主義をとるのをやめて、多少の傷ならはっきりコーナーを分けて出してくれれば家計も農家も助かるのではないでしょうか。

もとより、野菜の傷や形にやたらこだわること自体が問題なのですが…

23日

なぜ女子のスポーツはそれほど人気がないのでしょう。

甲子園のように、高校生の大会が全国で放映され、高い視聴率を得ることはありません。
プロ野球やJリーグのような人気プロスポーツもありません。
せいぜいいくつかの種目がオリンピックに出たときだけ放映されるぐらいです。

なぜ?

22日

イラクに大量破壊兵器はありませんでした。
昔あったことは確かです。

どこにいったのでしょう。
今は誰が持っているのでしょう。

21日

もし国旗国歌に対する反対が、日本国、国会、天皇制などの正統性や宗教とは無関係で、国や集団のシンボルに対する忠誠そのものを否定するとしたら、もし世界政府が実現したときも、世界政府に対しても忠誠表明は拒否するのでしょうか?

あ…いや、考えてみると世界政府に忠誠を表明することは、おそらく世界のほとんどの人にとって極めて困難なことでしょう。
形式上も、まして実質上…命をかける忠誠を、地球そのもの、人類全体に誓うのは米合衆国憲法と星条旗などに誓うよりはるかに難しいかもしれません。
特にアメリカ人などは、アメリカより世界政府を上位とするのには強い抵抗があるでしょう。
もしそれが、世界全成人投票で基礎づけられているとしても。

そして…もし世界政府ができてしまったら、それに逆らうことはどういうことなのでしょう?人類文明自体に対する反逆でしょうか。
逃げ場のない、人類全体にとっての公というのはちょっと怖いです。

20日

キリスト教徒で自衛官(や警官、消防官なども?)であることはできるでしょうか?
特に自衛官…ぶっちゃけていえば軍人は、あらゆる状況において国旗国歌への忠誠表明儀式に参加、敬礼することが求められるはずです。
でも多くのキリスト教徒は天皇制、日の丸君が代には反対ですから、それができない以上それらの職には就けないのではないでしょうか。

あ、外国のキリスト教徒である軍人は、日本の日の丸君が代に敬礼するのでしょうか。
もし日本の日の丸君が代が許しがたい異教である天皇制のものであるなら、それに敬礼すること自体宗教的に禁じられている偶像崇拝にならないでしょうか?普通に敬礼しているのでしょうか?
でも…だとしたら、イスラム教徒は軍人や政治家、船員として必要であっても、ユニオンジャックや北欧など十字架を含む国旗に敬礼できないのでしょうか。逆も言えます。

19日

日本自体、天皇という制度自体が本当に宗教ではないのか、日本の国教ではないのか、靖国神社や伊勢神宮という宗教と日本という国、天皇は関係がないのか…日本人であり、キリスト教徒であることは可能なのか、最終的には日本とは、日本人とは何か、この問題から目をそむけるべきではないでしょう。

本質は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい(マタイ22−21)」でしょうか。
でも、国と人の関係はそれだけでしょうか?
忠誠表明、祖国防衛が宗教と矛盾しないかというのは、最終的には避けては通れない問題ではないでしょうか。
すべての人は属している国に忠誠を誓う義務を負う…のでしょうか?例えばキリスト教は暴力を全面禁止しているから軍事自体認められない、という解釈もあります。
そして、それから宗教を排除する必要はあるのでしょうか。宗教とはどこまでが宗教でしょうか。天皇制は本当に宗教ではないのでしょうか。宗教だから有害なのでしょうか。

日本は本来、徳川家康が宣教師に
「信者はあらゆる罪を懺悔し、神父は聞いたことを誰にも秘密にしなければならないそうだが、もし私の暗殺計画を告白した信徒がいたらそれでも私にも言えないのか?」
「その通り、もしそんな告白を聞いたら命がけで止めますが、それでも守秘義務を破ることだけはできません」
と聞いて家康がキリスト教の全面禁止を決断した、と言われるように、精神のみの王国の存在さえ認めないところがあります。

そして、明治政府はその、内面までの絶対服従を求める権力と天皇の唯一神をまねて強化した宗教的権威を融合させ、本質的に信教、内心の自由さえ認めないシステムを作ったと解釈されますが…それは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という程度の寛容なシステムに修正することはできない、天皇制ぐるみ廃止するほかないのでしょうか?

それとも上の天皇制の絶対性自体が宣伝に過ぎず、実際には日本文化自体は仏教を受け入れたように寛容なものであり、もちろん天皇はあらゆる宗教と共存可能であり、もちろん普通の意味の宗教とは違って、日本の精神的最高権威でありつつ政教分離とは抵触しないのでしょうか。

18日

日本の国旗、国歌である日の丸君が代に背を向けるということは、日本国そのものに対する反逆表明ではないでしょうか。
少なくともほとんどの国ではつい最近まで…おそらく今でも少なくない国で…公の場での国旗掲揚に反対し、国歌斉唱で起立、斉唱を拒むことは国家反逆とされ、死刑などの重罰が科されたことでしょう。

考えてみますと、日本の国旗国歌は正当に選挙された国会で制定されたものです。つまり、日本国憲法前文にある国民に由来する権威をもっているはずです。
それでもなおそれを否定するとはどういうことでしょう。

もちろん、この言い方自体日の丸君が代反対派は、反対派を非国民と決めつけて言論弾圧をするものと非難するでしょう。ただし、それは上が事実であることと関係ありません。

日本はナチス同様の政権に占領されており日本の選挙はごまかしでしかない、正統な民主政体とは認めない…日本政府、天皇制、日の丸君が代はナチスドイツ占領軍のハーケンクロイツ同様「真の日本人は」抵抗すべきもの、という見方もあるでしょう。
では、そうだとしたら…三色旗やラ=マルセイエーズに当たる、抵抗している主体である「もう一つの日本」の国旗国歌はなにでしょう。
赤旗とインターナショナル?青地に葉のついた桜とさくらさくら?

「もう一つの日本」とは何でしょう。
ソ連日本共和国?中華人民共和国倭州?日本社会主義人民共和国?天皇制、明治政府自体を認めないのであれば江戸幕府の延長?大塩平八郎、西郷隆盛、秩父事件の延長?

それとも、そういう反問が間違いで、むしろ国旗国歌、国に対する忠誠表明自体を強制されることに反対なのでしょうか。
国に忠誠を表明する義務を感じない、同胞や郷土に対する愛着はあるけれど、抽象的で人工的な国家、まして悪である天皇制に対する自己犠牲を伴う愛国心、国に対する忠誠など押しつけられるのはごめんだ…?
国自体の正統性、権威を抜きにして、国への忠誠表明を強制されること自体が憲法が保障する個人の自由、尊厳と矛盾し、個人の自由や尊厳を優先して主張する?
尊厳ある自由な個人は、何に対する忠誠も持たないし、強制されない?
国に対する忠誠は義務だ、と考えるほうがこれまでの日本ではおかしいとされてきたようですが、国際的にはあると考えるのが当然のようですが…

国という概念をどうとるかさえ違うのかもしれません。
特に右側の視点から左側の謀略を前提に解釈するのも、その逆も危険です。

また、忠誠義務という言葉をどう解釈するかも問題です。
心の中で批判することも許されない、宗教同様の絶対的な服従要求という立場もあります。
逆に心の中で批判し、言論でその批判を訴え、民主的な方法で変革を求めることは認められるが公の場の行動としては忠誠表明を拒否してはならないという立場もあります。要するに凪の海で許される形式でなら批判できるが、舵を右にと命令されたらたとえ内心は艦長に反対でも、その場では反論せず復唱、手も命令に服従させて右に切らなければならない、ということです。
ただ、後者は日の丸君が代に反対する人も必ずしも認めてはいません。公務員の憲法尊重義務をたてに、閣僚が憲法改正を議論することを許さない人も多いです。

17日

身近な本屋や図書館の構成で、同じ本好きでもずいぶんと接することのできる本=情報、思想が違うのでは。

ただし、同じ書店を見回っても人によって接する、目を走らせる本は違います。
その違いのほうが大きいかもしれません。
自分と違う思想傾向、自分が関心のない分野は、たとえ視線がその上を走っても目に入らないのではないでしょうか。

16日

オフィスにおいて、机の上は常に大きなデッドスペースになっています。
子供用学習机のような、卓上照明を兼ねた机の上の棚があれば何かと便利でしょう。
プリンター、スキャナーなどパソコン周辺機器もその上が望ましいでしょう。
また、天井から吊り下がり、自在に動く棚が多数あればもっと便利です。

15日

米民主党ケリー大統領候補が、ニューヨークタイムズに「テロは組織犯罪同様根絶できるものではないから、犯罪同様社会が許容できるレベルに落とす」と発言してブッシュ大統領らの「根絶すべきものだ」と猛攻撃を受けたそうです。
それは失点とみなされていますが、僕はそちらが正しいと思います。

イスラエルもテロを耐えられる程度に抑える方針を採っているそうです。
そのほうがより現実的であり、特に自由を守るための対テロのために自由が制限される本末転倒に至らない、中庸の道です。

14日

週刊ヤングジャンプで連載されている、本宮ひろ志先生の「国が燃える」というマンガが、南京大虐殺の描写について抗議を受け、休載に追い込まれました。

言論の自由という意味では、非常に由々しい問題です。
本来なら作家は歴史観も含め、自由に自分の世界観を描写し、発表する権利があるはずです。

このように抗議で歴史を扱った作品が圧殺されるとしたら、逆に太平洋戦争、大東亜戦争を肯定する立場で描かれた作品も抗議によって圧殺されるということです。

もちろん、言論、出版、表現の自由は無条件ではありません。人を中傷し、民族の名誉を貶めることは許されるのでしょうか。
資料の改ざんはどこまで許されるのでしょう。創作世界の中であれば例えば吉原御免状に一言加えるとかシュタイナ少佐の名前を突っこむとかの法螺は、常識として分かるでしょうからかまわないでしょうか?
実在人物の名誉毀損は?公人であれば許される?死刑囚はどう描いてもいい?描いてはならないなら、犯罪実録物はかけない?それとも真実のみならよい?では真実とは?明らかな捏造がなければよい?

抗議があったからといって、休載してはいけませんでした。
すべきことは、本宮氏が信念をもって描いている作品ならば断固としてフィクションとして歴史を書くならどう描くのも自由である、またはわが信念としてこれが歴史の真実であると主張するのが正しい対応だったと確信します。もちろん写真の改ざんが事実であれば、それはルール違反と謝罪し、単行本にその旨を明記すべきでしょう。
連載中止は逃げであり、言論界全体に深い傷を与えるものです。

ただし、抗議したこと自体が間違いだったとは言えません。
あえて言えば、連載中止を求めるべきではなく回答とできれば謝罪を求めるべきでした。
資料写真を改ざんしたのは、間違いなく非常にまずいことなのですから。

ここでは余計なイデオロギー論争を入れるべきではありません。
多分、南京大虐殺肯定側は「右傾化を象徴する」「軍国ファッショ」「言論弾圧」と抗議するでしょう。でも、そちらも冷静になるべきです…そう叫び始めてしまったら、声は一部にしか響かないものになり、問題が矮小化されます。
そこはあえて相対的に、言論の自由という本質だけを抜き出すべきです。それに右傾化だの軍靴の音だのを絡めずに主張しなければならないでしょう。
南京大虐殺を肯定する側であろうと否定する側であろうと、政治的な議論に絡んで連載は中止されてはいけないのであり、資料を改ざん、捏造してまで自説を補強してはならないのです。

13日

ゴルバチョフのペレストロイカ、そしてベルリンの壁崩壊…あのときにはテロとプーチン独裁、パックス=マフィオーサがその終着点だとは想像もしていませんでした。
あのときの、民主主義の勝利に対する夢と希望はなんだったのでしょう。

それどころか、世界全体で民主主義、市民的自由が敗北しているようです。
グローバリズムに、テロに、強権に、犯罪組織に、犯罪予防や児童保護のために…それが歴史の流れでしょうか?
それは一体どこに行き着くのでしょう。

経済的には圧倒的なグローバル経済=貧富の差が激しく腐敗、搾取が非常に激しい全地球的財閥貴族制社会?
政治的にはそれに歯向かう者、現実を見る者がいないようにテロや犯罪と不毛な戦争を続け、メディアがそのショックを拡大した結果、愛国心を強調する排外的な秘密警察監視国家、選択肢のない形式だけの民主主義に?
それを文化的にも保つため、抽象的な言語思考を排除した『1984年』と『華氏451度』をあわせたようなシステムで貧平民の脳を退化させる?徴兵制も利用?そしてそれが『すばらしい新世界』に発展?

12日

今日は定期券範囲外を動いていましたが、自動改札にかなり広範囲の自由交通券を見つけました。
持ち主はいません。つまり、それを拾えば僕はかなり広範囲に、ただで移動し、乗り降りできるのです。ちょうど行きたかったけれど、もったいないのでやめておく予定だったところにも行けます。
でも僕はそれをせず、駅員に届けました。
不当なことをして数百円得し、その代償として嫌な思い、特に自己嫌悪に苦しむよりは、誘惑に勝って自分を誇ることを選んだのです。

そこで気がついたのですが、キリスト教の教義学ではその心の流れをどう処理するでしょう。

まず、誘惑に勝って正しいことをするのは、自分の力というよりむしろ神の恵みだと思うべきです。
善悪を選べる、そして善を選んだ魂、善の芽を伸ばしてきた教育などの環境は神に与えられたものなのですから。

でも、そう思ってしまうとそこには落とし穴があります…

「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を捧げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ18:10−14)

誘惑に勝つことができた正しい自分を誇ること、それについての感謝もまた神から離れる自惚れの第一歩であり、だからできる祈りはただ主の祈りと『神様、罪人のわたしを憐れんでください』のみ…さらに十分徴税人、よきサマリア人のファリサイ主義にも気をつけて…さて、どこまでいけばいいのやら。なんか疲れてきました。

日本人本来の、キリスト教の神を使わない倫理でいえばただ、当たり前のことをしただけで誇るに及ばない、です。

11日

日本経済は需給ギャップ、特に内需不足が慢性的にいわれます。
僕が物心つく頃から言われています。

なぜでしょう。どうすればいいのでしょう。そして、需給ギャップは解消しなければならないのでしょうか。内需は拡大されなければならないのでしょうか。
内需がなくても世界の工場で何が悪いのでしょう。

また、需要がなければ供給もそれにあわせて減らし、みんな三度三度ご飯が食べられればいい、という考えもあるでしょう。

10日

これだけの台風でありながら、荒川が決壊して下町で何万人も死ぬなどの大災害がなかったことが不思議です。

それだけ首都圏の水害対策は行き届いていたのでしょうか。
いつの間に?どのように?
渡良瀬川遊水地なども、単に(田中正造伝にあったように)東京だけを鉱毒から守って他に垂れ流し、何の補償もなく農民たちを故郷から力で追い出した暴虐ではなく意味があったのでしょうか。

とすると、今伊勢湾台風が来てもたいした被害はないのかもしれません。

9日

純粋な理想を持って頑張った結果がBC級戦犯として絞首台に…

時代の制約の中で精一杯やっても、それでは足りないのでしょうか?
でも、逆に平和主義など現在主流の価値観も、それはそれで時代の制約では。
本当に時代の制約に縛られないことなどできるのでしょうか…

肝心なのは精一杯やること、でしょうか?
でもそれではアイヒマンになるのもBC級戦犯になるのも防ぐことはできません。

ひたすら逃げて何もしないのが一番?フーシェになるのが正しいのでしょうか?ただし、史記や三国志の英雄は謀略を駆使してはいますが、散々賄賂を贈って利用した裏切者は敵を倒した後は叩き斬っていますから、それも安全とはいえません。
フーシェは運もよかったのでしょう。

8日

世界的に民主主義が敗れているといわれます。
特に日米英の二大政党制が、どちらも同じようなもので選挙が選択にならないと批判され、同時にグローバリズムと貧富の差の拡大、アメリカ「帝国」が批判されます。

では…その、民主主義という政体、思想自体が衰退する歴史はどのようなものだったのでしょう。
巨大企業なら、以前にも力を持ちました。一時の鉄、石油、タバコなどのトラストの持つ富や権力は凄まじいものでした。

今はそれとも質的に違う、本当に民主主義が瓦解しているのでしょうか?なぜ?
それとも民主主義が成立したことなど一度もないのでしょうか。

7日

歴史上の人物の善悪が逆だったらどうなるでしょう。

ヒトラーが聖人のようにすばらしい民主的な政治家?
でも、例えばヒトラーが聖人君子だったらあの時代に政権を取れたでしょうか。
もっと悪い結果になっていた可能性も無きにしもあらず。

6日

イラクでは一部地域以外それほど戦闘があるわけではないとも聞きますが、その戦闘がない地域での統治はどんなものなのでしょうか。全土が地獄と化しているという情報もありますが。

言論、出版、報道、デモなどの自由はどれほど許されているのでしょう。
生活はどうなのでしょう。
主権委譲はされているとはいえ、誰がどう統治しているのでしょう。

アメリカは「我々はナチではなく、現暫定政権はヴィシー政権ではなく、テロリストはレジスタンスではない」と言えるのでしょうか?

テロは続いているようですが…アメリカ大統領選にどう関わるのかも気になります。争点にはならないようですが。

5日

核分裂理論に、実験からの修正があったとのニュースがありました。
もう基礎物理の実験は終わった、標準理論…実験で照明しうる興味深い予測が存在しない砂漠は崩れることがないと思っていましたが、まだいろいろあるようですね。

理化学研究所が新元素を作り出したことといい、もう終わったと思っていた重い原子核の研究が妙に今熱いようです。

簡単には希望を捨ててはいけないようです。

4日

自分の名前以外、手で字を書くことがない生活を送る人は結構多いのではないのでしょうか。
それもパソコンばかり使っている、かなりいい給料をもらっている人でも。

それでは脳が退化しないでしょうか?
ナイフを使わず、鉛筆削り器で鉛筆を削るだけでも脳は大分退化しているといわれています…では、手で字を書かなければ?
なかなかそれがどれほど大切なことか、わからないものですが。僕も子供の頃字を書くのは嫌いでした…その頃の自分に、本を読む最もよい方法は自分の手で書き写すことだと分からせることができていたら!

そして、脳を働かせる最もいい方法は何なのでしょう。
手で字を書き計算をし、ナイフで木を削ったりして物を作ることが称揚されますし、もちろん勉強も有効でしょうが、他にも色々とあるのかもしれません。

3日

この世に「また」「次の機会に」「いつか」はあるとは限りません。
物事はあくまで一期一会です…昔いいなと思いながらまた次、と思って買わなかったもので、今では入手不能だったり非常に高くなって手が出なくなっていることは多くあります。
いいなと思いながら次の機会に、と前を通るだけにした店が、次に来たら閉まっていたということもあります。

自分自身、明日生きて目が覚めるとは限らないのです。
それで思い出すのが、スティーブン・ホーキング博士が大学時代発病までは遊んでいたけれど、明日も知れない難病と知ってからは必死で勉強した、という話です。

でもだからって、明日がないという前提で欲しくなったものをすべて買い、したいことをすべてやり、食べたいものをすべて食べていては破滅ですが…

2日

「中庸」「中立」に徹するメディアの必要性を考えましたが、それならたとえば世間的に悪く言われる側を代弁する、というのも有効かもしれません。
たとえば北朝鮮による拉致を否定する言論、いわゆる抵抗勢力、プロ野球のオーナー会議(渡邉氏)、チェチェン独立派、オウム真理教など。

もちろん、国家転覆を狙う犯罪組織のプロパガンダになる可能性もありますが。

これは中庸、中立とは違う…というなら、何が中庸、中立でしょう。

1日

ポテトチップスやおかき、ビスケット、キャンディなどの菓子はとても湿気に弱いです。
キャンディは個別包装が普及していますが、それももったいないです。

ならば、焼けて味が変わらない程度に熱く、酸素や水蒸気を含まない気体…酸素と水蒸気を除いた空気(ほとんど窒素)や二酸化炭素を吹き込んで湿気を飛ばして袋を密封する機械があれば便利ではないでしょうか。
乾燥、脱酸素剤を入れて封をすればいいのかもしれませんが。