枕元の計算用紙
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奈良県での誘拐殺人事件が解決に向けて動き出したようで、ほっとしています。
しかし、これで今年をどう総括すればいいのやら。
もっと世界が安全でありますように…?
別にする必要はないですね、冬至の一週間後に過ぎないのですから。
というのは、自然から切り離された生活をしているからなのでしょうか。
自給自足の農村であれば春が待ち遠しく、冬から春に変わるわずかな兆しも祈り、祭り、祝うものでしょう。
今日ビッグサイトから東京駅まで豊洲駅前だけ停車して急行するバスに乗っていて、あまりにも時間がかかり渋滞で動かず、窓も曇って外は何も見えず、しかももう豊洲は過ぎているのにバスの電光掲示は「もうすぐ豊洲駅前」と繰り返していることから、ふと不安を覚えました…このバスは永遠に東京駅には着かず、堂々巡りでさまよい続けるのではないかと。
しかもかなり具体的に、運転手はもうゾンビ化していて、近くの乗客が降りようとしてハンドルから引き離そうとしても運転席は見えない壁、どのガラスも割ることができないか、窓を開けて手を出したら出した部分が切り刻まれて消滅し…いつごろ恐怖と不安、疲労が狂気になるか、窓の露一滴を争って殺し合いになり、最後には人間同士食いあって…と白骨バスになるまで想像してしまいました。
昔『魔物語(松本洋子)』に地獄行きバスの話があったのを覚えていたからかもしれません。
これというのも大雪で交通機関が麻痺したせいです。クリスマスだったらそれなりの経済効果もあったでしょうに…
ウクライナのオレンジ革命が親欧米派の野党候補の勝利でやっと終わりました。
民主主義の確立がいかに難しいか、痛感します。
ただし気になるのが、国際社会…欧米が中立なのかどうかです。親欧米派の野党候補が当選すれば公正な選挙、親露派の与党候補が当選すれば公正でない選挙と欧米側の監視団が言っては、誰を信じていいかわかりません。
そして、それからが何より大変でしょう。
強権体制から本当に自由で民主的な社会を作るのは、旧ソ連が崩壊して民主化され、これで民主主義の勝利だと思っていたらどれも強権体制になってしまったことからわかるように、不可能ではないかと思うほどに困難を極めます。
三歩進んで二歩下がり、また三歩進むペースでも進んでくれればいいのですが。
スマトラ島での大地震の被害は想像以上でした。
津波の被害は本質的に突然で、手がつけられないものがあります。
十分な対策といっても難しいのが現実でしょう。海に近いところに住むなとしかいえませんが、海岸の利便を考えるとそれは無理です。
特に造山帯上は常に警戒し、いつでも最低限を身につけて身一つで脱出できるようにしている他ないでしょう。
週末、あちこちの店頭をのぞいて「売れ残りのクリスマスケーキ」を探してみましたがどこにもありませんでした。
やはり24日の深夜か25日の早朝にしかないのでしょうか。
まあ、別になければ死ぬものではないのでいいです。無駄なカロリーとっても後が大変なだけですし、いくらお買い得でも必要ないものは買わないのが節約のコツです。お買い得品を全部買っていたら結局無駄金がかかります。
洗濯機は電気やガスで水を温めながら洗えば、もっと効率がいいのでしょうが…
やはりエネルギーの無駄、暖かい排水の環境負荷などがそれ以上に問題でしょうか?
いや、風呂とつながって残り湯や給湯設備を直接利用すればいいのでは。
風呂と一体の洗濯機はあまり見ませんが、本当は便利かもしれません。
いや、洗濯機に給水する蛇口から残り湯や普通の湯を出せるようにすればいいのですから、風呂システムと家を作るときに一工夫すればいいのでは?
クリスマス…第九、カップル、ケーキ、フライドチキン…
そんなものより、ただ『マタイによる福音書』でも読んでみるほうがいいでしょう。
なんとなく怖くなってきました。
あ〜、ケンタッキー食べたかったな…
神戸で暴力団による暴行を警察が放置した事件で、損害賠償請求ですが警察側の非を認める判決が出ました。
警察が信じられないなら、個々人が自衛するほかありません。
ナイフなど武器を携帯する人が多いのもそれを短絡的に実行しているのではないでしょうか?
しかしそれに対する取り締まりはますます厳しさを増しています。
たとえば秋葉原などではカッターナイフなどでも非常に厳しい職務質問があるそうです。
そんな余計な点数稼ぎをする暇があったら暴力団に対処しろといいたいのですが、それは感情論であり、小さな暴力犯罪の萌芽を摘み取るのは当然でしょう。
確かに皆が拳銃を持てばそれはそれでひとつの飽和状態になりますが、日本(特に警察)はそういう自力での自己防衛が中心になるのは絶対に許せません。
さて、信じられる警察にするためには、一体どうすればいいのでしょう。
警察をどう改革すれば「使える」ようになるのでしょうか。
それとも、もうどう改革しても警察はどうにもならないとしたら…
警察は牙をむき出して監視だけは厳しくするが多発する犯罪にはろくな対処もしない…昼間は特高のような思想統制と人権蹂躙、夜は警察と組んで凶悪化した犯罪者が支配する最悪の無法+警察国家でしょうか?
それとも個々人の自衛意識を高め、政府もそれを認めて研修を助ける方向に進むほかないでしょうか?
不快感がある映像、画像の頒布は、やはり犯罪でしょうか。
大便などの写真(モデルは写さない)が何の役に立つ、といわれそうですが、ダイエットの役には立つのでは?
腹が減ったら見て食欲をなくせばいいのですから。もちろん健康には非常に悪いですが。
今朝寝過ごし、朝食を食べずに出かけて駅でパンとドリンクでごまかしました。間に合いました。
それでわかったのですが、朝食をそういう形で済ませれば三十分から一時間近く遅くまで寝ていられます。
もちろん朝食は健康のためには欠かせませんが、たまにゆっくり寝られるならこれもいいかな、と思ってしまいそうで怖いです。
そして、やはり目覚ましは二重にしておくべきですね。万一はあります。
テロ対策として駅構内のゴミ箱の多くが撤去されています。
それで何人の清掃員が失業し、同時に鉄道会社はどれぐらい儲けているのでしょう。
やろうと思えばスーツケースを置き捨てるか、登山ルックで爆発物、可燃物をもてるだけ持って自爆するかすればいいので、ゴミ箱にどれぐらいの有効性があるかは疑問です。
単なる節約のため、本当は元々ゴミ箱など置きたくなかったが行政指導で仕方なく置いているのだが、置かなくてよくなってほっとしている…ということはないでしょうか?
アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた気候変動枠組み条約の第10回締約国会議(COP10)はやはり、ろくに動きがないままのようです。
特にアメリカと中国が非協力的で、その二国だけで下手をすれば他のすべての国ががんばっても帳消しにする可能性さえあります。
ではいったいなぜでしょうか?
アメリカは本当にそこまで、他国のことやアメリカ自身を含む地球の未来には無関心なのでしょうか。
中国は環境の回復がなければ経済もない、ということにどこまで気がついているのでしょう。
他の国も、環境についてどれほどの危機意識があるのか…環境は本当に世界全体の問題ですから、世界全体が取り組むべきでしょう。
それこそ、国などの枠組みを無視した世界直接民主選挙も考えたほうがいいのかもしれません…国という枠組みを無視した別のプレイヤー、企業や犯罪組織、ダボス民族などは環境問題には背を向けたい立場ですから。
コスタリカはある意味日本同様、防衛をアメリカに依存しているそうです。
では日本同様アメリカの属国ではないのでしょうか?
あ、だったら「日本はアメリカの属国として戦争に協力すべきではない」というなら、「日本がアメリカの属国なのは仕方ないけど、昔のように軍事とは関係ないという顔をして、軍事的な貢献はしなくていい立場のままでいたいです」と言えばいいのでしょうか。
テロ対策を厳しくすると、市民的自由が疎外されます。
それでテロは…なくすことはできません。減らすことができるかどうかは議論の余地があります。
逆にテロ対策をしなければ、市民的自由は保てますがテロは起きます。
テロ対策に反対する論理としては、テロ対策をしないで市民的自由を保ち、国際的な平等に力を入れればテロは起きないというものですが、それは疑わしいです。
でも、テロは対策をしてもしなくても起きるしそんなに減らないとすれば、どっち道テロが起きるなら市民的自由があったほうがいい、とすることもできますが、そんな議論は見当たりませんね。
日本の政治、言論の世界は単純に分けると右、左、自民的日本、その反対の四つに分けられるのではないでしょうか。
ただし、純粋な右は今のところほとんど存在していません。
左も日本では極左が強すぎ、穏健な社会民主主義が政治勢力として存在できていません。
右は自民党に取り込まれ、左はその反対野党に取り込まれていたからです。
あ、その四つの分け方だと、民主党や小泉首相のような「新自由主義構造改革」という経済思想をどこに位置づけるかが見えなくなりますね。自民的日本の反対側がそれでしょうか?
でもそうすると、自民党の小泉首相がそれを主導するという矛盾が生じます。
右を、封建主義と新自由主義に分けるほうがいいでしょうか。
まあ自民党で矛盾はいつものことですが。もとより自民党自体が、反共でしかないのに共産主義が崩壊し、単なる利権党となってしまっていますし。
まとめると、55年体制は極左と自民の対立で、まともな右も左も存在できなかった…55年体制が崩壊しても残念ながらまともな右や左が生まれることができず、極左が崩壊して自民だけが存続し、従米のまま好き勝手をやっているし反自民の大野党も軸が無い相手に対する以上軸なし状態であるしかない、だから両方支持されない、と。
何でこんな絶望的な状態になったのでしょうね?有権者はそれほど間違っていない気はするのです、「自民党には批判的」「左翼もいや」「だらしない野党は伸ばすけれど政権もとらせない」…間違ってないですよね?
意識的に見ていないと、海外のニュースにはすぐ疎くなってしまいますね。
アメリカの、ブッシュ大統領を選んだ中西部バイブルベルトの保守層は海外にほとんど関心を持たない、とよく言われますがそんなものなのでしょうか。
それもまた、乏しい海外情報の一部であって実際にはネットの普及などでバランスの取れた情報力を盛っていたりするのでしょうか?
ぼんやりとテレビを見ていると、どうしても三面記事トップをひたすら増幅する情報になってしまいがちです。
十分に注意していないと。
メディアには商業メディア、視聴率を稼ぐために世論に迎合し、世論が求める情報を出す形しかありえないのでしょうか?
両論併記に徹すれば、商業主義でなく、かつ一方的なイデオロギーの押しつけにもならないと思うのですが。
それにはどんな問題があるでしょうか?
左右だけでなく、さまざまな立場がある…?でも、それは商業メディアでも、ブレイクしない限りくみ上げることはできません。
古い左右に固定され、新しい世界に順応できなくなる?
新大陸の白人は、虐殺し、追い出した先住民の呪いは受けていないのでしょうか。
キリスト教の神の力がそれを防いでいるのでしょうか…当然覚えるべき罪悪感を、マニフェストディステニーとごまかすことで。
でも、その呪い、罪悪感は必ずあるはずです。
思えば同情せざるを得ません、良心的に考えれば自分の生まれ育った地自体、自分たちのものとはどうしても言えないなんて…帰ることなどできませんし。
死刑の是非ですが、まず是非両方の論点を宗教的な、価値判断が強いものと実用的なものに分けて考えましょう。
死刑賛成派の論点は、
反対派の論点は
それぞれ価値判断、宗教的感情…心の要素が強いのは、賛成側は「命には命で」「遺族感情」であり、反対側は「殺人は絶対悪」「遺族の傷は死刑ではいえない」論でしょうか。「排除では解決しない」「社会が悪い」はどちらでしょう?
さて、それぞれ議論してみましょう。
まず心サイドは、はっきりいって議論にそぐわないものがあります。宗教の議論をいくらやっても本質的に不毛なのと同じです。
ただし、「遺族感情」については賛成派には本当に死刑で遺族の傷は癒えるのか、また反対派にではどうすれば遺族の傷が癒えるのか…どちらにしても今以上に被害者、遺族の保護、癒しに社会全体が力を入れる義務があることは明白です。
どんな死刑反対派、犯罪者人権至上主義者でも被害者や遺族などどうでもいいとは言わないでしょう?特に死刑賛成派は、死刑反対派を「加害者の人権ばかり尊重し、被害者や遺族の人権を無視する没義道」と非難することが多いので、名誉挽回のためにも被害者や遺族の側に一層立つべきです。
では実用サイドで議論してみましょう。
賛成側の議論は「無辜の保護のため危険な者を排除」「犯罪抑止」の二つに整理できます。「再犯が多い」というのは「無辜の保護のため〜」に統合できます。
否定側は「冤罪のリスク」「抑止効果はない」「改悛の可能性がある」「残虐な刑罰」があげられるでしょうか。
犯罪を法で禁止し、刑罰を科す…これ自体を否定する人はまずいないと思います。
その目的は、私的な復讐は底なしの一族皆殺し戦争になって秩序が崩壊する危険があるため、私的復讐を禁じてそれを公が独占する、というのがよく言われることです。そう、上の文の犯罪を禁止し、刑罰を科す主語は国家など公です。
復讐の概念がほとんどなくなった現在では、刑罰には
という目的があります。
昔の公開処刑には娯楽、社会的儀式という目的もありましたが、それは今では否定されています。
抑止論に対しては抑止効果がないという反対があります。
これは議論可能性はあるのですが、双方自分に有利な調査を自分に有利なように解釈して引用するため実際には難しいです。
論理としては、「宅間守のように死刑覚悟の凶悪犯罪者には抑止力はない」という反対がありますが、そうではない圧倒多数の犯罪者には抑止力はあるでしょう。
隔離については改悛の可能性、残虐性や冤罪の可能性、隔離の論理自体に対する批判があります。
誰にでも改悛し、無害な存在になる可能性があるかどうかは、本来は精神医学上の問題のはずです。
しかし、それ…人格障害の治療についてはまだまだ遅れているのが実情です。ならば、精神医学の完成を待つわけにはいかないので、現状で対処しなければなりません。
長期間の服役後再犯を犯す凶悪犯は多いですから、少なくとも現在の懲役に改悛効果は乏しい、というのは事実でしょう。
でも、それに対しては死刑にしたり終身刑にする代わり、懲役を改良することはできないでしょうか。それも考えたほうがいいでしょう。
改悛の判定が難しいというのも事実ですが、それはランダムに人を指差して、彼または彼女が安全な人間なのか判断することは非常に難しいのと同じことです。
残虐性、冤罪の可能性という批判は、要するにその両方のコストが、無辜の保護という法益に比べて大きすぎるということです。
この大小を論じるのは議論可能性が少ない、宗教に近いものがあります。
隔離の論理自体を批判するとしたら、どうやって無辜を犯罪から守るかを考えるべきです。
人権平和教育が行き届き、一人一人が本当に個人として尊重されれば犯罪はない、というのは人間の多様性を甘く見ているとしかいいようがありません。
隔離の論理批判の一つに、犯罪者だから犯罪をまた犯すとは限らないというのもありますが、それをいうなら誰が犯罪を犯したかは(噂の真偽と冤罪率を差し引けば)わかりますが、誰が将来犯罪を犯すかは誰にも分からないのです。
だからといって何もしないのが正しいのでしょうか?快楽殺人犯や職業的犯罪者は紛れもなくいるのです。
もちろん凶悪犯罪者を永久に隔離することで得られる安全はわずかなものですし、隔離そのものは仮釈放のない終身刑でも実現できます。終身刑に対する反対は、殺人者を生かすための大金がもったいないという感情論に過ぎません。
また、隔離そのものについては差別につながる意識構造(悪い人を排除したいという自然な感情…ただし、その「悪い人」を判定する基準はいいかげんで、危険を判断できない犯罪者の親族や被差別者なども含まれる)もあるため、無辜の側も注意と自省は必要でしょう。
ここで浮かぶのは、死刑の是非の議論はそれにとどめるべきではないということです。
死刑は冤罪の可能性がある、残虐だといっても懲役なら冤罪でもよく、残虐ではないのでしょうか?冤罪可能性は死刑の是非とは原則的には切り離すべきで、冤罪による死刑があったなら冤罪が起きにくいシステムに改革するほうが、死刑を廃止するよりよいでしょう。
そして、懲役にはどれほど犯罪抑止、再犯防止効果があるのでしょうか。
懲役や罰金も含めて、本当に犯罪を抑止し、危険な者を隔離し、犯罪者を改悛させるのに有効な刑罰…法体系を最新の精神医学を踏まえ、ゼロから考えるべきではないでしょうか。
特にまだ犯罪を犯していないが危険性がある人間をどうするか、というのも無辜の法益を重視すると出てきます。
それをやると、どう危険な人間を判断するか、単に差別されている者や権力にとって都合の悪い者を危険だからと抹殺する非常に深刻な人権侵害が起きる可能性もあるのですが。
12日
今、ブロードバンドを持っている人の多くは自宅普通電話、携帯電話、IP電話の三つの電話番号を持っているのではないでしょうか。
特にADSLをやろうとすると、そうしないと…たとえば一人暮らしで通話は携帯電話のみにし、IP電話なしのブロードバンド専用線を引こうとすると…基本料だけでも上記の三つの電話番号より高くつくのです。
はっきり言ってもったいないし三つも番号を覚えるのも面倒なので、全部一つにまとめられないものでしょうか。
自衛隊のイラク駐留延長が決定されました。
反対派に質問。
では自衛隊が撤退すれば、米軍が撤退し、さらにブッシュ大統領や小泉首相が戦犯として裁かれればイラクは…せめて庶民は豊かに幸せに安定するのでしょうか。
アメリカで核テロが起きるリスクをなくせるのでしょうか。
どうすればイラクやアフガンの住民が幸せになり、アメリカで核テロが起きるリスクをなくすことができるのでしょうか。
まして日本だけここで撤退しても、単に日本がアメリカに馬鹿にされるだけです。
そのかわりに〜をする、と(自衛隊を廃止してその予算を援助など人間の安全保障に回す、などという妄想ではなく…仮に自衛隊を廃止したら、その再就職支援に現在の国防費以上にかかり、福祉や援助に回す余裕は生まれない)現実味のあることはなにかできるでしょうか?
逆に賛成派にも質問します。
現在のサマワの状況、自衛隊の頑張りなどをここでは無視します。
自衛隊のイラク駐留は対テロ戦争の一環です。
その対テロ戦争は、現状を見ると…報道のバイアスを除いて考えても…勝利はない、しかし敗北宣言もできない戦いになるでしょう。
それはどうなっていくと思われますか?
現状が最善でしょうか、それ以上の案は考えられないでしょうか。
反対派は代案を、賛成派は最悪の事態を想定した第二案を考えるべきです。
「悪法も法なり」と、ソクラテスが自分に対する死刑判決を受け入れたことはよく知られています。
ただ、その「悪法」とは「法」そのものと、「法の運用」どちらが悪なのでしょう。
法の運用が悪である場合、たとえば警察や裁判官が私的な恨みから冤罪をかぶせた場合はどうするのでしょうか。
また、「法」の悪として、立法者の正統性が間違っていることもありえます。
明らかに悪であるやりかたで王座を奪った王や、伝統である制度そのものを廃止した革命政府であっても、それが力ある支配者であれば従うべきでしょうか?
そして、「悪法も法」の論理では、アイヒマンを裁くことはできるでしょうか。
法であってもあまりにはなはだしい悪であれば背いてもよい、背かねばならないとする必要があるのでしょうか?
横田めぐみさんの遺骨が偽物だと断定されました。
日本側の発表が偽りでないとすれば、北朝鮮はなぜそのような愚かなごまかしをやったのでしょう。北朝鮮にとって不利になるのに。
日本側の分析能力の高さをなめてかかったのでしょうか?
生きていれば引き渡すか本当に殺して本物の死体を渡せばいいし、死んでいれば本物の死体を渡せばいいし、死んでいて調べようもない混乱の中埋もれているなら混乱ごとまとめて資料を渡せばいいのに、それをしないのはなぜでしょう。
北朝鮮側は何も得をしません。
こういうごまかしは、組織がゆるんで面従腹背のイエスマンばかりになっている場合や、相手を対等とみなしていないときにしばしば起こります。
後者も大きいでしょうが、前者も独裁者の必然としてあるのでしょう。
ただし、だからすぐ崩壊するとは限りません…その状態でかなり持ちこたえることもあります。
何より、今は周辺諸国は北朝鮮の崩壊を望んでいないのです。パウエルを切ってさらにタカ派に進んだとも言われるブッシュ大統領もコストパフォーマンスを考えれば、次潰すべきなのは北朝鮮よりイランと判断するでしょう。
経済開発協力機構(OECD)の世界的な学力調査で、日本の特に読解力の低下が著しいという結論が出ました。
これは日本自体の危機であり、最大の危機感を持って取り組むべきです。
それこそ、イギリスのブレア首相が優先事項を聞かれて「教育、教育、教育だ」と叫んだように。
どうすれば読み書きそろばん、正しい人格と生活習慣、科学知識と運動能力をきちんと持つ子供を育てることができるのか、色々なレベルの子供それぞれにどうすれば最良の教育を与えることができるのか、国全体で必死で考えるべきことです。
特に政治は、教育を最優先事項としてもよいぐらいです。
これは冤罪自体の問題とは無関係に考えてください。
犯罪など犯したこともない人が冤罪で有罪となり、長期間の懲役を科されて釈放されたとします。
その人が健全に社会復帰できないとしたら、それは刑務所の教育や社会に何か大きな欠陥があるということです。
その人の内部は普通の人と本質的に同じで、もし“犯罪者の人格”があるとしたらそれがない人なのですから、それがもし再犯を犯さざるを得ないとしたら…。
ある街で、小さなスーパーマーケットが五軒あるのと、大きなモールクラスのスーパーが二つあるのとどちらが望ましいでしょう。
大きいの一つだけで十分な気もしますが、それは独占になるので望ましくありません。
でも、小さいところばかりだとそれぞれの収益も小さいし、買う側から見ても売り場面積の狭さは品目数が少ないということです。
そうなると、安くて工夫すればおいしいけれど需要も供給も少ないものなどは手に入らなくなります。
大きいのが一つ、小さいのが三つは…一見小さいのが潰れて終わりに思えますが、大きいのにも交通面、また売り場面積が広い分回るだけで体力の衰えた年配者にはきついなどの問題もありますから意外と共存できるかもしれません。
臨時国会が閉幕した、といっても本当に今回は何もありませんでした。
一体なぜ、ここまで国会が何もなかったのでしょうか?
野党は何も攻める材料がなかったのでしょうか。
では、それはなぜでしょう。イラク問題など争点はありそうなのに…やはり自公が絶対安定多数を取っている状態では、攻めようにも攻める隙がないのでしょうか。
日本の国体概念、天皇制や靖国神社に国家神道、日本語や日本文化に至るまで明治時代以降に人工的に捏造された偽物、という人は多いです。
それに一定の真実があることは確かですが、真実だとしても、少なくともそれを知ってショックを受ける人が多いのでは?
真実を知ってショックを受けるのは正しいかもしれませんが、これまで信じていたものを全て崩されると人間は白紙状態になり、そこには何でも刷り込むことができます。
すなわち洗脳の危険はないでしょうか?それとも意図的に洗脳しているのでしょうか。
まあ、右側もこれまで教えられてきた日本国憲法、自虐史観は嘘だと教えることで同じことができるのですが。
ショックを与えて洗脳することにならないよう気をつければいいのか…
本当にドジな人間は、こういう利用価値があるのではないでしょうか…あるもの(洗濯機でも機関銃でも)の試作品を与えて徹底的に使わせ、そのありとあらゆる失敗をデータにとって、設計を見直してその失敗を防止する。
まともな人間には考えも及ばないような、それでいて誰もが何年も使っていればやらかしてしまいかねない失敗こそ、一番開発側が知りたいことでは?
もちろんそのドジな人間にとっては非常に危険ですから、ある意味人体実験であり人道的にどうかとも思われますが、ドジに悩んできた人にとってはその欠点を社会のために活かすことができる…いや、その考え方はまずいでしょう。
あと家電製品の操作系、特にパソコンのOSもドジおよびバカからのフィードバックを入れてほしいものです。
設計者は優秀で器用、自分が開発しているものに精通している人間です。
テストパイロットも最も器用で注意力が高くミスのない優秀な人間でしょう。それが「ドジ」「バカ」「ぶきっちょ」の思考回路を理解できるでしょうか?
AK47はバカでも使え、どんなドジでも壊しようがないほど頑丈で、怠け者がメンテナンスを怠ってもどんな環境でも確実に作動し、精密な狙いなんてできないぶきっちょでもとりあえず下手な鉄砲数うちゃ当たる、で世界で最も売れた銃となったのです…それを作ったカラシニコフ氏こそ天才を超えた天才です…
もし、優秀な外科医が実は連続殺人犯だとします。
彼(または彼女)は一年に一人ずつ惨殺し、それ以上の犯罪はせず普段は、一点を除き誠実で優秀な医者です。
その一点とは、手がけた患者全てに副作用は全くないが、誰にも取り出すことができず、爆発したら死ぬところに超小型の遠隔操作爆弾を埋め込んでいる、ということです。
その人質の数は数万人にのぼります。
そして彼は、逮捕されそうになったら迷わずそのスイッチを押します。
彼は連続殺人の十分な証拠を残しましたが、同時にその爆弾のことも判明しました。
数万人の犠牲者を出しても彼を逮捕し、処刑すべきでしょうか?
それとも年に一人、せいぜい五十人かそこらの犠牲者なら許容すべきでしょうか?その人質の件がなくても、彼以外に治せない病気があるなら…彼が100人殺し、10000人助け、彼以外に助けられない人が1000人いるなら…処刑すべきか、という問題にもできますね。
水戸黄門は、本質的にはみすぼらしい旅人の老人が来た、金持ちは泊めるのを断ったが貧乏人の老夫婦は親切に泊めた、そうしたらその旅人は神様で、金持ちに災いを、貧乏人に福を与えて去った…という、民話によく見られる構造でしょう。
普遍性のあるモチーフであり、人気があるのもわかります。