枕元の計算用紙
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いろいろな民話、寓話の続きを考えてみるのも面白いかもしれません。
たとえば「裸の王様」は権威の欺瞞性をうまく暴き立てていますが、その続きとして、王様が裸だとわかった群集が暴動を起こして王様を断頭台にかけるけれど、結局うまくいかずに…と、フランス革命からナポレオンの台頭を寓話化して、とか。
近現代の歴史をわれわれは、どれぐらい寓話などのレベルで消化しているでしょうか。
週に3〜4日、八十歳まで働くというのはどうでしょう。
それを選ぶのもありでは?
まあ八十歳までちゃんと働いてくれる、働き続けられる保証がないのですが、それをいうなら六十歳でも似たようなものでは。
年功序列、定年制、それに住宅ローンって何十年も先も何も変わらないという前提です。
考えてみるとすごく傲慢ですし、見事にその傲慢は…
かといって宵越しの金は持たない、というのも絶対間違っていますが。
小泉政権の経済構造改革が悪い結果になっているといいますが、本質的に経済構造改革は民主党(小沢氏)が提唱していることです。
つまり、民主党が政権を取っていたら小泉政権下での経済悪化はそのまま起きていた可能性もあるのでは?
もちろん、だからといって亀井氏が政権を取ったり第二次橋本内閣が景気回復に集中していたり小渕氏が死去していなかったら全てよくなっていたとは限りません。
なんとなく、経済はカオティック…初期条件に鋭敏に依存する(砲弾はわずかに向きが違えばわずかにそれるだけだが、どんなわずかな違いからでも大きな結果の違いが出てしまう事象。気象など)ため本質的には予測不可能な気さえしてきました。
特に人間の心理が重要となると、よけい予測不可能性は大きくなります。
それこそ歴史心理学が必要なのかもしれません。
まだ日本のために戦い続ける人がいたとは。
ただただ信じられない思いです。
今は情報が乏しいですが、横井、小野田さんについては詳しい情報があります。
チェックしてみましょう。
宇宙開発のとりあえず最終的な目標は全人口収納可能なスペースコロニーまたは地球リングと、エネルギー供給用の水星太陽光発電所(将来的には水星を解体し、リングから発展して全体を覆うダイソン球殻)の建設です。
その初期ステップとしては地球軌道エレベーター、資源用小惑星探査および牽引、月有人基地および月軌道エレベーターのどれを先にするべきでしょうか?
地球の資源(=大量のロケット燃料)は環境にも悪いのであまり使いたくありません。どれが一番ロケットを節約できるでしょう。
また、どれが一番安いでしょう。意外と資源用小惑星から始めたほうが安いかもしれませんし、技術を確立するために月から作り始めたほうが確実かもしれません(月に軌道エレベーターを作るほうが地球に作るよりはるかに簡単です。大気もないし重力も弱いので)。
あと宇宙太陽光発電所は軌道エレベーターと平行して作る事になるでしょうから、それとの関係も重要ですね。
それと、同時に必要になる海洋メガフロート近海汚水処理施設&海上太陽光発電所&海上都市はどんな順で?
どちらかだとしたらやはり海洋優先でしょうか。
せめて牛は海からの資源(プランクトン、海草などを飼料にする方法を早く確立したい)で育てるようにしないと。
反戦側には、軍事費を削減して文教、福祉に回すべきだという論が多いです。
でも軍事費と文教、社会保障は、歴史的には相反してはいないと思います。
明治維新においては、富国強兵という名目で教育、製鉄など諸産業に力を入れました。
重税、重労働という犠牲はありましたが、それで多くの富ができて結果的には多くの人が生計の道を得、教育を受け、江戸時代以上に物質的には豊かな生活ができるようになりました。
さらに軍人恩給をベースに社会保障も大きく進みました。現在の社会保障システムが戦時中にできたことも注目すべきです。
もしそれがなく、当初から軍事、産業革命に背を向ける「王道楽土」「鼓腹撃壌」「小国寡民」路線で行っていたら、西欧列強の植民地にならなくとも貧困でそれゆえに文教、社会保障も低レベルなままだったでしょう。
日本人にとっては、西洋文明と日本文明の相克で引き裂かれるよりそのほうが幸せだったかもしれませんが…植民地にならなくても、封建制の遺風が今以上に生きるであろうその世界で、魂の自由を得る可能性が少ないことを考えると、あまりそんな日本に生れたくはありません。
モビルスーツという概念の代わりにボールか、その先…自在に動く、脳と直接接続された多数の触手状アームと重火器、高機動スラスターを備えた機体であるだけで、あとは歴史的経緯、ストーリー、キャラクター全部ガンダムそのままのアニメがあったら結構面白いかも。
どう見てもそのほうがずっとリアルです。
人間型の汎用性とよく言われますが、複雑な可変MSがコロニーの修理など土木作業をしているのは想像できません。
ではどのような形が最も効率、汎用性に優れているのでしょう。
日本国憲法の精神と、「軍」「天皇制」は相容れないとよく言います。
では国民皆兵で君主国であるスウェーデンは民主主義国ではないのでしょうか?イギリスも?明らかにどちらも優れた民主主義国です。
日本国憲法の精神には民主主義、平和主義、基本的人権がありますが、少なくともスウェーデンはどれも最高です。
民主主義と軍(有事法制)、君主制は両立します。
日本だけそうではないとしたら、何がそれを妨げる要因なのでしょう。
で、なぜ民主主義と計画経済はどうしても両立しないのでしょうか…
義務教育の目的の一つとして、「自己を客観的に理解すること」は必要でしょうか?
これは僕の比喩ですが、「召喚系ファンタジーでの自己紹介」を深めることです。
まず自分の最終的な所属…「宇宙」「地球」「日本」「**県」という地理的流れ、「生物」「動物」「哺乳類」「人類」「日本人」という生物分類学的流れがあります。それぞれについて深い理解が必要でしょう。
さらに「日本人がどのようなイデオロギー、世界観を(分裂を含めて)持っているか」「自分は日本、または世界における複数のイデオロギー、世界観のどれを選択しているか」「歴史的には何を背負っているか」、また「文化人類学的に日本文明、今自分がいるところを評価するとどうなるか」なども必要でしょう。日本語の語学的客観化も重要です。
もちろんそれらは各科目の学習から自然発生的にできるかもしれません。
でも、自覚的に行っているでしょうか?
日本は経済大国だが、泥棒国家であるとよく言います。
では「経済大国」と「泥棒国家」の接続詞を考えてみましょう。「日本は」「である」を略しますと
「泥棒国家」でない、いい国で「経済大国」はあるのでしょうか?
というよりいい国とは?民主国家?福祉国家?平和国家?国には無理?
なぜイラクの武装勢力は、どこかで「現在の暫定政府は認めない、自分たちが正統なイラク政府である」と宣言し、国際法上許される戦術で戦わないのでしょうか?
していても報道されていないだけでしょうか?
もちろん戦力差が大きすぎる問題がありますが、国際法上非合法な現在の自爆テロ、暗殺、外国人拉致脅迫殺害による方法に比べて世界の支持が、特に反米の側から得られるでしょう。少なくとも犯罪ではなく軍事行動を主張できます。
特にフセインの親族が海外に亡命し、あ!そこで非暴力不服従抵抗を標榜すれば高い正統性が得られるのでは?
それとも、現在の戦時国際法自体が欧米文明が作った受け入れられないものなのでしょうか。
出社時にその設定をすると自分の携帯電話が会社の電話の内線子機としても使えれば便利ですね。
もちろん本質的にコードレス電話の子機であるPHSにはその機能がありますが、使っているのを見たことはありません。
次世代ゲーム機が発表されましたが、正直に言って本当にこれ以上の機能が必要なのか、という気がします。
昔の低い性能のゲーム機でも、十分面白いゲームは作れました。
その点ではソフトの面白さにこだわる任天堂の姿勢に好感は持てます。
過去の膨大なソフトの蓄積を活かせるというのもいいですね。プレイステーション2の強さはドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーの二大タイトルだけでなく下位互換性もあったと思います。
マイクロソフトは日本市場では完敗しましたが、さすがにスペックは高いようです。
どんなソフトを入れるか、ネットとの親和性をどう生かすか…
そしてディフェンディングチャンピオンのプレイステーションはそこらのパソコン以上の性能、映画並みの画像…ゲームの概念自体、もうファミコンの時代とは全然違うのでしょうか。
何より、どうすれば面白いゲームソフトが出てくるのか…。
靖国神社には、宗教と国家機関を使い分けられるという都合のよさがないでしょうか?
宗教だから、国民の過半数でも天皇の命令でもA級戦犯やクリスチャンの分祀はできません。
また、政治の動き、国益判断にほとんど関係なく、閉じこもった判断ができます。
けれども、たとえ首相が絶対に参拝できなくても、国家と何の関係もない一宗教団体であるという建前が正しいとはとても言えません。
その曖昧さが現実には自然であり、それは欧米での国家と教会の関係も変わらない、とすることもできますが。
ウズベキスタンの騒乱は、
のどれになるでしょう。
2を期待したいのは山々ですが、そのつもりが3になる懸念もあります。
中央アジアの民主化は本当に難しいです…
さて、ここでアメリカがどう出るか。
アメリカはなんとしても世界各国の民主化を進めるという建前を捨てるわけにはいきません。今やそれが、ほとんど唯一のイラク戦争の言い訳なのですから。
でも、「これは対イスラムテロ戦争だ」とウズベキスタン政府側が言った場合、どうするのでしょう。
民主党がダメだとしたら、今後はどうなるでしょう。
次の総選挙で政権交代ができなければ、有権者もあきらめて支持が低下、所属議員にも諦めが広がって分裂するか、分裂しないままならどんどん議席を縮小させるでしょう。
新進党同様、また分裂して別のキメラ野党ができる可能性はありますが、そうなったらもういいかげんそれを何度繰り返しても政権交代はない、という諦めが圧倒多数になるでしょうか。それともきれいに忘れ、何年もかけて同じことを繰り返すでしょうか?
非自民がまとまって政権交代をするのが無理なら、現状で安定するか自民単独圧倒多数になります。
でも、それでもう終わりだ、民主化の希望はない、というわけではないのでは?
選挙制度が悪いと考えれば、なんとか単純比例代表制にすれば多数の思想を反映した小党ができ、自民をそれぞれの立場から牽制するでしょう。
中選挙区制に戻し、巨大化した自民党がまた派閥に分かれれば自民党内での民主主義が働くかもしれません。
まあそれはどちらも無理です、議員にとっては前回自分が選ばれた制度がいい制度なのです。だから原理的には選挙制度改革は不可能ともいえます。
でも、選挙制度改革も政権交代も無理、自民党の一党独裁が固まってしまったとしても、自民党の総裁選を国民投票にしてしまうという手もあるのでは?どうやってという問題もありますが、それは世論というやつで。
世界のありとあらゆる曲を一つの巨大ハードディスクに入れて、延々とシャッフルしたらどうなるでしょう。
さらに何曲かずつ一度に流したら…気が狂いますね。
そのうち、脳とコンピューターが直結されたら音楽がいつも頭の中に流れているようになるでしょうか。
「みどりの日」が「昭和の日」になるそうです。
では、なぜ「文化の日」を「明治の日」にしないのでしょうか。
昭和時代の戦争と独立、高度成長は確かに日本にとって非常に大きなイベントでした。
しかし、近代独立国への道を歩みだすことに非白人国で当時はほとんど唯一成功し、体制変化としてもとてつもない変化であった明治維新の意義はそれ以上だと思うのですが。
で、全くのゼロから祝日を再構成したらどうなるのでしょう。
元日、明治維新を記念するなら大政奉還かそれとも文化の日(明治天皇誕生日)か、江戸時代については、日本文化に根ざす様々な暦の重要な日は、終戦記念日、独立(第二次世界大戦による占領からの)記念日は、…
あと、天皇の代替わりのたびに祝日が増えて何千年後には平日がなくなるという問題は?
まあ皇統が絶えたらそれどころではないのですが。
水洗トイレは水資源の無駄、ではどうすれば?
汲み取り式に戻す、というのは実績があるから確かにいいのですが、衛生上問題が多くあります。
むしろ、自動的に土を循環させ、ミミズを中心とした土壌生物に処理させるほうがいいのでは。
要するに穴を掘ってトイレや生ゴミ捨て場にし、埋めて近くに穴を掘り…で一巡する頃には土壌生物に処理されている、というのをシステム化するわけです。
当然これは生ゴミ処理にも使えます。
便器には常に処理済みの土が敷かれ、トイレをすませて紙を捨て、流すボタンを押せば、土ごとまとめて土中のほぼ密閉された区域に落ち、すぐにふたと新しい循環土で便器(生活圏)との間はふさがれ、汚物は土ごと攪拌されて主にミミズがその汚物を処理します。
土はミミズが生活できるようにPHと温度、酸素、水分を調節され、攪拌されながら少しずつ動いて十分処理される頃一巡し、また便器に戻ります。
そして土中の処理施設には、地中にミミズは通れるがモグラは通れない頑丈な金網(チタンなら大丈夫でしょう)で間隔を開けて二重に封鎖された穴が開いてます。増えすぎたミミズは地中を通って外の庭や緑地に出て、汚物を分解した栄養素を体で持ち出し、肥沃な土にしてくれます。
ミミズが処理設備の地表に運び出す、栄養豊富な糞土を利用できればもっといいのですが。
問題は
などです。
まあ、もちろん通常の下水を土壌生物を利用して処理してもいいのですが。
なお、常時大量の汚物が出る大規模な集合住宅や畜舎などでは、それをベルトコンベア式に土に混ぜて集め、ある程度施設を整備すれば膨大なミミズおよび肥沃土を得ることができます。
大規模畜舎の場合は周囲の農場と提携し、やせた土を持ってきてミミズごと肥沃にした土を返してもいいですし、ミミズを分離してミミズは飼料にし、十分肥沃な土を返してもいいです。
豚にとっても鶏にとってもトウモコロシを肉にするより、元々肉に等しいミミズを食べて肉にするほうがはるかに早いです。
本当はミミズを人間の食料にするのが一番効率がいいのですが、いくらなんでもそれは抵抗が強いでしょう。
でも本格的に地球の農地では全人類を養うに足りない、でも選別も破局もさせないとなったら、虫や微生物が食料になることになるかもしれません。
イギリスのヘンリー王子が陸軍士官学校に入隊したそうです。
そのように上流の子弟が積極的に軍隊に参加するのもノブレス・オブリージュです。
しかし、今のイラク戦争を批判する人たちは、現在のアメリカの議員で子弟が軍にいるのは一人しかいない、自分や子弟が戦死する心配がない金持ちが私利私欲のために戦争を決め、貧乏人を戦死させていると言います。
アメリカではノブレス・オブリージュがなくなったのでしょうか?
また帰還兵の福祉が大きく削減され、職や大学どころか傷すら治してもらえずに放り出されるとも言われています。
それも、だから反戦というのではなく、建前だからこそ実施に力を入れなければならない、英雄である帰還兵の福祉に力を入れないのか、というのが本来必要な問い、運動では。
本当にアメリカでは上流はノブレス・オブリージュで戦争に自ら率先して参加し、下層の英雄たちは手厚くむかえるという建前が失われているのでしょうか?なぜ?
軍隊、伝統に対する全体の支持が失われたら誰の得にもならないのでは?
それとも今のアメリカの上流はこの世は自分の私利私欲のためにある、建前など守らなくても情報操作で全員だませる、という確信を持っているのでしょうか。
反戦のための宣伝だから信用しない、という態度は取りたくありません。もちろん一面的な見方である可能性はありますが。
イラクでまた邦人が拉致されました。もちろん救出を切に願っています。
といっても、傭兵は半ばアウトローであり、日本という国とはある意味関係ありません。傭兵の宿命です。
日本が自衛隊をイラクに送っていなくても、この件は…それをいうならこれまでの邦人殺害事件も…あったでしょう。
まあ、自衛隊をイラクに送っていなければ他の捕虜同様即殺されて終わりだったかもしれません。
日本が弱い環であることは知られていますから、日本人について騒ぎを起こすことはイラク武装勢力にとって利益になります。
まあ、加害者としても多くの問題を起こしている傭兵に、日本人も少しは関心を持ってくれれば。
また、この件では他の捕虜が全員即殺害されたことも重要です。
お互い戦争のルールを全く守らない、なんでもありになっている…そうであれば、たとえ反戦報道どおり暴虐の限りを尽くしていても、所詮文明国であり一帯の住民を皆殺しにして見せしめにし、無差別に拷問虐殺することはさすがにできない米軍では勝てないのではないでしょうか。
結局フセインが正しい、という結論だけは避けたいのですが。
本当にどうすればいいのでしょう。米軍が撤退したら国連が動いたとしても、何もできるはずはありません。
ましてNGOが秩序を取り戻すのは無理です。
無政府状態、第二のフセインが出るのを待つほかないですよ。原理主義テロリスト政権はもっと最悪。
護憲改憲の議論ですが、まず現状維持を認めないとします。
すると本当に国の最後では、護憲の場合非武装中立だから無条件降伏し、そしてもし侵略者がナチスドイツのように邪悪で次の侵略やホロコーストへの協力を強制されたら、国民全員が非暴力不服従で虐殺される(または、これは僕だけの意見ですが全国民が体に埋め込んだ遠隔操作装置で自動的に自殺する)のを覚悟することになります。
逆に改憲の場合には、最後の最後では一億玉砕を覚悟することになるでしょう。
でも、外国ではそんな究極の選択を意識しているでしょうか?
外国は本当に自国が邪悪な侵略者に敗れた場合、全員が神風特攻のような形で命がけで抵抗することを、どれほど意識しているのでしょうか。
欧米の近代以降の歴史で、本当に全滅して戦い抜いた国があるでしょうか?
フィンランド、独ソ戦はそれに近い壮絶なものでしたが、全員に死ねと命じるほどではありませんでした。中南米の歴史で、若い男性の人口が半減する戦争はありましたが。
どちらにしても民間人、女子供を含む全員が降伏を一切考えず戦死するか自決するというのは、日本だけの妙な考え方なのでしょうか。
本当に諸外国に、「非武装中立、非暴力不服従で全員虐殺されるか、それとも全国民が玉砕するか、どちらを選ぶべきだろうか?」と聞いてみたいものです。
それともこの問い自体が不適切なものなのでしょうか?
現状維持なら100%平和は保て、どちらもしなくてすむ保障はあるのでしょうか。
まあ、僕は改憲は民主化(政界再々編)のあとにしてくれ、というのが正直なところです。
社会による倫理、道徳的な圧力はないほうがいいのでしょうか?
倫理、道徳の圧力は、宗教や愛国心と密接に結びつき、市民的自由を大きく阻害します。
特に戦争への反省という立場からすると、上からの愛国心、国家神道、国民道徳の押しつけは絶対に許しては鳴らないものです。
でも、逆に戦争への反省という立場の人も、平和という倫理を強く押しつけてはいないでしょうか?
世界各地で大規模な水害が起き、地球温暖化のせいといわれています。また、氷河の後退も警告されています。
その警告は聞くべきですが、水害は地球温暖化より、森林伐採の影響が大きいのでは?
また、世界の気候は結構変動するのでは?
本格的に記録が始まったのは最近でしかないのです。
人類が出現してからの時間さえ、地球史全体で言えば微々たるものです。
気候がある程度変動しても耐えられるよう、人類文明を柔軟性があるものにすべきではないでしょうか。
または気候に依存しないよう、人類文明は宇宙に移し、地球は自然のままにして公園扱いするのが理想です。
前者なら人口を大きく削減すべきですし、後者なら宇宙開発を早期に進める…軌道エレベーターとスペースコロニーまたは惑星上基地、太陽に近い水星を材料とした太陽光発電リングの開発に人類の総力を集中すべきです。
ブレア辛勝。
いろいろな記事を見ると、イラク戦争にはNo、だが野党側の戦略ミスが〜という評論が多いです。
それ以前に、イギリスはこれからどんな国になろうとしているのでしょう。
ブレア首相がつけた方向性は、そのままいい方向になるのでしょうか。
日本にもブレアを範とする人は多いので、他人事ではありません。
一人の人間が、わけもなく一人の人間を強く憎み、破滅させたいとあらゆる手管を使うなら、それを阻止することは可能でしょうか?
そのような者はいないという仮定で社会は成り立っている…ならば、いじめは?
いじめが、それも現代の学校で見られる陰湿なものが普遍的なものだとして、それでどのように社会を築けばいいのでしょう。
脱線事故で、事故車両に乗り合わせていながら救護に参加せずそのまま出勤した運転士に非難が集まっています。
ただ、もしその人たちがそのまま救護に参加して遅刻したとします。
その結果、もうずっと寝ていない人が叩き起こされてその救護で遅刻している人が乗るはずだった電車に乗ります。
もちろん事故について延々と説教され、桁外れのプレッシャーとぐちゃぐちゃのダイヤで、です。
それで代わりの寝不足運転士がまた事故を起こしたらどうなったでしょう。
まあ、連絡を受けた当直員は当然その場で情報収集に当たるよう指示するべきでしたが。
事故について組織全体が思考停止に陥ったようですね。
本質的には一言、「罪なき者のみその女を打て(ヨハネによる福音書8-7)」。遅刻の罪の重さをトイレのしつけに匹敵する深さで叩き込まれている現代人に、遅刻を犯して救護に当たれというほうが無理です。
JR西日本に対する非難についてもそうですね、早く安く正確にを求めているのは消費者です。そして他の鉄道会社、他のあらゆる運輸業にそのような欠点はないのでしょうか?
昔からですが、学校ではガリ勉は必ずしもいいことではなく、嫌われ者でした。
現代ではもう、いじめで勉強を止めることが一般的に蔓延しているようです。
少年少女向けの漫画でも、あまり勤勉、勉強を称揚するものはありません。
それで思い出すのが、昔の偉人伝でよくある親が子供に勉強するなといい、学校をやめさせ、本を取り上げたことです。
それは昔の下層階級にとって、子供も重要な労働力であり、無駄な学校や勉強でその労働力が奪われるのは一家にとって損害だったからです。
学校や勉強が無駄だ、というのは、勉強した子供が出世して将来大金を稼ぐ望みがない、と思っているということです。また、自分の家業を勉強によって改良することも期待していないということです。
そして、自分は下層階級なのだから勉強して出世しようという欲を持つこと自体がいけない、「分をわきまえよ」という道徳もあります。道徳的に、勉強して出世する階級より体で働いている自分のほうが偉い、という誇りもあったのでしょう。
現代では勉強などやめて働けという親はほとんどいません。大半の親が勉強して学歴社会で勝ち、出世しろと子供に言います。
しかし、親の代わりに同級生たちが、「勉強なんて無駄なことはするな、どうせ出世はできない、分をわきまえろ」と言い合っているのではないでしょうか。
それが本当に、親も「おまえは下層なんだから勉強なんてするな、無駄だ、分をわきまえて働け」というようになる時代はこのまま格差が広がったら来るのでしょうか。
いや…現在の下層労働者、すなわちフリーターに労働者階級としての誇りは持ちようがないです。
となると、下層労働者に安定して誇りを持てる仕事を与えないこれから予測される格差社会は、格差が階級になる社会としても大きな過ちを犯している、ということになります。
政治的無党派層には、投票する条件はあるでしょうか。
考えられるのは以上のようなものですが、現実にはどうなのでしょうか?
1や7が結構多いのでは。
列車事故は、国鉄分割民営化の是非を通じて郵政民営化にもつながる問題では。
この事故が起きた原因として、報道どおり過密スケジュールとダイヤ遅れに対する厳しい罰があったとするなら、民営化によって私鉄との厳しい競争があったことが原因であったともいえます。
私鉄との競争のため「より速く、より安く、より正確に」を重視しすぎて肝心の安全が低下してしまった、と。
そうだとすれば、これは「神の見えざる手」の一つではないでしょうか。
このような事故を起こしたら損害をこうむりますから、そうならないためには「速く、安く、正確に」と「安全」のバランスをもう少し安全よりにしなければならない、となります。
もちろんこの事故の背後にこれまであった多くのニアミスから学んで、事故を起こす前にバランスを取る努力をしなければならなかったのでしょう…でも、人間心理としてはそれは不可能です。大きな事故がない限り安全を意識することはできませんし、安全を理由にして勤務を緩和してくれ、というのは弱音、言い訳とされるので誰も言えません。あるダイヤを安全に運行させることが誰にもできない、ということを証明する術はないのです…ダイヤを緩めるより運転手を交代させるほうが常に容易です。
でも、それでこの事故を許容できるでしょうか?
すべての人が、すべての事実…真実という言葉には主観が混じるので、使うべきではないでしょう…に接する権利はあるでしょうか。
科学法則から、悪人は大量破壊兵器を作り出すこともできます。
人間の心理や宗教について理解すれば人を洗脳し、限られてはいますが絶対的な権力を握ることができます。
他人の些細なプライバシーを暴き、苦しめることに多くの人が快楽を感じます。
人類自体、自分の国の悲しい歴史に、弱い人は耐えられないかもしれません。逆に自分の国を他者とみなして悪く思い、謝罪しようとすることで自分を高めている人は、そのやり方ができた経緯を知ることを拒否するでしょう。
政治が、特に外交や治安の裏で、公を保つためでもどれほどの悪を積んでいるか知って、どれだけの人がひたすらその反対の極端に走らず、民主主義を信じられるでしょう。
人間は、事実全体を知ることができるほど強くない…と思うのは、すなわち民主主義、言論の自由を否定することです。
そして、それを否定するなら普通の弱い人とは違う、強い人に事実を任せ、その支配に依存するほかありません。
でも、そんな強い人はいないのです。誰よりも強い人と思われ、奇跡とも言うべき実績を積み上げたナポレオンやヒトラーも、地位にあり続けることで歪み、誤り、自滅しました。優秀なはずの軍人や官僚が、二度も日本を破滅の瀬戸際に追い込みました。
人間は弱い、という真実に耐え、それでもすべての事実をすべての人間が分かち合うべきです。
そうでないというなら…どうしますか?