枕元の計算用紙
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31日
かなりの男性的なマンガ、小説は「一匹狼」「ブタ」「弱者」の三者を中心に構成されています。
主人公は大抵一匹狼です。体制に反抗的で正義感が強く、また非常に生命力が強く個人主義的でタフです。ニーチェの超人もイメージさせます。
ブタとは権力者です。人間としての力がないくせに富と権力があって、弱者や一匹狼を押しつぶそうとします。
弱者は芯の強さはありますが、基本的には弱くひたすら踏みにじられる存在です。
そして弱者が主人公を支え、主人公も弱者に同情してブタと戦います。
でも本質的に、ここには矛盾があるのです…個人主義で無政府主義に近い主人公は、「弱者の、弱者による、弱者のための」世界にとっても間違いなく敵になるのです。
マルクス主義国家ができたと同時に、大半の革命家を粛清したように…
また、弱者とブタには心理的に似た点があります。どちらも既存の社会体制に依存しているのです。
30日
テラフォーミングのより上として、よその恒星系そのものを作りかえるのはどのようになるでしょう。
特に生存可能領域に地球型(岩石大気型)惑星を持たない、うちのように幸運ではない太陽系の改造は可能でしょうか?
目的はダイソン球殻かリングの建造でしょうか。
まず最初に、恒星系の全体を観測します…恒星はどんなか、どんな惑星があるか、そして大きな彗星や小惑星、近くの褐色矮星なども調べることになるでしょう。
そしてできる限り太陽に近い岩の塊(太陽に近い木星型惑星の衛星もあればいいでしょう)を見つけ、それを太陽電池にしてエネルギーを確保します。
それからそのエネルギーを用い、様々な資源を集めて精製再構成し…まず必要なのが太陽電池になるシリコンと電気系統の銅、構造材の鉄やチタン、アルミニウム。
生物(人類)が暮らすためには水、炭酸ガス、窒素、栄養塩類など…元素レベルで言えば水素、酸素、炭素、窒素、リン、カルシウム、カリウム、塩素、ナトリウム、マグネシウムなどが必要になります。それらはガス惑星から直接得られるでしょうか。それとも彗星から採取した方がいいでしょうか?
そんなこんなで、何千年か後に順調だという返信を受けて植民者が着いたらもう住み心地のいい世界ができていた、となれば…
といっても植民者が行き着けず母体が滅び、住み心地のよさそうな新築空家だけが残っている、というのもSFとしてはなかなかシュールですよね。
29日
そのルールがなぜ必要かを理解すること、ルールリテラシーとでも呼びますか…を子供に教えるのは、どれぐらい大きくなってから必要でしょう。
大人でも理解していない人が多すぎますが、それはメディアリテラシーも同じことです。
たとえば連帯責任は、子供どころか大人もみんな嫌います。
でも、軍で前線に行けば、誰もがわかるはずです…小隊の誰かが小枝を踏んで音を立てたとき、「ドジったのは俺じゃない」と叫んでも敵弾は遠慮なく全員に飛んできます。もちろん、船が沈んだ場合も「連帯責任なんてイヤだ」「悪いのはオレじゃない」と海やサメにいくら叫んでも無意味なことです。
大抵のルールには意味があります…本当に意味を失っている、または狂気の域にあるルールかどうかを見極めるには、それこそ高いルールリテラシーが必要でしょう。
また反抗的な人間には、たとえば避難訓練で規律のある行進と規律なしを比較する実験をすれば理解できるのでは?もちろん危険があるのですが。
でも、理屈も事実も耳に入らないほど反抗的な人間には…
28日
人類は、何千年いや何万年も布を織り、格子状都市を作ってきました。
にもかかわらず、座標の概念に至るのがあれほどおそく、しかも一度きりとは…
それもフェルミ・パラドックスの重要な説明かもしれません。
恒星に生命が生まれる惑星がある確率よりはるかに、生命から電波(そして恒星間植民ロケット…これが実現するかはわかりませんが)の障壁は銀河全体、そして全銀河文明と銀河間植民、通信の障壁は観測可能宇宙全部で一つだけになるほどとてつもなく大きいのだ、と。
27日
ニュートン力学の絶対時間の概念は、経度と関係はないでしょうか。
経度を測定するには、精密な時計(クロノメーター)を利用して、ロンドンで合わせた時計の時刻とその場での日時計が指す時刻の違いをもとにします。
でも、上の「時刻」自体、地球全体で同じように時間が流れるという仮定があるのです。
事実として、相対論的な効果は無視できるのでその通りなのですが。
26日
もしペレストロイカがなかったら?9.11が?小泉首相が?
ペレストロイカがなくても、ゴルバチョフが早期に失脚しても共産圏の崩壊は避けられなかったでしょう。
それは核内戦やスターリン以上の独裁者など悲惨な結果になったかもしれませんが、今振り返るとゴルバチョフ以来の旧共産圏はそれほど幸せには思えません。
でも、どんなよりよいもう一つの歴史があるか…もっとゆっくり、民主主義や資本主義が健全に根付くことができるよう土を整えてから…というのは現実には無理ですね。
それを考えると現実が一番ましなのかもしれません。
9.11テロがなかったら、冷戦終了以来の「歴史の終わり(フランシス・フクヤマ)」に代表される楽観的な世界だったでしょう。
それは逆に、先進国は誰も貧しい人々、破綻した国々のことを見ない、見えない壁で分断された世界でもあり続けたでしょう。まあ今も相当そうですが。
アメリカは保護主義、孤立を選んでいたかもしれません。また、先進国がもっと環境に関心を持っていたかもしれません。
小泉首相がいなかったら…2001年に第二次橋本内閣だったら、民主党に政権が代わり、失望が広がりつつ自民党が兵糧攻めで自壊して、今ごろは政界再編でちゃんと主義主張に沿った投票ができるようになっていたでしょうか?
それとも政権交代がないまま自民党主導の景気回復がおき、野党の存在感がなくなっていたでしょうか?または民主党に政権が交代したものの、ごく短期間で瓦解して失望され、政治的に絶望が蔓延してファシズムに至るでしょうか?
25日
昔は「源氏物語」にあるように、恋文に和歌があるのがあたりまえでした。教養のある男性は漢詩さえつけました。
さらに書自体、紙や花、香を組み合わせてとても雅な表現をしました。
だったら今の日本でも、ラブレターに和歌や漢詩、他の発想として俳句や外国語の形式を守った詩を入れ、それが性的魅力として評価されるようになればすばらしいのでは?
皆の情緒、国語力などのレベルが大幅に上がり、結果的に国力さえ高めてくれるでしょう。
どうやってそうするかが問題ですが。
そういう、サブカルチャーの方向を制御、できるとしたらメディア企業ぐらいですか。
でもメディアがその気になっても、ラブレターの形式という最も微妙なものを、子供たちから若者まで押しつけることはできるのでしょうか?
24日
新しく全員…日本人と世界の…が読むべき、「四書五経」というべきものは何でしょう。
日本人にとっては…まず古事記、論語孟子(主要部?)、大学中庸、老子、孫子、十八史略か春秋左氏伝、般若心経と四諦八正道の代表的な経…手塚治虫「ブッダ」も…?、「創世記」「出エジプト記」と「マタイによる福音書」「ローマ人への手紙」(新共同訳と英語)、フランス人権宣言やアメリカ独立宣言(原語と訳)、…「オイディプス王」「アンティゴネー」「ソクラテスの弁明」(日本語訳か英語、できれば原語)「ハムレット」「オセロー」(英語)…枕草子、百人一首…その他和歌、漢詩は?日本現代詩には?
世界全体では、まず欧米人は「イリアス」「オデュッセイア」「ガリア戦記」「オイディプス王」「アンティゴネー」「ソクラテスの弁明」などギリシャローマ古典と聖書を挙げるでしょうし、イスラム教徒は当然コーランを第一にするでしょう。
英語圏にとってシェイクスピアは当然ですし…とどうにもふくらみそうです。
一般向け科学啓蒙書としては「宇宙創生はじめの三分間(スティーブン・ワインバーグ)」や「コスモス」「人はなぜエセ科学に騙されるのか(カール・セーガン)」「虹の解体(リチャード・ドーキンス)」「沈黙の春(レイチェル・カーソン)」「ガリレオの指(ピーター・アトキンス)」「ロウソクの科学(ファラデー)」などがありますが…本当に一番の基礎、科学そのものと数学そのもの、論理そのもの、そしてどうやって宇宙、地球、生命ができて人類に至ったか、地球と生命はどう動いているのかを語る、五歳、十歳、十五歳、二十歳それぞれ読むべき古典といえる本は…
知見自体がどんどん陳腐化するし科学自体が比較的新しいので、千年かけて磨かれた古典がないのは仕方ないのですが。特に複雑系関係は重要かもしれませんがまだ新しすぎます。
科学関係は完全に世界共通にしていいと思いますが、どうでしょう?
そして論理学、数学基礎論、そして科学自体の、古典にして人類全ての必読書と言い切れる本は?
それがぱっと浮かばないのが残念です。「プリンシプル」もユークリッドも難解な上に、現代数学から見て整理されていません。
23日
平和主義者で近くの国が侵略や虐殺をしてもひたすら穏便にし、それで結局大戦争という第二次大戦前のイギリスのような政治家。
戦争大好きだけど勝てない戦いはしたくないから、ひたすら勝てるよう布石を打ち、必要に応じて強気と弱気を使い分けて孫子の兵法どおり情報や外交を重視、規模は小さいけれど全力を出さずに弱腰にしたり、勝ちにのって無理をしたら後に大戦争になって大負けする可能性がある、と判断した局面では果敢に戦いしっかり勝ってきっちり矛を収め、結局大きな戦争はしないですませた政治家。
どちらが平和に貢献したといえるでしょう。
22日
実際には、冷戦終結不況というのはどれぐらいすごいのでしょう。
平和の配当、平和になればその分民生に金が行って皆が豊かになる、というのは本当でしょうか?
いや…世界全体は、冷戦終結後どれぐらい豊かになっているのでしょう。
貧しい人は増えているのでは?
総GNPも、自然増やIT革命の方が大きいのでは…冷戦が終わっていなかったらここまで増えていなかったか、それともここまで世界的に貧富差は広がらなかったからもっと増えているか。
冷戦終結は、経済的に誰にとってプラスで誰にとってマイナスだったのでしょう。
いや、グローバル化が悪いという人が多いですが、それは冷戦終結が悪いというのと同じでは?
冷戦終結後、皆が平等に豊かになった可能性はあったのでしょうか?
21日
アダルトビデオ、ゲームなどをオーダーメイド、または既製品との中間にすることは無理でしょうか。
いや、普通のゲームでもセミオーダーメイドができれば…オンラインRPGのいくつかは、自分を事実上セミオーダーメイドできますね。
20日
国民を麻薬漬けにして統治する国はないのでしょうか。
麻薬の禁断症状をムチとし、判断力低下を利用して家畜と奴隷の中間的な存在にしてしまえば…
麻薬中毒で能力は落ちるかもしれませんが、実際に高度な能力はどれだけ必要でしょうか。
そこまで「安全な」麻薬がないのでしょうか?
アフリカの武装勢力や南米の麻薬組織ではやっているかもしれませんね。
現在の格差が大きいグローバル市場主義経済が、富裕層が自分たちを優秀に改造するのとは逆に、労働者を知能が低く判断力がなく反抗しない、忠実で勤勉で頑健な半家畜に薬物や遺伝子で改造することはありえるでしょうか?
それより下層を駆除して代わりにロボットを使うほうが、環境にも優しいでしょうか。
19日
もし公私問わずあらゆる学校、受験科目を扱う塾やある程度以上公式の資格試験を扱う各種学校で上位20%の学費免除を義務付け、また世代全体で上位1〜5%ほどで富裕層出身でない者は生活費も全額支給、という制度になれば格差社会の階級社会化は止められるでしょうか?
それとも、もし学歴と職のチャンスの関係が本当に弱まっているとしたら、それでも格差が階級となるのはとめられないでしょうか…貧困層出身で、奨学金で学んだ高学歴優等生に職がない、ということに?
職と学歴の関係はどうなっており、どうなるのでしょう。最高でなければ無意味な超学歴社会か、それとも最高で会っても無意味なギャンブル〜コネ社会か…。
18日
発電所の暖かい排水が問題になっています。
もちろん近隣住民に温水を供給するというのもありですが、暖かい排水を、沖の海底に太いパイプで流すというのはどうでしょう?
パイプが太ければ、貝や海草などで詰まる前に捕食者がそれを食べるでしょう。
また、深ければ貝や海草も育ちにくいです。
下を向ければ落ちてくる泥で詰まることもないでしょう。
そして、その温かい排水は上昇水流を生み、栄養豊富な底の水を日光が当たる海面に持ち上げて光合成を盛んにさせ、漁獲量を増します。
17日
特に一昔前のWindows系パソコンには、初心者こそが感じる不満が二つあります。
一つはCドライブの小ささ。
特に音楽をなにも考えずメディアプレイヤー任せでとりこんでいくとそのままCドライブにまわされます。
また、普通に使っているだけでもCドライブはどんどん増えて、すぐいっぱいになります。
半々でいいはずです。
もう一つは、これは新しいのもそうですがメモ帳の容量の小ささ。
今のパソコンは一般にメモリが大きいので、50メガバイトぐらいのテキストは余裕で扱えるのでは。
その両方の処理…Cドライブ容量拡大と、メモ帳の容量拡大をハードディスクの初期化抜きに簡単自動的にできるようにして欲しいです。
16日
携帯電話を利用したメールのやり取りは意味のないごく短い言葉が中心で、それで若者の言葉、心が壊れているとしばしば批判されます。
でもその「どうでもいい」メールは、左脳的な論理的な意味ではなく、浅いものではありますが感情的な何かを伝え合っているのでは。
巨大な人口が常に、浅い感情を軽くやり取りすることによって、まるで無数の脳細胞が電気パルスや化学物質を伝え合い、蟻や蜂などの社会性昆虫がメッセージや化学物質を伝え合ってネットワーク…一つの巨大な存在のように見える…を作るように、巨大なネットワーク…巨視的に見れば何か…を作っているのでは。
単にそのネットワークが、従来期待されたように論理的な言葉やデータと議論、または深い教養に支えられた情緒を乗せた文学によるものではなく、気分レベルの本来なら言葉によらずに表情などから伝えられるべきものを、何とか言葉に変換して伝え合っているのでは。
携帯電話の付録機能として写真が(技術的により容易と思える)音楽プレイヤーおよびラジオより早く発達したという謎も、携帯電話というのが本質的に感情を伝えるツールである、ということから解けるかもしれません。
で…そのネットワークは何をするのでしょう。
それはファシズムの温床になりうるので、恐怖も感じます。
なんとか、それがいい方向に動いてくれればいいのですが…無理でしょうか。
また、その「なんとなく感情ネットワーク」を、知性と論理のネットワークが制御する可能性はないのでしょうか。
15日
フロッピーディスクと同じ形で、在来型FDドライブで読み書きでき、1〜10Gb程度の容量があるメディアがあれば、昔のコンピューターとのデータ交換には便利です。
CDを焼けない、USBも使えない世代のパソコンでは大容量データの交換は事実上不可能です。
パラレルやLANポート、スロットなどは実際にはかなりの知識がなければ使えないでしょう。
やはり昔のコンピューターとデータを交換するには、昔のコンピューターのHDDを取り出してUSB外付けにし、新しいコンピューターにつなげるほかないでしょうか。
本当は昔のコンピューターのメモリなど使える部品も全部使えればいいのですが。
14日
岩国市の住民投票で、米軍基地移転に反対決議が出ました。
で、どうするのでしょう。
確かに民主主義ですから、民意は尊重すべきです。
でも、もちろん基地が家の近くにあるのは誰だっていやですから、どこで住民投票をやろうと反対が多数になるに決まっています。
その点は火葬場やごみ焼却所、原発も同様です。
誰だって自分の家の近くにあってほしくない、でもどこかになければならないのです。
基地がそばにあるのが嫌なことで、だから移転を拒むというのは、今基地があるところがひどい目にあい続けるということです。
少なくとも原発と基地はどこにもないほうがいい、という意見もあるでしょう。
でも、その場合代替案が必要です。
原発をなくすなら、その分電力消費を下げる…途上国のように日に数時間しか電気が流れない生活を甘受するか何かいい代替案…税金にせよ何にせよ膨大な費用を使って風力、太陽光発電を整備するかを考えるべきです。
また、基地をどこにもなくすなら、日米同盟を廃して自主防衛なら核武装と大幅な軍事費の増額と自衛隊基地の増加、教育システムからの社会の大再編…どこからどう見ても軍国主義化と批判される…が必要です。
非武装中立にするなら再三論証してきたように遠隔操作全員自殺システムが必要です。
さてどうしますか?
特に岩国市の外で反対票を応援している人に考えは、自主防衛か下のどれか(有効なのは全員自殺かサダム戦法だと思います)の覚悟はありますか?
13日
実際問題として、現在の世界に何十億人もいる貧困層や将来世代を、今回りにいる人と同じように尊重しようというのは無理なのでしょう。
でも、そうしなければ…地球は現状維持ができてもあまりに悲惨であり、おそらくは文明崩壊で百億の悲惨な死をもたらすことでしょう。
12日
鳥インフルエンザで、世界中大変です。
まず、鯉ヘルペスで霞ヶ浦や近くの堀まで鯉が根絶されたのを見て、僕は違和感を感じました…放置したほうがいいのではないか、たくさん死ぬだろうけれど中には免疫をつけて生き延びるのもいるはず、それを育てればいい、と。
鳥インフルエンザも本来は同様のはずです。
でもそうはいかないのは、億が一でも鳥インフルエンザが変異し、かのスペイン風邪の再来になったら何百…いや死者が臆に達するかもしれません。
だから、そのリスクはゼロでなければならないのです。
しかし、野鳥に鳥インフルエンザが広まってしまった以上、もうリスクゼロは不可能です。
それでその膨大な費用を見て思うのが、狂牛病もそうなのですが、その対策に使っている費用をアフリカで飢えている子供を助けることに使えばどれだけの人数を助けられるでしょう。
狂牛病や鳥インフルエンザを放置してその費用でアフリカの子供を助ける、ということをしないのは、要するに「自分(やその妻子)が死ぬリスクはゼロでなければならない」からです。
それは理解はできますが、二重の意味でおかしい気もします…まず完全にリスクをゼロにするのは不可能だということです。
もう一つが、人命の価値にものすごく優劣をつけているということです…もちろん自分の子供の命より、実も知らぬアフリカの子供千人の命を優先すべきだとは言えませんが。
問題は、鯉ヘルペスにしろ鳥インフルエンザにしろ、「自然から見て異常な高密度で飼育している」「本来なら交流がありえない遠隔地に恒久的に交流がある」という二つの不自然のため、人間が存在しないこれまで自然がとってきたリスクヘッジが通用しないということです。
人類が本格的に活動するまでは、まず絶対的に数が少ない、あまりひどい高密度がないことと、あちこちに独立した住む場があることが伝染病が全体に広がるリスクを下げ、また免疫のある変異個体が生まれて進化する余地を作ってきましたが、今はそれが崩れているようです。
また、特に先進国の人命は絶対です…一億かそこらが死んでも仕方がないよ、人間が高密度飼育、グローバルな交流など不自然なシステムを作っているのが悪い、第一それで死ぬリスクなんて交通事故より低い…とはいえないのです。
考えてみると、リスク評価が冷静にできていないのは対テロも同じですね。
テロもリスクはゼロにできないのに、特に政治的に過剰なコストをかけている気がします。
どちらもどうしようもなく、冷徹に見れば狂っているリスクゼロ政策…ゼロは不可能と専門家は理解していながらゼロと宣伝し、そしてまるで精密工業素材の精製で純度を90%から99%に上げるより99%から99.9%にするほうがコストがかかり、さらに99.9%を99.99%に上げるにはもっと…となるように、無駄にさえ思えるリスク低減のために過剰なコストをかけ続けるほかないのでしょうか。
11日
愛子様の女帝即位、そしてその後の女系への転換が避けられないとしたら、その相手に英王室のヘンリー王子はどうでしょう。
今は年が離れていますが、もう十数年すれば違和感はないはずです。
なによりそれはイギリスとのこれ以上なく強い結びつきになり、もちろん英連邦にも最も高い立場で…ほぼ対等に加入できるでしょう。その外交的な意義は計り知れません。
英連邦つながりで、インドやオーストラリアなど多くのアジア諸国とも極めて緊密な結びつきができ、それは対中国、対アメリカなど多様にきわめて強く働くはずです。
そうなればアメリカとの関係も、同じく英連邦のカナダとアメリカの関係が対等かつ緊密であるように、現在のような一方的な服従だけではない、より親しい関係となるでしょう。軍事的にも在日米軍、片務的安保を脱して、重武装中立にしても九条堅持にしても多くの選択肢が得られるでしょう。
またその子供が逆に英王室に加わり、何代か後でも皇室の血が英王室に入れば、その政治的な意義は計り知れません。
上流階級からマスコミにいたる緊密な交流など文化的な意義もきわめて大きく、また日本の元華族がイギリスの貴族と同一視されることにも大きい意義があるでしょう。
もしイギリスではなく東アジア共同体にいくなら、滅びてはいますが朝鮮、清の王室の血を入れればより深くアジア統合の象徴とすることもできるでしょう。
どうせ王朝を交代させるなら、日本人の平民ではなく世界の王室網に加わった方が得が多いでしょう。
女系による権威、正統性の低下もある程度補えるかもしれません。
馬鹿なことを…というなら女系容認自体が十分馬鹿なことです。
これを否定する論拠は、日本の天皇は他国の王とは違う、もっと別の特別な何かだ、ということになります。
10日
問題にはいろいろな解決可能性の段階があります。
その問題を持つ人の意思があれば解決できる。
本当に問題を持つ人が、問題を認識して意志を正しく持つことができれば解決できる。
集団が解決する意志を持って動けば解決できる。
問題の原因を取り除けば解決できる。
仮に問題の原因を取り除いても解決できない。
何をしても、それは問題の解決とは関係ない。
全能でも解決できない。
問題が解決したら、問題を持つ人や集団にとってもっと悲惨な状態になる。
9日
人間が欲望を満たすのに、物質だけというのはしばしば批判されます。
かといって、映画にあるように情報の世界で、もっとバーチャルリアリティも発達させて楽しむ、というのはもっと虚しいとされます。
物質でも情報でもなく、精神を高めよということです。それはどういうことでしょう。
精神を高めるといっても、それは相当量の情報が必要なのでは。たとえば出家するとしたら、物質と歌舞音曲など世俗の情報とは縁を切りますが、仏法という別のジャンルの情報を大量に必要とするのです。
また、物質や情報(ネットやゲーム)ではなく生身の人間関係という声もありますが、その生身の人間関係というのが昔の農村共同体などに対する郷愁なら、それはプライバシーのない、そして差別と村八分などの強い精神的暴力を含むある意味残酷なシステムでもあります。
そういう悪い部分のない、理想的な共同体の、自立した市民同士の人間関係を中心とし、物質も世俗情報も控えて人格を磨く、というのはちょっと虫がいい話では。
仏教やキリスト教の修道院など物質や歌舞音曲を否定、共同体の人間関係のどれとも離れた人格完成を目指すのもよく見えますが、結局寺修道院もその中の非常に濃密な共同体としての精神的な支え合いが重要な役割を果たすことになります。
そして、それは本質的に宗教なので、全ての人にそんなシステムを強要することはできません。
あと、たとえばスピードを求める欲があるとします。
それを実際に車を買って飛ばして楽しむのと、ゲームで楽しむのとでは、安全についても環境についてもゲームのほうがいいのでは?
物質的な欲望の中の、バーチャルリアリティで満たせる部分はそれで満たしてもいいのでは。
もちろん欲望を捨てるのがいいのですが、それは強要していいことでしょうか?
宗教以外に強要できるものはあるでしょうか…イスラム法は確かに飲酒禁止ができていますが、禁酒法は破綻しました。
特にバーチャルリアリティなど情報技術の発達、物質的欲望に供する資源の逼迫、共同体の解体という現代の趨勢ではどうするのが一番いいのでしょう。
全く新しい世界宗教というのはどう見ても悲惨のほうが大きいでしょう。
もちろん新しい世界に新しい思想は必要なのでしょうが…
8日
宇宙では輝いている恒星を回る地球型惑星よりも輝く主系列星自体、木星型惑星、星になりきれないガス雲や、木星が重さが足りなくて核融合に点火できないのと同じように自分で輝くことができないガス星のほうが多いような気がします。
なら、その多数であるものにこそ生命が多く存在してもいいのでは。
地球型の水〜炭素(〜酸素)生命にこだわらずに自己増殖と進化、恒常性維持、境界などを条件に考えれば結構いるのでは?
7日
最近多い郊外型巨大店舗は、特に足腰が弱ってきている五十代以降にとってはきついです。
いっそのこと、遅い電動三輪スクーターと買い物カートを一体化させたほうがいいのでは?
ネット通販も本来は、老人にこそありがたいシステムのはずです。
しかもそれが盛んになれば、老人の金が市場に、ひいては若者に流れることにもなります。
老人に使いやすいシステムこそ必要でしょう。
6日
平和主義にもいろいろあるのでは。
戦争も軍備も否定する(日本型平和主義、人間の安全保障など非軍事的手段に依存しその失敗、侵略される事態を具体的には想定しない)
これはあらゆる事態を想定する、という考え方自体を否定するため説得力が弱く感じますが、なぜか日本の平和運動では主流です。
軍を否定し、侵略されたら素直に従う
これは侵略者がナチスドイツ級の悪だった場合、別の侵略やホロコーストに協力させられる恐れがあります。
もし歴史の経過で解放されたとしても、多くの人が罪を犯してしまう、国自体が平和にとって、軍備の有無に関わらず抵抗した場合よりも別の侵略やホロコーストの対象にとってマイナスとなる、という重大な問題があります。
一瞬でも非武装が実現できたら後は知らない、というのは無責任のきわみです。
軍を否定し、全員をどんな拷問にも耐えて非暴力不服従を貫けるよう鍛える
これは現実的に不可能です。「自分はどんな拷問にも耐える」と豪語する人は無知か嘘つきです。どんなに意志が強くてもプロによる上級の拷問、「沈黙(遠藤周作)」のように家族や無辜同胞の拷問処刑を見せつけられることには耐えられません。ガンジーも当時の政治情勢…間接的な武力、パワーポリティックスも含む…の都合上それをされなかっただけです。
そして、少数でも…実際には多数でしょう…屈服し、侵略やホロコーストに協力したなら、それだけでもナチにやられた国がそうであるように歴史の前に罪を免れません。
また全員に宗教に匹敵する生命以上の奉仕を求める、内心の多様性を認めないという重大な人権問題もあります。
第一義務教育で生徒を、激しい苦痛に耐えながら笑顔で「イマジン」を歌い続けられるよう訓練するのは間違いなく狂っています。
軍隊でも耐拷問訓練は一部特殊部隊に限定され、それも死、発狂、重度身体障害に至る拷問は本質的に訓練できませんし、特に薬物がからむと誰も耐えられないことがわかっているので捕虜にならない、重要な情報を持たない、できるだけ早く救出するのが原則です。
軍を否定し、侵略されたら全員自殺するシステム(バトル・ロワイヤルの遠隔操作爆弾首輪のような)をつける
これは軍事を否定し、「平和の誓い」を最優先するならば、少なくとも拷問に耐えることを強要するより死を強要する方がましですから論理的に最も妥当に思えるのですが。僕が非武装平和主義を主張するなら、同時に全員自殺システムも主張するでしょう。
今まで技術的に不可能だった、というのもあるかもしれませんが、今は比較的簡単にできるはずです。
軍を否定し、レジスタンスは容認する、ただし準備はしない
これは最も準備が少なくていいですが、その場になったら機能しないでしょう。何よりレジスタンスの場合、非暴力不服従以上に拷問の覚悟を求めることになるのです。事実上、自殺か(拷問脅迫の結果であるにしろ進んでにしろ)罪を犯すか、という選択を国民に任せるのと変わりありません…無責任というべきです。
そして一部でもナチ級侵略者に屈服したら、という問題になります。
常備軍は否定し、全員が家に十分な武装をして使いこなせるよう訓練し、いつでも手ごわいレジスタンスとなる準備をしておく(サダム戦法)
現在のイラクを見ると有効に思えますが、その非人道性は軍備にも負けないと思います。イラクでは、アメリカに協力した人も家族ごとなぶり殺しにして見せしめにしているはずですから…当然アメリカが撤退したら、凄惨な大虐殺が起きるはずです。つまり宗教的かつ暴力的な信念を全員に強要する環境がないと、これは成立しません。
軍事を容認し、それをシビリアンコントロールと民主主義でちゃんと制御してできるだけ戦争にならないよう、社会経済的にも平和が保てるよう頑張る(普通の国)
これについては批判も擁護もたくさんあるので略。
現実にスイス、スウェーデンなど長期間成功している国があることを強調します。日本の今の政治を批判するのは、ならば問題は憲法ではなく民主化と独立だ、と返しておきます。
良心的徴兵拒否を認めれば、これが最も思想的な多様性は保てるのではないでしょうか。
まあ、言葉の定義としての平和主義は自衛戦争も否定するようです。その点、僕が「僕は改憲派ですが平和主義者」といったのは言葉として間違っていたようです。
平和を政治の最優先目標とする、というのは平和主義に思えるのですが…まあ定義ですから。
では、平和主義者は暴力的レジスタンスは容認なのでしょうか。
そしてレジスタンスを容認するならサダム戦法はどうなのでしょう。
少なくとも平和主義は一通りしかない、という考えはよしてほしいものです。
5日
憲法九条の「武力による威嚇又は」という言葉を考えれば、自衛隊や日米安保条約の存在は明白に違憲ではないでしょうか。
自衛隊が「攻めてきたら戦って、そっちにも損害は与えるぞ」と“威嚇”し、日米安保で「日本を攻めたらアメリカが黙っちゃいないぞ」と“威嚇”しているからこそ、日本は侵略されていないのでは。
日本の安全に自衛隊や日米安保は貢献していない、憲法九条が日本を守ってきたのだ、という立場ではそれは否定されるでしょうが…
憲法九条は自衛権、自衛隊を禁止していないというのは子供を納得させることができない詭弁です。
自衛隊も日米安保も違憲だとしたら、完全な非武装中立しかない…でもそのときは万一の侵略を考えるべきです。
考える必要はない、信じればいい…それは信仰と同じであり、それをいうならちゃんと軍隊を憲法で認めてシビリアンコントロールで制御し、同盟や国際貢献を含む軍事力による相互抑止を基盤にした外交で大きな戦争はずっと起きない、というのも同じく「成功すると信じればいい」のです。
国連軍が機能した状態を前提にするにしても、その国連軍が腐る可能性があります。
しかも日本の護憲派は前科を言い立てて、その国連軍にさえ参加しようとはしません。
現在のアメリカと、戦前の延長の政治家が支配している状態での改憲が信用できない、というなら、政権交代で国民が国の舵を切ることができる民主主義が実現されるまでは改憲は待て、でいいはずです。
非武装中立、非暴力不服従主義でなく、現状での改憲が平和のためにプラスにならないというだけなら、問題は護憲ではなく、民主化です。その現状を変えて、改憲しても大丈夫な民主独立国にすべきなのです。
何より心配なのは非武装を選んで侵略され、皆殺しならまだいい…ホロコーストや別の侵略に加担させられたら?
非暴力不服従で対抗しようとしても、本質的に非暴力不服従は全員に強制することはできません。家族を含む拷問処刑を甘受するという、特攻以上の覚悟が必要だからです。少なくとも僕は特攻には耐えられますが、上級の拷問や家族を人質にとっての脅迫には耐えられません。
国民の一部が…実際には大部分でしょう…非暴力不服従に徹することができず、ホロコーストや別の侵略=第二の南京大虐殺に加担する可能性を許容してでも自国の非武装は貫徹させたい、というのは矛盾では…非戦非武装を求めるのは、「二度と殺さない」し「戦争で殺されたくもない」からでは?
だから本気で非武装中立をし、その理由が平和の誓いであるなら、日本人全員に爆弾入り首輪をつけるか遠隔操作毒カプセルを埋め込んでおいて侵略されたら全員自殺する準備をし、それを宣言するほかないでしょう。
もし非武装中立にすれば日本は安全だというのなら、全員自殺システムは設置コストが大きく誤作動のリスクがわずかにあるだけの掛け捨て保険に過ぎません。
コスタリカにそのシステムはないですが、コスタリカはいざとなれば戦う覚悟も準備もアメリカの傘もあるので、日本国憲法九条が求める完全非戦非武装とは違います。
(全員自殺か侵略者の国家犯罪に加担する罪の)覚悟がない護憲は欺瞞である…これに反論できますか?
4日
護憲派も、もし自分がGHQの職員でいきなりマッカーサーに「来週までに日本の憲法を書いてくれ」と言われ、なぜか日本国憲法も参考にできるとして、一字一句日本国憲法と同じにするでしょうか?
そうでないならなぜ自分の理想の憲法を実現しようとせず、護憲にこだわるのでしょうか?
本来護憲派は天皇制廃止、自衛権否定(私有財産制否定?)も明記するのが理想のはずです。
日本の今の政治はアメリカ支配と、戦前のままの政治家による軍国保守だから憲法を変えたら軍事的に暴走する、というのなら問題は憲法ではなく民主化です。
本当にアメリカと悪い政治家が支配しているなら護憲は時間稼ぎにしかなりません。
現に今、護憲派の論理によれば自衛隊がイラクを侵略することを止めていません。
そのエネルギーを民主化、独立運動に向けた方がいいのでは?
3日
森以外にも、湿地帯やマングローブ森、干潟もうまく利用すれば…特に汚物処理に利用することで、大量のバイオマスが得られます。一石二鳥です。
バイオマスは持続的に取る、という原則で考えないと。
原生林の伐採なんて狂気の沙汰です。
2日
森を切り倒して得た、持続可能でないエネルギーは森を有効利用する文明より爆発的に大きいからそっちが勝ってしまう…
「魁!男塾」にあった、強い戦士を育てるためにたくさんの子供を出られない穴に入れ、全員分には足りない食料を放り込んで弱肉強食にして選別するシステムで、一時的に強くなるけれど間もなく死ぬ薬を一緒に与えるようなものです…使ったら死にますが、使わなくても使った子に殺されるのでその穴からは誰も出てはこないでしょう。
となると、文明の破滅は必然…それで文明の寿命が短くなるのが「フェルミのパラドックス」の答え?
僕はその要因の一つに、大型動物が繁栄した時代が長い恐竜時代を含め数億年あり、ある程度以上の大きさの陸上動物の種数もそれなりに多いのに技術文明が一つしかない、ということを、生物ができてから多細胞生物ができるまでのタイムラグとともに重視したいと思います。
恐竜が文明を作るよう進化することはない、文明を作る可能性があるのは哺乳類だけだというのはどう見ても平凡原理にそむきます。
1日
木の葉〜アリが回収し、それでキノコを育てる〜キノコを食べたアリの卵や幼虫を食べる、またはミツバチのように蜜をためるよう品種改したシステムがあれば、森林は田畑より安定した食糧生産システムになっていたかもしれません。
もちろん木の実をブタに食わせる、というのは現実に行われていましたし、また木の葉を草食家畜に食べさせるというのもありでしょう。
近代化以降を前提に考えれば、特に生産量が多い熱帯雨林に不足気味の必須元素=化学肥料を投与してその分の余分なバイオマスを木、葉、シロアリ産物など広く取るようにすれば、かなりの食料や飼料、エネルギー、木材や紙を持続的に得られる可能性があります。
生態系に関する知識が進み、化学肥料が進歩し、また遺伝子改良などもできる今、新たに森を主なバイオマス(食料と燃料)生産の主体とするシステムはできないでしょうか。
なぜ人は森を切り倒してしまうのか、森で生きていくことはできないのか…本質的には、森を持続的に利用して得られる量より森を切り倒して畑にして得られる量が爆発的に多い、ということなのでしょう。
ただし、その森を切り倒して得た生産は持続可能ではないのですが…その持続可能性のなさが、生存競争で不利になって淘汰されるというのはタイムスパンが違うので無理なんですよね。