枕元の計算用紙

ホーム ブログ

1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月 3月 4日 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年1月 2月 3月 4月 5月

2007年6月

1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

30

従軍慰安婦問題で「軍の強制はなかった」「狭義の強制はなかった」という否定派からの反論は、慰安婦の立場から言えば…「私は確かに彼女を殺した。だがバッグを盗んだのは私ではない」という叫びのようなものでしょうか?
殺したことが事実なら、それ以上がたがた言わずただ言われるまま全部認め、謝罪するのが正しいでしょうか。
それとも真実を求めるべきでしょうか。

問題は、日本がもし責める被害者の声に前面屈服したら、それは日本がしたこともしていないことも両方認めさせられ、検討さえ許されないということですから…真実は永遠になくなってしまうのです。
責める被害者の声だけが真実であり、日本側の言い訳には一片の真実もない、というのは偏った見方でしょう。

より大きな問題は、日本の保守には世界のどこにも真の友がいない、誰も弁護してくれないことです。
だからどうしても、日本の保守は非常に自己防衛的になってしまいます。
その自己防衛を生んでいるのは責める側の怒りでしょうか、それとも単純な日本保守側の病理でしょうか。

そして日本の保守が、アメリカなど海外に情報を発信する力がないのも大きな問題です。

29

「日本は慰安婦について反省せよ」と、米下院外交委員会で可決されました。
下院自体での可決も確実視されています。

でも日本という国が反省、また「心から謝罪」するというのはどういうことでしょうか。

日本は一人の人間とは違います。
いや、それをいうなら一人の人間であっても、本当に「心から謝罪・反省」することなどできるでしょうか…どんなに必死で謝っていても、心のどこかには舌を出している別の自分があるのでは?
でもそれを徹底的に責めたら連合赤軍の総括となります。死んでも完全な謝罪・反省などできるものではないでしょう。

まして日本という国は?誰がどのようにすれば皆気が済むのでしょう。

ドイツのように反省を至上価値とし、言論・表現・学問の自由より上に置くべきなのでしょうか?
さらに内心の自由さえ認めず、日本人全員が「心から謝罪・反省」するまで洗脳すればいいのでしょうか…心から2+2=5と信じ、また心からビックブラザーを愛するように?
それとも政治家の妄言を今後即死刑にすればいいのでしょうか?
議会の全会一致、天皇の土下座?

政府が何かすれば「日本が謝罪・反省した」ことになるという考え自体が弱いのでは?
国民一人一人が反省すべきである、と。
では内心の自由はどうなるのでしょう。
元々日本には内心の自由などない、「世間」さえ動けばいい…では「日本の世間」にどうすれば反省しろと命じることが、心から反省させることができるのでしょう。
何をしろというのでしょう。どうなれというのでしょう。

僕には、ただ真実を広く国民に知らせることしか思いつきません。
それも、あらゆる側から見た真実を。
慰安婦があるという側も、ないという側も、一方だけでは真実ではないと思われます。
両方の…もっと多様なあらゆる立場から国民全員、義務教育を修了した…老人も含めて皆が学ぶべきです。
それ以上のことは、憲法が内心や学問の自由を保障しているので何もできませんし、憲法を改正してでもすべきことではないでしょう。

28

日本でどうしてもカジノが解禁できないのは、パチンコやゲームセンターの利権が大きいのでは?

ゲームセンターを久々にのぞいたら、半分以上が競馬、麻雀、スロットマシン、トランプなどのギャンブルを模したゲームでした。従来のゲームセンターらしいゲームなど、ガンダムとVF5といくつかのレトロゲームしか見当たりません。
パチンコにとってもスロットマシンはかなり大きな要素です。
もし本格的なカジノが解禁されたら、どちらも多分息の根を止められるでしょう。

ではあらゆるギャンブルゲームをカジノとして賭けありで公認すれば…特にパチンコは還元率を定められ、高額の税金を取られることになるでしょう。
それならば現状維持のために政治的に金を使うほうがはるかに得でしょう。

27

人は敵…共同体が敵と定めた者に対してはいくらでも残酷になれます。

同等かそれ以上に、子供や自分の保護…支配下にある者に対して「これはおまえのため、愛しているからなんだ」と思えば残酷になれます。

どちらも残酷だと意識することもほとんどないです。

26

右側は、左側で運動をしている人、特に草の根市民団体も、共産党に支配されているといいます。

逆に左側は、改憲運動などがあるとすぐ「国民の誰が改憲を望んでいるのだろうか。」と主張します。
また政府よりの意見がある論者も団体について「政府の息がかかっている」とも主張します。
それは改憲を望むのは非国民、ということでしょうか。国民は一人残らず護憲を望んでいるけれど、権力にすりよるために政府の闇の力によって作られた組織でしょうか。
また世論調査で改憲を求める声はマスコミの誤誘導で作られたものらしいです。

お互いそれではどうしようもないのでは?
最低限、お互いに相手の悪意、悪い動機を仮定して批判するのではなく、最初は相手の善意を仮定して議論する努力が必要なのでは?
相手の悪意を仮定してしまうと、両方が自分が作ったサンドバックを叩いている状態に陥ってしまいます。

まあ僕も、自分でサンドバックを作って叩いていることは多いのでしょう…自戒すべき病です。

25

それで残念なのが、最近路上で配られた温暖化に関する新聞形式のパンフレットです。
温暖化の最悪のケース、ポジティブフィードバックの恐怖を天才漫画家がうまく描いています。

しかし、結論が憲法九条、軍備を廃してその金で、なのです!
憲法九条という字を見ただけで心を閉ざして捨ててしまう、それさえなければ真剣に考える人は何人いるでしょうか?

左側も何でも憲法九条にリンクさせるのは危険です。
物事を無理に二項対立、「軍国主義ファシズム・人権侵害・環境破壊・核戦争」の地獄と「日本国憲法ユートピア」の二つに分けてしまっていないでしょうか?
その間、それどころか政治的権威〜自由・経済的自由〜統制の二軸平面からさえ離れた、より高い次元に無数のありうる未来があるはずです。
その中の最善を探る努力が必要なのでは。

24

どうすれば保守に、ちゃんとした環境保護をさせることができるのでしょう。

今の環境保護運動が左翼的運動の延長にあること、多くの嘘が蔓延していることは確かです。
でも環境を守るために何もしなくてもいい、ということはないはずです。
本当に必要なことはあるはずです。
どうすれば、保守派に「この環境保護は必要なんだ」と理解させることができるでしょう。

実際の権力を持っているのは、日本ではよほどのことがなければ保守派、というか自民党です。
世界全体でも、特に大国では保守派のほうが選挙では強いです。
その保守派が合意できる環境保護でなければ、現実には何も実現するはずがありません。

左右とも結局、現実や真実には関心がないからどうしようもない、と絶望するか、またはどちらも幻想ばかり見ている保守と革新の押し合いでかろうじて世界はまともに動いている、とより現実的に見るか…

23

保守というのは何を考えているのでしょう。

環境保護にも反発し、また貧困層への再配分にも反発するということは、国土は全部開発しつくされた禿山、川も海も土も汚れきり、巨大なスラムがあちこちにあって毎年何十万人も国民が餓死する国が理想でしょうか?
それじゃ北朝鮮を笑えません。
保守、というのが単純な反共になり、「サヨクどもが言うことにはなんでも反対する」となるのは知的退廃では?
保守なら保守なりに緑の国土を保守し、社会を保守する必要があるのでは?

というか、保守というのは何でしょう。
フランスならルイ十四世時代、日本なら江戸時代やさらに建武の中興まで科学技術水準も含めて戻したいのか、それともひたすら経済的自由+社会的権威主義+日米同盟堅持でしょうか?
でも日本の本来の保守、江戸時代や建武の中興の論理から言えば経済的自由などありえません。
また明治政府も、経済的自由にはどうだったでしょう。

もちろん環境問題に対する批判、特にクライトンやロンボルグが示した、環境団体自体が利権団体と化し、大衆の恐怖をあおって研究弾圧、情報操作を行っていることはある程度事実でもあるでしょう。
それは解決し、正しく地球号の舵を切らなければなりません。
でも環境保護論者は嘘つきだ、地球号の舵は放置してもいい、というわけではないでしょう。

宇宙船地球号など存在しない、祖国と潜在的敵国があるだけだ…というのは現実に地球が丸いということを忘れているのでしょうか?
国境などない、というのも現実ではないですし、国境しかないというのも現実ではないのです。

22

いまだに住宅地を作り、高層住宅を建てていますが、少子化は確定しているのに何をやっているのでしょう。
移民をあてにしているのでしょうか?やはり大量の移民を入れる予定があるのでしょうか?

また、過疎がひどいといわれる地方では、どれだけの住宅・農業施設・店舗・その他商業施設が今廃墟化しているのでしょう。

21

海底を割って人工的に海底火山を作る技術があれば、浅い海ならそこから湧き上がるマグマで島もできるでしょう。

島をうまく、海流が昇るように配置すれば深い海流に含まれる栄養塩が海面に達し、光合成が起きて漁獲量が増えます。
またマグマの熱で海水が上昇すれば、深い海に多く、さらにマグマからの噴出物にも多い栄養塩類が海面に届き、生物生産量を上げるでしょう…二酸化炭素は海底火山からの噴出物にも含まれるので、二酸化炭素をかえって増やしてしまうかもしれませんが。

また地上で人工的に火山活動を起こした場合、二酸化炭素や水蒸気が増えて温暖化が進むのと、亜硫酸ガスなどの影響で寒冷化するのとどちらの影響が大きいでしょう?

20

砂漠の真ん中で、水が残りわずかだとします。六つ選択肢があります。

  1. 節約して救助を待つ

  2. 歩きだす

  3. 水がなくなるのと水が出るのどちらが早いか井戸を掘る

  4. あきらめて浪費してさっさと死ぬ

  5. 祈る

  6. 思いがけないアイデアがないか考え、やってみる

今の人類も似たようなものです。森林も石油も有限です。
水が残りわずかというより、むしろ…井戸のように限りなく湧き出ると思っていたら限りあるタンクでしかなかった、という感じです。
まあ今でも相当多くは限りないと思っているようですが…すぐに言われます、三十年前も石油はあと三十年しか持たないと言っていた、と。

上の選択肢を、今の人類にあてはめれば…

  1. 節約して救助を待つ、というのは…地球外からの救助はありえないと思いますが、神による救助を当てにしているのでは?でもそれは祈ると同じことです。
    また、技術的特異点で爆発的に進歩した技術が問題を解決してくれるのをあてにする、というのもそれに近い態度かもしれません。

  2. 歩き出す、というのは月や火星に移住することです。
    でも全人類が?今ある化石燃料で間に合うでしょうか?
    地球を出るためには今とは違うレベルの膨大なエネルギーと高度な技術が必要であり、そんなエネルギーと技術があれば地球を出る必要はない…と思われますが、どうでしょう。

  3. 井戸を掘るのは核融合や、軌道エレベーターから静止軌道太陽電池リングを作る、または環境派が好む風力・太陽光発電も入るかもしれません。
    それが実際石油枯渇に間に合うかはかなりの賭けでは。

  4. 4のあきらめて浪費して…というのが、今現にやっていることのような気がします。
    でもそれは、特に今地球号の操舵室にいる人々は…もう月の裏側に新エルサレムとでも名づけられたヨハネ黙示録の描写どおりの基地があるとか、核戦争や人工伝染病で人類の九割は殺す気だ、とかじゃなくて…

  5. 神が助けてくれる、または黙示録でどうせ地球は滅びて自分たちは天国に行くから人間が考えることじゃない、と本気で考えているのかもしれません。
    または…もっと恐ろしいことに、本気であきらめているとか。または本気でまったく関心がない、自分の快楽だけの幼児同然になっているとか。

  6. …常温核融合がいきなり成功する、とか技術的特異点とかはあるでしょうか?
    あまり分のいい賭けではないです、少なくとも砂漠の旅人にとっては。

まあ、今の人類文明には、文明を縮小して石油がなくても何とかなるようにする、という選択肢もあります…それは上の状況に、量は少ないけれど安定した泉がある状態かもしれません。その場合はひたすら水を節約するライフスタイルを身につければいいわけですね。
でもそのために、人類の九割を殺さなくてもすむでしょうか?

19

三輪車の形にこだわらずとも、ペダルが直接ついた十分な大きさの駆動輪と方向転換輪がひとつ、また安定性を重視するならそれ以上の支持輪があれば便利です。

さらに考えて従来の自転車のデザインから完全に開放されれば、どこにペダルがあるのが一番いいでしょう。
従来の自転車のペダルとサドルは確かにいい場所です。真下に体重をかけることができる立ち漕ぎを選べますから。
しかし問題は、力をうまく活かすためにはサドルを高くしなければならず、その場合地に足がつきません。
それを解決できるペダルの場所はあるでしょうか?

18

三輪車はなぜ幼児専用なのでしょう。
大人用に大きくしたらなぜいけないのでしょうか?

三輪車は三輪なので安定性が高く、前輪に直接ついたペダルをこぐ形はチェーンなどがない分自転車より単純で、その分軽く安く作れて故障も少ないです。
前輪を、昔のある形の自転車ほどではないにしても大きくすれば比もある程度は高くできるでしょう。
特に高齢者には郊外型大型店は広すぎて疲れる、という問題は、大人用の三輪車にしっかりした籠をつければある程度解決するのでは?
また、その頑丈さと信頼性の高さ、安定性、大きな荷物を積めることは不整地、近代化されていない地域の交通にも便利なはずです。

もちろん三輪自転車はある程度あります。前輪が二つあるのもあります。
でも、それらは本質的に自転車の構造なので、かなり複雑です。
それに対して三輪車はとてつもなく単純なのです。

17

「社会の矛盾」という言葉を僕も疑問なく普通に使っていますが、それはどういう意味でしょう。

矛盾というのは本来韓非子の盾と矛、論理学で言えば「排中律に抵触」=「Aかつ{Aでない}」?
単純に圧制とか極端な貧富?急すぎる社会の変化による規範の崩壊?
数学や論理学の矛盾とは違うのでしょうか。

逆に矛盾のない社会というのはどのようなものでしょう。
たとえばどの時代が、日本では一番矛盾が少なかったのでしょう。
誰も不幸でない、貧困はおろか悩みすらないユートピアが「矛盾のない社会」?
でもそれは多分、見方を変えればディストピアでしょう…日本の左側が無意識に夢想する完全な社会も。

日本国憲法が完全に(もちろん天皇制と自衛権・軍と私有財産制を廃止して)守られる社会を丁寧に描く小説などがあれば、それがわかるのではないでしょうか。

16

諸行無常といいますが、庶民弱者が苦しむことは古今東西変わることなし…

といっても「無常」は、ゆく川の流れはたえずしてしかももとの水にあらず、というように社会構造自体は変わらず、一人一人の命だけがはかない泡だという感覚ですね。

文明さえも滅びるもの、人類さえ滅びるものというのはさすがに考えにくいでしょうか。
それともインドや中南米先住民の神話のように、世界そのものが何度も滅びと再生を繰り返す、という見方さえしていることもあるでしょうか?

15

実社会で数学などまったく使ったことがない、なぜ使わないものを学ぶんだ、という問いがあります。

よくある答えは論理的な考え方を学ぶため、最近増えてきたのは脳のトレーニングとしてです。
でも、それだけなら易、占星術、タロットなど占いでもいいのでは?

占いもひとつの知、論理体系です。
それをみっちり学べば、厳密な論理とは違っても論理的な考え方は身につくのでは?
さまざまな関連を覚える量の多さは、脳の腕立て伏せとしては十分では?
さらに現代科学とは違う、世界を説明する理論体系になっています。
しかもそれは科学・数学と違い、文化的な伝統に基づき、古代からの多くの知恵が集まっており、人間の本能や自然、同様に古くから作り上げてきた社会に根ざした知恵なのです。

それは考え方自体を社会に適合させるためにも適しているのでは…四書五経に易経があることを考えてみてください、易は儒教の重要な一部なのです。
ひょっとしたら、占い師が政治的にも重要な助言者になることが多いのも、皆が迷信にとらわれているからというより論理的な考えがある程度でき、しかも科学者と違って人間も深く理解しているからでは?

否定する理由はただひとつ、科学的ではない、です。それは真実ではないとイコールでしょうか?
嘘を教えて社会に適合させるのが正しいのか、真実を教えて主体的に社会を変えさせるのが正しいのか…後者が正しく見えますが、ロシア革命の結果を見ると頭を抱えます。

というより、論理的な考えを学ぶためといってもちゃんとした命題・述語論理、集合論は義務教育のカリキュラムにはないですし、ユークリッド幾何学の論証体系もさわりしか学ばないような気がするのですが。
あと群論もやらないですね。記号論理・集合論・群論・ユークリッド幾何の四点セットは本当に論理的に考える能力を身につけるには必須だと思います。

14

護憲派をたくさんつれてスウェーデンかスイスの外交官を訪れ、貴国も九条と同等の条項を入れて軍事を捨てるべきだ、と訴えてみたいものです。
さぞいいお話が聞けそうです。

でも連れて行った護憲派が耳を貸さないでわめきたてるだけになるかもしれませんし、外交官はあくまで政治的配慮を優先して真実を言わないかもしれません。

13

たとえば…きわめて先進的な教育がなされており、他の人類とは明らかに質が違う国というのはあるのでしょうか?
やや閉鎖的な宗教団体でもいいです。
明らかに他の人間より道徳的な質が上の人間を、教育で安定して作り出している集団の例があれば、人類が技術的な改造なしで道徳的に向上できる根拠となるでしょう。

可能性として…全員が高度な精神療法で抑圧から解放され、自分を受け入れて愛し、また人を愛することも学んでいる、というコミュニティがあればどうなるでしょう。
成員の全員が教育によって怒りや復讐、攻撃性、防衛、差別、嘘など悪から解放されている、という集団は本当にあるのでしょうか。

確かに学校での乱射事件で、アーミッシュの子供達は自分から弱者をかばって自らの命を投げ出し、またその家族も犯人を許し、犯人の遺族を招き受け入れました。
でもそれは、本当にアーミッシュのメンバー皆がそのレベルの魂の質の高さに達しているのでしょうか?

そして本当に日本国憲法を実践すれば、または保守派が好きなように道徳教育をすれば日本もそうなるのでしょうか?
いや、昔の日本は明白に他国とは精神レベルが違っていた?
というのは外国の、特に好意的な報告だけを抜き出していること、教育程度・識字率が本当に高く清潔好きの文化・生活様式だったことなどの影響?

12

上記の、超技術系冒険小説で「今の人類にこんな技術を与えてもろくなことにならない」という論理について少し考えてみましょう。

今の人類でなければいいのでしょうか?
それはどの人類のことを言っているのでしょう。
人間自体の生物学的な品質は特に変わっていません。
未来において、世界全体が共産化され、絶対平和主義、完全非暴力がしみついた人類ならいいのでしょうか?
でも、今人類が世界全体の共産化で、経済・政治システムだけでなく中身、精神自体がはるかに高い存在になる、と信じている人はほとんどいないでしょう。

でもその宝を捨てる冒険家、というかその作家はそう信じているのでしょうか?
いや、作家の信念は関係なく、そういう作品が売れている以上、読者の心のどこかにそんな前提があるのでは?
いや…単に編集者の頭がそういう前提に固まっていて、読者はそうでない本などどこにもないから、単にアクションが面白くて買っているだけ?

また、現在の人間の人間性に不満があれば、人間を遺伝子・機械で改良すればいい…というのにも反対は多いです、それも超技術を使おうというのと同様技術信仰だ、と。
これ以上の技術なしで、人間がましになることはありえるでしょうか?

要するに、今の企業・金が支配している社会から、別の…たとえば道徳が支配する社会になればいい、と?
または神?でもそれはイランやサウジアラビアを見てください。

少しずつ人間の総体的な道徳が向上することを望んでいるのでしょうか…奴隷制や魔女裁判が廃止されたように?
それと同じように、戦争や絶対的貧困が地上からなくなる日は来るでしょうか?
人類を改造せずにそうなると?

11

超技術で作られた遺跡・宝を探す冒険小説はパターンががっちり固まっています。
ラストで間違いなく宝は失われます。主人公自身が今の人類にこんな技術渡してもろくなことにならない、と捨てることも多いです。
主人公が異星人の宇宙船で宇宙に出かけるのもよくあります。
たとえ世界を救ってもそのことは誰にも話さず(信じてもらえず)自己満足で済ませます。

その宝が無事持ち帰られる話はまず描かれません。
宝の技術がどんな風に人間社会を変えていったか。
科学理論を根こそぎひっくり返す超技術をリバースエンジニアリングする研究者の苦労。
宝を持ち帰った主人公が巨大な富を得て、結果とても退屈な大金持ちになり、冒険を経て結ばれたヒロインとの家庭も内心では崩壊している。貧乏探検家時代が懐かしくなるが、もう体力もないし今の生活を捨てるのも怖いしでせいぜい別の冒険家を後援するぐらいしかできない。
宝によって世界を救い、大統領になったけれどあまりに矛盾が多く、ひたすらロビー団体の力のバランスを維持するだけのむなしい政治生活を送っている。
それらが描かれることはないです。

また、推理小説で、名探偵が皆を集めて真相を解明し、犯人が死刑になった…それで終わりと思ったら、まもなく再び皆が容疑者の一人に招待され、自分が真犯人であり探偵はこうやってだましたのだ、復讐はすんだどうせあと三ヶ月の命だ、と高笑いする…これもあるでしょうか?
名探偵が全てを承知の上で真相を隠蔽、または捻じ曲げる作品は多くありますが、名探偵が完全にだまされる作品というのはないのでは。

ファンタジーで、押入の奥の異世界と実際に行き来できるようになり、それがどう双方の社会を変えていくかも描かれることはないですね。
社会の変革に対してものすごく強い抵抗があるからでしょうか?
「行きて帰りし物語」という物語の構造が要求するのでしょうか。

10

サミット閉幕。
温暖化が主要テーマとなったのはいいのですが、逆に言えばビョルン・ロンボルグやマイクル・クライトンの警告はどう扱われているのでしょう。
また、これまで環境、特に温暖化には基本的に無関心だったブッシュ大統領や安倍首相の豹変はどこまで本当でしょうか?

といっても、そのブッシュ大統領・安倍首相が環境に無関心、というのも彼らを地球の敵、大悪魔とみなすマスコミの批判を真に受けているだけかもしれません…重要演説の全文を読めば結構環境にも触れています。

まあ問題は、具体的にどうやって温暖化を防ぐか、温室効果ガスを2050年までに半減するというとんでもない目標を実現するかです。
目標だけぶち上げて何もしない、というのも国際社会とやらの常套手段でもありますし…と、この不信自体が危険ですね。それならまず国際社会自体の民主化を求めるべきです…民主化されていれば、目標が達成できなければ落選という形で解雇できますから。

今はバイオエタノールが世界的に流行しているようですが、あれは論外です…アマゾンの熱帯林やアメリカなどの化石地下水を破壊する、再生可能でなく超低コストで超大量に生産できる極悪非道農業を用いているのですから。
バイオエタノールを使うならあくまで再生可能資源を用いるべきです。
たとえば今実用化レベルなのは再生可能なタイプの林業の残渣、農業の今利用されていない藁やもみ殻などがあります。

そして温暖化防止の方法の流れとして、大きい流れとして省エネ、風力や太陽光、原子力、外洋開発や植林、経済抑制に分けられると思います。

省エネは今も努力されており、特に日本にとっては最も得意なことです。
でも省エネの場合成功して、半分の燃料で走る車ができても、それがそれまでの四倍作られて倍の二酸化炭素と石油消費、さらに従来の車も中古車として途上国の新興市場に流れて二酸化炭素と石油消費が三倍になるだけ、となるだけでしょう。
必要ですが、決定的ではありません。

風力や太陽光発電、水素燃料に期待をかける人も多いです。
特にマスコミにはこの路線が好まれます。
しかし批判もあります…特に気になるのが、太陽光発電も風力発電も、本質的な物理法則のレベルで石油を無駄遣いしているだけだ、という批判です。
それを細かく検討してはいませんが、もし本当にそうだったら、と不安があります。
逆に言えば、なぜこの技術が普及していないのかも…本当に本質的にコストダウンができないのか、それとも石油会社の陰謀論的な妨害なのか、それともひたすら人類がバカだからか、それとも単にもう技術はできているのにそれを僕が知らないだけか…

最近ジェイムズ・ラブロックが絶望的なまでの危機感から、高速増殖炉を含む原子力発電を提言しています。
技術が実用化されるには何十年もかかる、風力も太陽光も間に合わない、ある程度成熟していて何百年も百億の人口を支えられるのは高速増殖炉しかない、危険はあっても温暖化による破局を考えれば背に腹は代えられない、と。
また、原子力の変種として核融合もあります。ロンボルグやジェントリー・リーも核融合をあてにしています。
しかし、原子力には激しい批判が根強くあります。
原子力は本質的にどうやっても石油を無駄にしているだけだ、高速増殖炉も核融合もきわめて本質的なレベルで不可能だ、原子力発電のリスクは桁外れだ、地球と人類を危機に陥れた技術を妄信するのは愚かだ…
この論争はどうなるでしょうか。

僕自身を含め外洋開発を考えている人は、今現在ではかなり少ないようです。
特に外洋は水も日光もたっぷりあるのに砂漠のようにわずかな光合成しかしていません…砂漠に水をまくのと、外洋に化学肥料をまく(または栄養豊富な海洋深層水をくみ上げる)のどちらが楽でしょう。

あと世界全体で、人類の生き方・考え方自体を変え、科学技術を抑制して質素に暮らそう、という議論も根強い支持者がいます。
背景には科学技術文明自体に対する本質的な反発があるようです。
僕が不安なのは人間性はそんな軟着陸を可能とするのか、また、本当に膨大な人数を殺さずに低技術文明に軟着陸できるのか…です。

人間性自体を変える、というのはマルクス主義の失敗が不可能だという証拠ではないか、という気もしますし、完全に計画的にできたとしても、低い技術水準で地球が養えるのは十億人程度…残りの何十億という人間には死んでもらうことになるのではないか、と。
その後の社会は自由のない、宗教原理主義が支配するものになってしまうかもしれません。

僕自身は、ロンボルグやクライトンの意見にも耳を傾けるべきだと思っています。
ただし、だからといって何もしなくて、本当に最悪の事態になったら大変なので、温暖化の影響が非常に強く出ることも前提にして対策を立てておくべきだと思っています。
さらにいえば、「温暖化がひどい」「石油が枯渇する」「水・土壌資源も崩壊する」「太陽光・風力発電・水素は使い物にならない」「高速増殖炉・核融合は無理」の最悪のファイブカードが出ても何十億人も餓死することがないよう、今から考えておくべきだとも思っています。

また僕の危機感は、もう手段を選んではいられないというレベルです。
ぶっちゃけていえば、人類の総力を挙げて全部の技術に投資しろ!ということです。省エネにも風力にも太陽光にも高速増殖炉にも核融合にも外洋開発にも在来型農法にも、宇宙開発にもナノテクノロジーにも遺伝子工学にも。
どれか一つに一点集中で賭けた場合、それがこけたら破滅です。全部に分散して賭けるべきです。

9

なぜディスプレイはすぐにテレビ型の高精細に移行してしまったのでしょう。

電卓の数字表示に使われる、8の字をなす点滅を制御する七つの棒は2の七乗=128通りにもなります。
数字に加えアルファベット大文字小文字と各種記号を相当入れておつりがきます。
それをたくさん並べたディスプレイは、コンピューターのレベルが同じでどちらも文字ばかりなら、高精細ディスプレイよりはるかに楽に情報を表示できたはずです。
どうせ低いレベルのコンピューターに画像など無理なのですから、当分テレビのようなディスプレイなど必要ない、文字だけでいい…となぜそうならなかったのでしょう。

紙に書く字や記号と微妙に違うので少し覚える負担がありますし、アルファベット+アラビア数字以外…日本語、漢字、アラビア語がまったくだめという欠点はありますが利益は少なくなかったはずです。

いや、現在紙のように折り曲げられる極薄超軽量のディスプレイが研究されています。
今はまだまともなテレビ状のディスプレイにするのは無理でも、上記の電卓の8がたくさん並ぶディスプレイなら今の技術でも簡単に作れるのでは?
それを別の、携帯電話程度の通常ディスプレイで制御して新聞や読書専用にすれば?

8

なぜ、月の次の宇宙探査は誰もが火星だと思っているのでしょう。

宇宙植民という考え方でも、火星のテラフォーミングが大きな目標とされています。
でも宇宙植民なら、月を素材に地球近傍に大量のスペースコロニーを作るほうが容易でしょう。
何より火星は光速でも通信にタイムラグが出るため、情報面の一体性が損なわれます。
もちろんそのことは「ひとつの籠に全ての卵を入れるな」という面では価値がありますが。

本題として、なぜ水星を考えないのでしょうか。
水星は太陽の至近距離にあり、そこで太陽電池を作れば膨大なエネルギーを簡単に得られます。
過酷といっても宇宙はどこも過酷です。どこであってもきちんと遮蔽された基地を作らねばならず、きちんとした基地を作ればどこでも同じことです。
自己増殖性ナノマシンができればですが、まず水星を解体して太陽電池にし、太陽を一部でも覆えば圧倒的な量のエネルギーが得られます。もちろん地球など各惑星への日照を阻害しないよう注意して、です。
それを出発点にするほうが、火星を何万年もかけてテラフォーミングするよりはるかに早いのでは?
これまでの、限られた土木作業機械での開発だけを考えているのでは…自己増殖性機械さえできれば、種になる小さなカプセルを送るだけで指数関数の超スピードでできるのです。

まあ、距離と到達しやすさ…往復に必要な質量あたりの燃料や、位置関係の都合で行き来しやすい「窓」の多さなどで火星が圧倒的に有利なのかもしれません。

7

自然法は憲法より上にあるのでしょうか。

九条と自衛隊および日米安保の矛盾に関して九条は自衛権を否定しているか、という問いに、自衛権は自然権だから否定できない、当然あるんだ、という論があります。
単にそれは自然法という主張を無視できず、絶対非武装無条件降伏では相手にされないからかもしれませんが、護憲派でもそれに反対しない者もいます。

でも自然権が憲法の上にあるなら、「働かざるもの食うべからず」は自然法ですから25条は自然法違反で無効だ、となるでしょう。まあ現実に判例は25条には微妙な扱いをしていますが。
また男女の違いは自然のものですから14条や24条は自然法違反で無効、とならないでしょうか?
さらにいえば悪いことを考えるなというのは自然法ですから19条など無効では?
逆に言えば平等は自然法だから1章と29条は無効とか、キリスト教は神の御言葉で自然法以上だから20条は無効でキリスト教国家となるべきだ、とならないでしょうか?

また、憲法裁判所は一応最高裁判所となっていますが、自然法裁判所はどこにあるのでしょう。

6

今の学校の定期考査、入学試験はどちらも、特に数学においては、学生の知識・理解・問題回答能力に抜けがあっても卒業・入学を許すという点で不合理です。

特に数学は、本来センター入試は満点で当然ではないでしょうか。
学習指導要領に示されている全分野を全問正解できない人間に、その学卒資格を認めるのは正しいでしょうか。
公文式は全問正解を求めるので、そのある段階を出ているということは、その段階の知識は完全にあるという保証にもなります。
同様に、どれだけ時間がかかっても数学については該当分野全体の全問正解をあくまで求めるべきでは?
もちろん人間にはケアレスミスがあるので、それをカバーできるよう十分な検算時間を与える必要はあるでしょうが。

また理科や社会は現状のままで全問正解を求めると糞暗記科目になるので、全体的な理解を重視して試験の概念自体を変えるべきです。今の試験でも十分糞暗記なのですから。
十分な内容の教科書を、ちゃんと読んで全部暗記する必要はないけれど十分理解したかを重視する試験は無理でしょうか?その「十分理解した」というのがどういうことなのかが実に難しいのですが。
教科書を参照していい長文記述テストも多く必要でしょう。
特に理科は、数学ほどではないですが積み重ねの面も大きいです。
でも教科書全部暗記しろ、というのはあまりにも酷で無駄です。どうすればいいのでしょう。
物理や化学は数学同様全問正解を求めていいでしょうが、地学や生物で全問正解を求めたらものすごい量の暗記を強いることになります。
「十分理解した」ことより「全部暗記した」ことを示すほうが楽なのは確かですが…それをいってしまうとまともな教育は無理でしょう。

英語にはTOEFLやTOEIC、英検など信頼できるテストが数多くあります。
また目的別でもいろいろ違うはずです。
そしてこれまでの主流、追いつき追い越すため英文資料を翻訳できる…翻訳は将来自動翻訳ソフトの発展で無になりかねませんが。

国語が一番難しいでしょう。国語力というものをどうやって計るのでしょうか?
とにかく多くの読書と筆写、特に重要な古典主要部の暗記暗唱を重視しては?
文法や漢字書き取りはまったく別では…それも必要には違いないでしょうが。

もちろんどの科目も、そうした場合きわめて個別的な教育が必要になります。
また学歴の意味も大きく変わるでしょう。

今の学校教育・受験制度は、教科内容を学生が完全に習得することなど求めていない、集団で教室に何時間か座っていられることが目的なのだ、といわれればそれまでですが。

5

そういえば、宇宙太陽光発電と、砂漠に広い太陽光発電所を設け、それを宇宙に打ち上げた薄い鏡で夜も冬も強く照らすのと、どちらが全体で得なのでしょう。

問題は宇宙に打ち上げて広げて制御できる一番薄い(軽い)鏡と、一番軽い太陽電池(+送電設備)の主に重量(=打ち上げエネルギーコスト)の差と、鏡で反射された日光が砂漠の太陽電池に当たるまでに大気に吸収・反射される日光のどちらが大きいかです。

あと日光を増強された砂漠に、過熱による上昇気流で雲ができて日光が無駄にならないか…
いや、雲ができ雨が降るなら望むところじゃないですか。それで農業をやってバイオエタノールを得てもいいですし、森にして二酸化炭素を固定し、木材の廃物からバイオエタノールを取ってもいいのです。

でもどちらにしてもロケット打ち上げの大気汚染・石油消費も大きいので、軌道エレベーターを優先したほうがいいでしょう。
まあ大気汚染はうまく利用すれば地球を冷やす側にも使えるようです。悪魔の発想かもしれませんが、それも考えに入れるべきでしょう。

4

メガフロートはパレスチナ問題も最終的に解決できないでしょうか。
メガフロートに移住し、そこでそこそこ豊かな生活ができればどうでしょう。
場所はパレスチナに近い地中海東岸でしょうか?それともペルシア湾近くのインド洋?

ユダヤ人のほうが海に出るのが本来は筋ですが、やはり彼らはエルサレムにこだわり、無理に追い出そうとしたらユダヤ戦争の二の舞でホロコーストになるほかないでしょう…宗教的寛容、残るパレスチナ人の人権保障、メガフロート建設や維持に協力すること、これ以上拡大しようとしないことを条件に今のイスラエルの領土を認めるほかないでしょう。
そしてパレスチナ住民が皆、メガフロートで現状よりはるかに豊かな生活ができるように整備すれば…

やはりパレスチナ住民も父祖の地に対する愛着が強くメガフロートなんて嫌だ、となったら、結局どちらかが全員死ぬか両方殺し合いに飽きて寛容になるかしかないのでしょうか。

他にも、海に領土を作ってやれば解決する民族紛争はどれぐらいあるでしょうか。
クルド人やバスク人はどうでしょう。

3

東京オリンピックを本当にやる気なら、思い切って全部メガフロートというわけにはいかないでしょうか?
メガフロートという新しい技術、産業を一気にそれで切り開くことが出来るはずです。
そうなれば経済的な効果も大きいでしょう。

地価が高すぎる既成の都市を無理にいじくりまわすより、無限の海に出てしまうのはどうでしょうか。
東京湾はちょっと限界はありますが、それでもすばらしい広さです。

2

メガフロートやスペースコロニーは、その耐用年数にもよりますが、不動産を造り出すという重要な面もあります。

これまででも埋め立て、干拓などである程度行われていましたが、どちらも限界があります…でもメガフロートもスペースコロニーも中期的には無限といっていいほど大面積の不動産を、技術を実証して工場(スペースコロニーの場合軌道エレベーターおよび月基地)を作るコストだけで作れるのです。
経済的にはそれはどんな影響を与えるでしょう。不動産の希少価値が事実上なくなるのです。
また社会的、法的には?

さらに言えば、軌道エレベーターができれば月や小惑星の資源を大量に得られます。
また、マントルレベルの深地下を低コストで掘削する技術ができたら鉱物資源も事実上無限、希少価値がなくなります。
もちろん軌道エレベーターさえできれば、宇宙太陽光発電でエネルギーも無限になります。
まあ無限エネルギーを得るためには、核融合炉研究とどちらがコストパフォーマンスが高いのか、という問題もありますか。

1

メガフロートが気軽に作れるようになれば、それは国から離れた共同体を簡単に構成できる、ということにならないでしょうか?
また宇宙植民もそれ以上にそういう形になるかもしれません、それこそメイフラワーでアメリカに自由な大地を求めた人々のように。

では、なぜ今多くの住宅地や団地が、僕が育ち遊んだ森も含めて切り開いて作られているのに、目的を持って集まった人々が共同体を作る、というものをあまり聞かないのでしょう。
また離島にそういう形で集まって暮らす人々の話もあまり聞きません。
どちらも現在の技術水準、経済条件で可能だと思うのですが。

そのような、さまざまな「社会」を選択できるとしたらそれはどうなのでしょう。
今でも移民や移住という形である程度社会の選択は可能ですが、それとはどれぐらい違うでしょう。
たとえばさまざまな差別されてきた人たち、同性愛者、逆に同性愛者を許さない人たち、国の雰囲気が気に入らない人たち、騒音が嫌いな人たち、タバコがとことん嫌いな人たちやどうしても好きな人たち、麻薬を自由に吸いたい人たち、社会そのものにどうしてもなじめない人たち、軍隊でひどい戦争を体験して社会になじめない人たち、強い信仰を持ち穢れた世俗と離れたい人たち、ゲイテッドコミュニティーを作るような富裕層…彼らだけが集まって共同体を作ることは?

逆にその共同体内で、たとえば同性愛者を許さない人たちの子供が同性愛者に生まれてしまった場合残酷に処刑するなど重大な人権侵害が起きかねないことはどうすればいいでしょう。
人権の概念自体普遍ではない、現代という特定の社会の理に過ぎないから、別の理で動く社会は姦通者や同性愛者、異端、奇形児などを火あぶりにしようとかまわない、それが社会の多様性というものだ、でいいのしょうか?

やはり最低限の人道は保障されるべきでしょうか…だとしたら、名誉殺人や女児割礼なども世界全体で禁止すべきでしょう。
その、世界全体で守るべき最低限の…それがなにか、というもの自体が、ここで書こうとすると…現代日本の教育という地理的にも歴史的にも決して普遍ではない特殊な教育を受けた、さらに僕という人間の好みでしかないんですよね。