枕元の計算用紙
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31日
もう百ヶ月以上書いていますが、内容に変わり映えがないのでは、と不安になってきました。
僕の知はもう拡大できないのでしょうか。
もしかして知の偏食…読みたいものしか読んでいない状態に陥っていないでしょうか?
では何を読めばいいのでしょう。
僕が根本的に知らないものは…多すぎる、ということしか分かりません。
また反響がほとんど全くないのも不安になります。
まあこちら側の原因も多いです…メールアドレスが見にくく掲示板も廃した…といっても、掲示板があり、メールアドレスが見やすかった頃もこの「枕元の計算用紙」にはほとんど反響はありませんでした。
ブログの側もコメントやトラックバックがほとんどないです…まあそれは、こちらからリンクを張ったりトラックバックを打ったりを積極的にしていないこともあるのでしょうか。
よそでコメントを書くこと自体比較的少なめにしていますし。
といっても、今はよそに打って出て、人と議論してねじ伏せようとするのはもう疲れました。
はっきりしているのは、僕は人を説得することはできない、ということです。僕が正しいか間違っているかはともかく。
価値があるのかないのか、正しいのか間違っているのか、何も分かりません。
30日
コミケカタログの索引は、できれば日本語とアルファベットを分けてください。
特に僕が好きないくつかのサークルはアルファベット名なのですが、非常にわかりにくいです。
あとなんとか、サークルカット集と配置地図の中間として、一枚の紙に七字分ぐらい大きく配置図を書いて、それぞれの席の部分にサークル名を書いた地図、その集まりを三日それぞれ用意することはできないのでしょうか。
「一日目東1」の半分ぐらいが一枚の紙、全体を裏表を使って八枚で、それを三倍して三日分の地図帳になります。
一々サークル名を書き出す必要はなく、地図帳の上の行きたいサークル名にチェックを入れれば、当日は何日目の何枚目かだけめくってそこに行けばいいだけです。
多少高くてもありがたいのでは?
あと携帯電話にダウンロードできるカタロムもあればありがたいでしょう。
それと何より、MRの書籍化をもっとやって欲しいです。需要はあるはずですし。
オンラインでももっと検索できるようになってほしいものです。
いっそ同人総合ポータルサイトにして、全てのサークルのプロフィール+通販受付、希望があればブログやメールフォーム、リンク集など事実上のウェブサイトを構築できるシステムにしたっていいのでは。
そうなればカタロムは事実上不要になるかもしれません。
29日
パキスタンの、ブット元首相の暗殺はショックです。
ちょうど今発売されているニューズウィーク日本版で、注目される女性指導者の一人として出ているというのに。
政府側にも過激派側にも動機がある、というのが厄介です。
どうしてもイスラム国では、「穏健な民主主義者」は専制政府にとっても敵ですし、過激原理主義者にとっても敵です。
この問題をどうにかしない限り、イスラムの貧困とテロは終わらないでしょう。
パキスタンの民主化にとっては致命的でしょうか?
といっても、ブット元首相の政治的スタンスについてはそれほど知識はありません。
もし生きていて、そのままパキスタンのリーダーとなった場合にはいい方向に向ったでしょうか?
パキスタンを始めイスラム教国がどの道を選べば正しいのか…混迷の闇は深まります。
そして最新ニュースを見ると、全国的に暴動が広まり、選挙の実施さえ難しくなっているとか。
これでは政府の民主主義に反対する部分、過激派の双方が得をしてしまいます。
アメリカはあくまで選挙の実施を求めていますが、アメリカが言えばいうほど特に過激派は反発するでしょう。
これらを考えると、民主主義というのがなぜ維持できるのかのほうが謎です。
28日
森林を保存したままで、下生えや葉、枯葉、枯れ枝、木の実などの収穫量はどれぐらいでしょう。
また化学肥料を薄めにでも投与した場合は?
その葉などを飼料として肉にできる家畜には何があるでしょう。
また、キノコ栽培でも相当量の食料が得られるのでは?
キノコなら森から飼料を得た家畜の厩肥も利用できそうです。
また、木の実の収穫量を上げる森林維持法はないでしょうか。
木の実は種類によっては人間のいい食物にもなり、豚などの飼料としても有益です。
27日
僕が前から提唱している「(水・日照は十分だが栄養塩が足りない)外洋に化学肥料を撒く」やり方で、収穫できる大量の海藻を人間の食料として有効利用するには、既存の家畜より自然で海藻を食べる動物を利用する方がいいのでは。
それも鳥類や哺乳類のような恒温動物より、爬虫類や魚、昆虫のような変温動物のほうが効率がいいです。
恒温動物は体温維持に膨大なエネルギーを常に消費しているため、食べた食料を肉に変える効率が本当は極度に悪いのです。
海藻を食べる変温動物には何があるでしょうか?
大型動物では美味で知られるウミガメで海藻を主食にするものは?クラゲが主食のウミガメのほうが多いでしょうか。
ウミイグアナは海藻を主食にするようですが、味や繁殖率、共食いや病気はどうなのでしょう?卵は食用になり、大量に生むでしょうか?
昆虫は海には分布しないので少ないでしょう。大量の海藻でシロアリなどが養殖できれば非常にいいたんぱく源、少なくとも高たんぱく飼料になりそうですが。飼料でよければハエなどもありかもしれません。
海藻で養殖できる食用魚も研究すればありそうです。
また元々海で海藻を食べるウニのような無脊椎動物で、よい家畜飼料になるものはいろいろあるはずです。
また化学肥料で光合成量を増やされた海域ではプランクトンも増産されるため、漁獲量も増えますしジンベイザメ、ヒゲクジラのように超大型で大量のプランクトンを食べる動物もうまくやれば増やしていい食料源になるのではないでしょうか。
もとより陸上でも、飼料を過剰に消費する牛・豚といった大型哺乳類より、爬虫類や魚、昆虫などを家畜化すべきでしたし、今からでもその研究をすべきです。
より大きく成長が早いゾウガメや(もしいたら)草食性のオオトカゲ、大型草食両生類が家畜だったら、同じ重量の肉を得るのに必要な飼料は牛に比べ相当少なくて済んだでしょう。
さらに爬虫類の卵も、潜在的には鶏卵同様の価値があり、鶏より飼料対効率はよかったかもしれません。
それを考えると、人類が絶滅させた多数の大型動物はつくづくもったいないです。
まあぼやいてもどうしようもないので、今からでも研究しては。
26日
最も親しまれる和歌の集まりは小倉百人一首です。
でもそれは比較的狭い範囲の歌です…それが選ばれた時代以降の歌は当然入っていないですし、詠み人知らずも入りません。
万葉から現代まで広い時代、勅撰集にこだわらず最高の歌のみ百、そして千選び直したらどうなるでしょう。
万葉・古今・新古今集自体を全部読む人が少ないのもどうなのでしょう。
あとそういえば、勅撰集というのは今はもうないのでしょうか?
25日
照明を進歩させるのと、遺伝子改良+サイボーグで夜目が利くようにするのとどちらが安上がりでしょう。
24日
泳ぐ線が十のプール、水泳部の人数は四十人、「毎週月曜日に全員二百メートル自由形試験をして、上位十人が週の残り五日(日曜休み)プールを一人一面独占する」。
これは完全実力主義で常に選考も公正ですが、正しいといえるでしょうか?
どうなるかは自明です…十二人ぐらいが常にプールを独占することになるでしょう。
残りのメンバーはどんなに走ったり筋肉トレーニングをしたり教本を読んだりしても、畳水練では決して上達しません。
野球ならキャッチボールや素振りやバッティングセンター、サッカーならリフティング・ドリブル・パス練習などである程度実力が高まるので、上記のような制度でも本当に頑張れば希望はあるでしょう。ボール、グローブ、バットは豊富な資源ですが、プールは希少な資源なのが違いです。
さらに選ばれなかったメンバーは走ることも許されず、ひたすら草むしり、掃除、書類仕事、洗濯などの雑用をしなければならない場合は?
実際の今の日本社会は上の水泳部ほど公平な実力主義ではなく、入学時セレクションがある水泳部のようなもので、新卒で落ちたら一生浮かび上がれません。
三十代を過ぎたワーキングプアの再チャレンジが困難なのは、致命的に実力格差が開いてしまっているからです…プールで泳ぐこと(仕事)が全くできず、雑用(単純労働)に追われて大抵は何もできない、努力しているとしても体力づくり(勉強)と畳水練(資格取得)しかできないのと同様です。
資格取得など個人が努力しても、また公的機関がワークフェアと称して福祉の代わりに職業訓練校の補助などをしても起業を支援しても、やらないよりましかもしれませんがいくら走ってもプールで泳げなければ速く泳げないのと同じです。
企業は資格や専門学校卒などは全く評価しません。大学院卒さえも。それは実力を正当に評価しているだけです。
もちろん起業してもほぼ確実に失敗します。それこそ市場が正当に実力を評価したのです。
やはりプールで泳げない限り、実力は決してつかないのです。
そして水泳部ではどうしようもないから野球部に行こうとしても、今の日本にそれはないのです。
あと年功序列なら、上が卒業すれば下は平等に競争に飛び込むことができました。上下の不平等が厳しいかわりに左右の平等があったというのが建前でした。
でも今はその上の人数が圧倒的に多いのです…地獄の二等兵生活を二年耐え抜けば上等兵になり、頑張れば下士官にも、というシステムで機能していた戦前の軍が、戦争が長期化して補充の二等兵が来なくなったため二等兵の地獄が終わりなく続くようになったのと同様です。
そのため幸運にも社会人をしている団塊ジュニア世代にとっても、今の世界は地獄です。
まあ今の団塊ジュニア正社員の状況は、同期がほとんどいないのに責任ばかり重く、使えない新兵を大量に押しつけられて前線で捨て駒同様の戦死率の高さ、しかも功績を挙げても上の人数が多いため昇進の見込みが全くない下士官です。
それで「お前の苦労など俺の地獄に比べれば」という相互憎悪・分断統治の構造ができてしまっているのが問題ですね。
本質的には餓死も過労死もあってはならない、ワークシェアリングの方向に向えばいい…いや単にサービス残業を厳禁し、その分だけでも非正規労働者層に仕事と収入を回せばかなり変わるはずです。
23日
コンピューターでカーソルの位置を操るのに、普通は平面座標で処理していますが、極座標で処理したらどうなるでしょう。
十字キーやマウスは平面座標に適していますが、例えば傾きを検知するジョイスティックは極座標の入力に適しています。
人間は極座標にはどれぐらい対応できるでしょうか?
22日
今の世界に、「封印された科学技術」は本当にあるのでしょうか。
たとえば研究者がどこかのジャングルで、現地部族からガンを治す薬草の話を聞き、取ってきて栽培実験し、本当に効果があると確かめた…ら、発表より前に突然政府の裏機関に拉致され、縛られた家族を見せつけられて「家族ごと拷問の末どこかの砂漠に埋められるか、全てを忘れて一生年金を受け取るか選べ。この薬は特権階級専用とするから資料とデータもよこせ」となるとか。
もちろん研究所で安くできるエイズワクチンを発明しても同様。
また脅迫しなくても、学会の流れを変え、学術雑誌に命令して研究を無視させてもいいのです。
常温核融合スキャンダルがその例だ、と考えられなくもありません。
問題は、要するにUFO系陰謀論と同じで、反証は不可能ですし証明することも極めて困難です。
そして漏れのない網が作れるだろうか、ということです。
そのコントロールがない国・地域・文明があれば、そのシステムによって制約されている近代西洋を一気に抜き去るのは目に見えています。
そうならないためには、そのシステムは事実上全世界・全人類を徹底的に監視・管理していなければならないです。
冷戦時代に旧ソ連・アメリカ・中国がどれもそのシステムのコントロールを受けていた、としたらそれは地球全体が単一の権力の支配下にあるということで、あまりにも陰謀論的です。
単一権力でなくても三者の管理水準が、談合のような形で一致したということは?
さらに犯罪組織など国家に属さない存在、カルト教団など秘密結社、市井のアマチュア研究者もいます。その全てを管理することは不可能では?
そして誰か一人でも勇気のある人が、こんなひどいことがあると声を上げれば、いくら情報操作がうまくても天運次第で崩壊するリスクもあります。
それは否定証拠にはならない、最低限の監視・介入でも、主要部に石を埋めることで川の流れを制御するように世界を制御することは可能だ、とはいえるでしょうか?
それこそ…要所要所に最低限の介入をすることで歴史の流れを制御することこそ、人間の知恵では不可能ではないでしょうか。
21日
最もハードなトレーニングの一つが、急な坂道を走り登ることです。
階段もかなりきついです。
比較的狭いスペースでも、螺旋階段の塔を駆け上ったり、その螺旋階段の中央の長いはしごで登ったりすればいい運動場になりそうです。
ランニングマシンの傾斜があるものは、坂道を駆け上がるのとは違うでしょうか?
20日
大抵の町の公園には滑り台、砂場、ブランコの三点セットがあります。
でも大人も含めてある程度以上激しい運動をするのには、懸垂用鉄棒、(屋根つきまたは錆び腐る部品がない)サンドバッグ、土俵と鉄砲用柱などがあれば有益です。
それらがないのは、あくまで公園は児童が遊ぶためなのでしょうか?
でも児童が遊ぶにも、ボール遊びが基本的に禁止されているなど制限が大きすぎます。
これからの時代、公園はどうなるのでしょう。
19日
漢字をコンピューター化するとき、現行のように一字ごとに記号化するのではなく、部品ごとに分割してその組み合わせ方を指定したほうがデータは軽くなったのでは?
例えば、「字」という文字は「1うかんむり2子:組み合わせは{1かんむりの下に2}」とすれば…もちろんその組み合わせはコード化すれば、想像以上に少ないでしょう。また漢字の「部品」も相当少ないはずです。
一つ一つの字の美は極悪だったかもしれず、それを微調整する印刷所・フォント会社の苦労はとんでもないものになったでしょうが。
また入力も部首入力キーボードのほうが簡単だったかもしれません。
あるそうなので、実際使っている人はどう思っているかが問題ですが。
18日
メガマック、メガ牛丼など「メガ」を冠した、非常に量の多いファストフードが売れています。
アメリカにおいてはファストフードの量のエスカレート、そして下層の肥満傾向が指摘されていますが、そういう現象でしょうか?
食欲を満たすことでしか欲求不満を解消できない層が増えている、ということもあるのでしょうか。
しかし、アメリカもですが、そんなに社会に欲求不満がたまっているなら、なぜ麻薬を解禁しないのでしょう。
もう下層労働者階層は労働力としても兵力としてもそれほどたくさん必要ではない、半分ぐらい麻薬で死んでも国力も大企業の会計も富裕層の収入も変わらないのでは?
あと大量に食べたい、というだけなら「ご飯(味噌汁、キャベツなどもあり)おかわり自由のランチ」もあります。
それがめちゃくちゃに売れているとは聞きませんから、やはり物珍しさが大きいのでしょうか。
そういえばケンタッキーは大量メニューが難しいですね。釜の限界がある以上丸鶏や丸七面鳥を揚げるのは無理でしょうから。逆にピース数でいくらでも大量にできる、という自由度もありますか。
三十分で15ピースとポテト一箱食べたらタダ、などあったら一度挑戦してみたいです。一夜で太りそうですが。
そういえば、その「メガ」はひたすら多く割安なだけで、別に三十分以内に食べたらタダ、というわけでもないです…興味深いです。
17日
週休二日があるなら、4も7同様28の約数ですから四日に一日休むことにしてもいいのでは?
またはもう太陰暦は、海関係者以外には縁がないのですから6や5など30の約数を週としても。
十日働いて三日休むではなぜいけないのでしょう。
本当に週休二日が人間にとって最善なのでしょうか?
16日
注や参考文献表がある、ちゃんとした学術書を本当に読むには、その参照している論文や本、参考文献も全部読まなければならないのでしょうか。
そしてその論文や参考文献一つ一つにもある注や参考文献表も全部読まなければならないのでしょうか。
あっというまにとんでもない数に膨れ上がりそうですし、おそらくそのほとんどは英語などでしょう。
日本人には、一冊の本から始まるそのツリー…おそらくは該当分野全体を読みきることはものすごく難しいでしょう。
15日
テロ特措法がどうこうですが、現状では「日本は政争にかまけて対テロ戦争に全く貢献していない」状態です。
現状では自民党案は…国会再延長は、強引に衆院三分の二で押し切るということでしょうか。
逆に民主党案、というか小沢案の国連至上主義も、国民や論壇の支持を全く得ていません。
強引に実行するとしても、最短でも次期衆院選政権交代するまで無理です。
まして次期衆院選で政権交代がなかったらどうなるのでしょう…自民党は当然減るけれど過半数は維持、という可能性が大きいのです。
いっそのこと、今は超党派で「非軍事的貢献」に軍事的貢献と同額の大金をぶちこみ、それを世界中で大宣伝してみる、ということはできないでしょうか。
ほかに全く思いがけない案はないものでしょうか。
自民・民主どちらの案も当分は実行不能なのですから。
現状ではあと最低半年、下手をすると一年も二年も何もできない状態が続きます。
というか日本国民自体の大勢はどうしたいのでしょうね。
テロなど対岸の火事、知ったことじゃないし、イスラエルとイスラムの争いに関わるのはごめんだ、というのが本音でしょうか?
あ、そういえば航空自衛隊は今どうしていましたっけ?
14日
ビラ配りに有罪判決が出ました。
有罪判決を批判するなら、法はできるだけ平等でなければなりませんから、どんなビラでも容認されなければならないということになります。
共産党のビラも、右翼のビラも、新新宗教のビラも、ピザ屋のビラも、裏ビデオのビラも全てが同じ価値です。
批判者はちゃんと、そう考えているのでしょうか?
そして、本当にビラを入れて欲しくない人たちはどうすればいいのでしょう。
それ…平穏に暮らす権利、ビラを入れられない権利は言論の自由という「公共の福祉」に合わない権利だから我慢すればいいのでしょうか。
問題なのは長期間の拘留など捜査段階の人権侵害です。
微罪なのははっきりしているのですから、「思想弾圧のための人権無視捜査」という批判を成り立たせることはすべきではなかったでしょう。
法の公正を保つには、右翼もピザ屋も皆逮捕し、23日は拘留しなければならないでしょう。そうしないのであれば、思想弾圧といわれても仕方がないです。
本当にこのレベルの微罪に対しても長期拘留が当たり前になるようになったら、国民全体の人権レベルが大きく低下することになります。
微罪逮捕であっても思想弾圧であっても、それは民主的にも承認された、社会防衛のために必要なものでしょうか?必要であれば「公共の福祉」の範囲内で許されるのでしょうか?
反共側も、それは問題視してもらわなければ。
左翼思想の弾圧を許せば、その法権力はあなたの思想も弾圧できるのです。
13日
もしもこの世にマンガもゲームも映画もテレビもラジオも小説もなにもなければ、子供は「恋」も「友情」も何も知らないでしょう。
事実上そうであり、ただ戦いと奉仕のみという少年兵士も現実にいるのです。
そういう、家畜として育てられた子供の心理状態はどうなるのでしょう。
逆に、物心つく前から小遣いの額が最貧国の国家予算を上回るような、王様として育てられた子供の心理はどうなるのでしょう。
そういう話ばかりではなく、非常に保守的な言説の多くに、子供を暴力・ポルノを含む娯楽・情報から排除して純粋培養しよう、という傾向があります。
でもそれが実行された場合、子供はどう育つのでしょう。
12日
非暴力のほうがいい、という、その「いい」は、「有効」と「善」のどちらでしょう。
善ならば…結果は問わない、とにかく非暴力が絶対善であり、暴力は絶対悪だというならそれは宗教の次元です。
有効を言うのであれば、非暴力主義から始めて破れた抵抗の歴史はたっぷりあります。
非暴力主義者は3のみ、非・非暴力主義者は2のみを叫びます。
でも現実は、状況によって1234のどれでもありえるのでしょう。
また暴力のほうが犠牲が大きい場合もあるし、非暴力のほうが犠牲が大きい場合もあるでしょう。
問題は、そのどれなのかを状況の真っ只中で判断できる人間などいない、ということですが。
どういう状況か見極め、暴力と非暴力の双方を活かして結果を得る、というのは…人間には無理でしょうか?
僕自身は、実際には医学の外科と内科のように暴力と非暴力をうまく共同させるべきだと思います。孫子の兵法にも合致します。
また、非暴力には根本的に
というジレンマがあります。
または、「現在の日本」という特殊な状況でのみ、武装より功利的に計算しても有効というだけでしょうか?
それならば「非武装をスイスで訴えてみろ」といわれても反論できます…が、思想としての普遍性は主張できません。
11日
従軍慰安婦問題や沖縄の集団自決問題などで、「書類」と「いろいろな証言」を調べて作られた過去像と「被害者証言」からなる過去像は根本的に異なるのはどういうわけでしょうか。
それは悪く見れば書類による命令の類など、旧軍や政府の間では大して重要ではなく、真実は「現場の空気」のみがあり、それこそが極悪だったと解釈できそうです。
でも「被害者証言」も様々な要因で曲げられることもありえます。
どちらもあてにならないのなら、真実はどこにあるのでしょう。
10日
道路の両側にビルがそびえているのを見ると、いっそ橋を渡すように両方のビルをつなぎ、大きなビルにトンネルを通すように道路が通っている状態にすれば貴重な土地を節約できるのでは、と思ってしまいます。
なぜそうしないのでしょう。
日光が入らないから?
でも日光を必要とするビルがどれだけあるでしょうか。
9日
秦の始皇帝について、僕は良いエピソードを思い出すことができません。
悪い面ばかりがさらされるのは、史記が書かれたのが漢帝国であり、漢帝国の成立事情を考えれば秦帝国を徹底的に悪く言わなければならない、というのは理解できますが、同じく敵だった項羽にあったような、人間的に好感を持てるエピソードも思い出せないのです。
ひたすら非道邪悪ばかりで、それで天下統一という大事業ができたのでしょうか?
始皇帝の指揮で大きな戦争に勝った、という記憶もありません。
確かに部下は非常に優れていたので、人材登用の名手だったのかもしれませんが。
人材登用の伝統も含め、ひたすら代々の積み上げと地理的優位が統一をもたらしたというだけで、始皇帝本人の人物はさして重要ではなかった…ということは?
中国史、いや世界史でも最も重要な人物の一人のはずなのに。
8日
なぜ、民主党の年金案は誰も相手にしないのでしょう。
他の政策もです。
もちろん僕自身、民主党など政界再編のための踏み台としか思っていないので、どうでもいいといえばどうでもいいのですが。
逆に強硬な反民主党主義者はどうなればいいと思っているのでしょう。
民主党が潰れ、自民党単独両院圧倒多数からの分裂による再編でしょうか?
それとも自民党の永久政権でいい、野党など必要ないのでしょうか。
7日
天道是か非か…よく聞く言葉です。
この言葉は本質的に、「天網恢々疎にして漏らさず」をあてにしている、大きく見れば天道は是に決まっている、とある意味甘えているような気がします。
では天道が非なら?
または、某コズミックホラーにあるように神がバカなら?
実際にあるのは、ただ自然法則と弱肉強食だけです。
太陽や大地のわずかな気まぐれで人類はあっという間に絶滅してしまうのです。
6日
チョコレートやコーヒー、砂糖などは事実上の奴隷労働で作られています。
服や靴、カバンやサッカーボールも、その他あまりに多くのものが。
ではそういうのを買わなければ、その奴隷達は解放されるのでしょうか。
いや…ただ放り出されて餓死するだけです。
では百倍買えばいいのでしょうか。
いや…それでも奴隷達の待遇はよくならないでしょう。
フェアトレードから買えばいいのでしょうか。
でも…なんとなく不安があります、それもまた違う形での搾取を生むだけではないか、と。
もう一つの問題は、日本にも悲惨な奴隷労働はありましたし、今近代化して豊かな生活をしている多くの国の歴史に悲惨な労働がありました。
では今の奴隷労働と、歴史的に欠かせない近代化のプロセスと、どう違うのでしょう。
どこで区別すればいいのでしょうか。
根本的にはどうすればいいのでしょう。
他人事ではありません…日本人も含め、先進国の労働者も多くは悲惨な奴隷と化していくでしょうから。
世界が一つになれば、ほとんどの人は下にそろえられるのが当然です。
5日
腕時計に脈拍・体温検出器をつけておき、脈が止まったり体温が異常だったりしたら最寄の医療機関に連絡するシステムがあれば、孤独な老人は安心では?
また、人の心臓が止まったら周囲100mの携帯電話を瞬時に警察が把握できるシステムがあれば、殺人はかなり難しくなります。
4日
現在の日本の改革の低迷と、IMF管理で改革を強制された韓国を対比する声が多くあります。
でも他にも多くの国がIMF管理で改革を強要されましたが、その多くは悲惨な結果になっています。
韓国は例外なのでしょうか?
単に悲惨が余り喧伝されておらず、成果のみが語られているのでしょうか?
IMFという薬が合う患者と合わない患者があるとすれば、日本はどちらでしょう。
全体として、日本がIMF管理にならなかったことはよかったのでしょうか悪かったのでしょうか。
3日
「押しつけられたことを自分から選ぶ」ことが人生の本質でしょうか。
ジャンヌ・ダルク、映画「ターミネーター」のサラ=コナー、聖母マリアなど「なぜ自分が」と叫ぶしかない悲惨な運命を受け入れ、自ら積極的にその運命を生きることがよい、と。
それをいうなら、人間が生まれること自体、「なぜ自分が」と叫びたいほどに理不尽なことです…王侯貴族であっても奴隷であっても、重犯罪者や家元の子供でも、男でも女でもどの階級や人種でも。
しかし、その「押しつけられた」ことに対する不快感を捨て、押しつけられた運命、押しつけた絶対者を自発的に愛せ…というのには、自由を求める部分が非常に強く反発します。
『1984』のビッグブラザーを心から愛せ、というような気さえするのです…それもまた、それは押しつけられた運命なのだから、あそこに生まれた人はビックブラザーを自発的に心から愛する義務があり、それこそ主体的な正しい自由な生なのでしょうか?
それはもう二重思考、狂気そのものに思えます。
運命、自分の軌道に逆らい続けて生きるのは辛いだけなのも確かですが。
2日
人間が、今も年に何百万と言う人が餓死し、何十億人も絶対的貧困のまま…その他膨大な悲惨があるのに平気でいる、というのは、人間の「同情心」「隣人愛」そのものが元々少ないからではないでしょうか。
今の世界は、人間のそのままの心を反映したものでは。
そして、このままこの文明が進んだときに予想される何十億人もの餓死・伝染病死・殺戮さえも「仕方がない」で済ませてしまえるほど人間の「隣人愛」は少ないのでは。
1日
人は自分がどんな世界に住んでいるか知っているのでしょうか。
人は人間というのがどんな種族だか知っているのでしょうか。
今、どれだけの悲惨が世界にあるか、人は知っているでしょうか。
一年に、世界で何人が餓死しているか知っているでしょうか。
一年に、世界で何人が虐殺されているか知っているでしょうか。
一年に、世界で何人が住む土地を追われているか知っているでしょうか。
今世界で、何人が拷問され、冤罪受刑者・思想犯・予防拘禁などで不当に自由を奪われているか知っているでしょうか。
今の世界に、何人が奴隷状態でいるか知っているでしょうか。
そしてこれまで、人間がどれほどの非道を尽くしてきたか知っているでしょうか。
全てを知ったら生きていられないから知らないで、目をそらしているのでしょうか。
では人は、隣にどれほどの悲惨があっても目をそらし続けることができるのでしょうか。
これからは、どれほどの悲惨に人は耐えることができるのでしょうか。
年間何千万、そして何億の餓死者が出ていても人は平気で暮らしていけるでしょうか。