枕元の計算用紙

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以下パソコン故障につき更新不能。ご迷惑をおかけしました。

13

資金がそんなに余っているのなら、断固たる意志で軌道エレベーター・外洋開発・貧困撲滅に「投資」すればどれも実現は難しくないのでは?
遺伝子やナノテクでもいいです。とにかく技術革新、人類をよりよくする方向に。
それは儲からない投資でしょうか?

地球号の船長、人類全体の主権者が事実上「投機資金」だというのなら、せめて人類が滅びない程度の責任は負って欲しいものです。
不老不死の独裁者なら人類を滅ぼさない努力はするでしょうに…
次四半期の責任しか持たない人に地球号の舵を預けるのは愚か過ぎます。

12

日本でまともな社会民主主義を投票で選ぶことができないのは、憲法九条の存在と冷戦構造…共産圏からの政治的干渉の歴史、それに対応するための公安警察が冷戦構造終了後も力を手放そうとしないことなどいろいろな要因があると思います。
どうすればそのゆがみを清算できるのでしょう。

政党構造も、社会運動も警察も、社会そのものも、言論も…全部どうしようもなく歪んでいます。

11

なぜ日本では、少なくとも議席を持つ政党としては

などが、それぞれ別としても存在できないのでしょうか。
それどころか選挙で高福祉高負担を選ぶことさえできません。

護憲社共と安保自民という二項対立枠、社会党が自壊後社会民主党を名乗って社会民主の名を不道徳占拠していること、社民は資本主義の仲間だと否定する共産党やその流れの縛り、自民と民主というどちらもごった煮二大政党とどうにもならない状態です。

僕の以下の考えに賛同する人は、一人もいないのでしょうか。(詳しくはこちら

財源は、と聞くでしょうが、現在の自民党の政策は財政的に本当に持続可能なのでしょうか?

そしてほかに選択肢は本当にないのでしょうか…日本の政治言論の世界では、「大砲ではなくバターを」「軍事をやめて福祉に」しか別の選択肢が提示されないのがおかしいのでは、と誰か思わないのでしょうか。
別の選択肢はたくさんあるはずです。
社会民主主義や環境さえ憲法九条と結びついてしまい、護憲、非武装中立ではなく社会民主主義、環境、平和が主張されることがないというのもおかしくないでしょうか?
どれほどそれが環境や人権など諸問題を解決しようとする努力の足を引っ張っているか。

10

投槍が主力武器だった古代ギリシャ・ローマ時代には、投槍器はあったのでしょうか。

投槍器とは編み針を大きくしたような棒で、その鉤部分に槍の端を引っ掛け、槍と棒を同時に握って、槍を投げつつ槍のほうの手を離して棒だけ握って力を加え続ける道具です。
手が延長されたのと同じで、かなり投槍の威力・飛距離が伸びると言われています。

9

いまや十年後の餓死を覚悟している何百万の団塊ジュニアフリーター・ニート層は、「野茂スピリット」の結果でしょうか。

もし野茂スピリットがなく経済不況だけがあって、昭和的価値観が微塵も揺るいでいなかったら?
日本球界に先見性があってあらゆる手段で野茂選手を完全に叩き潰し、メジャー行きという選択肢を日本の野球選手の頭から完全に消し去っていたら?
自分からレールを外れる人はあまりいなかったでしょう。
けれども、レールに乗れる人が世代人口より少ないこと、レールに乗っても生き延びる人が少ないことには変わりないので、多くの人が弾かれたはずです。

それで就職できなかった人たちはどうしていたでしょう。
就職できなかった時点で自殺、それが何百万?
そうなったら低賃金労働者の部分は移民で代替しなければならなかったでしょうか。
だとすると、野茂スピリットのおかげで、どの道死ななければならない何百万が二十年も延命できたし、企業側は日本語を話すなど良質の使い捨て低賃金労働者を確保できたのだからよかったのでしょうか?
それとも日本人の若者などには早く死んでもらい、その十分の一の賃金で大喜びで働く外国人労働者に早く移行したかったのでしょうか?

または、昭和的価値観の延長で就職できなかった若者を救うため、公共事業を大規模にやり…IMF管理ということにもなったでしょうか。
で、IMF管理になったらどうなるのでしょう。

そして今の若者はどんな価値観を抱いているのでしょう。
レールから外れたら、団塊ジュニアフリーター層のように死ぬだけだと思い知らされ、昭和的価値観に忠誠を誓っているのでしょうか?
それとも昭和的価値観に囚われてはいないけれど、野茂スピリットでは少数の成功者以外は生存すらできないことも知っていて、昭和的価値観を馬鹿にしながら今たまたま豊かなレールに乗っているのでしょうか?
それともゆとり教育の結果、もはや価値観などという高等思考は存在せず、統合された人格すらなく、「空気読め」が全てでその瞬間瞬間に適応するだけの存在になっているのでしょうか。

8

護憲派が軍備自体…特に武装中立、普通の国を否定するのに地政学的な分析もあります。
日本は国土に縦深を欠き、食料・エネルギー・鉱物資源が自給できないため、完全に海上封鎖されたら戦闘力を失うし、太平洋戦争で実証されたように全て自給できる生存権を確保するには非現実的な戦力が必要、だから武力防衛自体が非現実的だ、というわけです。

それを認めたうえで非武装中立なら安心だ、と考えないなら…完全に絶望するしかないです。

そういえば、自国だけで自国を防衛できる…全資源を自給できる国ってどれぐらいあるのでしょう。
全資源の自給ができない国は他にも多いはずですが、それらの国はどう考えているのでしょう。
特にドイツ・ロシア両国に繰り返し蹂躙された国々は。
中国だって石油・食料の自給は不可能ですが、中国が憲法九条を採用する気配はないです。
ベトナムも全てを自給できるはずがないのに、アメリカから自らを守り抜きました。中国とソ連の支援がありましたが。
アフガニスタンやイラクも、自給は全く不可能なのに形はどうあれアメリカと戦い続けています。

どれも外国の支援が重要になりますが、日本は外国の支援は考えられないのでしょうか?
海に囲まれているというのがその点もハンデになりますか、支援が日本本土に届きません。
また民族・宗教レベルの味方がいないことも問題ですか…

ちなみに日本の武装中立はアメリカが許さないから日本がアメリカから独立し、アメリカに勝利するには非武装中立しかない、という人もいますが、武装中立を許さないなら非武装中立も許すはずがありません…ましてそれが対米独立、そして勝利への道なら。たとえ日本人を皆殺しにしても止めるでしょう。
それはないというのは…憲法九条という正義の道を歩めば決して負けない、という聖戦論、さらにいえば信仰でしかありません。
僕は信仰を国防の基盤に置くのは反対です…少なくとも僕は信仰できません。
憲法九条を信仰できないことは日本からの追放、または処刑の理由として十分でしょうか?

7

「だめになる」というのはどういう意味でしょう。

ドラえもんの印象的な話に、裏山の森が好きなのび太が森と心が通い合うようになり、森の心地よさに溺れて門限を破って母親に怒られ、もう家には帰らない、学校にも行かないと思ってしまい、ドラえもんに「かならずだめになるぞ!」といわれる話があります。

母体回帰、現実逃避、社会から背を向けることが「だめになる」ということでしょうか。
でも社会の一員であっても、それは「世間教」「会社教」などの宗教には魔って思考停止しているのと同じ状態では?
その思考停止は…本質的に本当の人生に背を向けているのと変わらないのでは?

といってもこの思考様式も、疎外論に通じて…総括に通じる可能性のある危険な思考かもしれません。
カルトとも同じでしょう。

やはり、社会に順応していれば「いい」、していなければ「だめ」というDSMの思考法でしょうか?
本当の人生を生きつつしかも現実社会に順応することは可能なのでしょうか。

さらに、現在は…日本人全体では少数としても世代としては無視できないほど多数の人が、本人の責任とはとても言えない形で現実社会に順応する…就職し結婚する道を閉ざされています。

6

昔の日本で、軍隊に入れば米が食えた、というのはどれだけの人にとってどれほどの魅力だったでしょう。

軍医としての森鴎外が麦飯による脚気予防を頑なに拒み、そのために何万人も死んだことが批判されていますが、逆に麦飯を強要したら反乱の恐れがあった、それほど白米飯の喜びが大きかった、と考えることはできないでしょうか。

5

ビョルン・ロンボルグの新しく邦訳された新刊『地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す』で、海水を霧にして雲を増やす・一部海域に鉄をまいて光合成を増やす・本物だったと仮定しての常温核融合という、うまくいけば簡単かつ安価に温暖化を防げる方法を温暖化論者・環境保護論者は喜ばない…という指摘がありました。

少なくともそれだけは真剣に考えるべき問題だと思います。
自分が何を望んでいるのかはオープンにするべきでしょう。

4

今の公安のあり方、戦前の特高警察や憲兵を批判するのはいいのですが、「ではどうすれば」を考えないのでしょうか?
共産主義の脅威は現実でした。
また5.15、2.26も一つの危機であり、実際に日本はそれによって破壊されたとも言えます。
それと戦うセクションはどのようであればよかったのでしょう。

また危機は現在進行かもしれません…国家間はもちろんテロなど非国家セクション、右翼クーデターも含め様々な危機がありえます。
現在では、どのようであればいいのでしょう。

いらない、ないのが一番…と言っている人が独裁者になったら最悪の秘密警察システムができることは断言しておきます。
「汚い仕事」は社会を…ひいては自由と民主主義を維持するには必要なのです。

汚い仕事はちゃんと認める、でも五十年後に全部公開して歴史の審判を仰ぐ、というのでは自由と民主主義を守ることはできないのでしょうか?

3

弾圧者…戦前戦中の特高警察や憲兵、戦後の公安警察官、アメリカにおけるその手のセクション、東側のKGBなど、他途上国の秘密警察…彼らを主人公にした小説はあまり見ませんね。
スパイ小説・警察小説はそれこそ星の数ほどあるのに。

その心情はあまりにも計り知れないからでしょうか。

2

特高警察と憲兵はセットで語られますが、考えてみるとおかしくないですか?

憲兵はその定義から「軍内部の治安維持担当」です。
憲兵が民間人に手を出せるはずはないのでは?
あれほど縦割り官僚制で管轄外を忌み嫌っていたのに?

また警察と軍隊は、警察にとっては軍隊は事実上治外法権なので嫌な存在で、仲がいいはずはないのでは…
特高警察と憲兵が共に防共・諜報活動をしていたとしたら、誰かがそれを統括すべきでしょうが、それは内務省だったのでしょうか?
内務省・特高警察が憲兵に命令するとしたら、それこそ統帥権の侵犯も窮まれりです。
憲兵が特高警察の犬となることなどありえたでしょうか?逆に特高警察が憲兵の犬だったのでしょうか?
憲兵はあくまで陸軍省と海軍省…その二つの頂点も事実上敵同士でした。憲兵は陸軍省のみでしたっけ?海軍の憲兵は?
論理的には特高警察・両軍憲兵とも天皇直属だった、としたほうが納得できるぐらいです。

というかなぜ、戦前の日本システムは天皇自体に強い力を持たせなかったのでしょうか。
確か戦前の皇室は莫大な財産も持っていたと聞きますが。
天皇直属で独自財源・法的に独立不可侵の近衛軍、諜報暗殺機関、マスコミ、いつクーデターが起きても海外逃亡さえできれば亡命政権を逆に作れる国外財産、それを前提にした皇位継承者の常時在外などはなかったのでしょうか。
元老がそれを許さなかったのでしょうか?

1

警察には社会を変える力があります。
戦中の息苦しさの相当部分を、比較的少数の特高警察や憲兵が必ずしも法的基盤…最上層部の明白な意志なくして作り出しました。

今も飲酒運転や自転車の運転法などこれまで見逃してきた微罪を見逃さない方針を採ることで、日本の文化、精神構造全体を変えようとしています。
それに民主的な正統性はあるのでしょうか?
どんな結果をもたらすでしょうか?
これまでの「時速40km制限の道路は50kmぐらいで走らないとかえって皆に迷惑、捕まるのは基本的に運が悪い、または警察の恣意的な裁量だから暗黙のルールを守ればよい」から「40kmから1kmたりとも超えたら全員容赦なく同じ法定刑を科す」になるというのは、実質的には憲法改正に等しい事だと思うのですが。

それともそんな…厳しくも公平ではなく、別の基準に変わっただけでしょうか?
たとえば有力者はこれまでどおり見逃され、厳密に取り締まられるのは一般市民だけでしょうか?

また監視カメラなども警察の力が増している象徴とされます…ただし、左翼層の「政府が犯罪に対する恐怖をあおって警察国家として口を封じ、また貧困による徴兵制で戦争に参加〜」という定番話は逆に信じる人が少なくなるでしょう。

それともメディア〜世論〜警察の三位一体が、警察自体も制御できないまま漂流しているだけでしょうか?