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31

最終的な「倫理の目的」「倫理の前提」をテーマにして「これからの正義の話をしよう」を読んでみます。
まず倫理の前提として、僕自身は「科学(進化論)」を前提とし、進化心理学を重視しています。
さらに無前提で「(自分の成育史と幼稚な直感に支えられた)人道」を加え、倫理の目的としています。

科学は、「人は生物であり、ゆえにヒトの目的は自分の遺伝子の存続である。さらに群れの存続を優先する群れ動物でもある」と告げています。さらに自分の遺伝子、自分の群れが存続するためには人類という種、地球生命そのものの存続も必要条件であることは自明です。
また僕自身の幼稚な感情は、少なくとも誰も餓死しない、誰も奴隷でない、誰も虐待されない、魔女裁判やホロコースト、焚書やアレクサンドリア図書館の破壊が起きないことも望んでいます。
ただし幼稚な感情は魔女裁判や焚書の炎を愛しヒトラーやホロコーストを求めているのだ、ということも忘れてはならないでしょう。それらは、たとえ遺伝子にとって利益となり感情が肯定したとしてもすべきではありません。
理性・感情の双方を無視して禁ずるべきことです。

幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進というのは古くから言われていますが、僕はそれらはそれほどは重視せず、幾つかの嫌なことが起きないことを最優先します。言葉は行いを正当化しない……「共産主義」だろうと「信仰」だろうと「自由」だろうと「保守」だろうと、言葉のために幼児の爪を剥ぐことは容認しない、それが基本的な態度です。

一般論として、人間が「美徳の促進」を求める理由に、人間が本来「アフリカで部族生活をする呪術師集団」だったことを指摘しておきます。要するに、「美徳が失われたら神が怒って雷を落として世界を滅ぼし、その魂を地獄に落とす」という前提を誰もが無意識に共有していることを自覚すべきだ、ということです。
また、どうやら少なくとも欧米人は「ホロコーストは肯定されない」ということが無条件の道徳の前提となっているようですね。そこで自問自答して欲しいのが、新自由主義改革の結果、十年で二百万人が餓死や自殺に追いつめられてもそれは容認されるのでしょうか?それはホロコーストと同じことでは?

というか正義と言っても、問題になるのがキリスト教の範囲なのか、「古代的部族道徳」なのか、「近代の抽象的な道徳」なのか、より進歩的な道徳観念なのかによってかなり違いますよね。

フロリダの便乗値上げ
高い氷を売るインセンティブは働くかもしれません。だが同時に、高い氷のためにホームレスとなって社会に福祉負担をかける、そうでなければよき労働者のままであった被災者もいるかもしれません。それを最小化するのは国家全体の長期的公益になります。
また社会全体が被災者、そして全国民に送るメッセージが「所詮この世は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ」か「助け合ってこの災害を乗り越えよう」のどちらであるかも、長期的公益として意味はあります。
弱者を海に放りこむ船のために剣を取って戦え、といっても無理では?まあ鞭と神があればそれはできる、古来それがあたりまえだったのかもしれませんが。
解決策としては、便乗値上げによる仕事の促進を認めつつ、完全に貧窮した人を助ける姿勢を失わないことです。カトリーナでは貧窮した人を助ける姿勢を政府が見せなかったことで、致命的にアメリカの分断が世界に見えてしまいました。

パープルハート
別の勲章を与え、治療制度を整備すればよいのです。
また義務教育でPTSD、精神医学について正しく教えること。
PTSDの存在を否認すれば、それは愚かなことであり敗北につながるだけです。

企業救済
魔女裁判は控えろ、感情と理性双方が投票しても。
公憤を感じたら、「これは魔女裁判ではないか」と疑う部分を心に持つべきです。

暴走する路面電車
六人とも愛着がない他人であり、しかも熟慮する時間があることはまずありえないです。そしてとっさにどうしたとしても責めてはならないでしょう。
この場合、どちらにしても罪悪感はあるので、本人のとっさの判断に任せ、一切免責とすべきです。
橋から太った男を突き落とすのは、誰もが嫌悪を感じ、良心に負荷をかけるのならば悪とされるのでしょう。人間には善悪判定機能があると思うべきでしょうね、あてにしてはならないですが……ホロコーストはほとんどの人が善と判定したことは忘れないように。

ボート
当時の船乗りの慣習に従うだけです。また緊急時の行為、生命維持という強すぎる欲動による行為は免責されるべきです。
人は生命維持や依存症、自尊心や自由の欲求、さらに自分を育てた文化の命令などきわめて強い要求には、少なくとも全員にそれを抑制し理性的に振る舞えと言っても無駄なことです。
「立っていろと命令されて忘れられたら川のほとりで渇き死にする」克己を全員に強要するのは正しいとは感じません。
また人間には、「それを禁忌とする」「それは神々の領域とする」智恵もあります。本文ではわざとそれに触れず、功利主義の次元におとしめています。

功利主義は全体主義的な解釈ができることにも注意しましょう。群れの利益を最大化するため個体の利益・感情を無視することにもできます。それは正しそうに見えますが、人間は残念ながらミツバチではない(ミツバチになりたがりはするが)ので破綻することが多いようです……例外は北朝鮮など結構ありますが。
幸福の町は、純粋に科学だけ、遺伝子の存続だけで考えるなら正しいとなりますが、幼稚な正義感の部分が許容しないですし、「神の怒りが世界を滅ぼす」とも思ってしまうでしょう。それを無視するのも苦しみです。

肺がんの便益
将来、介護や医療の機械化に失敗すれば、急速に高齢化している多くの国々が、老人を殺さなければ国が破綻するジレンマに直面するでしょうね。その事実からどれだけ目を背けていられるか。
それを考えると、「肺がんの便益」は冗談ではないのです…ひたすら人間はそれを、直視することさえ悪だと判定しますが。
どこかに冷徹な判断者が必要です。
プラトンの賢者王は、決してそのような判断の仕方はしないでしょうね…

リバタリアニズムの本質は、「市民的自由と経済的自由は分離できるか」という問題です。
また、結果を考えているかという問題にもなります。経済的自由を徹底させた弱肉強食社会はどうなるでしょうか?
結果的に社会全体が崩壊し、富裕者も損をすることにならないでしょうか?
さらに社会を維持するため、新自由主義と新保守のコンビにならないでしょうか?人間は矛盾し混乱した統治のほうを好むことをお忘れなく。

僕が問いたいのは、人が餓死すること、貧乏な家に生まれた天才児がその才能を活かせず単純労働で終わることは容認できるのか?です。
またそれが容認された社会は機能しうるのか、というのも真剣に考えて欲しいものです。
まあ、道徳を求める感情をきわめて強く暴走させ、ファシズム状態にして貧者を自殺・家族殺し・刑務所でのいじめ殺し・ホームレス狩りなどで結果的に死なせればどうにかなるかもしれませんが、それでいいのですか?

合意による食人を否定するのは、要するに「そんなことをしたら神様が怒って大洪水を起こす」恐怖があるからでしょう。
本能のレベルで人は、正義感を満たさない世界に住みたくないと感じるようです。
ただしその正義感は、「同性愛者(異教徒・ユダヤ人・ハンセン氏病患者……)が全員焼き殺されていないこと」に対しても働きうる、危険な情動でもあります。

徴兵と傭兵と志願兵
徴兵でも金持ちは逃れるので、ある意味どうにもならないことです。
ノブレス・オブリージュがなくなったときに何がその代替となるか、真剣に考えてますかね。
重要なのは、多くの人がこの世界は公平だと思いこむことです。実際に公平かどうかなどどうでもいいですし、公平は不可能です。
公平感を薬にして水道水に混ぜて与えることができればいいんですが。

代理母が子供を渡すのを拒否した
愛着の問題です。
この問題は、「愛着の処理」「家族愛と契約のどちらが優越するか」の二つの問題と処理できます。
契約絶対、感情軽視が強すぎたことの弊害ともいえます。
学級で豚を飼って殺して喰うかどうかの議論がありましたが、それも同様です。
どちらも、結局は「愛着形成」を適切に処理しなかった技術不足と言えます。
子供が自力で食料を得られるようになるまで長期間、膨大な資源を与えなければならない人類という動物にとって愛着感情は進化心理学的に必須です。
また逆に「愛着を破棄する」ことも進化心理学的に必要だったはずです。進化段階の狩猟採集民はしょっちゅう赤子を間引き、また牧畜を覚えてからは愛着を伴う世話をしてきた家畜を殺さねばならなかったからです。
どちらも伝統と儀式、その他さまざまな精神操作技法で「愛着」を切断しているわけです。
つまり動物と人にしても親子にしても愛着は絶対でなく、適切な技術で切断できるわけです。
逆に愛着の切断に失敗しているのに、無理に殺したり引き離したりしたら、致命的な心的外傷のおそれがあります。賢明ではないでしょう。
逆に人間の、母親が子供に抱く愛着は、子供を間引かせられた母親全員が命じた者を殺して自殺していたら人類という種は滅んでいたはずなので、出産直後は間引きに耐えられる程度である可能性が高いです。
その個体差として、出産直後でも極度の愛着を持つ母、また普通に育てていても愛着を持てない母も統計的に存在しえます。「無条件の母性神話」に惑わされないよう注意しましょう。
だから代理母のケースでも、出産後一切接触させずに引き離し、初乳なども搾乳機を利用して間接的に与え、即座に愛着について講習を受けてある契約母に引き渡せば大半のケースで引渡しを拒む事態は防げる可能性が高いです。
また小規模の孤立した遊牧民・農家で、自分で育てた家畜を殺すときの感情処理法を参考に、魔術的儀式を用いて愛着を切り離す方法も検討されるべきです。
このケースや、また出産してすぐ引き渡すシステムでも統計的少数には強い愛着が生じてしまうケースもあるでしょうが、その場合「愛着と契約の比較」という問題になります。
人間を抽象化された契約主体とのみ扱い、愛着を無視するのは本人の抵抗も大きく犯罪を誘発しかねず、また愛着・家族愛は人間社会を支える「嘘の柱」の重要な一本なので全否定すべきではないでしょう。
その意味では、愛着と矛盾する契約、すなわち代理母制度自体を否定するのも一案です。
起きてしまったこのケースでは、愛着であり金銭欲でないことを証明するために代理母契約費用の半額から利子つき全額の返還を条件に、離婚で親権を失った父親同様に面会権などある程度の権利を与えるのが適当でしょう。
まとめとして本書で着目されていない補足を。
感情処理は社会にとって重要であり、単に契約絶対を振り立てるだけでは感情側に無用な負担をかけ、現実の人間社会の機能を低下させるおそれがあります。
古い社会では間引き・家畜と殺・戦死・処刑などに関して、儀式を用いた感情処理技法が発達していることに着目すべきです。

自由に関しては、「自分は自由だという感じ」が最高の快楽であることを考えればもつれた網に絡め取られるだけです。
たとえばスペリング・コンテストも、それが本当に自由な行為か、利益を目的とする偽善かは判定不可能です。
人間の精神を過度に単純化しているのでは?
また善意の行為が悪い結果を生んだ場合も混乱させます。たとえばフィラデルフィアが黄熱病で死の街となった時に留まって治療を続けた医者の話があります……当時の医療は瀉血しか知らなかったので、彼自体は当時の最高水準の医療を誠実に行ったのですが、結果何もしなかったほうが死んだ人は少なかったといわれているのです。
個々の内面は見えないのですから問うべきではない、結果だけを見るべきでしょう。また、あまり結果だけで厳しく裁くべきでもないでしょう。ジェンナーやコロンブスを断罪するのも正しい基準とは思えません。
自由を口にするには人間は無能すぎるのでしょうね。

分配については……感情的、極端に、北朝鮮とアメリカの二分法になってしまいます。まずそれをやめましょう。
とにかく餓死を容認するか否か、まずそれを。

アファーマティブ・アクション
ある場合とない場合、社会がどうなるかを見るべきです。
制度の目的は、有色人種が貧困層として固定されることを防止すること。その線から評価すべきでは。
生活習慣から変えるような初等教育を充実させることも考えるべきです。
たとえばある程度以上に貧しい層の子は三歳から十二歳まで、週三日以上十分な予算のある寄宿学校で暮らすべきなのでは?
また教師の給料が低いのも、この社会はそれによって何を選択しているのでしょう?

チアリーダー・ゴルフ
何がふさわしいかを決めるのは社会。伝統を作るというプロセスについて調べ検討すべきです。
特にアメリカのような社会では、伝統が作り上げられるプロセスの資料も多く残っているはずです。

社会の目的因は、伝統的社会では美徳とされます。
でも美徳は、進化心理学的な群れの遺伝子を存続させるための手段ではなかったのでしょうか?
コミュニティの物語に個々人を従属させることをよしとする場合、アイヒマンのジレンマ(群れの法・道徳に従って、群れが敵とみなした存在を虐殺する行為が、人間全体を群れとするより大きな道徳では犯罪となる)が発生します。
また、謝罪で見られるように群れ全体が断罪される場合、自分の行いなしに自分を悪とし謝罪者としての物語を生きることに本質的に人は耐えられるのか、という問題にもなります。
人の自己正当化の強さを見誤っていませんか?
そして本質的には、道徳の目的自体が「自群れのため」「人すべてのため」「言葉のため」「自分自身のため」「神のため」「遺伝子存続のため」のどれなのかという問題になります。
自群れ中心主義はわかりやすいですが、本質的に他群れの皆殺し、ひいてはホロコーストを肯定することになりますよ。

共通善……人には「善の感性」はあるのでしょうか。
ある、ただしそれはときに魔女裁判を求めて暴走することもある信頼できないものです。
中絶や同性婚の問題は、結局は神の裁きを恐れているのでは?

正義について、最後にひとつ仮想の話を。
幸福や自由は感じに過ぎない。なら、「幸福感・自由感を与える麻薬」ができたら?
美徳はなぜそれを許さないのでしょう。
群れの利益にならないというなら、その麻薬の適度な供給によって犯罪が皆無になるとしたら?
群れの利益とも別の次元に、その「美徳」はあるのでしょう。
ではその美徳が独善、道徳的全体主義やホロコーストに転ずるのをどのように防ぐことができるのでしょうか。今のヨーロッパにおける、ナチに関する言論の自由の制限は果たして十分でしょうか。

何より、まずこの一事を自問自答して欲しい……自分は世界全体に十分な食糧があるのに人が餓死することを容認しているのか。
容認していない人はいないんですけど……実際毎日何万人も餓死しているのですから。
そして、なにより人間の本性が焚書坑儒やホロコーストを好む、ということは骨の髄から誰もが理解しておくべきです。

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人は「無条件に愛される」ことと、「努力を認められる」ことの両方を求めますね。
矛盾してますが。

無条件というのは、母親の愛情…その母の子に産まれたのは運でしかないのに…

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今宗教の教祖クラスの、偉大な霊感の持ち主が科学をきちんと理解した上でそれに霊感を重ねたらどうなるでしょう?

今は単にそのレベルの人がいないだけなのでしょうか。
それとも今の時代では、世界的に見れば小さいカルトを作ったりテレビ伝道師をやったりしているのでしょうか。
それともその頭脳を、科学や法曹で稼ぐのに使っているのでしょうか。

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イルカ含む捕鯨禁止、犬猫食禁止、絵や小説での児童ポルノの禁止…これらには僕は反対です。

逆に女児割礼、名誉殺、苦痛を伴う家畜飼育・屠殺などの禁止には僕は賛成しています。

僕には僕の道徳があります。

多分誰とも共有できないものでしょうが。

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体内深くに埋めこみ、一定時間以内に除去しないと毒を放出して宿主を殺す、しかも除去手術はどんな優れた医者でもパスワードがなければできない……そんな装置があれば用途は多いはずです。

マンガでは実際たくさん出てきます。「JoJoの奇妙な冒険」第二部では中心的なアイテムです。

また哲学上も価値のあるアイテムです。
二人の人間が無人島に打ち上げられたとき、絶対に殺し合いをしない、相手を完全に信頼する唯一の方法は互いにそれを埋め込み、パスワードによって制限時間を延長する…相手を殺したら自分も死が避けられない状態にすることなのです。

アリやミツバチ、シロアリのような社会性昆虫に「裏切り」が存在しないのは、繁殖個体以外は自力生殖能力を失っているので、群れを裏切って個体が利益を得ることが「個体の遺伝子にとっての得」にならないためです。
群れを裏切ることが個体の得には絶対にならないようにすれば、人間も社会性昆虫のような完全な群れになれるかもしれません。
人間がそれを求める気持ちは恐ろしいほど強いはずです。

26

「合理性」という言葉がありますが、「合魔性」という言葉があってもいいかもしれません。「合呪性」でもいいですが。

魔術・呪術の世界は、理性…現実の物理や論理とは全く違いますが、それなりにある意味合理的な理に従って動きます。
合理性というほど理性的ではないけれど、魔術としては非常に自然な考えの流れに対して、「合魔的だ」と言ってやればわかりやすいのでは?

でもそれは、魔術・呪術に関する広範な知識を前提とします。
困ったことに、それがなくても人は多く魔術的に行動しますが、その多くは理論的でない感覚的なものなんですよね。

そう考えると魔術・呪術に関する基礎的・体系的な知識も、逆説的にですが多くの人に必要なんではないでしょうか。心理学としても。

25

「正しい道」があり、正しい道さえとればいい結果が出るという考えを捨てるべきです。
まして「個々の道徳の向上」が正しい道であり、道徳さえ高ければ勝利する、という考え方こそ最も危険な全体主義です。

マザーコンピューターでも神のような指導者でも民主的決定でも伝統でも間違いはあるのです。

互いにあまり連絡しない子供たちができるだけたくさん離れて存在して別々に色々やり、どれかが生きのびればそれが正しい、それしかないでしょう。

「火の鳥 未来篇」は人類自体が老化し植民星も滅んでいった、としてそれを否定しましたが、生命には広がる力があるはずです。

24

親が子供を、教師が生徒を、子供が子供を殺してしまうことは想像以上に多いはずです。
軍隊や刑務所などでのリンチ死も非常に多かったでしょう。

そのすべてを明るみにだして罰していてはきりがないしそれはそれで正義なのだ、と社会が合意しているようにも思えますが、いつごろからそれが容認されなくなったのでしょう。

相撲部屋や武道系部活動などでは、それこそ先輩が後輩に、師が弟子に殺人を命じても理由もなく切腹を命じても絶対服従が本来の姿のはずです。
いつそれが容認されなくなったのでしょう?

23

現在の無縁の都市生活……親は子に、豊かでも学歴しか与えられず、学歴を頼りに就職するほかない、「地域」「血縁」でつながった先祖代々の群れが存在しない状態というのは、人間という生き物にとっては無茶なのでは?

宗教団体・共産党などの群れがあるならまだいいけれどほとんどの人には会社しかない、さらに非正規社員にはその会社すら実質存在していないのです。

地域が群れであり続けられる人々もいるようですが、そうでなければ?

孤独こそがこれからの日本の、最も深刻な国民病になりそうです。

22

人間は「犯罪者人格」を早期発見し、早期に治療するか抹殺することはできません。

本当は子供が邪悪かどうかは分かっているはずですが、それをどうにかすることはありません。

まあ問題は…「犯罪者」であるのは遺伝と生育が混じって幼児期にはがっちり固まっている変えられない因子か、それとも変えられるのかです。

21

クーラーの室外機からは熱風が出ています。

もったいなくないでしょうか。
それを洗濯物に当てれば、かなり早く乾くのでは?
特に梅雨時には、熱で水分が奪われている熱風は貴重品では。

それどころか水道水を温めても、湯沸しのエネルギーが大きく節約できるはずです。

浴室に吹き込んで浴室を乾燥させてもいいですし洗濯物を室内乾燥もできます。
浴槽の残り湯に吹き込んで暖めても追い炊きの燃料が節約できるでしょう。

また常に出てくる水も、自動的に植物やペットに給水するようにすればいいのでは。
量が一定しない…かどうかは知らないのです。どれだけの量出ているかも。

20

僕の一番の弱みは、呪術的防御をすべて自己分析・解除してしまっていることです。
自分からも他人の無意識からもかかる無数の呪いに、裸で身をさらしているに等しいのです。

僕は完全に安心することはできないかわりに、あらゆる人が安心しているのがすべて欺瞞だと知っています。

いいのか悪いのか…カルト教団の狂信者をうらやましいと思う反面、そうなるぐらいなら死んだほうがましだというのが強いんです。

19

僕はチューリングテストは完全ではないと思います。

踊ったり、挑発されて切れたり、飲んで騒いだり、ラジオで扇動されて隣人に山刀を振り下ろしたり、魔女を焼き殺したりしない存在は人間ではありません。

そういえば、今のネットにはどれぐらいの「仮装人格」がいるんでしょうか。
チャットルームやツイッターなどに、擬似人工知能プログラムで「人間を装わせる」ことがどれぐらいできているのでしょう。

18

「タバコ会社が資金を出した医学研究でタバコの安全性が確認された」は意味がないとされます。
タバコ会社に雇われている研究者には、安全だという結論を、実験データを改ざんしてでも出す動機があるからです。

でも、だとしたらタバコ会社を守るのは何でしょう?
正しく見えても、「法的防御を許さない」システムはそれ自体が間違っているのです。

また、タバコを規制しろという団体も、自分たちの研究者に金を出して同じようなことをしないといいきれるでしょうか?

絶対に客観的だとはっきりしている、資金の出所を二重盲検法レベルで隠されている研究集団が必要なのでは?

無論問題は水俣病も温暖化も同じことです。

まあ僕の意見を言えば、水俣病については、要するに仁慈のない保守ってなんなんだとしか言いようがありません。
仁徳天皇・光明皇后の仁慈を範とするのが保守、事実関係がどうあれ苦しむ人がいるなら全力で助けるのが為政者の第一の義務のはずです。
それがなく、とにかく患者は国や企業を訴える公の敵だ叩き潰せ、という姿勢があったことが、国家そのものを大きく分断し取り返しのつかない不信感を国そのものの深い部分にばらまいてしまったのです。
そうしてしまった為政者だろうと企業だろうと土地有力者だろうと、全て保守の名に値せず万死に値します。

温暖化については、僕はどっちだろうがどうでもいいという立場です。
なぜなら化石燃料温暖化の有無に関わらず石油枯渇はあるから、どのみち新エネルギー開発は必要だからです。
新エネルギーが物理法則の次元で使い物にならないのなら、それこそ誰を生かし誰を殺し、どの文化財や遺伝情報を遺しどれは仕方ないか、優先順位を決めて箱舟を用意すべきです。

17

「娘が妊娠した・息子がよその娘さんを妊娠させた」事態に備える保険ってないのでしょうか。
産む産まないに分けて。
必須だと思います。

あと冤罪保険も。

家族が重犯罪を犯した時に備える保険も。

16

飛行機の操縦は、要するに「模型飛行機を手で飛ばす」のが一番わかりやすいのでは?

宙にバーで浮いていて、地面と東西南北が明白にわかる立体的な盤がある。
東西南北込みの地面と模型飛行機の三軸角度関係は一致している。
コンピューターに余裕があれば、地面にある程度の地図は浮かぶ。
動きたい方向に飛行機に力を掛ければそう動くようにコンピューターが判断して機体を動かす。
無理なら警告する。

戦闘機などの場合何回もループしても絡まらないようにするのは大変かもしれませんが、まあ戦闘機に動ける以上の動きは、手元の模型もできないとしておくとか。

直感的に分かりやすいだけでは無意味でしょうか…でも逆に、三つの数字を打ち込むやり方でも不可能です。

さらにこれは、将来のパソコンの3D化に伴って、三次元のマウスの必要性が出る時に面白いヒントになると思います。
ゲームコントローラーとしても、三次元に浮いた棒を動かして移動方向を指示するのは面白い操作になるでしょうし。

15

デフレの原因として技術進歩は?

たとえば空中窒素固定法が実用化されたとき、あらゆる農作物やその製品の価格は下がったはずです。
化学繊維など何でもそうでしょう。

14

ヤマトとガンダム、戦艦とロボット両方のプラモデルなどを持った少年は少なくなかったと思います。
同時に遊ぶことはなかったのでしょうか?
もちろん怪獣や現代の戦車、基地なども。

それをゲームで実現することは不可能でしょうか?

元々「スーパーロボット大戦」自体がそんなものだと思います。

13

今「私は科学を信じています。量子力学・相対性理論・熱力学の四法則・ビッグバン・進化論を信じています」と告白することは、天孫降臨を信じていると真剣に告白する以上にばかげたことなのでしょうか?

「おいおいおい、お前は今時科学を信じてるって?信じらんねー!何百年前の蛮人だよ」と言われるようなことなのでしょうか?

さらに「私は血液型・占星術を信じていません」と言明することはそれ以上にとんでもないことなのでしょうか。

アメリカで「この世界を作り、アダムに息を吹きこみイブを作ったのは神であり、神のひとり子イエスが復活して全ての人をアダムの罪から救った、そのすべてを私は信じません」と言明するのと…は違いますね。

日本における科学・知識そのものに対する拒絶は、要するに「空気読んでない」という感じです。
空気が科学・勉強・知性などを拒絶しています。
思想的なものでもあり、なんというか人を断罪するためだけに言葉があるような。

12

経済学には演繹法しかないのでしょうか。
「うまく行った経済の共通点を探す」という帰納法は?

というより、なぜ物理の世界ではあれほどうまく行く数学モデルが経済だと何の役にも立たないのやら。

そして消費税がどうの財政がどうのリフレインフレデフレがどうのより、本当に問題なのはただ一つ、脱落者は死なせるか生かすかです。
死なせるならガス室か福祉を削減し放置して餓死させるか。生かすならどうやるか。

11

位取り記数法ではなく、0〜9だけで表記し、数の級数としての面を重視するなら、ひとつひとつの項の情報は

「0から9のどの数か」
「十の何乗か(ちなみにマイナス一乗にすることで分数も表現できる」

であり、その総和全体に

「プラスマイナス」
「くくり全体を何乗するか(何乗根を分数・複素数表示できる)」
になるでしょう。
さらに複素数を考えるなら極座標表示、プラスマイナスも虚数単位も角度で表示するのが一貫します。
ただしそれは数全体を一つで表すやりかたで、紙に文字で書くのとは恐ろしく相性が悪いです。
やはり紙に書くためには平面座標に変換しての複素数表示のほうがやりやすいです。

十の十乗以上を、十以上の数を直接位取り表記しないのであれば、指数の肩に指数および級数を乗せるほかありません。
一見煩雑ですが記号は節約されます。

あと、「そろばんをそのまま図案化」したものや、八卦そのものも記数法としてはいいはずです。
昔中国の皇帝に数学の天才がいて、八卦を数字として使えば誤解しようがないと気づいていてくれていたら…よしない夢想の一つです。

そうやって理想的な記数法・単位系を考えさせるのも、悪くない頭の体操になると思いますけど。

10

今ロシア・中国などは、左翼活動を通じた日本征服のためにいくらの予算を毎年払っているのでしょう。
どの部局が?

北朝鮮が韓国をひっくり返すために相当な金を使っていることには疑いはありませんが、具体的な額はどれぐらいなんでしょうね。
そして中国やロシアはそれに追加出資しているのでしょうか。

反グローバリズム運動も同様だとしたら、金を出しているのは誰でしょうか?

というかサミット前で騒いで捕まっている人たちは、何を主張しているのでしょう。
その人たちが書いた本やパンフレットを読んだことがないのですが。
少なくとも日本の書店には回らないようです。

ほか、この世界にはどんなそういう、金と思想で世界を破壊しようというプレイヤーがいるのでしょうか。

思想そのもので考えてみましょう。
日本ではロスジェネ論壇だの言われていますが、世界で若い思想家は?

というか、昔キリスト教がローマ帝国を滅ぼし、イスラム教が大帝国を築き、啓蒙思想がフランス革命からの嵐を起こし、マルクスがロシアや中国を変えて他の世界も広く引っかきまわしたように、思想が世界を変える影響力を持つ時代はもう終わったのでしょうか。
これから一人の思想家や教祖が出て、それが世界地図の大きい部分を塗り替えてしまうことはもうないのでしょうか?

ないとしたらかなりつまらないのですが。

9

標準理論と矛盾しかねない実験結果のニュースを、ここしばらく散発的に見かける気がします。

磐石だと思い込んでいる標準理論の最先端は今一体どうなっているのでしょう。

8

小沢氏がまた民主党を割り、自民党と合流して政権を奪還する可能性はあります。

選挙自体は民主・自民とも増税で選択肢のない選挙にも思えますが、それと大連立の可能性を考えれば、何もないわけではなさそうです。

と言ってもそのどちらが起きたにしても、選べる状況にはなりそうにないですが。
民主国家で政治が悪いのは国民の責任といいますが、いつも選択肢がないのはなぜでしょう?

少なくとも「反米自主防衛」が、議席を取れる可能性があったことは一度もありません。
コンピューター直接民主制も。
ベーシックインカムも政権の可能性は皆無です。
技術水準を低下させる側の環境主義も投票先がありません。

それ以前に、本当に舵は取れるのでしょうか。
いまここにあるのは、「(大店舗などで、子供たちを大人しく遊ばせておくような部屋の)壁にあるダミーのハンドル」でしかないのでは。
それをどう回しても、何も動きはしないのでは。

もう一つ思い出すのが、帆船にとっての最悪の事態の一つです。
風が全くなく、潮の流れと波で、のこぎりのような暗礁が突き出た崖に向かってる状態。
船の速度が遅いので、舵をどう回してもどうにもなりません。ただ横にゆっくりゆっくり動くだけ。
これは転覆と同じであり、奇跡的に風が回復しない限りは確実に全滅です。

今の状況はまさにそれでは。

日本も…そしてアメリカも。
大きく舵を切ったはずのアメリカは今どうなっているでしょう。
オバマ政権は何をしているでしょう。あまりにもその業績が伝わってきません。

7

左右ともポルノ焚書に賛成であることには変わりありません。

ポルノ焚書という性欲と同水準の欲望が先にあり、右や左というのはその欲望を出すための夾雑物だとぼくは思っています。

僕は単純に「焚書坑儒が嫌い」というだけです。

左右ともといえば、貧困や福祉もです。

左は「福祉国家は共産主義への道を阻む資本主義との妥協」という古すぎるイデオロギーや労組重視、年金を守れ、軍事を廃すればなどバカなことばかり言って、今貧困過労で苦しむ人には一銭も与えようとしません。

右もなんだかんだ言って、要するに今餓死しかけている人に水一杯与える気はありません。
特に新自由主義者に対しては、絶対に彼らはセイフティーネットを作らないと深い不信感があります。

少なくとも「ものを考えるな」「敵と戦え」「正義を実現せよ、道徳を高め世界を浄化せよ」その手の叫びは、右が言おうと左が言おうと僕は嫌いなんです。

6

病院内での娯楽として、有線でテレビ・ラジオ・インターネットにつながる、ネットブックか更に小さいサイズ…iPadみたいな…のは便利だと思います。
集団病室でも一人一人ある程度のプライバシーを持って娯楽を楽しめます。
テレビ争いがないだけでも大違いでしょう。

ヘッドホンで動画やワンセグTVを見れる携帯プレイヤーの上位機でもかなり違いますよ。

5

本質的には、人は「核のボタンを持つ人」と「持たない人」に分かれます。
持たない人が持つ人に逆らうすべはありません。
持つ人同士が争うことをやめて、持たない人にただ従えと命令すれば、だれも逆らえないのです。

どうしてそうしないのでしょう?

人間は「理不尽に圧倒的な力を行使する神」には素直に服従する動物です。核を持つ人々が手を組んで、それになってしまえばいいのでは?

といっても、実際には世界中の核兵器をフルに使っても、大したことはできないんですが。
核兵器で人類が滅びる、という言葉も疑ったほうがいいでしょう。
核の冬効果もどれほどかははっきりしません。
ある程度以上の都市・港湾を完全破壊することはできても、分散した地方農民を皆殺しにするのは困難です。

というか今本気で、核戦争後のシミュレーションはどれぐらいされているでしょう。
核テロから米中全面核戦争まであらゆる段階の。

4

イスラム圏だろうと、中国だろうとアフリカだろうと、欧米に勝ちたければ富国強兵・和魂洋才…科学を受け入れ、欧米文明の文物をリバースエンジニアリングし、より強い兵器と軍隊を作るために社会を作り変えるべきだったのでは。
でもそれがどれほど難しいことか…

逆に本来の神の道を失った日本は、技術や経済で置いていかれたアフリカやアラブの国よりも取り返しがつかないのでしょうか。

近代化によって豊かになる希望がある地域と、それがない地域があるようにも見えます。
世界の半分は、今のまま……温暖化・石油枯渇問題は無視して……百年経った後も、今と同じように貧しいのでしょうか?
もちろん五十年前は、もう三十年もすれば世界中が豊かな生活を送っていると信じていたのにそうはなりませんでしたが。

考えてみれば、それはなぜなのでしょう。
レトロフューチャーが実現していないのは、技術の進歩が予想より遅い(当時の想像に現実には不可能であることが多かった)からでしょうか?

あと、気になるのが、よく歴史を語る言葉として言われる「植民地主義で先進国の富裕者が現地民を搾取したから旧植民地は貧しいまま」ですけど、それは本当でしょうか?
植民地を求める動機に市場がほしかった、ともいいますが、植民地の現地民を貧しいままにするのはそれと矛盾していないでしょうか?
もっと単純に、植民地は地理的に悪かったから豊かになれなかったということは?

そして今、南米諸国ではまだ冷戦が続いているのでしょうか。
誰がイデオロギーの源になっているのでしょう。
中国はソ連の代わりになっているのでしょうか?
それともキューバ一国で思想的な盟主の役割を?
共産にしても反米にしても、イデオロギーを保ってアメリカに反抗するにはソ連の金や武器が必要だったのでしょうか。今はどうなのでしょう。
今南米やアフリカ諸国は何を信じているのでしょう。
それとも、貧困と腐敗と麻薬だけで充分なのでしょうか……種が蒔かれていれば。

そして戦争は本当に儲かるのでしょうか。
特に短期ではなく、長期間続く戦乱と無秩序と貧困は。
儲けるのが「欧米の死の商人」であったとしても、もし「彼ら」がこの状態を作って搾取しているのだとしても、「彼ら」は本当に儲けているのでしょうか?

アフリカや中南米が貧しく混乱しているのは、本当に先進諸国にとって得なのでしょうか。
彼らが石油やダイヤを売ってAKを買って殺し合うのと、冷蔵庫の部品を作って太陽電池を買って選挙をし、ついでに最新鋭戦闘機も買うのと、どちらがお得なのでしょう。

といっても実際には、アフリカやアフガニスタンが自力で豊かな近代国になるのは無理でしょう。
無限のエネルギーを得られればですが、欧米が再征服して今ある国家を解散させ、そこにいる人間全員に強制的に、ほとんどマンツーマンで手取り足取り近代的な法治国家での生活を教え直すほかありません。
それも二世代かけるつもりで。

また誰もがほぼ疑問なく信じていること……イスラムの近代化は不可能、でもそれは本当でしょうか。
そしてなぜ?イスラム教とキリスト教は同じ神を信じているのに、何がそれほど違うのでしょう。
イスラム教はかつては、暗黒時代に呻吟するキリスト教を尻目に現代に通じる高度科学の限りを尽くした大文明を築いていたのが、なぜ科学に背を向けた停滞と抑圧の泥沼に沈んだのでしょう。
何があったのでしょうか?
中国もそれは同じです。

3

本当に軍事費と市民生活水準はトレードオフなのでしょうか?

戦争・軍事拡張と経済の関係は実際にはどうなのでしょう。
左側は軍事をやめて福祉に回せば国民生活は向上するとか、戦後日本の復興は軍事費が少なかったからだとか言いますが、それは事実でしょうか?
軍事費が少なかったから復興したといいながら、逆に軍事費が多すぎると文句をいうのはおかしくないでしょうか。

軍事費が多くて興隆した国もあるし、軍事費が多くて没落した国もあるのでは。

終戦後の平和が民間経済にダメージを与えた例として、ナポレオン戦争後のイギリスがあります。
本土が蹂躙されず、人的被害も最低限で、戦争続きで、技術革新の調子がいいと経済が上向きになることもあります。
少なくとも第一次の日米・第二次大戦のアメリカ・朝鮮戦争での日本は大得しました。

冷戦ではアメリカは財政赤字はひどいものの民間経済と技術水準は向上、同じ条件だったはずのソ連は没落しました。

何がそれらを分けたのでしょう?
戦争で国全体が得をするケース、少数の富裕層が得をするケース、誰もが損をするケース…いろいろあり、それを分ける要因があるのでは。

2

拳銃やライフルの形は理想的なのでしょうか?

拳銃は元々、一発しか撃てず信頼性も低く、撃ったら棍棒として使うために棒状でなければなりませんでした。
それが銃身に垂直なピストルグリップに進化しました。
ライフルも本来そうで、銃剣をつけて槍として使うものでした。

でも今は?
今の技術では、P90スタイルがいちばんいいのでは?
まああれはあれで弾倉交換が少し手間取りますのでその点をどうにかしさえすればですが。

あと、極度に銃床が短いし、ソードオフショットガンと考えてもグリップが握りにくい火縄銃ってどうやって撃ってたんでしょう。
というかなぜ最初から散弾銃じゃなく火縄銃が発達したんでしょうね。
ライフリングが無理なら散弾銃のほうが扱いやすそうですが。

サボ=フレシェットも低技術水準では無理だったのでしょうか…

1

歴史という物語は、どれになるのでしょう。

問題は貧富、国家かどうか、資源の限界で滅びるか技術進歩で乗り切るか、そして宗教道徳の四つのようです。