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31

自転車の歩道通行を禁じ、道路交通法を守るように。
それがどのようなことか、わずかでもわかって言っているのでしょうか。
僕は、実際に自転車で道を走ってイメージする瞬間まで、まったくわかりませんでした。

自転車終了のお知らせ、です。
それは自転車に依存する膨大な都市生活者にとって、人生終了のお知らせです。
一キロ離れたスーパーでも、半分以上自転車を押して歩くほうがましです。
なら台車を押して歩いたほうが、ずっとましです。いや、台車は軽車両でしたっけ?

左側車道通行。右折禁止、左折のみ。信号十字路で右折したければ信号を二度待て。横断歩道による車道横断禁止。一時停止、一方通行厳守。
普通にやっていることの多くが明白に道路交通法違反です。
道路交通法を守れば、見えているスーパーにたどり着くのに何時間かかるか見当もつきません。
古く混み合った市街地での、自動車での一方通行迷宮と同様です。
自転車という乗り物、少なくとも「大荷物容量の準歩行者としてのママチャリ」の存在意義は、ほぼ完全に消滅します。

おそらくそれで、弱い立場にある人の相当部分は実質外出できなくなるでしょう。
自動車も自転車も持つ人は、近所のスーパーではなく自動車でいける郊外ロードサイド大型店に行くようになり、街中店の消滅と郊外ロードサイド大型店への移行がますます激しくなるでしょう。
ママチャリの役割を担う、何らかの発明があるかもしれません…でもそれは無理でしょう、警察+世間+マスコミは、こと道路に関しては新規発明を一切容認しません。何が発明されても危険だとバッシングし、消し去ってきた歴史があります。
学生生活や通勤はどのように変化するでしょうか?知らないとしか言いようがないほどに、膨大な変化となりえます。
それが歴史そのもの、生活全体をどう変えるかは、もう予測不能です。

自転車用道路を徹底して整備してからそうしてくれるならともかく、この財政危機では自転車用道路などありえません。
法律遵守という、精神的な支配の強化のために、社会構造を一変させ膨大な人々の生活を恐ろしく不便にすることになります。

無論これまでの自転車無法が多くの人の生命を奪ってきたのは事実でしょう。
僕自身、歩道での自転車同士の衝突でかなり痛い目にあったことはあります。あれも百回繰り返せば三回ぐらい死や失明、身体障害、莫大な賠償金だったかもしれません。
しかし、自転車用道路を整備することができなかった以上、自転車の違法運転で、助かった人命すらそれ以上に多かったはずです。

単純なことです。自転車が生活の中にあり、自動車運転免許を持っている人は、一度教本で道路交通法の軽車両に関する部分を復習してから、明日普通の生活の中の自転車行動を、完全に法律を守ってやってください。
十倍ぐらい時間を余計に見たほうがいいと思いますよ。

30

大震災・原発事故は「科学の敗北」といわれます。
でも、単にそう言いたいだけにしか思えません。科学が嫌いだから。

実際には、「人間という非科学的な動物が、これが科学だと名前をつけた代物、支配的な擬似宗教」が機能しなかっただけのことです。
防潮堤頼みで逃げない……想定外の検討を禁じ電源対策もしない……それが科学だと言われたら、科学は怒ります。
否定するのは「組織の病理」であるべきで、「科学」はそれとは別です。

また人類が何か……より高く、より遠く、という思いを失ったのは、アポロ計画終了の時でしょうか。
SSC中止でしょうか。
チェルノブイリでしょうか。

未来。希望。宇宙。科学。進歩。なぜ否定されなければならないのでしょう。
それを否定し、ひたすら現状維持をしていて、それから?地球も太陽の寿命も有限です。

無為自然、自然と調和した理想世界ができれば、そこから先は考えたくもない、というのが本音でしょうか。
科学を否定するのが賢く見え、論壇という小さい村で褒められる、それ以外にあるでしょうか。

人類という動物は骨の髄から、科学が嫌いなんです。それだけですよ。

29

大震災で、日本人の庶民層が桁外れに道徳水準が高いことが証明されました。
買占め?風評被害?同等の大震災でやられた外国と比べてください。無政府、暴動略奪が一切ないのです。

それでも、我欲だのなんだの言った政治家が当選しました。

日本人が、「当たり前」として求められている道徳水準が、桁外れに、狂っているとしか思えないほど高いのです。
神で当たり前なのです。

28

救世主が来れば、選ばれた人はすべて欲望などない「キリスト教ヒトモドキ」となる……がまあ信仰の根本です。

ユダヤ教の、前のほうではせいぜい「我らイスラエルの民を最強にし、世界制服・他民全部皆殺しをさせてくれる指導者」が救世主でした。要するにジンギスカンや、ナポレオンやヒトラーが成功したような。
旧約聖書の中にも、「剣を打ち変えて鋤とし」「子羊は獅子と共に臥し」と、人間から物欲や暴力欲がなくなる理想郷を夢みる部分も混じったようですが。

独占資本を倒せばとかなんだかんだ、要するに「何か」さえ起きれば、PRGで魔王を倒し光の玉が輝けば魔物が出なくなるように、全人類から財産・性・支配・国家・暴力すべての欲望が消え失せ……「イマジンヒトモドキ」に変身するので社会問題は全部なくなる、というのが、要するに左側の根本です。
それに進化とかの科学ガジェット、さらにポストモダン用語の絢爛豪華を結びつけたらますます意味不明になります。

右側も、結局は「保守道徳ヒトモドキ」を求めていることがとても多いですし。というか体育会系の「完璧で当たり前」はそれ自体がヒトモドキ要求ですし。

単純に、人間はそれが好きだ、というだけのことです。
そしてそれを求める心が暴走したら、常に最悪の拷問虐殺だということも普遍的な事実です。

まあ、時代精神は変化します。どこまで可能なのかはわかりませんが。

また、確かに宗教などの影響で、人々のあり方が集団で一変することはあります。しかしそれは、人の思想的部分が求める「**教ヒトモドキ」とは全く違う、「ホモ・サピエンス宗教暴走態」でしかありません。
ちょうど、普通のバッタが密度などで、体の構造自体が羽が長くなるなど変わり、とんでもない数集まって全てを食い尽くしながら大移動する…蝗害、イナゴの大発生と言われる現象と、ほとんど同じです。
人間の本性、遺伝子レベルの脳構造に、ある刺激を受けるとそういう精神状態になり、集団暴走するとプログラムされているのです。
それと「ヒトモドキ」は区別しなければ。

原発をなくすには日本が変わらなければならない、というような本も見かけましたが、それは「時代精神の変化」で可能な水準でしょうか。それとも「ヒトモドキ」を要求しているのでしょうか。
後者だとしたら、それは破滅にしかならないでしょう。

27

小林よしのり氏「ゴーマニズム宣言」は常に「ネットでの匿名発言」を差別的なまでに否定します。
「SAPIO」の昨日発売された号では特に、居場所と仲間を持たないネット匿名言葉は力がなく無価値だと激しく全否定しました。
それは僕にとっても死刑宣告です。

僕、少なくとも「言葉を書く僕」が、居場所と仲間を得る可能性は皆無です。どんなにどんな努力をしても、スティーヴン・キングの巨大倉庫に、彼が百二十年生きても彼が手に取る確率が万分の一の、ゴミが加わるだけです。
そして僕自身にとって、「言葉を書く僕」でない、「働く私」には何の価値も感じられません。終日口を開かず、正体を晒さないことでなんとか首になっていないだけです。
それ以前に「書く僕」の言葉はゆがんでおり、他者には理解不能といっていい……日本語ではなく、僕だけしか話者のいない言葉であるに等しいのです。
それは僕が、「思想の人間工学」を半ば意図的に無視しているからでもあります。有り体に言えば、僕は読者を配慮して書く習慣が全くないのです。
そして、現実の事象ですが魔術の言葉で解釈するのが簡単な、人が意識しない共通前提を意識化し、拒絶しているからでもあります。

そして、膨大な、ただネットに汚水を垂れ流すことしかできない者…「書く僕」もまぎれもなくその一人です…がいるのは、小林氏が示唆するように小泉政権のせい、要するに新自由主義的で国体を損ない続ける日本政治・社会の動きのため、アメリカの洗脳支配とシナの陰謀のためと、悪役に怒りをぶつけるのは、偽りです。

若者が「居場所」「仲間」を失い、尊厳なき下層、非プロに落ち、「砂粒」に分解されていくのは、技術の進歩によるほぼ必然的な歴史の流れです。
それこそ、鉄コンテナが発明された時点で決まっていたといっていいでしょう。それと遠距離通信技術、旋盤ロボットなど生産技術で世界が変わったのです。
それどころか、はるか昔と言っていい「モダン・タイムズ」の時点から、人間の中のある部分が、大半の仕事では満たされなくなっていきました。その、創造的な部分を満たす仕事の率は、IT化でさらに加速度的に低下しています。同時に給料も下がっています。
歴史の巨大な流れとして、それまでの大半の「職業人」が、職能のみで評価されるようになり、世界の膨大な極貧層でも可能な単純労働・モダンタイムズの仕事・未来のないマックジョブでないディーセントワークが稀少になり、使い捨てられるようになっただけです。
といっても、別に昔が楽園ではありません。単に昔は、全員が内心まで束縛されて同じ儀式を強要され、極端に平均寿命が短く、激しい肉体労働で余計なことを考える余裕などなく、情報自体が少なくまして紙代が貴重で発信などできない、というだけのことです。
それまでの、「残酷で考える余裕のない」社会が破壊され、さらにソ連の崩壊で希望といえるものが宗教原理主義以外なくなり、思想的な情動……人間には根底的に、思想したいという欲求はあります……をまとめ導く道が消失しました。洪水で堤防が破れ、それまで束ねられ滔々と流れていた川水が平地を無節操にさまよい淀み腐り、低きに流れるように。

そして、紙の時代とは異なり、誰もが言葉を出すことができるようにもなっていき、それでいて一日が二十四時間なのは変わりませんし、人は他人が読む本を読む群れ動物ですから、書いて読まれる力がある人はごく少数のままです。だから小林氏が好む「プロ」である言論者は、それこそ小林氏が否定する、カビの生えた論壇人が大半です。
「カビの生えた論壇人」でない「書き売るプロ」は、実質小林氏しか存在し得ない、それほどその……「書き売るプロ」の、存在しうる人数はプロ野球一軍ベンチ並みに少ないのです。
かといって、新しい言論をネット主体に作ろうとしても、プロでないので小林氏は認めません。
職場や村、そして共産党も力を失い、紙から電子になった以上、「居場所」「仲間」がない、また「書き売るプロ」にもなれない人が膨大に出るのは必然です。

さて、その人たちはどうすればいいでしょう。
小林氏は、「ゴミを拾う」自衛隊教育、自衛隊の英雄たちを公民と称賛し、非正規雇用で呻吟しネットに韓国に対する差別発言を書く人々を衆愚と貶めます。そして衆愚たちに、ゴミを拾い、リアルな居場所と仲間を手に入れろと言います。
しかし、実際にその努力をしても成功するのは、統計的にごくわずかです。
ゴミはクリエイターになるのも、働き居場所と仲間のある地の塩となるのも、どちらも統計的に多数が落ちる狭き門なのです。
自衛隊に徴兵し、全員に正しい教育をしても、大半は落ちるのです。クリエイターの椅子もディーセントワークの椅子も少ないのですから。

変化していく経済、向上していく技術が、魂を込めるに足り家族を養える仕事を統計的に減らしているのです。そのようなディーセント・ジョブでなければゴミを拾い真面目に頑張っていても経済情勢一つで理不尽に解雇され、絶望するだけです。仲間を作ろうと呼びかけてもうまくいきません。労働組合も共産党も力を失っています。
戻れる日常、仲間と居場所を得てプロの職業人、公民となる道は統計的に狭き門なのです。

また、人はパンのみで生きるものではありません。創造的な部分も、少なくとも衣食足りて激しい肉体労働でなくなれば必要とされます。それを満たす仕事はさらに減っています。
昔なら漆の下地に名を刻み、高度成長期なら旋盤での精密加工で創造的な部分を満たすことができたかもしれませんが、途上国の最貧層と競合する徹底した超モダンタイムズ仕事に、その余地はありません。マクドナルドは下地に名を刻むことを許さないのです。
旋盤工はたくさん必要でしたが、車のデザイナーは数人です。
また旋盤工を労働組合と共産党がまとめていれば仲間や居場所となり、思想的な部分も満たし、集まって政治を動かす力ともなりましたが、非正規社員にそれはありません。

もちろんどこの出版社に著述を送っても無駄です。小林氏が認めるような、プロの書き手となる可能性は実質皆無です。
プロとして価値を創造でき、歴史を力で動かせるのはごく少数しかいない超強者だけ、残りはプロを到底名乗れない単純労働者、価値のない下層、歴史から切り離された砂粒となるのが、歴史の必然です。

あと、公民と衆愚を分ける前提自体、僕はとりません。昔も今も人はほとんどゴミです。特攻隊員たちも多くは周囲に流される欠点のある普通の人間、遺伝子的には今のネットバカたちと変わらないでしょう。教育が違えば人間の質が違う、とは僕は思いません。
いつでも大半はゴミ、中に、タイミングと周囲の状況、群れの力学がうまくまとわって英雄となった人がいる、という程度のことでしょう。
今は、ゴミがワクチンで生き延び、田畑を耕さなくても石油で食えるようになり、パソコンを得ただけです。

さて、どうしましょう。

「書く僕」は「承認欲求・神秘欲求を全面的に断念し、読まれていないことを承知で書くことで現実を忘れ、切り離したわずかな部分で仕事だけして、食欲だけ生存できる程度に満たす」ことを今は選んでいます。「汚水を垂れ流す砂粒」であることを承知で。生殖を諦めポルノでごまかしているし、第一ホモ・サピエンスという動物は群れ動物なのに群れに属することを断念しているのですから、動物未満です。
ちなみに今の私の仕事は、全人類の上位5%には入るでしょう。ただ、「書く僕」とは関係ないだけです。
理性的、客観的に見れば「書く僕」には、死ねゴミ以外にかける言葉などありません。

「妄想や憎悪に浸り、集団心理に流され、誇大妄想に支えられて書き生きる」のも、むしろそのほうが快楽だろうなとうらやましくもなります。角の三等分やフェルマーの最終定理、相対性理論の反証、9.11テロの真相を書いてあちこちに送る人々がうらやましくなることがあります。といっても、「書く僕」も客観的にはその一員、ネットに汚水を垂れ流しているだけの屑です。

「天下国家を忘れて、ひたすら仕事」というのは、単純労働の比率が容赦なく上がり情報が増える技術史が現実なので、人間には無理です。人はパンのみで生きることはできません。プロになる努力をしても、成功するのは万に一人です。残りの9999人はどうしろというのでしょう。ゴミを拾う超モダンタイムズ単純労働者で生きていけ、というのは過酷にすぎるのでは。

「自殺」および「依存症による死」も魅力的です。
多分自殺が一番、石油の無駄は少ないし、言葉の世界を汚すこともないので環境にはよろしいのでしょうが。
自殺の方がいいかな、と思うこともありますが、それはそれで家族には迷惑なので……いや、酒やパチンコの中毒になり、徹底的に家族や社会に迷惑をかけて死ねば、家族もむしろほっとするだろう、とも思います。
ただそちらを、今日は選ばなかったというだけのことです。
価値がないことはわかっているし辛いだけですが、まあ生きてしまった、というだけです。多分そんなことができるのも、価値がないことがわかっている、というのが言葉でしかないからでしょう……感情で実感したら、生きられないでしょう。

怒れ、といわれても、道は原理主義的宗教の狂気と破壊しかない……小林氏が最も憎む。
新しい職はプロを減らし、無条件福祉は尊厳を与えず、ファシズムは必然的に暴走します。それが、泣いてもわめいても変わらない事実です。

小林氏が主張するように「国体」でアメリカ・中国と二方面全面戦争をし、近代科学に背を向けた大日本文明を築くことで砂粒たちに尊厳とプロとしての職、居場所と仲間を……抵抗は無意味、としか言いようがありません。
暴力団としてアメリカ・中国・日本を比べれば、軍事力でも情報力でもどちらにも勝てず、二正面戦争などあの時同様絶望です。
さらに歴史の流れにすら逆らっています、神風連の日本刀や義和団拳法、先住民の石槍、カミカゼや竹槍では近代兵器に勝てないのです。近代科学に背を向ければ北朝鮮同様餓死するだけです。
やっても神風特攻と玉砕をくり返すのが落ちですし、戦いの必然で道徳が暴走したら小林氏は処刑されるか、もっと悪いことに祭り上げられて力の魔酒に歪み狂うでしょう。

僕が言ったように植林に徴して「人類に貢献している」実感を尊厳とすることも、現実には下放の地獄絵図にしかならないでしょうし、「思想の人間工学」が拒みます。

で、価値のない砂粒どもが、皆現実を直視し、プロになろうと努力した末にほとんどが失敗して自殺すれば、多分小林氏の読者もほとんどなくなり、プロとして書き続けることはできなくなるでしょう。
小林氏は砂粒に同情はしているようですが、明らかに処方箋が誤っているのです。本当に誤っているのか、わかっていて売れることを言っているのかは僕には永遠にわかりませんし、多分本人に聞いても怒るだけでしょうが。
砂粒を無視している「カビの生えた論壇人」どもと、どちらがましなのでしょうね。

理性的には、僕も含む砂粒どもは「蒸留酒が蛇口から出る収容所で安楽死」か、「原理主義宗教・朝鮮差別・陰謀論のような、思想の人間工学に合った言葉の麻薬を流し込み、B層として小泉手法で操り使い捨てる」以外にないでしょう。
本当は、「プロ」でない「ゴミ」…人間の大半からは、「創造したい」「自分は特別なんだ」という部分を脳から除去して、超モダンタイムズ単純労働と食物だけで満足する蟻に作り変えるほうがいいのでしょう。でも技術的には不可能です。「創造したい」「自分は特別なんだ」は普遍的な人間の本性で、さらにそれが強い人も一定数います。まあ、陰謀論だの差別だの外敵だので、ある程度飼い慣らすことはできるでしょう…危険ですが。
小林氏はそうは描けないでしょうがそれも、そんなことを描いたら売れないからともいえます。

ついでに、僕の……「毎日小太刀木刀を素振りしている」部分も、承認される可能性は皆無の幻想ですが、承知で続けるしかないです。

もう一つ確信していることがあります。「書く僕」や「木刀を素振りしている僕」が認められ……あり得ないですが、「諦める」のは感情の仕事で、感情というやつはそれができません……栄耀栄華を得ても、それでも根源的な空しさは消えないでしょう、美酒に酔い人格が歪んではいくでしょうが。
根源的な空しさからは、人間は決して逃げられません。
それを満たすのは神だけで、回心したら今までの自分が誤っていたと「わかる」でしょう。でも今の僕は、それが脳神経細胞の暴走だとわかっており、回心を交通事故同様に恐れています……自動車を蹴り飛ばせない、喉に水が入った時の反射を制御できない、水中で一時間息を我慢して生き続けることができないのと同様、抵抗は無意味だとわかっていますので。

26

前にスティーヴン・キングが飛行機でたまたま読んで面白かったので出版者に推薦しシリーズになった本と、彼が一生読むことのない、読もうとしても読みきれない玉石混交何百万の原稿のことを考えました。

事実をまず。
小説の世界は、「複製が実質無料」「識字率がとてつもなく高いまま」「一日は二十四時間のまま」です。
そのせいか、「少数のベストセラー作家の作品は、多くの人が金を出して買う」「多数の作家志望者の作品は、タダでも皆読まない」となっています。
複製が楽になったとき、読者が希少資源となったともいえます。
ベストセラー作家の新作を追うので精一杯で、他をチェックする余裕がないのかもしれません。
それとも読書は社会的行動であり、他人が評価する作品を読んで話題を合わせるのが目的だから、でしょうか。

さてどうすればいいか。
この状態は最適でしょうか?

いえ、膨大な傑作が埋もれているので最適とはいえないでしょう。
つまらないものを書いている作家志望者も、「現状ではつまらないが、ここを改善すれば面白くなる」も、「根本的に才能がないから辞めたほうがいい」も聞くことができず、心地よい陰謀論的な被害妄想と誇大妄想に浸ることができ、それはどちらにとっても非生産的です。心地よいかもしれませんが。
どうすればいいでしょう。

高い確率で駄作である作家志望者の作品は、金を払って読んでもらうことはできるでしょうか。
ちゃんと読んだ証拠として、作者が検索では答えられないような簡単で、第三者が簡単に採点できるほど明白なテストを作って、合格したら払うということで。
それで面白いかつまらないかを論評し、面白ければより多くの人が読む、と。

また、「読んでもらう」という希少資源を通貨とする手もあります。
作家志望者に、「あなたが私が書いたのを読んでくれたら、私もあなたが書いたのを読む」とすることです。
本来なら、「同人」というシステムはそれでした。

でも今は、少なくともネットではそのシステムが見つかりません。
「金を払って読んでもらう」のが一番現実的だと思いますが。

25

不要な者は自殺させよ。自殺せぬ恥知らずは焼き殺せ。分をわきまえよ。
それが新しい時代の道徳になるのでは。

新自由主義・新保守主義が、選民主義・貴族制になるのは必然に思えるのですが。

僕には新自由主義の本音はそうとしか思えません。
口ではいくらセイフティーネットを整備せよと言っても、それが不可能なのはわかっているはずです。
原資もありません。
消費税を上げても、変なところに吸われるだけなのが、日本の政治的な現実だとわかっているはずです。
極貧層を餓死させない、ホームレスの福祉には各論反対、どこの管轄にもならないので一歩も進まないのはわかっているはずです。
生活保護自体に反対する声が多い、少なくともこれ以上増やすことが政治的に不可能なのもわかっているはずです。

日本という国では、骨の髄からセイフティーネットは不人気政策だ、とわかっているはずです。

もう一つ、連帯保証制度も新自由主義者は忘れています。それと経営者個人保証主義も。保証人制度も。
それらがある限り、「時代に合わない弱者は退出」というのが、無数の自殺でできた地獄絵図だともわかっているはずです。

もし新自由主義者が本当に善意だとしても、結果は膨大な自殺・餓死という選民主義であり、その混乱が道徳を強め、それによって貴族制度を補強して「分をわきまえよ」となるほかありません。

といっても、新自由主義に反対する側も…旧来型自民もサヨクも、どちらが政権をとってもうまくいかないのはわかっていますが。

せめて最弱者も生きられるように、と言っても、日本人はとことんその言葉を嫌うのです。

24

意外と誰も、「主食はいくらするのか」は考えていません。
この来たアフリカでの民主化動乱に、パン価格が関係しているという話すらあるのに。

僕も、今日の食費がいくらなのか、正確に言える自信はありません。
普通の米ご飯だといくらでしょう。最も安い米で10kg2500円前後、普通は4000前後でしょう。無論一万円を超える高級米もあります。
奇妙なことに、玄米は白米に比べて、一番安い部類が割高になります。10kg3000を割る玄米は、店頭では見たことがありません。

パンは?一斤(半斤の一袋)が、安い店なら88円、標準で125円から200円、いい店なら300円以上はあります。
パスタはもっと安いかもしれません。5kgで850円とかも見たことがあります。そう考えると米より単価が安い…のでしょうか、炊いたご飯と茹でたパスタで比べたらどちらが重量増は大きいのでしょう。

不思議なのが、かつての日本では「高価な米を食べ過ぎないよう加える、貧乏の象徴」だった押し麦・アワ・ヒエなどが、米よりはるかに高いことです。ライ麦粉やソバ粉も非常に高価で、主食にするのは技術があってもかなり高くつきます。

ジャガイモやサツマイモを主食としたらどうなるでしょう。流通路によるかもしれません、農業地帯の道路沿いの大型店では、箱でとんでもなく安いものがあるでしょうし。
無論農家に親戚がいれば、まあそれは別ですね。どれだけ日本経済にとって重要でしょう?

もちろんインスタントやシリアルは論外なほど高価です。

そして、小麦粉を自分で買って、パン焼き器でパンを焼くのはどうでしょう。小麦粉を、特に20kg単位で買ったらどの程度安いのでしょうか。
問題はイースト、あれがかなり高価です。
そしてスーパーでは常に小麦粉は1kg、なぜでしょう?
これほどパン焼き器が多数売れ、炊飯器やオーブンレンジにもその機能があるのに、パンを自分で焼くライフスタイルは想定されていないのでしょうか?

さて、では何が一番安いのでしょう。パスタでしょうか?パンでしょうか?

ここで疑問なのが、絶対にそのどれよりも安いのに、誰の手にも入らないものがあるということです。デントコーン。
飼料・工業用のトウモロコシ。桁外れに安いはずです、バイオエタノールが余剰トウモロコシの処理のためであると言われるほどに。
でも僕は、それをスーパーで買うことはできません。

23

1980年代を描こうとすると、今から見ればもう歴史小説の域です。
いや、「SLAM DUNK」と「Harlem Beat」をクロスオーバーさせるのも不可能です……携帯電話、クオーター制と、生活とバスケットボール両面で巨大な変革があるのです。
「魔法騎士レイアース」ですら、今の生活とはかなりのギャップが出てきてしまいます。

これほどの恐ろしい進歩と、それでいて新幹線は三時間近く、というのが不思議です。
車は空を飛ばず、リニアモーターカーもなく、コンコルドは廃業しました。

22

木から降りたサルが道具ではなく、肉体の進化で草原に適応したとしたら。
その一つの姿が、草原に現実にいるヒヒ類など各種のサルです。

足…足首から先部分が長く延び、時には足の指すら伸びて速く走れるようになり、顔は細長く目は両側について視野を広くしていたでしょう。
草食なら胃腸が長く、胴体体積が大きくなり、歯やあごもそれに適応していたでしょう。上門歯がなくなり、硬い歯肉と伸び続ける下門歯で歯をちぎっていたかもしれません。
肉食なら牙が長くなり、手の爪は鋭いカギ爪となったでしょう。

人類はどれもせず、道具と言葉にすべてを集中したのです。肉体そのものは汗による長距離移動と、多様な道具や言葉の使用、調理された食べ物を前提とする短い消化器での短時間での消化吸収に徹しています。
人類の今の体すべて、人間としての生活のためにできているのです。

21

リビアでカダフィがついに死んだとか。といっても、何かろくなことがあるとは思えません。
今エジプトとかも、軍事政権状態になっているようです。
何より、民主化の方向といっても、肝心のサウジアラビアが磐石ですからね。

カダフィ自身にとっては、なぜ自分が責められているか理解不能でしょう。彼よりたちの悪い独裁者は今の世界にも何十人もいます。
むしろ、「昨日までは誰も何もいわなかった」「それなしで仕事できるわけがない」飲酒運転で逮捕され、職を失い、「昨日までの当たり前」のために極悪人扱いされる人だけがわかることでしょう。
そういえば、今度自転車で歩道を走ることを厳罰化するとかの話ですが、それも「昨日までよかったことが」でしょうね。そういうことが多い時代です。

アメリカに恭順の意を示し、対テロ戦争でもアメリカの側に立ち、なぜこんな目にあうのかわからなかったでしょう。
歴史の流れが変わるときというのは、つくづく……

20

東日本大震災で、自衛隊に対する国民意識はどう変わったでしょう。

でも、阪神大震災でも同じように自衛隊は頑張ったはずです。
それはどんな変化を国民意識にもたらしたのでしょう。

また、今回の大震災での自衛隊の活躍も、「報道された」だけのことです。
何がその報道を許す、いや報道界に強いたのでしょう。

それ以前に、戦後の大規模な自然災害の歴史における、自衛隊の活動は?
僕がそれをろくに知らないこと自体が、平和教育の強さなのかもしれませんね。

その、自衛隊に対する意識の変化は、どんな影響をもたらすでしょうか。
国防意識を高めることになるかもしれません。
反面、民主政治に対する期待が崩壊した時、「清廉な軍部」への期待となる可能性が高まったとも言えます。

問題は、日本の言葉の世界はきわめて古い構造で固まっているため、そのような国民意識の変化が出る場が全くないことです。
本屋では「英雄たち」と「やはり自衛隊は必要ない、災害救助隊に」の二つの声しか目にできません。

19

とんでもない凄腕のジャーナリストがいたとしましょう。

誰が首相になってもことごとく旧悪を暴き、一月以内に辞職させていきます。
さらにすべての議員、知事なども片端から悪事を暴き、辞職させるか自殺させるか。
加えて自衛隊や警察の幹部も次々に悪事を暴き、辞職に追い込み続けました。

それでもう誰もいなくなったところに、東海・東南海・南海大地震、さらに富士山噴火が起きました。
誰もいない国は機能せず、膨大な人が死にました。

さて、誰が得をしたのでしょう。
社会の木鐸が仕事をしただけです。
新しく、どこにも瑕のない完璧な指導者を生み出せない教育制度、選べない主権者民衆が悪いのでしょうか。
社会制度が悪いのでしょうか。
我欲が悪いのでしょうか。
それとも人間そのものが悪なのでしょうか。

今の日本はそれに近い気がします。

18

歴史に対する意義を歴史修正主義と切り捨て、事実上人間と認めない人たちは、自分が政権を取ればどのような言論弾圧・焚書をしたいのでしょう。
小林よしのり氏をこの上なく残虐な拷問の末に公開処刑し、すべての「戦争論」を積み上げて焼きたいのでしょう。
その読者も、ネトウヨと呼ばれる若者たちも、そのような書きこみをした者全員調べあげ、思想矯正か拷問虐殺したいのでしょう。
子どもたちはおろか大人もすべて、心の奥から矯正し、心の底から反省するまで責め立てて、大半は虐殺したいのでしょう。

それが、彼らにとっては正しいのです。戦う民主主義こそが、歴史修正主義に対抗する唯一の道なのです。

ちなみに逆も同じことを考えてる人が多いでしょうね。
「君の主張には反対だが、君が主張する権利は命に替えても守る」は古くさい相対主義の言葉です。もう否定され尽くしているのです。

あ、拷問や焚書なんてやるつもりはない、と答えが来るでしょうが、それは「世界が正しくなれば、歴史修正主義者など一人もいなくなり、一冊残らず自発的に捨てる」と馬鹿馬鹿しいことを信じているだけのことです。
歴史修正主義者やその著作の存在を容認する気は、同じ世界で共存する気は、ひとかけらもないんですよ。

まず認めて下さい、自分が人間であるということを。そして人間が、骨の髄から焚書坑儒、洗脳拷問、虐殺が好きで仕方がないということを。
時代精神は変わっても、人間の本性は……二十人産んで二人しか生き残らない、に戻れない以上人類の進化は止まっており、変えようがないということを。

でも認めないでしょうね。思想の人間工学……それを認めることは、イカ型火星人用のパイロットシートよりホモ・サピエンスに合わないのです。

17

なんというか、携帯電話でネットをしている人とパソコンでネットをしている人は、もう別の国ですね。
互いにメールもろくにできません。

あとテレビ・ラジオもある意味国を作っています。

僕はラジオは元々縁が薄く、テレビは数年前に捨てました。

16

「人類は滅びるべきだ」という意見が多いのです。

売れている科学者やそんな感じの人が、地球の歴史全体と、非常に大づかみな、エネルギーやエントロピーの観点から見た人間の歴史を語る本はかなり多くあります。
その結論部では、「人類はその他大勢と同じただの生物」であり、「滅びるのも定めだろう」という感じの結論が多いのです。
人類がただの生物なのは事実です。
でもだから滅びなければならないとは限りません。長いこと滅びないで頑張っている、生きた化石たちや微生物はたくさんあります。

人類全体が科学と人道に基づいて団結し、問題を解決し宇宙に進出するというシナリオより、人類滅亡のほうが望ましい、という雰囲気がそれらの本から伝わってきます。

それほどまでに科学に対する信頼、進歩の肯定、宇宙植民、SF的と見えるような過剰な想像力は、それら大衆向けの本では間違っても言えないほど評判が悪いのでしょうか。
そのような本を書く、「科学関係の著名なもの書き」の階級全体に蔓延している空気でしょうか。
ニューエイジで欧米の科学者たちにも広まり、日本でも古くからある「無為自然」「無常」の考えが好まれるからでしょうか。

人類が滅びることを、善悪で考えてはならない…
だとしたらそれはおかしくないでしょうか?
僕には、人類が滅び、地球から生命が滅びること以上の悪はないと確信しています。

その、かなり厄介な副作用…エネルギーに関しての大衆書で、「宇宙エレベータを前提とした宇宙太陽光発電」がほとんど出てこないのです。
三万キロのカーボンナノチューブを量産する技術が今はないから無理だ、というかもしれません。
でも技術の進歩は急速です。
そして、スカイフックと呼ばれる特殊なシステムなら、現存するケブラー繊維で作れるのです。

それも考えたくないほど、進歩嫌い、科学嫌い、宇宙嫌いは強いのでしょうか。

15

原発の一番きれいな処分法は、すぐ隣に一キロほどの深さの穴を掘り、全部まとめて蹴り落とすことだと思いますが不可能でしょうか。

人間の、「穴を掘る」能力自体がとことん弱いようです。
まあそれだけ、元から「穴を掘る」というのは大変なことなんだ、というだけのことですが。

というか最初から穴の底に作るか、または深い海に巨大船を浮かべてその上に作れば、事故れば埋めたり沈めたりしてさっぱりと処分できるはずなのですが。

ま、絶対安全信仰があるため、深い穴や深海という「ほぼ確実に数万年は大丈夫」が許容されないようです。
おそらく別のいかなる処分より安全でしょうが、放射能という魔術性の高い危険に対して、理性的なリスク計算は力を持ちません。

14

歴史から個人を排除する……
新大陸の絶滅動物史に、個人が一切出てこないように。

そんな歴史書は書けるでしょうか。
個人は重要でしょうか。天才も含めて。

「変種のカビ」によって食い尽くされる世界を描き、それによって「人類など生態系を破壊する変な生き物でしかない、価値や文化はすべて無意味だ」と強調する、という手もありそうです。

13

あの大震災は大したことじゃなかった……
大連立も、国家非常事態宣言すらもなしで、どうにか……なったのでしょうか?

それほどに大連立も政界再編も起きにくい、ということははっきりしました。
しかし、それは「絶対に起きない」というわけではありません。

最大の危機は、次の次の総選挙…おそらく次の総選挙で、自民党に政権は戻るでしょう。
その自民党政権が、同じように一年首相の繰り返しで幻滅が深まった、その時です。
もはや何一つとして希望はありません。民主党も自民党も、徹底的にダメだと有権者が痛感した、そこで何が起きるでしょう。

これほど起きにくい大連立・政界再編が、それで起きるでしょうか?無理でしょう。
そしてそれでどうにかなるとは思えないほどに、政治への絶望は深くなっているでしょう。
となると…橋下氏に全権委任か救国クーデター以外、何がありえるでしょうか。

それまでに財政破綻とかでめちゃくちゃになっているでしょうか。
でも、大震災でも大連立ができなかったこの国で、財政破綻を処理する救国内閣は作れるでしょうか?
そのままの政治の枠組みで、実質政治不在のままなんとかしようとしてしまうのでは。
まあその場合は、IMF直轄となるので問題はないと…

12

パソコンも、MP3プレイヤーも、スマートフォンも、タブレットも、Apple以前にいろいろと作られていました。
しかし、アップルが…スティーヴ・ジョブズの魔法の手が触れなければ、それは世界を変える新産業ではなく、模索と失敗の繰り返し、巨大な死の谷に阻まれる屍の山でした。
ジョブズの魔法の手が触れた瞬間、それは世界を変えるのです。

何が違うのでしょう。

その違いがどうしようもないのであれば、ジョブズがいないというのは、想像上に絶望的なことなのでは。
今後、何か新しい商品が、市場全体をひっくり返すことはもうない、という…

たとえどんな技術進歩があっても、ジョブズがいなければ、「世界のみんなが新しい概念の商品を身につけ使う」ことが、「市場構造自体が一変する」ことが決してないのだとしたら。
電子ペーパーだろうと、脳コンピューター直結技術だろうと、「ジョブズがいなければ」使う人はごく少数で埋もれてしまうのだとしたら。

11

ゲームとエクササイズを統合する、というのは何度も考えていますが、あれば有効な要素に分けて考えてみましょう。

・深い呼吸……吹き矢、太極拳など。
・ダンス、縄跳び
・ボートこぎ
・弓矢
・歩く、自転車

これらの要素があると、楽しみと運動強度の両方が高いレベルで手に入るはずです。
ただしダンスや縄跳びは、室内での実現がかなり困難ですし、健康度が高くなければ開始できません。

エアロバイク、ボート漕ぎ、ステッパーの三つが、室内で可能で充分に負荷がある、現存する運動器具の代表格です。

そしてゲームとしては、弓矢や双剣での、全身に負荷がかかり画面で実戦を楽しめる運動+深い呼吸+下半身運動が実現できれば…

それらを、アクションゲームをプレイしつつ、できれば室内で実現できるシステムがあれば。

集合住宅を前提とした家庭用では、ダンスや縄跳びなど激しいステップは不可……エアロバイク・ボート漕ぎ・ステッパー以外選択肢はないようですね。
それと弓矢を組み合わせれば最善でしょうか。また床には負担がかかるでしょうが、ステッパーに大剣と弓矢使い分けとか。
呼吸そのものを測って威力にできても、かなり運動強度を上げられると思います。

またやや子供用に、ダンスが、どこの道路や公園でもできるゲーム機があれば、運動強度と楽しみの両面でとても大きいものになると思います。
人間にとって踊るということはとても重要なのに、なぜか日本ではそれがほとんど忘れられています。
踊ってはならない、と法律で定められているように。
日本の、近代的な公が、盆踊り以外すべての場から踊りを排除したようなのです…アメリカのプロムも輸入を拒みますし、社交ダンスも輸入せずじまい、日舞も学校教科に入っていません。

アクションゲームとして、歌い踊ることが魔法の呪文となり、また十キロある両手剣を振り回す…それができれば、最良の運動となるでしょうし、ゲームとしての楽しみも桁外れでしょう。

10

人類という種が「大絶滅をもたらして自滅する変種の貪欲カビ」か「宇宙への橋渡し種」か、それを決めるのはいまの人類ではなく、結果です。

ユーステノプロンも始祖鳥も、そんなことを考えず、妙な体でただ必死で生きただけです。
その結果、さらに変異しながら生き延び、橋渡し種になっただけです。

人類がすべきことは、ただひたすら全力で、種として生き延びること。それだけでは?

それすら考えない哲学は、何なのでしょう。
哲学にとって、「人類」とは何でしょう。
子孫を残すことを使命とする一つの生物種ではないのでしょうか。

9

人類そのもの、文明自体の存続、「世界中のいま貧しい人が豊かに暮らせるようになる」「地球から餓死がなくなる」という考え自体、誰もがなぜか否定的に扱います。

右側は「国以外を共同体と実感することは人にはできない」「地獄への道は善意で舗装されている、ポルポトへの道」この二つの定型句で終わりです。

左側にとっては、「そのためには世界を支配する資本主義を打倒し、物欲による社会を破壊しなければ」と、教義的に定められた、きわめて道徳的で現実の人間には明らかに適合しない心理改造・体制変革を全人類に求めます。

どちらも、何もしたくない、何も変えたくない、というのが本音なんでしょう。
大きいことは言いたくない、ひたすら狭い村で互いを褒めあって敵を攻撃していれば、それで楽なんでしょう。

竹林七賢の清談を思い出しますね。浮世離れが激しいほどいい…食料・エネルギー生産を維持し、蛮族から中華を守ることには関心を持たない。

8

ウィキの能力を用いて、「自己紹介……ただし相手がどこの、何次元の、何でできた宇宙人か、または剣と魔法世界の魔法使いかも、何もわからない。同じ人間ならば説明の必要のない前提、常識すべてを説明する必要がある。相手は言葉と数学用語は理解する」という前提で、「この宇宙」「生命」「人間」を徹底的に説明する試みはできないでしょうか。

僕が書いた「自己紹介」(巨大なテキストファイル、ダウンロードすること)という文章に手を入れてもいいですし、ゼロから作ってもいいです。

僕は、僕以外の人、できればトップクラスのSF作家やポピュラー・サイエンス・ライターが書いたそれを読みたいのです。

7

新しい世界は、天国なのでしょうか地獄なのでしょうか。
どちらの情報も膨大です。
どこで判断すればいいのでしょう。
自殺者数?
餓死者数?

今の日本は貧困層が以上に豊かだと言う人もいますし、希望のない地獄と言う人もいます。
というかそんな問題はもう忘れられています。

本質的には…旋盤工は必要なくなり、デザイナーは百万に一人でいい。さあ残りはどうする?
それだけのことです。

さらに、農村から炭坑、炭坑から旋盤工へ、親族扶養義務と職業訓練で移行できた時代は終わりました。
次の時代はマクドナルド・ウォルマート……日本ではゼンショー・ワタミ・ドンキホーテなど……未来のないブラック企業しか、現実にはないようにも見えます。
現実に背を向けてクリエイターを目指しても百万に一人です。
さて残りはどうなるでしょう?
福祉、失業保険、親族扶養…生活保護すら、歴史的意義を失ったかもしれないのです。
さらに「ワークフェア」は機能するのでしょうか。職業訓練そのものが、効力を失ったのかもしれないのです。
これからの時代、落ちた人は、本当に「不用」なのでしょうか。

これからの時代、「学び働けば生きられる」のか、それがどんどん難しくなるのでしょうか。
高等教育・職業訓練は有効でしょうか。

無効ならば、脱落者はどうやっても経済にとって役に立ちません。ならばその人たちを、

殺す
福祉で生かす
新しい仕事を作る

の、どれをすべきでしょう。
新しい仕事を作るのが無理なら、単純に殺すか生かすか、という問題となります。
アメリカは、刑務所を選んでしまったのでしょうか。
これから、アメリカ人の大半は刑務所で朽ち果てるしかないのでしょうか、そして日本人の大半は自殺しかないのでしょうか。

6

スティーブ・ジョブズ氏死去。
早すぎる死に哀悼、そしてそのあまりに圧倒的な影響力に、ただただ呆然としています。
アインシュタイン…ノイマン…ハーバー…どれほど巨大な影響なのでしょう。
どれほど、この世界を描いたのでしょう。

もしジョブズ氏がいなかったら。
その世界を想像するのも恐ろしいほどです。

GUIもマウスもなく、コマンドを英語で打っていたかもしれません。
だとしたらパソコンユーザー人口は何千分の一でしょうか。
ファミコンの応用でより使いやすいコンピュータができていたかもしれませんが、今のようにインターネットで無数の言葉や画像、動画が飛び交うことはなかったでしょう。
両手キーボードとマウスではなく、片手で使える鍵盤型キーボードとペンタブの世界だったかもしれません。

そしてiPod、iPhone。この二つの偉大な技術標準。さらにiPad。…これがなかったら?
逆に、その三つの強い影響力は、市場を束縛しているようにも感じられます。
それらのために、ジョブズ氏の感性によって、存在できていない商品も膨大にあるのではないでしょうか。

スマートフォンは、繰り返しさまざまに模索され、いろいろなものが試されました。しかし決定的に成功したのは、iPhoneだけでした。
それ以外に本当になかったのか、もしジョブズ氏がいなかったら…

たとえばニコンUP300。ヘッドホンと、目に密着するヘッドマウントディスプレイが融合した品。
さらにそれに、ヘッドセットマイクと小さいキーボード、携帯電話通信機やCD・DVDプレイヤーをつなげば、まったく別の「スマートフォン」、「タブレットPC」の可能性があったはずです。
「ジョブズ氏のいない世界」ではヘッドマウントディスプレイと音声入力が中心になっていた…そんなことはありえなかったのでしょうか?

この「ジョブズ氏のいた世界」がこれからどうなるか…凄まじい影響力で、これからもジョブズ氏の影響は人類の上に覆いかぶさるでしょう。それこそまさしく、永遠の生命というものです…人類が永続すれば、ですが。

5

ノーベル賞のシーズンですが、なぜ日本では「日本人受賞者」の有無だけが話題になるのでしょう。
日本人以外が受賞したら、さっぱりと関心が失われます。
きわめて重要な、科学や政治の動きがそこにあるのに。

変なところではナショナリズムがあって、そのくせ肝心な、北方領土や自衛隊の装備、その他外交面の国益に関する膨大な情報には関心がないとか…

4

音楽を聴きながら仕事をすること。仕事中に酒を飲むこと。
どちらも、たとえそれで効率が上がるとしても許されません。

昼寝も、どれほど生産性が上がると証明されても普及しません。
それどころか、睡眠がどれほど重要か、どれだけ証明されていても受験生もビジネスマンも睡眠不足を美徳とするのです。

3

北海道・網走のアッケシソウ群落で、土地改良の失敗で群落が大きなダメージを受けたという報道がありました。

アッケシソウなど塩生植物は、僕は「人類を救う植物」の一つだと思っています。
海水で灌漑でき、かなりの油を収穫できるからです。
海水だけでなく内陸部でも、塩分が多くて灌漑に使えない泉や塩害にやられた農地は膨大にあります。

他の、人類を救う植物。

アゾラ
淡水に浮いて空中窒素を固定しつつ増える。水田稲作の重要な補完植物となりえる。

アラメ・ホンダワラ
収量の多い海藻。富栄養化した海域で養殖しバイオエネルギーにする、また将来は肥料分不足でまともに光合成をしていない、陸全体より広い外洋で、肥料を空中散布して養殖することもできる

ナツメヤシ・サゴヤシ
ナツメヤシは乾燥地で砂糖に近い糖分、サゴヤシは湿潤熱帯でデンプンを大量に生産できる。

ナンヨウアブラギリ
話半分に聞いたほうがよさそうだが、荒地で強力な油生産能力がある。

スイッチグラス・ネピアグラス・ケナフ
草原セルロース系バイオエタノールで注目されている。

マングローブ(+ラクダ)
海水から薪・肉・乳製品および皮革製品を作れるかもしれない。

砂漠緑化植物群
何を置いても重要。

アカシア・ニセアカシア・ユーカリ
木材生産力が高い。薪炭は今の世界でもきわめて重要なエネルギー。

ホテイアオイ
害が多いようだが、なぜ、特に富栄養化した閉鎖淡水域で肥料とならないのか

オーク・栃
木になる主食。土壌に対する負担が少ない樹木で生きる生き方が重要になる可能性はある。

ほか、僕が知らないだけで高塩分・痩せ地で生育する穀物・繊維作物は多様にあるかもしれません。
それなのに、塩生植物に関する本すら見当たらないという…どれほど誰もが、人類の未来に無関心なのか。

2

買い物をしていて、小さい子がトレーニングマシンを少し危険な使い方で遊んでいるのを見て、「下手するとはさんで怪我するよ」と注意して通り過ぎました。
それからエスカレーターを降りるとき、別の子かもしれませんが小さい子がついてくる気配を感じて、背筋が寒くなりました。

その子が自分を傷つけ服を破って悲鳴を上げ、僕を指差せば、僕は間違いなく重犯罪者として有罪となるでしょう。
執行猶予もつかないでしょうね。
どんなに説明し、訴えても絶対に無駄です。警察が一度、一つの先入観・ストーリーを形成すれば、それが絶対の真実です。
そして、人間は誰であれやっていないことを自白します。その技術は完成されています、爪一枚はぐことなく、誰からでもどんな自白でも取れるのです。僕は例外ではありえません。
検察や裁判所は警察の自白調書があれば、もうそれで有罪は確定です。
抵抗は無意味です。

子供にとって、それほど楽しい事はないでしょう。
大人目線で見下ろした変なオッサンを見下し、破滅させることができたのですから。
人間一人の一生をもてあそぶ以上の楽しみが、この世にあるでしょうか。

ですがその恐怖を前提にしてしまうと、それこそ一歩も外に出られません。
どこで邪悪な子供にぶつかり、目をつけられるかわからないのです。

子供に実質的な絶対権力がある世界…何も信じられない世界。
警察は言えばわかってくれる、自分は正しいのだから、と信じていられれば楽なのですが、そうでないことは知っています。

よく今まで平気で外出できていたものです。
そして皆が、よく平気で外出できるものです。まして教師などという仕事ができる人がいる、ということが信じられません。

無論、電車に乗るだけで痴漢冤罪のリスクが常にあります。

また、このような恐怖を訴えたら、「普通にしていればいい」「ちゃんとした格好」「子供に注意したりすることが悪い」などと来るでしょう。
でもそれは、魔術的防御でしかありません。
理不尽な冤罪は誰にでも降りかかります。「ちゃんとした人は疑われたりしない」、だから「疑われると言うことはそのようなことをやってきたんだろう」と、明白なアリバイが出て真犯人が判明して無罪釈放されても職や家族を失う人も多くいるのです。
「ちゃんと魔術的に防御されていれば人は無敵だ」そして何かあったら「魔術的防御に隙があった=心に悪い部分があった」というのが魔術の論理で、それは想像を絶するほど人の心を支配しています。

自覚していない人は冤罪に巻き込まれた瞬間、それを理解するまで凄まじい不条理劇に苦しむことになります。
僕は自覚しています。だから、冤罪をかけられても交通事故や隕石に当たったと割り切れるかもしれません。
でも逆に、常に恐怖がつきまとっているのです。しかも僕は、それを魔術的に…お守りなどで恐怖をごまかすことすらできないのです。

直接的には「幼女と煙草」という本、またマイクル・クライトンの晩年の作品、「NEXT-ネクスト-」にも似た問題があったと思います。
「幼女と煙草」は、単に小さい子供に「脅された」と指差され、それで自殺せざるを得なくなる話です。絶対的推定有罪、「子供は嘘を言うはずがない」。
クライトンの話はやや手の込んだ陥れです。日本以外では、十七歳でも七歳でも終身刑です。それで、十八歳以上に見える女に誘われてセックスし、女が精液入りコンドームを隠すとか暴れて自らを傷つけるとかエレベーターで泣くとかし、それで「十七歳の女をレイプした」ことになるわけです。何を抗弁しようと証拠はそろっているので抵抗は無意味、終身刑確定、というか児童性愛・性犯罪で刑務所に入ればなぶり殺し確定、というわけでその男も自殺するしかありませんでした。

間違っています。
でも昔に戻ればいいわけではありません。道徳は答えではありませんし、警察の綱紀粛正も答えではありえません。
どうすれば、痴漢や性犯罪の犯人が確実に罰され、しかも無辜が罰されることが絶対にないようにできるか。
誰にとっても人事ではない、けれども誰もが目をそむけています。

1

この文章は、どこに送ればいいのでしょう。
いや、わかっています。どこも適切ではありません。
思想の人間工学に、合わないのですから。


 哲学については無知な、一人の思索者、「大学教養程度の科学知識を持つ幼児」の「なぜなに疑問」と思ってください。

現代先端の『哲学』は、その前提として現在の科学を採用しているのでしょうか
 現在の科学。極大の相対性理論、極微の量子力学。どちらも、無数の実験で、凄まじい精度で日々検証されています。双方の近似としてのニュートン力学も、宇宙飛行が可能なほど使えます。
 さらにエネルギー保存則、熱力学第二法則、マックスウェル方程式。素粒子標準理論。全ての物質は、少なくとも一兆電子ボルトの範囲内では、それら簡単な物理法則に、カオスな振る舞いも含めて厳密に従属しています。
 そして人間も、全ての物もその原子でできています。利用するエネルギーや情報も、熱力学の法則に従います。
 人間は生物・真核・動物のひとつの種、ホモ・サピエンス・サピエンスです。全ての生物は原子の集まりで、特筆すべきDNA・RANというデジタル情報分子により自己増殖しており、進化します。
 宇宙、太陽系、地球の成り立ちも、ビックバンからきわめて短時間まで・ダークマター関連・最初の生命以外は、科学の世界ではほぼ一致した知見があります。ほぼ間違いなく、事実と言っていいでしょう。
 少なくとも飛行機に乗るのは、それらと一貫した科学を信頼し生命を預けているのです。
 そのことを、哲学は前提としているのでしょうか?
 科学的世界観は、どれほど理解され共有されているのでしょう。
 それとも哲学者の多くは、別の前提でものを考え、科学については無知であって良いと思っているのでしょうか?
 科学など、現在の哲学者にとっては古く無価値な、流行遅れの骨董でしかないのでしょうか。
「少なくとも飛行機に」論も、哲学では議論され尽くし、誰も相手にしないほど幼稚な、はるか昔の話でしょうか?

『人間とはなにか』に、現在の科学は反映されているでしょうか
 人類は生物の、一つの種だという科学的事実。
 生物も原子でできており、DNAとRNAの情報が読み出されて生き増えるというセントラルドグマ。そして積み重なる分子生物学・解剖学の知見。
 現在急速に進みつつある、脳研究や認知研究を反映した心理学の発展。
 進化を基盤とし、また化石資料や未開部族との接触によって得た知見を反映させ、再現された人類の先祖の生活から構築される進化心理学。それから導かれる、遺伝子・群れ・家族の存続を目的とした道徳の解釈。
 さらに行動経済学が解析している動物としての感情の影響。
「人間は感情に支配される」ということを、どれほど前提としているのでしょう。
 人類はアフリカの疎林で進化した群れる動物であり、その精神は群れに順応し、危険を避けるように設計を積み上げた、動物としての進化で作られた、ということを。
 それらによって、「人間とはなにか」を問い直すことを、哲学はしているのでしょうか。
 最新の哲学は、「人間とはなにか」という前提を、どうしているのでしょう。
 その前提自体、重要ではないのでしょうか?

科学を基盤とした『人類全体の目的』と倫理
 人間は生物です。生物は、増え、その情報を変えつつ維持し続けるものです。目的論を廃しても、ひたすら「情報をコピーすることで残す」ことをしています。
 人間好みの目的論に翻訳し擬人化すれば、人間という動物の「目的」は自分の遺伝子情報、すなわち親戚も含む子孫の永続・繁栄です。また生命そのものにとっての至上価値は、地球型のDNA生命それ自体の永続、またそれぞれユニークな情報である生物多様性の維持ではないでしょうか。
 もちろん、生物が滅びれば人類は滅び、人類が滅びれば自分の子孫も残るはずがありません。
 今の哲学はそのような考え方はしないのですか?
 それを前提とすれば、考えられる最大の悪は「地球型の生命全てを根絶すること」「人類を滅亡させること」であり、逆にそれを防ぐための行為全てが善となります。
 今の倫理学は、それを前提としているでしょうか?
 目的論の是非について複雑な考察や異論は多くあるでしょうが、それ以前に、人類の存続・地球型生命そのものの存続に、道徳的な関心はないのでしょうか?核戦争による人類滅亡の危機……それは今もいささかも変わっていません……は、哲学にとってどの程度重要な問題でしょうか?

人類、地球の遠い未来に、関心はないのでしょうか。それは根本的な価値とならないのでしょうか
 人類が宇宙に進出せず滅亡した、その後の地球生命について、科学が予測する運命を述べます。長い時間の後ですが、太陽の水素が核融合でヘリウムとなり、そのヘリウムがより高温の核融合をすることで、地球そのものが焼かれます。それは地球の、DNA構造を共有する生物全ての滅亡を意味しています。
 人類が滅亡しても次に進化する知的生命体が、というのは無理です。使いやすい、浅い地下資源は使い尽くされています。また何億年も地上に大型動物はいたのに、人類型文明の発生は一度きりだったことから、地球型の生物にとって人類のような知的生命体を生み出すことは稀なことだと推定されます。
 人類が宇宙に進出し、太陽系の他の惑星や衛星、そして別の恒星系に、できれば人類そのもの・地球型の生命を、せめて微生物や遺伝子の情報だけでも送り届けることが、目的論的に考えた場合「人類の使命」と思われます。また動物の先祖が海から陸、陸から空と新しい場に適応したように、人類は生命を宇宙に進出させるための種である、と考えるのも人間の目的論的精神構造に合います。
 目的論・価値判断を徹底的に排除すれば、人類はたまたま発生した「変な生物」であり、それが増えて生態系を破壊し、好み通りに行動してイースター島同様に自滅するのは、波に削られてできた美しい岩がさらに風化し崩れ去るのと同じ、物理法則のみに従って動く多数の原子の、必然的な振る舞いと言えます。生命も宇宙の中では特別な意味も価値もない、「変な分子集団」に過ぎず、それが母星と運命を共にするのも当然でしょう。
 でもそれが正しいのでしょうか?哲学はその正しさを、どう考えるのでしょう?
 科学の知見から導かれる「人類の使命」は、倫理そのものの基盤ともならないでしょうか。
 遠い未来、人類や生命の行く末については、哲学は何の関心もないのでしょうか?

 さらに、人類の未来を考える時には、エネルギーや生態系、資源の限界と宇宙進出の技術的課題も重要でしょう。
 それは何十億という人間の生存や生活水準を変えますし、人類ひいては地球生命圏の存続にも関わります。
 それよりも、近代文明の是非、進歩の否定という言葉、テキストの一語一句の読解のほうが重要なのでしょうか?
 さらに、これからどの技術が進歩するかを判断できるだけの科学技術の知識が、それについて論じている哲学者たちにあるのでしょうか?科学技術知識はなくても思想だけで、どの技術が進歩するか、また研究して善いかを判断できるのでしょうか?

 無論、目的論・擬人化を完全に排除すれば、人類は「変なカビ」「大型動物を一刺しで殺せる猛毒グモ・あらゆる肉を消化し栄養に変える羽のないハエ・木を食いつくして住みやすい巣を作るシロアリの共生群」同様に、「変な生物が、地球の生命の大半を皆殺しにしてはびこり、ただいま自滅中」というだけです。
 さらに太陽の寿命とともに地球生命圏が滅びるのも、原子の集まりが変な挙動をして、熱力学第二法則の定めどおりに無秩序に帰るだけのことです。
 それでいいのですか?

 最低限の科学知識を前提に、少し目的論的な物語を構成すれば、「私たち人間はどこからきて、何者で、どこへ行くのか」「何が善で何が悪なのか」という根本問題に、それなりの答えを作ることはできるのです。
 哲学は、それをどう考えているのでしょうか。

 上記のことは以前から考えていたことですが、大震災と原発事故の後の議論から、現在の言論世界における科学と前提、未来の問題を強く意識するようにもなりました。
 まず気がついたのが、左右という言葉で代表されるような政治・経済思想の地図と、再生可能エネルギーや放射能の安全性、さらに地球温暖化問題までも強い関係が見られることです。
 要するに保守・市場原理主義者は放射能は安全、原発を使うべきだ、二酸化炭素による温暖化は心配ない、化石燃料は実質無限だ、再生可能エネルギーは原理的に使えない、という主張をすることが多いのです。
 逆に護憲派は原子力を否定し、再生可能エネルギーの推進を訴えます。
 ですが、「一兆円かけて研究し全ての屋根に張れば、太陽電池のコストは十分の一になる」「石油は十万年分ある」など前提となる命題の真偽は、思想によって変わるはずはありません。変わってはならないはずです。変わるのだとしたら、それは「ルイセンコ生物学」「アーリア人物理学」とどう違うのでしょう。そのことを思い、心の底から戦慄したのです。
 それほど、本来科学で検証されるべきことが思想によって判断されているのか、それほどまでに科学は無力で、思想や政治にこそ「現実の力」があるのか、と思ったのです。
 それは思想的にも重要な問題のはずです。何を事実とするかは思想の基盤となるはずではないでしょうか。また、何を事実とするかは、政策の基盤でもなければならないはずです。

 今、思想はどれだけ科学と向き合っているのでしょう。
人類は、科学的にみもふたもなく言えば「変な生物が地上のあらゆる生物を食い尽くしてはびこり増えすぎ自滅しつつある」だけの存在です。
 でもそれでいいのですか?
 人間としての、物語好き脳がそれは嫌だと言ってます。
 僕の物語好き脳は、「地球型生命が宇宙に進出するための」であってくれと言ってます。
 でも大抵の人はそうではなく、まあ神とか伝統とか道徳とか国益とかです。

「人類全体が何をすべきか」という考えすら、今は「大きな物語」として否定されます。
 未来にはいかなる希望もない、ただ自国の経済成長、自分の周囲の豊かさだけがすべてのようです。
 人類文明そのものの未来、文明崩壊の防止も多くの人の視野にありません。逆にそれを見ている人は、ひたすら反科学の、「全人類が改心した」理想郷主義に陥っています。
 少なくとも日本では、温暖化すら否定する人が多くなりつつあります。
 まして、「より深く物理法則を知ること、究極理論の夢」も、「宇宙に進出し、新大陸を開発する」ことも、ほとんど誰も賛同しません。
 今逆に有力な、環境保護系統では科学技術を否定し、技術水準を江戸時代まで落とし、それを永続するのが理想像とされているようです。
 現実的に考えたことがあるのでしょうか。地球の、江戸時代水準で持続可能な人口は何人でしょうか?
 そして地表の金属資源は有限であり、掘りやすいものはすべて掘り尽くされており、技術水準が落ちれば今掘れている金属鉱山も掘れないのです。金属以前に戻ったら、地球の収容人口はさらに二桁減るでしょう。
 リサイクルにも限度があります。熱力学第二法則は絶対です。
 最終的には、宇宙に出るか大虐殺の末に滅びるかなのです。

 どう考えているのでしょう?
「人類全体などない、国家だけであり、道徳・伝統・国防がすべて」
「進歩は終わった、終わりなき日常あるのみ」
「経済成長のための規制緩和と財政削減が全ての問題の全能解決策」
「科学も富も捨てよ、平等に貧しく低技術で持続可能な循環社会、老子の小国寡民」
 これらが、人間が好む考えが、ホモ・サピエンスの脳と言語の構造に合うミームが増えるのは、どうしようもないのでしょうか。

 誰も、地球の遠い未来、人類全体の目的を科学ベースで考えてはいないのです。
 国の借金と財政削減、格差と失業、いやわかりやすく正義感を満たす物語と、群れの内部で通用する狭い話題以外、目に入っていないのです。
 軌道エレベータさえ前提として考えていないのです。メガフロートも無視しているのです。海水で育つ稲すら想像できないのです。
 貧困や紛争をなくすことすら諦めているのです。
 人間にはもう何も力がない、情報以外は進歩しないと諦めているのです。
 僕は、あくまで巨大加速器とスペースコロニーが大好きなのです。科学と宇宙船地球号で考えようとしているのです。
 より知ること、新大陸を切り開くことが「人類全体の目的」だと思っているのです。そして賛同する人は誰もいないのです。科学と言うだけで誰もが嘲笑し、背を向けるのです。
 自分たち、タコツボの空気を守り、敵を叩きつぶすこと以外考えていないのです。もう少し考えろ、別の視点から見よう、と言っただけで、敵としてありったけの人格攻撃の限りを尽くし、出ていくか屈服するまで責め立てることしか知らないのです。群れの一員でない者の話を聞くつもりなど、かけらもないのです。
 なぜ、アポロ計画以降月に行かなかったのでしょう。なぜSSCを中止したのでしょう。
 なぜ、情報関係以外の技術で、目に見える進歩がユーロトンネルや三峡ダム以外見られないのでしょう。
 マレー半島横断運河も、リニアモーターカーも、実用次世代超音速旅客機もありません。
 なぜこれほど長く、足踏みが続いているのでしょう。
 人類のピークは、地球生命が「新天地に行く」限度はアポロだったのでしょうか?
 人は、ただ贅沢をするだけが全てなのですか?それでは豚とどう違うでしょう。
 ああ、道徳を追及して焚書と虐殺を楽しむのが豚との違いですね。それだけですか?
 小国寡民の永続?それも太陽の寿命を、天然資源の限界を、そのために必要な何十億人もの虐殺を考えていますか?

「人道と生命圏の存続をともに」
「地球生命圏の存続だけが最優先。人道など実在しない、人間の大半を今すぐ殺し播種船に力を集中せよ」
「生命の存続も含め、いかなる価値も目的もない。人類はカビと同じ、生命も原子の集合。すべてあるがままに滅ぼさしめよ」
「**主義こそ全て、それ以外は考えるな」
「身の回りの狭い範囲で、他者を説得しムラで優位に立つことが全て」
 では、後ろ側ほど選ばれてしまうのでしょうか。
 人間の存在理由は「この世のみごとな仕組みを知り、理解し、解釈し、聞き、見ること」にこそあり、さもなければ「餌箱から餌をあさるおろかな獣と変わりない」(リストーロ・ダレッツォ)…所詮人間は、餌箱から餌をあさり、そして群れの走るに従う獣でしかないのでしょうか。
 次々と科学法則を解き明かしていった情熱は、もう歴史の彼方、少なくとも哲学者、言葉を使う人々にとっては別世界のものなのでしょうか。

 もっと単純な問題……宇宙を考えるぐらいなら、人類の、地球生命圏の滅亡を受容する、と?
 それほどまでに、大規模宇宙開発、超技術文明を考えることに対する忌避感は強いのですか?