枕元の計算用紙

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30

いろいろな前提を当たり前の科学的事実とし、いろいろな未来を想像している人たちがいます。前提が違い、思い描く未来が違うのです。
中には否定したいだけで、未来ビジョンがない人も多くいます。
問題を単純化するほうがいいでしょう。「どの前提が異なっているか」という観点で。

重要な前提はこれらです。
そうやって単純化した問題を、

検証可能か、検証不能か分ける
検証可能→検証
検証不能→実際に有害/実際には無害に分ける
検証不能かつ実際に有害→最悪を前提に救命ボート
検証不能かつ実際には無害→無視(社会的に有害ならば、人間の感情は呪術的に考えるのだから、呪術的儀式で解決可能?)

と分類し、処理すればいいはずです。

僕の主な関心は、

の三点です。
そのために、上記の問題について上記の処理をして欲しいし、あらゆる分野の新しい技術……特に宇宙エレベータに関心を持ち、頭から否定せず検討して欲しい、というだけのことです。

やっかいなのはイデオロギー的憎悪と、科学的議論の混乱です。誰もが何て混乱していることか!

29

「人間はどこまで改造可能なのか」これがかなり重要な前提となりますね。

所有・支配・異常性愛などの欲は、社会を縛る桎梏が砕け教育制度が真に正しいことのためになればなくなるのか。
刑務所や軍隊の教育は、人間をどこまで作りかえられるのか。悪人を善人にできるのか。

人間は「時代精神の変化」「文化の多様性」程度にしか変わりえないのか。
それはどの程度なのか。

アステカ文明の生贄儀式を思えば、驚くほどの幅があるともいえます。
反面、宗教や支配構造は普遍だともいえます。

本質的には「氏か育ちか」論争が激しいのは、そのイデオロギー性にも関わります。
特に左側は、その根底から、「人は育ちである」、少なくとも教育で物欲や支配欲をなくせる、としなければ、その理想社会は成立しないのです。
そして実験結果は、少なくとも物欲を完全に、国家レベルの大規模な集団でなくすことは不可能、と結論できます。
アーミッシュは維持されていますが、それも外に出る選択肢があるのでなければ、存続できるでしょうか?
極端なフェミニズムやディープ・エコロジーが国家レベルの社会実験をしていないことは、幸運というべきなのでしょう。
と言っても、前も言いましたが、右側も人を白紙の石版として扱います。躾けなければ獣で悪魔、躾ければ限りなく完全になれる、と。

無論100%生まれでもありません。両方が複雑に、バタフライ効果を持って絡む、本質的に予測不能の事柄なのです。

28

「信じる」「諦める」は理性の仕事ではなく、多分に感情の仕事です。
「愛する」と同じぐらいに。

命令されて愛することができないのと同様、「信じる」ことや「諦める」ことはできないか、残忍な……「2+2=5と心から信じる」レベルの洗脳が必要です。
実験と数学の勉強で、何かを信じろというほうが無理なのです。

啓蒙より、「1984年」の真理省のほうが、人類という動物に適した手法を用いているのです。

どのような哲学も、神秘体験には及びません。
神秘体験は脳の異常であり、それが極端な感情として溢れただけのことです。
人間は……ホモ・サピエンスという動物は、それには抵抗できないのです。

27

橋下氏当確。
要するに、「抵抗は無意味だ」ということです。
誰がどんなにファシズムの危険性を喧伝しても、誰も橋下氏や石原慎太郎氏のようなタイプを、選挙で破ることはできない、というのが事実です。

むろん氏の出自は問題にすべきではありません。
ひたすらに、その民主主義の危険性を見ない、後期近代の価値の中核…市民的自由や生存権などを否定、いや敵視している言動が危険なのです。
そして危険であればあるほど支持される…
単純に、蟻が砂糖を好むのと同様、人類はああいうのが好きなのです。

わかっていました。でもそれが正しいと、確かめたくはありませんでした。

まあ、橋下氏が失墜したとしても、人が人である限りヒトラーの尻尾は出続け、人は自らを縛る鎖を抱きしめ続けるでしょう。
人が人であることは、決して変わらないのです。
今まで、このようなことを書いても拷問されていないことがおかしいのです。それもいつまで続くかわかりません。
アメリカでもどこでも、自由を擁護する政治の、歴史の力が急速に衰えているのははっきりしています。
こう書いていること自体が、何年か後の僕が拷問される理由となっても驚きません。
できれば、拷問が始まる前に自殺できたらいいのですが。自由が失われた日本を見る前に病気か事故で死ねたらいいのですが。

人は人なのです。

26

スマートフォンで注文し、車が着く頃にはパックできている…
それこそ、トランクを開ければそこに、箱にきれいに詰まった商品が収まるぐらいに。

ドライブスルーとショッピングモールとオンラインストアをあわせれば、そうなるでしょうか。

ではなぜ今それが主流ではないのでしょう?

自動車で店に行き、棚から商品を手に取り、レジで払う…ほんの数十年でしかない、世界人口のわずかでしかないのに、ネット技術がこれほど普及しても頑固に変わろうとしません。
いつまで?

25

科学史で、嘲られる「誤った人」たち。
プトレマイオスやラマルクが代表的です。アリストテレスすらある意味そうです。
ですが、彼らは偉大な科学者です。

プトレマイオスの天動説は、きわめて高い精度で、当時の観測データ……肉眼と低精度の分度器……に一致し正確に説明し、未来の天文現象を予言することもほぼ問題なくできたのです。
コペルニクスとプトレマイオスを客観的に比較すれば、プトレマイオスのほうが正確です。
ティコ・ブラーエの観測データと、ケプラーの理論ではじめてプトレマイオスを超えたと言えるほどです。

否定すべきなのは、異論を弾圧することです、ルイセンコのように。

説を立て、これまで誰も考えなかったことを説明しようとするのは、それ自体偉大なことです。

24

「一兆円預ける。十年後に二兆円返せ」とんでもないと思うかもしれませんが、三兆円稼げば一兆円は自分のものです。
今、どれだけの人がこれを受けるでしょう。
十兆円なら受ける人は増えるでしょうか?

原資が多ければ多いほど増やすのは楽なのが世の常です。
でも、それは世界が右肩上がりの場合です……もし一兆円を十年で三倍にできる確率が低いとしたら、そこまで世界が停滞期なのなら……

23

厚い器の形のパンにシチューを入れ、レンゲの形の固いパンをつければ、器ゴミは出ません。
シチューを食べ終えたら、ふやけたパンを食べるだけですから。

「羊肉と豆のファストフード」で一番やりやすいのはそれではないかと思います。
もちろんどの肉でもできますし、チーズをトッピングしてもいいのですが。

ビスケットぐらい固いパンを器にしたヨーグルトでもいいですね…これはグラミンヨーグルトの目標として書かれていたことですが。

22

人間の同情心は奇妙です。
「冷たい方程式」には泣き叫ぶのに、現実に死んでいる大震災の二万人、ソマリアの七十五万人にはまったく心が動いていません。

同じフィクションでも、「ダーティペア」で死んだ数百億人は平気です。
そして青年漫画では拷問シーンを下手くそと笑っていながら、少女漫画で些細な監禁と暴力が出ただけで激しい感情に転げ回るのです。
さらに、津波で死んだ人々より、置き去りにされ餓死した犬猫牛豚のほうが胸を痛めるのです。

「冷たい方程式」は何がそんなに、上手いのでしょう。
きわめて多くの面で分析できます。

二人の主要人物、どちらも感情移入しやすく描かれています。普通の労働者と、都市生活の普通の女性。

危険な辺境と安全な地球、読者が暮らす都市と、地球の面積の大半を占める非文明地域のギャップ…違反が罰金で済む都市と、些細な過ちがしに直結する辺境の違いは、当時も今も現実です。広く解釈すれば、異文化衝突、ファーストコンタクトとも言えるでしょう。

救命艇を地球号と考えても、他人事ではなく現実の問題となります。
本を閉じることはできますが、刻々と消費される石油や銅、切り倒される森林を「閉じる」ことはできません。
もちろん目を閉ざすことはできますが、そうしているうちに気がついたら…

また、パイロットや船長は、悪夢は覚悟しますが「再発防止の為に監視カメラの整備を上層部・世論に訴えよう」とはしません。
それは欧米全体の、「考えるのはお前の仕事ではない」という絶対的な道徳、労働者階級の第一戒によるものです。
それ、「思考停止」という人間の大半のありかたに対する激しい告発ともとれます。
あの人々に未来はないでしょう。「こんな悲劇はよくない、繰り返さないためにどうすれば」とは、誰ひとり考えないのですから。
現場の船長やパイロットは「考えるのは私の仕事ではない、他に道はなかった」、上層部にとっては「人命など数字」で、どちらも改善は考えません。
彼らには「尊い犠牲」という考えすらない…人命は数でしかないのです。自分自身も含めて。
『グイン・サーガ』に、自分や愛する者の生命も世界の百万人の誰とも同じでは人は生きられない、とスカールがナリスを責めるシーンがありましたが、宇宙船関係者にとっては人命は質量に過ぎず、上層部にとっては数字と記号に過ぎません。
これも考えさせることです。

あと、彼らはこの地球人、西洋文明の末裔でもないですね。少なくともタイタニックを経験していない別歴史でしょう。
僕が属する地球では、不備のある救命システムは容認されません。たとえ費用対効果が低くても、救命ブイなどは必要なのです。

そして人は必ず死ぬ、という当然のことととることもできます。死に直面する時は必ずあります、運良くその間もなく死ぬのでなければ。

21

人間が1cmか、もっと小さくなって、「裏庭の草むら」の無数の虫に食われそうになりながら、目標地点まで移動するゲームがあれば面白いかもしれません。
生物について学ぶにも、それ以上楽しいのはないでしょう。
釘を拾って武器にするとか、水や食料も……

二乗三乗則を考慮すれば、身長の何倍もジャンプでき、体重の何倍もの荷物を持ち上げられるでしょう。また落ちても死にません。
腹が減るのも早いでしょう。さて何を食料にするか、たまたまキャンディーが散らばっているか、花蜜を吸い、虫の幼虫を生で食うか……
雨粒一発一発でも殴られるのと同様体力を消耗しそうです。

落ちている釘を拾ったり、工夫次第でガラス片と棒を組み合わせて槍にしたりと武器を調達するのもあるでしょう。

裏庭の草むら以外にも「海辺の磯」「無農薬水田のあぜ道」「里山」「都会の家の汚れた台所と天井裏」「田舎家」など、楽しいステージは多くあるでしょう。

さらに、ミジンコレベルか、それ以下の細菌の生活は…無理です。
人類はそれらの具体的な生活について、嫌になるほど何も知りません。
水がハチミツか砂利のように、かきわけるものになるようですが。
もしそれができるなら、「牛の胃」「干潟の泥」「人間の大腸」「無農薬の田んぼ」「墓地の花受けの水」「森の土」「木のうろ」などなど、いくらでも魅力的なステージはあるのですが。

もちろん『ミクロの決死圏』をリアルに、全身くまなく楽しむことほど楽しいゲームもないでしょう。

20

環境やエネルギー、食料や淡水だけで、実際に「冷たい方程式」で人類の大半は死ななければならないかもしれません。
日本の財政が破綻して、日本人の相当部分…よくて過半数には「冷たい方程式」で死を命じなければならないかもしれません。
東日本大震災で膨大な動物たちを、「冷たい方程式」で餓死させたように。

だから僕は、「冷たい方程式」の人類を許せないのです。
出発前に点検するという当たり前のことすらしないほどひどい思考停止なのですから。改善を怠る文明に生きる資格はないとすら思っています。

そして、僕は心のどこかで、いつも「冷たい方程式」を計算しています。
化石燃料が尽き、核融合も宇宙進出もできず再生可能エネルギーは原理的に使えないなら、使えるとしても、どれか一つでも近代文明に必須な元素資源が尽きたら、地球号の定員は何人か。
何割…いや99.9パーセントの下の桁、地球全体で百万単位以外はすべて死ななければならない…まさしく「冷たい方程式」。
救命艇の燃料と質量と大気圏突入軌道同様、徹底的に冷酷で冷徹な方程式。

「地球」の豊かで簡単に人が死なない世界と、「辺境」のわずかなミスやトラブルであっさりと誰の助けもなく死ぬ、人命が出発前点検や監視カメラより安い世界のギャップは、僕には他人事ではありません。
銅などの主要金属が枯渇し、石器時代に後退すれば、地球号の収容人数は百万の単位にまで落ちます。
「O.P.ハンター」「石油消失」「深海のYrr」…どれほど簡単に、この日本列島や宇宙船地球号は、「ギリギリの燃料しかない救命艇」と化すか。
それどころか、トウモロコシやコムギの病気一つで悪夢のアイルランド大飢饉が地球全体で起きます。
イエローストーンが噴火しただけで、世界人口はよくて十分の一、半分以上の確率で全滅。

僕はいつも考えています。
その状態で、どうやって生き延びるメンバーを選別するか。
生き延びた人が文明崩壊下で生きられるよう不利な状況下での自給自足農業、ガラスを石器にして人間の皮をなめし人肉を塩漬けにして生き延びる方法、そして安定した後のための科学知識、さらに主要作物の種を、多くの人に付録つき本として渡しておくべきだと思っています。
無論地球のあちこちの、飢えた暴徒の手が届かない深くに文化財や科学知識、資料や生物などを隠すことも。
あらゆる最悪に備えるべきだと思っています。

僕の処女作にある「黙示録計画」…人工伝染病で人類の大半を殺す、それが、本当に必要である可能性はあると思っているのです。
ほとんどのメンバーを死なせる必要が、いつ出るかわからない…安心していた地球と、死と隣り合わせの辺境のギャップを思い知り、避けようのない死に直面するのは、今夜の僕かもしれないのです。
その時の僕には、ゆっくり遺書を書く暇などないでしょう。

せめて人類、この文明そのものが、宇宙に遺書を送り出して欲しいですが…人類がこれまでに送った「遺書」はせいぜいアレシボメッセージと、ボイジャーやパイオニアの金メッキ板ぐらいです。
冗談抜きに、「三百人委員会と宇宙人が手を組んで月の裏側に方舟を」が事実だったら、と思っています。人類が、地球生命が滅びる心配は大幅に減るのですから!

19

エネルギーを、再生可能エネルギーか、原発か、それともシェールガスか…ずっとこの問題を考えてきました。
でも、たった一つのことに気がつけば、それは全て無意味になりました。二酸化炭素温暖化の真偽が、石油枯渇を考えただけで無意味になるのと同じです。
単純なこと。枯渇性資源は、石油やウランだけではありません。
たとえば銅…それ以外にも、近代文明には絶対に必須で埋蔵量が少ない多様な元素資源、そのどれが尽きても「近代文明」は終わりなのです。

原発が無害でも。太陽電池と風力発電がどんなに進歩しても。石油が無限だと判明しても。核融合や高速増殖炉が完成してさえ。銅が尽きれば太陽電池も、風力発電も、火力発電も、原発も、どれも作れないのです。
銅以外にも、鉄やアルミニウムなど特に豊富な例外を除き、あらゆる金属元素、燐、化石地下水、土壌、魚…数多くの再生不能資源を、人類は使い尽くそうとしているのです。

「再生可能エネルギーは本質的に使えない」「将来、極端な技術進歩はない」「石油・石炭・天然ガスは十分にあり、地球温暖化はない」……だから、何もしないで、せいぜいコジェネで火力発電の効率を上げエアコンと冷蔵庫を節電にするだけで、百年過ごそう。
その後は考えない。
その前提が正しいとしても…数百年、あるいは何百万年後でも化石燃料資源が尽きた時には?
他の再生不能資源は?

その点は「持続可能」も同じです。宇宙に出たりはしない。進歩しない。欲を持たず、数十億人が最低限の電化製品で、つつましく暮らす…何百年持続できるのですか、銅が尽きるまでに。
そして枯渇資源は、持続可能経済・定常経済になればもう減らない、というわけではありません。
少なくとも鉱物資源は、リサイクルしても100%はありませんから減ります。
百年が千年になるかもしれませんが、それが何でしょう。百年後から先は考えない、というなら石油を好きなだけ燃やしたほうが贅沢を楽しめます。
再生可能エネルギーがうまくいくとしても、宇宙に進出できなければ、銅が尽きた時点で近代文明は終わりです。銅がなければモーターも電線もないですし、自動車も遠洋航海すら不可能です。
もちろん、江戸時代水準にするにも、地球人口は十億人も無理でしょう。自然減か虐殺か文明崩壊か、どれでしょうか?
電化製品のない江戸時代生活ですら、銅なしではできません。というより、技術水準を落とせば、今掘れている銅鉱山も掘れなくなります。
銅もいらない非文明低技術では、地球号の定員は一千万以下、しかも超巨大噴火や小惑星衝突に対応できない、という冷厳な事実があります。
再生可能エネルギーによる定常文明、持続可能、自然に帰れという人々も、遠い未来を見ていないことには変わりありません。

どちらにしても、せいぜい百年かそこらしか考えていない、と断言していいのです。
宇宙進出を否定する時点で、人類にも、文明にもせいぜい千年か万年後の死刑宣告です。地球型の生命にとっても、十億年の。
それでいいのですか?
後々の世代に資源を遺さず浪費し、ただパーティだけに日々を過ごすことが、許されるとでも?
人類という種、文明、文化と遺伝子、それらすべてを次の時に伝えることを、何も考えないのですか?
次の時などない、どうせ死ぬのだから今楽しもう、それだけですか?
宇宙進出が絶望なら、人類の99.9%を殺しアスファルトをはがして地表を森林に戻し、人類という生物種は石器時代でずっとやっていく…超巨大火山噴火や気候変動に対処できないので、百万年存続するのは無理だと思いますが…計画を今から進めるべきです。
また人類が、地球生命が生み出したあらゆる素晴らしいものを、誰か拾ってくれと宇宙各地に送り出す努力を始めるべきです。というかこれは、最悪に備えてどのみちやるべきことです。

千年万年の時間軸で考えれば人類には、宇宙に出るかマントルまで掘る・数百万まで減らして石器時代に戻り数万年生きて滅びる・文明崩壊で滅亡するの三択しかないのです。
この大きな地球で資源が尽きるなら、宇宙に出てもすぐ尽きる、というでしょうが、事情が違います。
地球という星には、たとえば「金(ゴールド)」は、地表をメートル単位の厚さで敷き詰められるぐらいはあるでしょう。でも地球の金埋蔵量は、プール二杯なのです。
なぜなら、金のほとんどは地球の一番奥、核に鉄と混じっているからです。そこまで掘れなければ手に入りませんし、今の人類には掘れません。
人類が手に入る、地殻の浅いところで集中した「鉱山」は、地球深くのマグマの動きでわずかに地表に出てくる泡…それこそ食物が湯気を立て机からあふれるパーティの、窓から吹き出され、さらに石にぶつかって通りの反対側まで転がってきたさくらんぼの種のようにちょっぴりです。
でも宇宙を漂う小惑星なら、すぐに核にたどり着けます。どの原子番号の金属資源も、手に入れやすい形でたくさんあるでしょう。

万年先を考えるなら、原発は問題ではありません。再生可能エネルギーの可否すらどうでもいい、化石燃料資源の埋蔵量も、まして温暖化も。核融合や高速増殖炉すら考慮する必要はありません。
大深度ドリルと、軌道エレベーターのためのカーボンナノチューブ。
考えるべきなのはまずこの二つ。
それと、全てがダメな時に備えて、数百万まで人口を減らして人類の活動を清掃し石器時代に戻す計画と、遠い宇宙に種をまく努力。
それだけです。

というか、ドリルか軌道エレベーター、どちらかができればエネルギーも使い放題です。
マントルまで掘れたら地熱使い放題、軌道エレベータがあれば宇宙太陽光。
さらに、「極超音速スカイフック」は今の技術で可能なのです。まずそれを!

18

人類のベルカーブがもっと大きかったら……
人類は、これは有力な仮説というだけかもしれませんが、アフリカを出る前に大規模な火山噴火で地球全体の気候が変わり、絶滅寸前の数千まで減少してそこから長い時間をかけて増え直した、だから遺伝子的には非常に均一で品種分化が進みにくい、といわれています。

人類が犬のように容易に品種改良でき、品種の幅がセントバーナードからチワワまでのように、ゴリラからニホンザルまであったらどうだったでしょう。
また二十人に一人ぐらいがサヴァン症候群だったり、今の人類では万に一人の天才が百に一人だったりしたら。
当然ベルカーブの端はもっと大きくなり、もっと桁外れの天才が多くなるでしょう。

それとも過酷な自然環境では生きられない、低い側の子が多すぎるのが負担になるので、そのようであれば淘汰されるから存在し得ないでしょうか?

為政者にとって、自分たち以外のほとんどには、今の人類の診断基準でどれぐらいの精神薄弱、どれぐらいの腕力と食料消費のバランスであってほしいでしょうか。
多数いるサヴァン症候群を、地図製作や天文観測、建築計算などに活用していたら。

犬よりもう少し賢い家畜、ネアンデルタール人の生き残りがいても……重大な変化があったでしょう。

それどころか、人間を去勢するのが一般的だったら……それだけでも桁外れの違いがあり得ます。
そして、僕が知る限り、族長とその後継者および少数の予備男子以外は去勢し女子全員をハーレムとする人間集団は、歴史的にも、最近まで文明と接触していない人々にも存在していません。

17

石油や石炭を、「今これだけしか掘っていない」のはなぜでしょう。
掘りすぎたらなくなることを心配しているから?気にしているならもっと代替エネルギーに力を入れているでしょう。
十倍掘って十倍儲かるなら、石油や石炭を掘る会社は全力で掘ると思います。

需給の法則、十倍掘っても価格が十分の一になるだけだから?
だとしたらそれは、「世界の需要総量が一定」ということです。
なぜ需要は今ぐらいの量なのでしょう。電化生活をしていない人が五十億人ほどいるのに。

その人たちが、自動車や電気冷蔵庫を使うようになるには、何が必要なのでしょう。
貨幣でしょうか?金あまりが世界中で言われています。
仕事でしょうか?要するに、百億の車を作るのに一億人しか必要ない、でも世界に「車が買えるだけのいい仕事」は五億人しかいないから、五千万人で五億人分作るのが一番メーカーにはちょうどいい……
だとすると、五億人だけが豊かで残りが極貧の現状が、経済学的に自然なあり方だと。
それはゲーム理論で、ナッシュ均衡なので他に移れない状態というだけでは。皆が豊かになれば、上の人々ももっと豊かになるのでは?

その、「世界で車を買える仕事は五億しかない」というのは、なぜでしょう。
なにが起きたら、残りの人たちも自動車や冷蔵庫を使うでしょうか。
「採算が取れる新しい仕事」が少ないのが根本的な問題なのでしょう。
それとも、「天然の良港」が絶対的な制約資源でしょうか。
それと巨大な、灌漑で超巨大生産力を持ちえる、水に恵まれた農地や膨大な漁獲のある海域?

風力発電も太陽電池も、塩生植物海水灌漑もエネルギー用海藻養殖も、メガフロートも極超音速スカイフックも、要するに「採算が取れない」から、三十億の旋盤工でも足りないような大量生産が始まっていないのでしょうか。
その「採算が取れない」というのは、「本質的に使いものにならない」と同義なのでしょうか。
だとしたら、もう人類の力は限界で、ただ採掘可能な浅い資源を食いつぶし、自壊するしかないと……

というか、「石油や石炭を今これだけしか掘っていない」というのは、「なぜアマゾンが切りつくされていないのか」とも言えます。
ピサロやコルテスが、アマゾンの木材で斧を鍛えまた木を切り倒すことで充分に豊かになれるのなら、アマゾンがどれほど広くてもコロンブスから百年で切りつくされていたでしょう…それをとめる環境団体はいませんでしたから。
当時の技術・経済・政治では、それができなかったのです。
木を切る、運ぶ、木炭に焼く、鉄鉱石を掘って溶かして鋼を作る、斧を鍛える、木を切り鉄鉱石を掘る…
そしてそのサイクルから余った木材や鉄製品を売り、儲けを出し、その儲けで関係者の衣食住をまかなったり奴隷を買ったりする…
そのサイクルは、当時の技術水準では「百年でアマゾンを切りつくす」ほどはなかったのです。
それどころか四百年経ってもアマゾンは、減っているとしても残っているのです。

それほどに、資源を消費し富を生み出す車輪の回転は、あえて言えば遅いのです…アマゾンを思えば、また二酸化炭素温暖化が本当であれば、幸いにも。

16

今のゲーム技術を使えば、現在は存在し得ない格闘技が作れるかもしれません。

直接殴り合うのは効果的です。
ですが、相手の膝を蹴ること、眼や喉を突くこと、股間や後頭部、腎臓などへの、本当に有効な急所への攻撃を認める格闘技は存在できません。
素手での頭部打撃は危険ですが、それを禁止する限り非実戦的との批判は絶えません。

型稽古で相手の足を踏んで眼を突き、首を折りながら投げる動きを練習することはできますが、型稽古も非実戦的と批判されます。

でも、「人の動きを読みとる」「読み取ったとおりの動きをロボットに再現させる」この二つができれば、離れた部屋にいる二人が、どちらも柔らかい素材で出来たロボットと殴り合っており、しかもロボットと人がつながっているため二人が直接殴り合っているのに限りなく近い、ということができたら?
ただし打撃が当たったら、その瞬間だけロボットが力を抜くか、またはロボットの拳や足がきわめて柔らかい素材かで安全。

完全に実戦的で、しかも安全な格闘技が可能になるはずです。

15

人に「その場で即座に自殺する権利」はあるでしょうか。
それは武装権と裏腹になります。
日本においては、武家男子の短刀、武家女子の懐剣は主に自殺の手段であり、対人殺傷ではありませんでした。
いつでも即座に自殺できる覚悟と手段、それが武家であることの必要十分条件とさえ言えます。

武士道が廃れた現在も、「その場で即座に自殺する」ことが必要であることは多いと思います。
身に覚えのないことで逮捕されたら、自白した上で有罪判決を受け、「心からの反省」を強要され心を砕かれることは絶対に免れません。「人間は何であれ自白する」ことを前提にするのが現実的なのです。自殺以外にその理不尽と屈辱、心の一番底からの解体再構築……魂の殺人を避ける方法はありません、少なくとも日本では。
なんらかのことで、感情が激発して他者に暴力をふるうこともあり得ます。
長時間の拷問の末の殺害を好む快楽殺人犯にとらわれるリスクもあります。

それを思えば、即座に自殺する手段を常に持っていたいですが、合法的にそれをするのはかなり難しいようです。
軽犯罪法を厳密解釈すれば、武器のみならずいかなる「道具」も無目的携帯は認められませんから。針一本、紙一枚、塩一粒であろうとも。

14

「財政破綻した国」が取るべき正しい政策は、経済学の教科書のどこに書いてあるでしょう。
あるとしたら、有名どころでは韓国・アルゼンチン・ロシアを参考にすればいいのでしょうか。

僕には、要するに金を稼いで払わなければならないのですから、国のシステムをすべてゼロベースで見直し、「国民全員餓死しない」「稼いだものは全て借金の支払いにあてる」だけに徹するべきだと思えます。

完全統制経済と言われそうではあります。餓死しない程度の配給、生産手段も預貯金も資産も全て国有にして、返せるものは返す。

で、問題を単純に考えて、全国民が徹底的に節約し、とてつもなく勤勉に働けば財政は回復するのでしょうか?

「誰も餓死させない」は甘いのでしょうか。
なぜ、財政破綻を言う本のどれを見ても、「誰も餓死させない」ことに関心がないのか…国民の九割が餓死するのは必然だからでしょうか?

国そのものを巨大な強制収容所にし、あらゆる労働力を使い捨て前提で搾り出し、使えないものはガス室に送れば借金を返せるでしょうか。
家計が破産したら、全員がダブルワークトリプルワークで睡眠時間など無視して働き、女は風俗で男はタコ部屋かマグロ漁船となるのと同じように。
それが正解であり、運命なのでしょうか。

僕があまり関心がなかった「TPP」も同じことです。
必要なのは安心して破綻できるセイフティーネット、それだけです。
このままでは、セイフティーネットなしに開国し、膨大な人間が破産で自殺させられ、それまでに激しい拷問を受け続け、連帯保証で破滅させた親戚や仕事仲間の憎悪と罪悪感にボロボロになるのが目に見えています。

開国しようが鎖国のままで破綻しようが、自殺しなくても破産できるようにする、という選択肢は、この国にはないのです…餓死はさせない、と誰も言えないのと同じように。

まあ、日本は東日本大震災ですら国家非常事態一つ出さず、余計な会議は増やしたけれど平時法で乗り切るほど「平時」バイアスが極度に強い国ですから、「結果として膨大な人が自殺する」以外に、政治的に特別なことは何一つないと思います。
餓死はさせない、という発想自体有事の発想で、その「有事の発想」自体が嫌われるのでしょう。
無論右側にとっては、餓死はさせないといえばそれはサヨクですからね、許されないでしょう。ガンガン餓死・自殺させて弱肉強食を徹底し、実力と勤勉で自助できるものだけが生き延びるのが正しい国の姿というわけで。

13

選挙の「一票の格差」是正は諦めたほうがいいのでは。
改革は諦めたほうがいいのでは。
無駄の削減は諦めたほうがいいのでは。

あれほど圧倒的に選挙で勝っても骨抜きにされるのですから。
政権交代しても、何もいいことなどなかったのですから。

憲法改正は諦めたほうがいいのでは。
自衛隊の解散も諦めたほうがいいのでは。
独立は諦めたほうがいいのでは。

いや、誰もがとっくに何もかも諦めていて、その上で、実現の可能性が皆無と知りつつ主張し続けることで金を稼いでいるだけなのかも。

ならばこういうべきでしょう。
「人にできることなど何もない。読むな。書くな。話すな。デモをするな。政治を考えるな。天下国家について書きこむな。
何をしても無駄だ。
適当な依存症を探してのめりこみ、とっとと死ね。今すぐ首を吊るほうが楽だろう」
と。

それとも、「悔い改めよ。神の国は近づいた」というべきでしょうか。または「戦後民主主義と決別せよ、歴史の縦軸に目覚めよ」とでも。別に九条でもいいですし。
カルト教団にはまってたり、ネトウヨで憎悪に狂ってたり、陰謀論で満足していたり、角の三等分を証明したと書き送ったりしているのが、人間にとって最も幸せな状態です。

12

人類の進歩と進化を実感できるゲームが、今の技術では作れないでしょうか。

道具を得る以前の、それこそナックルウォーク段階の、小さい群れを作る類人猿が、住んでいる森の火事で草原に出てから。
出る直前があっても楽しそうです。

そこでライオンの先祖や巨大鷹に追われ、狼の一種をペットにして、石を投げて獲物を取り、石器を作って分厚い皮を切り、ついに火を覚える…
その「石を投げる」「石器を作る」「火を保つ(火を作り出す、熾す技術はかなり後)」それぞれ、今の画像処理能力なら実に面白いゲームとなります。
また木の実草の根の採集も面白いでしょう。

それで、どれほど出産時に母子ともに死に安いかを計算に入れつつ、群れが滅びないよう操り続ける…
別の、人類の集団と戦いながら。
時々群れを分けて、分かれた群れと争うことがあっても、全部が滅びることはないように。

それだけでも面白いですし、農耕牧畜を始めてからの、小さなミニゲームの集合として生活をシミュレートして現代に至っても面白いでしょう。
それこそ最後のほうでは、ライン工としてねじを締めるとかまで。

肉食獣に追われて逃げたり、また獲物を追って走り石を投げてしとめる、というのは画面つきスポーツジムでやっても楽しそうです。

進化心理学を前提に考えられるように、その訓練はしたほうがいいと思います。

11

人間は常に、実体のない「恐怖」「欲求」にさいなまれています。
恐怖は、もし実体を完全に安全にしても治まりません。独裁者たちが次々と、底なしの武装をしながら猜疑心と恐怖で狂っていくのを見ればわかることです。
たとえ、一生分の保存食と水、どんな外的も撃退できる銃や弾薬が倉庫に入っている、無人島の要塞に閉じこもっても、恐怖がなくなることはないでしょう。
欲求は、そのときそのときの食欲など基本的欲求を満たしても、欲しい物を手に入れても、終ることはありません。

その、実体のない恐怖や欲求を抑えてくれるのは、集団と嘘です。
群れの一員としての、強固に結合された感覚は、短期的には強力な安心感と満足になります。
でもそれは、性交や戦闘、祝祭、大規模な仕事の成功など大きなクライマックスでしか体験しにくいものです。
嘘…宗教・護符も、群れとしての一体感や魔術的な感覚…本来不可分です…で恐怖から守ってくれます。
なぜか、物理的な防御ではその恐怖からは逃れにくく、嘘でできた壁のほうが有効なようです。

その「嘘の壁」を持てない無神論者は、軽く言っても大変です。

それは結局、進化心理学でしょう。
獲物を食べて満足しているのではなく、また次の獲物を探し、新しい水場を見つけ、捕食者を警戒し続ける遺伝子の持ち主が増え滅びなかったのでしょう。
新しい水場狩場を見つけてそこに余分な子供たちを送り出して、群れを分割して遺伝子を増やし続けることが。

まあ人類は、その「新しいところに広がる」ことを諦めてしまったようですが。

10

同情に対する冷笑
力の信奉、弱肉強食礼賛
現実主義という思考停止
性的清教徒主義および権威絶対服従だけの空虚な道徳
無力感、「愚民は天下国家に関心を持つな」

新自由主義改革以降、日本を強く覆っている雰囲気です。

またイデオロギーに執着し、現実、特に科学の進歩による人間理解の進展を無視する態度が、それこそ僕が生まれる前から、日本の言葉の世界を深く覆っています。

9

「波動エンジンを手に入れたガンダム」は想像可能でしょうか?

また、「ミノフスキー技術を手に入れた現実世界」は?
ズムウォルト級が波動エンジンをつけて宇宙を飛ぶ宇宙戦艦作品は?いや、潜水艦のほうが自然、というか簡単です。

なんでアニメはそんなに、巨大ロボットに乗るのが好きなのでしょう……
逆に、戦艦と戦闘機だけのアニメや漫画が少ないのでしょう。
ロボットアニメ以外の宇宙SFアニメがほとんどないのはなぜでしょう。

SF実写それ自体が、怪獣映画・仮面ライダー・スーパー戦隊を除くと極端に少ないのも不思議といえば不思議です。

ロボットアニメと同じ技術水準での、現実的な戦争兵器体系を描いたら、それはどうなるでしょう?
「小型核融合炉があるなら、既存の戦車や戦闘機を強化するほうがはるかに有効」なのは間違いないです。人型機は部品点数・二乗三乗則・前方投影面積というどうしようもない問題がありますし。

……「UCガンダム物理学」での、徹頭徹尾現実的な兵器体系・軍隊制度での戦争の進行を描けば、それは多分強烈なガンダムパロディになるでしょうね。

「波動エンジンとガンダム」でいえば、波動エンジンは事実上無限でコンパクトなエネルギー供給装置にもなりますから、木星以遠の資源を用いた大規模なスペースコロニーを大量に作れる可能性はあります。
といっても、UCのミノフスキー核融合炉も充分それができる技術だと思いますけど。
太陽系の、冥王星より外には月より大きな準惑星、資源の宝庫がいくつもあるのですから、それをコロニーにして核融合炉で照らせば、争う余裕がないほど仕事はあると思いますが。

逆にガンダム世界のスペースコロニー技術を地球に輸入すれば、波動エンジンを供えたスペースコロニー…ヤマトの居住・食糧生産スペースを肥大化させた船…を移民船として多数恒星間に飛ばすことで、「どれか一つは生き残る」戦略も可能です。
もちろん地球近くで大量にコロニーを作るのも…作っては破壊されてましたっけ。

8

日本の神学界では、「日本人であることとキリスト者であることは両立し得るのか」という問題はどうなっているのでしょう。

そこで、日本人であることとは何か、という問題が出てきます。
普通なら日本国籍。でもそれ自体に、霊的な何か、キリスト教の神の命令と両立し得ない何かがあるのでは。
日本人であることは、天皇とその儀礼が構成する魔術的な加護に、魂をとらわれているということでは。

キリスト者が日本の国旗国歌に敬礼することはできないようですが、それは当然のように自国の国旗国歌に敬礼している諸外国のキリスト者と、どのように対話されているのでしょう。
そういえば、日本のキリスト者で、自衛隊員は存在しうるのでしょうか。日本のキリスト教はきわめて平和主義を強調しますが。

その、日本のキリスト教の九条強調は、世界のキリスト教とどんな関係にあるでしょう。
特に従軍牧師制度のある西欧諸国と、まともに交われるのでしょうか。

僕が日本神学、世界のキリスト教の中の日本キリスト教についてまったく知らないことに、苦笑するほかありません。

7

どちらも、「自分の思い通りになった場合の、最悪の事態」は考えません。

護憲派には、未来は二つしかありません。九条を選んだ場合の平和と幸福、戦争を選んだ場合の破滅の二つです。
普通の国として、スウェーデンのように重武装しながら巧みな外交と戦略で平和を保ち続けることは絶対にありません。
カナダのようにアメリカと密接に同盟しつつ、致命的なほどは深入りせずに適度な平和外交を行うことも絶対に考えません。

また非武装を選んだために周辺を不安定にし、侵略されてから「旧日本人」が徴兵されてさらに別の国を侵略することも、絶対にあり得ないと考えること自体を禁じます……「日本を侵略する国などない」と決めつけることで。もっと大きな欺瞞は、護憲派は自分の望みが叶うことを考えていないのです。自分は「軍国化に抵抗した殉教者」でしかありません。本当に日本が非武装中立を決断することは、一切考えていないし、考えることも禁じているのです。
考えることを禁じる、それが護憲派の本質と言えるでしょう。

といっても、改憲を訴える側も「軍国主義が暴走する場合に対する予防措置」は考えていません。
人間社会がどんなに軍国主義に暴走しやすいか、その時にはどれほど人が弱いか、それには断固として目をそむけます。

どちらも、見たいものしか見ない、考えたいことしか考えない、考えたら不都合なことは考えることを禁じるのです。
僕には、「絶対は絶対にない」がすべてです。あらゆる最悪を想定します。だから僕の言葉を聞く人はいません。

思い出すのが、孫子…武だったと思いますが、ある大臣に競馬必勝法を聞かれたときのエピソードです。
王も大臣も馬を飼っていました。強中弱の三つで三番勝負。
王のほうが強・中・弱とも、大臣よりやや強い馬です。
孫子は、「王の強に大臣の弱、王の中に大臣の強、王の弱に大臣の中をあてなさい」とアドバイスし、それで大臣は一敗二勝で勝ちました。
左右とも、自分のいったとおりにした場合の「最善」「現実」「最悪」の三つのシナリオで、自らの「最善」と対抗側の「最悪」を比較します。

最善と最善、現実と現実、最悪と最悪を比較すべきです。

6

現在、世界の多くが貧しいのは、「豊かな権力者たちにとって、そのほうが都合がいいから」か、それとも「人間の力が限られているから」のどちらなのでしょう。
温暖化対策が進まないのも。
いくつも崩壊国家があるのも。

それは権力者たちの思い通りなのか、それとも権力者たちの無力の証拠なのか、または権力者たちは関心すらないのか。
陰謀論的な考えは、とても簡単で整って都合がいいです。だからこそ、危険な罠なのです。

そう、現実は「豊かな権力者たちは全力で世界の貧困地帯も豊かにしようとしているけれど、その莫大な金や武力でも、全く思い通りにならない」と、「あまり関心がなく、むしろ自分の不倫や自分の子供がいじめられている、妻の妹が麻薬中毒…そんなことのほうが心配、ただ来年度の利益は上げるよう部下たちにはっぱをかけている」の中間でしょう。
ソマリアで何十万人餓死している、金持ち権力者は秘密結社めいた演出の施された会議室で「計画通りですな」と笑っているのではなく、単にテレビを切って、子供を迎えに警察に出かけるだけでしょう。
人は公共的なことにそれほど関心を持ちません。金があっても幸せではありません。
そして、よほどのバカでなければ、ソマリアの子供たちもパソコンを買う世界のほうが儲かることはわかっているでしょう。手に余るだけで。

世界の半分の富が上位1%にある、といっても、それで何ができるのでしょう?彼らが改心したとして。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団が、今どれだけのことをしているでしょう。
核融合や高速増殖炉に、何兆円の開発費をかけて、それでどう進展しているでしょう。
革命で彼らから財産を取り上げ、貧しい人々に配れば世界は楽園になる、というのが人間の本来的な考えですが、そうはならないのです。

単純な思考実験を、活動家にやってみればいいのです。
百兆円あげます。あとアメリカ・日本・中国のどの政府も、あなたの命令に絶対服従します。アフガンやソマリアをどうにかしてください…
一京円あっても、メキシコの麻薬組織すらどうにもならないでしょう。
腐敗と官僚主義と裏切りと横領に、どんな大金も一瞬で消えうせるでしょう。大統領が服従しても、議会や軍の末端が、世論が方針変更に激しく反抗するでしょう。
それを陰謀論的に解釈してえらい人を罰しても末端の士気が落ち、戦死者が増えるだけです。

陰謀論は、要するに「世界は簡単に思い通りになるわかりやすいところだ」という主張です。
現実は、どうやら逆のようです。

昨日、僕は「貧困地域で餓死や虐殺を止めている超能力者が、CIAに家族ごと拷問虐殺される」と当たり前のように書きました。
本当に超能力者がそんな活動をしたら、CIAは拷問虐殺するでしょうか?
なぜ僕はそう思ったのでしょう。

マーブルコミックや「ジャンパー」をはじめ、CIAが超能力者狩りをする作品は数多くあります。
また、左翼言説の中では、平和・環境活動家や、貧困国の罪のない女子供もCIAは無差別に拷問虐殺しています。

実際のCIAは強く制約されており、慢性的に予算不足人材不足で、官僚集団です…9.11テロを見逃すほど。
9.11を意図的に見逃したという陰謀論はどう見てもリスクが高すぎます。一人の裏切り者によってアメリカが瓦解するのです。
いくら閉鎖組織の狂気があったとしても、逆にそこまで有能ではないでしょう。

超能力の存在を匂わせる報告にも、取り合わない可能性が一番高いです。
ただ自分たちが取引して味方につけている武装勢力の長が暗殺されれば、犯人探しに協力するでしょう…組織、国に迷惑がかからないよう細心の注意を払って。
情報があれば、殺人犯として国際手配ぐらいはするかもしれません。
事実客観的に見れば、「腐敗した虐殺者の暗殺」もただの殺人ですから。
また、平和活動=共産主義という偏見が、今の日本公安警察同様深く染みついているかもしれません。そして崩壊貧困国家では、「情報収集」で拷問は当然でしょう。

多くのフィクションを通じ、人々の間にはいくつもの「実在しない職種の人々の性格類型」が強くインプットされています。
典型的には、「古代文明の超兵器を集める特殊部隊」。
他国に超技術を渡さず自国で独占するため、きわめて残忍に振る舞う悪役です。
でも現実にそのような部隊があるとしても、あのような行動様式でしょうか?
フィクションに描かれる彼らは実際の軍人、それもナチスドイツのような軍隊の現実とも、大きく違うでしょう。
描かれているゲシュタポや特高警察と現実の彼らも、かなりの違いがあるのかもしれません。

僕が知っているのはあくまでフィクション界だけなのです。
「超能力者狩りをするCIA」「環境活動家を暗殺するCIA」も、フィクション界の住人なのです…竜と同じく。
そのことを超能力者が忘れたら、「瓜生」が召喚されたファンタジー世界でかつて犯したと同じ罪、現実と物語を混同しての虐殺をしでかし、本当に世界にとって危険な存在になるだけでしょう。

現実とフィクション界は違う、ということはわかります。
でも僕は、フィクションを除いてしまうと、現実に何があるのか知る術がありません。

ちなみに、「江戸時代の人々」についても、僕は時代劇・小説でしか知りません。
「時代考証の原典」を一つも読んでいないですし、その原典自体が多くはないのです。

5

実際問題、僕が書いている複数の二次創作小説に共通するオリ主人公、「瓜生」の能力でアフリカ・アフガニスタン・中南米など紛争地帯を救えるでしょうか。

彼の能力は以下…
「現実世界で市販・軍採用されている品をすべて、核兵器も含め無制限に手元に出せる」
「重機関銃から飛行艇まで多様な重機を使いこなし、自分の手で修理できる。数年で帆船の扱いを覚えたほど手で学ぶ力が高い」
「日本医師資格、測量技師なども充分資格を取れる水準。他にも多様な知識」
「ドラゴンクエスト3の賢者全呪文+『ダイの大冒険』のトベルーラ・リリルーラ・マホカトール、その他魔力の解析が可能。もう一人魔法使いのパートナーがいればメドローアも可能」…特にラリホー(眠らせる)・マヌーサ(幻覚)・レムオル(透明)・アバカム(解錠)があれば泥棒・拉致・暗殺は事実上やり放題、メダパニも応用すれば拷問なしで何でも自白させられるかもしれません。
「魔法の応用で、最新軍用機や戦車とドラゴラムの応用で一体化し、爆弾・弾薬・燃料も出し続けつつ最高性能で操縦し、さらにプラズマ状態の高温の炎を吐ける」
「ゾーマ・神竜などに短時間ならモシャスできる」
「常人の十倍の身体能力」
「普通の銃弾ぐらいならノーダメージの、不可視の魔鎧+切れないものはないし、無限回ルーラを使える魔剣+短距離のメドローアが使える魔銃」
またいろいろな手で、銀行預金も無限大のようです。実際には無限に金地金やダイヤモンドを出せても、それを無限大の銀行預金にするのはきわめて困難なのですが。

さて、それだけの能力で、この現実世界で…他に魔法使いや国家超能力者、ヒーローの類がいないとして…何ができるでしょう。

世界から、アフリカからだけでも餓死と虐殺をなくすことができるでしょうか。
アジアや中南米から絶対的な貧困をなくすことは。
それとも、あっというまに諜報組織にかぎつけられ、家族を人質に取られて家族ごと拷問虐殺されるのが落ちでしょうか。

援助物資をタンカーごと何万隻分も出しても、それで飢餓地帯を救うことはできません。
食料の量は充分でも、それを分配することは一人では不可能で、他人を入れたら横流しされ、買い占められるだけのことです。
そうする悪しき権力者をいくら暗殺しても、悪を倒せば弱い民が救われるわけではありません。
悪を倒したら全ての秩序が失われ、完全な混乱で何も分配されはしないのです。腐敗し狂った独裁者と全くの無政府では、前者のほうがまだましなのです。

ではどんな能力者ならば、紛争地帯を救えるのでしょう。
膨大な人々の、押入れのどこかに隠されたノートにある「オリ主」…彼らの中で、「ソマリアを平和で発展した近代国家にできる」人は、何人いるのでしょうか。

そして、貧しい群雄割拠だったヨーロッパも日本も、どのように安定した近代国家となったのでしょう。
法の支配と所有権、経済的自由でしょうか?
それとも天然の良港と充分な農地、石炭と森林資源でしょうか?

4

こんなゲームがなぜなかったのでしょう。
機械的になら70年代、電子的にも85年には余裕で作れたと思います。
そして、人間の本質が求めるゲームのはずです。

一人ではプレイできず、二人。1と2とします。双方の手にはA、Bの二つのボタンのついたコントローラーだけ。

ルールは単純、「1がAを押す、一定時間以内の直前に2がBを押せば2に得点、フライングしたり押し損ねたりしたら1が得点。1と2は交換可能」

互いの心を読み、同調する…人間の本質です。
単純にそれだけでも面白いですし、二人同時に音楽にあわせればもっと面白くなります。
他にも無限の使い道があるでしょう。

電子的に少し複雑にすれば、集団でプレイすることもできるでしょう。

3

冤罪の殺人で、有罪判決が出て服役しました。
無実を訴えたら、被害者の遺族がその記事を被害者の墓前に置き、冤罪服役者に対する恨みの遺書を残して自殺しました。
無実の訴え自体が、被害者遺族にとっては、耐えがたかったのです。心からの謝罪と反省、いや復讐だけが望みだったのです。

さて、冤罪受刑者は、また冤罪の訴えを取り上げた支援者・弁護士・マスコミは、悪いことをしたのでしょうか。
「冤罪でも心から謝罪・反省する」義務はあるのでしょうか?
そして真犯人が判明し、冤罪が晴れて出所した、その人は被害者や自殺した遺族、そのまた遺族に対し、なんらかの義務を負っているのでしょうか。
その冤罪者は被害者・遺族・真犯人の誰とも、事件以前に一切関係なかったとして。
義務があるのは真犯人と、警官・検察官・裁判官だけだ……本当にそうでしょうか?

他にも、「確実な証拠で冤罪が判明して釈放された元受刑者を、憎悪をなくせない被害者遺族が殺害する」事件も考えられます。
憎悪は一人歩きするのです、理性が通用しないほどに。

憎悪に応答義務があるのなら……
憎悪に対する応答義務、というのは戦後責任論でよく言われる言葉でもあります。自分の行動・記憶とは無関係に、罪を負わなければならないというのは不条理ですが、人間からはなくせないのでしょうか。

2

希望、それが間違っているようです。

何十年か前に、「受験」「偏差値」「いい学校いい会社」が批判されました。
そしてこれからはモノの時代ではなく情報の時代だ、という言説もありました。
ひたすら机にしがみついて受験勉強をしている子供たちには、それは福音でした。
つまらないことを我慢するのではなく、楽しいことをすれば社会的勝者になれる、と。
偏差値に劣る自分たちは、将来は工員や、親の自営業を継ぐだけの薄暗い将来ではなく、華やかな情報の世界に、受験勉強で腐っていない新鮮な脳でより高い存在になれる、と。

結果。
確かにモノから情報、にはなりました。
でも情報で食えるのは万に一人。コンピューターをたくさん勉強した人も、大半はIT土方です。
無論横文字クリエイターなど、全国でも数十人の需要しかない、膨大な「夢食い」学校の氾濫だけす。

もっと悲惨なのは、なら受験と偏差値、旋盤と町商店が正しい、というわけでもないことです。
受験や偏差値だけで豊かに暮らせる人は、間違いなく大きく減りました。最高のエリートであった大企業正社員さえも、膨大にリストラされました。それ自体は事実なのです。
またこれまで、偏差値で低かった人々の受け皿であった工員・土木建築・小規模自営業は、壊滅しました。
旋盤からコンテンツの時代になったことは真実です。でもコンテンツで食えるのはわずか、さらに旋盤の世界が壊滅したことも事実なのです。

どうすればよかったか…
できるだけ偏差値世界にしがみつく。公務員が理想。
それでも確実に生き延びられるとは限らない、落ちたらひたすら、結婚・持ち家・車など不可能な低賃金未熟練の非正規労働でせめて勤勉に働け。
食えなくなればおとなしく自殺せよ。
それが、新時代の、真のメッセージです。

昔も、偽りの希望はありました。
それこそ、十字軍も偽りの希望でした。子供十字軍という暴走すらあったほどに。
大航海、西部という希望は…先住民を思わなければ、ある程度本物でした。
しかし、かつての日本にあった、満蒙という希望は、結果的には希望を求めて移住した人たちにとっても大嘘となり、そのためにすべてをなげうった人たちをまさに地獄に落としました。

今も多くの人が、いろいろな希望で生きています。
でも、その多くは…

結論をあえて返しましょう。どうなってもせめて生きさせて。
それすらも求めてはいけない、素直に自殺するべきでしょうか?

1

七十億人突破。
この、人類という動物は、一体何をしたいんでしょう。

宇宙から見れば、ひたすら地球表面近くの生物多様性を減少させ、得られるわずかな「秩序あるエネルギー」や素材を、個体生存のためも一部ありますがほとんどは無意味な浪費に使っている…さらに生物遺骸というより大きな秩序あるエネルギーも使っている、と。
本質的にはイースター島住民、モアイのために最後の木を切り倒してヨーロッパ人が来る前にほぼ自滅していた、それが人類全体の、宇宙から客観的に見た行動と同じに見えます。
少なくとも、生命自体の長期的な生存には無関心です。唯一それができる種なのに。

楽観論者によれば、石炭やシェールガスがたっぷりあり温暖化はなく人口減少が間に合う、だから人類の未来は心配ない……かもしれませんが、それでその後どうするのですか?

未来はどうしたいのか。
未来はどうなるのか。
冷厳な事実はあります……地球は有限です。

「利益のため争うのが人間だ。自滅するのが自然だ」……人間の非技術ユートピア好き病の一変種としか思えません。
「〜れば救われる」……これも人の本性から出る発想です。宗教だろうが何主義だろうが。要するに、人がみんな欲望のないヒトモドキになればいいと思ってますが、それは絶対無理なのです。
「リスクヘッジ、とにかくあちこちに種を飛ばせ」……思想の人間工学が受けつけません。

人間は人間です。
悪い部分を除くことはできません。
虐殺も好きですし、慈善も好きです。
書くことも好きですし、本を焼くのも好きです。
自由平等を好み、同時に階級や秩序や指導者による圧政も同時に強く好んでいます。

人間が人間であることに背を向けた未来ビジョンは、すべて失敗するでしょう。
しかし、人間をありのままに見ること自体、人間の除けない本性が拒むのです。

「人間の本性が、人間はこうであって欲しい=こうだ、と思い込み、その方向に改造しようとする」、「ヒトモドキ」と、「人間の本性上、可能な変化可能性」が完全にずれているのです。

人間は、すべての人がヒトモドキになるビジョンしか、感情が受けつけません。
ですが冷徹な真実は、人間の本性から人間は逃れられないことを告げています。

もっと単純に考えてみましょう。
今からを、一億回繰り返します。
2200年に人類文明が…人類の生き残りが一人でも、でもいいです。
それと、六十億年後に地球型の生命が存続しているのは。
それぞれ何回ぐらいでしょう?

僕は、全人類の人権の実現と、文明の持続可能、またタンポポのように無数の種を宇宙各地にばらまく、この三つを望んでいます。
どうやら僕だけが。