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31

今年は大震災の年として記憶されるでしょう。
また世界史的にはジャスミン革命で。
ですが、僕にはどちらも、当事者以外の歴史の流れにとって重要だとは思えません。

大震災の後も、少なくとも言葉・政治の世界の根本構造はカケラも変わっていません。
考えてみてください、この大震災で、信じることが変わった人はいますか?今まで知らなかったことを知った人がいますか?
民主党政権がどうしようもなくダメなのは、震災の前からわかっていました。原発についても、反対する人は前から反対していました。事故で目が覚めた人が何人いるでしょう。恐怖が増幅されただけです。
結局首相は何事もなかったように一年で交代、その失望から世にあふれる声は新自由主義改革と反共、反対者は九条にしがみつき愚民を責めるだけ。
その構造は強まりはしてもひび一つ入っていないのです。
それ以外の論者はどこにもいないのです。

原発も、震災で少しでも止まるでしょうか?いいえ、流れとしては今も日本のメーカーは、世界各地で原子炉の売り込みを何のペースダウンもなく続けています。
原発も、日本を左右に分けるイデオロギーの、一つの枝でしかないのでしょう。なんであれ、イデオロギー論争から、反共と九条という化石同士の対決から逃れられないのでしょう。
脱原発で自主防衛、という論の存在自体が許されないほどに。

来年から、阪神大震災のとき同様、被災者は容赦なく忘れられていくでしょう。
そして自己責任の名において殺されるでしょう。
生命は長らえたにしても、故郷、伝統祭祀祖先共同体は、完全に殺されるでしょう。
それを止める人は誰もいません。そちら側の議員は、もう完全に無視されている、存在してもいない「抵抗勢力」のみです。

ただ「現状は悪い」という圧倒的な共通認識が肥大し、政権交代の失望から警察権力の強化に向かうだけでしょう。

ジャスミン革命も、やはりエジプトは強権軍事政権と化し、単純に自由民主でやれば原理主義のジレンマを克服できません。
そして来年は、オバマがおそらく落選し…世界は希望を失うでしょう。
当選しても、輝きは取り戻せないでしょうね。
せめてイラクやアフガンのアメリカ協力者が一人でも逃げられますように、いや拷問の前に死ねますように、と祈るほかありません。

そして経済…最悪前提どうなろうと誰も餓死させないように、なんてたわごとは誰も聞かないでしょう。
世界恐慌かV字回復か、もう何も読めません。
ただブラックスワンに怯えるだけです。

僕自身にとっては、大震災は幸運にもなんということはありません。
そしてそれ以来原発やエネルギーで考え抜いてきましたが、それも解決しました…多様な資源が有限、だから持続可能も原発依存も化石燃料も百年もてばいいほうだ、最悪を前提に救命ボートを、と。
また、僕…「書く僕」の言葉は他者に一切通じない…「書く僕」は、接見通信一切禁止の絶対独房終身刑を生来宣告されていたことを、自覚しました。
また僕が、昔と変わらず狂人であることも自覚しました。
信じるとか理解するとかが、言葉や論理ではなく圧倒的なものだともわかりました。
あとはより個人的ですが、「なかよしラブリー」の休刊が圧倒的に絶望的な知らせでした。

そうそう、年末ですがヒッグス粒子のほぼ確実な発見、超弦理論のコンピュータ計算も歴史的には大きなニュースでした。

30

民主党が先に自壊するとは…
というか、これは自壊なのでしょうか?

今回の政権交代で、僕の最大の失望は、自民党が崩壊しなかったことです。政界再編が起きなかったことです。
大震災ですら、大連立が動かなかったことです。

民主党がどうしようもなくダメだとはよくわかっていました。
ですが、「ずっとこのまま」よりは、「何が起きるかわからない」ほうがまだましだと思ったのです。
政界再編があり、何らかの変化があるのでは、と。甘かったのでしょう。

日本にその力は、もうないようですね。
おそらく、日本の政治で何があっても、それは何ら影響はないでしょう。
大震災と関係なくスケジュールどおりに消費税は増税され、ポルノや交通など警察権限は強まり、改革が進んでいないと批判され続けるでしょう。
来年末には橋下政権や石原慎太郎政権になっているかもしれません。言論や内心の自由は失われ、生活保護制度は廃され、貧困層の虐殺が始まるかもしれません。
大きな流れは変わらないでしょう。

どんな偶然、ブラックスワンを考えても、人権・(市民的)自由の側に立ち政治力を持ちうる候補・言論の可能性が、「石原・橋下の対立候補」が徹底的にないのです。

日本での政権交代は底なしの失望です。
ジャスミン革命も、エジプトの軍事政権は強権化しています。自由選挙ではイスラム原理主義が勝つ、というジレンマはどうしようもありません。
オバマも失望に終わりつつあります。
無力感が世界を覆ったら、日本以外なら宗教原理主義があるでしょう。
日本には何があるのでしょうか。正直見たくありません…拷問が始まる前に自殺できますよう、と祈るしかありません。

29

公務員の給与を削減せよ、というのが当然とされています。
でも、公務員は消費者です。その給与を削減したら、買い物総量が落ち、ますます景気が悪くなるはずです。
消費税増税も支持されていますが、それも「買い物総量を落とす」政策です。
公務員の給与総額は半減、年金もなくなる、消費税は大幅増税……それでいい国になるのでしょうか?
ますます物が売れなくなり倒産が増える、失業者も増えて……生活保護もなくなれば、どうなるでしょう?
どうしたいんでしょうね。
どんどん景気を悪くすれば景気がよくなるのでしょうか?

逆に「バラマキ」は常に批判されます。
でもバラマキは、買い物総量を上げて景気をよくするはずです。本来なら。バラマキはよくない、というのは日本では、それこそ1+1=2と同じぐらい当たり前のようですが。
充分ばらまいた、といっても、公共事業と量的緩和だの公的金利だの意味の分からないことだけ、僕自身は一万ちょいの定額給付金しかもらってません。減税でいくらかもらっているかもしれませんし、きれいな道路をもらっていますが。

ばらまいても皆が財政破綻を警戒して財布の紐を締めるから無駄だ、というなら、「何があっても誰も餓死させない」システムを作り上げればいいのです。
たとえ国が破綻しても、この義務を全員が果たすように、そのかわりこれだけの配給はある、と。

景気は「買い物総量」に依存するものではないのでしょうか?

そうではなく、投資というなら…最も重要なのは科学技術のはずです。
そして海と宇宙という新大陸を切り開くこと。

28

「ウォール街を占拠せよ」デモに対して、「(市場原理主義・新自由主義に)代替案はない」という応えがあります。
しかし、その市場・新自由主義の将来が、そのデモをしている「99%の貧困者」に不幸なのであれば、代替案がないといわれても困ります。
99%はどんどん貧しくなっていく。
99%は教育も職業訓練も無駄。
99%は、昔のように家族を養う仕事は得られない。
99%は、モダンタイムズ以上に規格化され、創造性のない単純労働しかない。
99%は、経済的には「労賃が高すぎる労働力」であり不要、財政にとって負担、社会にとって脅威。国家にとって害にしかならない、誇りを根本的に否定され、世界最低水準まで生活水準を下げるか安楽死が経済的に合理的。
それに代替案がないといわれたら、それは絶望です。
ギャンブル同様に統計的に不利だが自助努力せよ、落ちた者は世界を恨むのではなく自殺せよでは、あまりにご無体なとしか言いようがありません。

しかも恐ろしいのが、世界を変える希望がないのです。その、圧倒的に高い確率で自分にとって悪くなっていく状況を、政治を変える希望が一切ないのです。このデモが無意味なら。
希望なしに努力できるでしょうか?希望が欺瞞だとわかっていて努力し続けられるでしょうか?

国家秩序と道徳、宗教を取り戻せ、という、人類という動物にとってとても有効な狂気の叫びで、貧困層をゆっくりと皆殺しにすることで解決できる可能性は、どれだけあるでしょう。
解決しなかったら、革命になってしまったら悲惨しかないのですが。

27

銅や燐など「文明に必須の枯渇資源」のどれかが尽きる前に宇宙進出…
この視点のために、短期的に選ぶエネルギーとして、原発・化石燃料・再生可能エネルギーのどれが適切でしょう。
膨大な余剰人口と、森林資源など環境問題も重要です。

目標として、僕のビジョンは「人類の大半は〈地球の人類がいなければ森であったところ以外=宇宙、外洋、砂漠、氷河地域〉に住み、地球には少数の研究者、地球で作るのが優位なものの生産者、文化的多様性を守るために伝統生活をする人々だけが残る」状態です。
人類が荒らしてきた現在の耕地、本来の森林は、外来種は取り返しがつきませんが自然環境に帰そう、という考えです。

環境に対する負荷が最小なのは、まあ人類の99%かそれ以上を計画的に殺すのを除けば、それ以外にないでしょう。
文明崩壊ではそのとばっちりで、残る森林資源も全て破壊されるでしょう。
多くの人は、「人口の自然減で、みんなが充分豊かな生活が、地球上で続く」と考えているようですが、それは銅や燐など必須資源の有限性を見ていませんし、結果的には森林などにも大きな負荷を続けることになります。

今日本などがエネルギーをどれを選ぶかより、薪炭を使っている何十億もの人々が問題です。
その人たちをどうするか…薪炭を使わせていたら森林が破壊されます。
短期的には、単に技術水準の低い極貧地域に、かまど・ソーラークッカー・空中窒素固定植物など比較的簡単な技術で生活効率を増すだけでも環境破壊は大幅に減ります…ただし圧倒的な人口に、なにかとんでもない規模の仕事を与え現在の耕地とは別に海水で生み出した食料・衣類を与えない限り、焼け石に水です。

再生可能原発はどう考えても問題外ですね、先進国だけならともかく七十億人のエネルギー需要を満たすなど。
短期的には、再生可能エネルギーは研究対象であり、大規模普及は性急です。
風力発電は、地上と洋上どちらが有利かわかりません。洋上風力発電の実証実験は急務です。
太陽光発電も宇宙のほうが有利かもしれません。エネルギーが使えるか、そしてそれほど大量に短期間に量産できるか、費用は…

ただし、宇宙太陽光を見越しても、地上で太陽電池の大量生産技術を高めておくことは有効でしょう。
極超音速スカイフック、マスドライバーで鏡を打ち上げ制御すれば、地上の大規模太陽光発電所のエネルギー生産量は一気に増えますから。
さらに急速に静止軌道エレベータの実用化があるかもしれません。

最も短期間で成果が高いのは、現在ある火力発電所・原子力発電所の改良でしょう。
廃熱を近隣の温室に流すとか、無料温水プールとか、他にも用途はあるでしょう。
他にも専門家でない僕が知らない、改良可能点は多数あるでしょう。
そして高効率のガスタービンコジェネ天然ガス火力発電。これも切り札です。

宇宙や海を活用して数十年以内に、二酸化炭素放出量を変えないまま人類が使えるエネルギー総量を何十倍にも飛躍的に延ばす…まずそれが前提になるのです、農業生産を現在の耕地=人類が生じなかった地球で森林であった地域から、外洋や砂漠などに移動させるためには。
だからそのための研究がまた急務となります。

将来的には、人類の大半の食糧生産は、地球の砂漠や外洋を用いるのがいいでしょう。
砂漠を海水で灌漑し塩生植物からラクダの肉と革と乳製品を得たり、栄養の乏しい外洋で肥料をまいて海藻を大量に養殖したり、雨の多い赤道直下に巨大な皿を浮かべて水田にしたりするわけです。

26

大阪で「生活保護制度の実質廃止」が行われるのでは、そしてそれが国民の圧倒的支持を集めてしまうのでは、という恐怖があります。
「弱肉強食、働かざるもの喰うべからず、この日本で貧しいということは怠け者で悪だ自殺しろ」という叫び。

生存権そのものを否定、生活保護制度を廃止せよ……この声は、少なくともネットでは主流とすら感じられます。
ですがそれが、政治の表に出てくることは今の所ありません。
もし出てきたとしたら、左翼政党は反対の絶叫でしょう。しかしそれは、「反福祉」、橋下氏に対しては強力な追い風になるのです。
今回の選挙で、マスメディアや政党が彼を攻撃すればするほど彼の支持率・得票が増えたように。どんな暴言を吐き、どんなにそれが批判されても石原慎太郎氏が圧倒多数で勝つように。
それほど、大衆の左翼政党・マスメディア・近代価値に対する不信感、否憎悪は激しいのです。
左翼政党はごく狭い支持者以外に支持される候補者を出す能力がないのです。
時代に対応する言葉を出す能力が皆無なのです。
そして生存権を否定する潮流も、強いのです。

ここで問題なのが、第三の選択肢を提示する人がいないことです。左側に属する新政党が出ないことです。
現在の生活保護制度とは違う福祉システムを、誰も考え提唱できないのです。ベーシックインカムは、もう誰も相手にしないようです。

そして恐ろしい疑いがあります。結構取り上げられる、「職業訓練を伴う福祉」は、これからの時代に果たして有効でしょうか。職業訓練そのものが。
だとしたら……喰わせるか死なせるか、という単純な話になり、死なせるが勝ちそうなのです。

25

「私が信じているのは、本当にイエス・キリストなのでしょうか」
「あなたが信じているのは、本当にイエス・キリストなのでしょうか」
この問いは答えられる問いではありません。

他人が口でイエスの名を言っていても、その内心はわかりません。
本当はサタンに祈っているかもしれません。
マリア観音や黒マリアのように、異人種の姿をしたイエスかもしれません。
日本の「隠れキリシタン」は、キリスト教徒だったのでしょうか。その中には開国後、カトリックへの再改宗を拒んだ人々もいます、伝統習俗と化していた、カトリックから見れば歪み神仏と習合した、異端と断ずべき信仰体系に執着して。
それはイエスだったのでしょうか、それとも先祖だったのでしょうか。

逆に自分が口でイエスの名を出していても、他人に自分の内心はわかりません。
そして異端審問のような権威は、「お前はイエスの名を出しているが、信じているのはイエスではなくサタンなのだ。お前が何を信じているか決めるのは当法廷だ」と、誰に対しても決めつけることができます。

自分でも自分の内心はわかりません。人は自分に嘘をつくことができます。
イエスに祈っているつもりが、それはカトリックという組織にすがっているだけだったり、または自分自身の中の狂気をイエスだと思い込んでいるかもしれません。

イエスの名を口だけでも出していれば十分、それ以上は、真の神に対する信仰は人の意志ではなく神の恵みだ、と考えるのが健全でしょうか。

それとも、カソリックという組織に自我を徹底的に捨て去って己を捧げつくすことだけが、イエスを信仰する唯一の正しい道なのでしょうか。
でも、本当にそれができていることを、どのように証明すればいいのでしょう。
自分の内心を出して見せることはできないのです。どのような苦行も証明にはならないのです。

24

どこかで、「企業の論理だけで就活生の論理じゃない」という言葉がありました。
でも大企業にとって、大半の「就活生」は必要な存在ではありません。
卒業年度全人数の1%いるかいないかの「人材」だけが対象であり、残りは「廃棄人」なのです。
廃棄人が何を抜かす、と正直にいえないのが悲しいところですね。

昔は「廃棄人」にも使い道と必要性がありましたが、今はありません。
旋盤工から仕事が移った先は、フランチャイズ店・ブラック営業・コンピュータなど労働条件が悲惨で不安定な、生きられない仕事ばかりなのです。
企業側は、今は別に十年ぐらい新卒を採らなくても、果てしなく定年を延ばせばどうにでもなります。派遣も外注もあります。

もはや必要とされていない新卒たちが足掻いているから、ややこしい問題が出ているのです。
ヨーロッパでは若者の三割から半分は慢性失業、社会から実質排除されています。
日本も同じはずです。奇妙な経済論理から、無理に仕事するふりをさせているだけで。
アメリカも同様なはずです。
現実を認めることから始めるほうがいいのでは?

そして…公共事業では仕事を作れないようですが、桁外れに大きく人類圏を広げる…砂漠に海水を引いて塩生植物を育て外洋に肥料をまいて海藻を育てる、メガフロート・軌道エレベータ・宇宙太陽光発電などの巨大事業、森林を破壊して生きている人たちに別の仕事を与え植林のほうが伐採を上回るように…僕にはそれ以外思いつきません。

23

「地球の食卓 世界24か国の家族のごはん」という本でさまざまな写真を見ると、最貧層はほぼ穀物ばかり、自給自足農村は野菜と豆に少量の肉が加わる、少し豊かになるとバナナやオレンジなど輸入野菜が増える、豊かになるにつれてビニールパックが増える、となるようです。
ですが、本当に頂点であるはずの、ビニールパックばかりの英米が、この上なく豊かなのでしょうか。
その上はないのでしょうか?

僕は毎日ポテトチップスと冷凍ピザを食べるより、質のいいパン焼き機とヨーグルトメーカーと、圧力鍋で炊いた米飯のほうが贅沢と思えます。
パンを焼く・ヨーグルトやバターを作る、さらに米をといでご飯を炊くまで自動化できる機械があれば、そのほうがパック食事より贅沢なのでは?

そう考えると不便なのが、少なくとも今の日本の都市部では、小麦粉・大豆・原乳を継続的・大量に入手することが難しいことです。
ベーカリーマシンは普及しているのに、スーパーの小麦粉は1kgのみでかなり高価、20kg買うのは難しいです。
乾燥豆も同様ですが、特に大豆は自家製の豆腐・味噌という大きな贅沢が可能です。

さらに屋根などを利用した家庭菜園も、パック食品以上の贅沢ではないのでしょうか?

というか、なぜ今のアメリカ富裕層は、広大な庭を持ちながら、昔のイギリス上層のようにその庭で野菜を自給しないのでしょう。
というか、こういう贅沢はないのでしょうか…近所数戸が共同で菜園と管理人を雇い、それが所有する菜園を耕して新鮮な野菜や、数十個規模でかなり広い範囲が必要ですが目に見えることは保証できる卵と山羊乳製品を共同所有者に供給する、という。

人が何よりも求めるのは、パックをあけただけで食べられる手軽さだ…だったらなぜ、三百年前、本質的には紀元前から可能だった乾パンが主食ではなかったのでしょう?
油紙に華麗な絵を描いて密封して。

まあ、フランス革命以前の貧民層は年に数回非常に固く巨大なパンを領主が独占する窯で焼き、少しずつ削ってスープにしていた…塩と野草、ぜいたくできれば多少の豚油の塩漬けも入れて…と聞いたこともありますが。

22

ラブコメマンガによくある、中学生から高校生の男女が二人山ではぐれて、山小屋や洞窟で二人一夜を明かし、夜が明けたら旅館の裏だった…

これ、現実に起きたら新聞沙汰ですよね。
一面トップはわかりませんが、ベタ記事ではないでしょう。
ワイドショーでも三分はやるでしょう。

ついでに校長と担任教師の首は飛ぶでしょう。

21

宇宙太陽光発電の実用化のため、より安価に簡単に宇宙に飛べるように…
軌道エレベーター、現在の素材で可能とされる極超音速スカイフックだけを考えていましたが、マスドライバーも使えないでしょうか。

地球からのマスドライバーは重力井戸の深さ、大気の存在などで困難とされます。
現に今実用化されていません。
しかし、限界加速度が低い人間や精密機械ではなく、太陽電池の電子機械を除いた部分ならマスドライバーでいいのでは?

それすらだめなら、極薄の磨いた鉄板は?
制御する装置はロケットで打ち上げ、鉄板を鏡として集光すれば。
宇宙では錆びませんから、鏡面仕上げした鉄板は、宇宙線で表面が崩れるまで当分鏡になります。

20

金正日氏死去。
そして問題なく、次の時代に王朝は継承されたようです。
誰がそれを予測したでしょう。
誰もが崩壊は近いとばかり言って、結局崩壊しませんでした。

逆にエジプトやリビアの独裁政権が崩壊するとは、誰も思っていませんでした。

北朝鮮の政権は、意外なほどに安定した、問題なく継承されるシステムができた王朝なのでしょうか。
それともそう思っていたら、いきなり崩壊するのでしょうか。

なぜこれほど長く、東海大地震は起きていないのでしょう。
なぜこれほど長く、日本国債は破綻していないのでしょう。
なぜこれほど長く、中国共産党や北朝鮮金政権は存続しているのでしょう。

人間には、未来の政治・科学技術を予測することは絶対にできない…そう考えてみましょう。

そうすると、取れる戦略は一つだけです。予測ができないなら最悪を想定して。

最悪を考えつつ、「全員で全員を食わせ、基本的人権は守る」「文化財破壊、遺伝子多様性の減少は一切容認しない」「人類の総力を挙げて、生存率を高めるため宇宙に種を蒔く」この三つに集中すべきではないでしょうか。

逆に、誰が生きてよく誰が死ぬべきか厳しく選別し、生きるに値するわずかな選民だけを生かし残りを殺すプランも必要になりそうですが、僕という個人はそちら側を、常に考えていながら嫌っています。
人権・文化・科学の側に立ちたいのです、どれほど笑われても、誰にも相手にされないとわかっていても。

ただし、「宇宙に種を蒔く」ことだけは、どちらの立場であってもすべきです。

19

日本共産党論法、とでも名づけましょうか。
1「日本が楽園」と「共産党が政権を取る」が必要十分条件。
2共産党が政権を取ることを信じる。取れていないのはお前の努力不足。
この二つの要素からなる論法です。

現状に対する不満は、すべて「共産党が政権を取ってないから」です。逆にそれ以外の改善は一切考えません。
いろいろな意味で信仰と共通する要素が加わります。
共産党が政権を取る可能性はない、それどころか小選挙区制で議員が当選する可能性すら事実上ないことを、無視します。
希望のすべてを一点に集めてしまい、ゼロと一、オールオアナッシングというわかりやすい形にします。

さらに、革命は全人格を求めます。
その行き着くところが連合赤軍の総括です。
また際限のない粛清です。

もう一つ、「与党も最大野党も五十歩百歩、最大野党に協力するのではなく独自候補を出し続ける」という……ラルフ・ネーダーのやり方も、共産党が長年こだわっています。
それは常に与党を利してきました。

現状を見れば、自民党も民主党も五十歩百歩というのは、単に事実です。
でもそれを認めたところで、共産党が政権を取る可能性がないことも、事実です。

18

歴史は、「世界を変えようとするな、無駄だ」と「諦めるな、理想を追求し世界を変えろ」の、どちらのメッセージのこもった本でしょう。
フランス革命史だけでも。
ロシア革命史を見れば、悪くしかならないというメッセージになるでしょうが。

オバマの今を見れば、こう言っていいのでしょうか……「No, We Can't」と。
地球号は舵で動く船ではなく、先が崖であっても軌道のまま進む列車、誰もどこに行くかわからぬパチンコ玉、大宇宙のとるにたらぬ埃だと。

人間は徹底的に無力で、世界をよくすることなどできないと。
人間の性に引きずられて宗教原理主義・戦争・環境破壊・弾圧・虐殺・貧困が、人類が滅びるに至るまで悪化するだけだと。
自分と自分にとって大切な人間、地位や家や車、近所で恥ずかしくない生活水準…その程度のものを守り、物欲を満たすことがすべきすべてだと。

17

「考えない」ことに、僕は強い嫌悪感を抱きます。
しかし、「考える」ことは幸せをもたらしてはくれません。
考えた結果が、どう見ても投了しかない盤面なのですから。

いや、「幸福」そのものが、考えない、他者に自らの運命を委ねる、大衆の熱狂に完全に同調する…そんな状態こそ「幸福」なのです。
思考停止と同調こそが、幸福なのでしょう。

それでも考えることをやめられないのは業というものでしょう。

ほかの人間に、考えること、僕のようになることを勧めるのは、思いやりとは言えません。
ですが僕は、正しいのは自分だと考えることをやめられないのですが。

16

「津波てんでんこ」を否定し、「人命よりも規律と点呼を優先する」「生命は鴻毛より軽い、校則は泰山より重い」と明言する度胸がある人はいないのでしょうか。
本音では膨大な人がそうであるはずです。
いや、とても多くの学校で、やはりてんでんこなんていえない、今までどおりに規律正しい避難訓練をすることしか考えられない教師が多数でしょう。

誰もが心の奥底から従っているけれど公言できない社会規範は、他にもとても多いと思います。
それこそ、校門圧死事件でも「人命は鴻毛より軽い、遅刻は泰山より重い。遅刻は死刑で当然だ」と本音では思っている教師が大半だったと思います。
いじめも、規範違反に対する処罰という面があるようです。

そのような本音を白日にさらし、堂々と議論できれば、もっと風通しはよくなると思います。

海外ならば奴隷制度やナチスドイツ、ホロコーストの擁護が絶対のタブーとなっているようですね。
アメリカでなら人種差別。
それらを堂々と、ちゃんと筋道立てて言うことはできないのでしょうか。

15

金星の地表は摂氏五百度とか。生物が生きられるはずはありません。

でも、上に行くほど冷えていくはずです。
下から順に見ていけば、どこかの層では生命が生存可能な温度・気圧で、液体の水も霧状であっても存在するのでは?
いや、同様に木星にも、液体の水が霧状に浮いている層が存在するかもしれません。

地球に隕石がぶつかることで飛び出す岩石は常にあります。
それには、岩石中で生活できる細菌や、休眠状態の頑丈な生物が含まれていると考えたほうがいいでしょう。
いくつかは必ず行き着いているはずです。

ならば木星や土星にも、液体の水の層はあっていいはずです。

その調子でよく調べれば、生命は想像以上に太陽系に多くあると思います。

14

ヒッグス粒子、ほぼ確定。

このことに、哲学はどう答えるでしょう。
無関心でしょうか、根源的な問いを問うのが哲学なのに。
なぜ多くの人がこのことに、無関心でいられるのでしょう。

僕はヒッグス粒子に、関心はありますが数学を理解できません。
何が悪かったのでしょう。
小学校の頃に、公文式に毎日五時間、全身全霊で集中していればよかったのでしょうか。
それとも五時間ではなく十二時間。二十時間。
高校の頃、駅でマンガの立ち読みをしたりせず、まっすぐ帰り四時間睡眠で問題集に打ちこんでいればよかったのでしょうか。

これほど世界の成り立ちが明らかになっている…なのにほとんどの人は無関心で、学べる人はあまりにも少ない。
それが悲しくてなりません。
最低限の科学知識の水準がもっと高ければいいのに。
どうして人は、これほど高い数学能力を持つ人もいるのに、ほとんどの人はこれほど数学に向いていないのでしょう。

いや、世界は明らかになってなどいません。
人類が知っているのは宇宙のわずか数%、ほとんどは謎のダークマター・ダークエネルギーなのです。
ニュートリノは超光速で動くのかもしれません。
わかっていることはわずかなのです。

科学の時代は終わった…そんな雰囲気がたまらなく悲しくなります。
それでも頑張っている人がいる、というのがせめてもの慰めですが。

13

介護を機械化するのに、なぜ人は立って移動しなければならないのでしょう。
なぜ車椅子に乗り換えなければならないのでしょう。
寝たまま移動すればいいではないですか、スッパマンがスケートボードに腹ばいに乗って移動するように。
そのスケートボードを大きくし、バリアフリーを徹底すればそれで移動はできます。

転がって移動する、足がきかなければ雲梯のように棒に手でぶら下がって移動する、その力がなければ脇の下で二本の鉤をひっかけてウィンチで引き上げ移動する…
そんな、三次元で補助する移動方法がたくさんあれば、もっと自分でいろいろできるでしょう。

そういえば介護は、今も有効求人倍率が1を越えているとか。
だったらなぜ、楽で高給にならないのでしょう。

情報やサービス業の時代だとも言いますが、どちらもブラック・過労死のイメージがとても強いです。
これからの時代の職業とされるところは、どれも死に至るハードワーク・希望のない単純労働のようです。
それで、誰もが希望を失い保守化してしまうと…

12

全能…タイムマシンと大量の兵器があれば、アメリカ先住民のために何をしてやれるでしょう。

コロンブスの船団を撃滅すればよかったのでしょうか。
でもすぐ次が……その次も。

それよりヨーロッパを先に滅ぼしておけばよかったのでしょうか。
何千年放置しても、イスラムも中国もインドも大航海時代や産業革命に至る心配はなかったでしょうか?

気候変動や土地の疲弊で滅びるまでの何百年か何千年、黒曜石の刃で生贄の心臓を太陽神に捧げる暮らしを続ける……それがアメリカ先住民の願いでしょうか。
現実の、虐殺・奴隷化・文化剥奪・差別・戦乱の歴史でも、あのままの生贄を捧げる暮らしでもない、第三の選択はないのでしょうか。

それともコロンブスの千年前までいって、別に科学技術を与えてやればいいのでしょうか。
スペインとも互角に戦えるよう。
そう考えれば、非西欧で、一番マシな運命だったのは日本でしょうか。
魂を引き裂かれ、女工哀史の地獄と引き換えに科学技術を学び、武装はしたけれど制御できず暴走し、巨大な欧米という怪物にシラミのように少し痒い思いをさせて潰され、今は無力に尾を刈り取られる脂尾羊でしかない日本が。

それとも、先手を打ってガンジー主義を布教しておけばいいのでしょうか。
物質や武力を放棄し、ひたすら魂を高めることでの勝利を。
黄金と信仰に狂い、意図せず天然痘をばらまくスペイン人侵略者にそれが通じるでしょうか。

全員、自分の神話と伝統儀式が正しいと確信したまま安楽に死なせてやるのが、先住民たちにとって最も幸福だった気がします。
第三のよりよい選択肢が、見出せないのです。実質的な全能を仮定してさえも。

11

図書館は検閲に反対する。
官憲が「資本論」を置くな、というのに抵抗するのは簡単です。

でも職員全員が「わが闘争」を置くな、というのに、どうやって抵抗すればいいのでしょう。
それどころか「南京大虐殺の嘘」であっても。

左側も無謬性を主張してしまうのが、日本の言論世界の困った点です。
それだから日教組を攻撃する橋下氏に支持が集まってしまうことも…

10

文明崩壊が起きることを前提にして、しておくべきことは?

「文明崩壊を前提として一人でも多くに配るべき、本・植物種子・道具」
「全員ではなく、地方ごとなどより少ない数の、家畜も含めた方舟レベルのライブラリ」
それぞれどのような内容でしょう。

本来、動物園にもそのような機能はあります。

文明崩壊の混乱では、まず知識や種の多様性が攻撃されるのが歴史の常です。
アフガニスタンでもイラクでも、リビアでも首都の博物館は略奪されて中身は闇に売りさばかれました。
動物園の動物たち、同情心を度外視しても貴重な遺伝子情報資源が遊び半分に、また狂信と文明への憎悪に衝き動かされた人々に殺されるか、単純に飢えた人々の肉となりました。
その悲劇はどこででも起きると思わなければなりません。
小惑星の衝突がなくてもトウモロコシの伝染病一つで人類のほとんどは餓死するか食い合い、大英博物館もルーブル美術館も上野動物園も、スミソニアンも日本の国会図書館もアメリカ議会図書館も、すべてが焼かれるのです。
原理主義宗教の指導者たちに、見つけた本はすべて焚書させられるのです。知識人は処刑されるのです。
それは決して避けることのできない、人間の本性です。人間の、より動物的な本性……宗教原理主義と相性が良いというかその源泉……にとっては、知識や芸術、多様性はそれ自体が悪なのです。人類の遺産を焼きつくす炎が無上の喜びなのです。
人間は飢えて集団になれば、その神の命令に、野生の呼び声に、必ず従うのです。

だからこそ暴徒たちが、タリバン化した政府がどれほど努力しても殺しきれないよう、どんなに厳しく法を定め宗教警察が巡回しても焼き尽くしきれないほど、ありとあらゆるところに、多くは誰も知らない穴の奥底、低い技術水準では開けられない要塞の奥、月の裏側や宇宙の彼方にも、知識と文化財と遺伝子を隠さなければなりません。
「北斗の拳」の、種籾を運ぶ老人のように。ケンシロウがいなくても、モヒカンどもが殺し続けても何人かは生き延びるほど多く。マンボウが何億もの卵をまき散らすように。
生き残りがそれを手に入れ、新しく始められるように。最悪でも宇宙に残り、誰かが拾う希望を持てるように。

それ以前の、地獄の日々のために……人間を家畜同様に解体し、干し肉や燻製ソーセージ、皮革として処理し、廃墟の鉄骨を剣や鍋に、ガラスを矢尻や器に再利用するための知識さえも必要でしょう。
それから、低い技術水準でできる自給自足生活。廃墟に残る資源で可能な金属精錬、機械加工の技術。空中窒素固定緑肥と家畜、人間の糞尿を活用することで衛生と一体化した農業、栄養学や医学。そのための種や家畜。

植物の種は簡単に長期保存できますが、少なくとも大型哺乳類は生きていなければ保存できない……でしょうか?長期極低温冷凍からの解凍に耐える、微生物や昆虫も含む有用動物はかなりあるはずです。また干し肉状態から、DNAが残っていれば将来の技術で復活する可能性も、僕は知らないだけで色々あるでしょう。
数学・物理学・化学・生物学……あらゆる科学知識。古い段階を含めた技術。多くの文化財の複製、楽譜や文章。

道徳はどうでしょう。
人間が主食になる混乱期と、人口が自然の産物で暮らせる程度に減少して社会と文明を再構築する時期は、別の道徳が求められます。
道徳は必要でしょうか?それとも道徳を分析する言葉が必要でしょうか?聖書やコーランこそが必要でしょうか。
聖書またはコーランだけで十分、という人も多いでしょうが、それは「コーランにないなら有害、あるなら不要」とアレクサンドリア大図書館を焼きつくした……まあそれは史実ではないという話ですが。
テキストとして宗教や道徳古典も残すべきだと思いますが、それは崩壊の地獄で人を導くものに……わかりません。人がそれらを必要とするのは知っていますが、逆にそれは破壊をより悲惨にすることもわかっています。

紙の本でしょうか、デジタル媒体でしょうか?
紙の本は耐久性が高く、電気文明が崩壊し修理技師がいなくても使えます。
デジタル媒体が、地底で何十年データを保つかは不明です。時に試されていません。数十年しかないという話もあります。ですが、単位体積あたりの記憶容量は圧倒的です……ハードディスクひとつに、テキストなら考えられる必要な本すべてが入るのです。科学書や芸術の画像や音楽を含めても相当量が。それを紙の本にしたら費用も体積も莫大です。

ちなみに、低い技術水準でできる自給自足、下水を肥料として活用し水を浄化する技術と空中窒素固定植物の種は、現在の貧困地域に配布してもそれ自体とても役に立ちます。人口を増やすことで文明崩壊を早める恐れもありますが。

それどころか、文明崩壊後の生き残りの生活は、僕の想像とは全く違うものになる可能性もあります。
そう考えれば、生き残るための自給自足技術は余計かもしれません。その知識が使えないかもしれないのです。

生き残るための知識と、遺すための知識は分けたほうがいいかもしれません。

9

セルンでヒッグス粒子発見の一報。

それは、もっと知りたいというのも、僕は人類にとって最高価値、究極目標の一つだと思っています。

そう思っている人は、科学そのものに賛成な人は、もうわずかしかいないのでしょうか。

SSCについて、僕は否定的な言葉しか聞いたことがありません。
恐ろしいほどほとんどは無知です、「人類の折り返し宣言」とも言えることなのに。

右側は予算削減…アメリカはそれどころか原理主義宗教、左側は反科学で自然に帰れ。
政治・メディアの世界では、ノーベル賞や「はやぶさ」の話題程度で、科学そのものにはあまりにも無関心です。

「われわれはどこからきたのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」この問いにも、もう誰も関心を持たないのでしょうか。

8

少なくとも日本では、家屋は「部屋と廊下」の組み合わせで構成されます。
しかし、たとえば「ふすま」で、ひとつながりの大きい空間を時に応じて仕切る選択肢もあります。

他にも、今思いついたのですが…
上から見ます。
四つの長方形の角を合わせ、その合わさった角の部分にある程度の大きさの円を置きます。
その円は、円形ドアとなっており、いくつかの同心円軌道に沿って自由に回転できる、一定角度を閉める戸が、ちょうどふすまの構造で回転することで開閉されます。
それを繰り返すのはどうでしょう。

7

アラン・チューリングの悲劇はよく知られています。
でも、同じような目にあった人は、もっとたくさんいたのでは。
同性愛を厳しく処罰する法は、あらゆる同性愛者に同じことをしなければならないはずです。

それとも個人的な恨みや共産主義の疑いなどで、チューリングが特に残酷な扱いを受けたのでしょうか?
日本での公安関係での微罪逮捕と長期拘留のように。
官憲の特に横暴な層の、人を見れば「ホモでアカだなぶり殺しにしろ」という先入観もあったでしょう。類型的な官憲と類型的な天才が会えば、それこそどんな拷問虐殺でも物足りないほどの憎悪になるはずですし。

まあ、被害者たち全部合わせて百倍したより、チューリング一人のほうが価値はあったのかもしれませんが、人の価値を判断すべきではないというのも近代価値の核心で…。

6

前に「背負う」服があれば、いくつかの業界は大きく効率化されるでしょう。

具体的に。
主に太く頑丈なバンドでできたチョッキのようなもので、両肩・両脇・腰をしっかり締めます。
股間にもバンドを通せばもっとしっかりするかもしれませんが、それが必要かどうかは。
それには、背中側と胸の上部に、体の背骨方向と並行に二本、乳より少し横に規格太さのパイプが固定されています。そのパイプは体の前面でフレームを構成し、バンドに固定されてずれることはありません。穴は真上に向いています。
また腰のあたりにも、当て布の上にそのフレームと一体化し、穴が真上に向いたパイプが二本。
それだけで、人間の運搬能力が何倍になるか、見当もつきません。

倉庫や引っ越しなどで重い荷物を運ぶなら、その四本のパイプに上から規格に合う棒を挿し、その棒の突き出ている部分につながった頑丈なバンドで箱を体の前面に固定すれば、どれだけ歩いても落とすことはありません。リュックを背負っているのと同様です。
持ち上げられる重さも、手で持つ何倍にもなるでしょう。
ふたりの人間が向き合いその間をハンモックのようにつなげば、100kg軽く運べるでしょう。

また、飲食店でも革命が起きます。
パイプに合った棒が二つついていれば、三段から五段の軽く薄い素材でできた棚を体の前に、素早く着脱できます。
板は背だけでいいかもしれませんし、背と横板が一面、残りの二面は開いていたほうが便利かもしれません。
それを体の前面につけて盆を入れ、歩いていってサーブし回収すれば、落とすことはありません。
レストラン名物の、腕から肩から大量の皿を載せる芸は必要なくなります。あれができなければ飲食店で働き続けることはできません。
そしてできている人たちも、しょっちゅう落として大損害になっているはずです。
棚を体に固定して運ぶ、それだけでわずかな見た目の違和感に皆が慣れれば、飲食店で「運んでる途中に落とし、料理が台無しになり客を待たせ食器が割れる」損害はほぼゼロになるはずです。

飲食店・引っ越し・倉庫整理・運送……他にもどれほど多くの業界にとって、あれば莫大な効果を生むでしょう。

で、なぜそれが、今普及していないのでしょう。
誰も思いついていないとは思えません。
それどころか、倉庫で紐一本あれば、紐を大きな輪にして袈裟に背に掛け、その輪に箱を入れて適当な長さに締めて結ぶだけで、手に負担をかけず落とす可能性もなしに運べるのに、誰もその簡単な工夫をしていません。

現実にやろうとしたら、何か巨大な障害があるのでしょう。
それこそ法律で禁じられているレベルの。

それとも、本当に誰も思いついていないだけでしょうか?
だとしたら、誰もがとことんバカということです。
……かもしれませんね。吉野家にはアルバイトも含め百万いたかもしれませんが、誰一人「アメリカ産ショートプレート肉だけ」という状況から「アメリカでBSEが発生したら」と考え、「一つの籠にすべての卵を入れるな」と怖れ、「その時のための代替メニューの準備を」と上に進言しなかったのですから。

5

「ドラゴンクエスト1」が終わった後の建国を描く小説が、僕の設定ではなく、普通の歴史ファンタジーとして権謀術数・戦乱の渦・開拓の興奮をリアルに描けたらもっと面白いでしょう。
僕は虐殺拷問は話でも描きたくないのでやりませんが。

それにしても、僕が知る限りネットにもそれが見当たらないのはなぜでしょう?

4

僕が書いたドラゴンクエスト二次創作小説、「奇妙な味のドラクエ3」の、主人公の武器設定は、書き上げた今も多少後悔しているように練り直すことをとめられません。
たとえば
右・メイン〜338ラプアのAK、固定ストック
左・サブ〜ブルパップ上下二連、上25mm(XM25、XM109、ブッシュマスター弾兼用)下12ゲージ散弾
でもよかったでしょうか。
ただ、もう「非致死性弾でのフルオート射撃」が決定的に必要なので、そうなるとゼロから書き直すことになるのでできませんが。

むしろ、すぐ装甲車に飛びこむ習慣にしていてもよかったでしょう…「重装甲の小型車」がヴィーゼル以外見当たらないのも少し残念。
ストライカーなどの装甲車を序盤からもっと活用していても楽だったかも。

あと考えてしまうのが、サイドアームがAK-103でよかったのか…左片手操作はかなり難しいでしょう。
でもFN-P90では、重量がアサルトライフルとそれほど変わりません。
H&K-MP7だと軽くピストル感覚で使えますが、小口径高速弾にストッピングパワーが本当にあるのか…小口径高速弾でいいならFN-F2000などいくらでも選択肢はあります。
FN-SCAR-Hでも、C-MAGで百発連射できますし。
ガリル7.62mmNATOでもよかったかも。
逆に44か、それこそM500リボルバーでも…まあ、「右手が使えない状態で、強い敵多数に襲われたことがある」からAK-103を選んだのですが。
銃身の薄いブルパップボルトアクションの.50BMG単発ライフルと、MP7かグロックを組み合わせても、「強力な単一」と「弱い多数」の双方に対応でき…重いし巨大でしょう。
最近、700口径の「対恐竜用」短めのボルトアクションが出たようですが、それも知っていれば。
それを言うならLSR-50を知らなかったのも残念なことです。まあそれだったらオロチ瞬殺、バラモス戦すら一変してましたが。
また、「デザートイーグル50AE+延長マガジン」でも、10匹ぐらいのかなり強力な敵を、AK-103よりは手軽なサイドアームで対応できそうです。

どうせカスタムでしか実在しないサイガ12ブルパップフルオートを主力にするなら、338ラプアマグナムの、フルオートが可能な小銃に、フルサイズのM870をアンダーマウントしても、と思ってしまいます。
M870のほうが多様な弾薬を確実に使えますし。
狭いところではP90。

ストッピングパワーも貫通力も高い、多弾数、左手一本前提のサイドアームが欲しいわけです。
小口径高速弾を信頼するならFN-P90やH&K-MP7でOK。FN-F2000ならより強力です。
信頼しないなら:
2.5kg以下、全長60cm以内
弾薬:10発以上、セミオート、ブルパップ下または前排莢
44mag以上のリボルバー弾・50AE
7.62mm×51
7.62mm×39
9mm×39
.50ベオウルフ
460ウェザビーマグナム
12ゲージショットガン(これなら3〜5発でも)
信頼性がAKに匹敵すること
重量以外の条件を満たすのは現状ではKEL-TEC RFBのみ。ブルパップでなくてよければ、FN-SCAR-Hのカービンも……ただしどちらも重すぎます。

また、銃剣格闘を排除したのも残念に思っています。
銃と銃剣のセットをそのまま魔法の武器にしてしまえていたら…そうではなく、魔剣を含むあらゆる武器を瞬時に使い分けるのが瓜生のキャラクターですが。
かといって、そのような性質の、同様に「現実から召喚される」が邪悪なライバルキャラを入れるのもやりませんでした。考えはしましたが。
また、勇者も銃剣を主に使わせようとしたら、「左手で盾・右手で剣」のスタイルとの矛盾が激しすぎます。

あと、大型の刃物として、「ククリ」か「刃が広く鋭利、柄が頑丈なピッケル」のほうがよかったかと思うことも。
どちらも、掘ったり手斧のように長く使ったり出刃包丁のように大きい肉を処理したりできますし、長柄剣鉈以上に掘る能力が高いですから。
結局ナイフ格闘のシーンはほとんどありませんでしたし…まあフルオートショットガン持ってれば必要ないですけど。

3

新しい時代、脱落者たちをどう扱うかの問題に、人間の「創造欲」「自尊心」などを入れると余計ややこしくなります。
元々、モダンタイムズの時代から、仕事の中での創造性は減っていきます。そうなると、仕事で満たされないものがあります。

というか激し肉体労働、それも長時間だと、創造的でないように見えますが肉体の酷使はそのような欲望を弱めます。
さらに平均寿命の短さ、子供の多さ、情報の少なさによる旧来型共同体の緊密さも救いとなったでしょう。
それがない……

経済的に、生かすか殺すかだけでも面倒なのに自尊心までどうすればいいのやら。
元々自尊心など心の問題を政治でやろうとすると、内心の自由を許さぬ全体主義と化していきます。
でも実際問題として、人はパンのみで生きるものでなく、既存宗教に頼るわけにもいきません。
その巨大な虚無は、低きに流れて暴走するだけでしょう。原理主義など。
はっきり言って絶望的です。

創造的な仕事はどんどん稀少化するのは、新自由主義でも社会民主主義でも変わらないのです。
でも「創造的な仕事をしたいという欲望」を、命令一つでなくせたら苦労はしません。
「貴族以外安楽死」の選民思想が、一番「苦」は少ない気がします。

科学技術による現実逃避技術の進展、特に薬物と脳コンピューター直結の複合は、それこそいつになるのやら。
「ネトゲ」にそれだけの力はあるでしょうか?

本当は僕は、七十億人分の真水・エネルギー・食料・トイレと、十億年後のためのリスクヘッジ、文明崩壊に備えた救命ボートやフライトレコーダーだけで考えるのは精いっぱいです。一人一人の心の問題など考える余裕はありません。

でも、人は感情の動物です。自尊心こそ重要なのです、生命よりも。

2

やってみなければわからない。
これは想像以上にひどいことです。

「家に火をつけたらひどいことになる」それは、言葉でわかる、法の条文を言える、家の財産目録を作る、やけどのさまざまな写真を見る…
実際にやったときには、それら全ての、情報によるものがばかばかしくなるでしょう。

どんなにひどいことかは、やらなければ決してわかりません。

1

未来については2008年12月7日に、前提を、二酸化炭素温暖化の真偽・再生可能エネルギーの可否・選別による人口減・科学技術を進めるか否かに分けて検討しました。
といっても、近代文明は人間の栄養学のように、「どの必須元素が枯渇しても崩壊する」以上、この議論は大幅に変わるでしょうが。

あらためて、いろいろな論を参考に考えてみましょう。
●二酸化炭素温暖化の真偽
●化石燃料は有限か無限か
●再生可能エネルギーは使えるか使えないか
●原子力を使うべきかどうか
●未来の技術は発達するかどうか
この五点で整理するとわかりやすくなります。
整理した上で、それぞれのビジョンについて、最悪の場合を想像し問い詰めてみましょう。

まず、同じ再生可能エネルギー推進勢力も、「現在と同等か、少し省エネで高度化した高度技術生活を全人類が楽しめる」と楽観的な人と、「技術文明自体が間違い、圧倒的に少ないエネルギーで、クーラーもなく自然に暮らすべき」悲観的で反科学技術文明、小国寡民に憧れる人に分かれます。

環境保護が強い人は技術を否定する側です。
つまり「二酸化炭素温暖化は真・化石燃料は有限・再生可能エネルギーは使えない・原子力は使わない・未来の技術は発達しない」です。
原発絶対反対でありつつ、再生可能エネルギーは使えないし未来技術にも否定的な人もいます。
老子の「小国寡民」、誰もが江戸時代の生活を、というビジョンでしょうか。
石井吉徳氏はエネルギー収支非にこだわり再生可能エネルギーを否定し、石油枯渇に危機感が強く、原発にも否定的なため、結果的にこの立場となります。

そういう人たちに聞いてみたいのは一言、「地球号の、千年万年を見越した定員は?」です。
狩猟採集時代で千万、簡単な農業で数億でしょう。
現在の七十億から、残りは死んでもらうことになります。
あるいは一人も間引くことなく江戸時代のような、技術水準が低い定常経済に至れる…どうやって?
「もったいない」で八〇億人がメザシを食って生きられる、と思っているとしたらそれも夢物語だと個人的には思います。

逆に、原発・化石燃料も使わず、再生可能エネルギーに楽観的な人も多くいます。
飯田哲也氏、孫正義氏らがそうですね。現時点の技術で、化石燃料・原発共に廃して再生可能エネルギー中心の経済。やや左側と見なされるようで、マスメディアも基本的にこのビジョンです。
小林よしのり氏は原発のみに絶対反対、温暖化を否定し化石燃料も肯定、また再生可能エネルギーも肯定しています。ただし未来の科学技術については、少なくとも原子力関係については否定的で、反科学技術文明的な主張も強いです。
小出裕章氏も同様でしょうか?再生可能エネルギーとは関係なく即座に原発を全廃せよ、という立場です。ただし小出氏の温暖化の真偽・未来技術についてのコメントは、僕は読んだことがありません。基本的にはエネルギー節約を要求し、火力発電を否定していないためこの立場に近いでしょうか。
原発についての国民投票を主張する人々もそれに近いようです。

再生可能エネルギーで豊かな生活を送れる、という人には、単純に本当に再生可能エネルギーは使いものになるのか、です。ならなかったら?現状維持でしょうか。
物理法則は絶対であり、国民投票では変えられません。小林氏も、答えのない問題に感情で取り組むのは得意でも、物理法則の次元で断言できる根拠は何でしょう。

同じ原発絶対反対・再生可能エネルギーは使えない、という主張で化石燃料に肯定的…温暖化は嘘・埋蔵量はいくらでも、という立場が広瀬隆氏らです。天然ガス複合発電技術を強く主張しています。
こちらも売れています。
槌田敦氏や丸山茂徳氏もこれに近い立場のようですが、意味不明に近い、または人類の大半が死ぬことが不可避と達観しているようでもあります。
また石井彰氏は再生可能エネルギーを否定し、天然ガス複合発電技術を強調していますが、原発も全否定はしていません。
ただし百年後以降の未来・化石燃料以外の必須資源の枯渇については実質考えていない、急激な人口減が必要とぼかすだけで、人類選別プログラムまでは主張しません。

武田邦彦氏は温暖化は嘘、化石燃料は実質無限、原子力は絶対反対、再生可能エネルギーは使えないが、未来の技術は極端に進歩するという感じでしょうか。多数の売れている本を出しており、影響力が大きいです。

聞いてみたいのは、いくら化石燃料が百万年あっても、その後は?ただそれだけです。
また温暖化が最悪の場合には。化石燃料以外の必須資源が枯渇したら。
再生可能エネルギーが使えないなら、人類の大半を殺して文明は存続させる計画、また制御不能の大量死が起きてしまった場合に生き残りが手にできる種や文化財を暴徒の手が届かないところに埋める計画は必要だ、と言いたいです。

原発を強く肯定する人もいて、逆に温暖化や再生可能エネルギーを激しく否定します。
代表が池田信夫氏らアゴラ勢力で、保守にも人気があります。
現状を変えないことが最優先で、ずっと現状の延長が可能・唯一だと確信しています。

単純に、それでひどいことになったらどうする?の一言。
というか、故郷を追われ家族同然の犬猫・牛鶏を餓死させることが、わずかな賠償金で償える、「なんでもないこと」だというなら、人間性すら疑います。
少なくとも保守を名乗る資格はないです。単なる金絶対主義。

海外に行きますか。多分僕が知らない人も多数いるでしょうが。

温暖化に対する恐怖が極端に強いのがジェイムズ・ラヴロック氏。
温暖化は真実・化石燃料は尽きる・原子力は無害・再生可能エネルギーは使えない・未来の技術は進歩しない(間に合わない)、といった感じです。
原子力で何十億人が暮らせるのか、そしてその後、枯渇性資源が尽きたら…やはり人類の大半を殺すプログラムが必要でしょう。

何についても楽観的な人もいます。温暖化は嘘・化石燃料は無限・原子力は無害・現在の再生可能エネルギーにはやや否定的・未来の技術はいくらでも進歩する…ビョルン・ロンボルグ氏、マット・リドレー氏など。
この人たちに聞けば、多分「化石燃料以外の枯渇性資源」も同様に、三十年前もあと三十年今もあと三十年、三十年後も三千年後も三億年後もなくなりゃしないよ、と笑い飛ばすでしょう。
「この世界を生きているあなたのためのサイエンス」などの著者、リチャード・A. ムラー氏の立場は新世代原発には肯定、温暖化はやや中立、現在の再生可能エネルギーには否定的だが将来の発展は否定していない、石炭が千年分あり、人口は減少するからギリギリ破綻はない、省エネが一番有効、というものです。現時点における再生可能エネルギーを否定し、化石燃料の圧倒的な高性能を強調している、逆に化石燃料が尽きたら人類文明は終わりだ、と割り切っていることが印象的です。
竹内薫氏・茂木健一郎氏……現時点の再生可能エネルギーは使えない、原発容認で同様のポジションです。竹内氏は核融合や軌道エレベータ+宇宙太陽光に期待しているようで、将来の技術に関心があるだけでも珍しい、というべきです。

ただこれは、ちらりと読んで覚えているだけです。他にもさまざまな論者がいるでしょう。

何よりも僕は、「科学」に聞いてみたいのです。何が正しいのか。
僕自身は、数十年以内の短期間に限れば、天然ガス複合発電を中心にし、安全性の高い新しい原発は稼動させるのもやむをえないと思います。
ただし、僕が考えているのは千年、いや十億年単位の遠い未来です。
どれだけあっても化石燃料が切れる、そして太陽の水素が切れてより熱いヘリウム核融合が多くなり、また地球の海水が地球そのものに吸われて海がなくなる日。
その日の後にも生命が存続するためには、人類がそれまでに宇宙に広がっていなければならないのです。
それを否定するのは、地球の生命それ自体に対する死刑宣告です。僕はそれだけは受け入れられません。
千年後を考えても、銅資源だけ考えても宇宙進出・実質無限のエネルギーがなかったら、地球の人口は一千万人前後まで減らさなければならないでしょう。
豊かになれば出生率が下がる、その自然減だけでできるとでも?間違いなく文明崩壊…飢餓と食人、疫病の地獄絵図でしょう。
それが十年後でも百年後でも千年後でも、僕にとっては違いありません。
百年後以降は考えてはならない、とは僕は思いません。
それを避けるために全力を尽くす、避けられないなら少しでも残る人が使えるよう種や文化財を埋めておく、そして地球そのものが絶望ならば、誰か拾ってくれと宇宙に、人類が、地球の生命が生きた証を打ち上げる…

宗教を信じない僕には、生命・人類・文化の永続、できるなら科学探求と人権が価値のすべてなのです。